沈黙の日
「みくるちゃん、電池残量は?」「えーっと…のこり94%ですぅ」「よーし、電池群直列!両舷全速前進!一気に突っ込んじゃいなさい!」「全速前進、アイ」まて、まて、まて、ハルヒ。そんな事をしたらこっちの位置が、相手にバレバレだろうが。いいか、潜水艦戦ってのはな、いかにしてこちらの位置を相手に特定させずに、逆に相手の位置をこちらが特定するかという駆け引きが…「そんなまどろっこしい事、面倒なだけよ!いいから、サシで勝負すればいいじゃないの!」ああ、まったく。いかにもハルヒに向いてなさそうな戦いだよな。コンピ研の奴、それまで見越してこの戦いを挑んできたのか?
事の起こりは1週間ほど前の事だ。本を読む長門、お茶を入れてくれる朝比奈さん、ボードゲームをやる俺と古泉、ネットの海を彷徨ってるハルヒ、いつもの様なSOS団アジト。と、そこに、ドアのノックの音もそこそこに、妙な勢いで訪問者の方々がやって来た。「やあ。SOS団の諸君!元気にしていたかね!」異様なテンションと共に入ってきたのは、コンピ研の部長氏とその部員達だった。徹夜明けっぽい、疲労と高揚がブレンドされた、けだるいハイテンション。「何の用?SOS団に依頼したい事でもあるわけ?」ハルヒがそのコンピ研からぶん取ったパソコンの前で、足をぶらぶらさせながら聞く。「今日は前回の雪辱を晴らすために参上した!」と、言いながら部長氏は1枚のディスクを取り出す。「ザ・デイオブサイレント?沈黙の日?またゲームかなにか?」「そうだ!前回の戦いの雪辱を晴らすため!コンピ研の総力を上げて完成させたゲーム!それが沈黙の日!」あー、こいつら、ザ・デイオブサジタリウスの一件を、まだ根に持っていたのか。長門がコンピ研に顔を出すようになってから、だいぶ関係は良くなったと思っていたんだがな。「へーえ。でも、なんだかあれ以来、パソコンゲームになんか飽きちゃったのよね」めずらしく食いついてこないハルヒに、部長氏はガクッとうな垂れて。「そんな事いわずに、ちょっと対戦させてくれ。実は、完成したはいいが、まだどことも戦えなくて、実践的なテストプレイが出来ないんだ」なんだ、そういうことか。まあ、確かにコンピ研以外でこんなにパソコンを所有しているところはSOS団ぐらいのものかもしれん。「最初からそう言えばいいじゃない。…で、何賭けるの?」結局そうなるのかよ。
かくして、SOS団が勝てばコンピ研が導入した新型PCと今の団長PCを交換し、SOS団が負ければ古いPCと今の団長PCとを交換するという事で話がついた。どう転ぶにせよ、ハルヒはコンピ研のPCを手放す気は無いらしい。
沈黙の日、と仰々しいタイトルがついているが、内容は潜水艦戦のゲームの様だ。お互いに1隻づつ潜水艦を持ち、相手を撃沈したら勝ち。解りやすいルールである。このゲームの独自性として、チームの役割分担を、酷く重視する事が上げられる。つまり、1台のPC毎に、艦長用、水雷長用、水測長用、等のように画面が割り振られていて、自分の担当部署以外の情報は、ほとんど解らなくなっているのだ。リアルさを追求するあまり、面倒になった、いかにもなゲームである。「超」艦長はやっぱりハルヒ。俺が水雷、長門が水測、古泉が操舵、朝比奈さんは燃料・弾薬の管理等を行ってもらっている。潜水艦は聴音活動が全てだ、そこに長門を配したのは当然と言えるだろう。
「このソフトの開発には、私も参加している」なんだそうなのか、長門。どうりでこんなに高度な処理を実現できているわけだな。ま、今回もインチキ技は封印しておこう。もちろん、向こうがやってきたら容赦せずにやっちまえ。「了解した。監視は続けておく」
現在のところゲーム開始から30分が経過しており、今までのパッシブソナーの聴音状況で、相手はこちらの前方付近に潜んでいる事が解っている。詳しい位置は不明。 さてどうしたもんかね、このまま地道に聴音を続けて相手の位置を絞っていくか、一気にアクティブソナーを撃って相手の位置を特定してしまおうか。だが、アクティブソナー、つまりピンガーを撃つということは、こちらの位置を相手に教える事でもある。ここはやはり、地道な聴音活動を…「ああもう、まどろっこしいわねえ!」ハルヒ?「みくるちゃん、電池残量は?」「えーっと…のこり94%ですぅ」「よーし、電池群直列!両舷全速前進!一気に突っ込んじゃいなさい!」「全速前進、アイ」まて、まて、まて、ハルヒ。そんな事をしたらこっちの位置が……ここで話は冒頭につながるのである。
「だって地味なんだもんこのゲーム、もっとこう、お互いにバンバンミサイルを撃ち合ったりとかできないの?」潜水艦戦ってのはそういうもんなんだよ。お互いに知力を絞って相手の位置を探り合ってだな、「そんな面倒なゲーム、誰がやりたがるのよ」全国に150人ぐらいいる潜水艦ゲーム好きが泣くから、そんな事を言わないでくれ。「いいから、キョン。さっさと敵を見つけて魚雷をぶちこんじゃいなさい!」やれやれ、しょうがないな。やはりピンガーを撃って相手の位置を特定しちまうか…と、俺が考えていると、突然長門が、「後方に魚雷推進機音を探知、距離3000」後方?いつのまに回り込んだんだ。「全部で…2発接近中」「ほら、みなさい!あんたがノロノロしてるから、向こうから先に攻撃してきたじゃないの!」いや、お前がでかい音を立てて突き進んだから、こっちの位置がバレたんだろうが。「口論している余裕はありません。魚雷をかわす方法を考えなければ」古泉の言うとおりだな。しかもあまり時間が無い。よし、機関停止無音走行!3番4番にデコイ装填!「機関停止、アイ」「もう、艦長はあたしなのにー」口をアヒルみたいにしたハルヒが文句を言ってるけど、今は任せてくれよ。「魚雷、距離1500に接近」もう少し、引き付けた方がいいな。「魚雷、距離1000」3番4番、デコイ発射!「魚雷、距離500。魚雷からのピンガーを探知」頼む、囮に食いついてくれ。「魚雷、左舷200を通過、デコイを追跡中」ふう、なんとかなったか…
しかし、コンピ研艦はいつのまに後ろに回りこんだんだろうな。俺たちが追いかけていたのは、最初から囮だったんだろうか。「いえ、軌道からしてそれはありえませんね」なら、俺たちに気づかれずに後ろに移動していたのか。「それもないですね。それだけの速力を出せば、まず間違いなく長門さんの聴音機が音を拾っていることでしょう」じゃあどうやって後方から魚雷を撃ち込んできたんだ。「これまでの状況から考えられる事は、ただ1つしかありません」古泉は例によってキザったらしく前髪をかき上げながら、「コンピ研艦は、2艦存在するんです」おいおい、長門が監視してるんだぜ?そんなチート技が…と、その時、激しい警告音とともに赤文字でメッセージがディスプレイいっぱいに表示された。「後方からピンガー」うは。エスコンでいうならミサイルロックオン状態だぜ。絶体絶命だな。「驚いたかね。SOS団の諸君」ボイスチャット越しに聞こえる太い声。この声は、まさか?「あー!その声はヘボ生徒会長!」マジか…。俺は古泉の方へ視線を投げかける。古泉は両手を広げて首を振る、ヤレヤレのポーズ。古泉も知らない事だったのか、この会長さんも暇なんだな。案の定、ハルヒはボイチャのマイクに噛み付きそうなぐらいの勢いで、「なんであんたがここにいんのよ!大体、2対1なんて卑怯じゃないの!」そこに割り込んでくるのは、コンピ研部長氏の声、「だれも1対1なんていってないぞ。あくまで我々と勝負しろとしか言ってない」そりゃヘリクツってもんだろー。長門、どうなってるんだこれ。「ワカメ、ステルス」なぬ?長門のキータイプの速度が数倍に跳ね上がる。戦闘モードに移行したらしい。「あら、長門さん。本気をだされるのなら、わたしにも考えがありますわ」この声は喜緑さんか?あの人まで参加してるのかよ。「き、喜緑君、なんだね、その指の動きは!」「会長。キータイプは、書記のたしなみです」「しかし…尋常な速度では…」どうやら長門と喜緑さんの間で、超高レベルな電子戦が開始されたらしい。
「いいわ、2対1でもなんでも受けて立とうじゃない!SOS団は無敵だって事を教えてあげるわよ!キョン!早くあいつらを海の藻屑にしちゃいなさい!」そうだな、今は会長艦の撃ったピンガーのおかげで、3艦とも位置がクリアになっている。2対1じゃ圧倒的に不利過ぎるから、ハルヒの言うとおり攻撃を開始して、どちらかを沈めてしまおう。後方にいる会長艦が魚雷を撃ってきたら、こっちはもうオシマイだ。それは長門に抑えてもらうしかない。後方に魚雷は発射できないから、回頭しないと会長艦には手が出せない。となると、前方のコンピ研艦から先に頂くとするか。「電池群並列、電動機両舷3分の1、1番2番魚雷装填!発射!」
「部長、SOS艦が当艦に魚雷を撃ってきました。距離3500」「撃ってきたか、私が親の七光りでは無い事を見せてやろう、電池群直列、両舷全速、ダウントリム、潜航開始!」「魚雷針路変更、当艦に向かってきます。距離3000」「そうか、やはり誘導魚雷だな」
そう、魚雷を回避しながら攻撃に最も適した位置に移動する。そういうウルフBの様な解りやすい行動をとってくれるのだよ、部長氏は。ザ・デイオブサジタリウスの時に、あんたの癖はお見通しだ。
「魚雷接近、距離2000」「深度800に到達」「アップトリム、メインタンクブロー」「魚雷、距離1500」「ツリム取れ。1番2番にデコイ、3番4番に音響魚雷装填」「魚雷、距離1000」「電動機両舷停止、無音走行!1番2番デコイ発射!魚雷からのピンガーに備えろ」「…魚雷からのピンガー来ません。距離500」「なんだと?」「魚雷、そのまま直進してきます!」
「うああああ、コンピ研に!栄光あれー!」ボイチャ越しに聞こえてくる、部長氏の悲鳴。魚雷が命中した事を示す爆発音。「なるほど、相手の行動を読みきって、誘導魚雷にみせかけて、あらかじめ軌道をインプットしておいた魚雷を撃ったわけですね、見事な、海江田四郎です」変な褒め方すんなよ、古泉。何にもでやしないぞ。マップ上からコンピ研艦のマーカーが消え去った。さらばだ部長氏。君のお父さんがいけないのだよ。あとは会長艦をどうにかすれば、こちらの勝ちだ。ま、勝ったところでハルヒのPCが入れ替わるだけなんだけどな。
…ってまてよ。ハルヒのPCが入れ替わるって事は、あのミクルフォルダが部長氏のところにいってしまう事になるじゃないか。なんてこった、失念していた。なら、わざと負けてしまおうか。…それもダメだ、その場合は古いPCと交換することになっている。まずいな、これはなんとかしないと。
長門、相談したい事が…と、言いかけて俺は固まった。長門の動きはザ・デイオブサジタリウスの時よりも更に高速化していて、人間が眼で追える速度を超えていた。「大丈夫」長門は脇目も振らず、超高速キータイプを行いながら、「穏便派には遅れを取らない」「その言葉、そっくりそのまま主流派にお返ししますわ」ボイチャ越しに聞こえる喜緑さんの声。どうやら宇宙戦争が始まるらしい。
「ああ、キョン。やっとあたしにも潜水艦戦の面白さがわかってきたわ」ハルヒに促されてディスプレイに眼を移す。海底から伸びてきた大量のワカメがSOS艦に絡みつき、行動の自由を奪おうとしていた。すると次の瞬間、どこからとも無くマリンスノーが降ってきて、そのワカメを溶かし始めた。既にゲームのジャンルはミリタリーからファンタジーに移行しつつあるようだった。ハルヒ…残念だがこれはもう潜水艦を超越した未知の領域の戦いなんだ…。
控えめな感じで部室のドアがノックされる。朝比奈さんがあわてて駆け寄り、ドアを開けると、コンピ研部長氏と生徒会長がうな垂れた様子で中に入ってきた。部長氏は艦を沈められたから、やる事がないんだろうけど、会長の方はどうしたんだ?「うむ、喜緑君が、生徒会室のPCを1人で全台操作しておってな。私が入り込む余地がないのだよ」そこまで本気なのかよ、喜緑さん。俺が振り返って長門の様子を確認してみると、いつのまにか長門の前に、団長用PC以外の全てのノートパソコンが集結していた。分身の術でも使ってんのかという勢いで、長門の高速キータイプが全てのPCに対して行われている。もはや、人間が介入できる余地はなさそうだ。ゴクウとフリーザの戦いを、なすすべも無く見守るヤムチャの気分だぜ。
鬼気迫るその様子を、朝比奈さんは震えながら、古泉はいつものよくわからんスマイルで見つめている。ハルヒは画面の中で繰り広げられる、無茶苦茶な戦いをいたくお気に入りのようで、会長が来ている事にも気が付いていないようだ。画面の中では会長艦が召喚した巨大イカと、SOS艦が召集したシャチの群れとが死闘を繰り広げている。だめだ、早くなんとかしないと。
暴走する軍部の泥沼化した戦争から脱却すべく、水面下で和平交渉が開かれる事になった。ひとまずコンピ研部室に退散した、俺と古泉と部長氏と生徒会長とで、今後の対策を協議しようというわけである。なんとか停戦、引き分けの線で話を詰めてしまいたい。そうすればミクルフォルダも無事そのまま団長席に残る事になるからな。「このまま、お二人の気の済むようにさせればいいじゃないですか。涼宮さんも、この戦いを気に入っておられる様ですし」余計な事を言うんじゃない、だまってろ古泉。「今、コンピ研に置いてあるサーバの状態がパンク寸前なんだ。攻勢防壁を3重に張ってあったのに、易々と突破されて、少なくとも2箇所から進入を受けている。どんどんプログラムが書き換えられていて、もう元のコードが1割も残ってないんだよ」その2箇所が、どことどこなのか、説明するまでもないだろう。「やはり、このまま放置するわけにはいくまい。終戦させる良い方法はなにかないか?」
会長のその言葉を受けて、俺は考えておいた停戦に向かう方法を提示した。
「むう、確かにそれならば…、しかし、他の生徒にも大きく影響を及ぼすかもしれん」でも他に手はないと思うぜ?会長はしぶしぶ、部長はなんでもいいから鯖が壊れる前に早く、古泉は苦笑しながら、俺の案に同意した。
交渉を終えた俺と古泉がSOS団部室に戻ると、戦いは伝説から神話の域に達していた。団長席にどっかりと腰を下ろして、その戦いを眺めているハルヒが、「2人ともどこ行ってたのよ。敵前逃亡は軍法会議ものなんだからね!ちゃんと戦いに参加しなさい!」すまん、ちょっと用足しだ。そのまま、そ知らぬ顔で団長席のPCを覗き込む。
俺は腕時計を見て時間を確認した。まもなく作戦決行時間。うまくやってくれよ、2人とも。
まず最初の異変は、長門の動きが急に停止した事だった。続いてPC画面に「通信切断」のエラーメッセージが出現。それから部屋の電気が全て急に消えた。まだ外が明るいから、部屋の中はそんなに暗くならない。「あれ、どうしちゃったの?」ハルヒがバッテリーモードに以降した、PC画面を覗き込む。と、そこへ、コンピ研部長氏が部室の中へ入ってきた。「いやー、突然、ネットワークが切断されてしまったよ」棒読みすぎる、もっと上手くやって下さい、部長氏!続いて入ってきたのは生徒会長。「どうやら、電力の過剰使用でブレーカが落ちてしまったようだ。これ以上の対戦は不可能だな」うーん、それじゃあしょうがないですね。なあハルヒ、引き分けという事で手を打たないか?「なによそれ、いいとこだったのに、つまんないわねえ」よしよし、このまま引き分けという流れが確定しそうだな。
「会長~。」「むう?喜緑君?」笑顔を浮かべた喜緑さんが、部室の中に入ってくる。優しい笑顔なのだが、それを見た生徒会長の顔は、何故こんなにも引きつっているのだろう。「まさか、部室棟全体の主電源を落としてしまうとは、思いませんでしたわぁ」「な、何の事だ。あくまでもこれは電力の過剰使用によりブレーカが落ちただけでな」「ふうーん?」突然、喜緑さんが生徒会長の襟首をムンズと掴んで引き倒す。「待ってくれ!まずは話あおうじゃないかね!」「ええ、たっぷりとお話を聞きたいですわ、生徒会室で」そのまま、ずるずると会長を引きずって、部室から出て行く喜緑さん。「皆様、お騒がせいたしました、これで失礼いたします」「た、助けてくれ!うわああああああ」にこやかな笑みのまま、喜緑さんは会長をずるずると引きずったまま廊下に消えた。最後に聞こえたあの声は、会長の断末魔だったのだろうか。2人の意外な一面を見た気がするぜ。
なあ、長門。…って、長門?「…。」長門は無機質な瞳で、俺の事をじっとみつめている。ヤバイ、やっぱりお見通しなわけかよ。すまない、長門。だが、あのまま戦いを続けておく訳にも行かなくてな…。「いい。わたしも、調子に乗り過ぎたから」調子に乗り…か。出会ったばかりの頃の長門なら、そんな事は起きなかっただろうな。やはり、お前は少しずつ人間に近づいているのかも知れないな。「だから、1つだけ仕返しをして。これで、おあいこ」仕返し?「ねえぇぇぇ。キョン~」不機嫌そうなハルヒの声。まさか。まさか。「このディスクトップにある、ミクルフォルダってのに入ってる写真、これなにぃぃぃ?」馬鹿な!隠し属性にしておいたはずなのに!…って長門!長門は自分の指定席に戻ると、分厚いハードカバーの本を読み始めた。「ちょっと、キョン!なんでこれがここにあるのよ!」
結局ハルヒの機嫌が直るまで、1週間を要した。まったくやれやれだぜ。
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