二人の3月末日
唐突に吹きつけてきた風は、肌を刺すように冷たかった。 朝、9時30分。 私は、いつもの待ち合わせ場所でキョンを待っていた。 今日は寒かった。明日から4月だっていうのに、理不尽だわ。 しばらく待っていると、キョンが間抜け面をさらしてやってきた。 「遅刻! 罰金!」 私はいつものように、右手の人差し指をつきつけてそう宣告する。「約束の時間には遅れてねぇよ」「女を待たせてる時点で遅刻なのよ!」「それは、どこの世界の法律だ?」 たわいもないやりとりのあと、二人連れ立って歩き出す。 私が寒がっているのに気づいたキョンは、自分の上着を脱いで羽織わせてくれた。 やっぱりキョンは優しい。 そうやって歩いていると、前方から嘘っぽい微笑みを浮かべているイケメンっぽい男の子と、人形みたいに無表情な女の子が歩いてきた。女の子は北高の制服を着ている。 北高の生徒? どっかで見たことがあるような気がするけど、思い出せない。 男の子がキョンに話しかけてきた。「今回は会えましたね」「これで何回目だ?」 キョンの質問には、女の子が抑揚のない声で答えた。「134286129回目」「そうか。あと、これも前に質問したことがあるような気がするが……」 キョンが全部言い終わる前に、男の子が答えた。「ええ、彼女ならいません。巻き込まれる前に、強制的に避難させられたのでしょう。それはともかく、あなたには期待してますよ」「このゆ……いに、何を期待するってんだ? おまえらも少しは努力してみようという気にならないのか?」 キョンの言葉の一部が聞こえなかった。 とても重要なことを言ったような気がするのに……。「僕たちではいかんともしがたい問題ですよ。万策尽きたというのが正直なところです」「まったく。やれやれだ」「それでは、僕たちはこれで」 二人が去っていく後姿を、キョンはしばらく眺めていた。 「今の二人、キョンの友達?」「ああ、親友といってもいいだろうな」「ふうん」 さっきの会話は意味不明で気になるところだらけだったけど、なぜか、追及しようという気にはなれなかった。 そのあと、二人で映画館に行き、映画を見た。 内容はたいして面白くなかった。 そのあと、お昼ごはんをレストランでとった。もちろん、キョンの奢りで。 私が映画の内容に散々文句をつけて、キョンが突っ込みを入れる。いつもの調子の会話。 レストランを出て、また二人で歩く。 「桜を見にいくわよ!」 私の思いつきで、川沿いの桜並木に来た。 ちょうど桜が満開で、花見客も結構いた。「桜が満開だと気分がいいわね!」「花は散り際ともいうがな」「桜なんて、花が散っちゃったら、ただの木じゃない」「そりゃ酷い言い様だな。木にだってちゃんと存在価値はあるさ。花が咲くのも、木が水や養分を花まで運んでくれるからであってだな」「分かってるわよ。でも、やっぱり、花が散っちゃうのは寂しいわ」「気持ちは分かるけどな」 やがて、桜並木が終わり、普通の道に入る。 そして、最初の交差点。 私はなぜか直進するのを避けて、信号の直前で曲がった。「こっちだと遠回りだぜ」「今日は遠回りしたい気分なの!」 キョンの疑問に、私は理由にもなってない言葉で答えた。「そうかい」 キョンもそれ以上は突っ込んでこなかった。 「明日から4月よね」「ああ」「三年よ、三年。あんた、進路のことちゃんと考えてるの?」「いや、さっぱりだ。考えても仕方がないしな」「そんなんじゃ駄目よ。ちゃんと考えなさいよね」「そういうおまえは、考えてるのかよ?」「もちろんよ。この世の不思議を解き明かすまで私は止まらないわ」「そりゃ、大変結構なことだ」「いっとくけど、キョンも一緒だからね」「……」 キョンは急に無言になった。 私は不安になってきた。 「私と一緒が嫌なの……?」「そんなことはねぇよ。おまえと一緒になんやかんやするのはいつだって楽しいさ。俺だって、いつまでもハルヒと一緒にいたい。でも、すべてが希望通りになるとは限らん」 キョンったら、何弱気なことを言ってるかしら。「希望通りになるように努力すべきよ」「それも正論なんだがな……。なあ、ハルヒ。明日は、何月何日だ?」 キョンは突然そんなことを訊いてきた。「4月1日よ」「昨日は?」「3月31日だわ」 「じゃあ、今日は何月何日なんだろうな?」 えっ……? 疑問符を浮かべた瞬間、私は目を疑った。 キョンの姿が透けて見える。 「うそ……」「昨日、俺はあそこの交差点で交通事故にあって死んだ。これは事実なんだ。死人は蘇ったりしない。どんなに精巧に再構築したつもりでも、それはちょっとしたことで消えちまう幻でしかないんだ」 「うそよ! そんなことあるわけない!」「おまえは一人じゃない。古泉も長門もいる。世界が正常化すれば、朝比奈さんだって帰ってくるだろう。だから、こんなことを繰り返すのはもうやめようぜ」 それが最後の言葉だった。 そこにいたはずのキョンの姿はない。 うそ……。 こんなのうそよ。 キョンのいない世界なんて、私には考えられない。 唐突に吹きつけてきた風は、肌を刺すように冷たかった。 朝、9時30分。 私は、いつもの待ち合わせ場所でキョンを待っていた。 今日は寒かった。明日から4月だっていうのに、理不尽だわ。 終わり
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