解釈問題
それは、いつもの放課後のことだった。 俺はいつものようにドアのノックして部室に入り、朝比奈さんのお茶をいただいて、古泉と将棋をさす。 長門は、いつものように分厚い書物を黙々と読んでいる。 やがてハルヒがやってきて、ネットサーフィンを始めた。 それはいつもの団活の風景であり、なんらの異変もないように思われた。 しかし、このとき既に異変は起こっていたのだ。 俺が、その異変に気づいたのは、長門が本を閉じる音を合図に団活が終わったときだった。 「キョン、今日は私と一緒に帰りなさい」「なんでだ?」「私たち付き合ってるんだから、そろそろそういうことがあってもいいじゃない」 俺は唖然とした。 それは他の三人も同じだったようで、朝比奈さんは口に手を当て固まり、古泉は0円スマイルを引きつらせ、長門ですら表情が1ナノメートルほど変化したように見えた。 ちょっと待て、ハルヒ。 俺には、おまえと付き合った又は現在進行形で付き合っているという記憶はひとつもないぞ。 その言葉が出かかったがなんとか飲み込む。 俺も、トンデモ事態の発生にはすっかり慣れてしまったようだな。 この事態に、いち早く対応したのは古泉だった。「そうですね。恋人同士の語らいに他人は邪魔でしょう。僕たちは先に失礼させていただきます」 古泉が、いまだにびっくり顔の朝比奈さんといつもの無表情に戻った長門をエスコートして去っていく。 こちらをちらりと見た古泉の顔からは、「今は、涼宮さんに合わせておいてください」という暗号が復号化された。 ついで、長門の目から「あとで連絡する」という暗号が復号化される。 長門はともかく、古泉の表情まで読めるようになった自分が忌々しい。 その後のハルヒとの帰り道については、語りたくない。 ハルヒの話に合わせるのが大変だった。それだけは、確かだ。 そんな俺にハルヒは違和感を感じたようで、別れ際の寂しそうな顔が脳裏にこびりついて離れない。 家に帰り着き自分の部屋に入った瞬間に、まるで見ていたかのようなタイミングで携帯電話が鳴った。「私の部屋に来て。朝比奈みくると古泉一樹は既に到着している」「分かった。すぐに行く」 自転車をこいで長門のマンションに急行し、長門の部屋に向かう。 ここに来るのも何回目だろうか。 「長門。ハルヒが世界改変でもやらかしたのか?」「違う。世界構成情報に改変は観測されていない」 長門は、朝比奈さんの方を見た。「私も上司に問い合わせてみましたけど、STCデータ……ええっと、そのう……時間平面を構成するデータには、改変は見られないそうです」「なら、ハルヒのあれはいったいなんなんだ?」「涼宮ハルヒは、世界構成情報に対する自己の『解釈』を改変しただけ」「頭の悪い俺にも分かるように説明してくれ」「それは、つまり、こういうことでしょう」 古泉が解説を引き継いだ。 一応、聞いてやる。「あなたは、涼宮さんとの関係を、団長と団員、あるいは友人というふうに『解釈』している。涼宮さんもそうだったと思われます。しかし、涼宮さんは自己のその『解釈』に対して改変を行なったわけです」 さっぱり理解できん。「問題は、涼宮さんが『解釈』を改変するに至ったきっかけですね。長門さんは、把握してますか?」「原因は、涼宮ハルヒと同じクラスに属している女子生徒との会話。涼宮ハルヒは、女子生徒から彼といつから交際しているのかという質問を受け、そもそも交際していない旨を回答した」 「なるほど」 おいおい、おまえはそれで理解できるのか? 理数クラスの頭のいい奴は違うな。俺にはさっぱりだ。「涼宮さんは、あなたとの関係について、女子生徒たちが言ったような『解釈』がありうるということを認識したわけですよ」 古泉の説明に、長門が捕捉した。「涼宮ハルヒは、この学校に属する生徒の中から同様の『解釈』をもつ者たちの思考を抽出し、最大公約数モデルを構築して、自己の『解釈』と入れ替えた。世界構成情報は一切改変していない」 「つまり、ハルヒは、世界じゃなく自分の記憶を改変したのか?」「違う。記憶もそのまま。改変したのは、記憶している事象に対する『解釈』。改変対象が極小であるため、周辺環境との齟齬は最小限。齟齬が生じているのは、今のところ、涼宮ハルヒと我々4人との間だけ。齟齬の範囲が拡大してもあと2、3人程度」 「そうですね。あとは、鶴屋さんぐらいでしょうか。お二人の関係が恋人同士などではないと認識している北高生徒は」「おいおい、そりゃどういう意味だ? 北高生徒はみんな変な誤解をしてるというのか?」「端的にいえばそういうことです。あなたは、中学3年生時代に経験済みのことでしょう?」 佐々木のことか。まあ、確かに変な誤解をする連中ばっかりだったな。 どうすれば、友人関係を恋仲と勘違いできるのか、俺にはいまだに理解できん。 って、話がそれちまったな。「話を戻すが、おまえらの説明では俺にはいまいちピンと来ない」「あなたと昨日までの涼宮さんの『解釈』では、北高入学以来の日々は、SOS団の仲間としてあるいは友人同士としての数々の楽しい思い出といったところでしょう」 まあ、否定はせんよ。「しかし、今の涼宮さんの『解釈』では、友人同士として楽しい日々をすごすうちにいつの間にか付き合っているということになっているはずです。客観的な事象にも各人の記憶にも全く改変はありませんが、それに対する『解釈』が変わってしまったということです」 「まあ、よく分からんがそういうことにしておこう。で、どうすれば、元に戻るんだ?」「その前に確認しておきたいのですが、あなたは涼宮さんに元に戻ってほしいのですね?」「当たり前だ。いきなり恋人同士だなんていわれて納得できるもんか」「まあ、そうでしょうね。こういうのは、過程が大事ですから」「意外だな。おまえはハルヒを元に戻すのに反対するかと思ってたが」「お二人の『解釈』がこれほどまでに異なっていたら、いずれ関係が破綻するのは確実ですよ。そのときに発生するだろう閉鎖空間のことは考えたくもありません。ならば、元に戻すのがベターといえるでしょう」 「私も同意見」 長門が賛意を示す。 俺は、朝比奈さんの方を見た。「私も、元に戻した方がいいと思います。古泉くんのいうとおり、こういうことは過程が大事なんだと思いますから」 全員一致だな。「で、元に戻す方法だが」「あなたの気持ちを素直に彼女に告げればよい。それで解決する」 というわけで、なぜか俺はハルヒを駅前公園に呼び出すハメになった。 気持ちを素直に告げろっていってもなぁ。「ハルヒ、元に戻ってくれ」って素直にいっちゃってもいいのか? ハルヒ自身、自分の『解釈』を改変したという自覚はないんだろうから、きょとんとするだけだと思うんだが。 「こんなとこに呼び出して、何の用なの?」 ハルヒが不安げな顔をしてやってきた。「これから俺がいうことは、おまえには何をいっているのか分からないかもしれないが、聞いてくれ」 ハルヒは不安そうな顔のまま俺をじっと見つめた。 俺はストレートにこう言った。「元に戻ってくれ」「何言ってるの?」 予想どおりの反応だ。「なあ、ハルヒ。こんなやり方は乱暴もいいところだ」「あんた、今日はおかしいわよ……」 やっぱり自覚なしか。 まあ、自覚があったりなんかしたら、古泉が青ざめるだろうがな。「……キョン……私のことが嫌になったの?」 ハルヒが泣きそうな顔になった。 俺は慌てて反論した。「そうじゃない。おまえと一緒になんやかんややるのはいつも楽しい。それは間違いない。だが、それとこれとは別の問題だ。過程をすっ飛ばしていきなり恋人同士なんていわれても、俺は受け入れられない」 ハルヒの目から涙が流れ落ちた。 おい、長門。どう考えても逆効果だぞ、これ。 どうしたらいいんだ? しかし、ここまで来たらもう後戻りはできない。 最後まで自分に正直にいくしかないな。腹をくくるか。「ハルヒ。おまえが面と向かって告白してくるんだったら、俺だって真面目に考えるさ。どういう結論を出すにしてもな。だから、こんな強引なやり方はやめてくれ」 ハルヒは、目を見開いて、俺を見た。 そして、唐突に崩れ落ちた。 俺が慌てて手を伸ばしたところで、忽然と現れた長門がハルヒを支えた。「観測結果を伝達する。涼宮ハルヒは、『解釈』の改変を取り消して原状に復旧し、今日の放課後から今までの自己の記憶を消去した」「おやおや。それは残念ですね、さきほどのことを何も覚えていないとは。なかなかの名場面でしたのに」 そんなことを言いながら俺の背後に現れたのは、古泉の野郎に相違ない。 二人とも、覗きなんていい趣味じゃないぞ。 「ハルヒはどうするんだ? ここで目を覚まされても説明に困るぜ」 これには長門が答えた。「私の部屋に連れていく。放課後以降の記憶がない以上、下校途中に意識不明となり私が介抱していたと説明すれば納得するはず。情報操作の必要もない」「すまんな」「いい」 その後のことについて、少しだけ語ろう。 翌日、ハルヒはすっかり元に戻った。 俺とハルヒの関係は、団長と団員だ。お互いその『解釈』に変わりはない。変わりはないんだが……。 ハルヒよ。ついでに俺の記憶も消してくれればよかったのに。 あのときの記憶があるがゆえに、俺とハルヒの関係が将来変わる可能性があることを、俺は意識せざるをえなくなった。 それが俺の『解釈』に微妙な影響を与えていることは否定できまい。 それが俺の態度に表れたりしてるみたいで、それに対するハルヒの反応が微妙だったりして……まあ、その……なんつうか、微妙なわけだ。 まったく、やれやれだぜ。 終わり
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