想い出の場所で
「はい、どうぞ」
にっこりと朝比奈さん。
「・・・受け取って」
少し上目使いで長門。
「ほら、さっさと取りなさいよっ」
ニヤニヤとハルヒ。
「僕からもです」
いっぺん死ぬか?古泉。
「いやいや、冗談ですよ」
お前の場合冗談で済みそうにないところが怖い。お前は少し黙ってろ。
「・・・はい」
最後のほうに少し変なものが混じっていたが、俺は今、我らが文芸部室で女子団員三人からチョコレートを突きつけられている。
そう、今日は二月十四日。バレンタインデーだ。
ほほう、これがかの有名な“修羅場”というやつか。この歳でそれを体験することになるとは夢にも思わなかったぜ。ついに俺にも春がやってきたかぁ~。
・・・・・・というのは残念ながら嘘であり、実際は団活の終了間際に部室で去年同様、義理チョコを受け取っているだけである。
ハルヒいわく、本当は今年も何かしらイベントをしたかったそうなのだが、幸か不幸かこの日が学校のある日だったためにこうして放課後の団活の一環としてごく普通にもらっているのだ。去年はいろんなことがありすぎてはっきり言ってバレンタインどころじゃなかったので、俺にとっちゃちょうどいいと言えばちょうどいいのかもしれん。
本当のことを言うと、教室ではまず無理だとわかっていたが、団活が始まっても全く渡してくる気配が見えずに長門の団活の終了の合図が響いた時にはどうしようかとハラハラドキドキしていたのだが、最後の最後で神は俺を見捨てなかったようだ。
て言うか、そんな修羅場あってたまるか。俺の身体が持ちそうにないだろうが。いや、身体だけじゃなくて精神も逝っちまいそうだ。まぁこいつらに限ってまさかそんなことはあるまい。喜んでいいのか、悲しむべきなのか。難しいもんだ。
あ、でも朝比奈さんに、その小動物のような愛らしい瞳に涙をためながら頬を赤く染めて、視線を少しずらしながら、
「大好き・・・です」
なんて言われた日にはもう俺死んでもいいかもしれない。
いや、むしろそう言ってもらえるんなら喜んで死ねるぞ、俺は。
「なにあんた、人にチョコ貰っといてお礼のひとつもないの?」
俺は団長の一声によって幸せな妄想の中から現実の中へ引き戻される。今回に限っては現実のほうもそう悪くはないものなので、責めるのはなしにしておいてやるか。
「お、すまん。まだ言ってなかったな。ハルヒ、長門。ありがとな。朝比奈さんも受験勉強で忙しいのに申し訳ありません。本当にありがとうございます」
ペコペコと三人に頭を下げる。こういうのはちゃんと感謝の気持ちを表さないと駄目だからな。
「言っとくけどそれ、義理だかんねっ」
へいへい、分かってるって。同じこと去年も言ってただろ?
ん、てことはなにか?今年も手作りなのか、これ。
「そう。わたしの部屋で三人で夜遅くまでかけて作った。」
そっか。なんか悪いな。でもホント、感謝するぜ。
「作るのは三人一緒だったけど、中身はそれぞれ違うから、楽しみにしてて下さいね」
もちろんですともっ!特にあなたのがとっても気になりますよ、ええ、そりゃもう。
予想としては・・・そうだな、ハルヒがトリュフ、長門がホワイト、そして朝比奈さんがミルクといったところか?当たっている自信は皆無だが、今から楽しみで楽しみで仕方ない。うぅ、早く食べたいもんだぜ。
「それで、誰のチョコから受け取るの?」
「へ?」
「だから、誰のチョコから受け取るのかって聞いてんのよ」
いやいやいや、ちょっと待てって。俺はそんな・・・
「「「もちろん」」」
「あたしよねっ?」
「わたしから」
「あたしですよね?」
何三人そろってハモってるんですか?あの、もしかしてこれ、完全に修羅場っぽくなってません?
ハルヒ、お前顔だけ笑ってても目が笑ってないぞ。というかマジだ。
長門もその北極圏クラスの視線はやめなさい。刺さってるから。痛いって。
朝比奈さん、何か黒いオーラみたいなのが出ているような気がするんですが、気のせいですよね、それ。
「さあ、キョン!」
「キョン君が誰のチョコレートからもらうのか」
「あなたはきちんと選ぶべき」
さあ、とでも言わんばかりに三人娘はどんと一歩俺に近づいてくる。
困ったぞ。これは非常に困った。俺は試しに古泉に、助けてくれ。何かいい案はないか!?とアイコンタクトで助けを求めたのだが、僕は先ほどあなたに黙っていろと言われているので、お話しすることはできません。それ以前にこの御三方から僕は貰っていないので、何とも言えませんよ。申し訳ありませんね。と返されてしまった。
・・・古泉、お前なんかいろいろと拗ねてないか?
「あ、あのだな、ひとまず落ち着い・・・」
「「「誰の!?」」」
くそう、聞く耳持たずってやつかよっ!
この状況で誰からチョコレートをもらったとしても、次の瞬間残りの二人に殺されるに違いない。だからといってこのままだと時間がただただ過ぎていくだけだし・・・
あー、父さん。こういう時はどうすればいいのでしょうか?
・・・ん?時間?
俺は自分の言葉にふと妙な引っ掛かりを覚える。はて、何かを忘れているような・・・
時計をチラリと盗み見る。四時五十五分。
「あっ!!!」
「「「決まった!?」」」
反応が早すぎるぞ!いや、そうじゃなくてだな。
「す、すまん!ちょっとトイレ行って来るっ!」
俺は回れ右をして一目散に部屋を飛び出した。
「ちょっとキョン!」
「帰ってきてくださいよぅ」
「逃げないで」
という罵声にも奇声にも似た声を背中に浴びながら。
俺は廊下を全力で走る。
最初に断っておくが、別に俺は浮かれて走っているわけではない。ちゃんとした理由があって走っているんだ。
それは朝、俺の下駄箱に入っていたノートの切れ端。
『放課後誰もいなくなったら、一年五組の教室に来て』
そこにはそう書かれていた。去年見たものと全く同じ字で、そう書かれていた。
ならば俺は行くしかないだろう。それの真偽を確かめるために。
人気の絶えた廊下で、俺は深呼吸を一つ。教室はあの時と同じように西日でオレンジ色に染まっていた。だが心構えだけは正反対だ。もし俺の予想が正しいなら、危険なことこの上ないからな。俺は高まる鼓動を抑えながら一年五組の引き戸を開けた。
「遅いよ」
一瞬、デジャヴーを感じる。真っ赤に染まった教室で朝倉涼子が俺に笑いかけていた。黒板の前に立ちながら。
「そうか?去年よりは三十分ほど早いはずだぞ」
俺は教室には入らずに、廊下から返した。
「あの時もそうだったけど、女の子を待たせるのはあんまりいい趣味とは言えないわよ?」
くすりと笑ってからまっすぐで長い黒髪をはらりと揺らして教団を降り、教室の中程まで歩いていく。
「入らないの?」
「ああ。入っちまったら最後、あのヘンテコ空間に閉じ込められて何をされるか分かったもんじゃないからな」
「やっぱり。わたしのこと、そう思ってたんだ。まぁ自業自得とも言えるんだけどね」
少しだけ寂しそうな笑顔をして、髪をはらう。
「でも安心して。今回は別にあなたに危害を加えることが目的な訳じゃないの。というよりも、今のわたしにはあなたを傷つけるような情報操作をする権限がないから、しようにもできないのよ。長門さん抜きにはね」
朝倉は自嘲的に笑う。それではなにか?こいつは何のために復活したと言うんだ?
「そういうわけだからさっさと入りなさいって。さっきも言ったけど、女の子は待たせるもんじゃないわよ?」
長門がこいつの復活を知っているんなら万が一の時にはすぐに駆けつけてくれるだろう。こんなことなら長門のチョコを最初に受け取ってれば良かった。
「さっきの言葉、本当なんだな?」
「うん。本当よ」
「分かった。信じてやろう」
朝倉に言われたとおり教室に一歩踏み入る。ここに入るのは約一年ぶりだが、大して変わっているところはなかった。そりゃそうか。急に変わられたら困るもんな。ちょうど今みたいに。そう、俺が入って一息ついた次の瞬間、窓もドアも教室から消えうせていた。
「ごめんね、誰にも邪魔されたくないからちょっと情報を書き換えさせてもらったわ」
「おいちょっと待て!話が違うだろうが!俺に何もしないんじゃなかったのか!?」
「いや、あの・・・だから違うのよ」
いきなりの契約破棄に、俺は怒りをぶつけようとするが、とうの本人は顔を下に向けて申し訳なさそうにしている。どういうことだ?
「あのね、これは別にあなたに害を加えようとしたんじゃなくて・・・なんていうかな?有機生命体の概念で表すなら、恥じらい、とでもいうのかな?とにかく誰にも邪魔されたくなかったの」
ん?じゃあつまりこいつは俺に何かをしたくてここに呼んで、それを誰にも見られたくない、ということか?うん、さっぱり分からん。
「それでね、本題なんだけど」
西日でも当たっているのだろうか。朝倉の顔が少し赤くなっている。いや、ちょっとまてよ?ここには窓はないんだっけ?
「前にも聞いたけど、『やらなくて後悔するよりも、やって後悔したほうがいい』っていうの、どう思う?」
「言葉通りの意味だろうよ。前にも言ったが」
「じゃあさ、少ししか気になってなかったものが、気がついたら自分の心の大半を占めていたとしたらどうする?」
「質問の意図が読めんが、取り合えず頑張ってそれを手に入れるよう努力すべきなんじゃないか?」
「やっぱりあなたもそう思う?」
朝倉は少し赤く染まったその顔を綻ばせた。
「でもね、それはみんなが欲しがってて、なかなか手に入りそうにないの。でも、これ以上は見ているだけっていうのはできそうにない。だったら、多少強引でも積極的に行動したほうがいいわよね?」
相変わらず何が言いたいのかよく分からん。ホント、何の話だ?
「・・・やっぱり。みんなね、何も感じないターゲットにやきもきしてるの」
はぁ?お前、さっきから何の話をしているんだ?そう言おうとした一瞬の隙を突かれた。
「あなたにキスしてキョン君自身のでかたをみる」
惚けている暇などなかった。夕陽よりも真っ赤な朝倉の顔が一瞬にして目の前に現れたかとおもうと、俺の口に唇を押し付けてきた。
それだけではない。幸か不幸か、俺の口は言葉を発そうとして半開きになっていたので、口内に舌を侵入させてきやがった。いわゆる、ディープキスというやつである。唖然とした俺がされるがままになっていたなど、言うまでもないだろう。
「冗談はよせって!なんのつもりだっ!?」
半ば強引に朝倉を引き剥がす。
「お前今、自分が何をしたのかわかってんのか!?」
無意識のうちに自分の唇を触る。熱い。気がつかなかったが自分の頬も熱くなっていた。
「・・・うん。分かってる。キス、でしょ?わたし、初めてだったんだけど、どうだった?」
「どうだったって・・・お前!」
「まだ・・・分かってくれないの?」
目の前にいる元殺人鬼のヒューマノイドインターフェイスはその瞳に涙を貯めていた。
まさか。こいつが?
「わたしだって!」
「わたしだって、キョン君のこと好きなんだからっ!」
時間と空間が固まる。瞬きさえも、呼吸さえも忘れて朝倉を食い入るように見つめる。視線があって見つめ合う形になる。
「わたしはまだ、長門さんとは違って有機生命体の感情や概念はよく分からない。でもね、この気持ちは本当だとおもうの」
「最初はただのエラーだとおもってた。おもしろい観察対象、くらいにしか認識してなかったから。でもね、気がついたらキョン君のことを見るたびに、他の女の子と仲良くしているのを見るたびに、変な気持ちになるようになってたの。おかしいわよね。だってわたしはあなたたちで言うアンドロイドなのよ?」
「でもね、情報統合思念体に戻って、長門さんから送られてくる情報であなたのことを見つけて。それと一緒に長門さんの、一般的にはノイズで処理されちゃうんだけど、感情ってものを知って。それで初めて気付いたの。わたし、キョン君のことが好きなんだなって」
ここまで一気に告白して、朝倉は話すのを一旦止めた。俺もその沈黙に合わせるように無言でその顔を見つめる。
「ふふっ、笑っちゃうわよね。あなたを殺そうとしたわたしがあなたに恋してるなんて」
朝倉は自虐的に笑う。そこに寂しげな表情を浮かべながら。
「笑えるかよ」
「え?」
「そんなの笑えるかよ」
朝倉は不思議そうな顔をして俺を見る。
「確かに驚いた。いきなりキスはされるわ、告白はされるわ。ホントいきなり訳分からんかったさ。だって自分を殺そうとしたやつだぞ?でもな、お前は真剣なんだろ?自分で言うのもなんだが、本気で俺のことを考えてくれたんだろ?」
「・・・うん」
「だったら俺は笑わない。例えどんなことでも、真剣にやってるやつを笑うことなんてできない」
「・・・え?」
「だから俺は、そいつの頑張りにできるだけ答えようと思う」
例えそれが俺の恥ずかしいことだったとしてもな、と付け加える。
「・・・・・・キョン君はずるいよ」
気付けば朝倉は目に涙をたくさん浮かべていた。
「そんなに優しくされて、嫌がる女の子なんていないんだから」
といって俺に抱きついてきた。その身体は温かくて、小さくて、かすかに震えていた。
ああ、こいつも普通の女の子なんだな、と今更になって思う。
俺はその背中に手を回してギュッと抱きしめ返す。
俺の突然の抱擁に驚いたのか、朝倉はビクッとしてから、俺の背中に回した腕にふんわりと力を込め返してきた。
しばらくの間、無言のまま抱き合う。言葉は要らなかった。俺はただ、朝倉からひしひしと伝わってくる想いを受け止めるだけ。
「あーあ、残念。もう時間、か」
朝倉がポツリと呟く。見ると、朝倉の身体からは、光る結晶の粒が出始めていた。
「おいお前!身体がっ!」
「知ってる。だって、わたしはまだちゃんと情報構築されているわけじゃないもの。今回は長門さんに頼んで特別に復活できたってわけ。時間制限付きでね」
「それじゃあ、俺に会うためだけに復活したって事か?」
「うん。そうなるわね。あ、でも一つ大切なこと忘れてた」
朝倉は早口で呪文を唱えると、その手の中に小さな可愛くラッピングされた包みを出現させる。
「まさかそれって・・・」
「そっ、チョコレート。残念ながら手作りってわけじゃないけどね。受け取ってくれるでしょ?」
朝倉は再度顔を赤くして包みを突き出してくる。もちろん、俺の答えはすでに決まっていた。
「ああ。もちろんだ」
「良かったぁ。ここまで言って受け取ってもらえなかったらどうしようかと思った」
ホッとしたのか、笑顔を見せる。
その笑顔は、きれいで、柔らかくて、とても輝いていて見えた。
それは、俺の記憶に残る数少ない朝倉の笑顔とは比べ物にならないくらいに。
「一つお願いがあるんだけど、聞いてくれる?」
「いいぞ。何だ?」
「言いにくいんだけどね、わたしが消えるところ、キョン君に見てもらいたくないの。だから。だから、そのぅ・・・」
と言ってちらりと元々引き戸があった場所に目を向ける。いつの間にかそこはコンクリートの壁からもとの出入り口に戻っていた。ああ、そういうことか。
「先まで言うな。ちゃんと廊下まで出て行くから。振り向かずにな」
「ありがと」
「それじゃ、“またな”」
「うん。“またね”」
俺は朝倉に背を向けると、後ろに手を振りながら廊下へと一歩ずつ歩みだした。
さよならは言わない。きっとまた会える。
廊下に一歩出てからふと思い出す。そういえば俺はまだ朝倉にお礼を言ってない。
「朝倉、チョコありがとな」
お礼を言って振り返る。
が、そこは夕焼けで真っ赤に染まった無人の教室。何事もなかったかのように静まり返っていた。
時刻は五時五分。部室を飛び出してからまだ十分しかたっていない。俺は夢でも見ていたのだろうか。
いや、そんな事はありえない。
だって、俺のポケットにはあいつにもらった小さな包みが入っているのだから。
「またな、朝倉」
俺は小さくそう呟くと、部室のほうへと足を向ける。
あ゛・・・そういえばまだ部室で一波乱残っているんだった・・・
やれやれ、だぜ。 FIN
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