北枕の憂鬱
「こら!いつまで寝てるの?遅刻するよ!」いつも以上に目覚めの悪い朝だ。変な夢を見たせいだろうか。俺を起こしたのは誰だ・・・母さんの声?わざわざ母さんが起こしに来るほど俺は寝坊しちまったのかと思い時刻を確認するのだが、まだ6時であった。学校には7時半起きで充分なんだが?「学校?寝ぼけてるの?早く起きないとほんとに遅刻だよ!」「寝ぼけてるのはどっちだ、母さん・・・寝かせてくれよ・・・」「母さん!?23にもなってあたしと母さんを間違えるなんて・・・もう、キョン君ったら!」何?今なんと言った?・・・23?起き上がった俺は、そこにあり得ない光景が広がっているのを見て、どうやら本気で寝ぼけてるらしいと感じた。「あ・・・朝比奈さん?」朝比奈さんが俺の部屋に居たのだ。これは夢か、幻覚か。例え幻でも、寝起きに朝比奈さんが拝めるなんて今日は朝からついてるね。ん?でも何かが少し違うような・・・。 「あれ、朝比奈さん、何か胸が小さく・・・」「ちょっ・・・キョン君何言ってんの!?きもい!!変態!!」バシン。「いてっ!!」「もう知らない!!」いや、色々おかしいぞ。朝比奈さんが俺を起こしにきてくれるわけがないし、大体声がまるで母さんそっくりだ。しかもきもい変態言われた。思い切り殴られた衝撃と痛みは確かに本物なのに、まだ目が覚めないのか幻のエンジェルが消えない。何だこれは。ハルヒの仕業か?
とりあえず目を覚ますべくけだるい身体を起こして洗面所へと向かう。心なしかいつもより視界が高く感じたが、それも寝ぼけているせいにして洗面所のドアを開いた。 「あ!?」そこでも俺はあり得ないものを見るはめになった。鏡に映った俺がやけに大人びていたのだ。それに身長も高くなっている。これは夢でも気味が悪いぞ!俺は慌ててひんやりとした水を顔に打ち付けるが、鏡は先程見たものと同じ姿しか映さない。どうなってんだ?「キョン君、目覚めた?」歯ブラシをくわえた母さん声装備の朝比奈さんが鏡越しで俺と目を合わす。・・・違う。こいつは朝比奈さんなんかじゃないじゃないか。こいつは・・・。「俺の、妹・・・」「キョン君、まだ寝ぼけてんの!?いい加減目覚ましてよね、会社遅刻するよ!!」「かい・・・しゃ?」どこの会社へ行くというのだ、俺はまだ高校生・・・。・・・いや、高校など、とうの昔に卒業しているじゃないか。そうだ・・・俺は大学だって出ているぞ。そして今年入社一年目の・・・。「・・・いっけね!!遅刻する!!」
「聞いてよ母さん。今朝キョン君のことお越しに行ったら、あたしのこと母さんだとか朝比奈さんだとか言い出したの!」俺が急いでパンを頬張っていると、妹が隣で母さんにそう言う。「まぁ、寝ぼけてたの?朝比奈さん・・・って、誰だったかしら」「朝比奈さんは高校の先輩だよ。こいつ、ほんっとよく朝比奈さんに似てるんだ」このお転婆な性格と胸の大きさは除くがな。「でも、なんでまた突然みくるちゃんの話なんて出てきたの?もしかして、高校時代の夢でも見てたとか?」「あぁ、いや・・・」実を言うと・・・さっきから変な感覚が取れないでいる。よくわからないのだが、高校生時代の記憶がすごく新しいものに感じるのだ。まるで、昨日まで高校生だったような気がして・・・。 「それ、まだ寝ぼけてるんだと思う」やっぱりか?「それにしても、みくるちゃん・・・か。懐かしいなあー。」妹が感慨深い表情をしながら俺を見る。「ハルにゃん、有希ちゃん、古泉君も・・・元気かな。もうしばらく連絡取ってないんでしょ?」「あぁ・・・そうだな、大学入ってから全然連絡取らなくなって、多分もう2年くらい・・・」いや、呑気に昔話なんてしてる場合じゃない。遅刻する。お前も遅刻すんなよ、受験生。・・・そう、もう二年も奴らとは連絡を取っていない。いないのだが、昨日奴らに会ったばかりに感じる俺はやっぱり寝ぼけているのだろうか。
ワイシャツに腕をさっと通す。羽織るのはブレザーではなくスーツ・・・当たり前だ。急いで家を出て、電車に揺られながら会社へ向かう。毎朝恒例の満員電車には未だに慣れずにいる。高校の頃は楽だったな、徒歩で行ける距離で。 ギリギリだが何とか時間前に会社へ到着した俺は、まだぼんやりとした頭を起こそうとブラックコーヒーを一気に飲み干す。気分は悪いが、遅刻にならないだけ良かった。遅刻するとハルヒがうるさいからな。探索パトロールの日は遅刻しなくても俺に罰金を・・・って!また何考えてんだ俺は!ピーターパン症候群か?いい加減目を覚ませ! ・・・SOS団か・・・。懐かしいな。皆今頃何をしているんだろうか。朝比奈さん、長門、古泉・・・ハルヒ・・・。「はぁ・・・」深い溜め息でパソコンのディスプレイが白く曇り、だいぶ前のめりに仕事していたことに気が付く。「キョン、そんなに画面に近づいてたら目が痛くならないかい?」声のする方を向くと、隣で意外な人物がこちらを見ていた。「え・・・国木・・・田?」「なんだいキョン、今日の僕、何かおかしいかい?」・・・いや、何も驚くことなど無い。国木田とは同じ会社に入社したんじゃないか。それに大学だって同じ出だ。もう本当にいい加減目を覚まそうぜ俺よ。「すまんな・・・何か、今日の俺おかしいんだよ。何か異様に高校時代が懐かしくってな」「高校時代が懐かしい?そりゃいきなりだな。キョン、疲れてるんじゃない?」俺は深く椅子にもたれながら、天井を見上げた。目の奥がズキズキするし、毎日パソコンに向かいっぱなしで肩もこってる。本当に疲れてるのかもな。何だろう。昨日の記憶・・・いや、昨日までの記憶が嘘のようだ。高校時代の、SOS団で過ごした記憶だけが綺麗で、鮮やかで・・・。あの頃はよかった。毎日黙々と読書をする長門が居る文芸部室で、麗しい朝比奈さんが入れてくださるおいしいお茶を飲みながら、ボードゲームが滅法弱いニヤケ面の古泉とオセロをやって、ハルヒの無茶に付き合わされて・・・。 あいつの思いつきはいつも俺を心身ともに徒労させるんだ。それでも俺は、何だかんだそれが楽しかったんだよな。楽しくて仕方なかったんだ、もう戻れないあの日々が。 「―――ちょっ、キョン!?」国木田の驚いた声で我に返る。頬がスーッと一筋、冷たい。俺・・・もしかして泣いてるのか?「はっ・・・ははは、俺・・・頭がおかしくなっちまったのかもな・・・?」誰か教えてくれ。おかしいのは俺の頭か、それともこの色あせた日常か?「キョン・・・」国木田は、まるでフラれた谷口を哀れむような目で俺を見る。「君は疲れているんだよ、きっと。昔を懐かしむことは誰にだってある。おかしくなんてないさ。・・・こんな毎日を過ごしていれば、誰だって青春時代が恋しくなるよ。」 そう言う国木田も疲れているようだった。微笑んだその顔が何だか痛々しい。「・・・俺、今日は帰らせてもらうよ」「うん、そうしたほうがいいよ。」ゆっくり休みな、そう言いながら俺の肩を叩く国木田に感謝して、俺は会社を早引きした。行く先は、決まっている。
長い長いハイキングコースを登る。もうこの坂道はだいぶご無沙汰で、運動不足の俺にはかなり堪えたのだが、久しぶりだとは毛頭思えなかった。険しい坂を登り終えた先の北高は外観がだいぶ変わって見え、俺は少しだけ驚いた。校舎の構造などは変わっていないことから、恐らく塗り替えられただけなのだろうが。 職員室の戸をノックすると、岡部が応答してくれた。しばらく近状報告をしあったり他愛の無い話をしていたが、俺は早いところ本題を切り出すことにした。「あの、すみません、文芸部室に行かせてもらえないですか?」「文芸部室?勿論いいとも。・・・あ、」「何です?」「言っていなかったが、旧館は明後日から取り壊し作業が始められるんだよ」俺は、岡部の言葉をすぐに理解するが出来なかった。「生徒が減ったせいでこっちの校舎に空き部屋が多くなってね。文化部の数も少なくなったし、あそこは取り壊して第二グラウンドにするんだ」「・・・そんなの・・・」そんなの、ハルヒが許しませんよ。そう言いかけた俺の手を取り鍵を握らせた岡部は、「その前に、来てくれてよかったよ。あの部室はお前たちが卒業してから、一度も開かれていないから・・・」その言葉に、何だか激しく胸が痛んだ。こんなにもあの頃を懐かしんでいるのは・・・俺だけなのだろうか。
ボロボロな文芸部室の扉。軽く一蹴りしたら突き破れそうな程だ。きっとハルヒが乱暴に扱ったからだろうな。錆びた音を立てながら開いたその先は、まさに俺の記憶に新しいままの文芸部室だった。古いパソコン、たくさんの本、積み置かれたボードゲーム、朝比奈さんのコスプレ衣装・・・ 全てほこりかぶってはいたが、俺の記憶の「昨日」のままだ。一つ違うところを上げるならば、カビの臭いが鼻の奥を刺激することくらいである。俺は自分の低位置に腰掛ける。古くなったパイプ椅子、ちょっとケツが痛いな。だが俺にとっては、どんなに上等なソファーよりも、この椅子の方が座り心地よく感じるのだ。 校庭から生徒たちの声が聞こえる。・・・体育だろうか。俺は目を閉じる。・・・ああ、聞こえる。聞こえるよ。あいつらの声が。―――キョン君、今、お茶淹れますね。―――オセロしませんか?ポーカーもいいですね。―――今度のみくるちゃんのコスプレ衣装、これなんかどうかしら!?―――・・・ユニーク。・・・・・・ああ、朝比奈さん。ありがとうございます。あなたが淹れてくれるなら例え水道水であろうと俺にとってはアルプスの天然水のようです。・・・おい・・・、顔が近いぞ古泉。どっちだっていいさ、どうせ勝敗は決まっている。ハルヒ、朝比奈さんは着せ替え人形じゃないんだぞ・・・?長門・・・相変わらずお前は、セリフが原稿用紙一枚分を超えないな・・・・・・・・・
「皆・・・どこ行っちまったんだよ・・・」こんなの違う、間違っている。毎日毎日満員電車に揺られて、パソコンと睨めっこして・・・これが俺の現実だと?違う。そうじゃない。俺の毎日にはお前らが居るんだ。朝からハイキングコースを登って。授業中居眠りしてはハルヒにつっつかれて。放課後はここでお茶を飲みながらオセロして、土日は不思議探索パトロールに出るんだ。これが俺の日常だ。 俺はおかしくなんてない、疲れてなんてない。おかしいのはそっちだ、こんなのは違うんだ!皆どこに居るんだよ、会いたいよ、皆に会いたい。俺は、だからここに居るんだ。俺の頬を、涙が伝った。ハルヒ、長門、朝比奈さん、古泉・・・聞こえるか?「・・・俺は・・・、俺は・・・ここに居るぞ!!」そう高らかに泣き叫んだ瞬間、「・・・ピポ。」起動音・・・――ヒューマノイド・インターフェイスの、――・・・がした。
「・・・それが鍵。私たちが、鍵。」「・・・長門・・・?」「貴方は鍵を見つけ出した。」それだけじゃない。「朝比奈さん、古泉・・・っ・・・ハルヒ・・・!」皆がそこに居た。見た目は俺と同じで大人びていたが、俺にはわかる。皆あの頃のままだ。あの頃と同じ・・・
「いい年して何鼻水垂らしてんのよ?」「もう、らしくないですよ!キョン君」「それにしても水臭いですね。もっと早く呼んでくださればいいものの」「本当よ!このバカキョン!!」ハルヒが怒鳴りつけるように言ったかと思うと、腰まで伸びた髪を揺らしながら俺に近づき、優しく頬の涙をぬぐってくれた。「ここはあんたの居るべき世界じゃないの。」「・・・ハルヒ・・・」「大丈夫よ、何も心配ない。また会えるわ、あたしたちに!」ハルヒは俺の肩に、そっと手を添えた。「ほら・・・『戻る方法』は、あんたが一番よく知ってるでしょ?」大人びてますます綺麗になった我らが団長は、優しく微笑んだ。「キョン・・・忘れないで。あんたの傍には、いつだってあたしたちが居るわ。ね、皆!」ハルヒの少し後ろで、皆が頷いている。「どんなに時が流れていこうと、どんな障害があろうと・・・それは変わらない。SOS団は不滅なんだからね!・・・約束するわ、キョン。ずっと一緒よ」ハルヒがそっと目を閉じ、つられて俺も目を閉じる。暖かい頬に手を添えて―――そっと、口付けた。―――・・・「キョン君~朝だよ~!!」聞きなれたこの声が、これ程心地よく聴こえたことは未だかつてないだろう。ボディープレスを食らう前に起き上がった俺は、眠い目をこすりながらその姿を確認する。 「えっ、キョン君もう起きてたの~?珍しいね!」・・・そこに居たのは、俺の「小5の」妹だった。惜しいだなんて、そんなことはこれっぽっちも思って無いぞ。これから学校へ行けば会えるんだからな。・・・皆に。放課後、ハルヒを除いた全員が揃う文芸部室で、長門に昨晩の「夢」の種明かしをしてもらった。「涼宮ハルヒは昨日、文芸部室で地獄先生ぬ~べ~を読んでいた。貴方が異世界に飛ばされた理由はこれだと思われる」そりゃまた懐かしい漫画を読んでいたことだな。「夜中に枕元にやってきて枕をひっくり返す、または、頭を足の向きを変える『枕返し』という妖怪が作中に登場する。その妖怪に枕を返されると、返された者が望まない未来に飛ばされるという設定。」 長門は黒曜石のような瞳を瞬かせ、坦々と説明する。その話にハルヒが心を打たれたりなんかして、俺が漫画と同じ目にあったっていうことか?「まあ、こうして戻ってこれたわけですし、よかったじゃないですか。これも貴重な体験だと僕は思いますよ。」お前は他人事だから言えるんだ古泉!俺はもうあんなの二度とごめんだ!「貴方が今回飛ばされた世界は一種の閉鎖空間ですが、貴方が見てきた世界は本当にあり得る未来なのですよ。無数に存在する未来のうちの、たった一つですが」「未来は、簡単に変えてしまうことができるの。それを阻止するのがあたしたち未来人の仕事なんです!・・・それより、キョン君が無事戻ってこれてよかった・・・」 朝比奈さんは何ともいじらしい笑みを浮かべるが、「あ、そういえば、どうやって戻ってきたんですか?キョン君」一番触れて欲しくないところをつついてきた。知らん、俺は何も知らんぞ。
空気を読んだのか、派手にドアを開いてハルヒがやってきた。「おっはよー!!」もう夕方だが。「うるさいわねキョン。目の下にクマなんか作っちゃって!」昨日は眠れなかったんだ、誰かさんのせいでな。「何よそれ。もしかしてあんた、北枕で寝たりしてんじゃない?」「・・・北枕には、注意して」朝比奈さんが短く悲鳴を漏らした。長門がそう言うなら、注意せざるを負えないな。「そうよ!北枕には注意しなさい!そうそう、枕返しっていう妖怪が居てね、そいつが・・・」ハルヒが実にいい顔をしながら、俺の睡眠時間を奪った原因についてを語り始める。やれやれ、当の本人は何も知らないなんてな。無茶苦茶もいいところだ。機関銃のように唾を飛ばすハルヒに、俺はお返しとばかりに言ってやるのだ。「・・・ハルヒ、ずっと一緒に居てくれよな」あんぐりと口を開けて停止したかと思えば、次にはトマトのように顔を真っ赤にさせた。忙しい奴だな。「なっ・・・ちょ、キョン、何言ってんのよ!」その時、俺はどんな顔をしていたのだろう。しばらくあたあたとしていたハルヒだったが、俺の顔を見るなり、あの「夢」のような微笑を作ってくれたのだ。「当たり前じゃない!SOS団は不滅なんだから!
・・・ずっと一緒よ、キョン」
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