涼宮ハルヒの経営I エピローグ
エピローグ
あれから二ヶ月が過ぎた。ハカセくんは無事大学に合格し、実験を再開している。進捗状況はあまり目を見張るほどのものではなさそうだが、一歩ずつ時間平面について勉強しているようだ。あれこれ苦労しているハカセくんを長門と朝比奈さんが温かく見守っている。ハルヒの目が温かすぎてプレッシャーにならないようにいろいろと配慮はしているのだが。 「そういえばキョン、メモリカードどこにやったの?」「あのメモリカード壊れてるぞ。今のパソコンだとちゃんと読めない規格だったらしい」「むー」ハルヒは口を尖らせて、どうしてもあの続きを見たい風だった。「続きはそのうち分かるだろ、少なくともお前自身なんだから」「そうね。未来のあたしが満足してるなら、それでいいわ」なんとかあきらめてくれたようだ。ワームホールも無事閉鎖したし、しばらくはおとなしくしてくれると助かる。すくなくとも次の「ひらめいた」の号砲が出るまでは。 しばらくして朝比奈さんは自分の時代に戻ることになった。ハルヒのタイムマシン開発は俺と長門と古泉でコントロールできそうなので、問題はないだろうということだった。 「とりあえずは安全だということが分かったので、帰りますね」「そうですか。俺としてはずっといてくれたほうが心強いですが」「わたしがいなくても大丈夫よ。でも、あまり急いでタイムマシンを作ってしまわないようにしてね」今すぐにでも欲しがっているハルヒを抑えるには、それはもっとも難しい問題ですが。「また来るわ。必要なときが来たらね」「ええ。じゃ、未来で」朝比奈さんは右手をニギニギしてニッコリと笑った。俺が瞬きをすると、もうそこにあるのは可憐な姿の名残だけだった。 就業時間が過ぎ、日が暮れたので帰ろうとしたが長門の姿が見当たらなかった。カバンはまだ机の足元に置いてある。古泉もハカセくんも知らないと言っていた。「有希ならエレベータの前で見たわよ。三階に行ったんじゃない?」俺がさっき開発部の連中とミーティングしていたときにはいなかった。たぶん屋上だろう。俺は紙コップのコーヒーを二つ持ってエレベータに乗った。 今日の長門は少し変だった。なにか思いつめているような、俺にしか分からない微妙な感情のゆれがあった。「長門、こんなところにいたら風邪ひくぞ」ヒューマノイドインターフェイスがかかるようなウィルスがあったら、人類は壊滅してるかもしれない。などとどうでもいい突込みを思い浮かべつつ、長門にコーヒーを渡した。 「……」長門は手すりに寄りかかって遠くを眺めていた。「どうしたんだ?」「……考えごと」長門が思案にふけるなんて珍しい。 「愚痴だったら聞くぞ。心配ごとでもいい」「……試算のこと。数々の失敗のこと」「試算って、時間が分岐した二十九パターンのことか」「……そう」タイムマシン開発をどうやって進めるか、あの二十九回繰り返した時間は長門の手の中で行われたテストのようなものだった。「時間をループさせるってどうやってやったんだ?」「……正確にはループではなく、この銀河のスナップショットを取って当該ポイントに復帰させただけ」簡単に言ってるが、えらく壮大な話だ。膨大な情報量だろう。「失敗って、ひどかったのか」「……時間移動技術によって文明が崩壊したパターンもあった」「そうなのか」「……人生が大幅に変わった人もいた」「朝比奈さんに子供が生まれたときは正直驚いたが」「……すまなかったと思っている」「たしか本人は幸せそのものだったぞ。白馬の王子様みたいな人と結婚できたんだから」「……あなたが覚えているのは、わたしがパラメータを変更してやり直したパターン。失恋する朝比奈みくるも存在した」「そうだったのか」「……」いつになく、元気がない。どう慰めていいのか分からないが、俺の記憶にない部分でかなりこみいった経験をしたらしい。 「長門がどういう視点で歴史を見ているのか俺には分からんが、昔からよく言うだろ、後悔先に立たずって」「……そう。時間は、やり直せないから価値があるのかもしれない」「そうかもしれん。だから失敗しないように努力するのかもな」簡単に修正できるなら、間違いもないだろうが成長もしないだろう。「……わたしたちは十分に成長していないのかもしれない」長門は夜空を見上げて言葉を継いだ。「……時間を操作するほどには、まだ」時間がなんなのか俺には分からん。それぞれの心の中にあるものなのか、それとも誰かが決めた一分一秒という単位なのか。本当はそんなものは存在しなくて、俺たちが時間だと思ってチクタクと長さを計りながら過ごしているだけなのか。 もしかしたら、誰かのコーヒーカップの上でぐるぐると渦を巻いているミルクの中の、小さな粒子のひとつのように人生を過ごしているだけなのかも。「……そうかもしれない」 ── わたしたちの存在は、もっと大きななにかの一部に過ぎない。 長門のその言葉には、自戒と反省と懺悔と、それから未来へのなにかが込められていた。 「まあそう気に病むな。自分で言ったろ、お前はお前の思うところをやればいいんだと思う。未来における自分の責任は今の自分が負う、だったっけ。それが、」「……わたしたちの、未来」 冷たい風に混じって粉雪が降り始めた。俺はコートを開いて長門の体を包んだ。二人で、舞い降りてくる雪をじっと見つめていた。 END
目次へ戻る
このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー と 利用規約 が適用されます。
1文字以上入力してください
本文は少なくとも1文字以上必要です。
1文字以上入力してください。