Close Ties(クロース・タイズ) 第五話
「どう?取れそう?」 これはハルヒの声。少々沈んだ声で話しているのは何故だろう。「うーん…ここの生地だけお店に持っていって交換してもらえば大丈夫だと思いますよ。ブランド品はちゃんと修理してくれますから」 朝比奈さんの声。「そう!良かったわね有希。もう愛しの彼にもらったバッグをゲロまみれにしちゃダメよ!」 頬を突つかれる感触。ぱたぱたと離れていく足音。「涼宮さん!もう少しオブラートに包んだ物の言い方覚えてくれればいいのに」 額から何か湿り気のある物が取り除かれる。そして、同じ物と思われるが、少々冷えたそれが再び乗せられる。 その心地良い冷気が、私の鈍っていた感覚をクリアにしていく。「…私は、死んだの?」 目を開けることなく、私はそこにいるだろう朝比奈さんに質問した。 声の代わりに硬い紙をくしゃくしゃに丸めるような音が私の口から漏れた。「ふえ?寝言…?」「教えて、お願い」 私は答えを焦った。声を発しようとするたびに喉が火に炙られているような痛みを訴える。 恐る恐る目を開けてみると、自分がどれだけ間の抜けた質問をしていたのかと気付いた。朝比奈さんの優しい瞳があった。家具や調度品が変化しているとはいえ、ここは確かに私の部屋だった。 「死んではいませんよ。でも危ない所だったんですから、反省しなさい」 やや語気を強めて言う朝比奈さんの姿に気圧されながらも、彼女の心に依存してしまいたいという気持ちが生まれてきた。 それにしても反省しろとは一体どういう意味だろう。気づかぬ内に失礼な事をしでかしてしまったのかもしれない。そういう事だろうか。「違います!どうして私たちに助けを求めなかったんですか!」 言葉を言い終える前に、私の上半身は無理矢理持ち上げられて抱きしめられていた。 朝比奈さんの体が不規則にけいれんを起こしている。彼女の泣いている理由は分からない。私が助けを求めなかったという行為は彼女を泣かせる程傷つける行為だったのだろうか。 「泣かないで」 相変わらず私の喉は枯れ草を踏むような音しか出さない。本当にこんな状態から人間の体は回復するのだろうか。「泣いちゃいます!本当に死にかけたんですよ!古泉君が、その…」 私の体がびくっと震えたからか、朝比奈さんが言葉を切ってしまった。 知りたい。彼がどうしたのか。「ええと、そのききき禁則事項ですぅ!」 違う。禁則には該当する要素が見当たらない。「そ、そんなに知りたいですか?」 話す事が困難な喉で私は知りたいと答えた。 朝比奈さんは私を離し、布団に横たえると、涙を拭い、暫く逡巡するような顔をしてから、私の布団の中に潜り込んできた。 彼女の豊かな胸が自分の肩のあたりに当たる。暖かくて気持ちがいい。 朝比奈さんは私の顔じっと見据える。「今から私がする質問に答えないで」 どういう意味だろうか解りかねた。「答えないで聞けばいいんです。簡単でしょ?」 まだ意図が見えないが、私は仕方なく首を縦に振った。「じゃあ、質問その1。みんなの事を考えてみて。最初に思い浮かべたのは誰ですか?」 私は答えないでと言われた事を忘れて答えようとしてしまったが、私の答えは喉に詰まって出ることは無かった。代わりに顔がどんどん熱くなってくる。「質問その2。その人が今、わたしと同じくらいぴったりくついていたら?」 想像した瞬間、私の体の中を真っ赤に焼けた鉄球が走り抜けていくような気がした。「じゃあ最後の質問。その人が喉に吐いたものが詰まって呼吸が出来なくなったあなたの口から一生懸命吸い出してくれたとしたら?」 私は彼の姿を探そうと起きあがろうとしたが、朝比奈さんがそうはさせまいとする。「まだ駄目ですよ。古泉君は逃げませんから、感謝の言葉は後でもちゃんと間に合います。わたしが保証しちゃうんですから」「本当に?」 興奮気味に質問してしまった。「早いに越した事は無いですけどね。それに、あなたが危険な状態に陥ってたのは涼宮さんには内緒にしてください。救急車で病院に連れて行かれたら困った事になりかねませんから」 それはそうだ。私は本当に有機生命体と化したのか、自己診断する事はできない。 人間という生物は如何に精神と肉体が直結しているかがよく分かる。私は感謝の言葉が遅すぎない事を知っただけでもう立ち上がれる気分になってしまった。「…ありがとう」「どういたしまして。でも言葉で言い表さなくても、感謝の気持ちは伝わるんですよ。すっごく嬉しそうな顔してたの自分で気付かなかったんですか?」 それは嬉しかったから、きっとそんな顔をしていただろう。ただ、言葉が喉に詰まって出てこなかった。それも、感謝の一部になるのか。「さあ、もう少し寝てないと駄目ですよ。今涼宮さんがおかゆ作ってくれてますから、食べられなかったら怒られちゃいますよ」 朝比奈さんが布団から出ていく時、私の感情はまた寂しさを訴えた。 額からずれ落ちた濡れタオルを、朝比奈さんは絞り直し、再び額に乗せてくれた。
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