涼宮ハルヒのダメ、ゼッタイ 八章
八章………不愉快だ。何だ、この体の芯から湧き上がってくる黒い感情は。吐き気がしてくる。この暗闇が、他人の家特有の匂いが、目の前にいる男の寝息と寝言が、とてつもなく不愉快。オレは何のアクションも起こすことなく、その場にしゃがみ込み、ただ呆然としていた。わかってる、何をすべきかは。オレのやるべきは彼を警察に通報すること…やっとの思いでオレはケータイを取り出した。だが………――なぜ裏切った!古泉ぃ!!――あいつの言葉が脳裏をよぎり、邪魔をする。オレは…また親友を…違う!!今回はあの時とは違うんだ!これが最良の………突然オレのケータイが鳴りだした。電話の相手は、さっきから彼が名前をつぶやいている二人の女性のうちの一人。春日美那………「もしもし、古泉くん?ごめん、寝てた?」「いえ………」控え目に聞いてくる彼女にオレは吐き捨てるように否定を述べる。「そう、よかった…あのね?今日のこと謝ろうと思って。」「…………」「ご、ごめんね?古泉くんのこと薄情者みたいな言い方しちゃって…古泉くんは悪くないよ!悪いのはいつまでも引きずってるあたしだから…だから全然気にしないで!あはは…」「ああ…そうですか……」もっと他に謝るべきことがあるだろう。「ね、ねえ!!来週暇な日あるかな!?久し振りに遊びたいな~、なんて思っちゃったりして…」「今彼の家にいます。」「え…」「明日話がある、場所は…今日のパーティ会場の近くにある喫茶店にでもしましょうか…」「え!?ちょ、ちょっと!!…」ガチャリ!!と、電話機を叩っ切るような勢いでケータイの電源ボタンを押す。ふう、さて、次はこの目の前の男をどうするかだな。「………きろよ……」まいったな、涼宮さんに何て伝えればいいんだ。「おき…ろよ………!」第一涼宮さんはどこまで知っているんだ。あの電話ではいまいち分からない。「起きろって言ってんだよ!!!」それは警察に通報するのを先送りにしたいという理由からきた行動かもしれないし、単純に彼を許すことが出来なかったからなのかもしれない。オレは彼の胸倉を掴み、無理矢理直立体勢にした。にも関わらず、彼は未だ今回の騒動の発端を春日さんとする、確たる証拠を垂れ流しているだけだ。「クソ、こんなもの!!」彼が離すまいと指を絡めるように掴んでいる注射器を、無理矢理奪い取ったそのときだった。「返せッッッッ!!!!」声としてギリギリそう聞き取れる叫びをあげながら、彼が目を醒ました。「返せ!なんで奪って行くんだ!!!返せよ!ハルヒを…………返せぇぇぇ!」今までにない吐き気が襲った。ハルヒを………返せ?それって………ドゴ!「ガフッッッッ!」人の力は通常時は強く抑制されていて、実はその半分程も発揮されていない。人体の研究が進んだ現代において、それは周知の事実だろう。しかし、そのリミッターのはずれた力を身をもって体感した人間は、そう多くないはずだ。機関に鍛えぬかれたオレの体は彼のたった一発のボディーフックによって、床に沈んだ。思わず手からこぼれ落ちたそれを、彼はとびつくかのようにつかんだ。「ハルヒ!!」!!!!!!ダメだ!こいつは一発殴ってやらなくちゃ気がすまない!思考が先か、体が先か、オレは体勢を持ち直し、すでに彼の顔面を殴っていた。しかし、吹っ飛び、倒れながらも彼の手は『奴』を離すことはしない。「はぁ、はぁ…俺にはこいつが…ハルヒが必要なんだ………!そうだ誰よりも!!誰よりもなぁぁ!!!」誰か…教えてくれ…かつて彼の口から出ることを願ってやまなかったその台詞を今、オレはどうやって受け止めればいい?「それ以上涼宮さんを愚弄するな!!」………………彼がガバッと上半身を起こした。「俺がハルヒを…?」その表情には驚きと困惑がはっきりと見てとれた。「そうだ!あなたが掴んでいるそれは悪魔だ!人の心を惑わし、偽者の快感を与え、蝕んでいく最低最悪の悪魔だ!そんなのと…そんなのと涼宮さんを一緒にするな!」その言葉を最後に、沈黙がリビングを支配した。しばらくすると、彼が口を開いた。「こ、古泉…」彼がすがるように呼んでくる。「たす…けて…………うわあああ!」『奴』を投げ捨てながら彼が後ろに飛び退いた。「うわ!虫、ムシが…」その言葉だけで今、彼がどういう状態なのか大いに想像できた。腕や足…体中を払う手の力は次第に強くなり、掻きむしる形に移行しようとしている。「やめてください!」とっさに彼を押さえ付けようとするが今の彼に力で敵うはずなく、押し返され、尻餅をついた。彼は先程自ら投げた注射器を再度掴もうとしていた。…その時だった。「なに…これ…」一瞬時間が止まったかのように思われた。そこに響くはずのない声が聞こえてきたからだ。思わずリビングの入口に顔を向ける。そこには朝比奈さんと長門さんを連れた涼宮さんが立っていた。「ハルヒ…なんで…」「古泉くん!!!!」「…は…はい!!」彼女の唐突な呼び掛けに変な声を出してしまった。リビングに入ってくる涼宮さんのおぼつかない足取りを、朝比奈さんと長門さんが支える。「説明して!何であんた達がこんな真夜中に取っ組み合いのケンカをしてるのか!そこにいるバカキョンはあたしに何を隠してるのか!!春日さんが…どうしてあたしをここに向かわせたのか!!!」なに?「涼宮さん、どういうことですか?」「病室にいたら春日さんから電話がきたわ。ケータイの番号なんて教えた覚えないんだけどね。キョンの言葉の本当の意味が知りたいならこいつの家に来いってね。」「他の方たちは?」「とっくに帰ったわ。」オレの考えていた以上に呆然としていた時間は長かったようだ。「早く質問に答えて!」この暗闇の中でも彼女の表情ははっきりと分かる。しっかりと前を見据えた表情だ。ここに来るまでに相当な覚悟をしたのだろう。これはごまかせそうにないな。「彼は…覚せい剤を服用しています」………………………………………………………長い沈黙がとても居心地が悪い。涼宮さんは無表情のまま、何か言葉にしようと口を開け、すぐにやめる動作を繰り返している。先に話し出したのは朝比奈さんだった。「はは、何言ってるんですか?古泉く…」「古泉くん…」涼宮さんは表情を無表情から一気に苦悶の表情に変えると、朝比奈さんの言葉を遮り、ようやく話し出した。「ウソ…ドッキリなら…今のうちになら……白状するなら…ビンタ50発で許してあげるから……あげるから………教えて………………それは本当?」昔の、力を持っていた涼宮さんなら確実に世界を滅ぼしていただろう。それほどまでに彼女の表情は歪んでいた。「本当の…ことで…」「うわあああああああ!!!」その声に驚き、振り向くとオレに最後の句を言わせまいとばかりに彼がこちらに突っ込んでこようとしていた。オレは目を瞑り、来たる衝撃にそなえようとしたが一向にそれは訪れなかった。目を開くと涼宮さんが彼を優しく、包みこむように抱き締めていた。「大丈夫だから…怖くないから…安心して。今まで怖かったよね…気付けないで…ごめんね…」震えた声で、にもかかわらず優しく、彼女は言った。「ハ…ルヒ……本物の…ハルヒ…………」「自分から家に上げといて何が出ていけよ。何が二度と姿表すなよ。あんたが言ったことなんて全部却下よ!却下…あんたとずっと一緒にいるから…すぐにもと通りのあんたに治してあげるから…」ちょ、ちょっと待て…「涼宮さん、それは警察に通報せず、僕達で彼を何とかするということですか?」「当たり前じゃない!こんな時こそSOS団の出番よ!団長のあたしにかかれば麻薬なんてどうってことないわ!!異論は許さないわよ!」やめてくれ…そんな絶望の中から必死で希望を見つけようと、もがくような澄んだ目で見ないでくれ。決心が…………揺らいでしまう。「ふざけないでください!!!!」オレは彼女に対して初めて怒鳴り声を上げた。古泉くんは今まであたしに見せたこともないような憤怒と困惑を混ぜた表情であたしを怒鳴りつけた。ごめん、あなたの言いたいことは分かるわ。「覚せい剤ですよ?彼は覚せい剤を乱用していたんです!!!罪は…………償わなければならない……」本当に言いたいことを押し殺しているような、歪んだ表情で古泉くんはいう。「それだけ?」突然有希が、一言呟くように言った。「古泉一樹……あなたが言いたいのは本当にそれだけ?真実を伝えないで自分の言い分を通そうとすることほど愚かなことはない。大丈夫。彼女はちゃんと受け止めてくれるはず。」有希のその言葉で、古泉くんの表情から迷いが無くなったような気がした。「まったく、あなたには敵いませんね。全てお見通しですか……なら……涼宮さん」古泉くんがあたしに向き直った。「もう一度考えなおして下さい。彼のことを想うなら、尚更です。」「何でそう思うの?」「僕は知ってます。麻薬に侵された人の末路を。」「それは何?」「…………自殺です。」「よく聞く話ね。」そこで古泉くんはまた一瞬迷ったように顔を伏せたがすぐに立ち直るとまた話し出した。「僕の親友でした。」その言葉であたしは今まで古泉くんが何を迷っていたのかを理解した。「……機関で出来た親友ね。」「!!!!!…………はい…」「原因は神人狩りによるストレス?」「…………は、はい。」「それと春日さんが関係してる………これは復讐ということね。」「はい……僕は親友……河村の最期を見ました……麻薬はあなたが思っているほど甘くはない。」そういうことか。古泉くんが通報することに固執するわけ…………「それを聞いてますます通報する気が失せたわ。」古泉くんが驚いたように顔を上げる。「つまり、今回のことの大本はあたしが原因だったということね。なら、落とし前はあたしがつける。」「ですが……」「信じて!!こいつの強さを……絶対に元通りにしてみせるから…罪を償うのはそれからでも遅くないでしょ?」気がついたらキョンはあたしの腕の中で寝ていた。とても安らかな表情で…「……涼宮さん、一つだけ約束して下さい。もし、彼があと一回でも覚せい剤を使用したら、僕は警察に通報します。」動揺したように目をあちこちに揺らしていた古泉くんはしばらくすると目を厳しくしながらも、いつものような暖かい笑顔でそう言った。「ええ……分かったわ。それから……ごめんね……」我慢出来ない。もう、泣いてもいいよね……「ごめんなさい…ごめんなさい!!……あなたの…春日さんの………本当に…本当にごめんなさい……う…うわあああん!!!」後ろから、あたしとキョンの二人分をそっと抱き締めてくれたみくるちゃんの体は、とても柔らかくて暖かかった。
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