幻惑小説 第六頁
今朝の冷たい空気の中チャリで家まで帰り、お袋が用意する昼飯まで退屈な時間を与えられた俺は、はっと気付いて古泉に連絡を入れる。「古泉、今時間取っていいか?」『ええ、構いませんよ。』「そっちはどうだ?」『それが、かなり粘って交渉してみたのですが……上層部の方は首を縦に振ってくれませんでした。申し訳ないです。』「気にするな、俺が頑張って来たからな。」『というと?』「天蓋領域のインターフェースの周防九曜と、お前らが敵対視している組織の橘京子と会ってきた。」『……なんと。』「周防九曜が言うには、長門は生きているらしい。この地球上とは隔離された空間で……って言ってたかな。」『それは、確かなのでしょうか?』「……ん……?」 言葉が詰まった。 そうだ、俺はすっかり信じ込んじまってる。天蓋領域の一派の話す言葉を全て信用している。確かにそれが真実である根拠はどこにもない。……だが……「俺は信じたい。」『……どうしてですか?』「……それは、解からない。」 我ながら、意味不明なことを言っているなと自覚してる。電話の向こうの古泉はあきれ果ててるか、苦笑しているかもしれない。後者だったらムカつくな。『あなたは性格は鈍いものの、直感だけは鋭いですからね。なんとなく、僕も信じていいような気がしてきちゃいました。』 最初の方は要らなかったぞ。「確認の意味を込めて、喜緑さんともう一度話してみるさ。」『それはそれは、引き続き頑張ってください。連絡先はご存知ですか? もし知らないのでしたら、生徒会長から訊き出すことも可能ですが。』「いや連絡先だけなら、前に話した時教えてもらったから別にいい。」 今朝のメールも喜緑さんからだしな。『そうですか。では僕ももう少し粘ってみますよ。』 用件が済んだところで、一階から妹のわんぱくな声が俺の部屋まで届いた。「キョンくーん! お昼ごはんだよーっ!」「すまん古泉、昼飯らしい。」『了解です。では。』 俺はお袋お手製の――美味いか不味いかと訊かれたら美味いと答えれそうな――チャーハンを味わう間もなく、蠕動運動をフルに活動させて、数分で全てを口の中へと掻き込んだ。 「こら、そんなに急いで食べたら喉につっかえるわよ?」「ちょっと急ぎの用があるんだ。ごちそうさま。」 底の柄を露にさせた皿を提げてから自室へ戻る。 あっちの多忙さなんてもう関係ない。騙されていたかもしれないんだ。それにメールなんかじゃダメだ、電話で話をつけないといけない。 コール音が数えられる程度で喜緑さんは電話にでてくれた。『……なんでしょう?』「喜緑さん、出来れば正直に答えてください。……長門は、まだ生きていますか?」『長門さんの存在は確認できな――』「――天蓋領域の端末から聞いたんです。長門はまだ生きている、と。それもこの世界とは隔離された特別な空間で。」『…………』「俺はそっちの言い分も信じてやりたいんです。……喜緑さん、あれは嘘だったんですか? 別に咎めようとなんか俺は、」『仕方が無かったんです。』「……はい?」『偽りをあなたに伝えることしか……穏健派には、わたしには出来なかったんです……!』 いつもは声にさえ穏やかさが現れているような喜緑さんの声だが、今は違う。俺の耳が正常に作動しているのなら、電話の向こうから聞こえているのは妙に感情的な声だ。 『あなたを騙していたことは謝ります、ごめんなさい。でもそうしていないと、あなたはどうしてでも長門さんを助け出すでしょう? 涼宮さんだって巻き込ませてしまうかもしれない。その危険性を考えて、思念体は長門さんの救済を諦めたの。』 「諦めた……?」 恐らく俺は長門が生きていると解かればどんな手でも使って長門を救い出す行動を示すだろう。これ以上長門が辛い思いをするのはおかしいからな。『それに長門さんを救済するのは簡単じゃない。むしろ難しいくらい。居場所が全く把握できないの。だからそんな容易に外部からの攻撃に侵されてしまうインターフェースを、苦労して助け出す意義を思念体は見出せなかった。……前例のこともありますからね。』 確かに、前の世界改変で思念体は長門に愛想を尽かせていたのかもしれない。けどこんなの酷すぎる。所詮長門は道具でしかないのか?『わたしはそうは思ってません。けれど……思念体の決断には、どうやっても……逆らえないのです。』 諦めたように喜緑さんは力弱く言った。喜緑さんの気持ちは解かる。同情の意を込めてあげてもいいくらいだ。けど、けどだ。 俺は誓う、ハルヒの力なんか借りたりはしないと。長門の存在は俺の双肩には重いが、出来るだけ自分の力で――こんな力はたかが知れてるが――助け出してみせると。だから…… 「だからせめて、解かる限りの情報を教えてくれませんか?」『…………』 返事は返ってこない。「……やっぱり、無理ですか?」『…………少しの間、いえ数日だけ待ってもらえますか?』「いいんですか?」『まだ解からないです。でも……長門さんには、あなたたちと居て欲しいですからね。』 その後俺はもう一度古泉に連絡し、長門の生存は真実だったということを伝えた。思念体の協力があるかもしれない、ということも。 携帯を枕元へ放った後、俺はベッドに倒れこんだ。数時間くらいしか動いていなかったが、この休日二日分動いた気分だ。密度が濃かったからかね。 俺はやり遂げた感を変な疲労感と一緒に体中で感じつつ、うつ伏せのまま目を閉じて――眠りの世界へ迷い込んだ。 堅い地面の感触と、上から俺へ降りかかる何かの冷たさを感じながら俺は目覚めた。それと同時に、目を疑う。 まるで白い紙で蓋をされたような、真っ白な空から隙間なく降り注ぐ雨。そして嫌が応でも見覚えてしまう学校の校舎。 北高敷地内の、玄関までの石畳の上に俺は立ち尽くしている。「……閉鎖空間?」 前の悪夢だった、いや夢ではないが悪夢であった時の映像が脳裏でフラッシュバックしては消え、それを繰り返している。 嘘だろ。 今はハルヒの苛立ちの解消なんて手に負えないんだ。そもそもここは閉鎖空間なのか? 静寂と薄闇に包まれている雰囲気は一緒だが、空は真っ白に染め上げられている。それにこの雨……雨雲なんてちっとも見えないが。 夢なら覚めろ、と俺は本能的に念じた。 ピチャッ。 「冷てっ……!」 額に襲い掛かってきた小さな雫によって、俺はまた目覚めた。今度はベッドの上……とすると、さっきのは本当に夢だったのか。 手を眉間に当ててみると、確かに水が付着している。この水の正体を知るべく、天井を見上げた。 ……雨漏りしてやがる。 起き上がってカーテンを開けて目をこらしてみると、暗闇の中に無数の白線が降り注いでいるのを確認できた。こんな時期にどしゃぶりか。地球規模の温暖化も深刻だな。 寝ぼけた足取りで一階に下り、もう午後七時であることに驚きを感じながらお袋に雨漏りの報告をした。 物理的なショックによって目を覚めたせいか、俺は夢の内容をすっかりと脳の中から放り出してしまっている。まあよく言うように、すぐ忘れてしまうのなら大して大事な内容でも無かったのだろう。気にしないでおく。 食欲のないままの夕食を終え部屋の天井に簡単な修理を施しつつ、俺はベッドに転がり込んで寝付けが悪いまましばらく目を閉じていた。明日が来るまで。 明くる月曜日。 喜緑さんらの情報操作は一般生徒や先生にもかけられていたようで、誰も長門のことは気にしようとしない。俺が登校コースでいつも会う谷口もその例外ではなかった。 「お前よぉ。健全な高校生らしく恋でもしたらどうだ? 涼宮とばっかり一緒に居たら涼宮菌が移るぞ。」 もしその涼宮菌なる悪菌が存在するならば俺はもう手遅れだろうな。で、その涼宮菌はどういう悪影響を及ぼすんだ?「そうか、お前も涼宮菌患者の一人か……俺には移さないでくれよ。で、それはさておき。」 つくづく人の質問に答えない奴だ。「恋の話に戻るが、俺なんて毎日仏壇の前で『神様仏様女神様ーっ!』つって拝んでるぜ。いつか俺が性格バッチシの美少女と運命的な出会いを果たすためにな。」 そんなどの宗教を信仰しているか解からないような真似、俺はしたくないね。あと谷口、”女神様”を”ハルヒ様”に差し替えておくといい。きっとお前に災難を齎してくれるだろうぜ。 「まあ俺の話はいいんだ。」 いいのか。「お前は男子高校生として欲が無さ過ぎる! せっかく朝比奈みくるという学校一のアイドルと毎日過ごしているというのに、もったいないったらありゃしねえぜ。」 またこいつの馬鹿話を聞かされそうになりそうだな。 だが俺もこいつの延々と続く失恋経験談を全て聞いてやれるほどお人好しではないからして、軽く相槌を打ちながら聞き流して校門までを乗り切る。 屋内の暖かさに感謝しつつ教室に入り、授業も適当にノートを取って、これといって公表することもないまま六時限まで耐え抜く。 そして放課後、この騒動は大きな動きを見せた。 SOS団基地と化した元文芸部室に、長門を除く四人のメンバーが揃った。 ハルヒはいつも通りマウスを動かす手を休まずにネットサーフィンを続けていて、いつも通りなのは俺たちも同様であった。 ハルヒにとっては普通の日常と何ら変わりのない、SOS団活動なのだ。まさかメンバーが一人欠けていることなど知る術もないだろう。 そんな俺が油断し切っていた時、俺や古泉、朝比奈さんの度肝を抜かせるような爆弾発言をハルヒは言ってのけやがった。「……有希は?」「ひゃうっ!?」 朝比奈さんは素っ頓狂な声をあげて危うく持っていたお茶をこぼしそうになった。「ハルヒ、お前何を言って――」「――有希はどこなの? そういえばここのところずっと……」 俺は古泉と顔を見合わせる。嫌になったからすぐ目を背けたが。「ねえ、有希は何処って訊いてるの! どうして気付かなかったのかしら……!?」「落ち着いてください、涼宮さん。」「古泉くん、有希がどこか知ってるの!? あ、あたし携帯にかけてみる!」 ハルヒは動揺しきっている。情報操作の方はどうなってるんだ?「これは予想の範囲を大いに超えた大問題です。……困りました。」 それくらい解かる。とりあえず喜緑さんに報告を……「電源が切られてる……あたし、有希の家に行ってくるわ!」「待て、落ち着けハルヒ」「落ち着いてなんかいられないでしょ!?」 そう言うとハルヒは一目散に部室を出て行った。長門が家に居るなら今までの俺の労働力を賄って欲しいぜ。「涼宮さんが長門さんの家へ着くのも時間の問題です。それまでになんとか対処をしなければいけません。」「俺は喜緑さんの所まで行って来る!」「僕は『機関』へ報告を。」「あ、あのぅ、わたしは……」「ハルヒが帰って来た時、上手い言い訳を考えておいてください! もしもの為に!」「い、言い訳ですかぁ!?」 朝比奈さんのあたふたする姿を見守ってから、俺は生徒会室へ走った。 ……くそう、どうなってやがる! 職員室を横切り、ノックもせずに生徒会室の扉をバタンと開ける。「喜緑さんは、居ますか!?」 見ると、生徒会役員が一堂に会していた。だが喜緑さんの姿はない。「……なんだキミは。喜緑くんなら先ほど、急用で家に帰ったが。」「帰った……!? 失礼しましたっ!」 生徒会長の返答を聞いてすぐに扉を閉める。喜緑さんも気付いたのか……? するとカチャリと音をたてて生徒会室の扉が開き、中から生徒会長ご本人が登場した。「どうしたんだ、先ほどから涼宮ハルヒの心が安定していないようだが。」 どこからそんな情報を得たんだろうね、この人。「ハルヒが、長門が居ないことに気付いてしまったんですよ。」「それは一大事だな……それなら喜緑くんの血相を変えた顔も納得できる。……これは、大きな波がくるだろうな。」「波?」「閉鎖空間の乱立だ。まあ俺は平然を装っておくから、なんとか頑張ってくれたまえ。」 生徒会長は偽りの優等生顔で生徒会室へ戻った。なんとかって言われても……。 突然携帯が震えだした。古泉からの連絡だ。『大変です……小規模の閉鎖空間が出現し、小刻みに数を増やしてきています。もう涼宮さんは気付いてしまったのでしょうか……』 弱気に満ちた古泉の声はどこかか細かった。らくしない声を出すな、俺までブルーになっちまう。『それは失礼しました。』 すると古泉はいつもの、声に顔があるとするならば爽快スマイルの中に真面目な顔が入ったような感じで続けた。『同士たちが既に神人狩りを始めています。『機関』はこの対処に精一杯なんですよ。今から僕も加勢に行って来ますが、あなたはどうしますか?』「……何か俺にできることはあるか?」 古泉は呼吸を二つほど置いてから、『まだ遅くはないかもしれません。涼宮さんを追ってくれませんか?』「追ってどうする?」『ふふっ……それは、あなたにお任せしますよ。』 他人本願な奴だ。そういう性格は嫌われるんだぜ。『少しでも時間が惜しいのです。では、僕はこれで。』「おう。」 校舎を出るまで一分とかからなかっただろう。俺は長門の家までのルートを全力で駆けた。 朝比奈さんはまだあたふたしているんだろうかね。あとで考え付いた言い訳を聞かせていただこう。 きっと参考には……ならないだろうけど。 長門宅マンションにかなり近づいた辺りになっても、ハルヒの姿は一向に見えなかった。既に着いちまってるか? だとしたらどう対処していいものか解かりかねる。 すると、今日二回目の携帯の振動を俺の皮膚が感知した。「もしもし?」『喜緑です。キョンくん、今何処に居ますか?』 喜緑さん! あなた今どこに……って、先に質問されてるは俺か。「えっと……光陽園の公園前です。」『わたしは708号室前に居るんです。その……涼宮さんと一緒に。』「ハルヒと……!? どういうことですか?」『説明はもう少し後に。とりあえずここまで来てください。』「解かりました!」 俺は緩めていたスピードを二倍速ほどに速めて、そう長くないマンションへの距離を縮めていった。 マンションの玄関のガラスの向こうに真剣な顔の喜緑さんが立っていた。視線を右へ逸らしてみると、壁によたれかかって眠っているハルヒの姿も確認できる。 喜緑さんは内側からドアを開けてくれて、「なんとか涼宮さんが長門さんの部屋へ到着するのは防ぐことができました。情報操作もかけなおしました。でも……閉鎖空間の状況はあまり変わっていないようですね……。」 なんと喜緑さんはハルヒより先にここへ着いていたという。まあ別に意外でもないか。「涼宮さんの、これ以上の暴走を止める手段はもはやひとつしか無いかもしれません。」 喜緑さんが黙り込むように考えていたから、俺は続きを問いてみた。「……それは?」「涼宮さんが目覚める前に、長門さんを救済することです。」 俺は眉間にシワを寄せる。これまた難易度激高の超SS級並の困難さですね……。「涼宮さんが目覚めるまではあと数時間くらいしかないの。正確な時間までは解からないけど、もって五時間。」「それで、思念体は長門の探索を許してくれたんですか?」 喜緑さんはにっこりと笑って、「穏健派のほとんどは了承してくれました。わたしの猛抗議のおかげで。」「良かった……。」 だが、一番肝心なのは長門の居場所と、連れ戻す方法だ。 突如、俺の内耳まで届くような――車が急ブレーキを踏んで地面とタイヤが擦れ合う――高轟音が俺の瞼を反射的に閉じさせた。「なんだ!?」「お二人とも、乗ってください!」 見覚えのある黒塗りタクシーから出てきたのは森園生さんである。運転席を伺い見てみると、新川さんの姿も。「古泉が何かに気付いたらしいのです……とにかく話は走りながらで! 涼宮さんも乗せてください!」 俺は森さんの言う通りハルヒを乗せて車に乗り込んだ。俺の隣のハルヒを挟んで喜緑さん、助手席に森さんが座る。「とりあえず涼宮さんを学校まで送りましょう。喜緑さん、涼宮さんが学校を出てからの記憶を消すことって、できますか?」「はい、容易いことです。」 ずいぶんと難しそうなことを言ってのける人だ。 喜緑さんはハルヒの額に手を翳して、すっと目を閉じる。数秒もしない間にその手を元あったの膝元へ戻す。「……終わったんですか?」「ええ。」 俺がびっくりする間もなく森さんは話を続ける。「キョンくん、今文芸部室に誰か居ますか?」「ああ、きっと朝比奈さんが居ると思います。」「それでは、涼宮さんは目覚めるまで朝比奈みくるに任せておくことにしましょう。」「もうすぐ北高へ着きますぞ。」「待ってください森さ――」「――森園生さん。学校を出た後の記憶は消せましたが、長門さんが居ないことは涼宮さんの記憶から消すことができませんが……良いのですか?」 先手を打って俺が質問を開始しようとした時、喜緑さんに俺の声は掻き消されてしまった。ジャンケンで後だしされた気分になるぜ。「涼宮さんが目覚める前に、長門さんを連れ戻せばいいんですよね? さきほど言ったように、古泉が何かに気付いたようなのです。きっと長門さんの手がかりかと。」 俺と喜緑さんは黙って聞く。「連れ戻せる可能性は低いかもしれません。でも……今は、その可能性に賭けるしか道はないでしょう? 古泉はまだ閉鎖空間で神人を狩り続けています。その古泉からあなたがたを学校に連れて来させて欲しい、と頼まれまして。」 古泉の思い付きか……頼れそうで頼れなさそうだ。だがあいつも時にはやる男だ、きっと俺の下手な思いつきよりは有力な情報であろう。「さあ、着いたようです。」 俺はハルヒを抱えて車を降りて生徒玄関を通過――この時は他の目なんか考えられなかった――、文芸部室まで走り朝比奈さんにハルヒを預けた。そのまま「こいつが目覚めるまで、よろしくお願いします」とだけ伝えて校舎を出る。 校門を越えた先に、色々な意味で凄い三人が乗った黒塗りタクシーと、そのボンネットに手を乗せて車によしかかっている色男――古泉一樹の姿が、そこに在った。 第七頁へ
このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー と 利用規約 が適用されます。
1文字以上入力してください
本文は少なくとも1文字以上必要です。
1文字以上入力してください。