幻惑小説 第四頁
◆◆◆◆◆ どうやら地球の性格は優柔不断らしい。しかし一度決めたことはなかなか辞めやしない、頑固ものでもある。これが俺がこの一年で学んだちょっとした知識さ。 夏はおせっかいなほどに太陽さんを招待してジリジリと俺を照らし続けてきたってのに、今では太陽さんを雲っちゅー厄介なもんで遮ってる。まだ雪雲でないだけマシだけど。 おかげでこっちは寒いのなんの、しかも標高が高い学校に通ってるんだから生徒一人が凍え死んぢまっても「ああ……今年もか」的な解釈にいつかなっちまうんじゃないかと思うね。今だけ地球温暖化を支援しようじゃないか。今だけな。 つうことで制服の上にコート、首にマフラーを巻いて――帽子は今までつけて似合った試しがないからつけてない――いる完全防備、とは違うけれどやや完全防備状態で俺はこのハイキングコースを早歩きで進んでいる。 そして今日もあいつに声をかけられた。もう説明は疲れたから誰かは言わん。「おいギョン、おまえばいいよなぁ」 やけに鼻声だなと思ったらマスクを付けてやがる。風邪でも引いたか? だったら寄るな、さっさと去れ。「会話ざえざじでぐれねぇのがよ。びどいぜギョン。」 しない方がいいんじゃないか? 結構酷そうな声だぜ、それ。俺の配慮も考えろよな。「まぁどりあえず俺の僻みを聞けよ。」 俺が答える前に谷口は続けた。「俺がぜっがく昨日頑張っで勉強じでだっでいうのによ。お前は美少女とデードだもんな。俺はこれからキリスト教なんで信じねぇ。運命も神もクソ同然さ。耳クソ以下だ。」 お前はいつからキリシタンだったんだよ。 神=ハルヒって考え方に則るとその言葉がお前のまだ始まったばっかの人生に終止符をうつことになるぜ。「お前ざっぎがら……ええいもういい」 谷口はマスクをがっと顔からはがして、「さっきから長門に関する話、スルーしてるだろお前。」「お前はまだそのことを引きずってんのか? 誤解だって言ってんだろ、誤解だって。」「お前はまだそのことを俺が信じると思ってるのか? 無理だって言ってんだろ、無理だって。」 確かにあの状況は誤解されてもおかしくはない。しかし正確にその理由を話すとまた電波な宇宙的話になっちまうし、その話でさえもこいつは信じやしないだろう。じゃあ俺の言うことはひとつだ。 「俺の言葉が信じられないなら長門に訊け。長門だって誤解と言う。」「それが最近あいつも信じられないんだよな。噂では最近クラスでの会話量が増えてきてるらしいぜ。一年前では考えられない話だ。あいつもやっと人間らしくなったな、うんうん。」 お前が長門を語るな。「それじゃあお前は語れるのかよ。……お前にとって、長門はなんなのさっ!」 ビシッと谷口の人差し指が俺の顔面に向かって伸びる。やけに真剣な顔でそんな鶴屋さんみたいな口調で発言するなよ。お前だと古泉以上に気持ちが悪い。もう付き合いきれないから俺は足を速めて校門に―― 「逃げるのか、キョン。」「はあ?」「お前は自分の気持ちから逃げて生きていくのかーっ!?」 わけが解からん。残念ながらお前と話してやれる時間はもう終わった。ほれ、校門だ校門。 毎日下駄箱の中に手紙が入っていないかという無駄なチェックを怠らない谷口の姿を見物して、俺はまたこいつのアホさ加減を確認しつつ教室へ足を運ぶ。「なあなあ、実のところ、どうなんだよ。」「どうって、何が。」「とぼけんな。」「……別にどうも。」「マジで?」「……ああ、マジだ。」「それを長門に伝えてもいいのか?」 何故そうなる。「おっ、今否定したよな? やっぱりお前……」「キョン、ちょっと来なさい!」 ハルヒの声がすると思ったらもう教室の前だった。おお、暖房が効いてる効いてる。今の教室は天国と同義だね。「うげっ、涼宮……!」「ほら早く!」 手首を思いっきり引っ張るな! そんなことしなくても行ってやるから……ほら、何の用だ。「あんた、どうせ数学の宿題やってきてないでしょ?」 解かってるなら訊くな。「だからあんたはダメなのよ! こういう日常的なことからやっていかないと、将来ほんとダメになるわよ。」 痛いところを突いてくるな。その話に触れないようにするってのが俺と谷口の間で交わした暗黙のルールなんだよ。「ほら、教科書とノート出して。百五ページね。はい、どーぞっ……って解かんないか。」「その通り!」「なに開き直ってんのよ。あたしが教えてあげる、よく聞いてなさい。」 ここからホームルーム開始までずっとこの体勢で特別ハルヒ講座を受けることになった。そんな応用問題の解説されても基本がなってない俺には用語全般がよく解からん。とりあえず答えだけを聞き出して書いてみる。それで充分だ。 しかしまあ、さっきの谷口との会話は困りっぱなしだったな。俺が長門をどう思ってるだと? そりゃ好きに決まってる。でも勘違いするな、LOVEじゃない。ビターなLIKEさ。もしLOVEだとしても、それを人前で言えるか? そんなことを言った日には隠れ長門ファンクラブからの勧誘の手が伸びてくるだろ。だから俺はこのままがいいんだ。この状態が一番俺にとって心地よい。 だがしかし――俺の超非常識的非科学的な日常は、そんなことを許してくれないのである。 六時限終了まで各教師のお経みたいな授業を聞き続けたあとの放課後。俺は”谷口よけ”という特殊効果を持ったハルヒと――昼飯は部室で食べた――肩を並べて部室に入った。 「みくるちゃん、お茶お願い」「はいっ」 今日も朝比奈さんはぱたぱたと軽やかな足音をたててポットに向かい、ハルヒはどすっと団長席に座る。そして俺はパイプ椅子を引き出して……ここで、ふと気付いた。 「朝比奈さん、長門はまだなんですか?」「え? あ、ええ、そうなんです。」 悪質な悪寒が俺の体中をお構いなしに駆け巡った。いや、ただの寒気か? 長門が居ないってことだけで相当マズい気がするのは、俺が極度の心配性だからか?「珍しいわね。朝に教室に居るのは確認したけど、それからは見てないわ。コンピ研に行ってるのかしら?」 いや、昼休み部室に来た時は確かに長門は居た。……けれど何か引っかかる。既視感に似たような……なんだこれ。「掃除当番だったかもしれないし。あとで来るわよ、きっと。」 俺は気にかけないことなんで出来ない。この嫌な感じが頭の中でもやもやと渦巻いてる内には、ハルヒ、お前のような気分にはなれないぜ。しかしなんなんだ、朝見た谷口の顔より気味が悪い。 思い出せ、俺。昼休みに何があった。 ……… …… … 朝のような質問攻撃を受けないために、長門が話し相手になってくれる部室へと弁当片手に向かった。この行為も変な誤解を招きそうだが、気付かれないように来たから大丈夫だろう。もし見つかった時には……まずい、言い訳が思いつかん。 もしもの時は長門の情報操作に任せるとして、俺は部室のドアノブを捻った。「よう、長門。」「……!!」 うお、どうしたんだ長門、そんな驚いたような顔をして……俺が来るのは想定外だったか? 情報統合思念体――おお、言えた――とやらも。 ぺら。……………………ぺら。……………………ぺら。 長門はすぐまた読書に戻った。しかし、これが速読というやつか。A4サイズより大きい紙にびっしりと小さい文字が並んでいるページを、一ページ一分もかからず読んでいる。ちゃんと読んでいるのか疑ってしまうほどの速さだ。 「なあ長門、そんなに面白いのか?」 返答なし。「いつになったら教えてくれるんだ? その小説の話。」 返答なし。「……食うか」 いつも以上に熱心に本を読んでいる。三点リーダさえ俺に見せてくれないほどの……そうだ、遊園地の時のような、あの無言さ。そしてページをめくる速さ……焦りさえ感じさせるほどの速さである。 俺も無言で箸を動かす。なんだか気まずいな……久しぶりに感じた、長門と居る時の気まずさだ。話しかけない方がいい気がする。 俺はそのままこのかなり寒い中でも中庭で遊んでる奴らの遊び声をBGMにして弁当を口へかきこんだ。……しかしこの部屋、寒いな。考えてみたら暖房が効いてない。 暖房のスイッチを押そうと電気ストーブに歩み寄ってみたものの、これ以上部室に居る理由が見出せなかった俺は、長門に軽い挨拶を告げて部室の扉を開ける。「…………また」「ん? ああ、また放課後でな。」 … …… ……… もやもやしていた既視感は黙々と、ただ黙々と読み続ける長門がそれだったのか? ……なんだか、何かしていないと落ち着かない。とりあえずコンピ研を確認してみるか。 「はいキョンくん、お茶です。」「朝比奈さん、ちょっとコンピ研を覗いてきます。」 「部長さん、長門は来ませんでしたか?」「ん? いいや、今日は来てないよ。それがどうかしたのかい?」「いいえ、お邪魔しました。」 少しの可能性に期待してコンピ研部室にお邪魔してみたが、やはり長門の姿は無かった。掃除当番だとしても、もう来るはずの時間なのに。「おや? どうしたんです、部室前で考え込んで。」 鞄を肩に背負って軽薄な顔で声をかけてきたのは古泉である。「古泉、お前掃除当番だったか?」「ええ、そうですが。」「長門を知らないか?」「長門さんですか? ……そういえば姿を見ていませんね。」 古泉はキッと真面目な顔になって、「何か……あったんですか?」「まだ何も起きてない。だが、そんな予感がする。」「……部室で話すにしても、他の場所で話すにしても涼宮さんに感づかれます。とりあえず少しだけ様子を見てみましょう。」「ああ、そうだな。」 俺がまた席に座ってお茶をすすり出してから数分後、部室の扉がノックされた。「はい、どうぞぉ」「こんにちは、皆さん。」 入ってきたのは情報統合思念体から派遣されたインターフェース――喜緑江美里さんだ。「どうしたの? また彼氏のことで何か?」「いいえ。今回は会長からどんな活動をしているのか少し調査しに行ってくれ、と頼まれたもので。」「へえ、生徒会書記はそんなのも仕事なの? 大変ねえ。」 喜緑さんはふふっと首をすくめて笑って、「でもいつもどおり活動しているようね。これだけで情報は充分です。」と言って早くも部室を出ようとした。 だが俺は解かっていた。そういう偵察ならまず生徒会長直々で訪ねてくるだろうし、そんな調査事今まで一度も来たことがない。その嘘は無理がありすぎますよ、喜緑さん。 ここに来た本当の目的は解かりませんが、きっと長門絡みのことなんでしょう? 帰り際に一瞬だけ真面目な顔になるのを俺は見逃しませんでしたよ。 それから何十分も数時間も経ったが、おかしいことにハルヒは長門のことを気にかけなかった。十分も経てば「連絡してみるわ!」とか言い出して場合によっては長門宅マンションにおしかけるだろうと思っていたが、これは予想が外れたぜ。 「おい古泉、これは一体どういうことだ。」「どの件についてですか?」「色々あるが、まず何故ハルヒは長門に連絡をしない?」「僕には解かりかねます。」「『機関』の方も解からないのか?」「ええ。連絡はしてみたんですが、まだ情報の不足と理解不能なことが多すぎて……『機関』も混乱状態に陥ってます。」 『機関』内で、長門はそんなに重要視されていたのか。「理解不能なことってのは?」「現代の技術では説明出来ないような、超高密度なエネルギーが関わっているようなんですよ。」「それならお前らがスペシャリストだろ、超能力者の集まりだろ。」「それが僕らの能力とは全くの別物なんです。情報操作……というやつですかね。」 やはりそうなのか。さっきの喜緑さんの訪問が関わってくるのか?「恐らく。こういう時は長門さんが一番の頼りになるんですが……その長門さんが居ないとなると、これはもうお手上げものですよ。」 そんな簡単に諦めるなよ。俺のような無力の一般人が頼れるのは、お前らくらいしか居ないんだよ。「もちろん諦めてなんかいません。たとえ『機関』が諦めたとしても、僕は決してね。まず長門さんの居場所を確認しないと始まりません。彼女が動ける状態なのか、それとも危険な状態でその場から動けないのか……その他もろもろです。とにかく今は――」 「情報が足りてない、か。」「その通りです。」 俺もちょっと話を訊きたい人が居るからな。お前の方も頑張ってくれ。「全力を尽くしますよ。」 俺にしてはよく話していられた長ったらしい今の話は、ネットサーフィンに忙しいハルヒの耳には届いていなかった。まあ届かないようにボリュームを下げて話したから当たり前といえば当たり前なんだが。 くそっ、この躍動する胸騒ぎをなんとかしたいぜ。もはや長門の存在は俺の精神の大きな柱となっているから、不安でならないんだ。 下校時間間際。ハルヒが長門のことを気にかけないまま団活が終わってしまった。 古泉は「僕はこれからまた一仕事ありますから、お先に。」と俺にだけ呟いて団活終了と同時に部室から消えて行った。それに続いてハルヒ、そして――朝比奈さんはいつもの通り着替えだ――俺。 そそくさと帰るハルヒには続かず、俺は一人ある場所に向かった。職員室のお隣さんの、長机が立ち並ぶ神聖なる場所……生徒会室。目的はむろん、今回の件についてとことん訊き出すことだ。 小さくノックしてみると、清楚で綺麗な声が木製の扉を通じて伝わってきた。ゆっくりと扉を開ける。「あなたなら来ると思ってました。あなた一人だけですか?」「ええ。」 広く感じる生徒会室には俺と喜緑さんの二人だけ。もしかして生徒会長も居るんじゃないかと思っていたが、余計な心配だったようだ。これで集中して話が出来る。「教えてください、喜緑さん。あなたは知ってるんですよね?」「情報統合思念体が理解出来る範囲までのことなら。」「……それは、その思念体でも理解出来ないことがあるってことなんですか?」「ふふ、鋭いのね。」 そりゃ困った。いや、困り果てもんだ。天蓋領域に関係してくるんですか?「それはまだ解からないの。でも、思念体はそうでないと踏んでいるわ。」「……喜緑さん、昨日あなたは俺と長門に向かって『気をつけて』と言いましたよね。こうなることが予想出来たんですか? それに周防九曜まで同じことを言ってました。ああ、だから天蓋領域の仕業ではないと?」 「キョンくん、混乱してますよ。落ち着いてください。」 すいません、やはり柄もなく一気に喋るもんじゃないですね。「あなたの熱意は充分に伝わりました。……解かりました、話しましょう。わたしたちが解かる全てのことを。」
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