憂鬱な殺人 1章
1章
蒸し暑く寝苦しい夜だった。俺は寝付けなくて布団の上をごろごろと転がっていた。さて、ここで冷房を入れれば快適な睡眠が得られるだろう。ただ、最近お袋からあんまり使うなと命令されているのを無視すると、小遣いに影響が出かねない。毎週末の探索で財布が軽くなっている俺としては、それは避けたい問題だ。
さて、ハルヒはどうしてるかね。 なんて、考えることがないまま時間が経過していくとき、アイツのことを考えてしまうのはどうかと思うのだが、今となってはそれもやむを得ないのだろうと自覚している。去年の俺じゃこんな風に、無意識にハルヒに考えが及ぶたびに銃はないかと探したもんだが、それはすでに過去の話だ。
そう、実は俺とハルヒは付き合っている。 自分が持っている気持ちにいつ気がついたかと言うと、つい最近のような最初からのような気がしてはっきりとは言えない。ともかく、俺は古泉を始めとするSOS団の3人になかば嵌められた形でハルヒに告白なんぞしてしまうことになり、そしてハルヒは予想に反してそれを受け入れてくれたというわけだ。 それについては別に語る機会もあるだろう。
そうこうして俺たちはつきあい始めたわけだが、実を言うと驚くほどその関係に変化がない。古泉曰く「最初から付き合っているようなものでしたよ、あなたがたは」ということらしいのだが、古泉の言うことを素直に認めるのは腹立たしいとはいえ、多分そういうことなのだろう。
そんなことを考えている間に日付が変わってしばらく経ったというのに、俺は眠れそうになかった。「暑い……」 声に出したところで涼しくなるわけもないのだが、そう呟いて溜息をつく。 もういいや、冷房を入れよう。そう思って身体を起こしたとき──
携帯が鳴った。
誰だ? こんな時間に。いや、思い当たる奴は1人しかいないのだが、あいつだっていくら何でも深夜1時近くになって電話してくることなんかほとんどない。携帯を引き寄せてディスプレイを見ると、そこに表示されている名前はやはり涼宮ハルヒだった。
「なんだ、こんな時間に」 別に起きていたのだから構わないのだが、一応少し不機嫌さを交えたような声を出しておく。だが、俺は直ぐに後悔した。俺を呼ぶハルヒの声はとてもか細く、気弱なんてもんじゃなかった。崖の上で銃でも突きつけられているような、恐怖に戦いたような声。いや、ハルヒならそんな状況でも気丈に振る舞うだろう。何があった!?『誰かが死んでる! 知らない人が死んでる!!!』「何だって!?」 にわかには信じられない言葉だった。ハルヒの家で誰かが死んでいる? そんなバカな!『お願い、あたしの家に来て!!』 いつもなら「あたしの家に来なさい! 30秒!」なんて言いやがるのに、今日はお願いと来た。それだけでも異常事態だ。俺は直ぐ行くと伝えて電話を切った。
ハルヒの家で誰かが死んでいるだと? 一体何の冗談だ??
俺は身支度を調えながら、古泉を呼び出した。『もしもし』「こんな時間に悪い。緊急事態だ」 古泉なら状況を知っているんじゃないかと思った。実はというと、機関の仕込みじゃないかと疑ってみたわけだ。『なんでしょう』 機関の仕込みであってもなくても、事後処理はこいつに任せた方がいい。場合によっては、警察に連絡しない方がいい可能性もある。「ハルヒの家で誰かが死んでいるらしい。俺も今から行く。お前も来てくれ」『えっ! それは本当ですか!?』 古泉の声は本当に驚いているようだった。さすがに機関でも本物の死体を用意するようなことはしないか。まあ、後でゆっくり聞いてみるさ。「ハルヒから電話があった。ハルヒのタチの悪いジョークじゃなければ本当だろう。俺には冗談を言っているようには聞こえなかったがな」『解りました。僕も涼宮さんの家に向かいます』 俺は電話を切ると、家人を起こさないようにそっと玄関に向かった。
「キョン!!」 自転車を飛ばしてハルヒの家に行くと、ハルヒは門の外に出て待っていた。こんな時間に家から出るなと言いたかったが、家の中に居るのはよほど怖かったのだろう。自転車を降りた俺に抱きついて震えている。やはりタチの悪いドッキリではないらしい。「大丈夫か」 軽く頭を撫でてやると、少し落ち着いたらしい。「うん、大丈夫」 そう言って俺から離れたが、その顔は青ざめていた。正直言って、少し意外だった。あの孤島での古泉の寸劇で、少なくとも一旦は本当に死んだと思った多丸さんの死体を見ても、不安そうな態度は少しだけで、いつもの元気がなかったにしても気丈に振る舞っていた。実際、率先して事件の解決に動こうとしたのはハルヒだった。朝比奈さんならともかく、このハルヒは何が来てもひどく取り乱したりはしないなんて思っていたんだが。やはり深夜、家で独りきりの時は、あの時と違うのだろうか。「とりあえず、入るぞ」 ずっと玄関前で立ち話していても仕方がない。あまり見たい物ではないだろうことははっきりしているのだが、中に入って確認することにした。
家の中でもハルヒは俺から離れるのが怖いのか、腕に縋り付いてきた。「どこだ?」 俺が聞くと、ハルヒはビクッと身体を震わせた。「……こっちよ」 おそらく少し勇気が必要だったのだろうが、それでも俺を案内してリビングに引っ張っていった。
リビングに入ると、テーブルとソファの向こうに、確かに身体の一部らしき物が見えた。ハルヒを見ると、ますます青ざめて震えている。「お前はそこにいろ」 そう言って、俺は1人で“それ”に近づいた。
そして──後悔した。
「……あっ!!!!」 何とか一言だけですんだ。頭の片隅で、『そこにはハルヒが居るんだぞ!』との警告が響く。もう少し理性が飛べば、俺は叫んでいたに違いない。
それほどの衝撃が“それ”にはあった。 見開いた双眸、青く生気がなくなっていても整っている顔立ち。 床に広がったクルミ色の長い髪。 OL風の服装に包んだ豊かな体躯。
その人──だったものは、間違いない。俺が見間違える訳がない。
大人になった朝比奈さんだった。
何故? 何が起こっているんだ?
俺は死体を見慣れている訳ではないどころか、身近な親戚の葬儀すら参加する必要があったなんてことすらまだなく、したがって今目の前にあるのが本物かどうかなんて判断する知識は全然ない。 ないにもかかわらず、俺は朝比奈さん(大)は間違いなく死んでいる、と解った。彼女は「生」をまったく感じさせない。孤島での茶番劇で見た多丸(圭)さんの偽死体とは明らかに雰囲気が異なっていた。 ハルヒがおびえた原因はこれか。この「死」の持つ独特の雰囲気。
いや、それよりもだ。俺は朝比奈さん(大)の遺体のそばに身をかがめ、手首を取ってみた。これを冷たいと言うのかはわからないが、明らかに普通の体温よりは低く、やはり俺には冷たく感じられた。そして、分かり切っていたことではあるが、脈はまったくない。
死んでいる。朝比奈さんが。
あらためてその事実を確認すると、目の前がぐるぐる回り始めた。視界が色彩を欠いてぐにゃりと歪む。胃の中のものがこみ上げてくる。俺はその場に尻餅をつき、頭を抱えてその感覚に耐えた。ダメだ、ここで、ハルヒの前で取り乱すな!「ちょっと、キョン?」 俺の様子は明らかにおかしい、とハルヒも感づいたらしい。そばに寄って顔を覗き込んできた。ああ、マズイな。俺が受けた衝撃の理由を悟られるわけには行かない。「……あ、いや、なんか、思ってたより来るな……」 うまく声が出ず、掠れたような声になった。こんなんじゃ余計に疑われそうだが、仕方がない。「もしかして、あたしが言ったこと信じてなかった?」 ハルヒは別な方に誤解してくれたらしい。死体があると思ってなかったから、これだけ驚いたってところか。「いや、そういう訳じゃねえよ」 俺は唾を飲み込んだ。「ただ、目の当たりにするとやっぱり……」 わざと語尾を濁す。案の定、ハルヒは後を続けてくれた。「怖いのね」 そう思われるのは正直恥ずかしいが、それでも今はそう思っててくれている方がいい。俺は──うまく出来たかわからないが──バツの悪そうな顔を作って見せた。「まあな。お前が取り乱してたのもよく解るぜ」「あたしは別に取り乱してなんかいないわよ」 嘘つけ。さっきの電話も俺がここに来てからも、明らかにいつものハルヒじゃなかったぜ。それでもハルヒも落ち着いたのか慣れたのか、いつもの強がりを見せるようになった。「悪いが何か飲み物をくれ」 今のショックで喉がカラカラだ。何か飲めば少し落ち着けるだろう。「もちろんいいわよ。あたしも何か飲みたいし」 ハルヒはダイニングに向かい、俺も後に続いた。
俺は、ハルヒが飲み物を用意してくれている間に、古泉にメールを打った。古泉はもうすぐ来るに違いない。古泉の方が遅くなっている方が意外だ。
『ハルヒの家で死んでいたのは、未来の朝比奈さんだ』
これで、古泉や機関の対処も変わってくるに違いない。
ハルヒが警察に連絡しなかったのは何よりだ。
メールを送信するとすぐに、携帯が鳴った。
「誰? こんな時間に」 ハルヒが不思議そうな顔で聞いてきたが、ちょっと待てと手で示して俺は電話にでた。「もしもし」『古泉です。メールも見ました。異常事態ですね』「ああ、そうだ。もう着いたのか」『ええ、実はあなたより先に。あなたが先に行った方がいいと思い待機していました』「そうか。わかった。とりあえず玄関に出る」 そう言って電話を切るとハルヒはきょとんとした顔をしていた。「古泉が来た」「古泉くん?」「ああ、ここに来る前に連絡入れといた」「何でそんな必要があるのよ」 しまった、そりゃそうだよな。連絡を入れる必要があるのは警察であって古泉や機関じゃない。「俺だってこういうことは慣れてない。あいつの方がいろいろと処理してくれるだろ」 こんな言い訳で納得してくれるかはわからないが、後は古泉に任せよう。 俺たちは玄関に向かった。
「お待たせしました」「別に待っちゃいない」 さすがの古泉も笑顔が消えていた。もし、俺がメールを送らなかったらいつものハンサムスマイルで登場したかもしれない。しかし、遺体が朝比奈さんだとわかれば笑っていられないのも無理はない。「それで、警察には?」 俺はもちろんあえて警察を無視していたわけだが、ハルヒはそうじゃない。本当にショックで思い出せなかったのだろう。そんなときに俺に電話をしてくれるってのは、男冥利に尽きるわけだが、しかしこの件に関しては俺1人じゃどうにもならない無力さを感じてしまう。「「………」」 ハルヒと俺は無言で顔を見合わせた。おそらく思っていることは全然違うのだろうが、ここはあえて何も言うまい。「どうやらお二人とも警察に連絡するのをお忘れのようですね」 古泉は少し笑みを取り戻して言った。「僕がやっておきますから、お二人はどうぞ休んでいてください」「そうね、お願いするわ」 打ち合わせしたわけじゃないのに、こういうときに何をするべきかをよく解っている奴がいるのはありがたい。俺が警察に連絡しなかったことはハルヒにとって俺の失態って事になるだろうが、ここに古泉を呼んだ理由を納得してくれそうだ。「悪いな。俺もハルヒからの電話で結構焦ってたらしい」 頭を掻いておいた。
ダイニングに戻り、さっき飲みかけた麦茶を飲んでいると、遅れて古泉が入ってきた。麦茶を差し出すハルヒに礼を言って受け取った。「警察はまもなく来るようです。僕たちも何か聞かれるでしょうが、話すべきこともあまりないでしょう。夜も遅いですしね」「よく考えたら俺たちがここにいる理由も怪しいよな。色々聞かれなきゃいいが」 たぶん、来るのは本物の警察じゃないから大丈夫だろうが、思いつくまま「もし普通の事件だったら」を考えて言ってみる。「それは大丈夫でしょう。特にあなたはここにいる理由ははっきりしていますし、警察も充分納得できるものですよ。怪しいのは僕だけですが、友人と言うことで納得してもらうしかありませんね」 ……どうやら墓穴を掘ったらしいな、俺。ハルヒまで俯いてやがる。らしくないから止めとけ。 実際、こんな悠長な会話をしている場合ではないのだが、現実を思い出すとハルヒの前だというのに深刻になりすぎそうで、俺はあえて軽く考えるようにしていた。いや、軽く考えるふりをしていた。 せめて(偽?)警察とのやりとりが終わるまではあまり考えたくない。
「そういえばお前、なんで家の人がいないんだ?」 今更思い出したことを言ってみる。家族がいたら俺に電話してこないだろうし、とっくに警察が呼ばれていただろう。それも今回の事件と関係があるのだろうか。 犯人はおそらく、ハルヒしか家にいないことを知っていた。
しかし、ハルヒが警察に電話する恐れもあったはずなんだが?
「親父は出張、お母さんは親戚の家よ。連絡した方がいいかしら?」 確かにそれは連絡した方がいいな。朝のニュースで死体発見現場として自宅がテレビに映し出されたら度肝を抜かれるだろう。ただ、時間が時間なんで連絡がつくかはわからないが。「携帯にメールを入れておくわ。起きなくても朝には見るでしょ」「ええ、それにおそらく警察からも連絡が行くと思います」 古泉もうなずいて言った。
少し離れてメールを送信しているハルヒを見ながら、俺は一応古泉に確認しておくことにした。「来るのは機関の人間か?」「もちろんそうです。遺体の発見現場が涼宮さんの家だという時点でそう決まっていました。しかも、それがこの時間平面上に存在しないはずの人となれば、普通の警察に任せるわけにもいかないでしょう。涼宮さんが警察に連絡しなかったのは不幸中の幸です。」 まったくだ。普通に警察に連絡していたら、遺体の身元からすべて迷宮入りになりかねない。そして、それではハルヒは絶対に納得しないだろう。「もし、僕がすべてわかっている犯人だとしたら、涼宮さんは警察に連絡する前にあなたに連絡すると予測しますけれどね。今回の犯人もそう考えたに違いありません」 やけに断言しやがる。何で警察の前に俺なんだよ。「涼宮さんがショックを受けていなくても、この事件を自分で解決しようと考えると予想出来ます。ショックを受けていればもちろん側にいて欲し……」「もういい、それ以上言うな」 古泉を制して俺は溜息をついた。確かにハルヒは自分の家で起きた事件をほいほい他人に渡すとも思えない。常識的にまず警察、なんて選択肢はハルヒの中にはないだろう。
だいたい、こんなアホな会話している場合ではない。考えたくないと思っていたが、考えざるを得ない状況でもあるわけで。現実逃避もほどほどにしないとな。
朝比奈さん(大)が死んだ。おそらく、殺された。
一体何故? どうしてこの俺たちの時間平面で?
その後、警察なのか機関なのか分からん連中が来て色々調べたり尋問の真似事をされたりしたのだが、非常につまらない時間だったので割愛する。俺は刑事ドラマの真似事が茶番であることが分かっていたし、何を調べても何も出てこないだろうことも分かっていたので、最初から飽き飽きしていた。 しかし、ハルヒの反応には驚いた。確かにこの状況は楽しめないが、それにしても事件への多少の興味や、解決してやろうという意志は出てくるものだと思っていた。 ところが、その眼には輝きはもちろん、いつもある意志の強さも影って見える。「部屋に戻るわ」 ハルヒは俺の手を引いて階段に向かった。って何で俺も連れて行くんだよ。「いいからあんたも来なさい!」「こちらはお任せください。どうぞごゆっくり」 古泉が余計な事を言ってきた。谷口じゃあるまいし、何がごゆっくりだ。 ハルヒは部屋に戻るとベッドにごろんと横になった。おい、深夜に無防備だな。「は? あんた状況わかって言ってんの?」「いや、つまらん冗談だ」 わかってるさ。こっちはお前とは比べものにならないくらい深刻なんだぜ。冗談でも言ってなきゃやりきれん。「あーもう、何でこんなことが起きちゃったのかしら」 俺も何だかんだで付き合いが長くなってきたので、こいつが言わんとすることはよく解る。いくら不思議ごとや驚きな体験を求めているハルヒとはいえ、人が死ぬことなんか蟻が流す涙の量ほども望んじゃいない。それは去年の夏の合宿でやった茶番劇の時点でもはっきりしていたことではある。ハルヒが求めるのはもっと楽しいことだ。 やはり、こいつはまだショックから抜け出せていないのだろう。先ほどの捜査を冷めた目で見ていたのも、たぶんそのせいだ。どういう態度を取っていいか決めかねているようでもあった。 だからこそ、俺もこの事件はハルヒの変態パワーによるものではないと断言できる。だが、ハルヒ自身が何らかの目的になっている事もほぼ間違いないだろう。でなければ、朝比奈さん(大)を殺してしまうなんて許し難いことを考えた糞野郎は、わざわざハルヒの家に遺体を転がしておくなんて事をするはずがない。する必要もない。何か目的があったはずだ。 俺が黙って考え込んでいたのを不審に思ったのか、ハルヒがいきなり俺をポカリとなぐった。「あんた何考えこんでんのよ」「いてーな。……この状況で色々考えるなってほうが無理だ」「あんたが考えたって事件の真相なんか解りっこないわよ」 言ってくれるなこいつ。本当のことだがな。これが普通の犯罪だったとしてもだ。「悪かったな」 反論する気も起こらないが、多少不機嫌そうに俺がそう言うと、ハルヒは俺の顔を覗き込んできた。顔が近いぞ。「あんた、あの……死体を見てからちょっとおかしいわよ」 “死体”という言葉を口にするのを少しためらったように言った。どうおかしい、と聞こうと思ったがやめておく。おかしくないわけがない。「そりゃ、こんなことが起こるなんて思ってもみないからな。でもおかしいと言うならお前だっておかしいぜ」 いつになく気弱だ、と続けようとしたが殴られそうなのでやめておいた。「だって、まさかあたしの家でだなんて……。また古泉くんのサプライズでした、なんてオチにはなりそうにないじゃない。あの女の人が何であたしの家で死んでなきゃならないの? 全然知らない人なのに!」 眉間に皺を寄せて考え込んでいるハルヒに、俺は心の中だけで言った。 全然知らない人じゃないぜ。むしろ毎日会うくらいによく知っている人だ。ただし、その人の大人版だけどな。 もちろん口に出して言うわけにもいかず、俺は代わりに別なことを口にした。「とにかくお前は少し寝てろ。夜中にこんな事件に遭遇すりゃ興奮もするだろうが、だからこそ休んだ方がいいだろ」「あんたはどうすんのよ」 さて、どうしようかね。このままハルヒを放って帰るのも気が引ける。しかしまさか一晩いるのもどうかと思う。古泉がいるなら大丈夫か。「お前が寝るまでここにいるさ」 そう言うとハルヒは少し赤くなった気がした。「変なことするんじゃないわよ」「しねーよ、バカ」 枕が俺の顔にヒットした。どっちなんだよ、まったく。 それでも、少しは気が紛れたようだな。俺は安堵から深く息をついた。 そして俺も、ハルヒと話していると気が紛れる。あんな死体なんかなかったんじゃないかと思うくらいに。 すぐには眠れないんじゃないかと思ったが、ハルヒはまもなく寝息を立て始めた。さすがに疲れたのだろう。俺も多少の疲労を感じてはいたが、どのみち眠れそうにはない。しばらく寝顔を眺めていたい気分にもなったが、現実を思い出して俺はリビングに戻った。ハルヒのおかげで紛れていた気分が一気に下降する。
警察もどきはすでに撤収したらしく、古泉が1人で考え込んでいた。「おや、涼宮さんについていなくていいのですか?」 俺が入ってから思い出したようにわざとらしい笑顔を作りやがった。さすがに笑っていられないってとこか。「ハルヒはもう寝た。お前はどうするんだ」「僕ももう帰らせて頂きます。あなたはまだいらっしゃるんでしょう」「おい……。お前が帰るなら俺も帰るぜ。さすがにマズイだろ」 高校生の男女が2人きりで朝まで過ごすってのが容認されるわけもない。いくら今が非常事態だと言ってもだ。「あなたが今帰られると、涼宮さんが起きたときにたいそうお怒りになるかと思うのですが」 知ったこっちゃねえ、と言いたかった。常識的に考えてマズイだろ。しかし、俺の脳裏に、俺を呼び出した電話でのやりとりが浮かんできた。ハルヒらしからぬ、弱々しい声。そして、俺が到着するのを外に出てまで待っていて、俺に縋り付いてきたハルヒ。 ああ、畜生。「わかったよ、残りゃいいんだろうが」 お願いします、と腹の立つような笑顔で言って古泉は玄関に向かった。 古泉を見送った俺はハルヒの部屋に戻った。別にハルヒの部屋じゃなくてもいいんじゃないかとも思うんだが、よそ様の家で勝手に他の部屋をウロウロするわけにも行くまい。 ハルヒのベッドの脇に座り込むと、俺はあらためて今回の事件を考えてみた。ハルヒの言うとおり、俺なんかが考えても答えが出るわけもない。結局、同じ疑問がぐるぐる回っているだけだった。 何故、朝比奈さん(大)が殺された? 何故、ハルヒの家で? 朝比奈さん(大)がここに来たのは、何かしらの既定事項のため、と考えられる。この時代の既定事項は、たいてい朝比奈さん(小)が、というかむしろ俺がすることになっていたと思うのだが、何かしらの理由があったのか、それともハルヒの家ですることなので万全を期したのか。 とすると、当然朝比奈さん(大)を殺したのは、その既定事項を覆したいと考える勢力と考えるのが妥当だ。 俺が思い当たるのは1つしかない。 あの、朝比奈さん(みちる)と未来からのよく解らない指令をこなしていたときに現れた、別の未来人。古泉の機関のような別の組織と結託をしてまで朝比奈さんを誘拐しようとした。よく考えれば、奴らにとって朝比奈さんが邪魔である、ということは間違いない。 だが、何故殺すまでしなければならなかった? 何故、こんな風に朝比奈さんの未来をつみ取ってしまわなければならない?「冗談じゃねえぞ……」 思わず呟く。 朝比奈さん(大)に対して思うところは色々あるが、だからといって殺されるなんて問題外だ。絶対にこんなことが許されるわけはない。「まさか、これが既定事項だなんて言うんじゃないですよね、朝比奈さん……」 不安がよぎる。それだけはやめてくれ。 うーん、と声がして、ハルヒが寝返りを打った。事件があったなんて嘘みたいに穏やかな顔をして寝ている。それを見て思わず苦笑いを浮かべてしまう。「まったく、人の気も知らないでな」 もちろんハルヒが知るわけもないし、知られても困るのだが。 今くらいは頭を悩ませずにハルヒの寝顔を眺めていてもいいか。それはそれで、別の意味で悩むことになりそうだが。『変なことするんじゃないわよ』 あれは本音なんだろうな。畜生、こいつはやっぱり人の気も知らないってわけか。それとも知っていて釘を刺したのか。
結局、俺はいろんな意味で一睡も出来ないまま朝を迎えた。 翌朝、俺はハルヒが起きるのを待って自宅に戻ることにした。「何もしてないでしょうね」 こんなときにアホなことを聞くな。何もしてねえっつーの。だいたいお前が俺を部屋まで連れて行ったんだろ。信用してるんじゃねえのかよ。やっぱり人の気も知らない奴だ。 アホな会話はおいといて、俺は学校に行く準備もあるのでやはり早く帰らなければならない。そう思ってふと窓の外を見て驚いた。 どうやら報道関係者らしき人間がハルヒの自宅周辺をウロウロしている。この状態でハルヒの家から出たら本気でヤバイだろ? どうするんだよ!「裏口から出て塀を乗り越えればいいんじゃない?」 いや、お前、道路側はどっちも人がいるし、そうじゃなきゃお隣さんの敷地に不法侵入だぞ。「別にいいじゃない。ちょっと通らしてもらって、何でもない顔をして出ればわかりゃしないわよ」 それでお隣さんに見つかったらどうするんだよ! しかし、堂々と出て報道関係者に顔をさらすような度胸はあいにく持ち合わせていない。 結局、俺は外から見えない位置を選んで塀を乗り越え、見つからないようにコソコソと、ハルヒの家と背中合わせに隣接するお宅から出させてもらうことにした。 まったく、これじゃまるで俺が犯罪者だぜ。 あ、しかも自転車持って出られねえ。 くそ、いまいましい。
自宅に戻った俺を母親が待ちかまえていた。一応、夜中にメールを入れておいたのだが、朝のニュースですでに遺体発見の報道があったらしい。警察発表でもあったのか。ニュースなんかにして大丈夫なのか? 後で古泉に詳しく聞いてみよう。 母親が好奇心むき出しで事件の事を聞いてくるのには閉口した。それより夜中に女の子の家に1人で行ったことはお咎めなしか?「あんたがこんなときに頼られるなんて、意外よね」 我が母親ながらアホかもしれない。 時間がギリギリだったので、母親の質問攻撃をかわしつつ身支度を調え、さっさと家を出ることにした。昨日からほとんど寝ていないのが今更ながら堪える。 ああ、学校行きたくない……。
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