涼宮ハルヒの感染 7.回帰
7.回帰 俺にできることはやった。後はハルヒの目覚めを待つだけだ。大丈夫だ、ハルヒはきっと目覚めてもハルヒのままだ。俺は自分にそう言い聞かせていた。 過ぎてしまった予定時刻。俺は間に合わなかったのか。苦々しい気持ちでハルヒの病院に向かった。 病院に着くと、朝比奈さんが出迎えてくれた。「涼宮さんはまだ目が覚めないんです……」うつむき加減で朝比奈さんが言った。俺はますます不安になった。俺は間違っていたのか?その答えを考えるのはあまりにも苦しい。「長門は大丈夫なんですか?」もう一つの懸案事項を聞いてみた。「そ、それが、一旦目が覚めたんですけど、『統合思念体による点検』 と言ってまた寝ちゃったんです」点検ね。長門の今回のダメージが俺にわかるわけもないが、TFEIすべてを奪われた親玉としては、何かしらのメンテナンスが必要ということか。まあ、それでも長門はもう大丈夫なんだろう。「涼宮さんについて、長門さんは何かおっしゃってましたか?」古泉が、俺が後回しにしていたことをズバリ聞いてきた。返事を聞くのが怖い。ところが──「それが、長門さんは一瞬だけ起きて、直ぐに寝ちゃったんです。 だからわたしにもわかりません……」まだ答えは保留のままだった。 ハルヒの病室前に着いても、俺はまだためらっていた。ハルヒが目覚めて、うつろな目で俺を見ていたら。その目の中に、ハルヒを見つけられなかったら。 俺はどうすりゃいい?「入らないんですか」俺の後から歩いてきた古泉が、ドアの前で躊躇している俺に声をかけた。振り向くと、真顔で俺を見つめていた。その目の言わんとすることがわかってしまうのが癪にさわる。『あなたの選択の結果を受け止めてください』古泉はそう言っている。 俺は大きく息を吸い込むと、ドアを開いた。 ハルヒは変わらない顔で、規則正しい呼吸を続けて寝ていた。期限はとっくに過ぎている。何故目覚めない?古泉も真剣な面持ちでハルヒを見つめている。この1週間、こいつの顔からはニヤケ面が消えていることの方が多かった。こいつも辛かったんだろう。「涼宮さん……」朝比奈さんが呟いた。 俺たちは黙ってハルヒのそばに立っていた。 どれくらいの時間が経っただろう。「すみません、機関の方に報告に行かなくてはなりません」古泉が言った。こんなときにか? 俺がなじるように言うと、古泉が顔をしかめた。「すみません……僕もここから離れたくはないんです」ああそうだな、わかってはいるんだ、副団長。今回、機関とお前の協力がなければどうにもならなかったしな。新川さんと森さん、多丸さんたちにもよろしく言っといてくれ。「わかりました」元の、とは言えないが、少しだけ笑みを浮かべて、古泉は出て行った。「あの、わたしも長門さんのところへ行ってきますね」何故か朝比奈さんも出て行った。もしかしたら、朝比奈さんもハルヒの目覚めが怖いのかもしれない。いや、間違いなく怖いだろう。これだけ時間が経っているのに、まだ目が覚めないんだ。俺も怖い。逃げ出したい。 だけどな。「俺が逃げる訳には行かないんだよな」ハルヒの頬に触れてみる。まだ、ちゃんと暖かかった。そのままハルヒを見つめる。こいつは大人しければ美少女なんだよな。まさにスリーピング・ビューティだ。 そこまで考えて俺は苦笑した。これから俺がしようとしていることがあまりにもベタだったからだ。まあ、誰もいないしな。深く考えるのはよそう。 俺は身をかがめて、ハルヒに口付けた。 これで目覚めるほど甘くはないだろう。どこのおとぎ話だ。 ところが、おとぎ話だったらしい。 ハルヒがゆっくりと──目を開けた。「ハルヒ!」思わず声をかける。ハルヒはきょとんとした目で俺を見つめていた。その顔を見て、俺はますます不安になる。「俺のことがわかるか? ……ハルヒ」おそるおそる聞いてみた。それを聞いて、ハルヒはガバッと跳ね起きると、俺を睨み付けて言った。「何言ってるのよバカキョン! あんたあたしのことバカに……えっ!?」 最後まで聞かず、俺はハルヒを抱きしめていた。「ちょ、ちょっと、あんた何してんのよ! 離しなさい! 離せ!!」俺の腕の中でもがくハルヒを無視して、腕に力を込める。「誰が離すかよ、バカ野郎!!!」ああそうだ、誰が離してなんかやるもんか。もうこんな思いはゴメンだ。2度と離してやらねぇからな。「ちょっと、キョン……泣いてるの?」うるせぇ、泣いてなんかいねえよ。目にゴミが入っただけだ。「バカ」ハルヒはそれ以上何も言わず、俺の背中に手を回して抱き返してきた。 やっと帰ってきたな、ハルヒ。 長かった。たった1週間とは思えないほど。 俺が落ち着いてから、ハルヒは俺に色々質問をしてきた。本当のことを言うわけにも行かず、かといって答えを用意していない俺は、四苦八苦しながらそれに答えていた。ハルヒが階段から落ちたいう話はハルヒの家族にしてあるので、今更変える訳にはいかない。俺はその線でごり押しした。裏山探検隊もUFOもどきの隕石も全部夢オチだ。1週間も寝てたんだから、それもアリだろ。1年前の俺だって、階段から落ちた記憶がないことになってるからな。実際に階段から落ちたりしていないんだが。「あんたの二の舞を演じるとは、一生の不覚だわ」ハルヒが顔をしかめて言った。「だけど、あれが夢だとは思えないのよ。あんたと隕石を探しに行ったのは」そりゃ、ほんとにあったことだからな。しかし──「俺はそんなことしとらん!」言い張るしかない。泥で汚れた制服も何とか綺麗にしたしな。「第一そんな大ニュース、新聞もテレビも放っておく訳がないだろう。 なのにどこも報道してないんだぜ」そう、実際、俺たち以外誰もあの隕石に気付いていないようなのだ。これは後で長門に聞いてみよう。何となく答えはわかっているのだが。 ハルヒは渋々納得したようだった。「ずっと夢を見ていたみたいね。やけに覚えてるけど」ハルヒは残念そうに呟いた。「長い夢だったわ──途中から悪夢よ。凄く苦しくて」うんざりした表情で続ける。そうだっただろうな。あれだけ閉鎖空間を生み出したくらいの苦しみだ。「でも最後にキョンが出てきて──そうだ、キョン!」急に生き生きとした顔になって、俺を見た。「あんた、あたしに言うことがあるでしょ!」
しばらく宇宙情報戦争について思いめぐらせていたが、もう一つの疑問を思い出して聞いてみた。「何でハルヒは直ぐに目覚めなかったんだ?」長門の予告通りなら、どっちにしても13時前後には目が覚めたはずなんだが。「精神負荷が大きすぎたためと思われる」どういうことだ?「1週間、涼宮ハルヒの精神は休まることはなかった。休息が必要」ってことは?「彼女は睡眠中だった」 そういうオチかいっ! どれだけ心配したと思ってるんだよ! ……て、まさか起きたとき俺がしたことに気付いてないだろうな。「それではそろそろ失礼します」古泉が言った。おい、お前はまだハルヒに会ってないだろう。「明日会えますよ。それより、あなたがしなくてはならないことがあるでしょう。 お邪魔はしたくないのでね」そう言えばお前は閉鎖空間でどこにいて、どこまで聞いてたんだ?「さて、どうでしたっけ」とぼけるんじゃねぇぞ。俺の問いかけもむなしく、にこやかに手を振って出て行きやがった。後で覚えてろよ。「わたしも帰りますね」朝比奈さんも言った。「がんばってくださいね、キョンくん」何を頑張れというんですか、朝比奈さん。というか、あなたは何をご存じなんですか。聞こうと思ったが怖くて聞けなかった。 朝比奈さん(大)ならともかく、何も知らないはずなんじゃ?「見ていればわかる」長門、お前もモノローグを読むな。いや、お前なら普通に読みそうだが。「邪魔者は退散」長門と朝比奈さんは連れだって部屋を出て行こうとした。「おい、邪魔者って何だよ!」俺の問いには答えず、長門は振り返ると言った。「ごゆっくり」何かまた性格変わってないか? 長門。宇宙人と未来人は何だかんだ言って仲良くなっている気がする。その割には、朝比奈さん(大)になっても長門が苦手なようだ。これからまだ何かあるのかね。「やれやれ」呟いて、そばにあった椅子を引き寄せた。ここで俺まで帰る訳にいかないよな。ハルヒが怒りを通り越してまた不安になりかねない。「疲れたな」まったく。朝から橘に悩まされ機関の本部に行き、閉鎖空間で自由落下しかけ、空中浮遊まで体験した。いくらハルヒに振り回されるのに慣れた俺だって、さすがにキツイぜ。 さて、これからどうするか。古泉に言われなくてもやり残したことがあるのはわかってる。さっき朝比奈さんと長門に邪魔されたからな。このまま誤魔化してしまうことは、ハルヒが許さないだろう。いや、俺が俺を許せなくなるね。しかし、さっきより照れくさいぞ。さっきだって恥ずかしさを乗り越えて勢いで言おうとして邪魔されたんだ、それをもう一度やらなきゃいかんのか。 「ハルヒが好きだ」うわ、試しにとはいえ、あらためて口に出してみるとすげぇ恥ずかしい。いっそ閉鎖空間で言っちまうべきだったか。あのときはハイテンションだったからな。勢いで言えただろう。 そのとき──『お約束』と言えばいいのだろうが──ドアが開いた。やけに静かに開いたので、長門辺りが戻ってきたのかと思ったが、やはりというか何というか、とにかくハルヒだった。えーと、何でそんな真っ赤になってるんだよ。何て聞くまでもないな。間違いない。聞こえてやがった。「あんたねぇ……」赤い顔をして、俺から視線を外したまま入ってきたハルヒは、そのまま文句を言い始めた。「何誰もいないところで恥ずかしいこと言ってんのよ」誰もいないから言ったんだよ。とは言えないが。それより俺の告白は恥ずかしいことかよ。ああ、恥ずかしいよな。てか恥ずかしい。「悪かったな」もうそれしか言えん。「だいたい、そういうことは本人に面と向かって言いなさいよ……」何だかいつもの勢いがないが、それより面と向かってと言っているハルヒが顔を背けているんだが。「そいつはすまんかった。だったらお前もこっち向け」どうせさっき言いかけたんだ。今も独り言を聞かれちまった。今度こそ、ちゃんと言えるだろう。だが、ハルヒは相変わらず顔を背けたままだ。 何か腹立ってきた。人に覚悟を決めさせておいてなんだそれは。 俺は両手でハルヒの顔を無理矢理俺の方に向かせた。「ちょっと、何すん……!!!」 ハルヒは抗議の声を上げたが、俺は無視して唇をふさいだ。「……好きだ」唇をわずかに離して一言伝えると、再び唇を重ねる。ハルヒは俺にしがみついてきた。 何だ、簡単なことだったんじゃないか。今まで俺は何をしていたんだろうね。 誤魔化してきた気持ちが、一気に湧き上がってくる。 ──長いこと待たせて悪かったな。 不安にさせて悪かったな。 罰金、払うからな。 だから、もう離さないでいいか。 もう、離れないでいてくれるか。 やがて唇を離した俺に、ハルヒは微笑んで言ってくれた。「あたしもあんたが好きよ、キョン……」 ──こうして、俺の長い長い1週間は、ようやく終わりを告げた。
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