涼宮ハルヒのダメ、ゼッタイ 七章
七章夕日の光が病室の中にまで及んで、妹ちゃんの心なしか寂しそうな寝顔に差し込んでくる。この肌寒い時期にもかかわらず、その光は暖かみにあふれていた。あたしはカーテンを閉めた。間もなく日が沈もうとしている。だけどあいつは来ない。「キョンくん、どうしたんですかね…」しらないわよ、みくるちゃん。こっちが聞きたいくらい…何よ。昨日は来るっていったじゃない。朝からずっと待ってるのに………「まだ具合が悪いのかも…」そうなのかな、昨日最後に会ったときは顔色よかったけど…「有希、どう思う?」じっと妹ちゃんを見ていた有希はかすかにこちらに顔を向けた。「…今のわたしにはわからない。しかし彼に何らかの異常が起こっているのは確か…行ってあげて。あなたが行くのが最も適切」異常か。ま、確かにこんな所でずっと待ってるなんてあたしらしくないわね。引きこもっていじいじしてたら許さないんだから!!それからは早かった。あたしの持ち前の脚力のお陰で目的地にはすぐ到着した。昨日と同じようにチャイムを押す。………出てこない。あたしの指に連動して続け様に鳴る音に憤りを感じ始めた頃、あいつは玄関のドアから顔を出した。「あんた今まで何やってたのよ!!今日は妹ちゃん達の病室に来るんじゃなかったの?!!」「…スマン、寝てた」「はぁ!!!?…何よ。まだ体の調子悪いの?」あたしの問いに答える気はない様子のキョンは思案顔をして、そのあと意を決したように言った。「まあ、とりあえず…入れよ」「あのね、あたしはあんたを迎えに来たのよ!」「頼む、少しでいい、話があるんだ」表情から、その話の内容を読み取ることは出来ない。しかしキョンの目には確かに決意のような、力強さが宿っっていた。それが何に対する決意かはわからない。だけどそれは確実にキョンを取り巻いていた。だからあたしは断ることが出来なかった。どこか儚げで、それでいて並々ならぬ意志を纏ったキョンの後につき、あたしは玄関に上がった。今日は何故かリビングに通された。ソファに座るように促されたので遠慮なく座ることにする。「…で、何よ、話って。言っとくけど、つまらないことだったら承知しないわよ」言うまでもなく、あたしは家族の見舞にも来ないで家で寝てた上に、未だ急ぐ素振りも見せず、自宅でくつろごうとしているキョンに憤りを感じていた。「なあ、ハルヒ、俺とお前が出会ってから三年近くになるな」横にいるあたしに目を合わせず前にあるテレビを見据えながらキョンは穏やかな声で言う。「だから何よ、思い出話なら病院でたっぷり聞いてあげるから!!」「ははは、相変わらずだな、お前は。いっつも強引で…だけど…お前も変わったよな。」はぁ?一体なんなの?さっきから何こいつ語ってんの?ていうかこいつあたしの言ってること聞いてる?「俺も変われたかな、ハルヒ。」「知らないわよ!そんなこと!!!!」あたしのイライラは頂点に達していた。わけわかんない!何でこいつはこんな時に悠長に話してられるのよ!キョンは、ふうとため息を一つ吐くとこっちに振り向き言った。「ハルヒ…俺、お前に会えて本当によか…うわあああ!!!!」突如響いたキョンの悲鳴。それは断末魔の叫びと称しても納得出来る程、苦痛に満ちていた。見るとキョンはソファから落ちて尻餅の状態だ。「あ……あ…さ…朝…く…な、何でお前が…ここに…」キョンの顔から汗が吹き出ている。力強かった目の瞳孔は開きっ放しで、肩は軽い痙攣を起こしていた。素人目で見てもこれは普通じゃない。「ち、ちょっと!朝?みくるちゃんのこと?何?どうしたの?」「くるなああぁ!!!!」キョンは尻餅の状態のまま、回りにある様々なものをこちらに投げてくる。新聞紙、座布団、テレビのリモコン。それらが部屋一体を飛び交う。「また俺を殺しに来たのか!お前なんかに…お前なんかに殺されてたまるかぁぁぁぁ!!!」なんなの、これ…わけわかんない…キョンはあたしの方に目をむけているが、あたしを見ていない。「キョン!キョン!やめて!あたしはハルヒよ!どうしたの?!ねえ!!」「だまれぇぇぇ!!」ガシャン!!!「キャアアア!」嘘…シャレになってない。気がつくとテーブルの上にあった、ガラス製の灰皿はあたしの後方にある窓の残骸の中で、変わり果てた姿で存在していた。どうすればいいの、どうすれば…その時ある台詞が頭の中をよぎった。そして次の瞬間にはあたしはその台詞を吐き出していた。「ひ、東中出身涼宮ハルヒ!!ただの人間には興味ありません!この中に宇宙人!未来人!異世界人!超能力者がいたら、あたしの所に来なさい!もう一度いいます!あたしの名前は…涼宮ハルヒ!!!以上!!!」何でこの台詞を言ったのかはわからない。無我夢中だったから…ただ、この台詞はとても大切なもののような気がしたから…あたしにとっても、キョンにとっても。キョンの動きが止まった。お願い、いつものキョンに戻って…その目にはちゃんとあたしが映ってるだろうか。「……はあ、はあ、くそ、目障りだ…消えろ、ハルヒにまとわりつくな…消えてくれ。…………ははは…もう来やがったか…いくら何でも早すぎだろ。」脈絡があるとはとても思えない言葉を羅列すると、キョンは階段をかけ上がっていった。ぺたん、と膝をつく。もう何がなんだかわからない。早すぎるって何が?思えばここ最近は色々なことがあった。キョンに殴られて、何故かすぐに仲直り出来て、キョンの家族が事故に会って、でもあいつは来なくて…ああ、ダメ、これ以上考えたらいくらあたしでもパンクしちゃう。あたしは思考を停止させた。ただボウッと固いフローリングにヘタレこむ。だけど一旦停止した思考は階段から降りて来たキョンによって強制起動させられた。キョンの顔色はもう元に戻っている。「なんなの?ねえ…答えて!いい加減にしてよ!わけが分からない…答えてよぉぉ!」やば、顔の内側から熱いものが込み上げて来る。気が付くとキョンはあたしを抱き締めていた。昨日の未遂をいれると、これで三回目。だけど今の抱擁は今までで一番弱々しい。「ごめんな、本当にごめん、ハルヒ。やっぱ俺…ダメみたいだ。勝てそうにない…約束守れなくて…ごめんな…」勝てない?何のことを言ってるの?「ハルヒ、俺…お前に会えて本当によかった…」キョンは震えた声で言う。そんなもうお別れみたいな言い方やめてよ。「だから…今日はお別れを言うためにお前を呼んだ。」ッッッッッ!!!!体中に電撃が走った。もう何度目になるかわからない疑問。「何でよ!説明してって何回も言ってるじゃない!イヤだ!お別れなんて絶対!答えて!答えろ!」もう自分でも何言ってるかわからない。それが言葉なのか嗚咽なのかすら…そんな叫び。「教えてよ……ねえ!!……お願いだから…」「勝手なことを言ってるのは分かってる…だけど言わせてくれ…お…ら…えろ」「え?」「俺の前から消えろ!!!!二度と俺の前に姿を表すな!!!!出てけ!!!!」その能力があたしの内に宿ったことに気付いたとき、最初に思ったのは、「ああ、あたしもいつの間にか打たれてたんだ」だった。脳に飛び込んでくるあたしのものとは別の意志。瞬間的に見える灰色の町と蒼白い巨人。あたしのこれまでの家族環境は、この変化をドラッグの副作用と勘違いさせるのに十分だった。同じ中学で彼氏でもある谷口くんに、両親のことがバレて別れたばかりで、消沈していたあたしは、この状況を簡単に受け入れた。これからはあたしもあの人達と同じ道を歩いて行くんだ…そんな諦めに近い感情があたしを支配した。それからしばらく、あたしはフラッシュバックの恐怖に耐えながら、気が狂いそうな自分を必死でつなぎ止め、自室ですごしていた。この時、自殺を考えなかったのはあとになって考えてみれば、涼宮ハルヒがそれを許さなかったからなのかもしれない。要するに人材不足の回避。彼女の無意識の思惑通り、両親が刑務所に連れて行かれるのと同時に、あたしは機関の存在を知った。そこにいる人達はあたしの素性を知っている。クラスや近所…そして谷口くんが忌み嫌って避けたあたしの素性を。だけどこの人達はそんなあたしを受け入れてくれた。警察から両親のいなくなったあたしを、いとも簡単に引き受けて養ってくれた。やっと自分の居場所が出来たんだと、この能力をくれた神と称される涼宮ハルヒに、あろうことか感謝さえしてしまった。神様は非情だ。居場所を与えてくれたと思ったら、すぐにそれを奪っていく。センパイを奪い、本当の古泉くんを奪い、そしてタックンを………だから復讐する。一番大事な人を、タックンと同じ方法で…なのに、何であなたはあんなに楽しそうなの?ニセモノの自分がそんなに好きなの?古泉くん………あたしは走っていた。自分が今、泣いているのかどうかも分からない。ただキョンが言った言葉、それだけがあたしの全てを動かす。キョンが意味もなくあんなことを言うはずがない。きっと理由があるんだ。それはわかってる。だけど、そんな理性はキョンに拒絶されたという事実の前では、何の役にも立たなかった。やがてあたしは、吐き気をも引き起こしそうな疲労と共に足を止めた。足がガクガクする。このあたしがここまで完全に息が上がっているのだから、相当な距離を走っていたんだろう。あたしは震える手でケータイを開いた。「もしもし、古泉ですが。」「ヴゥ…古泉くん!!キョンが…キョンが!あたし…あたしぃ……!」涼宮さんのあまりに悲痛な嗚咽混じりの声に、オレは寒気すら感じた。先程のパーティ会場でのことを思い出す。まさか…いや、そんなはずはない!!「落ち着いて下さい!涼宮さん!今、自分がどこにいるかわかりますか?」「わからない、遠い何処か…わからないよぉ…もう、何もわからない…」だめだ、完全に混乱している。こちらで探し出すしかない。「朝比奈さんと長門さんにはこちらから連絡します。あなたは決してそこから動かないで下さい。」それからオレは森さんと新川さんに頼んで、パーティ会場にいる同士に事情を知らせ、協力を促した。しかし、協力を申し出たのは森さんと新川さんを除けば、田丸兄弟だけ。他の同士はもう関わりたくないようだ。当然だ。今救おうとしてるのは自分達を散々振り回し、時には命の危険までをも、もたらした少女である。むしろ今のオレ達の方がイレギュラーな存在なんだろう。傍観に徹してくれてるだけでも、ありがたいと言うべきだ。だけど、止まれないんだ。止まるわけにはいかない。仲間だから…もう二度、仲間を…仲間を失いたくない!!!「こちら、森と新川。涼宮ハルヒを発見したわ。場所は――――」あれから長門さんと朝比奈さん、さらにたまたま出会った鶴屋さん、谷口くん、国木田くんにも協力を願い、捜索を決行した。思ったより時間はかからなかったが、あたりはすっかり寝静まっている。涼宮さんはオレ達の町の数十キロ離れた公園で発見された。足にかなりの負担がかかっているらしく歩くことも、ままならない状態とのことだ。何が彼女をここまで追いやったんだろう。いや原因は分かってる。…彼だ。涼宮さんからの電話の内容でそれは推測出来る。なら、次にやるべきことも自ずとと決まってくるだろう。「了解しました。協力してくれた方々にも連絡お願いします。僕は…確かめたいことがありますので。」彼の家、本来ならば訪れることに一考を要する時間帯だが、オレに迷いはなかった。呼び鈴を押してもおそらく出ないだろうと想像はつくが、一応押してみる。…………やはり出ない。ならばとオレはピッキング器具を持ち出し、ものの数十秒で玄関のドアをこじあけた。こんな状態でも機関仕込みの技術を落ち着いて行使する自分に少々驚いていた。中は闇に包まれていた。何度か訪れた彼の家。雰囲気が異様に感じるのは、現在の時間帯のせいだけではないだろう。まずはリビングへと侵入すると、彼はソファに倒れ込むように寝ていた。よほど熟睡しているのか、口からはヨダレを垂れ流している。オレは彼を起こす前に、それに気付くことになる。暗闇の中、彼の手の中で月の光に照らされて怪しく光る「奴」の存在に。これは…注射器?!ドクン!――神を殺さないか?――――何故裏切った!古泉ィ!!――――ハハハ、今の俺はとても清々しい気分なんだ――頭にこびりついてくるその声を必死にふり払い、彼の右腕を確認する。彼は右利きだということは、とっくに知っていることなのに、最初に右腕を確認する辺り、少しは想定していた事態とはいえ、相当に気が動転していたのだろう。一瞬、「それ」がなくてホッとしてしまった。しかし、すぐにそれを後悔することになってしまう。「あ…」彼のもう片方の腕にはおびただしいほどの注射跡が存在していた。細菌が繁殖しているのか、それは紫色に変色していて痛々しさに拍車をかけていた。ドクン!「ん…春日…もう一度…俺に……春日…ハルヒ…」「あ…ああ…ぅあああああぁぁぁぁ!!!」オレの絶叫に構うこともなく、彼は寝言をつぶやいているだけだった。
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