遠距離恋愛 第十五章 前日2
第十五章 前日2 一通り試験会場と大学構内を見て回った俺たちは、大学そばのファミレスで少々早めのランチを取っていた。国木田と阪中の志望は、それぞれ理学部と教養学部とのことだった。ランチを食いながら、大学の感想やそれぞれの志望学部への感想や希望を一通り話し合った後で、国木田が切り出した。 「キョン達はこれからどうするんだい?」うーん、実は考えてない。予定ではこれからホテルに戻って受験科目の最後の確認って所なんだが、何だかそんな気分じゃないな。「おいおい、キョン。試験日は明日というのにずいぶん余裕じゃないか。キミは僕なんかよりも確認項目は沢山あると思っていたのだが」へいへい、分かりましたよ佐々木さん。じゃあホテル帰って……って待てよ?確か午後2時以降じゃないと俺は部屋に入れないんだっけ。佐々木、お前の所はどうだ?「ああ、そう言えば僕の宿泊予定のホテルもそんなことを言っていた」そうなのか?参ったな。まだ時間まで1時間半もあるぜ?う~~む、と腕組みした俺たちに、阪中が提案を持ちかけてきた。 「じゃあ、あたし達の泊まっているホテルに来ればいいのね。まだ話したいこといっぱいあるし」 俺と佐々木は、国木田&阪中に先導されて彼らの投宿しているホテルに向かっている。彼らは1週間ほど前からこのホテルに投宿しており、今日は試験会場の最終確認とやらで大学に来ていたとのことだ。全く。金持ちは違うね。そんな俺のぼやきが口に出ていたのだろうか、振り返りながら国木田が言った。 「ホテルの手配をしてくれたのは、古泉くんなんだよ」「そうなのね。お父さんのコネがどうとか言ってたけど、北高からこの大学を受ける全員分の部屋を確保してくれたのね」「そうそう。ナイショだけど、普通の宿泊料の半分で良いんだってさ」「凄いのね」古泉か。朝のあの光景を思い出す。くそ、さっきまで忘れていたのに。抱きつくハルヒ。抱きしめる古泉。それはまるで恋人同士のように…… ぶんぶんと頭を振って、その映像を頭から追い出す。アレは多分、何かの間違いだ。そう、絶対何か理由があるはずだ。でなきゃ、古泉はともかくハルヒがあんな行動を取るわけがない。そうだ、俺は何を心配しているんだ? 「キョン、顔色が優れないが大丈夫か?もし調子が悪いようなら、すぐにタクシーを捕まえるが」佐々木が心配そうに俺の顔を覗き込んでいる。ああ、大丈夫だ。ちょっとな、明日の試験のことを考えたら不安になってきただけだ。「そ、そうかい……でも、本当に」気にするな。俺は、大丈夫だ。 「ここなのね」国木田と阪中が指示すホテルは、俺の投宿予定の安手の観光ホテルとは違い、俺でさえ名前は聞いたことのあるような、格式有る一流ホテルだった。海外のVIPが定宿にしているホテル、と言えばその豪華さは想像が付くだろう。そのあまりの豪華さにあっけにとられた俺と佐々木は、アホみたいに口を開けっぱなしだった。 「驚いたろ?僕も阪中も、最初にここに着いたときは何かの間違いじゃないかって思った位さ」一流の香りをそこかしこに漂わせるロビー。中庭の庭園を見渡せるように配置された大きなソファー。そこでは裕福そうな老夫婦が、仲睦まじげにコーヒーを飲んでいた。 そこでまた、朝の光景がフラッシュバックされた。 まるで恋人同士のような二人。SOS団から俺が居なくなって、一体何があったんだろう?そう言えば、去年の11月頃からハルヒの言動が変わったきてたな。電話しても出ないし、メールも素っ気無かったし。今考えてみれば、色々おかしいことが…… 「キョン?やっぱりキミおかしいぞ?」佐々木の声で我に返った。「彼らがどうかしたのかい?」どうも、俺は先ほどの老夫婦のことを凝視していたらしい。彼らは俺の視線に気がつくと、最初はちらちらとこちらを見ていたが、しばらくして気まずそうに席を立ってしまった。 そりゃ見覚えのない人間からずっと凝視されたら、普通は逃げるよな……って、すいません!そんなつもりじゃなかったんです!足早に去っていく先ほどの見知らぬ老夫婦の後ろ姿に、俺は心の中で土下座していた。「キョン、ここで少し休もう。お茶でも飲もうか」そうだな、佐々木。ちょっと疲れた。はは、運動不足かもしれないな。「なんだいキョン、運動不足なのかい?」「キョン君、さっきから変なのね?やっぱり具合悪いのね?」大丈夫だって、気にするな。もう少ししたら落ち着くから。 窓脇のソファーを陣取り、各々飲み物をオーダーした俺たちは、再び取り留めのない馬鹿話に興じた。俺や佐々木や国木田の中学校での暴露話や、阪中のルソーのエピソード。俺が転校した後の北高の話。そのうちにようやく俺の心も落ち着いてきて、朝見たことは何か理由があったことだと決着を付け、心の中から追い出すことが出来た。 ひとしきり歓談した後、佐々木が立ち上がりながら言った。「じゃあ、そろそろ僕たちは行くよ。楽しい時間は過ぎるのが速いと言うが、もう時間だからね」え、もうそんな時間か?慌てて時計を見ると、ホテルに帰る予定の時刻を1時間も過ぎていた。今日はこの後予定があるわけではないが、明日試験本番だというのに油売ってちゃまずい。早めに帰って、明日の試験に備えなきゃな。 「そうか、もうそんな時間か。キョン、佐々木さん。お互いがんばろうね」「私たちもがんばるのね」「おお、もちろんだ。国木田、阪中、お前らもがんばれよ」そう言って、ソファーから立ち上がりかけたときだった。「……ったく、バカ……しが……せっかく迎え……のに!」「……まあ、涼宮さん……くたちが……ないのですか……」 フロントの方から聞き慣れた声……ハルヒと古泉の声が聞こえた。 「あ、涼宮さん達が来たようだね」「相変わらずラブラブなのね」その、阪中の言葉で俺は固まってしまった。立ち上がりかけたソファーに再び落下する。 「あ……阪中!?」「え……あ、ゴメンキョン君。何でも無いのね」慌てて言葉を濁す国木田と阪中だったが、俺は阪中の言葉を頭の中で反芻していた。ラブラブ?ハルヒと古泉が?どういうことだ? 「キョン?」佐々木が耳元で呼んでいたが、俺は僅かに手を上げてその言葉を制した。フロントから漏れ聞こえるハルヒと古泉の会話を聞き取ることに集中していたからだ。 「古泉と涼宮です。3泊4日で予約していたはずです」「古泉様と涼宮様ですね。はい、承っております」妙に鮮明に聞こえるのは、周りが静かだからか?顔を巡らすと、国木田や阪中、佐々木がじっと俺の方を凝視している。だが俺と目が合った瞬間、国木田と阪中は明後日の方向に目を逸らしてしまった。「キョン、どうしたんだ一体?そんな怖い顔をして……」佐々木がやんわりと非難する。どうも俺は知らず知らずのうちにものすごい形相になっていたようだ。だが俺はそんな佐々木には応えず、ずっと耳を澄ましていた。「キ、キョン。涼宮さん達に声掛けた方が良いんじゃ……」「そ、そうなのね。何だったら呼んできて……」慌てたような国木田と阪中の気遣いも、今は煩わしい。軽く手を挙げて無言で会話を打ち切った俺は、二人の気遣いを無視してハルヒと古泉の会話に集中した。幾つかの会話は聞き逃してしまったものの、最後のこの言葉だけははっきりと俺の耳に届いた。 「すっご~~い、スイートルームじゃない!アタシ一度泊まってみたかったのよー!」「恐縮です。では、参りましょうか、お姫様」彼らはホテルの従業員に案内されて、最上階スイートルーム直通のエレベータに消えていった。俺たちがここにいることなど、気付いてもいなかっただろう。 スイートルーム直通エレベータの階数を示す数値が動き始めたところで、俺は無言で席を立った。気まずそうな国木田と阪中が、ちらちらと俺を見ていた。 「キョン、これはね、あの、その……」「キョン君、ごめんなさいなのね。隠すつもりはなかったのね。あのね、実はね……」立ち上がったまま動かない俺に、国木田と阪中がしどろもどろになりながらも話し始めたことで、今目の前で起こったことが全て本当のことなのだと分かった。 気にするな、国木田、阪中。いくら鈍い俺でも今回のことでよく分かったよ。俺が惨めな希代の道化師だって事をな。その俺の言葉を聞いて、彼らは黙り込んでしまった。 「キョン?大丈夫かい?」自分でも気付かなかったが、どうも俺はまるで酔っぱらいのようにふらふらしていたらしい。佐々木に支えられていた事に、今気がついた。心が、体が不安定なのが自分でも分かる。 「悪い、俺帰るわ」俺は一言そう言い、歩き出した。慌てて国木田も阪中もばつが悪そうな顔で付いてくる。佐々木も何も言わずに付いてきた。ホテルの入り口で振り返り、俺は国木田と阪中に礼を述べた。「今日はどうもな。久々にお前らと話せて、楽しかったぜ。ああ、さっきのことは気にするな。別にお前らのせいじゃない」「キョン……」「キョン君……」申し訳なさそうな二人の顔は、あまり見たくはない。さっきから目頭が熱い。おそらく涙でぐしゃぐしゃになってしまっているだろう俺の顔も見られたくはない。だから…… 「……『涼宮』と古泉に伝えてくれ。『おめでとう、良かったな』ってな」俺はそれだけ言うと、踵を返した。 「キョン!涼宮さんは……」「キョン君!話を聞いて欲しいのね!」だが俺には、彼らの言葉は耳に入らなかった。もういい!もうこれ以上道化になるのは沢山だ! 俺の言葉を否定する国木田の言葉を振り切って、俺は逃げるようにホテルを走り出た。後ろで佐々木が何か言いながら追いかけてきたようだが、今の俺はそれすらも聞きたくなかった。ホテルを出たところで、俺は全力で走り始めた。 どのくらい、時が過ぎたのだろう?気がつくと、昼に阪中と偶然遭遇した大学前のベンチに座っていた。辺りは暗い。夜の帳が降りてから、かなり経っているようだった。慌てて時計を確認すると、既に日付を跨いでいた。 はあ。俺は……どうすりゃいいんだ?いや、どうしたいんだ?そもそも俺は、なんでこの大学を受けようとしたんだっけ?この一年間、佐々木や朝倉の教えを受けてまで、何故? 答えは決まってる。ハルヒのことが好きで、ハルヒと一緒の大学に行きたくて。ハルヒと同じ時を過ごしたかったからだ。 じゃあ、今日のアレは何だ? いつの間にか、古泉とハルヒがラブラブになっていた。しかも宿泊先はスイートルームかよ。既に「ご婚約おめでとう」と言うべき状態なんだな、あいつらは。 ああ、そうか。 そういうことか。 俺が帰りたかった場所には。ハルヒの隣には。いつの間にか俺の居場所が無くなってたんだな。そういえば以前古泉が言ってたっけ。「あなたと同じ立ち位置になるよう頑張ります」ってな。なるほど、そういう意味だったのか。要するにアレは、俺に対する宣戦布告だったんだ。はは、今頃気付いたぜ。流石だ、古泉よ。このゲームは俺の負けだ。商品は涼宮ハルヒ様、別名現人神様だ。お前の勝ちだ。さっさと持っていけ。 「キョン」取り留めのない自虐思考を止めたのは、息を切らせた佐々木の姿だった 「やっと見つけたよ。こんな時間にこんな所で、何をやっているんだい?」ああ、ちょっとな。明日のことを考えたら、眠れなくてさ。「そうか。でもこんな時間にこんな所にいたら明日に差し支える。昼に行ったファミレスにでも行かないか?あそこなら24時間営業だ」こんな時まで気を遣わなくていいぞ、佐々木。お前はホテルに帰ってゆっくり休め。何せお前は、俺よりも遙かに難易度の高い学部を受験するんだからな。俺のことはほっといてくれてかまわん。 「キョン」佐々木は俺の肩に手を置いて、真剣な目で俺を見ながら言った。 「バカなことを言うんじゃない。確かに昼間のアレは、キョンにとってはショックだったと思う……でも」俺の肩を掴む佐々木の力が徐々に強くなってくる。それと同時に俺を見つめる佐々木の瞳にも力が漲ってきた。 「あんな事で、僕の……いいえ。私の夢を壊したくないの!」「ゆ、夢?」突然の女言葉に驚いた俺は、オウム返しに聞き返すしかなかった。佐々木は俺を含む男に対しては男言葉を使うが、他の女性に対しては普通に女言葉で話す、というのが中学の時からの俺の認識だ。それが突然、俺という男性に対して女言葉になったのだ。驚かないわけがない。しかし佐々木は女言葉のまま話を続けた。 「そう、夢。大学で一緒に勉強して、一緒に遊んで、一緒に買い物をして、一緒に……それが私の夢」さ、佐々木……おまえ、まさか。そこで一呼吸置いた佐々木は、俺の目を射るような視線で貫きながら言った。 「私は、キョンのことが好き。中学校の時は自分でもよく分からなかったけど、高校でキョンと離れてみて分かったわ。私はキョンのことが好きなんだって」驚きの告白。 今日は本当に驚くことの連続だ。朝のアレに始まって、ホテルでのあの光景。そして最後は佐々木の告白だ。 「お前……俺のことを親友だって言ったじゃないか。その、一年前に再開したとき」「そう。でもそうでも言わないと、本心を言ってしまいそうだったから。あの後、私はキョンに対する気持ちで一杯だった。橘さん達の話に乗ったのも、それが原因。少しでも時間を共有したかったからよ」 佐々木は俺の肩に置いていた手を離し、とすん、と隣に座った。「だから……この一年間は毎日がとても楽しかったわ。朝学校に行けばキョンがいて、朝倉さんがいて。キョンの勉強を見ているときも、塾に行っているときですら、楽しかった。キョンと一緒の大学に行けるんだって思ったら、週末のテストを作るのさえ苦にならなかった。大学の最終志望が予定通りここに決まったとき、私は思った。やっとこれで夢が叶うって」 俯いていた佐々木は、顔を上げると夜空を見上げた。「だから……キョン、明日からの試験頑張ろうよ。もちろんキョンの心に乱れがあるのは分かるわ。さっきの私の告白もその一因になるかもしれない。でも、私からの頼みを聞いて欲しいの……」 夜空を見上げたままの佐々木の、その顔に一筋の涙がこぼれた。 「私の夢を、叶えて」
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