きみろりさん
会長「暦の上ではとっくに秋だというのに、今朝もまた変に暑いな。昨晩の雨のせいで、空気もやたらベタベタしているし。まったく、これからあの坂を上って登校しなけりゃならんと思うと、心底うんざりする」 ??「かいちょー」会長「いっそ強権を発動して、生徒会室にだけでもエアコンを設置してやろうか…?」??「かいちょー」会長「しかし、あからさまな使い込みをしてもすぐにバレるしな。古泉の奴にネチネチ小言を言われるのも癪に障るし。ううむ…」??「かいちょーってば!」会長「うおっ、足元から声が!? って、女の子か。どうしたお嬢ちゃん、迷子にでもなったかね?」??「ちがいまちゅ、かいちょー! わたしでちゅ、わたぁし!」
会長「わたしと言われてもな。あいにく俺に幼稚園児の知り合いなどは…」??「もう、これならわかりまちゅか? えいっ!チュッ」会長「き、キミっ、いきなり何を…むっ!? この味、この唇の感触…。まさか、キミは喜緑くんか!?」
㌔㍉「よーやくわかってくれまちたか、かいちょー」会長「しかし、どうしてそんな幼稚園児のような姿に…?」㌔㍉「わかりまちぇん、あさおきたらこーなってまちた。
じょーほーとーごーしねんたいともこんたくとできないでちゅし…。かいちょー、わたしこれからどーちたらいーんでしょーか?」会長「いや、俺にそう訊かれてもなあ」
近所の奥様方「ちょっとアレ…白昼堂々変質者じゃ…( ´д)ヒソ(´д`)ヒソ(д` )」
会長「ワケが分からんが、とにかく状況を整理しよう。わざわざ俺を訪ねてきたという事は、例の情報操作能力とやらも使えなくなっているんだな?」㌔㍉「ええ、おさっしのとーりでちゅ」会長「同じマンションの長門くん、彼女の助力は仰げないのか」㌔㍉「いちおーへやはたずねてみまちたけど、けさはもうがっこーにむかってちまったあとみたいで」会長「携帯で連絡を取れば良かろう」㌔㍉「それが…わたしたちはそのきになれば、けーたいでんわをかいさなくてもかいわができるので、ながとさんのばんごーはとーろくちてなかったんでちゅ」会長「で、いざ情報操作が出来なくなったら困り果ててしまった訳か。まるで停電時のオール電化の家のような有様だな」㌔㍉「すみまちぇん、いまのわたしはほんとーにやくたたずで…」
会長「………デコピン」㌔㍉「あいたっ!」会長「くだらない事をぬかすな。お前が情報操作だの何だのの宇宙人パワーを持っていたから、だから俺はお前と付き合っていたとでも思っているのか」㌔㍉「か、かいちょー?」会長「たとえ見た目が幼稚園児でも、お前は確かに喜緑江美里なのだろう。ならばそれだけで、俺にはお前を助ける理由足りえる。 分かったな。つまらん卑下など口にしている暇があったら、お前も現状打破のために、もっと建設的な対処法を考えてみせろ」㌔㍉「………おおせのとーり、どりょくしまちゅ。それと、かいちょー」会長「ん、何だ?」㌔㍉「いまのかいちょーのおことば、とってもうれちかったでちゅよ。チュッ」会長「…のん気にじゃれ合っている場合ではないだろうに」㌔㍉「うふふ、たよりにちてまちゅからね☆」
近所の奥様方「本物、本物よアレは! 警察呼びましょう警察…( ´д)ヒソ(´д`)ヒソ(д` )」
会長「ともかく、その容姿では学校にも行けまい。急病とでも連絡しておくべきだな」㌔㍉「はい、でも…」会長「どうした、北高の番号も登録していないのか?」㌔㍉「いえ、そーじゃなくて。いまのわたしのこえでは、きっとれんらくちても、きみどりえみりほんにんだとりかいちてもらえないんじゃないかと」会長「むう、確かに。子供のイタズラと思われるのがオチか」㌔㍉「わたし、ひとりぐらしでちゅし…じょーほーそーさにたよってまちたから、おとなのしりあいもとくにいまちぇん。どうしまちょう」
会長「………ピッポッパッ」㌔㍉「かいちょー?」会長「先生ですか。ええ、私です。朝方から突然のお電話申し訳ありません。 実は隣のクラスの喜緑くん、はい生徒会書記の彼女ですが、急な発熱を患ったとの事なので担任の先生にその旨ご連絡を願います」㌔㍉「…………」会長「そうです、本人は電話に出るのもつらい様子ですので。…なぜ私がその状況を知っているのか、ですって? ハッ、これはまた教師とも思えない愚昧な質問を。我々が互いに信頼を寄せ合う間柄だから、に決まっているでしょう」 ㌔㍉「…………」会長「時間も有りませんので、込み入った話はまた後ほど。では。ピッ」
㌔㍉「だめじゃないでちゅか、かいちょー。せんせーにあんなくちのききかたをちて」会長「こういう場合は、こちらのペースで強引に話を押し進めるに限る。無理が通れば道理が引っ込むという奴だ」㌔㍉「でもあれではきっと、せんせーはわたしたちのことを…ないしんてんにひびきまちゅよ?」会長「ああ、まったく困った事だ。だが物事には優先順位という物がある。いま第一に考えるべきは内申点では無いのだから、この損失も致し方あるまい。まあキミの姿と力が元に戻ったなら、せいぜいフォローでもしておいて貰おう」 ㌔㍉「………かいちょーったら。ギュッ」
会長「どうあれ、連絡は済んだ。今日一日は大手を振って休むがいい。では、家まで送って行こう」㌔㍉「そんな、ひとりでだいじょうぶでちゅよ」会長「馬鹿を言え。服も靴もぶかぶかだし、とても大丈夫そうには見えん」㌔㍉「でも、いまからわたしをマンションまでおくっていったら、かいちょーがちこくしちゃいま…」会長「お前のペースで一緒に歩いていったなら、確かに遅刻するだろうな。だったら、こうすればいいだけの話だ。ヒョイ」㌔㍉「きゃっ!?」会長「少し揺れるが、我慢しろよ」㌔㍉「は、はい。あっ、でもかいちょー…」会長「何だ?」㌔㍉「どうせならかたにかつぐより、おひめさまだっこでおねがいしまちゅ。ポッ」会長「だから、じゃれ合っている場合ではないというのに…。仕様のない奴だな、行くぞ」㌔㍉「うふふ、えみりはしあわせものでちゅ☆」
近所の奥様方「ああっ、ついに実力行使に!? 幼女をさらって逃げたわ! 警察はまだなの警察は!( ´д)ヒソ(´д`)ヒソ(д` )」
会長「よし、マンションが見えてきたな」㌔㍉「…………」会長「どうした、喜緑くん。具合でも悪いのか?」㌔㍉「そうじゃありまちぇん。ただ、かいちょーが…」会長「俺が?」㌔㍉「かいちょーが、このままわたしをどこかへさらってくれたらいいのにとおもって」会長「まさか、本当に熱を出したんじゃあるまいな。まるで風邪を引いた子供のような事を言う」㌔㍉「ぷぅ。わるかったでちゅね、どーせいまのわたしはこどもでちゅよっ」会長「拗ねるなよ。お前もいろいろと不安なのだろうが、今はおとなしく待っている事だ。放課後になったらプリンでも買って来てやるから」㌔㍉「…ふあんなんてありまちぇん。だってはくばのおーじさまが、きっとわたしをもとのすがたにもどちてくれまちゅもの。チュッ」会長「喜緑くん?」㌔㍉「うふふ、いまのはいってらっちゃいのきすでちゅ。ここからはもうわたしひとりでだいじょーぶでちゅから、かいちょーはどうぞがっこーへ…」??「ぬわーっ! き、き、貴様ーっ!」
会長「なんだ? 警官が俺たちに一体何の用…」警官「貴様だなッ、通報にあった幼女誘拐犯というのは!? 真っ昼間っから幼気なおにゃのことチッスなんぞしやがって、許さんっ! 許さんぞ貴様! っていうか俺と代わりやがれ!スチャッ」 会長「なっ、いきなり銃を!?」㌔㍉「きゃ!?」
警官「ぐへへ、もう安心だよそこのぷりちーお嬢ちゃん! いまこのカッコいい口谷巡査が助けてあげまちゅからねぇー! そのあと派出所でケガが無いかじっくり取り調べ…いや、いっそ家までお持ち帰りぃ!」㌔㍉「ひゃああああ!」会長「ふざけるなこのペド野郎!ゲシッ」口谷「ほげえー!?」会長「喜緑くんが怯えているだろうがっ! まったく、こんな奴が警官とは世も末だ」㌔㍉「まもってくださってありがとーございまちゅ、かいちょー。でも…」会長「ん?」㌔㍉「だいじょーぶでちょーか、このひと。しろめむいちゃってまちゅけど」会長「うーむ、つい本気で顔面にシャイニング・ケンカキックを叩き込んでしまったからな。まあそれは自業自得だから同情の余地なしとして、そういえばこの警官、さっき誘拐犯がどうのこうの言っていたようだが…?」
??「もう、口谷ったらどこ行っちゃったのかな。30年間ナンパ成功率0%だからって、歪んだ方向に先走ってなきゃいいんだけど…あっ!?」会長「むっ、言ってるそばから警官がもう一人」
警官2「く、口谷!? 大変だ、こちら田木国巡査部長、口谷巡査が道端でのびています! 至急応援の手配を…」㌔㍉「かいちょー、なんだかまずいふんいきじゃありまちぇん?」会長「そのようだな。とにかく、逃げるぞ!ダッ」田木国「あっ、待ちなさいそこの学生、こらーっ!」
会長「タッタッタッふう、どうにかあの警官は撒いたようだが」㌔㍉「じょーきょーからさっするに、かいちょーがゆうかいはんにんだとかんちがいされているよーでちゅね」会長「ふざけるな、俺のどこを見れば誘拐犯だなどと――」
㌔㍉「………たしかかいちょーは、みるからにあくやくっぽいかおつきなので、すずみやはるひのかたきやくにばってきされたのでは」会長「あー、もういい分かった! それ以上言うな!」㌔㍉「なかないでくだちゃい、かいちょー。えみりがついてまちゅ」会長「泣いてなどいない!」㌔㍉「それはさておき、いまのわたしはみもとふしょーでちゅから、もしつかまったらかいちょーはものすごくふりでちゅよ」会長「なりゆきとはいえ、先程の変態警官もぶっ飛ばしてしまったしな。弁解の余地なしか。しかし、これからどこへ向かえば…」警官3「あっ、いたぞー!」会長「ぬわっ、また別の警官が!?」㌔㍉「じんかいせんじゅつはけーさつのとくいわざでちゅものね」会長「冷静に解説してる場合か! 逃げるぞ、しっかり掴まってろ!ダダッ」
会長「はあっ、はあっ…さすがに息が切れてきた…」㌔㍉「こーこーせーのくせに、たばこなんてすってるからでちゅよ。かいちょーはふだんからもっとせっせいするべきなんでちゅ」会長「誰のせいでこんな苦労をしていると思っとるんだキミは!?」㌔㍉「あっ、むこうからもおまわりさんが」会長「ええい、しつこい連中め! 少しは休ませろ!タッタッタッ」
会長「ぐうっ、ダメだ…やはりこれ以上は、体力の限界が…。しかしバスやタクシーを使おうにも、子供連れではいかにも目立つし…どうしたものか…」㌔㍉「………ごめんなさい、かいちょー」会長「ああ?」㌔㍉「わたしのせいでごめいわくをおかけちて。もうじゅうぶんでちゅ。わたしをおいてにげてくだちゃい。かいちょーおひとりなら、もしかちてにげきれるかも…あいたっ!」
会長「それ以上ほざいたら怒るぞ、馬鹿者め」㌔㍉「か、かいちょー?」会長「さっき『俺を頼りにしている』と言っただろう。アレは嘘か?」㌔㍉「うそじゃありまちぇん! ありまちぇんけど、でも…」会長「何にせよ、お前を助けると決めたのは俺自身だ。ここで今さら尻をまくれば、たとえ逃げおおせたとて、俺は俺自身に失望する。 そんなのは御免だ。たとえどれほど馬鹿な選択だろうと、俺は俺の決断に責任を取る。お前も俺を頼ったなら、最後まで俺についてこい。いいな」㌔㍉「………はい。えみりはすべてをかいちょーにおまかせしまちゅ。チュッ」会長「じゃれ合っている場合ではないと何度言えば分かるんだお前は」㌔㍉「うふふ、いまのはちかいのきっすでちゅ☆ …ハッ」
警官4「そっちの様子はどうだー!ドカドカドカ」警官5「まだ見つかりません!」会長「くそっ、もう追っ手が来たか。ここは隠れてやり過ごすしかないな…」㌔㍉「ドキドキドキドキ」
警官4「早く探し出すんだ! 犯人は見るからに冷酷非道な、悪魔のような目付きの男だと言うぞ! さらった幼女にどんな残虐な真似をしでかすかもしれん!」警官5「分かりました! 全力で捜索します!」警官4「ああ、だが奴は凶器を隠し持っている可能性もある。仮に発見しても犯人を刺激しないよう、慎重にな!」警官5「了解です!タッタッタッ」
㌔㍉「…………」会長「…………」㌔㍉「なんだか、じょーきょーがどんどんわるくなっているみたいでちゅ」会長「ああ、そのようだ」㌔㍉「なかないでくだちゃいね、かいちょー。えみりがついてまちゅから」会長「だから泣いてなどいないと言ってるだろうが!」
警官6「こっちで声がしたぞー!」会長「しまった!?」
㌔㍉「あしおとがだんだんちかづいてきまちゅね…」会長「うむ、人数も増えてきたようだ。このまま物陰に隠れていても、埒が明かないか。といって、体力的に逃げきるのも難しい。 すまないな、喜緑くん。さんざん偉そうな事を言ってきたが、これ以上は…」㌔㍉「てやっ!ポカン」会長「っ!?」㌔㍉「あやまらないでくだちゃい。わたしのために、かいちょーはいっしょーけんめーはしってくれまちた。そんなかいちょーは、うちゅーいちかっこよかったでちゅよ。 かいちょーはさいごまで、きぜんとしたかいちょーでいてくだちゃい!ギュッ」会長「…そうか、そうだな。元より、俺は自分の行動になんら恥じる所は無い。捕まるなら捕まるで、堂々と捕まってみせよう。ギュッ」㌔㍉「かいちょー…」
警官7「そっちの路地裏はどうだー?」警官8「見てきます!」会長「俺たちの逃避行も、どうやらここまでか」㌔㍉「………っ」警官7「どうだった?」警官8「いえ、誰もいませんでした!」警官7「じゃあ次は向こうだ。行くぞ!」警官8「はい!タッタッタッ」
会長「…どういう事だ、これは?」㌔㍉「いまのおまわりさん、わたしたちのめのまえをすどーりしちゃいまちたよ?」??「それは、わたしが不可視遮音フィールドを展開したため」
㌔㍉「そのこえは…ながとさん!?」長門「間に合って良かった。スタッ」会長「キミか。だがどうしてここに…?」
長門「『機関』の諜報部が、警察無線を傍受した。その幼児略取誘拐犯の被疑者が生徒会長に、連れ去られた幼児の容貌が喜緑江美里のそれに酷似していたため、古泉一樹経由でわたしに確認の連絡が入った」 ㌔㍉「それでここまできてくれたんでちゅね」長門「学校関係者には、既に情報操作を施してある。警察関連にも『機関』の手が回るはず」会長「そうか、何にせよ長門くん、キミのお陰で助かった。礼を言う」長門「構わない。あなたたちが逮捕されれば、おそらく涼宮ハルヒにも悪影響が出る。わたしはそれを防いだまでのこと。 それに…この件に関しては将来的な意味で、わたしも他人事ではないから…」会長「………? どうも話が見えないが、ともかく今度こそ帰れそうだな。では行こうか、喜緑くん。ヒョイ」㌔㍉「はい、かいちょー。ギュッ」長門「…………」
㌔㍉「はいどーぞ、おれんじじゅーすでちゅ」会長「うむ、ありがとうゴクゴクッ。ふー、ようやく人心地がついた」㌔㍉「わたしをかかえたまま、えんえんおいかけまわされてまちたものね。ごくろーさまでちた」会長「まったく、何の因果で俺があんな目に」長門「…それは仕方の無いこと。あなたにも問題の一因があるのだから」
会長「なにっ、喜緑くんが縮んでしまった原因が俺にもあるだと?」㌔㍉「わたしのじょーほーそーさのーりょくをふーいんするくらいでちゅから、てっきりてんがいりょーいきか、てきせーそんざいがらみかとおもってまちたが?」会長「と言うより、長門くんは既にこの件の全容を理解しているようだな。だったら、まずは喜緑くんを元に戻してくれたまえ」㌔㍉「そうでちゅね。ながとさん、おねがいしまちゅ」長門「…それは出来ない」会長「なんだと?」長門「正確に言えば、対処そのものは可能。しかし、あなたたちはその対処法を肯定しないと考えられる」㌔㍉「わたしがもとにもどることを、わたしたちがのぞまない?」長門「何故なら根本的な原因は、喜緑江美里に内在するから。そもそもあなたの外見、そして精神面までを若干退行させたのは、あなた自身の情報操作能力――」
会長「つまりキミは、喜緑くんが自分で自分を縮め、情報操作能力をも放棄したとでも言うのか?」㌔㍉「そんな!? わたしにはぜんぜんみにおぼえがありまちぇん!」長門「そう、喜緑江美里の身体構成情報を改竄したのは、喜緑江美里本人ではない。でもそのために使われたのは、間違いなく喜緑江美里の情報操作能力」
㌔㍉「わたしじゃないものが、わたしのちからをつかった?」会長「まるで謎掛けだな。サッパリ意味が分からん」長門「そんな事はない。あなたには思い当たる節があるはず」会長「馬鹿な。それこそ俺には喜緑くんに危害を与える必要性もメリットも無―― いや、待てよ? 『根本的な原因は喜緑くんに内在していて』『問題の一因が俺にある』。長門くん、キミは先程そう言ったな?」長門「………コクリ」会長「そして喜緑くんを幼児化させたのは、喜緑くんの能力にアクセスできる存在。という事はつまり…そういう事なのか?」長門「………コクリ」
会長「なんて事だ。いやしかし、そう考えれば確かに――」㌔㍉「かいちょー? どーしたんでちゅか、きゅーにそわそわして」会長「あー、その…。何故だか妙に喉が渇いてしまってな、ハハハ…」㌔㍉「? じゃあ、じゅーすのおかわりをおもちしまちゅね」会長「いや、いい! キミはそこに座っていたまえ、自分の分は自分で注ぐから!バタバタ」㌔㍉「かいちょーったら、そんなにあわてなくてもじゅーすはにげまちぇ…あっ!?」
会長「うぐおおおお!?」長門「…柱の角に足の小指をぶつけた」会長「い、いや痛くない、痛くないぞ…うおぅ!?」㌔㍉「きゃっ!」長門「…バランスを崩してキッチンのシンクに倒れ込んだ」会長「ぐほう!? 思いきり胸を強打し…のわああ!」㌔㍉「あああ…」長門「…起き上がろうとして水道の取っ手を掴んでしまい、頭から水浸しに」会長「げほげほげほげほっ!」㌔㍉「だ、だいじょーぶでちゅか、かいちょー!? はい、タオルでちゅ!フキフキ」
会長「ああ、すまん。迷惑を掛けるな、喜緑くん」㌔㍉「いまさらなにをいってるんでちゅか、かいちょーったら。らしくもない」会長「………喜緑くん。ギュッ」㌔㍉「きゃ!? ど、どうちたんでちゅか、かいちょー? ながとさんがみてまちゅよ?」会長「身体に不具合は無いのか? まだ自覚症状は無いようだが」㌔㍉「ふぐあい? じかくしょーじょー? いったいなんのことでちゅ?」会長「あー、つまりその、要するにだな」
長門「彼が懸念しているのは、あなたが懐妊した事による体調の悪化」㌔㍉「ああ、なにかとおもったらそんなことだったんでちゅか。だいじょーぶでちゅよ、ふぐあいなんてちっとも………って、えええええっ!?」
㌔㍉「か、懐妊って、わたしがでちゅか!?」長門「そう、正確には妊娠2ヶ月と14日11時間35分」㌔㍉「そんな、しんじられまちぇん! たしかにみにおぼえがないこともないでちゅし、こんげつはちょっとおくれぎみかなーとかおもってまちたけど、でもわたしのこのちいちゃなおなかのなかに、あかちゃんがいるなんて…」 会長「いや、むしろ逆だな。その腹に赤子を身籠ったからこそ、キミは幼稚園児のような身体に変化してしまったのだろう」㌔㍉「えっ?」
会長「キミたちも知識としては知っているだろうが…人間の赤ん坊は、自力では生きていく事が出来ない。何者かの介助が必要だ」㌔㍉「はあ」長門「…………」会長「それ故に赤ん坊というのは、その表情から仕草のひとつひとつまで、全てが自然と愛くるしいものなのだそうだ。無論、意識的にそう振舞っている訳では無く、最初から本能としてインプットされているのだろうがな。実際、人間でなくとも仔猫の遊び回っている様など、理屈抜きに愛らしいものだ」 ㌔㍉「そ、それじゃ、わたしのしんたいじょーほーをかいざんちたのは…?」会長「うむ、これはあくまで仮説だが―― おそらくキミの中に芽生えた命も、本能的に『庇護欲をそそる姿』であらんとした。その要求に、キミの情報操作能力が応えた。結果として、キミは幼児然とした姿になってしまった。こんな所か、長門くん?」
長門「おおむね正解。しかし、問題はそこでは無い。肝要なのは、あなたたちがこれからどう対処するのか」㌔㍉「あ…さっきながとさんがいっていた、たいしょほうって、まさか…?」長門「そう、あなたの中の胎児の有機情報連結を解除すること――」
㌔㍉「だ、だめでちゅよ! みとめまちぇん、そんなっ…!」長門「あなたの反応は、わたしにも理解できなくはない。けれども現実に、問題は山積み。かつてヒューマノイドインターフェースが妊娠、出産した例は無い上、下手をすれば情報統合思念体は不適格端末として、喜緑江美里そのものを消去しかねない」 ㌔㍉「でも…」長門「今回はあなたという個体のみの情報改竄で済んだ。しかし胎児の意識があなたの能力と直結し得る以上、次は無秩序な改竄が行われる可能性がある。その脅威は、あなたも理解しているはず」 会長「そうだな。まあ見た目完全に幼稚園児が、お腹の子を産むとか言っている時点でシュールと言うより他に言葉が無い訳だが」㌔㍉「か、かいちょー!?」
会長「長門くんが言うような超常的な問題はさて置いても、子供を育てるというのは生半可な事では無いぞ。食事やオムツの用意、夜泣きや急な発熱への対応。まともな大人でさえ、育児ノイローゼに陥ってしまうほどだ。ましてや俺たちは、大人ですら無い」 ㌔㍉「それは…わかっていまちゅ! わかっていまちゅけど、それでもっ…」会長「分かっている? 本当にか? 今日の一件でも、俺たちは長門くんや『機関』の支援無しには、このマンションに戻ってくる事さえ出来なかった。ここから先は、周囲にさらに多大な迷惑を掛ける。その事実を本当に理解しているのか?」 ㌔㍉「じゃあ…じゃあ、かいちょーはわたしに、このこを…」
会長「ああ。それを踏まえた上でなお、お前にその意志があるのなら。俺はお前に、俺の子を産んでほしいと思っている」㌔㍉「このこをおろせと…。そうでちゅよね、しょせんわたしとはおあそびのかんけーだったんでしょう。ぐすっ、でもいーんでちゅ、あなたとひとばんのゆめをみれただけで、わたしは………えっ?」 会長「さっきから何を一人でブツブツ言っている? 大事な話だ、きちんと聞け」㌔㍉「は、はいっ」
会長「今日ここに至るまで、俺はさんざんお前に振り回された。いや、正確には俺もお前も、お腹の子に振り回されたと言うべきか。とにかく、俺は大迷惑をこうむった」 ㌔㍉「…………」会長「そう、朝っぱらからワケの分からん展開に放り込まれ、警察にも執拗に追い立てられて、確かにいい迷惑だった。そのハズなんだがしかし、俺はそんなに悪い気はしていなかったんだ。 むしろ充足を覚えていた。お前をこの腕に抱え、お前のために駆けずり回る事に。奇妙な生きがいすら感じていた」㌔㍉「かいちょー…」会長「おそらく、この先に待つのは荊棘の道だ。客観的に見れば長門くんの言う解決策の方が、まず間違いなく正しいのだろう。だが、それは損をしないための選択だ。代わりに何も得られない。だから俺はそれを拒む。敢えて生きがいのある苦難の道を征く。 現実を無視した、若造の甘い夢と笑うなら笑え。けれども今日、お前を抱えて右往左往する中で、俺はひとつの未来を見た。出来るなら俺は、喜緑くん、キミとキミの中の子と共に、その未来に向かって歩みたい」
㌔㍉「………もう。 なにいっちゃってるんでちゅか、かいちょーったら。らしくもない」会長「喜緑くん?」㌔㍉「わたしのこたえなら、とうにおきかせしたはずでちゅよ。『えみりはすべてをかいちょーにおまかせしまちゅ』って。 なのに、できればあゆみたい、なんてよわきなことじゃだめでちゅ。かいちょーはもっときぜんとちて、わたしにごめーれーくだちゃい」会長「…そうだったな。よし、分かった。いいか、一度しか言わないからよく聞け喜緑くん。いや、江美里!」㌔㍉「はい」会長「この俺が全力でバックアップを務めてやる! だからお前は、全身全霊を尽くして無事に俺の子供を産め! いいな!」㌔㍉「はいっ、かいちょー! えみりはつくしまちゅ、つくしちゃいまちゅ☆ギュッ」
会長「こら、強く抱きつき過ぎだ! お腹の子に障るだろうが…んっ?」㌔㍉「ええっ!? わたしのからだが…パァッ」会長「き、喜緑くんが突然、光の粒子に包まれて…」喜緑「元の姿に…戻った?」会長「これは一体、どうした事だ?」
長門「…正確な所は、わたしにも分からない。だからこれは推測」会長「長門くん?」長門「先にも述べた通り、この一件の根本は喜緑江美里の中の胎児による、無自覚な情報操作に起因するもの。つまり、あなたの外見が元に戻ったのも、おそらく意識して行われた行為ではない。ただ…」 喜緑「ただ?」長門「意識は無くとも、知覚はしたのかもしれない。自分の存在を肯定し、庇護し、慈しもうとする存在を。 有機生命体の概念で言うならば、『両親の愛情に触れて、安心した』。それ故にあなたの胎児は、占有していた情報操作能力を母体に返上したのかも」会長「…………」喜緑「…………」
会長「『両親』か。改めて言われるとこう、気恥ずかしいものだな」喜緑「それに、赤ちゃんに信頼されたのは嬉しいんですけど、わたしには誰かに育てられた経験というものが無くって…。今更ですがそんなわたしでも、ちゃんと母親になれるのでしょうか?」
会長「さあな」喜緑「さ、さあなって、会長!」会長「長門くんの話では、ヒューマノイドインターフェースが妊娠、出産した例はこれまで無いのだろう? ならば考えるだけ無駄というものだ。 考えるのが無駄なら、まずは行動しろ。良い母親になるために、思いつく限りの努力をしろ。結果など、いずれ後から付いてくる」喜緑「あ…」会長「まあ一概に頑張ればいいという訳でも無いのが、子育ての難しい所なんだが。それでも俺たちは、もはや悩む段階には無い。なれるのか、ではなく、絶対にならなければいけない。そう思え。俺とて、父親になる自信など有りはしない。ただ父親になろうと努めるだけだ」 喜緑「は、はい。わたしも同じく努力いたします!」
長門「………結論は、それで良い?」会長「ああ。長門くんも言いづらい事を、よくずけずけと指摘してくれた。キミのお陰で俺たちの覚悟は決まったような物だ。感謝するぞ。 それと、これからもいろいろ迷惑を掛けるかもしれないが…」長門「いい。あなたたちは胎児から『扉』と『鍵』として選ばれた。二人協力して未来を開くのが、あなたたちの役目。わたしも応援する。頑張って」
会長「そ、そうか。ありがとう。しかし…」喜緑「何なんですか長門さん、その仕草は。恥ずかしいから止めてください」長門「なぜ? わたしは左手の指で作った輪に右手の人差し指を出し入れしているだけ。これは『扉』と『鍵』を模したジェスチャー。特に深い意味は無い。ズボズボ」 会長「…多分、俺たちはこれから皆にこうしてからかわれるのだろうな///」喜緑「…か、覚悟しておきましょうね///」長門「ズボズボ」
《エピローグ》
ぴちょんと天井からしたたり落ちてきた水滴に、俺はハッと我に返った。
いかんな、湯船で少しうつらうつらしてしまったようだ。子育てをしながらの学生生活というのは、確かに楽ではないのだが…。無事に卒業、就職の目処も立ち、この春からは俺もいよいよ社会人となる。過度な緊張などはしていないが、一家の大黒柱として担うべき責任というものもあるし、少々気を引き締めて掛からなければな。 そう思いながらも、フッと軽い笑みなど浮かべてしまうのは、一時の苦労もいつかは良い思い出になる事を知っているからなのか、それとも…。
やはり、目の前で「んしょんしょ」と髪を洗っている小さな娘の、一生懸命な様がどうにも愛らしいせいか。 母親譲りの美しい髪だ。もう少し短めの方が手入れは楽だと思うのだが、娘は頑としてその提案を受け入れない。どうしても母親と同じような髪型でいたいようなのだが、はて、この意固地さは一体どちらの遺伝形質なのだろうな。
「どーしたの、パパ。ぼーっとしちゃって?」「いや、何でもない」
考え事をしている間に、娘は頭を洗い終わっていたようだ。シャワーのバルブをひねり、適温のお湯で隅々まで泡を洗い流してやると、娘はぷるぷると子犬のように身体を震わせて、浴槽の中に入ってきた。俺の隣で体育座りに膝を抱え込んだ娘は、そうして、まだ舌足らずな声で数を勘定し始める。
「いーち、にーい、さーん、しーい、ごーお…」
ここまでよく無事に――まあ、トラブルが無かったと言えば嘘になるが――ともかく真っ直ぐ元気に育ってくれたものだ。ふむ、そういえば今の娘は、あの事件の時の妻と同じくらいの年格好か。
今にして、時々思う事がある。長門くんはあの一件を『胎児が自己保全のために引き起こした事』だと言っていたが、しかし見方を変えれば、あれは娘が俺たちに課した試練だったのではないかと。
もしもあの事件が無かったら、俺は「喜緑くんと俺の子を守る」という選択を受け入れられただろうか。いくら強がってみても、俺は所詮、一介の高校生だった。彼女を妊娠させたという事実、その重圧ににビビって、ともすれば何もかも放り捨て、闇雲に逃げ出していたかもしれない。 今になって考えてみても――いや、今だからこそ確信を持って言えるのだが、一般的に見れば長門くんの意見は正しかった。高校生の分際で家族を持ち、それを守り通すというのは、並大抵の心持ちでは務まらない。強い自負と覚悟が必要なのだ。
そう、あの試練を乗り越えたからこそ、俺はその自負と覚悟を抱く事が出来た。つらく苦しい時にも歯を喰いしばって踏ん張り、耐え抜く事が出来た。だからこそ現在の安息がある。その点で、俺は妻と娘に感謝するべきなのだろう。 そしてもう半年もすれば、俺にはさらに………バシャッ!
「うおっ!?」「もーっ、パパったらやっぱりぼけーっとしてるっ! せっかくちえりがいっしょにおふろにはいってあげてるのに。おはなしもきいてくれないパパなんて、だいきらい!」 「ああ、すまんすまん。別に小江理を無視してた訳じゃない。むしろ小江理の事を考えていたんだ」「ほんとーに?」「本当に。神様仏様、それから長門のお姉ちゃんに誓ってもいいぞ」「…じゃあ、ゆるしてあげるけど」
そう言いながらもまだ拗ねているらしく、顔半分を湯船につけて口からぷくぷくと泡を吐くその様子に、俺は苦笑しながら愛娘の頭を撫ぜた。
「仕方がない、話しておくか。ママからは安定期に入るまで伏せておいた方が、と言われていたんだが」「えっ? なあになあに、ひみつのおはなし?」「うん。実はな、小江里がいい子にしていたからプレゼントが届いたんだ。小江里は今にお姉ちゃんになるんだぞ」「おねえちゃん? ゆきおねえちゃんみたいな?」「そうだ。弟か妹かは、まだ分からないがな」
不思議そうにぱちぱちと目をしばたたかせた娘は、急に真面目な面持ちで、俺に向かって訊ね掛けてきた。
「ん、でも…ちえり、ちゃんとおねえちゃんになれるかなあ」「ふむ? どうした、不安なのか」「ふあんじゃないもん! ふあんじゃないけど、でも…」
言葉を詰まらせてしまう娘の洗いたての髪を、俺はわざと、わしゃわしゃ掻き回してやった。
「大丈夫だ。パパもママも、ちゃんとパパやママになれる自信など無かった」「そーなの?」「ああ。それでも目の前の片付けなきゃならない物事を必死で片付けている内に、いつの間にかパパとママになっていた。そういうものだ。 小江里、お前も頑張れば、ちゃんと立派なお姉ちゃんになれるさ」「そっかぁ…うふふ、ちえりがおねえちゃんかぁ…」
はにかみながら、娘は照れくさそうに湯船にまた半分顔を沈める。幼い瞳が見上げる視線を追って行けば、その先には夜空があった。 浴室の小窓の彼方には、小さな命のように、星々が無数に輝いていた。
きみろりさん おわり
このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー と 利用規約 が適用されます。
1文字以上入力してください
本文は少なくとも1文字以上必要です。
1文字以上入力してください。