あらしのよるに
暴風のせいでがたがたと不規則に鳴るサッシに目を向ける。カーテンを閉める前に確認した限り、帰宅した夕方にくらべてずいぶん風も雨も強くなっていた。台風が近づいているせいで天気が不安定になっているらしい。こういう日には、閉鎖空間には発生して欲しくないと特別強く思ってしまう。暴風雨の吹き荒れる夜と、あの空間の中の色はとてもよく似ているから尚更。ああ、でも最近はずいぶん閉鎖空間の発生頻度も規模もおさまってきている。良い傾向だ。軽く頭を振って思考を切り替え、数学の予習をしようと教科書とノートをひらいた時、時計がわりに手元においてあった携帯電話が着信を伝えた。短いメロディが五秒間だけ流れて止まる。メールだ。閉鎖空間の発生は感知されていないし、そもそも機関からの連絡は電話で来るのが常だったし確実なはず。涼宮さんがまたなにか思いつきでもしたのだろうか。それとも、彼がなにか悩み事でも相談しようと連絡してきたのか。送信者についてあれこれ考えをめぐらせながら新着メールをひらくと、予期せぬ名前が表示されていた。 発信:長門有希件名:non title本文:こんばんは 面食らった。出会ってから一年以上がたち、それなりに友好的な関係性を築いてきているとは思っている。彼女も、出会った頃とは比較にならないほど喋るようになってきている。けれど、長門さんはこんな内容の無いメールを寄越すようなひとだったろうか。いつも部室で静かに本を読み続けている長門さんと、このメールがあまりにも重ならなくて、僕は無意味に携帯電話をとじたりひらいたりした。――当たり前だがそんなことをしても疑問が解消されるはずがない。なにか、言い難いことなのだろうか。具体例なんてひとつも浮かばないけど。 件名:こんばんは本文:どうされましたか。なにか用事でも? 当たり障りの無い、というか、素直に浮かんできた疑問を尋ねてみる。一呼吸置いて返ってきたのは、やはりそっけないメールだった。 件名:Re:こんばんは本文:用事は無い ただなんとなく 句読点すらないその文面は、さらに僕を困惑させる。一体どうしたというんだろう。ヒマ潰しにメールで雑談? 長門さんと僕が?時間を刻む秒針の音すら忘れて、携帯電話のディスプレイを見つめる。ざあ、雨音が一際大きくなった。とにかく、なにか返事をしなければ。珍しいですね、あなたがこんな時間に必要事項ではないメールとは。文章を入力しかけた時、カーテン越しでもはっきり分かるくらいの稲光が走り、大きな音が轟き、「……!」周囲が闇に包まれた。――落雷による、停電。蛍光灯もスタンドライトも消え、真っ暗な部屋のなかで手元の携帯電話だけがいやに白い光を放っている。そのあかりを手がかりに窓へ寄り、カーテンの隙間から外を伺ったが、病院などの非常用電源を備えた施設以外はやはり給電が途絶えているらしかった。一面、黒い世界が広がっている。 閉鎖空間でさえ、ここまで暗くはならないだろうと思えるほどの夜の色。現代社会においてはなかなか見られない光景に圧倒されていると、持ったままだった携帯電話がメールの着信を知らせた。 件名:non title本文:そちらも停電している? 長門さんだ。そういえば、先ほどのメールにまだ返事をしていない。どうするべきか。しばし迷った結果、僕は携帯電話のメール画面を閉じた。変わりに電話帳からあるナンバーを呼び出す。数秒の呼び出し音ののち、通話状態になった。「もしもし、長門さん」『……』「こんばんは。そちらは大丈夫ですか?」『問題ない』メールでも電話でも変わらない、簡潔な応対に自然を唇が笑みの形になる。「それは良かった。僕の住んでいるマンションはけして古いわけではないんですが、こうも風が強い日だとどうしても雨音や風音が気になりますね」『……』「台風の影響が一番出るのは明日とニュースではいっていましたが、今夜がヤマかも知れません」『……』「ああ、こちらも停電していますよ。真っ暗です。長門さんは大丈夫ですか」そう口に出してからはじめて、そういえば長門さんもマンションに一人暮らしだったな、と思い出した。広い、自分以外誰も居ない部屋で、一人夜を過ごす。なにもない夜ならば慣れているだろう。けれど、こんな暴風雨の夜はどうだろうか。まして、落雷で停電してしまった夜なんかは。 『……大丈夫』その声がかすかに震えたようにきこえるのは、僕の幻聴なんだろう。「そうですか。正直なところ、僕は少し心細いですよ。やはり普段夜でも明るいのが当たり前な環境に囲まれていると、こういう状態になったときに急に不安になりますね」 『……そう』「ええ。周りの状況がなにも把握できないというのはとても心もとないです。それで、復旧するまででいいので話相手になっていただけると有り難いのですが、お願いできませんか?」 『かまわない』「ありがとうございます」長門さんの声は機械を通していてもいつもどおりの涼やかな声色で、まわりの様子が見えない現状、本当に隣に彼女がいて言葉を交わしているかのような錯覚を覚えた。 ここが僕の部屋で、携帯電話片手に喋っているだけだということは充分理解してはいたけれど。「それにしても案外長いですね、停電。普通、もっと早く復旧すると思われますが。そうそう、長門さん、アイスクリームが冷凍庫に入っていたりしませんか?」『わたしは買った記憶は無い。けれど、以前涼宮ハルヒがこの部屋にやってきたときに置いていったものがある可能性はある』「ああ、でしたら今食べてしまったほうがいいかもしれませんね。停電が長引くようでしたら。――あ、でも移動することが危険なようでしたら、アイスクリームは溶かしてしまったほうが良いですけど」 『視覚情報は少ないが、それくらいの移動なら支障はないと思われる』「はは、でも自分で言っておいてなんですが、こんな暗闇のなかで手探りでアイスクリームを食べるというのもなかなかシュールな図かも知れませんね」『それはそれでユニーク』透明度の高い長門さんの言葉を聞きながら、暗い部屋のなかだというのに僕は目を閉じた。耳に押し付けている携帯電話の光すら消える。反対の耳からは、飽きもせずに雨と風とが暴れ狂う音が入り込んでくる。 瞼の裏に長門さんが浮かんでくるようなこともなく、やっぱり変わらず暗闇だらけだったけれど、なぜだか場違いに安心感を覚えた。
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