一夏の恋4
残すところを徐々に減らしてゆく夏休みは、涼宮さんによって確実にプランを成し遂げつつ消化されていった。バッティングセンターに行き、花火大会に赴き、ハゼ釣りを楽しみ、肝試しに盛り上がった。 ――八月二十九日は、天体観測の日だった。当日、望遠鏡のセッティングの為に一足早く、僕は長門さんの居住区に失礼することになった。――そうは言っても、立ち寄るのは彼女の私室ではなく屋上。誘導に従って、階段を上る。高層マンションの、拓けた天上地点からの眺めは絶景だった。恒星を求めて仰ぐ空の先、肌に触れて往く風は、夕陽に染め上げられていた紫紺の空が深い闇に色を塗り替えても、まだ生温さを残していた。「案内ありがとうございます。後は一人で準備出来ますから、長門さんは戻って下さって結構ですよ」集合予定時刻まではもう少しであるから、じきに涼宮さん達も到着するだろう。担いでいたバッグを下ろしながら、微笑をオプションに、当たり障りない言葉遣いでやんわりと促す。 SOS団で過ごすうちに、腹に決めたことがあった。夏休みの最後まで、長門さんと『普通』に接する。どのみち――想いを明かす事は現状に幾許か変化を落とすことになり、それは機関の方針からしても好まざる傾向の筈。そもそもこんな非常事態に、自身の制御しきれない感情の矛先を垂れ流して、うつつを抜かしている方がどうかしているのだ。 森さんは軽快に背中を押すようなことを言ったが、相手が長門さんだとは彼女も考えていなかったからこそ、だろう。毎晩終始そのことばかり考えていた。どうやって「これまで」と変わりない態度を貫くか。おかげで引き続き睡眠時間を満足に取れず、自業自得という四字熟語を、今更に噛み締める羽目になっている。
「……」沈黙を守る長門さんは、何事かを問うように僕を見ている。……考えてみれば、じきに全員が集まるだろう時間帯に戻れというのも妙だろうか。「いえ、そうですね。一緒に皆さんを待ちましょうか」長門さんは無言の後、僕の提案を妥当と判断してくれたか、小さく頷きを寄越した。それから――それから、どうすればいい。二人きり、黙したきり立ち尽くすなどというのは、これまでの『普通』を目指すならあるまじき場面には違いなく。こういう際の僕なら、そう。可及的速やかに柔和な微笑を繕ってフェミニストらしく声を―― 「座りませんか、長門さん。立ち話も何ですから」何か言わなければの勢いにやられて、思考回路が滅裂になったとしか思えない。演技を通り越して滑り出た呆れ返るような文句に、自分の首を絞めるとはこういうことだと、よくよく僕は後悔した。これだけ彼女を意識して内心で焦燥にかられているのに、自分から隣り合わせを望むような台詞。愚考極まりない、と言うより既に冷静になれていない。 彼女の方は発言の意図をどう汲み取ったのか、傍のフェンスを背に、言われるがままに腰掛け、此方を見上げてくる。視線は待機モード。……腹を括るしかなさそうだ。そっと隣接位置、といっても一人分程度の幅は置いて、長門さんの横へと座る。これまではつかず離れず当たり障りない距離を保っていたため、これほど接近するのも実を言うと久しぶりのことだ。脈拍が信じ難い程に激しい。血管が今、膨張して破裂し僕がこのまま絶命しても僕自身きっと驚かない。 照明は、屋内に繋がるドア付近に備え付けられたものと、夜天に広がる月星、それから夜景に灯る人工的な明かりのみ。陰に在る長門さんは丁度斜め方向からの薄い光を浴びて、肌をいっそう白く浮き上がらせていた。蝉の羽化を知る人になら、喩えが通じるかもしれない。剥がれそうな淡い緑と銀燭をかがやかせたかのような、しわくちゃの羽が伸び上がってゆく、刹那の奇蹟を見るような。――大袈裟な比喩ではなく、あの日の僕にとっては確かに、そうだったのだ。熱中症に伏せた僕に降りた白い手と、瞳と。幻想的なまでに澄んでいたあの光景を、瞼の奥底に焼き留めて手放せないでいるのだから。
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