涼宮ハルヒの常駐
――その姿を見て何かを突き動かされたわたしは、このワーム(以下、「ハルにゃん」という。)の頭を撫でてみた。
――「ちょっとぉ~、やめてよぉ、くしゅぐったい~」
イラスト:白石梨乃(@thky0717)
わたしの情報制御網内に導入した、無害化したワーム。
このワームは、元は涼宮ハルヒの情報を無差別に収集するために作成されたもの。とある事情によりこのワームと関わったわたしは、人間の言葉で言うと「ペット」としてこのワームを「飼って」いる。
このワームは、自己増殖機能とネットワーク検出機能を削除した他は基本的に元の機能を保っている。すなわち、涼宮ハルヒの情報を入手するという、有機生命体の「本能」に当たる機能はそのまま保持している。
その「本能」を満たすと、このワームは「成長」する。ファーストコンタクト時の実験から、それは明らか。
そこで試しにわたしは、涼宮ハルヒの外観の情報を与えてみた。すると、このワームはその情報を与えてから500ミリ秒後に処理を開始した。その後ビジー状態が続いたため観測を継続した結果、5分16秒後に、このワームは大きなバージョンアップを遂げた。涼宮ハルヒ的な外観を有するようになったのである。
「的」と表現したのは、完全に同じではなかったから。飛躍的な性能向上が見られたとはいえ、元はごく小さな容量のプログラム。外観を完全に再現するまでには至らなかった。その姿は人間の概念で言うところの「デフォルメ」が施された……「かわいい」ものだった。
「ちょっと、ゅき! あたちのプリン食べたでちょ!?」
どこかの誰かさん……いや、端的に表現しよう。涼宮ハルヒよろしく、腰に手を当て、勇ましく人差し指を立てた姿で啖呵を切っているが、如何せんその姿はどう見ても三頭身……最大限譲歩しても四頭身にしか見えない。言語機能も未熟。余りにもユニーク。
その姿を見て何かを突き動かされたわたしは、このワーム(以下「ハルにゃん」という。)の頭を撫でてみた。
「ちょっとぉ~、やめてよぉ、くしゅぐったい~」
口では色々言っていても、身体は正直。目を細めて気持ち良さそうにしている。かわいい奴め。……何を考えているのだろう、わたしは。
少し「楽しく」なったわたしは、少しずつ涼宮ハルヒの情報を与えては、ハルにゃんの成長を観測していた。
今日もSOS団の活動が文芸部室で行われている。
とはいっても、「彼」は進路指導のため大幅な遅刻。古泉一樹はバイトと称した『機関』の会議で欠席。朝比奈みくるは校外の模擬試験受験のため早退。よって、部室には涼宮ハルヒとわたしの二人しかいなかった。
彼女から見て無口なわたししかいないためか、涼宮ハルヒは特にわたしと会話することもなく、淡々とPCを操作していた。
わたしは、そんな彼女を観測していた。普段のSOS団員に囲まれた状態とは違う環境下での彼女の情報を入手するため。
「有希~、つまんない~、構ってよぉ~」
ハルにゃんが騒ぎ出した。これは、入手した情報を整理統合し、コンパイルするモード。わたしはこれを「駄々っ娘ハルにゃん」と呼称している。このフェイズでは、「構ってやる」ことでハルにゃんの成長が促される。
というわけで、なでなで。
「にゅぅ~♪」
何とも「かわゆい」。目を細めて撫でられるがままになっているこのハルにゃんの姿は、今目の前にいる涼宮ハルヒの外観情報からレンダリングされたもの。現実で目にする事はない。
実はそのような状態になった涼宮ハルヒの情報は、これまで観測してきた中でもまだ入手できていない。何としても入手したい情報ではあるものの、涼宮ハルヒのこれまでの観測結果から導き出される予想では、そのような情報を入手できる確率は限りなく低い。期待値から考えると、代替手段を考察するべき。
わたしは、代替手段の可能性としても、ハルにゃんを育てている。涼宮ハルヒの情報を得て成長するこのワームを、「涼宮ハルヒシミュレータ」として利用する計画。
現在のところ、この計画が順調に進捗しているとは言い難い。
現実の涼宮ハルヒはこんなに「かわゆく」ない。しかしこのハルにゃんは、日に日に「かわゆさ」方面にすくすくと育っている。わたしは育て方を間違ったのだろうか。
「もっと、もっとぉ~」
少々構い過ぎ……過保護なのかもしれない。この表情には、何とも抗い難い奇妙な魅力がある。しかし、やはり時には突き放してみるべきだろうか。
わたしはフェイントで頭を撫でると見せ掛けて、脇腹をくすぐった。
「んにゃぁっ!? ちょっと、いきなり何すんのぉっ!?」
! ……新鮮な反応。このような情報は入手していないし与えてもいない。
まさか、「進化」が始まった?
わたしは自律進化の可能性に繋がる糸口を掴んだ「喜び」に「興奮」していた。このような驚愕した涼宮ハルヒの表情は見たことがない。
……待って。違う。何かが違う。何が違うって色々違う。何か根本的な事項が全然違う。
わたしは今何と考えた?
『このような涼宮ハルヒの表情は見たことがない』と。
そう、見たことがない。
……「涼宮ハルヒ」?
わたしの目の前には、驚愕する「涼宮ハルヒ」の顔があった。
…………
今起こったことを簡潔にまとめると、次のようになる。
すなわち、わたしはハルにゃんの脇腹をくすぐろうと思ったら、涼宮ハルヒの脇腹をくすぐっていた。
…………
「うかつ」
涼宮ハルヒは何か信じられないものを見たような表情で固まっている。どうする。どうしよう。
なでなで。
気が付くと、わたしは涼宮ハルヒの頭を撫でていた。
「はへゃっ!?」
間の抜けた声を上げる涼宮ハルヒ。わたしは状況を打開すべく、古泉一樹の行動パターンをシミュレートした。
「あなたが可愛いからやった。魔が差した。今は反省している」
彼女はあっけに取られた顔をしていたが、やがて身体をくねらせ始めた。
「ちょっと、も~。何よ有希、『魔が差した』って。あたしの頭、撫でたかったの?」
彼女はひどく赤面していた。
「そんなに有希が撫でたいんだったら、もっと撫でても良いわよ、いろんなとこ……」
…………
………
……
…
わたしは今、迷っている。
涼宮ハルヒに関する新たな情報を入手した。
わたしの膝枕で目を細めて撫でられるがままになっている彼女は、とてもとても「かわゆかった」。シミュレーションに過ぎない今のハルにゃんの仕草では及びも付かない。
この情報をハルにゃんに与えれば、ハルにゃん育成計画は飛躍的に前進するだろう。涼宮ハルヒシミュレータとして、極めて正確にその姿を映し出すことが予想される。
だから、わたしは迷っている。
「ゆっきー、抱っこぉ~♪」
正確な姿でハルにゃんに今のように甘えられたら、わたしが正常動作を保てる自信がないから。
注:この文書は、◆eHA9wZFEwwによって書かれた私家版である。
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