涼宮ハルヒのダメ、ゼッタイ五章
五章俺は今日も早朝のハイキングコースをいつものように歩いている。ただいつもと違う事が二つ。一つ目は今日が終業式ということ。だがこれは大した問題ではない。それよりも二つ目のことだ。
俺の体が絶え間なく『奴』を要求してくること。途中誘惑に負けて何度もカバンの中に手を伸しそうになった。そう、今俺の鞄には注射器が眠っているのだ。っといっても、もちろんまたそれに手を汚すことはしない。にしても、もううんざりだ。静まれ俺の体。あいつに会いたい。あの笑顔を……「キョン!!朗報よ!!」教室につくと何故か俺の席に座っていたハルヒは、俺の望みと寸分違わぬ100WATの笑顔で俺に、唾を吐き出しながらそう叫んできた。こいつの言う朗報とやらが、俺にとって良い方向に作用することは、とても稀なケースなのだが…今回はその稀なケースに事が進んで行くようだ。それが朗報の内容を聞かなくても、無条件で確信出来る。ああ…この笑顔のお陰で俺の中にいる『奴』の存在を忘れられる。アンダーグラウンドから、いつもの日常に戻って来たような安心感だ。「何惚けた顔してんのよ!」おっと、安心が顔にも出てたようだな。「…で何だ?朗報というのは?」いつもの口調を演出し、答える。「みくるちゃんよ!みくるちゃんが帰って来たの!昨日みくるちゃんから電話があってね!もうこっちの時代に来てるらしいわよ!」何てこった!こりゃ本当に朗報だ!まさかこいつからこんな良い報せが届くとは…思わず顔がニヤけてしまう。だけど一つ気になるな。「だがハルヒ、何でまた朝比奈さんが帰って来る事になったんだ?また力が戻りました、だなんてオチは、夢オチだけにしてくれよ?」そう思いたい。これ以上懸案事項を増やされたらマジでどうにかなっちまう。だけど朝比奈さんが戻って来る理由なんて、これくらいしか考えられない。「何よ、表情と言ってる事が一致しない奴ね!ホントは嬉しいくせに!」ああ嬉しいね、この上なくだ。「少しの期間だけよ!何かね?みくるちゃんがホームシック……いや、ホントは向こうが地元だからこんな言い方も変かもしれないけど、そんなのになっちゃったらしいのよ。何でもシロクジ中、あのテレパシーみたいな力で『ふぇ~~~ん、皆に会わせてくださぁ~い』って上の連中に頼み込んでたんだって!」それで上の連中がついに折れたって所か。まあ、あんな天使のような朝比奈ボイスでも夜な夜な聞かされちゃ精神も参るか。「ま、あたしの能力が消えて、少しは未来人達も少しは融通が利く用になったんじゃない?それともあたしが世界改変した時に、『みくるちゃんが意味もなく時間遡行しても問題のない世界になりますように!』みたいな感じでチョロっと改変しちゃったのかもね?無意識的に!」古泉みたいなことを言いやがった。ま、確信犯ではないようだ。「とにかく!!今日の放課後は久々に全員集合よ!」そう言うとハルヒは自分の席に戻って行った。放課後か…あの人の出してくれるお茶を、また飲める日がやってくるとは。そんな楽しみにしてる反面彼女に――他の奴等もそうだが――『奴』に冒されている自分を晒す事に、罪悪感を覚える俺もいた。でも俺は嘘をついて会うんだろうな。嘘で固めて、その嘘が真実になるまで。そうだ、今日はあいつにも用があるんだ。
終業式も滞りなく終わり、放課後、俺は屋上で春日を待っている。………来たようだ。「どうしたの?突然呼び出して。」本当に不思議そうな顔をしやがる。「ほらよ」そう言って俺は注射器と袋に入った粉を春日に渡した。「ないと思ったらキョンくんが持ってたんだ。」「お前が俺の鞄に入れたんだろうが…」怒りを押し殺した声で俺は言う。ここで怒りに任せるのは少し気が引ける、春日のお陰でハルヒとの関係を元に戻すことが出来たことは確かだ。「あたしはこんなのやってないし、必要ないからいらないんだけど…ありがとね。」俺の問いには答えず春日は述べた。「ああ、捨てるなり何なりしてくれ。もう俺に関わるな。何でお前がこんなもんを持ってたのかは聞かないし警察にも言わない。」吐き出す用にそう言うと、春日はクスッと笑った。その顔が一瞬邪悪に染まったように見えたのは、気のせいだろうか。「そうだよね。通報したらキョンくんまで捕まっちゃうもんね。涼宮さんにプロポーズまでしたゃったんでしょ?その関係を崩したくないもんね?例えそれが、この注射器によって作られた関係だとしても。」
…………!!!俺の中で怒りがたぎる…しかし、それを望んだのは俺自身だ。俺の何処に向けたらいいか分からない怒りは、「困ったことがあったら、また力になるよ」と、のたまった春日が去った後の、屋上の床に意味もなく拳と共に打ち付けられた。そして何よりもあの注射器を名残惜しく思ってしまった自分にたいして腹がたった。俺は、本当にあいつらと嘘をついてまで今まで通り過ごしていいのか?その資格がお前にあるのか?憂鬱とはまた違う気分で部室の扉の前につく。おや、ハルヒが不敵な笑みで仁王立ちしているな。「遅い!ふっふ~ん。キョン!この扉の向こうにはだ~れがいると思う?」こいつが今まで出して来たハルヒクイズの中では、底抜けに簡単だな。「朝比奈さんと長門と古泉だろ?」「ぶっぶ~!はずれ!さあ!早くはいるわよ!」そう言ったハルヒが扉を開けた。少しは躊躇もさせてくれよ。何はともあれ、俺はハルヒのお陰で迷う事なく扉をくぐることが出来た。
と嵐のように去って行った。それはともかく、ハルヒに勉強を教えてくれるよう、促した時少し曇った顔をしてたな。すぐに笑顔に戻り、いつもと変わらぬ鬼コーチっぷりを発揮してくれたから気のせいとも言えなくもないが、少し気になるな。帰り道、俺は古泉を隣りに歩いている。前にはハルヒと長門と朝比奈さんが同じく歩く。ちなみにハルヒとはプロポーズしたものの、キスはおろか手をつないで帰ったりすらしていない。全ては受験を終えてからということらしい。まあ、俺もこれには同意だ。「どうですか?勉強の方は?今日もはかどっていたようですが。」古泉はいつもの笑顔で俺に話しかけてきた。そういえば俺の暴力事件のあと、こいつと二人でちゃんと話すのは初めてだな。「そうでもないな。分からないことだらけさ。ハルヒにも申し訳が立たん。」そう言うと、古泉は少し考える素振りを見せて意を決したように言った。「涼宮さんは、今の状況を維持させるべきか迷っているようです。ああ、あくまでも婚約の話ではなく、受験勉強の話ですよ。もともと、彼女は東大など興味はなかった。ただ、真面目なことをあなたと一緒に成し遂げたかっただけです。」「超能力属性をなくしても、やはりお前はあいつの精神分析を買って出るんだな。」皮肉を混ぜて言う。「いえ、これは涼宮さんが話してくれた事です。だから、今この場でのことは黙っていてください。とにかく、涼宮さんはそんな思い付きの行為の為に、あなたを苦しめていることに気付いてしまったのです。この間の件でね。それに高校三年の冬という時期は、涼宮さんでなくとも最後の思い出づくりにイベントの一つでもと、誰もがそう思うでしょう。そんな大切な時間を削ってまで、大学受験に精を出す必要があるのかと。」
「だってあいつったらいくら教えたって成長しないし!東大に入って偉い教授になろうだなんて思ってないし!………ただあいつと何かをしたかったってだけだもん。キョンがいつもウザがってた、単なる思い付きよ…」「じゃあそれを最後まで続けてください!」う、何か押しが強いわね、このみくるちゃん。「まだ言ってなかったっけ、この前のこと。」そう前置きしてあたしは話し始めた。キョンに殴られた事、その後の事。治り掛けの口の中がまた痛んだような気がした。有希も俯いて暗い顔をしている。「そんな、キョンくんが…」「あ、キョンを責めたりするのはやめてね。もうこれはこれで話はついたから。ただ、気付いちゃったのよ。ずっとあいつはストレス溜め込んでたんだなって。そう考えたら、段々と今の状態に意味がないんじゃないかって思えてきたの。」ここまで言って深呼吸をしていると思わぬ方向から声が聞こえてきた。「あなたは、今まで決めたことは最後までやり遂げて来た。それがあなた。そんなあなたにわたしは惹かれてきた。考えて。そして答えて。彼との共同作業はあなたの中で、どれほどの優先事項なのか。」有希が珍しく自分から話しかけてきた。「そうです。涼宮さんの思い付きはそんな簡単なものじゃないです。どうあっても覆らないはずです!」「………」
そのあとの食卓では母親とハルヒから俺の脳細胞腐敗理論を聞かされたり――いやマジで今の俺には笑えない冗談だ――しながらも楽しい時間を過ごすことが出来た。昨日は食卓でも気が沈んでいたが、これもハルヒのお陰だ。
「じゃあね~、キョンくん、ハルにゃん!おべんきょーがんばってね~」
妹たちを見送りながら俺は思っていた。俺がハルヒを呼んだのは古泉に促されたからだけではない。一人になってまた『奴』からの誘惑に戦うのが怖かったからだ。「それじゃ始めようかしらね。」今は俺の部屋だ。部屋にはいるなりハルヒは勉強することを提案してくれた。「ああ、そうだな。ハルヒ 、ちょっといいか?」「何よ、変なことしようだなんて思ってないでしょうね!いい?!恋愛は受験の敵なのよ!そこらへんの判断が出来ないようじゃ…」ハルヒの喜々とした声は、それの半分ほどの周波数しかないんじゃないかと、思えるほど小さい俺の声に遮られた。「ありがとう」ハルヒは目を点々と瞬きしながら状況の把握に全勢力を置いてるようだ。俺は続ける「お前のお陰で俺はここまでやって来れた。自信はぶっちゃけないが、最後まで精一杯やりきろう。お前と一緒に東大を目指したい、心からそう思っている。」気がつくとハルヒは涙を流していた。「な、何よ…今さら…そんなの…当たり前でしょ!……分かりきった事…言ってんじゃないわよ…」やれやれ、分かりきっていた表情にはとても見えないんだがな。数十秒、沈黙が支配したあとハルヒは口を開いた。「ねえ、抱き締めて…」「何だ、お前がそういうことは受験が終わるまでしないって言ったんじゃないか。」「うるいわねぇ…いいでしょ?抱き締めるくらい…あんたが…変なこと言い出すから…」目の前にいるのはただのいたいけな少女だった。守りたい、こいつを、こいつに阻む全てのものから守りたい。例えこれが、『奴』によって作られた関係だとしても。その少女の背中に手をゆっくりと回そうとした、そのときだった。けたたましく下の階から電話が鳴り出したのは。おいおい、ムードぶち壊しじゃないか。俺は渋々階段を降り始めた。後ろを見るとハルヒも付いてきてるようだ。顔はもちろん不機嫌顔。頼むから後ろから足で突き落そうとかしないでくれよ。電話は俺が以前お世話になった病院からだった。イヤな予感がする。「〇〇さんのご家族の方ですね?実は……」
このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー と 利用規約 が適用されます。
1文字以上入力してください
本文は少なくとも1文字以上必要です。
1文字以上入力してください。