宇宙探偵、谷口 ~その②~
橘「やったわね、藤原! これで私たちも大金持ちだわ!」藤原「あの大会社の一人娘をつかまえたんだ。身代金は1千万でも2千万でも出るに違いないぜ」橘「この娘にはずっと目をつけてたんだもの。ここのところ邪魔な男が一緒にいてなかなかチャンスがなかったけど、ようやく計画を実行に移せたわ」藤原「予定以上に順調だ。有希嬢ちゃんもあっさり捕まってくれたしな」橘「丁重にお預かりしないとね」藤原「ああ。何せ、金のなる木だもんな」橘「この後は予定通り、あそこへ一時隠れてヘマをしないように計画を進めましょう」藤原「もう高飛び用のチケットも手に入れてるんだ。ヘマする気は毛頭ないぜ」今が朝で助かったよ。いやあ、本当助かった。今の時間帯は国道も県道も、出勤途中の社会人たちの車でつまってるんだ。何者か知らないが、誘拐犯が車である以上、途中で渋滞につかまっているはずだ。 俺は機動性にすぐれた250ccバイク。渋滞したって脇をすりぬけて行くことができるんだ。400ccにするか250ccにするか、バイクを買うときに悩んだものだが、車検がかからない上に重量税も安い250ccを買ったんだ。今はその判断が正しかったと感じられるね。 片道1車線の県道をしばらく走ると、やはり渋滞につかまっているワゴン車が見つかった。いた、あれに違いない。ライトグリーンなんてカラーリング、犯人たちの車かKAWASAKIのバイクくらいだ。 颯爽とワゴン車の横まで車体をよせ、さあこれからどうするかと考えをめぐらせながら、車のドアを開けようと試みてみた。ダメか。鍵がかかっていてあけられない。窓に貼られた黒い遮光テープごしに、ワゴン車の中で長門がわめいているのが見える。なんか変な女に押さえつけられているようだ。見たところ、犯人は男女が1人づつの2人組ってところか。 車の中の犯人2人組がギョッとした表情で俺の方に視線をむけた。よせよ、俺は照れ屋さんなんだ。そんなに凝視してくれるな。ワゴン車は盛大にエンジンをふかし、真っ黒な排気ガスを残して県道から脇道へ進路を変えた。対向車がきていたにも関わらず反対車線側へロケットダッシュだ。しかし俺だって負けてらんないぜ。ローギアの発進から、一気にセカンド、サードへとギアチェンジし、発車5秒でトップギアまで持っていく。いくら普及率では負けてるとはいえ、やっぱATよりはMTだよな!ほぼ一定の車間距離を保ったまま、誰もいない山道をワゴン車と250ccバイクが疾走していく。来月からまたガソリン代が値上がりするって聞いたから、ガソリン換えたばかりなんだ。あと350kmは走れるぜ。 でもまあ、あと10kmも走らずにこのカーチェイスは終わりを迎えるだろう。この先にはプラネタリウム館があるだけで、あとはなにもない断崖絶壁になってるんだ。ボタン一つで車の横に翼でも生えない限り、逃げ切れないね。プラネタリウム館に到着すると、車の中にいた2人組が駐車場の真ん中にワゴン車を乗り捨て、いやがる長門を押さえつけヤイノヤイノやってるところだった。女の子を力づくでどうこうしようという根性が気にいらないね。 仮面ライダーよろしくバイクに乗って現れた正義の味方の姿を見た時の2人の顔。傑作だったよ。まさに恐れおののく悪の手先のザコAとBそのものだ。イーとかキーとか言ってくれないものかね。 犯人2人組はとうとう言うことをきかない長門をその場に放り出し、2人してプラネタリウム館の中に逃げ込んで行った。俺はその後姿を眺めつつ、地面にへたりこむ長門の元へ急いだ。大丈夫か? 暴行されたりしなかったか?「………大丈夫。ありがとう」無事でよかった。まったく。ブルジョア階級ってのも困りものだね。身柄を狙われるなんて。「………なんで、追ってきてくれたの?」なんでって言われてもな。バスの停留所でネスカフェゴールドブレンドを飲んだ後、このプラネタリウム館へくるのが俺の朝の散歩コースなんだ。知らなかった?「………ふふ、変な散歩コース」何がおかしいんだよ。でも、初めて見せてくれたな。笑顔。ほどなくして、坂の下からけたたましいサイレンと共に現れた警察の手によって、誘拐犯2人組はあえなく御用となった。ついてないね。俺さえいなければ身代金がもらえてたかもしれないのに。そうは問屋がおろさないってことなのかな。 しかしこの騒ぎでもう一人、問屋におろしてもらえなかった人物がいる。長門有希だ。長門は現在、パトカーの中で警察に取調べを受けているところだ。まあ長門は100%被害者なんだから事件の当事者としての状況を訊かれているだけだと思うが。それでも、これだけの騒ぎになったんだ。保護者に連絡をしないわけにも行くまい。長門有希の逃避行も、これまでってこった。親父さんに電話して事の概要を話したところ、今から速攻で飛んで来ると言っていた。1時間ほどで到着するらしい。その間、長門有希だけじゃなく事件関係者である俺もここに逗留しないといけないようだ。やれやれ。プラネタリウムを長門は見たことがないと言うので、この機会に入ってみることになった。プラネタリウムなんて見たってつまらないだけだぜ。あれはゆるやかに催眠音波を脳内へ送り込んでくる、大掛かりな睡眠装置にすぎないんだ。 それでも見てみたいという長門有希につれられ、俺は不承不承館内へ入っていった。プラネタリウムなんてガキの頃以来だ。見ろ、俺たち以外に客なんていやしない。長門有希は薄暗い館内の中ごろの座席に腰をかけた。暑苦しい外で待ってるよりはマシだ。俺もその隣へ腰かけた。「………宇宙って、いいよね」そうだな。まだまだ人類が及びもつかない世界なんだ。タコ型宇宙人なんてのが本当にいたら、ロマンチックだよな。「………宇宙には、何があるか分からない。宇宙人がいるって言う人もいれば、いないって言う人もいる。でも実際のところどうかなんて誰にも分からない。そうだよね。人類が到着することができたのは、月くらいなんだし。火星人が本当にいたって、地球人に見つからないように隠れてるだけなのかも知れない」 可能性の話をし始めたらキリがないぜ。ま、それが宇宙のいいところなんだが。「………宇宙では何が起こるかわからない。何が起こっても不思議じゃない。それって、素敵なことよね。何ものにもとらわれず、自分の思ったままの世界が反映されるんだもの。だから私はSF小説が好き。一体なにが起きるか分からないことの連続で、どきどきするような世界を見ていると、現実をすこしの間でも忘れていられる」 あのな。長門。お前が小説を現実逃避の道具みたいに思っていようがいまいがそれは勝手だが、最低限は現実を見据えてた方がいいぜ。「………アポロって、すごいと思う」アポロ? ああ。俺も好きだぜ。あの上のイチゴ味の部分としたの黒いチョコの部分の組み合わせがなんとも言えずマッチするんだよな。だが敢えてそこを、別々に噛み砕いて食べてみたり 「………お菓子の話じゃない。宇宙船のアポロ。初めて月面着陸を果たしたロケットのこと」そっちのことだったのか。「………アポロは、私たちが生まれるずっと昔から、夢物語だと思われていた宇宙への進出を実現させた。今の時代でこそ特別すごいことだとは思われないかもしれないけど、その当時の人たちにしてみれば、やっぱり世界がひっくりかえるくらいの出来事だったんじゃないかと思う」 世界はひっくり返らないだろうが、衝撃だったことは事実だろうな。「………宇宙船だけじゃない。飛行機も車も、船だって。できたばかりのころは皆驚いていたんだろうな」そりゃそうだ。車なんて最初は木炭で走ってたんだものな。エコロジーカーだよ。「………誰もが夢だ幻だ、無理だと最初から決め付けてなにもしなければ、飛行機も車もアポロもできなかった、それらを完成させようという熱意と努力があったからこそ、それらは日の目を見ることができた」 そりゃそうだろうよ。紙飛行機でさえ微調整を繰り返さないとうまく飛ばないもんだ。飛行機つくるなんて一朝一夕にはいかないだろう。ライト兄弟は歴史に名を残すべくして残した偉人なんだろうね。 「………思えば私も今まで、努力らしい努力をしてきたためしがなかった。シンデレラになりたい教師になりたい小説家になりたいと口先で言っても、それに向けての行動を起こしたことはなかった」 え、なに? キミってあれ? スケールの大きいことを考えてちっぽけな自分を慰めるタイプ?「………よくよく考えてみたら、自分の言うことを聞いてもらえなかったことを全て父のせいにして、どうせ話したってろくに聞いてもらえやしないと決めつけて家を飛び出すなんて。ただ逃げてるだけ」 私、父とじっくり話し合ってみようと思います。考えてみたら今まで父は忙しい人だと思ってろくに話をしたこともなかったし。そう言って、長門有希は席を立ち上がった。「………ありがとうございました、谷口さん。私、今気づきました。自分に足りないものが何だったのか。父だって、十分話し合えばきっと分かってくれるはずだもの。私、父と話をしてみます。その上で自分のしたいことを認めてもらって、それから立派な小説家になりたいと思います」 何も言わない俺をおいてけぼりにして、長門はプラネタリウムの空を見上げた。「………あの大きい星。なんて言う星なのかな」M78雲星だよ。俺と長門有希のやりとりを見てもらえればご理解いただけただろう。結局、長門有希はプラネタリウムを眺めていると自分の頭の中で啓発的な何かがひらめいて、アポロだ飛行機だと言って勝手に自己完結して帰ってしまった。 俺としては無事依頼を終えることができて一安心といったところだけどさ。俺の出番、一切なしかよ。なんという電波少女。例の誘拐事件があって、一週間が過ぎた。まあ誘拐事件っていうか間抜けな未遂事件だったわけだが。今の俺は特別なにか生活が変わったわけでもなく、扇風機の風を流しながらイスに座ってボーっとしていた。長門有希の親父さんは大層俺に感謝していた。誘拐事件を誘拐未遂事件にとどまらせた功績があるからな。その喜びようったらもう。本当に子離れできていない家庭的な意味でダメな大人の見本といういう感じだったね。 本当に長門有希のことを大事に思っているがゆえのダメさ加減だろうが。その後のことは知らない。長門有希は親父とサシで向き合って小説家になる道を閉ざさないよう一生懸命話をすると言っていたが、どうなったんだろう。気にならないわけでもないが、他人の俺が口をはさむ余地はあるまい。 俺はただこうして、日陰に引きこもってジリジリと照りつける夏の太陽から逃れ続けるだけさ。「………こんにちは」長門有希じゃないか。久しぶりだな。元気してた?「………これ」アイスじゃないの。くれるの? ありがとな。そういやこないだ借りた80円、まだ返してなかったな。それで、どうなったんだ。親父さんとは話を済ませたか?「………ええ。最初は父も、やはり会社を継いでもらいたいの一点張りだったけれど、それは予想していた反応だったから。粘り強く説得した結果、最後には父も折れてくれた」 へえ。やるじゃないか。やっぱプラネタリウム効果がプラスにはたらいた結果なのかな。「………本気で夢を叶えようと思うなら、並大抵の努力ではいけないと覚悟していたから。3日3晩にわたり説得を続け、父の会社にも赴き、仕事の合間に話し合いの席を設けてもらった」 ……家を出た時から思ってたけどさ、お前すごいよね。行動力が。「………熱意の勝利」そりゃこんな暑苦しい夏のさなかに、そんな熱意みせられたらね。お前の父ちゃんじゃなくても折れるって。熱さで。「………だから私はこれから、アメリカへ行く」は?「………世界中を見て回り、さまざまな体験を重ね、説得力のある小説を書いていきたいと思う」唐突だな。行動力があるなんてレベルじゃないな。よくもまあそこまでできるもんだ。ブルジョアの思考ってのは分からないね。しかしいろんな体験を積むことは大事だと思うよ。執筆のためだけじゃなく、人生をおくる上でもな。たとえばバイクに半袖で乗ってたら風で腕毛が絶えず振動するんだが、バイクを停めて風がやんでも毛がゆれてるような感じがして腕がムズムズする、なんてことは実際にバイクに乗ってみないと分からないことだし。 「………それは、不要な知識」不要な知識なんてものはないさ。どんな知識でも何かの役には立つもんだぜ、意外と。「………そろそろ行かないと」もう行くのか。そうか。頑張れよ。期待して待ってるぜ、お前さんの小説を読める日を。是非、椎名誠ばりの探検エッセイを書いてくれ。「………あの日、あなたに会えて、本当によかった。それじゃ」それだけ言うと、長門有希は少しほほえんで、部屋から出て行った。ちっこいくせに、よくやるよ。まあ、頑張れ。心から応援するよ。俺は夢をおいかけるやつの姿が大好きなんだ。また来いよ。今度は俺が、ネスカフェをおごるぜ。 ~完~ <次回予告>谷口「こうして未来の文壇作家、長門有希はアラスカへ旅立った」長門「………アメリカ」谷口「しばらくは暑さのせいかと思っていたが、最近どうもおかしい。仕事がこない。そりゃ確かに探偵なんて水商売だから客足が多いときもあれば少ないときもある。しかし今回は無さすぎる! なにかあったのか?」 長門「………世の中が、平和ということ」谷口「そんなある日、俺の前に見覚えのある男が現れる! ええと…、こいつ見覚えはあるんだが……、名前はなんだったっけ」長門「………曖昧」谷口「そうだ、キョンだ! 専門学校で同期だった、韓国からの留学生、金。通称キョンだ!」谷口「キョンは言った。この町に2人も探偵はいらない、と。まさか、お前もこの町で探偵業を始めたのか!?」長門「………探偵ってもうかるの?」谷口「キョンは言った。勝負をして勝った方がこの町の唯一の探偵だと。おもしろいじゃないか、キョン。やってやんよ!」長門「………安請け合い…」谷口「たとえ不条理だと分かっていても、男にはやらなきゃいけないこともあるのさ!」谷口「次回、ライバル探偵、谷口! ~宿命のアップデート~」谷口「フェ──────ド!」長門「………イン?」谷口「アウト!」長門「………消えちゃダメ」
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