キョンの完全犯罪 後編 ~これはあれか? 古泉任三郎か?~
「それでは開廷します」
弁護側が証拠調べの請求をしてきたので、それを許可すると古泉は立ち上がった。「記録の方」古泉は喜緑さんに声を掛けた。「一字一句漏らさずに記録をお願いします」「弁護人、早くしてください」「わかりました。裁判長、先日被害者が執筆した本を渡しましたが、読んでくださいましたか?」「弁護人、この質問は証拠調べなんですか?」早くしてくれ。「はいそうです。質問に答えてください。読まれたんですか?」「はい」「話の筋も言えますか?」「はい」「大まかなあらすじを、ここで言ってもらえませんか?」「それは裁判に関係があるのですか?」「あります。お願いします」計画通りだ。あの本は家で確認して、最後の十ページが別のものに差し替えられていた。俺は一度咳払いをして、あらすじを話した。「涼宮ハルヒという少女が、キョンと呼ばれる少年を巻き添えにして部活をつくり、その少女がすることに少年は次々と巻き込まれていきます。少女と少年はやがて恋に落ち、結婚します」要するにノンフィクションだ。結末を除いて。「ありがとうございます」計画通りだ。「裁判長、今その本を持っていますか?」「ここにあります」俺は古泉に持っていた本を投げ渡した。「これが裁判にどう関係するんですか?」「これで真犯人がわかります」古泉は右手に持った本を左手でパラパラとページをめくった。「56ページです。その部活ができたのは」「それがどうしたんです?」
「ここから先はすべて、偽物です」
は?
「56ページの十二行目にこうあります。『結局、涼宮はキョンに連れられて、その奇妙な部活に入部する羽目になった』。こちらのほうであらすじを変えさせてもらいました」
今、古泉はなんて言った?
「あなたは今、『少女が少年を巻き添えにして部活を作った』と言った。しかし私があなたに貸した本では『少年が少女を巻き添えにした』とあります。話を一から作り直して、全く違う小説を作らせて貰いました。長門さんが一晩でやってくれました。ありがとうございます」 長門が軽く会釈する。
「あなたはなぜ、違うあらすじを言ったんですか?」
傍聴席のマスコミがざわめき始めた。
そんな……嘘だろ?
いや、まだだ。まだ勝てる。
「その本を受け取る前に、検察官に会ったんですが、そのときに読ませてもらったんです。そのあらすじを言ったんです」「なるほど」古泉はいつもの笑みを浮かべ、検察側を向いた。「長門さん」古泉がそう言うと、長門は立ち上がった。「あなたと裁判長が会ったのはいつですか?」と古泉。「五日前」「あなたが本を貸したんですか?」「貸したというより、置いてあったものを彼が手にとって読みました」「そのとき、そこには本はそれしかありませんでしたか?」「いえ、二十冊以上ありました」古泉は今度はこちらを向いた。「裁判長、なぜあなたは数ある本の中から、被害者が執筆した本を選ぶことができたのですか?」「それはあなたが前回の審理の際に私に本を見せたじゃないですか」「その本はカバーがついていました。検事さん、彼が手にとって読んだときに、カバーはついていましたか?」「いいえ」「裁判長。カバーが無く、あなたが見た表紙とは違うのに、どうやってその本が被害者が執筆したものであるとわかったんですか?」「それは……」こう言うしかない。「表紙にタイトルが書いてあったからです。タイトルは事前にあなたから聞いていましたから」「なるほど」
勝った。
「そのときにあったのはこれですか?」古泉は懐からもう一冊、本を取り出した。黒い表紙にあの厚さにあの大きさ。こちらからは裏表紙しか見えんが、あれは間違いなく谷口が執筆した【面白すぎた高校生活】だ。
「そうです」
俺がそう言った瞬間、傍聴席のざわめきが大きくなった。新聞記者としてその中にいる佐々木は呆然とした顔で、俺を見ている。
なにがあった。
「長門さん、今の聞きましたか?」「聞いていた」「涼宮さん、今のを聞きましたか?」ハルヒは大きく頷いた。「喜緑さん、しっかりと記録してくれましたか?」「はい」
なにがあった?
「裁判長、わかりますか? なぜ傍聴席の人間が驚いているのか。この本の表紙が傍聴席のほうを向いているからです」
そう言って、古泉は表紙を俺の方に向けた。
おもわず叫びそうになった。
「……嘘だろ、おい」「残念なことに嘘ではありませんね」その表紙には、こう書かれていた。
【ワイルズは如何にして、難問を解いたか サイモン・スミス著】
ありえない。これは一体どういうことだ?なぜタイトルが違う?いつの間にか長門が読んでそうな本になってるじゃないか。
まさか……
「表紙だけを別のものに変えさせてもらいました。ちなみに、この本のラスト十ページはあなたに先日渡したものと同じです。あなたはタイトルを見ないで、表紙の色だけで判断してしまった。その時にこの本のカバーは外れていたので、前回の審理であなたが見た表紙とは全く違います。それよりも前に、あなたはいつ、カバーが外れた被害者の本を見たんですか? あなたはなぜ、この本のカバーを外した表紙が黒いことを知っていたんですか? それとも最初から持ってたんですか? あなたはどうして、これが被害者が執筆した本だと勘違いしたんですか? いえ、勘違いすることができたんですか? 他の同級生は全員、この本を持っていました。僕も、涼宮さんも、長門さんも、朝比奈さんも、全員この本が家にあります。この本が家に無いのはあなただけです。さて、問題はこの本は一体誰のものなのか。これは我々同級生の中で唯一本を持っていない人間、つまりあなたのものです。 はい、つまりこういうことなんです。あなたは本を持って谷口さんの自宅へ行き、彼を撲殺した。指紋などのすべての証拠を消したが、帰る時にこの本を現場に忘れてしまった。それから涼宮さんが容疑者として逮捕された。あなたは運良くこの事件を担当することになった。つまり真犯人であるあなたが判決を下すことができるのです。一回目の審理が終わった翌日、あなたは図書館へ行き長門さんと会った。彼女が持っている本の束の中には、カバーが外れたこの本があった」
古泉は【ワイルズは如何にして、難問を解いたか サイモン・スミス著】を大きく上に掲げた。
「そしてあなたはこの表紙の色だけでこれが谷口さんが執筆した本だと勘違いした。中身を見てみると実際に谷口さんの本だった。しかし表紙が違うことにあなたは気づかなかった。そのまま読み続け、あなたは最後の十ページが本来の結末と違うことに気づいた。これは先ほども言ったとおり、長門さんが差し替えたものです。あなたはこれが僕の仕掛けた罠だと思った。あなたが考えた罠はこうです。 まず容疑者に本を一晩貸し、内容を覚えたかどうか聞く。一度読んだ内容をまた読むということはあまりないことです。だから、容疑者がその本を読んだことがなかったら容疑者はそれを読む。逆に、その本を読んだことがあったら読まないでしょう。では、一晩貸した本の結末を少し変えておくとどうなるでしょうか。読んだことがなかった人間は変えられた結末を言いますが、読んだことのある人間は本来の結末を言う。これで、容疑者がその本を読んだことがあるかどうか証明できます。あなたは僕がこれを実行しようとしていると勘違いした。でも僕が貸した本は結末どころか全ページが差し替えられています。あなたは最後の十ページしか確認しなかった。だから長門さんと会ったときに読んだ内容を言った。 これで、あなたが長門さんと会ったときにこの本を手にしたことが証明されました。しかしこの本の表紙にはまったく別のタイトルが書かれていますし、カバーが外れているので本来の表紙とも違う。それなのにもかかわらず、これを手にとって読んだということは、 あなたは谷口さんの本のカバーの下の表紙の色がどんなものなのか知っていたということです。僕はあなたに、谷口さんの本のカバーを取って見せてはいませんし、長門さんや涼宮さんも同じです。そもそも、あなたは前回の審理のときに見たのが初めてのはずなんです。しかしあなたはそれよりも前にこの本を知っていた。 これは一体どういうことなのか。簡単です。あなたは谷口さんから個別に本を渡された。あなたが本を受け取ったことを知っている人間はあなたと谷口さんを除いて一人も存在しなかった。あなたは事件が起きるずっと前からこの本を持っていて、事件後に我々同級生の中で唯一、この本を所持していなかった。なぜ所持していなかったのか。現場に忘れたからですよ。あなたは谷口さんが殺されたときに、その現場に居たということになる。 これであなたが犯人だということが証明されました。これでも犯人でないというのなら、この法廷にいる全員が納得できるような説明をしてください」古泉は少し微笑み、俺を見た。「できますか? どうですか?」「……できるわけないだろうが」「それは自白と考えてよろしいですか?」「ああ」俺は静かに呟いた。「ここは涼宮さんが裁かれる場ではありません。たった今、あなたが裁かれる場になりました。裁くのは僕ではなく陪審員の皆さんなので、判決を下すのは陪審員に任せました。僕の仕事はこれでお終いです。えー、どのような判決が下されても、僕を恨まないでください。僕はあなたを自白させただけで、判決を下したわけじゃないので。では、僕はこれで退散しましょう。僕の仕事は終わりました。これで帰らせてもらいます」 古泉は法廷から去っていった。
待てよ……。
本を持っていたというだけで、犯人だと? ふざけるな。これでは俺が谷口の家に行ったというだけで、犯人だということは証明されないはずだ。そもそも、この本を俺がいつ忘れたのか分からないじゃないか。事件の一週間前かもしれないし、一ヶ月前かもしれない。古泉はそれでも、俺が犯人だと思ったのか?
……何も証拠が無いのに、なぜ俺が犯人だとわかったんだ?
俺が犯人だという明確な証拠があれば、それを法廷に持ってくるはずだ。しかし、古泉が持ち出したのはこれだ。古泉はなぜ俺を疑ったんだ?いや、疑うことができたんだ?まさか、見ていたのか?いや、そんな筈はない。それこそ、証人台の前で証言すべきことじゃないか。しかし古泉は俺を疑うことができた。何の証拠も無いのに。
まさか……。
「長門、谷口の死体が見つかったときの死体の状況は!?」俺はそこが法廷だということを忘れて、机から身を乗り出した。「発見当時は仰向けの状態で発見された。後頭部には致命傷と見られる二つの大きな傷。凶器はその場にあった花瓶と思われる」長門の口調もいつもどおりに戻っている。いや、そんなことはどうでもいい。
……まさか、嘘だろ?
今気づいた。俺は谷口を一回しか殴っていない。俺が殴ったときは、谷口はうつ伏せだった。しかし傷は二つあると長門は言った。
答えは一つ。
俺が殴ったときには谷口は死んでいなかった。俺が現場から立ち去った後、誰かが谷口を死に至らしめた。そう、俺は殺してはいない。俺が殴ったときには、まだ谷口は生きていたんだ。
俺は犯人じゃない。犯人は、俺が犯人であるという証拠を叩きつけ、自分が真犯人だということに気づかれることを恐れて、急いでここから逃げた人間。
一人しかいないじゃないか。
窓から、黒塗りのタクシーが去っていくのが見えた。
俺は法廷中に響き渡るほどの大声で叫んだ。
「誰か古泉を捕まえろおおおおお!!!」
おわり
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