「涼宮ハルヒの消失」改
「佐々木」 俺は言った。「お前のしわざだったんだな」 これはあの佐々木だ。十八日以降の、SOS団(世界をおおいに見守るための佐々木の団)の団長としての、中学三年生から北高までずっと同じクラスの友人だったことになっている佐々木。 その佐々木はさらに驚いた顔をする。わけがわからないというような。「なぜ、ここに、キョンが」「お前こそ、なんだってここにいるのか自分で解ってんのか?」「散歩だよ」 佐々木は微かな声を出した。目を大きく開けて俺を見つめる少女の顔で、その瞳が街灯の光を反射していた。それを見ながら俺は思う。 そうじゃない。そうじゃないんだよ、佐々木。 こいつは疲れていたのだ。ずっとずっと、俺への想いを封じ込め続けてきたことで、疲労が溜まっていたんだ。 長門が残してくれた緊急脱出プログラムで舞い戻った過去の長門の部屋で、長門は言った。『涼宮ハルヒの時空改変能力を奪い取った彼女は、自己の望みを実現するために時空改変を行なった』 そして淡々と、『なぜ彼女がそれを望んだかは、わたしには不明』 俺には解る。 あのときの長門には到底理解できないことだったろう。だが、今の長門なら少しは理解してくれるかもしれない。 ──それはな。感情ってヤツなんだよ。 橘京子は佐々木のことを完全に誤解してやがったな。「佐々木さんは世界を作り替えたり、破壊しようなんて全然考えないのです」だと? そう考えて佐々木に『力』を移し変えた結果がこのざまだ。 誰だって、世界を自由にできる『力』があると自覚すれば、それを使ってみたくなるのは当然だろ? これは佐々木の望みだ。ずっと俺のそばに居続けて、そして俺に告白するようなそんな世界を、佐々木は望んだんだ。 俺の記憶だけを残して、それ以外を、自分を含めたすべてを変えてしまったのだ。 数日間俺を悩ませていた。この疑問の答えだって今なら自明だ。 ──なんでまた俺だけを元のままにしておいたのか? 答えは単純、こいつは告白に対してありのままの俺の答えが欲しかったんだろう。 すまないな、佐々木。 俺の答えはもう決まっている。 俺の居場所は、「世界をおおいに盛り上げるための涼宮ハルヒの団」なんだ。「世界をおおいに見守るための佐々木の団」じゃないんだよ。「佐々木」 俺は立ちすくむ佐々木に歩み寄った。佐々木は動かず、じっと俺を見上げている。「何回言われても俺の答えは同じだ。元に戻してくれ。お前も元に戻ってくれ。お前の気持ちにずっと気づいてやれなかったことは本当にすまなかった。だけど、俺はお前の気持ちには答えてやれない。それでも、お前は俺の親友だ。それだけは変わらない。だから……」 佐々木の瞳が、脅えたような色を浮かべている。「キョンくん……」 朝比奈さんが俺のシャツの裾を引いている。「この佐々木さんには何を言ってもだめよ。だって、彼女はもう自分を作り変えているもの。この佐々木さんは、何の力もないただの……一人の、女の子だわ」 唐突に思い出す。 髪の長い佐々木。ポニーテール姿で、普段からは想像もつかないような俯いた表情で告白してきたあいつ。 佐々木を無邪気に持ち上げまくりの橘京子の笑顔。 本を読むことすらせずに窓際でただ座っている周防九曜の茫洋とした表情。 それらの様子にただひたすら皮肉をかまし続けていたあのいけ好かない野郎。 あいつらとはもう会えなくなる。正直、心残りが皆無なわけじゃないさ。だがこの世界はもともと偽りの存在だったのだ。さよならを言いそびれたのは残念だが、俺は俺のSOS団を取り戻す。決めた。「すまん」 俺はピストル型装置を構えた。佐々木が身体を凍りつかせ、その反応にかなりの罪悪感を強いられる。しかしここに来て躊躇は無用だ。「すぐに元に戻るはずだ。おまえが望むなら、クリパで一緒に鍋をつつこうぜ。冬の山荘にもみんなで一緒に行こう。今度はお前が名探偵をやってくれ。完璧な推理で事件を解決するスーパー名探偵ってのはどうだ、それが──、」「キョンくん! 危な……! きゃあ!!」 朝比奈さんの叫びと同時に、俺の背中に誰かがぶつかってきた。どん、という衝撃が身体を揺らし、街灯の光を受けた俺の影も揺れた。その影に何者かの影が溶け合っている。何だ? 誰だ? 「佐々木さんを傷つけることは許しません」 首をねじって振り向いた。肩越しに女の白い顔が見えた。 橘京子。「な……」 言葉が出なかった。脇腹に冷たい物が刺さっている。平べったい物が深々と体内に侵入している。やけに冷たい。激痛よりも違和感が勝る。なんだこれは。なんなんだ。なぜここに橘がいるんだ。 「ふふ」 笑うはずのない仮面が笑ったような微笑だった。 橘は滲むような動きで俺から離れ、俺の横腹に突き刺していた血まみれの長い刃物を引き抜いた。 それで支えを失い、俺は錐のように回転しながら地に倒れこんだ。 その俺の目の前で──佐々木が腰を抜かしたように尻餅をついていた。わななく唇が、「橘……さん」 橘は俺の血が絡みつくアーミーナイフを挨拶するように振った。「そうよ佐々木さん。わたしはちゃんとここにいます。あなたを脅かす物はわたしが排除します。そのためにわたしはここにいるんですから」 橘は嗤った。「あなたがそう望んだから。そうでしょう?」 嘘だ。佐々木が望むはずはない。思い通りに鳴かない鳥はいっそ殺してしまえなんて思ったりしない。違う。俺への想いに狂ってしまった佐々木。その佐々木が改変した橘も異常なヤツになったんだ。こいつは佐々木の影役だ……。 橘は俺の上に薄い影を落とした。橘の頭上に欠けた月が見えて、すぐ翳った。「トドメをさします。死ねばいいんです。あなたは佐々木さんを苦しめます。痛い? そうでしょうね。ゆっくり味わうといいでしょう。それがあなたの感じる人生で最後の感覚ですから」 振り上げられるゴツいナイフ。(時系列切り替え) 朝比奈さんが走り出し、同時に長門自身も動き出した。夜風よりもすみやかに移動した長門は、一瞬後に橘の振り上げたナイフの刃をつかんでいる。橘が恐懼と憎悪のミックスボイスで叫ぶのを耳にしながら、俺も自分のもとへと向かった。 朝比奈さん(小)が泣きながら『俺』に取りすがっている。心配してくれているのは嬉しいが、そんなに揺すると早死にさせちまいますよ……。 目頭が熱くなることに、必死に『俺』に呼びかける彼女はすぐそばにいる女性に注意を払うことを忘れている。本当にありがとうと叫びたい。「…………な……」 そう声を漏らしたのは記憶どおりの佐々木だった。心臓に微痛の走る姿だ。ポニーテールのそっちの佐々木は、尻餅をついて驚きにまみれた表情でいる。見開いた瞳が倒れ伏す『俺』から橘へ、そしてセーラー服へ移動し、最後に俺に向けられた。 「どうし……て……」 こっちの佐々木にかけるべき言葉を俺は持たない。俺がするべきこと、言うべきことは一つだった。 過去の長門が作ってくれた短針銃を拾い上げ、俺は自分を見下ろした。例のセリフを言うために俺は口を開き、記憶にある通りの言葉を投げかけた。これで合っていると思うが、だいたい似たようなセリフなら多少の違いは許容範囲だろう。 その『俺』はわずかに開いていた瞼を完全に閉じ、くたりと首を横に向けた。死んだかもしれんと思えるくらいの見事な気絶シーンだが、そろそろ止血しないとマジに死にそうだぜ。 さて、ここからは完全に俺たちの出番だ。これ以降に何が起こったのかは俺にもまだ未知なのである。 まず俺が目にしたのは、橘を止めてくれた長門の行動だ。「…………」 長門のつかんだナイフが煌きながら砂と化す。飛び退こうとした橘だが、足が地に接着したように動かない。長門が小さな早口を述べた。「そんな、なぜ……?」 凝然とした橘は最後まで疑問を口にしながら、やがてナイフにつられるように崩れ落ちた。眠らされたようだ。 ほぼ同時に。「あ?……くう」 朝比奈さん(小)が『俺』に身体をつっぷすように前のめりになっている。柔らかく閉じられた目と薄く開いた唇はどう見ても寝顔であり、力の抜けた愛らしい上級生の首筋に朝比奈さんの(大)の手が軽く乗っていた。 長門が膝をついて屈み込み、ナイフでえぐられた『俺』の脇腹に手を添えた。そのおかげで間違いない。ともかく出血は収まり、『俺』の蒼白な顔が少しはまともに見えてくる。傷を治してこれたのはやはりこいつだったのか。 長門は停滞なく立ち上がると、血がついた指先をぬぐおうともせずに、手を差し出して言った。「かして」 俺は黙って短針銃を持ち上げた。どうにも手持ちぶさたで困ってたんだ。いざとなると抵抗が勝る。どの佐々木にだってこんなもんを向けて撃ちたくはない。 淡々と銃を手にした長門は、座り込んで怯えた顔を維持しているポニーテールの佐々木へ銃口を突きつけ、あっさりと引き金を引いた。 何の音もせず、何かが発射された軌跡も見えなかったが、「なっ……!」 佐々木は、驚愕の表情を浮かべて、そのまま固まってしまった。「私は……なんてことを……」 その佐々木に向かって、長門は淡々と告げた。「あなたが奪い取った時空改変能力は、涼宮ハルヒに返還した。これより、あなたが実行した世界改変をリセットする」 リセットされたら、今回のことに関する佐々木の記憶はすべて消えてるはずだ。 それが、俺と佐々木が親友であり続けるために必要なことなんだ。(再び時系列切り替え) 白い天井が見える。自宅の俺の部屋ではない。朝か夕方か、透明感のあるオレンジ色の光が天井同様白い壁を彩っていた。「おや」 徐々にはっきりしてくる頭に、その声は敬虔な信徒が聞く教会の鐘の音のように安らぎに満ちて聞こえた。「やっとお目覚めですか。ずいぶん深い眠りだったようですね。お早うございますと言うべきでしょうか。夕方ですけど」 古泉一樹の、穏やかな微笑がそこにあった。 これが藤原だったら、俺は裸足で逃げ出していたに違いない。 古泉は、ここは「機関」関連の総合病院だといった。 このあと、古泉から聞いたところでは、俺は学校の階段から転げ落ちて気絶し、三日間も寝込んでいたことになっているらしい。 どうやらあの三日間の記憶が残っているのは、俺だけらしいな。まあ、その方が好都合だが。「見舞いはお前だけか?」 ハルヒは、と言いかけてすんでのところで唇を止める。だが古泉はくすりと笑みを落とし、「さっきから何をキョロキョロしているんです? 誰をお捜しでしょう。ご心配なく。僕たちは時間交代であなたを見舞うことにしているのです。あなたが目を開けたときに誰かが側にいるようにね」 古泉の視線が妙に気になった。エイプリルフールの嘘話をあっさり信じ込んだ友人を見て心で舌を出しているような、その目は何だ?「いえ、あなたを羨ましく思っているだけです。羨望と言ってもいいでしょう」 この状況で言うセリフじゃないだろ。「僕たち団員は交代制ですが、団長ともなると部下の身を案じるのも仕事のうちだそうでして。涼宮さんならずっとここにいます。三日前から、ずっとね。さらに、もう一人おりますよ。まったく羨ましい限りです」 指差された方角を俺は見た。古泉から俺のベッドを挟んで反対側。その床。 いた。 寝袋にくるまったハルヒが、口をへの字にして眠っていた。 そして、その隣の寝袋には、なぜか佐々木の寝顔もある。「心配していたのですよ、涼宮さんも佐々木さんも。お二人の動揺ぶりと言ったら……いえ、これはまたの機会にお話ししましょう。とにかく今は、あなたが真っ先にしないといけないことがあるでしょう?」 「そうだな」 寝顔にイタズラ書き……ではない。それもまた、別の機会でいいだろう。これから何度だって来るさ、そんなチャンスはな。 俺は、二人同時に顔をつねってみた。「「…………ぉが?」」 二人同時に呻き声をあげる。 しかし、次に叫んだのは一人だけだった。「あ!?」 ハルヒは寝袋に入っていることを忘れていたらしい。パネ仕掛けのように起きあがろうとしてあえなく失敗、ごろんと横回転してシャクトリ虫のように蠢いていたがワタワタと這い出して、すっくと立ち上がるや否や、俺に人差し指を突きつけて叫んだ。 「キョンこらぁっ! 起きるなら起きるって言ってから起きなさいよ! こっちだってそれなりの準備があるんだからね!」 無茶言うな。だが、そんなお前の大声が現在の俺には何よりの薬だ。「ハルヒ」「何よっ」「ヨダレを拭け」 唇と眉をぴくぴくさせながらハルヒは口元を慌ててぬぐい、そのまま顔をぺたぺたとなで回しながら俺を睨め付けた。「ふむ、ところでいつまでつねったままなのかな? キョン」 ハルヒとは対照的に、振り払うどころかされるがままになっていた佐々木。 そのせいで俺の左手は佐々木の頬をつねりっぱなしになっていたのだ。「ちょっといつまでやってんのよ!」 俺が手放すより前に、ハルヒの神速の腕によって俺の左手は振り払われた。「おや残念」 おいおい、佐々木。何が残念だ。 ハルヒは、佐々木の発言に片眉をぴくぴくとさせていたが、やがてこう言い放った。「佐々木さん。キョンも気が付いたし、今日はもういいわよ。後はあたしが付き添うから」 意外にも、佐々木が反論した。「涼宮さんの方こそお疲れでしょう。後は私が付き添いますよ」 それから、二人は言い争いを始め出した。 俺としては、付き添いはいいから一人にして欲しいのだが。 そんな俺の意向は、完全に無視され、二人の言い争いは続いている。 おい、古泉。ニヤケてないで、仲裁してくれよ。「僕の手には余りますね。三角関係に余計な首を突っ込んだら、被害を受けるのはこちらの方です」 何が三角関係だ。わけのわからないことをいうな。「相変わらずですね、あなたは。さて、巻き添えを食らう前に、僕は失礼させていただきますよ」 おい待て。俺を見捨てる気か!?「では、ごゆっくり」 これでも、お前は親友だと思ってたのに、なんて薄情な奴だ! 残されたのは、対照的な口調で言い争う二人の女子生徒と、俺……。 その後、この病室で何があったかは語りたくもない。 まったく、やれやれだ。
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