二年前のValentine(佐々キョン)
はい、回想終わり。「まさか、それほどまでとは」古泉は眉間に中指を当て、「まるで本当に無邪気な中学生同士のたわいもない恋愛模様の一ページのようではありませんか。」そう言うがな。つっても、俺と佐々木の間にそういう男女づきあいは・・・・。いや、一日だけならあるか。あの日は、俺が初めてあいつの女子らしいところを発見した日でもあるんだ。たしか・・・二年前。いや、たしかめる必要などないくらいには記憶しているさ。中学三年生の二月。受験戦争に巻き込まれ鬱々真っ盛りだったころの話だ。・・・
俺はその頃、現在通っている北高に進学しようと決めており、試験勉強のために行きたくもない塾に通わされていた。学校の勉強だけでもうんざりさせられるのに、何故ここまでしなければならないのかといえば、まぁいままでサボってきた自分が悪い。この三年間、あまり熱心に勉強してこなかった俺は、北高に入ることさえ厳しいレベルだったのだ。その事は重々理解していたし、同じく北高に進学しようとしている同級生もいたので、なおさら落ちるわけにはいかない。そんなわけで、俺はしぶしぶ今日も勉強を続けているのであった。塾には俺と同じ中学の連中も来ていたりして、授業前の雑談相手にはそんなに困らないだろうと思っていたのだが、実際、俺の同級生たちは何故か別のクラスに分けられており、あいつぐらいしかいなかった。佐々木。女子たちと話している時には女言葉を使うのに、俺を含めて男子と話すときには何かこう小難しい男言葉で話す女子。一体それだけの語彙をどこから仕入れてくるのだろうかと時々思ったりするのだが、俺のこの独白も中学生らしくは無いか。やはり、国木田や佐々木の影響が少なからずあるのかも知れないなと思った。それはさておき、常々疑問に思うことがあるのだ。「何故、佐々木は男子と話すときだけ男言葉なのか。」愛想もいいし、ルックスだって俺の目からしてかなり上々だと思う。普通に女言葉で喋っていればもっとモテるのではないかと思うのだがね。と、あいつに尋ねてやることもあったが、「モテるとかモテないとかがこの人生において問題視される理由が解らないね。」としか返ってこなかった。俺だって、お前の考えているようにそう思ったこともあったがそれは強がりでしかなく、誰だって(別に異性でなくたっていいが)人に好かれたいと思うのは本能だろう。感情は冷静な思考を妨げるものでしかなく、実際感情に見えるものは本能なのだ、と言っていたな、お前は。・・・さて、だらだらと俺の思うところを綴っていても仕方が無いので語ろう。
二月十三日。その次の日にちは、俺にとってそんなに見たくない数字だった。いままで、その日にチョコを貰ってうかれていた記憶などないからだ。流石に中学生になると、貰ったりする奴の名前が結構挙がってきたりして、そのたびに少し悔しかったりする。まぁ、気にしたら負けだろ。と、脳内でつぶやき、塾における自分のクラスの扉を開けた。塾のクラスの中で、学校でも同じクラスのやつは一人ぐらいしかいない。俺はいつも通りの席に座り、振り向いてそいつに話しかけた。「よう。」「おぉ、キョンか。今日はいつものように送ってくれなかったんだね。家に行ってもいなかったからバスで来たんだよ。」俺は普段、塾に行くときには佐々木を自転車の後ろに乗せて行っている。(一応確認。)「すまんな。今日はちょっと用事があったんだよ。」友達の家にさっきまでいたからな。「まぁ、それはいいんだ。いつも送ってもらってばかりでは申し訳ないからね。」「さっきまでここの女子たちと話していたところなんだ。皆、明日のことばかり考えているらしい。」明日とは、まぁ俗に言うバレンタインデーである。
「全く、日本におけるバレンタインデーなんて、チョコレート業界の陰謀にしか思えないけどね。」欧米あたりでは、花とか渡して[Be my Valentine.]なんてセリフ言うんだっけか。「まぁ、普段なかなか自分に対して素直になれない人にとっては都合のいい日なのかもしれないがね。」「ところでキョン、明日誰かに貰えるアテはあるのかい?」あるわけないのだが、即答するのも悔しかったので、少し間を空けて答えた。「まぁ・・・無いな。」「僕は陰謀に飲み込まれる気など無いからチョコレートをあげることはできないが・・・」できないが、何だって?「代わりに何か願ってくれていい。僕に出来ることならかなえよう。」お前は神か何かなのかとツッコミたくなったが、実際いるのか解らない仏やらを拝むよりはよっぽどご利益がありそうだ。一体何を願うかね。明日限定のお願い・・・あぁ。これしかないかな。俺は冗談半分で言った。
「そうだな・・・明日一日、俺に対しても女言葉で話してもらおうかな。」そう聞いたときの佐々木は、なにかクククッという感じで笑っていた。やはりおかしかったか。そう思ったので、取り下げようとして、「あぁ、でも明日は土曜日だったな。学校も塾も無いか・・・。」と言い、これでこの話題は終了となるはずだった。が、佐々木がこう言い出したときには少し驚いた。「学校が無いなら・・・約束して会えばいいだろう、キョン。」・・・とても意外だった。今まで学校と塾でしか接点は無かったからな。個人で約束して会ったことなど一度もない。「ちょうど出かけたいと思っていたところだ。ついて来てくれるか?」断る理由は無いので、当然承諾する。「あぁ。明日の九時に、駅前でいいか。」「それでいい。多少荷物を持ってもらうことになるが、かまわないか?」「荷物持ちぐらい、言われなくてもするさ。」こういうときに荷物を持つのは男の役目だ、と母親に昔から言われていたからな。
そうしているうちに授業は始まり、二時間ほどで終了した。その後いつも通り、二人で帰る。俺は自転車を押して歩き、佐々木はそのすぐ後ろからついてくる。たわいも無い雑談をしながら、いつものバスの停留所まで歩いていく。停留所についたところで別れの言葉を告げ、俺は自分の帰路をたどった。「じゃあ、キョン。また明日、駅前で。」「あぁ、またな。」いままで何回口にしたか分からない定型句を放った後、自転車にまたがってさっさと家に帰った。帰宅時間は午後六時ごろ。ちょうど夕飯時だったので、食う。今日学校であった出来事を話してくる妹と、成績についていろいろ言ってくる親との会話を早めに切り上げる。その後風呂に入ってから、いつもよりやや早い時間に床に就いた。いつもより少しだけ、明日が楽しみだったからなのかも知れない。翌朝。午前八時起床。というか妹の布団剥ぎによって強制的に、だが。いつも通りに朝食をとる。トーストと目玉焼き、それにサラダとコーヒーだ。俺はそれらを早急に食べ終え、約束の九時まであと三十分にせまったところで家を出た。
俺が駅前についたとき、約束の時間より十分早かったのだが、佐々木はすでに到着していた。私服姿・・・はいつも塾で見慣れているがなんというか、いつもより割と可愛らしい服装である。まぁ、二年も経つと記憶もあいまいなので、特にこういう格好だったと説明することは出来ないし、人によって好みもさまざまだろう。なので、ここはそれぞれのご想像にお任せしたい。待たせるわけにはいかないので、少し急いだ。「遅れてすまん。待ったか?」約束の時間より前だとはいえ、待たせたことに変わりは無いから言ったのだ。いつもならここで、「いや、約束の時間前だから何も苦情は言わない。」などと男言葉で返事が返ってくるのだろうが・・・・、昨日の約束を律儀に守ってくれた佐々木は、こう言った。「ううん。さっき来たばかりだから・・・大丈夫だよ、キョン・・・くん。」俺相手にこの口調は初めてなので、キョンと呼ぶべきか、キョンくんと呼ぶべきかで迷ったのだろう。しかし、その迷っている仕草さえ愛らしく感じてしまうのは、俺もまだ慣れていないということなのか。「キョンくん、今日はどこに行く?特に行きたいところが無ければ、ついて来てほしいところがあるんだけど。」「どこに行きたいんだ?」どこか変なところにでも連れて行かれるのかと思ったが、案外普通の答えが返ってきた。
「んーとね、服買ったり、映画見たりしたいの。・・・いい?」そんな、上目づかいに甘えた声で言われてNOと言えるほど、俺は女子に慣れちゃいない。「あぁ、もちろんだ。」俺たちは電車に乗り、より都心に近いところへ向かった。しかし・・・この号車、やけにカップル率が高いような気がするのは俺だけか。おそらく地元の高校生らしい男女が手をつないで話していたりする。「あのさ、キョンくん。」佐々木もそれに気づいたのか、こんなことを言い出した。「私たちもさ・・・手つながない?」俺は、ここにいる佐々木が佐々木ではなく誰か別の人間・・・双子とかではないのかと真剣に考えてしまった。それか、俺が夢を見ているのか・・・しかし、これは現実らしい。現実ならさ、やはり男としては断る気になれないだろう。つないださ。つないだとも。いかにもドーテーらしく痛々しい発言だと今目の当たりにしている高校生方は思われるだろうが・・・仕方ないだろう。
電車が目的の駅についたところで、俺たちは電車から降りた。その駅の近くには大きなデパートや百貨店が立ち並んでおり、車やバスもひっきりなしに通っている。土曜日ということもあり、学生の姿もよく見かけた。・・・同級生に逢ったりしないだろうな?そんな俺の心配をよそに、手をつないだまま佐々木は歩く。クラスの奴らに捕まったらどうなるか分かったものではないのに。駅から歩いて十分ほどで、佐々木の言っていた洋服店についた。ここにはよく女友達と来るのだそうだ。「女の子同士で選ぶのもいいんだけど、今日は・・男の子の視点からってことで・・ね?」用は俺の目線から、服選びを手伝ってほしいとのことらしい。まぁ手伝うと言っても、まず本人が気に入ったものを着て、それが似合っているかどうかを俺が判定するというだけなのだが。しかし、佐々木の持ってくる服はどれもセンスの良いものばかりで、しかもそれらすべてが似合うのだから、判定のしようがない。「キョンくん、これ似合うかな?」「あぁ、似合うよ。」こんなやり取りを何回繰り返したか分からないぐらいだったので、「キョンくん。さっきからずっと[あぁ、似合うよ。]としか言わないけど、ちゃんと見てくれてるの?」「似合うものは似合うんだから仕方ないだろう。嘘は言えん。」
「・・・本当に?」「あぁ。特に三番目と六番目に来た服が良かったかな。」「じゃあ、それにしようかな。会計行って来るね!」会計を済ませた後、その荷物は昨日言ったとおり俺が持つことになった。結構長い時間試着をしていたので、もうお昼時になっている。近くにあったカフェ風の店で昼食をとることにした。俺はサンドイッチを二種類とカフェオレ、佐々木は小食なのかサンドイッチは一種類だけ頼み、コーヒーにミルクを入れて飲んでいた。学校のクラスの話、進路の話、その他いろんな話をしながら食事を済ませた。「そういや、佐々木。さっき見たい映画があるとか言ってたよな?」「うん。たしか、三時前からの上映だったかな。」腕時計を見ると、現在 二時十一分。これから歩いていけばちょうどいい時間なので、俺たちは店を後にした。佐々木の見たい映画というのは、普遍的な恋愛物だった。おそらく、女子たちとの会話の中で挙がったものであろう。まぁ、俺も見てみたいとは思っていた映画なのでちょうど良かった。男友達と見に行けるような感じの映画ではないしな。
上映開始を告げるブザー音が聞こえ、辺りが暗くなる。公開されてから日にちが経っているためか、休日のわりに人は少なめだ。長ったらしい予告集が終わった後、本編が始まった。結構面白い映画ではあったが、歩きつかれたせいでうとうとしている。いつごろだったかは忘れたが、途中から俺は寝ていたらしい。何故か唇のあたりに柔らかい感触があった後、照明の明るさで目覚めた。「キョンくん、起きた?」「あぁ・・・俺いつごろから寝てたんだ?」」「一時間前からかな。気持ちよさそうに寝てたの。起こしたら可哀想に思えるくらいにね。」「なかなか起きないから・・・その、えぇと・・・」佐々木が言葉を詰まらせた。まさか、「ちょっと・・キスしちゃった。」恥ずかしそうに言うその姿は、特に女子と付き合ったことのない俺を十二分にくらくらさせた。しかし・・お互い恥ずかしかったので、少し目を逸らしてしまう。・・・数分間止まっていた。
何と言うべきか。なにかこう・・むずがゆい感覚に襲われる・・・がしかし。時計を見たわけではないが、おそらく今は五時半を過ぎている。そろそろ駅に向かわなくてはならない。そう思った俺は、時が止まったかのようなこの雰囲気を裂いた。「そろそろ、駅に戻るか。」「そうだね・・・。戻ろう。」駅までの帰り道。行きにつかんでいた互いの手を、今は離していた。会話も少しとぎれとぎれというか、空白の時間が多いように感じた。行きよりも遥かに人の少ない電車に乗り込んでからも、それは続いていた。今日の時間は、互いにとって楽しいものであったはずだ。なのに、どうしてこうなるのだろう。俺は、別にさっきのことで気分を害したわけではないのに。理由は、分かっている。分かっているが・・・うむ。互いが嫌いなわけではない。いや、むしろ好きなのに、こうも近づくのをためらうのだろうか。単純に、恥ずかしいという気持ちがそうさせるのだろう、と俺は思った。今日一日で、佐々木のことを今までより知ることができたとは思う。でも、知らずに毎日を過ごしていたほうがいいような気にもなる。意識してしまい、このままろくに会話のできないような毎日を過ごすのは苦しいからだ。 ――――こいつも、そう思っているのだろうか。
朝に待ち合わせをした駅前に戻ってきた。薄暗くなり、街灯が灯る時間帯だ。俺がさよならを言おうとした時、佐々木は俺に語り始めた。「キョン。」いつもの口調で。「僕が、今までキョンと喋るときに男言葉で話していた理由が、君に解るだろうか。」―――俺と同じことを考えていたらしい。「互いを変に意識して、逆に気持ちがすれ違うからだ。」「モテるかモテないかなんてことは、どうでもいいこと。」「気持ちを通い合わせることをためらわせる恋愛感情なんて、病のようなものでしかない。」「キョン・・・僕は、いつものように君と過ごしていたいから・・僕は・・」「・・分かったよ。」正直つらかった。「今日のことは、誰にも話さず、記憶の奥底にしまうことにする。」「それに明日以降も、いつもみたいに話していたい。」「だから・・・謝る。無理言って・・・すまなかった。」最悪だな、俺は。
自分なりの考えを持って、俺との接し方を保っていたあいつを裏切った。素直になっても、いつも通りに自分に接してくれると信じていたあいつを、裏切った。なにより、今日のことで浮かれてばかりいた俺自身が、けだもののように思えてきた。俺は・・・俺は・・・「・・・自分を責めるべきではないよ、キョン。」いつの間にか、頭で考えていたことさえも口に出ていたようだ。「こうなることは分かっていた。過去にも同じようなことはあった。」「君が悪いわけじゃない。僕が、今の自分のスタンスに疑念を抱いただけだ。」「自分を責めないでほしい。」慰められると、余計に泣きたくなってきた。が、言うべきことをしっかり言ってから帰るべきだろう。「・・・佐々木。」「何だい?」「また・・・学校で会おう。」そういい残して、俺はその場から逃げるようにして去った。
自転車にまたがり、走り出すときに見たもの。 暗い空。灰色に染められたそれは、それなりの威圧感を俺に感じさせていた。 黒く厚い雲は心の内の大きな不安のように思える。しかし、実際には水蒸気のかたまりでしかないのだ。 そう考えると、不安がることにさえ虚無感を覚える。 俺は、突然振り出した雨にも動じずただ自転車を走らせるだけだった。 蕭々と、寂しげに振る雨。木々を揺らす風。 その中を、俺は駆け抜けた。 無心で・・・駆けていた。
次の朝。午前八時起床。眠かったが、なんとか自力で起きる事が出来た。昨日と同じメニューの食事をとり、着替えた。特に予定も無いので、どうしたものかな・・・と考え始めて刹那。インターホンが鳴った。一体誰が来たのであろうか。誰かは分からないが、とりあえず玄関に向かい、ドアを開けた。そこにいたのは―――。「やぁ、キョン。」
いつもの佐々木だった。
「何か用か?」「何も。特にこれと言った用事は無い。無計画さ。」「君はこれから何をしようとしていたんだ?」
佐々木が相手だ。これしか言うことは無い。
「勉強でもしようかと思っていたところだ。」「・・・もし暇があるなら、ご教授願いたいんだが。」「もちろんだ。出来る限りのことをしようじゃないか。・・お邪魔するよ。」
いつも通りの佐々木を見て、何だか安堵してしまった。靴を揃え、こちらを向いた佐々木に言った。
「・・・佐々木。」「何だい?」「・・ありがとな。」
空は青く澄みきって、 日は燦燦と降り注ぐ日曜日の朝。 水溜りが―――キラキラと光り輝いていた。
・・・過去に思いを馳せていた俺の耳に、いつものあの声が聞こえてきた。「キョン!古泉くーん!」朝比奈さんと身体をぴったりくっつかせたハルヒが、中庭の石畳を踏み割らん勢いでずかずかと歩いてくる。「わわっ、わわわ」歩幅に1.5倍ほどの差があるため、脚をもつれさせる朝比奈さんを、捕らえた獲物のようにロックして、ハルヒは委細かまわずズッタカと突進継続。いつものハルヒ。変わらない日常。もしかしたら、ハルヒもあの日の佐々木みたいな面を持っているのかもしれない。それを、俺に向けてくる可能性だってゼロじゃない。
また、同じようなことになるのかもしれない。でも、多分大丈夫だ。きっと大丈夫。この一年で、たくさんの修羅場を乗り越えて来たんだからな。・・・きっと受け止められるさ。中三の時より、少しは成長しているのだと思いたい。でも、その「時」はまだ来てほしくないなと、俺は思っている。 何も変わらないこの偉大なる日常。 それを、いつまでも感じていたいから―――。 -END-
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