パンフレット
桜の蕾がずいぶん膨らんだ三月末。いよいよ我が高校にもくるべき時が来た。そう、終業式だ。全体集会で長い長い校長の話を聞き、教室にもどって長い長い岡部の話を聞けば、春休みである。二週間と短い以外はなんら不満もない。年末は禄に休めなかったからな。ここらでオーバーホールといきたいものだ。「なに、ニヤケてんのよ」片方の肘だけで頬杖ついたハルヒが、目を怒らせながら言う。空いた手で、椅子の背もたれを掴んでいる。「あ?春休みだからに決まってんだろうが」待ちに待っていた怠惰な生活が、目の前にある。これ以上の幸せと言えば、夏休みぐらいであろうか。「SOS団に休みなんてないわよ」「たまには休ませろ」「嫌。・・・じゃなくて、ダメ。団長命令よ」ハルヒはお得意のアカンベーをひとつ見せた。周囲は暖かく見守ろうという雰囲気ではあるが、俺には生暖かく感じられて居心地が悪い。「おいおい、春休みになんの活動するってんだよ」「決まってんじゃない、4月からは新入生もくるんだし、勧誘パンフ作ってないの忘れたとは言わせないわ」そのパンフを作るためのソフトをインターネットで見つけ、PCにインストールしたのは俺だし、ある程度までパンフを作ったのも俺だ。そのパンフにハルヒはなかなか首を縦に振らず、それ以降製作は進んでない。パンフ作成ソフトおよびパンフはハルヒのPCに入っている。団長殿のネットサーフィンの邪魔はいかんだろう、邪魔はな。「んじゃ、あのラフに頷けばいい。それですべてが終わる」「ダーメ。あんなんじゃ人来るわけないわよ。あんたがデザインしたポスターで、おもしろい話来たことあるの?」「来たじゃねえか、喜緑さんが」「一人じゃないの。無駄口叩いてないで、さっさとあたしが納得するパンフをつくりなさい。そうでなきゃ、春休み無しって、心得なさい?」俺は天井を仰ぎ見て、肩をすくめるほかなかった。
ハルヒと二人で部室に向かう。春休みが始まった校内に人影はない。「あいつらも来るのか?」「くる必要があるのは、やることやってないあんただけよ。・・・・・・あんた一人じゃ危ないから、あたしも監視役でいるけど」どこをどう話をつけたのか、春休み期間中、SOS団はずっと営業中であると教職員は了解しているという。顧問もおらず、活動内容が意味不明で正式な部でもないSOS団を、よくもまあそこまで受け入れてくれたもんだ。ひょっとして、これすらもハルヒの情報を生み出す力の賜物なのだろうか。部室の扉には当然鍵がかかっている。ハルヒが鍵を開き、中に入る。俺は長テーブルにカバンを置く。窓から差し込む光の中で、埃が舞うのが見えた。ハルヒも同じように長テーブルにカバンを置いた。定位置に座ろうとする俺をきつい目で制した。「さ、やんなさい」俺を見据え、人差し指をPCに向けていた。俺は大きなため息をついて、PCが置かれている団長席に移動した。「・・・・・・わざとらしいんだから」ハルヒがため息のように呟いたが、聞こえないことにする。PCの電源を入れたが、最近システムが起動するまでは数十秒かかるようになった。多分、ハルヒがネットで仕入れた謎のソフトやら奇怪な動画や恐怖の静止画のせいなんだろう。俺が入れたゲームやらゲームやらゲームは当然無関係なハズだ。しかし、そろそろメンテが必要なのかもしれん。春休みが明けたら、コンピ部の部長に相談でもしてみるかね。そんなモノローグの間にシステムは起動した。デスクトップに置いた作りかけのパンフはあの日のままだった。できれば思い出にしたかったんだがな。そのパンフをダブルクリックして、ソフトを立ち上げた。ライトブルーの背景に黄色い星が浮かび、中央にピンクのリボンが泳いでいる。そのリボンの中には一言、『SOS団、団員募集中』と極太ゴチック文字が踊っている。 そんなパンフが画面一杯に表示された。デザインの心得などない俺が3時間も掛けた大作だ。これにハルヒがうなずいてくれさえすれば、物事はすべて片付く。ハルヒは長テーブルの、いつもは古泉が座っている席に腰を降ろしている。テーブルに肘をついた姿勢で、携帯をいじくっている。俺の視線に気づいたハルヒが、こちらを睨みつけるのに時間はかからなかった。「あによ」「いや、なんでも」ハルヒが鼻を鳴らす音がここまで聞こえる。
さて。ちょっとパンフレットを派手目にしてみるか。文字を3Dにしてみたり、リボンに布のテクスチャを貼り付け、そして背景にグラデーションを駆使していく。なんか楽しくなってきた。背景の星を増やし、おまけに宇宙船も貼り付けた。時計をゆがませたものもいくつか配置した。「地味に頑張ってるみたいね。どれ、見せてよ」いつの間にそこまで近寄っていたのだろうか。全然が気づかなかった。ハルヒの吐息を首筋に感じて、ぞくりとした。ハルヒは俺の肩に手を置いて、ディスプレイを覗き込んだ。「な、なによ~これは!!!」ハルヒは大きな目をさらに見開いて、俺の耳元で叫んだ。「耳元で怒鳴るな」鼓膜がやぶれるかと思ったぞ。「全然ダメじゃない、なにやってんのよ。バカじゃないの?」「これからよくなるんだ、もうちょっと待ってろ」「どこをどうすればよくなるのよ、これ。子供の落書きの方が100万倍ましじゃないの」「芸術は理解されにくいものだな」「なにが芸術よ、こんなゴミ、いやゴミ以下よ」ハルヒは俺の手ごとマウスをつかんだ。「こんなゴミはね、こーして、こうして、こーしないとダメよ!!!」俺の芸術的作品は、ハルヒの乱暴なマウスさばきによって見るも無残な有り様と化した。おまけに保存すんなよ、せっかくの力作をよ。「・・・・・・30分の努力が水の泡じゃねえか」「あんたがマジメにやらないのが悪いんでしょう?」
しょうがない。このラフのことは忘れて新たにラフを起こすことにしよう。頼りになるのはネットだな。ネットで検索すること10分。すくなくともハルヒが目を輝かせて喜びそうな代物は見つからなかった。やはり頼れるのは己だけか。厳しいな、世の中は。真っ白なA4横用紙をディスプレイに表示して、かれこれ30分経った。が、心も真っ白なままでなにも浮かばない。「完成させるまで、毎日作業だからね」ハルヒは足を組み、膝の上に雑誌を広げた状態で俺に言った。まったくとんでもないプレッシャーを掛けてくる。『宇宙人、未来人、超能力者と遊ぼう!!!』ってなキャッチフレーズを思いついたが、一歩間違えば病院行くことを薦められることだろうな。
逆に、お気楽お遊びサークルとしてのSOS団を全面に押し出すのはどうだろうか?
パステルブルーで背景を塗り、中央に黄色い文字でSOS団、団員募集中と極太ゴチックにしてみた。そして回りに夏合宿、冬合宿の時に撮った写真を張り付けてみるか。えーと、やっぱり主役になるのは女性陣だろう。デスクトップに戻り、フォルダをあちこち開いて、夏合宿の写真を見つけた。サムネイル表示を眺めると、あの夏がよみがえって来るね。波打ち際で遊ぶ朝比奈さんとハルヒ。パラソルの下で涼む長門。妹と朝比奈さんと首まで砂に埋まった古泉。スイカを貪り食う長門とハルヒ。ムカつくことに青春を謳歌している古泉と朝比奈さん、そして触発寸前の俺とハルヒ。そして、砂に埋もれている長門とその回りを跳ね回る妹。いや、夏だね。夏はいい。夏バンザイだな。「なに鼻の下延ばしてんのよ」思いがけず下から聞こえたハルヒの声に、椅子から飛び上がるほど驚いた。なんて心臓に悪いことをするんだ、おまえは。ハルヒはしゃがんだまま、団長机にあごを乗せて、俺を見上げている。「エロエロな目して、なに考えてたのよ?」「夏の思い出を振り返り、一人楽しむこともあるさ」「なにするつもりよ」「あ、パンフに写真載せようと思ってな。楽しいSOS団を全面に押し出す作戦だ」「ふーん」「お、てっきりダメ出しされるかと思ったが」「ま、あんたにしては考えた方かもね」「褒めてるのか?」「全然」しれっとハルヒが言った。殴ってやりたくなるのは俺だけじゃないだろう。「ま、できたらあとで教えてやるから、雑誌でも読んでろ」「素材選びは団長の許可なくしてはできません。で、どれ使うつもり?」「これはどうだ?」俺は全員で写っている写真をクリックした。集合写真の一枚は欲しいところだからな。「いいわね」ハルヒはすんなり頷いた。朝比奈さんと古泉が波打ち際を走っているという写真にもOKが出た。長門とハルヒがスイカを貪り食う写真もOKが出た。「んじゃ、最後はこれでどうだ」俺とハルヒがビーチボールを挟んで写っている希少な一枚だ。妙に神妙なハルヒの表情が印象的だな。「・・・・・・・・・」ハルヒはアヒルのような口を作りながら、黙って画面を見ている。「どうだ?」「保留ね」ハルヒはぼそりとつぶやくようにいった。そして俺の顔を見上げてこういった。「そろそろお昼だし、コンビニにいきましょう」
コンビニで弁当二つと飲み物とお菓子を購入した。会計は俺持ちというのが許せないが、許してしまっている現状はいかんともしがたい。暖めてもらった弁当などを受け取り、雑誌を立ち読み中のハルヒに声を掛ける。ハルヒは手にした雑誌をそのままレジに持っていった。電子マネーなどという小賢しいもので会計を済ませると、真っ先に店を出て行った。そんなの持ってるんなら、弁当代払ってくれ。暖かく湿った風が、坂道の上から吹きおろしてくる。ハルヒの髪が踊り、ついでにスカートの裾も踊った。俺はなにも見ていない。本当だ。ハルヒは口をとがらせて、俺になにか言いたげな視線を送った。そのまま何もいわず、一人で坂道を上がっていく。ハルヒに追いつくのにはすこしだけ早足で歩けばいいだけだった。「・・・・・・みえた?」「なにが?」「まぁ、ショートスパッツ履いてるし、見えてもかまわないけどね」「そいつは残念だね」「なにがよ」「さてな」「エロキョン」ハルヒが、小さく微笑んだように見えた。
部室に戻って、弁当を広げた。飲み物も買ってきてあるので、火を使う必要はない。ハルヒと向き合って部室で弁当食うなんて初めてだな。なんとなく胸の奥でむず痒さを感じてしかたがない。「おかず、交換しない?」ハルヒは弁当に視線を落としたまま言った。「ああ。・・・・・・好きなの持ってけ。その代わり、なんか置いてけ」ハルヒは俺の弁当と自分の弁当をじっと見つめて、俺のチキン南蛮を一切れ持っていった。その後、自分のハンバーグを1/10ほど箸で切って俺の弁当に載せる。「ちょっと不公平じゃねえのか?」「・・・・・・・・・」ハルヒは口をとがらかせ、さらに1/10ほど箸で切って俺の弁当に乗せた。等価交換の原理には反しているが、許してやらんでもない。ハルヒはなぜか弁当に視線を落としたまま、食べ始める。俺はそんなハルヒを眺めながら、弁当を食べ始める。「どうした、調子でも悪いのか?」「ん?そんなことないけど」「ならいいんだが」「あの、さっきの写真なんだけどさ・・・・・・ダメ」「そうか。別のを探すことにするか」「あれ、ちょっと恥ずかしいしさ」ハルヒは顔を上げて、ぎこちない笑顔を浮かべた。「違うのがいいと思うんだよね」「ああ。分かった」「まあ、みんなの写真を多めに使うのがいいと思うのよね。そのほうが、楽しさを表現できると思うし」「ん、そうだな」「でも、それだけじゃダメね。もうちょっと真のSOS団に迫るような何かが欲しいわね」そうだな、巨大カマドウマやウチのシャミセンに封印されたなんとか情報体、それに長門の魔法や、神人なんてのものの写真があればな。もっとも、それはかなわぬ願いというやつだ。勘弁してくれ。ハルヒ。「ああ、じゃあハルヒがデザインしたSOS団のエンブレムでもいれとくか」正確には長門がリファインした無害な方のエンブレムだがな。「それ、いいわね」「んじゃ、その線でパンフを仕上げるとするか」「やればできるじゃない」ハルヒはにこにこと微笑んだ。おまえがやらせてんだろ? そう思いながら、ご飯を口に運んだ。
飯を食い終わり、一息ついて、俺はまたPCに向かった。ハルヒはコンビニで仕入れた雑誌を眺めている。適当に写真で飾り、長門が改変したエンブレムを入れた。これでパンフ完成だな。いやはや、肩の荷が降りたぜ。印刷を始めたプリンタの動作音が、静かな部室に響いた。ハルヒに印刷したてのパンフレットを渡した。ハルヒはそれをじっくりと眺め、何度か頷くと、OKを出した。「これはこれでいいわ」これはこれでいい?非常に嫌な予感がするが、そうであって欲しくはない。「もう一種類つくってもらうから」ハルヒの口から、予想どおりの言葉が飛び出た。
創作能力の限界を感じた俺は、もう一つのパンフを作っている振りをしている。我らのWebページをこっそり更新したり、いろいろ検索したり。いまは有名ポータルサイトとやらで、新作ゲームレビューに目を通している。こういう自由さが、新たな創作に必要不可欠だと信じさせてくれ。もっとも我らが団長に知られたら、ただ事では済まないだろうがな。「ねぇ、キョン」ハルヒを見れば、ハルヒがチャイナドレスを着込んでいた。俺が隠れてこそこそやっている間に、ハルヒもこそこそ着替えていたのか。「どう?これ?」太ももまであらわになる深いスリットが見事だね。ただし、黒いニーソックスはチャイナドレスに合わんし、色っぽさも半減だ。まあ似合ってるし、十分可愛いとは思うがな。「いいんじゃねえか?」言葉にすればそれだけになる。「当日はこれで勝負よ」「ほどほどにしとけ。また騒ぎになったら目も当てられん」「みくるちゃんはなにがいいかな、やっぱバニー?」「チャイナにしとけよ。止められちゃ意味ねえだろう?」「チャイナじゃ被るし、ミニスカウェイトレスなんてどう?」「朝比奈さんはいつものメイド服、ハルヒはチャイナでいいんじゃねえか?」「ふうん」ハルヒがニヤッと奇妙な笑みを浮かべた。「ね、ミニスカウェイトレスなみくるちゃんと、チャイナ服なあたし。どっちが好き?」「え?」「ねえ、どっち?」「そういわれてもな・・・・・・」そういって、ハルヒは満面の笑顔を浮かべポーズを決めている。困った奴だ。とりあえずハルヒといっておけば、この場は丸く収まりそうだな。それに、可愛いことに間違いはないからな。いや、待てよ。俺の言葉を逆手にとって、コスプレを正当化するつもりかもしれん。騒ぎが起きるのは目に見えている。ここはひとつ、変化球を投げておくに限る。「・・・・・・俺が好きなのは、普段のハルヒだな」「え」ハルヒはキョトンとした表情で絶句している。「そうやってコスプレするのも悪かないが、やっぱり普段のおまえの方が好きだな」「・・・・・・・・・」ハルヒは無言のまま顔を伏せた。そのままこちらに歩みよってくる。「ねえ、キョン、えと本当にそう思ってるの?」妙に声が小さくて、聞きとりずらいな。「ああ、嘘なんてつかねえよ」「そう・・・あの、あたしもさ、前から言いたいことがあって、いまがいいチャンスかなって思うんだけど・・・・・・」「なんだ?」「えーと・・・・・・」ハルヒは顔を伏せたまま、言いよどんでいる。「あの・・・ね」「どうしたんだ?おまえらしくもない。言いたいことがあるならはっきり言えよ」「あの、実は」ハルヒは顔を上げ、まっすぐ俺を見つめた。「前から・・・・・・って、なにやってんのあんたはぁ!!!」ハルヒの視線は俺を通り越して、PCのディスプレイに注がれている。そこには当然のことながら、新作ゲームレビューが表示されている。ハルヒの表情が一変した。「真面目にやってるかと思えば、この、この、この」ハルヒは握りこぶしをつくると、ぽかぽかと俺の頭を殴った。加減しているようで痛くはない。しかし・・・・・・非常に情けない気分になることは、俺が保証してやろう。
その後は、ハルヒが背後霊として付き従い、そのため俺の寿命は数年は縮んだ。ハルヒが気に入らないことがある度に、メガホンでパカパカ頭を叩かれたからだ。そのお陰とは言いたくないが、二種類の募集パンフは完成した。もし、北高に来ることがあるのならば、受け取ってやってほしい。多分、チャイナドレスを着たハルヒに出会えるだろう。ま、そのときはよろしく頼むぜ。
おわり
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