決戦
暮れなずむ町の外れにあるファミレスから今回の話は始まる。今日も今日とてハルヒと二人、寄り道をしている。今回は喉が乾いたという理由で、300円のドリンクバーがあるファミレスとなった次第だ。しかし、いい加減言い訳のストックが尽きつつある。どこでどのように補充すればいいのだろうか。誰か教えてほしい。すまんが、言い訳などもう不要ではないかという意見は却下だ。「もうすぐ春休みねえ~」トロピカルティなるものを楽しんでいるハルヒが呑気に言った。「早いもんだな。前に春休みも合宿だとか言ってたが、どうするつもりだ?」俺はアセロラドリンクという甘ったるい飲み物で喉を潤している。あと数杯は飲まないと、喉の渇きは癒えそうにない。「ん~どうしようかしら。やるとなるとさ、うちの親父を押さえとかないと危なくて」確かに突然登場して、またハルヒが激怒する光景が想像できそうだ。「しかし、去年の夏合宿や冬合宿はどうやってごまかしたんだ?」「ん?単に部活の合宿って言っただけ。そのころは、親父もおとなしかったの。だから、問題なかったわけ」「しかし、なぜ最近になって、あんなに積極的になったんだ?」「だからあんたが家に来て、晩飯食ったから」「それにしては、ちょっと暴走ぎみだが」「んーとね、それはね……」珍しくハルヒが言いよどんでいる。視線を落とし、ほんのり頬を赤らめている。「他に理由があるのか?」「あのさ、『おやすみのキス』したじゃない?あの時」「………ああ」よく覚えている。おやすみのキスなのに、その晩、全然眠れなくて困った記憶が鮮烈に蘇る。……何が困ったのか、男なら分かるだろう。「みられてたのよ、あれ。親父に」「な、なんだと!?」「大きな声ださないでよ、恥ずかしい。それで、なの」「まああれは確かにな……」「やっちゃったって感じ…よね……」
「それでか……」「別に、つきあってるとかそういう訳じゃないでしょ。あたしたち」やや視線を逸らせながら、ハルヒが言った。「ああ。そうだな」「でも、まぁ雰囲気に流されちゃうってことはしょうがないことよね」「よくあることだな」「良くあっちゃ困るんだけど」ハルヒは苦笑しながら言った。「でも、ねぇ」「親父さんがやたらと構ってくる理由は分かったが、困ったもんだな」「そうなの」「いっそのこと親父さんに、その、交際宣言しちまうってのはどうだ?」「建前だけ恋人になっちゃうってこと? でも、反対されたらどうするの?いまは自由だけど、邪魔されちゃうかもしれないよ」「それもそうか……」「それは困るでしょ。せっかく楽しく遊んでるのに、台無しにされかねないよ」「しかし、このままにしといても、いい印象にはならんよな」「それはそうね。そんな男と付き合う気かって言われそうだし」「となれば、もう正面突破しかないんじゃないのか」「そうね……でも、親父のことだから簡単にあしらわれちゃうかも」「それならそれで何度でも挑戦するしかないだろう?」「へえ~言うようになったわね。ちょっと見直したわ」「似たような性格の奴と、一年近く付き合った経験の賜物だな」「あんたも一言多いのよね」ハルヒはややうんざりした表情でいった。
「で、決戦の日はいつにする?」ハルヒはうれしそうに言った。「下手にこの日って決めると親父さんのことだ。周到に準備しかねんな。今日はどうだ?」「え、あたしは別にいいけど。母さんなんて言うかなぁ」「無理なら明日か」「ちょっと聞いてくるね」ハルヒは席を立ち、店の外に出て行った。携帯で電話するのだろう。ハルヒが言うように、楽しく遊んでいるところを邪魔されるのは困る。まあ親心ゆえの行動だとは思うのだが、小学生ではないのだから、もうすこし離れて見守ってほしいものだ。そう切に思う。「今日でいいって。親父も普通に帰ってくるっていってた」ハルヒは100Wの笑顔を浮かべながら戻って来た。「何時にいけばいいんだ?」「そうね……あと30分したらここ出ればいいかな」「よし。では作戦を練るとするか」
店を出れば、日は落ちたが、薄明かりはまだ残っている。いわゆる宵の口か。夜の闇が町を覆うには、まだまだ時間がかかりそうに思える。「さて。いきましょうか」そういってハルヒは手を伸ばして、俺の手をつかんだ。ハルヒの細く、小さな手はひんやりと冷たかったが、しかし心地よい。「おいおい、手つながないんじゃなかったのか?」「あんなこと、二度とやらないから平気よ」そのまま手を繋いで、ゆっくりと歩いて行く。なにも喋らずとも気持ちが繋いだ手から流れ込んでくるように感じる。どんどん暗くなって行く住宅街に家の明かりが目立っている。ぼんやりと見える明かりは優しく、帰る場所だということを意識させる。ハルヒの家が近い。特に目立たない普通の家なのに、何故か特別なものに見えてしまうのはなぜだろうか。ハルヒがそっと手を放した。寂しさを覚えないといえばウソになる。手が離れるときの寂しさはどこから来るのか、考えたことがあるのだが答えはまだ見つかっていない。自分の心からなのか、それとも相手の心からなのか。あるいはその両方なのか。
ハルヒの家の敷地に入った。ハルヒはカバンからキーホルダーを取り出して、玄関の鍵を開けた。ハルヒは扉を勢いよく開けて、中に入って行く「ただいま」「お邪魔します」やはりパタパタとスリッパの音を響かせて、ハルヒ母さんが登場した。エプロンで手を拭うところまで、前と同じように見える。ひょっとしたら玄関を空けた瞬間に、あの時間に戻ったんじゃないかと疑う程だ。「おかえりなさい」ハルヒ母さんが柔らかい笑顔を浮かべる。声はハルヒに似ているように思う。電話だと間違えるかもしれんな。「どうぞ、お上がりなさい」そういってハルヒ母さんはスリッパを俺の前に出してくれた。家ではスリッパなんぞ履かないのだが、出された以上履くしかない。おとなしく靴を脱ぎ、スリッパを履いた。「父さんは?」「もう帰って来て、居間にいるわ」「そう」ハルヒは居間に通じる引き戸に手をかけて、中を伺った。ぎょっとした顔になり、一瞬硬直したように見えた。「ちょ、ちょっとここで待ってて」そう言って、ハルヒは居間に入っていく。ハルヒの声が廊下にまで聞こえて来た。「ちょっと、なにやってんのよ、そんな格好で!!!」「緊張してるだろうから、和ませてやろうと思って」「何考えてんの! そんなのどこで見つけてきたの?!」「おもちゃ屋だ」「そもそもこの部屋の飾り付けはどうなってんのよ!!!」「こんなこともあろうかと、前々から用意しといた」かすかに開いている引き戸から中を覗くと、LEDがピカピカ点滅するとんがり帽子を被った親父さんの顔が見えた。その前にハルヒの背中が見えた。部屋の飾り付けというのはここからではよく分からない。どうやら腰に手を当てて、小さな声で説教を始めたようだ。親父さんはしぶしぶといった様子で、とんがり帽子を脱いだ。「もういいわよ。入って来て」ハルヒの呆れた声にせかされて、引き戸を開けた。カーテンレールにまとわりつく金銀のモールや、リースは一体なんなんだ?ハルヒの家では旧クリスマスなんてものが実在して、それを祝っているのか?そんな疑問を胸に、居間に入った。「いらっしゃい」親父さんは満面に笑顔を浮かべていった。「お邪魔します」「やっと来てくれたね。随分この日を待ちわびていたよ。ちょっとしたデコレーションを用意してしまうほどに」ちょっとしたデコレーションですか。これが。この季節外れのクリスマスを祝うがごとくのデコレーションがちょっとしたものならば、本番のクリスマスはさぞかし豪華絢爛でしょうね。うちの妹がみたら大感激のあまり、寝付きが悪くなること確実ですよ。しかし俺にできる事は愛想笑いとあいまいな返事だけだ。「はぁ……」ありがとうございますといっていいのだろうか? こういう風に迎えられるのが好きと思われたりしないだろうか?「ああ。立ってないで座りなさい。……そこじゃなくて、隣。そうそこ。ハルヒは彼の隣だな」「どうも御馳走になります」「まだ礼を言うには早いよ。まだ始まってもいない」ハルヒは仏頂面で俺のとなりに座っている。親父さんはにこにこと俺を見つめている。最初の意気込みはどこへいったのか、もう家に帰りたくてたまりません。
テーブルの上にはさまざまな料理が並べられていく。ハルヒの母さんが、一人で台所と居間を往復して、料理を運んでいる。いやはや家とは大違いだぜ。「いつからハルヒと遊ぶようになったんだ?」「去年のGW明け過ぎですか」「部を立ち上げるのに君の発言がきっかけだと聞いたんだが、そうなのか?」「そうですね、はい」ヒントを与えてしまい、巻き込まれましたと正直にいうべきだろうか?いまさら、そんな事は言えないな。「それなのに、雑用係とはハルヒもひどいことをする」「だってキョンに勤まるのはそれぐらいだもん。あたしの人をみる目は正しいのよ」「一般人の癖に話しかけてくる変な奴がいるとか言ってたのにな」「そんなこと言ったっけな~」「それからしばらくして部を立ち上げることにしたとか言ってな」「覚えてないわね」「話を聞いてみれば、その変な奴と一緒というじゃないか。その時はてっきり女の子だろうと思っていたんだ」「女の子の方が多いのよ。あたしでしょ、有希でしょ、みくるちゃん。むさ苦しい男ばっか増やしてもねぇ」「ハルヒはちょっと静かにしてくれないか。キョン君と話したい」「父さんが静かにするのが先ね」ハルヒは俺に助け舟を出しているつもりなのか、単にまぜっかしているだけなのか、判断に困るな。「ところで、キョン君はハルヒのどこが気に入ったんだ?」いきなり急所を突かれて、心臓が一瞬止まったように思えた。「どこといわれても困りますが……」なんとか言葉にはなった。「まあ、のろけられても困るがな。では、ハルヒはキョン君のどこが気に入ったんだ?」「別に、気に入ったところなんてないけど」「でも好きってことか」親父さんはぼそりとささやくようにいう。「父さん、娘のノロケ話は聞きたくないなぁ」「……一回、死ぬ?」ハルヒが怖い目で親父さんを睨みつけだ。が、親父さんは一向に動じた気配はない。「孫を抱いてからでないと死ねんな」「口が減らないわね」「そもそも減るもんじゃないだろう?」親父さんは平然とした顔で言った。
宴が始まり、皿に盛り付けられた料理はみるみるうちに減っていく。料理を食べながらも、ハルヒと親父さんの会話は止むことはない。時々ハルヒの母さんが二人に注意していっとき静かになる程度だ。俺はもう限界、箸をおいた。しかし、ハルヒや親父さんは残った料理をどんどん平らげて行く。きれいにすべての皿が空くまでに時間はかからなかった。ハルヒ母さんが、皿を台所に運んで行った。食後には暖かいウーロン茶が出て来た。これは旨いとしかいいようがない。「で。二人が付き合い出したのはいつからなんだ?」「あの、実は、去年のクリスマスからです」俺は足を正座に直した。それをみたハルヒも正座に直したのは内心驚いた。いろいろ話し合った結果、親父さんに策を弄しても無駄で、やはり真っ向勝負しかないというのが結論だった。「まだ高校生だというのに、男女が交際するなどまかりならん」親父さんは俺の目を見据えたまま言った。覚悟していたほどの衝撃はない。交際を認めようが認めまいが、俺達は勝手にやると決めた。その覚悟はまだ揺らいでいない。もっとも、これも親父さんが仕掛けた罠のように思えなくもないのだが。「それでも僕たちは交際をつづけたいと思っています。ハルヒさんを大事にしますので、どうか見守っていただけませんか?」「………」「あたしもね。キョンとならうまくやってけると思うの。絶対、迷惑かけることはしないから、見守っていてほしいの」「………」「お願いします」「お願い」「……困った」親父さんの表情が曇る。やはり、交際には反対だったのか。「………」「冗談だったのに、そこまで真剣にお願いされると、困るじゃないか」「は、はぁ?」「ど、どういうこと?」「つまりだ。『まだ高校生だというのに、男女が交際するなどまかりならん』と沈黙を呼んどいてだ。『などと昔の人は言いましたが、いまは時代が違うよな』と落とす予定だったんだ」居間に沈黙が広がる。俺は頭に手を当ててしまう。と同時に体中の力が抜け、へたりこんでしまいそうだ。もっとも隣のハルヒはがっくりと手をつき、へたりこんでいるのだが。「最初っから言ってたように、別に交際に反対なんかしてないぞ?」「………はあ、心配して損した。じゃあ、もう邪魔しない?」「最初っから邪魔はしてないだろう?」「いろいろうるさいんだもん」「まあ子を心配する親心ゆえだ。許せ」「単に面白いからでしょう?」「それもあるが、まぁ許せ」「あたしの反応をみて楽しんでたんでしょ?」「その通りだが、とにかく許せ……な。悪気があったわけじゃない。本音をいえば、若さゆえに行くとこまで行って、取り返しのつかない事態になるのを避けたかったんだ。……言いたいこと、分かるよな?社会人でさえいろいろ大変なんだ。高校生でそうなったら……想像以上に大変だぞ。親としてはそんなことで苦労する娘の姿など見たくない。高校生らしいお付き合いをする分には、何も言わんよ」「高校生らしいお付き合いって、どこまでをいうの?」ハルヒが真顔で聞いた。それを親父さんに聞くのは非常にマズいと思うんだがな。まるで地雷の位置を調べるのに、その上でジャンプするようなもんじゃねえか。「ちゃんと避妊しろってこと……」真剣な顔で親父さんがつぶやく。「いや、そもそも建前上エッチはダメか……でもキスだけじゃつまんな」「今、臨死体験してみる?」ハルヒは親父さんを冷たく見据えながら言った。「きれいなお花畑、見れるっていうわよ?」「遠慮しとくよ」親父さんは苦笑いを浮かべただけだった。「あらあら、まだ早いんじゃないの?」台所からハルヒ母さんが顔をだした。ふきんを手にしている。「もうお嫁に行くつもり?」「母さん! そんな話はしてないわよ!」ハルヒは一瞬にして顔を真っ赤に染め、叫んだ。俺は熱くなった耳をどうすることもできず、うつむいていることしかできなかった。
食後のデザートは甘いパパイヤだった。それをたっぷり楽しませていただいたところで、おいとますることにした。「また、来てくれるとうれしいな」親父さんは微笑みを浮かべながら言う。「また、お邪魔します」途中まで送って行くというハルヒと一緒に玄関を出た。「これで一段落ついたってことか」「そうね。これであの親父もおとなしくなるわよ」「そう願いたいもんだな」「まぁたまには家に来てよ。それであの親父は満足するわ」「そうするよ」「これで……あたしとあんた、建前上恋人同士ってことになるわね」「そうなるな」「ま、それは関係なく、いままで通りやっていきましょうよ」「そうだな。……お手柔らかにな」「いつも優しくしてやってるでしょう?……でも、まあよろしくね」ハルヒは歩きながら、そっと腕をからませてきた。はにかむような笑顔に胸の奥に暖かいものが生まれる。かすかに甘い香りが立ちのぼり、胸の高まりが押さえられない。「ねぇ……」ハルヒが立ち止まり、なにかをねだるような声でささやく。その声に高ぶりが止まらない。ゆっくりと顔を寄せていく……ちょっと待った。「どうしたの?」ハルヒがすこしいらだった表情で俺を見上げた。ポケットの中で携帯電話が震えていた。一体どこのどいつだ。一言文句をいってやらないと、収まりがつかん。ハルヒは口を尖らせているが、腕を放しはしない。柔らかいものが当たっているのはうれしい反面、ちょっと困った状況だな。俺は携帯を開き、電話を取った。相手はうちの母親だった。一言で言えば激怒していて、要約すると以下のようになる。『娘がお世話になってますって、涼宮さんのお母さんから電話いただいたの。家に電話もせず、よそ様のうちでごちそうになるっていい根性ね。帰って来たら、じっくり説明してもらいますからね』「………自分の家のこと、すっかり忘れてたぜ」「まさか親父が電話したの?」「いや、ハルヒの母さんが電話したらしいぞ。どうも娘がお世話になっておりますって」「母さんが?」そういったっきり、ハルヒは絶句している。「参ったな。……ああハルヒ、ここらで見送りはいいぞ」「待ちなさい」ハルヒは腰に手を当てて、100Wの笑顔でこういった。「あたしも一緒に怒られてあげるわ」「いや、おまえは………」「なによ、建前上彼女になったんだから、それぐらいしてあげるわよ」
遠慮を知らないうちの母親が、俺とハルヒを解放したのは夜中といってもいい時間だった。もちろん、俺はハルヒを家まで送っていったさ。建前上、彼氏になったんだからな。当然のことだな。
おわり
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