人生最悪の三日間 第一章 ~オレ殺人事件~
一日目
午後五時。部室前にて。『三名欠席により今日の活動は休みです。by古泉』という貼り紙を見たのは放課後のことだった。ハルヒが風邪で欠席しているのは知っていたが、長門まで風邪か? 怪しいな。インターフェースはインフルエンザウイルスも倒せるんじゃないか?もしかしたら、また何か巻き込まれるかもしれないな。少しでも変わったことがあったら、俺が厄介ごとに巻き込まれる前兆だ。このドアに貼られた貼り紙を剥がして、そのままさっさと帰ろうとしたときだった。部室の中から人の気配を感じた。気配だけだが、明らかにドアの向こうには誰かがいるのだ。それに物音もする。足音のような音。おそらく一人だ。団員以外にこんな部屋に入るような物好きな人間はこの世どころかあの世にも存在しないので、おそらく古泉だろう。それにしても一人でなにやってるんだ? オセロか? 一人で? 寂しいな。本来二人で行うものを一人でするというところに、その寂しさが表れている。想像しただけでも声を出して笑いたい。しかし、まだオセロをやっていると決まったわけではない。もしかしたら一人でクリケットや野球をやってるかもしれないし、一人エレクトリカルパレードや一人アメリカ横断ウルトラクイズが開催されているかもしれない。……どれも不可能だが。まあ、そんなことはどうでもいい。俺は冷たいドアノブを回して中に入ろうとした。以前から思っていたのだが、この部屋のドアが内開きなのもハルヒが望んだからか? 勢いよくバーンッと入るために。このドアが外開きだったら、ハルヒはドアを木っ端微塵にしてしまうからな。まあ、修理費を払うのは俺だが。ドアを開けると、意外にも人間が二人いた。そこまではなんら問題ない。俺はそのままいつもどおりの席に座って古泉とオセロを始めるだろう。しかし、それができないのだ。その二人の人間のどちらか片方が古泉ではなかったせいで。皆さん、そこに誰がいたか予想していただきたい。多分当たらないから。古泉でもなければ長門でもないし、朝比奈さんでもハルヒでも鶴屋さんでもない。国木田でも谷口でもないし、朝倉でもない。俺の妹でもないし、コンピ研の部長がそこにいたわけでもない。絶対に、そこにいるはずのない人間がいたのだ。朝倉じゃないのかって? 今「朝倉でもない」って言っただろ。じゃあ、死んだ人間なのか?と聞かれれば、答えはNOだ。俺はコイツが死んだなどという知らせは聞いたことが無いからな。一人は俺のほうを見て、こう言った。「そろそろ来ると思ってたぞ」ああ、またなんか巻き込まれたようだな。俺は。俺の頭の中は正直言って、パニックだ。その男は片手に消火器を持っていて、その消火器は血で濡れている。「その血は誰の血だ?」と聞くまでもなかった。もう一人のほうは、そいつの足元で頭から血を流して、ピクリとも動かずに床に寝そべっているのだから。ここで俺のまめ知識をひとつ。警察の人間はここを部室とは呼ばない。犯行現場と呼ぶ。男は「ちょっとこいつを処理するの手伝ってくれ」と俺のほうを向いて言った。長門のように無表情で。本当に恐怖を感じたときは、笑うしかないものだ。しかし、笑うことすらままならない。だって二人とも……
「俺」なんだから。
ここで言う俺とは、キョンである。名前はまだ無い。(あるけどな)つまり、同一人物が同じ部屋に三人存在しているということである。これは常識的に考えてありえないことであるというのは、皆さんすでにお判りだろう。しかし、ハルヒに関わってしまった時点で物事を常識的に考えてはならないのだ。非常識的に解釈しようとしても不可能だ。俺は常識の世界にいたんだ。できるわけがない。え~と、これはハルヒが望んだことと考えていいのか?ハルヒは望んでいたのか? 俺が俺を殺してしまう場面を俺が目撃してしまうという非常にややこしいシチュエーションを。だとしたら、俺はアイツを恨むぞ。これはアレか? 「ドッペルなんとか」か?「聞いてるか?」と俺の顔を覗き込む俺。コイツ、さっきなんて言ったっけ? 「こいつを処理するの手伝ってくれ」だっけ?「こいつ」ってこの死体のことか? 頭から血を流して死んでる俺のことか?断る。絶対に嫌だ。「ほう、お前は俺自身だ。少々ややこしいが、お前は俺の共犯、いや、主犯だな。それでも手伝わないか?」すまん。何言ってるんだか全然わからん。馬鹿な俺にもわかるように説明してくれ。「俺は未来のお前だ。お前もいずれ自分で自分を殺すんだ。後で後悔しないように、今、未来の俺を手伝ったほうがいいんじゃないか?」いやだぞ。断る。俺は俺だし、お前はお前だ。俺は一切関係ない。「殺人現場を見てしまったのに?」最初、この言葉の意味がわからなかった。殺人現場を見たからなんだというんだ? 俺はこのまま帰りたいのだが。「殺人の現場を見られてそのまま帰すわけないだろ」ああ、そういうことか……ってちょっと待てええええええ!!「俺」は俺に向かって真っ赤な消火器を振り上げた。「うわあああああ!!!」と叫びながら俺は左に飛びのいた。重たい消火器はドアに命中。ドアの真ん中に大きな穴が空いた。このドアは内開きでもこうなる運命だったのか。「俺」はもう一度消火器を振り上げた。「待て! 待て! わかった! 手伝うからそいつを振り回すな!」「俺」は大きく息を吐いて、消火器を床に置いた。「じゃあ、手伝ってもらおうか」コイツの目は人間の目じゃない。まるで蛇のような、感情を持たない冷酷な目だった。しかし、コイツの口は笑みを浮かべていた。……冷たい顔してるだろ? ……俺なんだぜ?
午後五時半。部室にて。
なあ古泉。誰にも見られたくないものを隠すならどこがいいだろう。「どうしたんですか? なにか問題でも?」いや……いろいろとな。古泉はいつものニヤケ顔に表情を変化させた。「……あなたも思春期の少年ですからね。そのようなもの一つや二つ、あったとしても何もおかしいことはありません」コイツは何か勘違いしているな。思春期の少年は遺体の一つや二つ、あったとしても何もおかしいことはないのか。「僕のお勧めは机の引き出しを二重底にするのと、タンスの後ろですかね」遺体を? 遺体をタンスの裏に隠すのか?「古泉、もっと現実的に考えてくれ。タンスの裏に隠せるようなものじゃない」「ではベッドの下など」嫌だ。俺が寝れないし、死臭がするベッドなど近寄りたくもない。俺は溜め息をついてからこう言った。「なんか勘違いしてないか? 屋内に隠せるようなものじゃない」古泉はその言葉を聞くと、ワケがわからないという感じで首を傾げた。「何処か無いのか? 誰の目にも触れない場所は」「あなたは一体、何を隠そうとしているんです?」俺の死体です、なんて言えるわけが無い。「なんでもいいから、どこかないのか!」「何を隠そうとしているのかわからなければ、何処がいいのかなんてわかりませんよ」確かにそうだ。だが言えるわけが無い。窓のほうへと視線を逸らす。向かいの校舎の窓から「俺」の姿が見える。俺を監視しているのだ。俺の携帯は通話状態のまま、俺のポケットに入っている。そして、「俺」が俺と古泉の会話を聞いている。つまり携帯は盗聴器代わりだ。古泉に俺が人を殺したことが知れたら、俺は「俺」に殺されるだろう。絶対に知られてはならない。しかし、古泉は想像以上に鋭かった。古泉は珍しくシリアスな表情になり、俺を見つめてこう言った。「貴方……まさか……」これは気づかれたな。「……誰を殺したんです」誰も殺しちゃいない! ……俺はな。「正直に言ってください! 誰を殺ったんです!?」古泉は机から身を乗り出して俺を問い詰めた。「神と仏とイエスと団長に誓って言える! 俺は誰も殺しちゃいない!」俺はな。もう一人の「俺」は殺したが。「……では、何を隠すんです?」言えん。断じて言えん。「なぜです?」「俺の人生が懸かっているからだ」少し間を置いて、古泉は言った。「……A市に、人も寄り付かないような廃墟が幾つかあった筈です。そこはいかがです?」A市まで遺体を運ぶのか? どうやって運べばいい?「古泉、俺が隠したいものは死体ではないが、死体並みの重さと大きさがある。どうやってそこまで運べばいいんだ?」俺、今初めて嘘ついた。「そうですね……箱を用意します。明日までにその箱に、それを入れてください。機関の者が適当な場所に隠しますから」「感謝する、古泉」危うくバレるとこだった。ワイシャツが汗でべたべただ。話が終わって部屋から出ようとしたとき、ポケットの携帯から声が聞こえてきた。「危なかったな。ハハハ」コイツ……いつか殺す。
午後六時。部室にて。
今この部屋の掃除用具入れを開ければ、死んだ俺がコンニチハする。俺の目の前には一メートル四方の巨大な木箱がある。古泉の機関が用意してくれたものだ。「さーて、じゃあ早速用意するか」まるでアップルパイでも作るようなノリの「俺」は掃除用具入れのドアを開けた。死んだ俺が姿を現し、床にドスンと崩れ落ちた。……痛そうだな。死んでるけど。「おいおい、俺をそんなに粗末に扱わないでくれ」「死んでるからいいだろ?」お前は将来、葬儀屋に就職はできないな。死体だからこそ大事にしなければならないのに。「足の方持ってくれ。俺はこっち持つ」
皆さん、死体って重いんですよ。ご存知ですか?巨大な木箱の中では、死んだ俺が丸まって納まっている。俺は床にへたり込んだまま、立ち上がることができない。ああ、腰が痛い。「死体を持ち上げるのは二度目だが、腰がホントに痛いな」……二度目?「さっさと蓋閉めるぞ。釘取ってくれ」待て、二度目ってどういうことだ?「気にするな。いずれわかる。そこの釘取ってくれ」釘と金づちは古泉が用意してくれていた。蓋を閉めて、あとはこの木箱を校舎裏まで運ぶだけだ。さあ、そっち側を持ってくれ。「断る。「俺」がお前と木箱を運んでいるところを誰かに目撃されたらどうする」なるほど。じゃあ、一人で運ぶのか? こんな重たくてデカイものを。「そりゃ無理だろ。明日、古泉と一緒に運べ」……そうするしかないか。俺は大きく溜め息をついた。「俺」は「ま、がんばれ」と俺の肩を叩いた。ムカつくな。絶対こいつ殺す。手の届くところに鈍器の類があったら確実に殴り殺しているぞ。「俺」は機嫌が良さそうにポケットに手を突っ込みながら部室から出て行った。
二日目午後四時。部室にて。
今日は部室に全員が揃った。「一体、誰なの! 正直に名乗り出なさい!」断る。あれをやったのは俺じゃなくて「俺」だからな。さて、今部室では緊急会議が行われている。理由は大きな穴が開いたドアだ。覚えているだろうか。「俺」が俺を殴り殺そうとして消火器でドアに大穴を空けたことを。廊下から部室内が丸見えなので、朝比奈さんは着替えることができず、まだ制服のままだ。「キョン! あんたでしょ!」「違う。神に誓ってもいい。違う」ハルヒは予想以上に鋭かった。ドアに空いた穴が、廊下に備え付けられている消火器と一致することに気づき、さらにドアが少し開いた状態で上から勢いよく振り下ろしたものであるということにも気づいた。こいつはポアロか?「古泉くんが五時半にここに来るまでに犯行が可能だった人間はあんた一人しかいないのよ!」まあ、確かに俺しかいないが俺じゃない。「俺」だ。なんて言える筈も無い。話が通じないだろうしな。しかし、俺はやっていない。こんなとこで負けてたまるか!「まだあるわよ! みくるちゃんや有希がやったとしたら、もっと低い位置に穴が空くし、古泉くんがやったらもっと高い位置に穴が空くわ!そもそも有希とみくるちゃんは欠席だったのよ!」「だが、理由が無い。ドアを壊すことで、俺にどんなメリットがあるんだ?」これが精一杯の抵抗だ。「あんたの事情なんか知らないわよ。じゃあ、消火器の指紋でも採る? 消火器に触れる人間なんてそういないしね!」それは困る!「どうやって? 鑑識でもないのにそんなことはできんだろう。明日、俺が穴を塞ぐ板を買ってきてやるから余計なことはするな」ハルヒが不機嫌そうな顔をしたが、そんなことは気にしない。「今日は用事があるから先、帰るな」と一言言ってから急いで部室を出る。団長様がなにやら言っているがそれも気にしない。
午後四時七分。校舎裏にて。
「で、死体はちゃんと処理されたのか?」と「俺」。それを今から古泉に確認するんだよ。俺はポケットから携帯を取り出して、古泉の番号に掛けた。3コール程で古泉は電話に出た。「どうしました?」「あの木箱は何処に行ったんだ? 部室に置いたままの筈だったが」古泉は部室にいるので、電話の向こうからはハルヒの声が時々聞こえる。「機関の者が午前中の内に運びました。かなり重かったそうです。何が入っていたんですか?」「それは企業秘密だ。で、中身は見てないだろうな?」「ええ、その点についてはご安心ください。人のプライバシーは守ります」それはありがたい。死体遺棄の罪で逮捕されちまうからな。
刑法 第百九十条 死体、遺骨、遺髪又は棺に納めてある物を損壊し、遺棄し、又は領得した者は、三年以下の懲役に処する。
俺はまだ捕まりたくない。まあ、捕まりたいやつなんていないだろう。「ありがとうな。お陰で助かったよ」「どういたしまして」電話を切ると、「俺」が俺を見下すように立っている。「これで一件落着か。やっとこれで未来に帰れる」と言って、「俺」は背伸びをした。人を殺しておきながら罪悪感はゼロ。その上、人を脅して死体の処理を手伝わせる。コイツは本当に未来の俺か? なんでここまで憎たらしいんだ? なんでここまで俺らしくないんだ?「そろそろ時間だから俺は帰るな! じゃ、がんばれ」と言って、「俺」は姿を消した。人生最悪の三日間というタイトルなのに、もう二日目じゃないか、と心配している方、ご安心いただきたい。物語はまだ始まったばかりだから。
第二章 ~疑惑と鈍器~
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