エイリアンズ1 side-B
扉を開けると、そこは異世界であった。小説冒頭に使われる常套句ではあると思うのだが、今、俺が遭遇したこのけったいな、本当にけったいな状況を一言で表すなら、これが最も的確だろう、トンネルではなく扉を開けたら、そこは雪国ではなく異世界だったんだからな。その日は、これと言って特に何もない、普通の日だった。強いて言えば、ハルヒが俺と古泉主催のホワイトデーを待ちきれない様子で俺の背中に喜色のオーラを浴びせていたくらいか。その様子からは、こんな突拍子も無い騒動を起こすような気配は感じられなかった筈、なのだが、だったら何故俺はこんな事態に見舞われているのだろう、ここしばらくはハルヒも変態的パワーを発動させてなかったから安心していたんだがな。オート飛行のジェット機さながら部室へと足を運んだ俺は、知らずのうちにその扉を開けてしまっていた、らしい。こうして、意図せずに事件の当事者となった俺は、今まさに厄介な事態に直面していると言うわけだ。朝比奈さんは見知らぬ男子生徒に親しみを込めた挨拶をされて困惑なさっている風だし、ハルヒはスープに混入した虫を見るような目で俺を見ている。こんな目を俺に向けるハルヒと朝比奈さんを見たのは、年末年始の騒がしい足音が近いづいてくるあの冬の日以来だ。俺はこんな状況を知っている、知っているもなにも、二人から向けられるこの視線はあの時のまんまだ。そう、あの冬の日に、長門が暴走し作り出した改変世界と酷似している。今までに宇宙人、未来人、超能力者とお出ましになってくれたのだから、異世界人が俺の前に登場しないという道理はなく、俺もまた、来るなら来てみやがれこんちくしょうと鼻息を荒くしていた。いたのだが、まさか俺自信が異世界人になろうとは、誰が想像できようか。この事態を予知し、それでいてこの状況を打破できる策を持っている奴が居たら俺に連絡してきてくれ。飯くらいは奢ってやる、物足りないというならデザートもつけよう、おかわりは自由だ。だがまあ、そんな事を考えはするものの、そんな人間は居ないと言う事はとっくに確信しているのだ、何せ、長門ですら俺を困惑色の瞳で見つめているこの状況だ、有機ヒューマノイドインターフェイスですら理解不能な状況を一介の人間が解決できるとは思えないし、思いたくない。なぜなら、凡人が解決できる問題なら、俺が走り回って事態を解決に導かなければならない事を想像するのは容易く、苦労を背負い込む本人にしてみれば、狂気のナイフ女と再会したり、あの夏の日の喫茶店にて忘れたい記憶を心に刻み込んでしまったり、思い出すと虚しくなる程の重大な使命を敢行したりするのは御免被りたいのだ、もうそろそろ春休みで、俺の身体は休息モードに移行しようしている、こんな時期くらい平穏無事に過ごしたいと思うのは俺だけじゃないと信じたい。ただでさえホワイトデーという名の懸案事項を抱え、ここ毎日あの爽やかニヤケスマイル野朗と顔を付き合わせねばならんのに、だ。しかも今回は長門の力を借りる事ができないかもしれない上に、古泉はあの胸糞悪い灰色空間でなければ超人的な能力を発揮できない。そして、このフツーの顔をした割にはやけにポニーテールが似合っている女は誰だ。気持ち長めのポニーテールを揺らして歩くその女は、よく見ると俺の手首を掴んでおり、周囲を見渡せば、ここは文芸部室ではなく、旧館と校舎を繋ぐ渡り廊下だった。「お前は誰だ? なんだこれは?」意を決して話しかける、わけがわからん。女は、「へっ」と自嘲めいた風に笑い、唇に指を当てて数秒思考すると、ニヤリと口元を歪めて言った、それはまるで俺を驚かそうとしているかのように。そして俺はというと、その思惑にまんまと嵌り、これ以上ないほど驚愕する事になったわけだ。「俺も、キョンだ」何で女なのに一人称が俺なのかなんて事はどうでもいいし、こいつが妙に楽しそうなのも今はどうでもいい。このバカポニーテール、バカかどうかはわからんが、いきなりこんな事を言い出す奴はバカに違いない。バカは「俺も」と言った、そう言うからには、このバカは俺の正体を知っている筈で、それにその後、こいつは何とほざいたのか、これを聞き間違いであって欲しいと祈るのは不思議な事じゃないと思うがね。「すまん、良く聞こえなかった、もう一度言ってくれ」バカは笑いを堪えている様子だ、腹立たしい。今にも吹き出しそうである、何がそんなに面白いのかねこのバカは、他人の不幸を笑うこのバカがどういう教育を受けてきたのか、ご両親に伺いたいところだ。全く、忌々しい。「だから、俺『も』キョンだ、って言ったんだよ、キョン君」女は、『も』の発音を強調して言った。ややこしい事この上ないな、俺もキョンでお前もキョンか、こんなけったいなあだ名を思いついてしまうネーミングセンスを持っている人間が、この世に何人も居るなんて事を信じたくはないのだが。キョン、なんてのは所詮あだ名だ、あだ名であって名前ではない。だからこいつは俺のあだ名がキョンだって事を知っていて、自分もキョンというあだ名で呼ばれていた事から、こんな事を言い出したんじゃなかろうか、いやきっとそうに違いない、そうでなければ。さて、俺はなぜこんな言い訳をモノローグしているんだろうね、知ってる奴が居たら教えてくれ、飯くらいなら奢ってやるが、デザート代は払わんぞ。こんなもん、落ち着いて考えればわかるだろう。この世界が俺の居るべき世界じゃないというのはさっき感じた通り、きっと間違いはない。だとすればこの世界にも俺が居るはずで、そいつが女でないという確証はないんだ、そうだろ?先ほどの部室での光景を思い出す。 俺の定位置に座っていたのはこいつだったし、ハルヒのストッパー係としてもそれなりに機能はしているようだった。まだ少し腑に落ちない事はあるが、まあいい。しかし、こいつは何故俺の正体がわかったのだろうか、案外、こちらの世界の俺には超能力でも備わっているのかもな古泉曰く「わかってしまうのだから仕方がない」と言うような。「それは、わかった。 だが何故俺の正体を知っているんだ」「何故? それはだな、お前が俺に似すぎているからだよ、なんとなくわかるんだ、立場が逆ならきっとお前が気付く筈だぜ」バカ女は、子供が新しい遊びを開拓した時に浮かべそうな笑顔を圧縮したかのような微笑を浮かべて言った。少しだけ饒舌になった女の声は、こんな口調は似つかわしくない程に澄んだ声だった。それにしても、あれだけの時間でこんな突拍子もない発想をし、それを確信するまでに持っていけるというのは恐れ入る。もう一人の自分とはいえ少し誇らしい気分だ、俺だって本気を出せばこんなものさ。成績は下の中でもな。「そう、か…」古泉なら、爽やかスマイルと共に長ったらしい名前の著者が書いた本の一節でも引用する所なのだろうが、あいにく俺の記憶メモリに本の引用などどこを探しても見当たらないので、こんな台詞しか吐けない、許せ。次に何を質問しようかと考えあぐねていると、微笑をどこかへと隠し、ぼんやりと俺を見上げるバカ女のマヌケ面が目に入る。中肉中背よりやや細めの体つき、ハルヒより少し細い感じだ、顔はまぁ、クラスに一人は居そうな感じだな。考える事がなくなった途端、もしこのモノローグを読んでいる奴が居たのなら、そいつに変態と呼ばれても文句は言えないような事を考えてしまうのは、俺がムッツリスケベだからなのか、本能的には谷口のタコ野朗と同類だからなのかのどっちだろうね、両方なのかも知れないが。頭の中に谷口の顔が浮かぶ、どんな凶器でぶん殴ってやろうか。俺が木製バットとバールのような物のどちらを選ぶべきか悩んでいると、先程とは打って変わって真面目な表情をしたバカ女が真面目な声を出した。「それで、これからどうするんだ」これにはさすがに冷静にならざるを得ない、谷口をどんな凶器で殴るかなんてのは瑣末も瑣末、北高の校長の名前よりもどうでもいい事だったんだ。今俺が置かれている状況は、あの長門暴走事件よりももっと深刻かもしれない。ここにもう一人の俺が居ると言う事は、ここに俺を知る人間は一人も居ない、そう、家族でさえも。俺は何としても元の世界に戻らなければならん、今回ばかりは悩む必要もない、即答だ。だがどうやって戻ればいいんだ、一番頼りになりそうな長門ですら俺の事を知らないこの状況で。この冴えないポニテ女しか俺が俺である事を知らないこの状況で。「わからん」何も思い浮かばん、先程まで落ち着いていた思考は混乱状態をぶり返している、帰る家も、頼る人もなく、俺が俺であるという事実すら危ういこの世界で、俺はどのように事態を解決に導けばいいんだ。ああもう、朝倉でも生徒会長でも森さんでも荒川さんでもコンピ研部長氏でもいいから誰かなんとかしてくれ。俺が思考の迷宮へと足を踏み込ませようとしていると、まるで引き止めるかのように、ハルヒのバカ力と比べる事すらおこがましいが、いつかの日の長門のそれよりは力強く、バカポニテ女は掴んでいた手に力を込めて「とりあえず、場所を変えよう」顔を背けながら、そう言った。一瞬だけ見えた横顔に、ほんの少しだけ朱が差していたと感じたのは、きっと気のせいだろう。まあいつまでも渡り廊下のど真ん中に二人して立ち尽くす事もない。今頼れるのは異世界の俺であるらしいこいつだけだ、異世界にしろなんにしろ俺って所に少し不安を覚えるが、ここは言うとおりに従っておこう、もしかしたら早々に元の世界に帰してくれるかも知れんしな。「悪いが聞かせてくれ」一呼吸置いて「お前は何度、殺されかけた」目的地も告げずに歩き出したバカ女は、唐突に、俺のトラウマを巨大な工業用ドリルでほじくりかえして来やがった。夕焼けに染まる朝倉の姿が脳裏に浮かぶ。いくら忘れようとしても脳内HDDから一向に消去されないナイフ女。このバカポニテは何がしたいんだ、俺の精神的外傷を突っついて楽しいか? この野朗。朝倉やナイフについて考えるのももううんざりなので、返事を返してやる。ええと一回目は5月下旬に1-5の教室で、2回目は世界を元に戻すべく、シャイな文学少女になってしまった長門と対峙していた時か。3回目は、今のところ無いが、もしかしたらまたそんな事になるのかもな。 どうしたもんだろうね「2回だ」バカポニテ女は、小さく「そうか」と呟くと、それきり黙ってしまった。何がしたいんだ、ちょっとは説明しろ。古泉みたいになれとは言わないが、もう少し言葉を多くしても罰は当らんぞ。考えたくはないが、まさか俺を虐めて楽しんでいるのかね、こいつは。まあ、この会話の意味を考えれば、このバカ女がもう一人の俺である事については確信を持って良いだろう。なにせ思春期真っ只中のこんな青春時代に、二度も殺されかける高校生なんてのは、俺と、もう一人の俺以外に居るわけがない。んん?、いや待て、この世界に朝倉は居ないんだろうな「安心しろ、とっくの昔にカナダに行ったよ」
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