朝比奈みくるのクーデター その3
「ちょっとキョン! これは一体どういう事……なの……よ?」 ドアを破壊しかねない勢いで部室に飛び込んできたのはハルヒだ。だが、俺たちの微妙な空気を悟ったのだろう。次第に声のトーンが落ちていく。 俺はただ呆然とした気分だった。長門から受けた説明は細かい部分で理解できなかったことも多かったが大筋はわかった。とにかくやばい事態だって事だ。ぐずぐずしている場合ではない。 古泉の方に振り向き、「おい、車は用意できているのか?」「ええ。すぐにでも出れますよ」 それを確認した俺は、すぐに呆然と部室入り口で立ちつくしているハルヒの腕を取ると、「よし、とっとと行くぞ。これ以上ここにいたらやばい」「ちょちょっと! 何よ! 説明しなさい!」「いいから」「いいからじゃないわよ! わけわかんない! 学校はめちゃくちゃだし、なんかみんな様子がおかしいし!いきなりどこかに連れて行かれようとしても納得できるわけが無いじゃない!」「何でも良いからついてくりゃいいんだよ!」 聞き分けの悪いハルヒにいらだち、俺はつい怒鳴り声を上げてしまった。 ――その時、ハルヒが俺に向けた表情はたぶん早々忘れないだろう。驚きと焦り、そして、失望。それらが入り交じり、俺に困惑の視線を向ける。 何をやっているんだ。ハルヒに当たってどうする。こいつは何も知らないんだ。そんなハルヒに怒りをぶつけるなんて俺はバカか? もっと落ち着け。「……すまないハルヒ。そんなつもりじゃなかったんだ」「え……あ、うん。とにかく、説明してよね。これじゃ訳がわかんないんだから」 そういってハルヒは俺の手を振り払うと、団長席のそばに立つ。俺もそれに続いて部室に戻るが、古泉が俺の肩に手を置いて、「……焦る気持ちはわかりますが、ここは僕に任せて頂けないでしょうか?」「すまんが頼む……」 そう古泉にハルヒ説得の全権を任せると、脱力に任せて椅子に座り込んだ。見れば、ハルヒは床に座り込んだまま動かない朝比奈さんを気遣っている。「みくるちゃん大丈夫? 具合が悪いなら保健室か病院に行く?」 ハルヒの問いかけに朝比奈さんはふるふると小さく首を振るだけだ。自分が攻撃を防げなかった事への自責の念か、はたまた学校への直接攻撃で負傷者多数という惨状へのショックか。どのみち彼女には辛すぎる現実だろう。あるいは先ほど受けた長門の説明によるものかもしれない。彼女は膝を抱えたまま反応しなかったが、この事態を引き起こしたのが未来の自分たちであるということは理解しているはずだから。 と、古泉がハルヒの元に寄り、「涼宮さん。ちょっとお話があるんですが」「なによ?」 ハルヒは古泉の方に振り返る。一方の古泉は演技臭く迷うようなそぶりを見せつつ、「今から現状について説明します。ただ、かなり突拍子もない上に無茶な話になるんですが……」「突拍子もないとか無茶苦茶なんて、学校の惨状を見ればわかるわよ。説明してちょうだい」「……わかりました」 古泉は喉をとんとんと叩くと、「まず事の発端は昨日でした。朝比奈さんが学校から家に帰る途中、突然拉致されそうになったんです。黒ずくめの男たちが、ワゴン車に彼女を引きずり込もうとしたんです」「……警察には言ったの!?」「ええ、もちろんです。しかし、結局犯人たちは捕まりませんでした。そして、今日です。突然、彼の携帯電話にその誘拐犯たちから連絡が入りました。今すぐ、朝比奈さんを引き渡せ、さもなければ北高を攻撃すると」「彼ってキョン?」「ええ、そうです。どうして番号をしていたのかはわかりません」 古泉の嘘と本当が入り交じった話をハルヒは黙って聞いていた。その目は次第に驚きから不信感に変わっていたが。しかし、古泉はお構いなしに話を続ける。「そして、我々が回答を迷っている間に彼らは一方的に電話を切り、予告通り攻撃を実行しました。それがこの結果です。その後、彼らはまた言ってきました。すぐに朝比奈さんを引き渡さなければ、再度これ以上の攻撃を加えると」「目的は何? 身代金目当てって言うんじゃないわよね。それならここまでする理由がないわ」「彼らはこういっていましたね。朝比奈さんの遺伝子は非常に特殊なものであり、そのために彼女の身体がほしいと。具体的には教えてくれませんでしたが、朝比奈さん自身が目当てであることは確かですね。本当に引き渡せば、彼女がどのような目に遭わされるのか想像もつきません。しかし、また学校を攻撃させるわけにも行かず、時間稼ぎとして向こうの要求を飲むと答えました。もちろん本気ではありません。彼らが朝比奈さんの身柄を取りに来るまでに、僕たちが学校を離れようと考えています。幸い僕の仲間が協力してくれますので、すぐにでも学校から自動車で離脱することが可能です」 ここまで古泉のヨタ話を聞いていたハルヒの目は、もう完全無欠なまでに疑惑のジト目になっていた。「……信じらんないわよ。そんな話」 ハルヒは即座に否定的な感想を返す。そりゃそうだ。遺伝子目的に誘拐をたくらむ謎の陰謀組織が脅迫目的で北高へのミサイル攻撃を実行したなんていう話なんて、どんな奴に話しても信じないだろう。それどころか、良い病院を紹介するとか言われそうだ。 古泉はそんなハルヒに対してスマイル顔をいったん消去し、えらくまじめな表情に変化させ、「確かに僕もこんな話は信じられません。ですが、この学校の惨状――これ以上の証拠はないと思います。どんなうさんくさい話であっても……これが現実です」「…………」 そんな真剣な古泉に、ハルヒも疑惑の視線を取り消しあごに手を当てて考え始めた。変なところで常識的なところがあるハルヒだから、早々古泉の陰謀話なんて信じないだろうと思ったが、この凄惨な学校の様子を持ち出されると反論のしようもないのだろう。「……わかったわ」 ハルヒは部室内を一回りしてからそう答えた。そして、続ける。「細部では信じられない話ではあるけど、学校を攻撃されたのは事実だわ。それが予告通りってなら、次の予告も実行されるでしょうね。なら、これ以上ここにみくるちゃんをおいておくのはまずい。古泉くん、車はもう来ているの?」「ええ、すぐにでも出れます」「じゃあ、すぐにここから移動しましょう。さっ、みくるちゃん立って。怖いのはわかるけど、ここにいたらまた無関係な人を巻き込んじゃう」「…………」 朝比奈さんはハルヒに抱えられるように立ち上がった。何とか動けるようだな。今はそれだけでも十分だ。 やれやれ、ようやくこれで学校から離れられる。予定外に時間を費やしてしまった。 俺たちはハルヒを先頭に部室から出て、校舎の外へと移動を始めた。古泉の話では旧館の裏手にある路上に機関とやらの自動車が止められているらしい。校門や校舎のある方は生徒や教員でごった返しているので、校門を抜けて外に出るわけにもいかない。そこで旧館裏手の塀を乗り越えて外に出るってわけだ。 俺が先頭に塀を乗り越えて路上に降りると、大型のロングバンが目にとまる。しかし、ドアのところに派手な【目標】という文字が殴り書きされているのは何だ?これじゃあ狙ってくれといっているような言っているようなものだぞ。 車内は運転席だけがあり、それより後ろは座席が取り外され広い空間が作られていた。そして、運転席に新川さん、助手席に森さん、後部には多丸兄弟が座っている。ただ、以前のようなメイドだの執事だの警察官といった身なりではなく、一般人な普段着だ。 俺は助手席の前に立ち、あけられている窓から助手席にのぞき込んで、「すいません、お世話になります」「いいえ。さ、早く乗ってください」 森さんに促されるように俺は後部に乗り込もうとする。と、塀を朝比奈さんとハルヒが乗り越えてきたので、彼女らを先に乗せた。命を狙われている二人はできるだけ安全なところに配置してやりたい。「おいハルヒ。朝比奈さんと運転席のすぐ後ろに座れ。俺はその後ろに座る」「わかったわ」 ハルヒは朝比奈さんを押し込むようにロングバンに乗り込んだ。続いて長門と古泉が塀を越えてくる。ふと、俺はあることを思いつきいて、「おい長門。朝比奈さんにさっき供与したっていうシステム――だっけか? アレはまだ有効なのか?」「一度供与した以上、わたしが連結解除を行わない限り有効」「そうなのか。だったらすまないが朝比奈さんから古泉に移動できないか? ああ、森さんとか機関の面々でもいい。朝比奈さんのあの精神状態じゃ役に立ちそうにないからな」「不可能。この手法は情報統合思念体によって制限をかけられた。もう同じ事はできない」 長門の淡々とした口調。ちっ、抜け道がバレちまったか。そうなると、長門の超パワーを借りるためには、別の抜け道を考えないと―― と、ここで長門から向けられている微妙な視線に俺は気がつく。そして言った。「朝比奈みくるに失望したようなことは言わないでほしい。わたしは彼女にシステムを供与したことを後悔していない」 その言葉に俺ははっとする。なんてこった。長門に指摘されるまで知らず知らずのうちに沸いていた俺の中にある黒い感情に気がつかなかった。まだ俺は責任転嫁したいのか?「……すまない。そんなつもりじゃなかったんだ」 俺は長門に深々と頭を下げる。彼女は無表情のまま続ける。「それに今回の迎撃失敗は彼女の責任は低い。全てわたしのプログラム構築が甘かったせい。時間がなかったことは理由にできない」「いや、おまえも朝比奈さんもよくやったよ。何もやっていない俺が批判できる立場にはないさ……」 そう肩を落とす俺に、長門は気にしないでといってからロングバンに乗り込んだ。 と、古泉が俺の肩に手を置き首を振る。長門と同じように気にするなというように。わかっているさ。今は一致団結して乗り越えるしかない。できることをやるしかないんだ。 俺はそう気合いを入れ直すと、古泉とともにロングバンに乗り込んだ。最終的には運転席のすぐ後ろにハルヒ・長門・朝比奈さん、その後ろに俺と古泉、一番後ろに多丸兄弟という布陣になった。「みんな久しぶり。年末以来よね」 ハルヒが機関の面々に声をかける。彼らは各々ええなどと言葉を返した。彼女にとっては彼らは劇団員ということになっている。色々今までやってきた間柄、違和感はないようだ。 ハルヒは続けて、「で、これからどこに行くの?」「海に出ます。いつぞや孤島に行ったときと同じクルーザーも用意してあります。ただ、恐らく移動中に襲撃者が襲ってくるかもしれませんが、何とか逃げ切るしかありません」 答えたのは古泉だった。海か。確かにそこに出れば、敵の攻撃が無関係な人々が巻き込まれことはないだろうな。「じゃあ、とっとと行きましょ。ここで襲われたらやばいわ」「そうですね。では出発します。新川」「わかりました」 新川さんはアクセルを踏み込み、車を発進させた。そのまま、北側に進路を向ける。「おい、海に出るんじゃなかったのか? だったら南下した方が遙かに近いぞ」「距離はそうですが、南側の沿岸は繁華街や住宅地が密集しています。そこを移動中に攻撃を受ければ、どれだけの人を巻き込むか想像もつきません。北側の山岳地帯の林道であれば、民家も少なくその確率もぐんと減ります。それに車や人の多い場所でパニックが起これば、我々も非常に動きづらくなるでしょう。できるだけ人のいないコースを進んだ方が結果的にスムーズに移動ができるかと」 古泉の冷静な反論に、俺はなるほどと答えた。逃げる間にたくさんの人を巻き込んだら学校から逃げる意味がなくなるからな。距離は10倍以上になるが仕方がないか。 ロングバンはそのまま北高を離れて北上を始める。まだ、この辺りは民家が多い。頼むから襲ってきたりするなよ。 ――と、対向車線を一台の乗用車が通り過ぎた。何気ないよく見る普通の車。だが、それはすぐに停車した。俺たちを横切ったのと同時に。 そして、それを確認した森さんの指示が飛ぶ。「新川、いったん止めて」「了解しました」 指示通りに新川さんはロングバンを停車させた。って何やってんだよ、早く逃げないと。「ちょっと! 早く逃げないと行けないのにどうして止まったのよ! しかも道の真ん中で!」 俺と同じ事を思ったハルヒがつばを飛ばして抗議の声を上げる。だが、森さんは答えない。 そんなことをやっている間に、対向車線の乗用車から人が降りてきた。運転席からは背の高いがっしりとした男、そして、助手席からはこれまたがっしりとした髪の長い女。深い傷を負った後だろうか、頬に大きな切り傷の後が生々しく浮かんでいる。 森さんはサイドミラーからその様子を見つつ、おもむろに口を開く。「どうやら……あれがわたしたちの敵のようですね」「そのようですな」 新川さんが同調し、多丸兄弟も頷いた。 その言葉を聞いて、俺は二人のがっしりコンビの姿を見開いた目で見つめる。あれが俺たちを襲ってきた敵?となれば、ひょっとしてあの女性の方が朝比奈(黒)か。だが、背丈も高く眼光鋭いそのまなざしは、ここで座り込んで顔を上げない朝比奈さんと似てもにつかない……いや、だが身体の部分部分では確かに面影を感じる。 ちなみに朝比奈(黒)というのは識別するための呼び方だ。こんな事をする野郎に「さん」をつける必要はない。悪行の限りを尽くしているんだから「(黒)」という識別の仕方で十分だ。「おい! だったら、早く逃げないと!」「いいんです。彼らにわたしたちの存在を目に焼き付けてもらいます」「それじゃ移動していてもバレバレじゃないか! 逃げている意味が無くなるぞ!」 俺の激しい抗議に古泉が落ち着いてと手を振りつつ、「我々の存在が彼らに示せなければ意味がないんです。例えば、このまま隠れるように逃げたとしたら彼らはどういう行動を取るでしょうか? 決まっています、そこら中の無関係な人へ無差別攻撃を仕掛けるでしょう。僕らが彼らの前にその身を差し出すまでね。そうなっては全く意味がないんです。だからこそ、逃げる僕らの姿を彼らに認識させ追いかけてこさせる。あくまでも彼らの狙いは僕らなんですから」 ……そう言うことか。古泉たちは最初から逃げるのではなく、連中と戦う気だったんだ。それも無関係な人間を巻き込まない一対一の舞台に敵を誘い込んで。「ここで10秒停止します。周辺に警戒を怠らないで」 道をふさがれて背後に止まっていた自動車からのクラクションを無視して、森さんは車の停止を続けた。一方の新川さん、多丸兄弟はオートマチックタイプの拳銃を懐から取り出し、周囲に鋭い眼光を向けた。「ちょっとちょっと! 何でそんな物騒なものを持っているわけ!?」 ハルヒが驚きの声を上げる。俺も同じだ。機関ってのは武器を携帯しているぐらいにやばい組織だったのか? ここですっかり解説役になっている古泉がさわやかな笑顔を浮かべて、「皆さん、結構海外旅行に行っていましてね。射撃というスポーツがはやっているんですよ。で、せっかく技術を持ったんだからとつい本物を手に入れてしまいまして。いやはや、まさか国内で使う日が来るとは思ってもいませんでしたよ。あ、僕は未成年ですから手を出していませんが」「…………」 そんな古泉の嘘丸出しの解説にハルヒは全く納得していないようだった。ただ、それ以上は何も言わない。わかっているのだろう。今はそんなことを問いつめている場合ではないということを。 再度振り返り、朝比奈(黒)の方を見た。がっしりとした肉体、生々しい頬の傷跡、ここからでもはっきり感じるほどの荒々しく敵意に満ちた視線。彼女のいた未来は一体どんなものだったのだろうか。ここのように平和ではなく、想像を絶する地獄のようなものだったに違いない。このふにゃふにゃの朝比奈さんがあんなのになっちまうぐらいだからな。 俺はハルヒが部室に来るまでに長門から聞いた説明を思い出していた。 ――【異時間階層同位体の朝比奈みくる】はあるパターンによって進んだ先の未来で存在していた有機生命体。 ――その未来を望まない【異時間同位体の朝比奈みくる】はその未来に進まないように改変した。 ――しかし、改変される前に【異時間階層同位体の朝比奈みくる】は消滅したその未来から脱出した。 ――そして、彼女が存在していた未来を再度作るために同じパターンの時間軸を作り出そうとしている。 ――そこで問題が発生した。 ――3年前以上に戻れないこと。 ――何度パターンを変更してもその都度、【異時間同位体の朝比奈みくる】がそれを阻止していること。 ――だから、涼宮ハルヒと朝比奈みくるの抹殺をたくらんでいる。 ――両者が改変の最大の障害だと考えているから。 ――少なくとも彼女らはそう確信している。 ――異時間階層同位体というのは、違う可能性の未来から来ているという意味。 ――しかし、彼女らの未来にはTPDDは存在していなかった。 ――さらに自由に時間軸を移動するような別の技術も保有していない。 ――別の何かの存在が彼女らの手助けをしていると考えられる。 ――彼女らがそれを認識しているしていないにかかわらず。 ――この間、ここにいる朝比奈さんは顔を踏めたまま何一つ言葉を発していない……「――うおっ!?」 もの凄い衝撃とともに、俺は座席に後頭部をぶつけた。突然車が急発進したからだ。 遠ざかる朝比奈(黒)の右手には拳銃が握られている。それを見た新川さんがロングバンを急発進させたのだろう。 俺はこれから始める逃避行に身震いしていた……。 ◇◇◇◇ 「彼らは本当に引き渡すつもりなんでしょうか? すんなりとこちらの要求を飲むとは思えませんが」「あの要求をのむと言った男――あれだけで判断するなら、引き渡す気はゼロだな」 運転席で怪訝な表情を浮かべる伍長。その意味は二つだろう。口調だけでどうして判断できるのか、そして、そう思っているならなぜハイスクールへ向かっているのか。「答えてやる。まず第一にあの口調はこちらに媚びを売ったり屈服したようなものではない。大抵、こちらの威圧に屈した奴は必要以上に媚びて命乞いをするか、屈辱にまみれながら苦渋のうめきのように話すものだ。だがあの声は違う。あくまでもこちらと対等に話そうとしている。降伏したというのに、対等な意識を持っていること自体、おかしな話だ」「だったらなぜ――」「では、なぜハイスクールにわざわざ向かっているのか。それはここが我々とは違う世界だからだ。あたしの経験上、あの口調の場合屈服はしていない。だが、条件も環境も何もかも違うここで、自らの経験がどれほど役に立つのか、明らかに未知数なところもある。だから、確認するのさ。奴らが本当に屈服したのか、それとも別の活路を見いだそうとしているのかをな」 あたしの説明に伍長は納得したようで、それ以上は何も言ってこなかった。 実際、連中がどういう手を打ってくるかは知らんが、こっちが今のところ圧倒的に有利なのは間違いない。ここで焦って屈服していないから屈服するまで攻撃を続行し、相手がやけを起こして町中にとけ込んでしまえば元も子もない。しかし、あっさり信じてしまうのも禁物だ。だからこそ、奴らが逃げ出すなりなんなりしたときの追撃の準備は完璧にしてある。「――止まれ」 目標のいるハイスクールが目前に迫ったとき、あたしの目に異様なものが映った。対向車線から走るワゴン系の自動車。その扉には殴り書きで【目標】と書かれている。 運転していた伍長はブレーキを踏み自動車を停止させた。「どうかしましたか?」「……どうやら、少々連中を甘く見ていたようだ」 あたしは助手席から外に出ると、そのワゴン系の自動車に振り向く。見れば向こうも停止して、こちらの様子をうかがっているようだ。 背後を走ってきた自動車が抗議のクラクションを鳴らしてくるが、一睨みしてやったら黙り込んだ。「何かありましたか? あのワゴン車は……」 伍長はまだ気がついていないらしい。だが、あたしは確信していた。あの中に朝比奈みくる・涼宮ハルヒがいると。「あの中に……しかし、こちらを見てもなお逃げないとはどういうことでしょうか?」「誘っているんだよ、我々を。自分たちはここにいる。無関係な人間を狙わずに正々堂々と攻撃してこいとな」 予想外ではないが、予想以上だ。ハイスクールから逃げ出すことは想定していた。それは我々に悟られずにこそこそと逃げるものだと思っていた。しかし、まさか自分たちの姿をあえて晒し、こちらの攻撃を誘うとは――思った以上に連中は頭が切れて、度胸が据わっている。 あたしはすっと懐から拳銃を取り出すと、そのワゴン系の自動車に向けた――が、それを待っていたかのように、それは急発進して北に去っていった。 それを眺めていた伍長は、無線機を片手に、「どうしますか? ハイスクールへの攻撃の続行は可能ですが」「いや……どのみち向こうは居場所は教えてやるから捕まえて見せろと言ってきた。良い度胸だ。ここで無関係の人間を攻撃しても弾の無駄だ。奴らから自分たちの居場所を教えてくれているんだからな。ならば、向こうの望み通りにしてやる。攻撃班に連絡して、さっきの自動車の特徴を伝えろ。どんな手を使ってでも奴らを仕留める」 ◇◇◇◇ 連中への宣戦布告。さっきのにらみ合いはそう表現して良いだろう。「で、これからどうするんだ!?」「とにかく逃げます。ただし、彼らが僕らを見失わない程度にねね」 古泉のひょうひょうとした声。襲われること確定かよ。それも無関係な人を巻き込まないためだから仕方ないのか? ロングバンは猛烈なスピードで北に向かう。学校周辺はまだ民家やアパートが多く、ここで戦闘が始まれば被害甚大だ。できるだけ人のいないところまで移動することが最優先と森さんたちは考えているようだ。「みくるちゃん、大丈夫? 怖いだろうけどがんばって」 相変わらず膝を抱え込んでふさぎ込んだままの朝比奈さんをハルヒが励ましていた。長門は失望するなと言っていたが、あの様子だと頼ることはできなそうだ。普段の朝比奈さんを見ていれば当然といえば当然だが。 ぼちぼち住宅地を抜けて林道に入ろうかというところで、突然俺たちのロングバンが通り過ぎた路地から、一台の軽トラックが猛スピードで飛び出してきた。タイヤが路面にこすりつけられる音を派手に鳴らし、背後から猛スピードで俺たちを追走し始めた。「後ろになんか来たわよ!」 ハルヒがつばを飛ばして背後の軽トラックを指さす。俺は祈るような思いでその軽トラックを見つめていた。ただの急いでいる一般人かもしれないし、スピード狂の――って、荷台に数人の男が乗っているみたいだが、全員覆面姿だ。おまけに手には銃器やらロケット弾発射装置が……「うおっ!」「きゃああああ!」 俺と朝比奈さんの短い悲鳴が車内に響く――がすぐ側面に着弾したロケット弾の衝撃でそれもかき消された。ただでさえ猛スピードで走行中のために不安定な車体が激しく振動する。「新川。振り切りなさい」「わかりました。少々荒っぽい運転になりますが、しっかり捕まっていてください」 新川さんがさらにアクセルを踏み込んで速度を上げた。同時に後部ガラスにびしびしと何かが当たり始める。追走してきている軽トラックから銃弾が浴びせられているらしい。「大丈夫だ。この車は特注の防弾ガラスを備えていてね。簡単には撃ち抜かれないよ」 一番後ろの席に座っている多丸圭一さんが追走してくるトラックの様子をうかがいながら言う。弟の多丸裕さんも鋭い眼光で敵の方を見つめていた。この二人も森さん同様に機関の人間なんだなと再認識させられる。 ところで、以前に朝比奈さんを誘拐した自動車を追跡した時もそうだったが、新川さんのドライビングテクニックはすばらしい。ジェットコースター並みの恐怖感を与えてくれる荒っぽい運転の一方で、不安定さを感じない。前を走る自動車をスピードを落とさずに次々と追い抜き、曲がりくねる道路も軽やかな手さばきで楽々通り抜ける。しかし、背後の敵もなかなか――というよりもしつこい。こっちにぴったりとつけて決して離れようとしない。おまけに徹底的に銃撃を加え、たまにロケット弾をぶっ放してくるんだからたまったもんじゃねえ。新川さんの華麗な運転でロケット弾をかわしているものの、それがそこら中の民家の壁やら田んぼに撃ち込まれ、またもや無関係な人々へ甚大な被害を与えていた。くそ、もう少しで林道まで入れるって言うのに。 そんな中、たまに多丸兄弟が窓から身を乗り出し、拳銃で背後の敵を牽制していた。腕だけ窓から突き出しひたすら適当に撃っているところを見ると、少しでも背後の奴らを動きを止めるのが目的みたいだ。「しつこい連中だわ。それに腕も相当」「彼らも必死なんでしょうな」 サイドミラーで背後の連中を確認しながらぼやく森さんと新川さん。ちなみに散々後部ガラスに銃弾を浴びせられた結果、弾痕だらけだ。これ以上撃ち込まれるとさすがに破れるんじゃないか?「全く……このくらいの拳銃では歯が立ちそうにないな」「そうだね。まるで子供と大人のケンカだ」 後部座席に座っている多丸兄弟がぼやく。向こうは自動小銃にロケット弾。こっちは小さな拳銃。確かに戦力差は圧倒的だ。「さて……じゃあ、こっちにチェンジするかな」 多丸圭一さんが脇に置いていた大きなバッグから取り出したのは――映画とかでよく見かける軽機関銃だ。多丸裕さんの方も同じタイプのものを握りしめている。もう趣味が高じて、なんていう言い訳も虚しくなるぞ。 ――次の瞬間、車体が後ろから持ち上げられるような衝撃が襲ってきた。バウンドするように車体がはずみ、後部の防弾ガラスが吹き飛んだ。バラバラと破片の一部が俺たちの頭に降り注ぐ。どうやら車のちょうど背後の地面にロケット弾が着弾したらしい。直撃だったらみんな死んでいたかもしれないぞ。「おい! 大丈夫なのかよ! 早く逃げないと!」「精一杯やっておりますが、敵もなかなかしつこい。やはり逃げるだけでは駄目のようですな」 俺の焦りの声に新川さんの冷静な言葉が返される。すると、多丸兄弟が破られた後部ガラスから身を乗り出すように軽機関銃を構えて、「ちょっとうるさいから耳をふさいでおいてくれ」「一発派手に行きますか」 そう言いながら、軽機関銃の一斉射撃を始めた。ガガガガと鼓膜が破れるんじゃないかという銃声音が車内に蔓延し、俺はあわてて耳をふさぐが頭蓋骨越しに鼓膜に届いているのか? 全然効果がねえ。 俺はそんな中でも何とか車内の様子を確認する。古泉は渋い表情を浮かべながらも耳はふさがずに、多丸兄弟の銃撃戦を眺めている。長門は全く気にしないように無表情。一方でハルヒは苦痛にゆがんだ顔になりながらも、自分の耳はふさがずに朝比奈さんをかばうように抱きしめていた。全く何だかんだで朝比奈さんが大切なんだろう。 そのまま銃撃戦が続いたが、やがて追走してくるトラックが大爆発を起こし道を逸れて行く。積んでいた爆発物にでも銃弾が当たったんだろうか。あれだと無事な奴はいない。「ようやく静かになったか」 多丸圭一さんがやれやれとため息を吐いた。弟の裕さんも同様だ。敵とは言え、人を撃ち殺したことに何の変化もない。普段のまま…… ……そんな二人を見て、俺は急に孤立感――古泉や森さんなどの機関の人たちとの距離が遠くなったのを感じた。まるで以前にも人殺しの経験があるかのような多丸兄弟。ならば森さんたちも当然そういった経験があるはずだ。ひょっとしたら古泉も……「どうかしましたか」 俺の様子がおかしいことを察知されたのか、古泉が俺の肩に手を置く。それに俺は激しく身体を震わせて反応してしまうが、「い、いや……ちょっと混乱しているだけだ。何でもない」 そう手を振って答える。落ち着け。今俺たちを守ってくれているのは、他ならぬ機関の人々だ。感謝すべき相手に対して変な距離感を持ってどうする。「困惑するのも無理ありませんね。あなたは今まで機関の外面しか見ていませんでしたから。しかし、以前にも言った通りこういったことは今までもなかったわけではありません。水面下では血みどろのやりとりなんて頻繁にあるんです。もっとも、今回ほど派手なことは滅多にありませんが」 古泉は俺の内心を悟ったかのようなことを言ってきた。だが、俺の耳には大して響かず、すぐに反対の耳から流れ出ていった。 ◇◇◇◇ 北高を出発し敵の攻撃を退けてから1時間。俺たちはひたすら北に向けて車を走らせていた。てっきり敵はひっきりなしに攻撃を加えてくるものと思いきや、最初の襲撃以降ぴたりと途絶えている。 辺りはすっかり山と森に変わり、民家もほとんど無い。たまに対向車が通り過ぎていく程度だ。ここなら襲われても無関係な人を巻き込む心配が無い。もっとも、だから襲ってこいという意味ではないからあしからず。「気に入らない連中だわ。勝負がしたければ一対一で挑んでくればいいのよ。無関係な人を人質みたいにして、卑怯にもほどがあるわ」 ハルヒは震えて泣きじゃくっている朝比奈さんの背中をさすりながら愚痴をこぼす。いつもは文句ばかり言っている俺も、今回ばかりは完全に同意だ。連中のやり方はいかれているとしか思えない。どんな人間だろうと良心のかけらぐらいは持っていると信じていたが、連中は心の中が全部真っ黒にしか思えない。今まで出した被害はもはやはかりようのない状態になっている。ん、そういや連中があれだけ派手に暴れている以上、もう県内どころか日本中が大騒ぎになっているんじゃないか? 俺は世間の状態が気になり、運転席の方に身を乗り出して、「ラジオつけていいですか? 少し気になるんでニュースとか聞きたくて」 それを聞いた森さんは俺の要望を受け入れ、ラジオのスイッチを入れる。 ……そこから流れてきた情報は俺を愕然とさせるものだった……『現在、……県内は混乱状態に陥っており県警でも事態を把握し切れていない状態です。繰り返します。県内にお住まいの方は現在いる建物から決して出ないでください。屋外にいる人は即刻最寄りの建物に避難してください。情報を再度整理してお送りします。……県内で武装集団が重火器を使いテロ活動を行っている模様です。襲撃された場所についてですが、公立高校、県警本部、市庁舎と多岐にわたっており、死傷者も大勢出ているとのことです。未確認の情報ながら、武装集団はトラックなど車両に乗り近くを走行している自動車に無差別銃撃を繰り返しているようです。屋外は現在非常に危険です。すぐに建物に――」 そこで森さんがラジオをオフにした。少し顔をゆがめているところを見ると、ラジオをつけたことを後悔しているようだった。 なんてこった。連中は俺の悪人像を遙かに上回っている。人の多い建物を攻撃し、そこら中の自動車に無差別銃撃?これも全部俺たちに対するプレッシャーって奴か? 出てこないとずっと続けるってのかよ。これじゃ逃げてる意味ねえ。 だが、森さんは俺とは違う見解に至ったようだ。「これはこちらに対する脅迫というよりも混乱をねらったものでしょう。活動範囲を広げ目的を曖昧にさせる。先ほどの公立高校というのは恐らくあなたのいた高校のことで、それ以外は行政や警察などです。無差別攻撃というならもっと狙いやすいところは多々あります。行政機関などを狙ってその機能を一時的に麻痺させて、我々をゆっくりと狩ろうという困難なのでしょうね」「国は何やってんだ。とっとと自衛隊でも送り込んで奴らをやっちまってくれよな」 いらだちのこもった俺の台詞に、古泉は苦笑を浮かべながら、「それは難しいでしょうね。どこかの離島に立てこもっているならさておき、街のど真ん中で神出鬼没に現れるテロリストに対する対処なんて前例のないことですから。国会を通して、自衛隊を派遣して、県内を封鎖して……と実際に掃討作戦などが行われるのはいつになる事やら。それを待っている間にこっちが死んでしまいますよ」 そう首を振る。ったく、結局自力で逃げるしかねえじゃねえか。 そんなこんなで自動車は疾走を続ける。そんな中、谷を越えるように陸橋に入ったが突然俺たちの後方で爆発が発生する。「ななななによなになに!?」 仰天の声を上げるハルヒ。一方の長門は正座のまま、「敵襲。迫撃砲を発射している敵が橋の下にいる」 そういって窓の外を指さす。その間にも俺たちのロングバンを囲むように爆発が起こり、車体に飛び散ったアスファルトの破片が降り注いだ。「さて、どういたしましょうか? そんなに長い橋ではありませんが、渡りきるまで全てかわせるとは限りませんな」 そうハンドルを握ったまま森さんに目配せをする新川さん。それを受けて森さんは座席下から自動小銃を引っ張り出すと、「……逃げてばかりでは芸がありませんね。新川、一旦停止」「わかりました」 ここで車を停止させる。が、ハルヒは運転席の方に頭を乗り出し、「何やってんのよ! 相手は軍隊みたいな連中なのよ!? ちょっと銃の撃ち方を知っているような人たちで勝てるわけないわ! とっとと逃げるべきよ!」 つばを飛ばして抗議の声を上げた。だが、背後にいた多丸圭一さんは自信に満ちた声で、「だが、ここで逃げるだけでは相手を調子づかせるだけだ。ここで一発カウンターをかませて黙らせた方が何かと都合が良い」 それに森さんも頷いて同調し、「その通りです。後ろの二人とわたしが外に出て橋の下におり敵を始末してきます。新川はここで待機して皆さんをお守りして」「わかりました」 新川さんもダッシュボードからオートマチックの拳銃を取り出して構えた。 そして、森さんは助手席のドアに手をかけ、多丸兄弟に顔を向け、「二人とも準備はいい?」「ああ、いつでも行ける」「目にもの見せてやるぜ、ゴキブリ野郎ども……!」 裕さん、何か目つきが違う……パッピートリガーって奴か? 俺たちまで撃たないでくれよ。 そして、裕さんの台詞を皮切りに3人とも路上に飛び出した。幸い、あまり使われない道路なのか、現在俺たち以外に橋の上を走行中の自動車はいない。 しばらくは周辺に迫撃弾が着弾しまくったが、運良く……というか奇跡的に一発も近くには着弾しなかった。腕が悪いのか? どうもちぐはぐな連中だな。 それから10分程度の間、橋の下では激しい銃撃音が鳴り響き続けたが、やがて迫撃砲の着弾もなくなり銃声も収まる……「終わった……の?」「ようですな」 ハルヒと新川さんは窓から外を眺めて言う。迫撃砲が止まったと言うことは森さんたちが勝ったということなんだろう。やがて3人がロングバンの元に戻ってきた。「どうも少々時間がかかりましたが、敵は全て片づけてきました」「いやあ、慣れないことをすると身体が痛い」 冷静な森さんに、あからさまな棒読み台詞を吐く多丸兄。ここに来てまだ言い訳する必要はないだろ。こんな光景を見せつけられてはいそうですかと騙されるようなハルヒじゃねえし。 と、ハルヒはロングバンに乗り込む3人と入れ替わるようにハルヒが路上に飛び出した。「おい待てハルヒ!」 そう俺が制止の声を飛ばすが全く聞く耳を持たずに橋の下を眺め始めた。 やむえず俺も外に出て、。「ハルヒ。外に出たら危ないだろ。とっとと車の中に……」 そこで俺の唇が停止した。なぜかって? ハルヒの見ているものが何なのか気がついたからだ。 橋の下には舗装もされていないあぜ道が橋と交わるように延びていた。そして、その周辺には10人ほどの覆面姿の人間が倒れぴくりとも動かない。誰がどう見ても……死んでいる。 俺たちはしばらく呆然とそれを眺めていたが、やがてハルヒがゆっくりと口を開く。「……ねえキョン。あたし決めたから」「なにをだよ?」「もう森さんたちが何者かなんて気にしない。聞いたりしない。今は生き延びることだけに集中するわ。でも――」 ハルヒが振り返り俺の目を見つめる。その顔は真剣なまなざしながらどこか寂しげに見えた……「生き延びられたら全部教えてくれるわよね……?」 ……ああ、教えてやる。俺が知っていること何もかも全てな。 ◇◇◇◇ 海までの逃避行の内ようやく2/3を越えようとしていた時、またもや敵の襲撃だ。今度は最初の時と同じように背後から軽トラックで俺たちを追いかけ始める。しかも今度は5台でだ。当然、銃弾とロケット弾が俺たちめがけて飛んでくる数も5倍だ!「きゃあ!」 ハルヒは悲鳴を上げながらも、朝比奈さんをしっかりとかばうように抱きかかえていた。一方の朝比奈さんは学校を出たときとずっと同じポーズ――膝を抱えたまま座り込んでいる。くそっ、あの長門のシステムが使えれば敵も一掃できるってのに……いやもう言うまい。というか役立たずってなら俺の方が遙かに上だ。まるっきり何もやってねえ。「数が多すぎる! 下手に顔を出せば蜂の巣だな!」 多丸圭一さんは散発的に軽機関銃を追走してくる軽トラックに向けて放っているが、向こうの方が圧倒的な数の銃弾を飛ばしてくるため、うかつに窓から顔も出せない。 そんな中、ハルヒは朝比奈さんの背中を軽く叩くと、「いい? その格好のまま絶対に頭を上げちゃ駄目よ。じっとしていて」 いったん朝比奈さんから手を離し運転席に顔をつっこむ。「ねえ! 銃を貸してくれない!? 一方的にやられっぱなしじゃ頭に来るわ! あたしも手伝いたいの!」「駄目です。素人に撃たせると味方に対して誤射したりと、返って危険になりますので」 冷静な森さんの声。そりゃそうだ。一発も撃ったことのない奴が銃を持ったって何もできないだろう。できることと言えば、すみでおとなしくしているくらいだ。そうさっきから黙ったままの長門や古泉のようにな。 だが、森さんが続けて言ったことは俺を仰天させる。「しかし、状況が不利なことには違いありません。銃をお渡しすることはできませんが、車の運転をお願いします。ATだからそんなに難しくありません。新川、後部座席に行って援護して」「わかりました。少々ハンドルをお願いしますかな」 そう言って新川さんは器用に運転席と助手席の隙間から後部に移動した。その間。助手席から森さんが手を伸ばして、器用にハンドルを操作している。しかし、アクセルを踏む人間がいないので、車速は急速に低下したが。「了解了解! まっかせてよね!」 ハルヒは意気揚々と運転席に飛び乗って――って、おまえ免許なんて持ってないだろ。ある意味銃を持つよりやばいぞ、それは、 だが、ハルヒは全く未経験の自動車運転にも恐れる様子もなく、「大丈夫よ! AT車なんてでっかいゴーカートみたいなもんだって親父が言ってた!こう見えても遊園地のゴーカートの操縦技術で負けたことはないんだからね!」「おもちゃと本物を一緒にするなよ! 森さん! いくら何でも無茶です!」 俺がつばを飛ばして抗議するが、森さんは全く聞く耳を持たない。代わりに彼女も後部座席に入って、「助手席をお願いします。涼宮さんに行き先を教えてあげてください」 そう言って地図帳を手渡してきた。開いているページには赤いラインが引かれている。どうやらこれに従っていけばいいようだ。 結局、場に身を任せることにした俺は助手席に移ろうとするものの――身体が引っかかって移動できねえ。ハルヒも森さんも新川さんも一体どうやって移動したんだよ、これ。「ちょっとキョン! 運転の邪魔しないでよ! 事故ったらどうするつもり!?」「したくてやっているんじゃねえ!」 ハルヒの抗議の声を背に何とか移動を試みるがやっぱり駄目だ。しかも、またロケット弾の雨が飛んできているみたいで、激しく車体が揺さぶられる。これで本当に勢い余ってハルヒにぶつかりでもしたら、そこでゲームオーバだ。 仕方なく俺は助手席への移動を断念し、相変わらずちょこんと正座のままでいる長門の元により、「すまないが助手席に移動してハルヒをサポートしてやってくれ。俺は移動できそうにもない」「わかった」 長門は俺の頼みを了承すると、地図帳を受け取り軟体生物のように身体をくねらせ助手席に座った。そして、ハルヒへ行き先の指示を出し始める。 この時点で後部座席には機関の4人と、俺・朝比奈さん・古泉という形になった。銃を持った4人は交互に背後の軽トラックに応戦を始めている。朝比奈さんは――やっぱり膝を抱えて座り込んだまま。とりあえずあのポーズなら銃弾が頭に当たることもなさそうだから問題はなさそうだ。 ふと、俺は古泉がやたらと安心感を漂わせる顔つきであることに気がつき、「おいやたらと余裕じゃないか。実践慣れって奴か?」「……実践慣れですか。確かに最近ご無沙汰とは言え、あの閉鎖空間で神人と長らく戦ってきましたからね。あなたのような一般人よりかは心構えはしっかりとしているつもりです」 そう表情を変えずに――と思いきや突然苦笑を初めて、「まあ、それは冗談です。実際には僕は敵の致命的な攻撃がこの自動車に早々当たらないと思っているんですよ。実際に今までもあれだけ攻撃を受けておきながら、全く被害はありません。せいぜい後ろのガラスが吹っ飛んだくらいですか。どうしてだと思います?」 ――この間、森さんが自動小銃の下につけられている……グレネードランチャーって奴だったか?を発射して、背後の軽トラック一台を破壊する――「運が良いだけだろ。まだ俺たちにツキはあるって事だ」「それは少々問題のある認識ですね」「なんだと?」 俺は目を丸くする。実際に敵はプロの軍人みたいな連中だ。銃の扱いも手慣れているように見える。しかし、それでも向こうの攻撃は当たっていないんだから、運以外の何があるってんだ?「おっしゃるとおり、敵はプロです。本来であれば僕らはとっくに死んでいたでしょう。あ、いえ、森さんたちの腕が悪いとかそう言う意味ではありません。向こうは人数も装備も遙かに上です。どんな技量を持っていてもそれを覆すのは困難。しかし、それでも向こうの攻撃はほとんど当たらずに、こちらの攻撃ばかりが命中しています。すでに敵の損害は十数人に上っているでしょう」「ああ、もはや奇跡みたいなものだ」「その奇跡を起こしている人物がいると言ったら?」 俺は古泉の言葉にはっと気がつく。ハルヒか? 敵の攻撃をぎりぎりのところでかわしているのは、ハルヒがそう望んでいるからって事か? 古泉はハルヒの耳に届いていないことを横目で確認しつつ、「その通りです。この状況を説明するには涼宮さんの能力以外に存在していません」「だが、さっきからぎりぎりすぎるぞ。そう望んでいるなら、敵のトラックが故障するとかそういう状態になっているんじゃないのか?」 俺の反論に古泉はスマイル顔のまま、「ですから、涼宮さんは弾が当たってほしくないという願望を持っている状態なんですよ。当たらないという確信ではないんです。僕らにロケット弾や銃弾が直撃するかどうかは、涼宮さんがそうなるかもと思うかどうかにかかっているんですよ。敵も今頃困惑しているのではないでしょうか。すぐに仕留められると思いきや損害続出ですからね。あと森さんも彼女の能力を知っているからこそ、涼宮さんに運転を任せたのでしょう。少なくとも先ほどの彼女の言葉を聞く限り、運転ができると信じています。こっちは口調を聞く限り、願望と言うよりも確信ですね。なら、誰よりも華麗なドライビングテクニックを披露してくれると思いますよ」 古泉の言葉通り、ハルヒは運転したことがないとは思えないハンドルさばきでロングバンを操った。ロケッド弾の攻撃をすぱすぱとかわすのを見ると、後ろにも目がついているんじゃないかと思いたくなる。 一方の森さんたちの反撃で追走してくるトラックは2台まで減っていた。このまま行けば今回の攻撃も撃退できそうだ。 俺たちのロングバンはほどなくして小さな村のようなところに入った。両脇に民家や農業の倉庫らしき建物が見える。とっととここを抜けないとまた無関係な人を巻きこんじまうぞ。 ――ふと、背後を追走して来ている敵の軽トラックのスピードが急に落ちて停まったことに気がつく。ようやくあきらめたのか? が、それに合わせるようにハルヒはロングバンを急停車させた。後部に乗っていた全員が衝撃で身を揺らす。「おいハルヒ! 何で止まるんだ! せっかく後ろの連中がスピードを落としたってのに――」 俺の声はすぐにとぎれた。ロングバンから前方10メートルほどの道路の両脇で突然大爆発が発生したからだ。ロケッド弾の比ではないその衝撃は車が横転寸前になるほどに激しく揺るがす。路上に爆弾が仕掛けられていたのか?ハルヒが停車しなかったら、あの爆発に巻き込まれていただろう。それに感づいたって言うのかハルヒは!?「い、いや……なんか後ろの連中が止まったが目に入ったからさ。ひょっとしたら前に何かあるんじゃないかと思ったのよ」 さすがのハルヒも自分自身のファインプレーに困惑している様子だった。相変わらずとんでもない勘だよ、大したもんだ。 そんなことを言っている内にまた背後の軽トラックからの銃撃が始まる。罠が失敗したから再攻撃をしてきているようだ。しかし、ハルヒはまだロングバンを停車させたままだ。「ハルヒ! 早く車を出せ! 狙われているぞ!」「駄目よ絶対に駄目!」「何でだ!」「だって、あいつらまだこっちに近づいて来ないじゃない! まだ前方に何かあるのよ!」 俺の背筋にぞっとしたものが走る。確かに背後の連中もこっちと同じように停車している。さっきからひたすら銃撃しているのは早く進めと煽っているのか!? 俺が運転していたらもう2回死んでいたところだ。森さんたちも事情を察知したようで、背後のトラックをつぶさんと一斉射撃を始める。「ああ! 来ちゃダメ!」 突然ハルヒが悲鳴に近いを声を上げた。見れば、前方から一台の乗用車が走ってきている。フロントガラス越しにうっすらと見える光景は、家族連れが楽しそうに談笑する姿だった。こっちに気がついていないのか!?「来ないで――来ないでぇ!」 ハルヒの絶叫。だがそれも虚しくまた道路の両脇で大爆発が起きる。膨大な砂煙が巻き上がり、その中からハンドルを失った乗用車がよろよろと出てきた。そのまま道路脇の民家の塀に衝突して停車する。窓ガラスは全て割られ、車内には動かなくなった家族がいることがはっきりと見えた。やがて漏れたガソリンに引火したのだろうか、乗用車が炎上を始める。 俺は呆然とそれを見つめることしかできなかった……また……また俺たちのせいで関係ない人たちを…… ゴンッ――突然車内に鈍い音が響く。ハルヒがハンドルに頭を打ち付けた音だ。自分を責め立てるように何度もそれを続ける。そして、やがてハンドルに顔を埋めるように顔を伏せた。 ハルヒは後悔しているんだろうか。自分が前に出ていれば――例え自分たちが気づくことがあっても、無関係なあの幸せそうな家族を傷つけることは無かったと。 だが、敵は後悔している暇も悩む時間も与えてくれない。道路脇の民家の影からロケット弾を構えた敵二人が現れ、こちらに向かって一斉発射した。ぎりぎりのところでロングバンを外れて、近くの路面に着弾した。「出して」 この状況下でも冷静な声を上げたのは助手席の長門だった。彼女はじっとハンドルに顔を埋めているハルヒを見つめる。「……わかっているわよ……!」 ハルヒは横目で長門をにらみつけるように言うと、顔を上げてロングバンを発進させようとする。だが、今度は前方から武装集団を乗せたトラック2台が現れ、こちら側に銃撃を始める。挟み撃ちか!「脇道にはいるわよ!」 ハルヒはハンドルを大きく切ると、狭い路地に入る。森さんは辺りを見回しながら、「周辺を警戒して! どこに敵が潜んでいるかわからない!」「そのようですな。前方に敵車両」 新川さんが前方を指さす。そこには道路をふさぐように十字路に軽トラックが停車している姿があった。当然、その荷台にはいつものロケット弾を持ったやつがいる。「きゃあ!」 ハルヒは反射的にハンドルを切り、別の路地に侵入した。幸い、ロケット弾はロングバンの頭の上を通り過ぎて、背後から追ってきていた敵トラックに直撃した。 ハルヒはそのまま猛スピードで路地を駆け抜ける。「頼むから外に出てきたりしないでよ……!」 祈るような表情でハルヒはハンドルを握り続けた。恐らく周りの民家の人々に対していっているんだろう。ここでうかつに顔を出してくれば、確実に巻き込むことになるし、下手をしたら俺たちの車で轢いてしまう恐れもある。 しばらく進むと、大きな倉庫のような前に出た。同時に倉庫前につながる2本の路地から数台のトラックが出現し、銃撃を開始する。そして、背後からも敵車両がこちらに向かってきていた。まずい、完全に囲まれたぞ。 両脇から激しい銃弾を浴びせられ、車体にバスバスと命中するが機関製の車はなかなかのようで、全く貫通しなかった。とはいえこのまま蜂の巣のままで良いわけがない。だが、完全に道をふさがれてもう逃げる場所が…… そこで圭一さんが、「わたしと裕が行こう。外に出て敵を片づける。車内からではやりづらいからな。援護してくれ」「わかりました。御武運を祈りますぞ」 新川さんの見送りの言葉とともに、多丸兄弟が外に飛び出る。二人は物陰に隠れて敵への銃撃を始めた。 ハルヒは小刻みに車を動かして銃弾やらロケット弾をかわそうと試みている。 だが、ここでロケット弾の一斉発射が俺たちを襲い、その一発が多丸圭一さんのすぐそばに着弾する。「大変……大変よ! やられたわ!」 ハルヒの叫び。負傷したらしくもんどり打って地面に倒れ込んだ多丸圭一さんの姿を俺の目ははっきりと捉えていた。やばい! すぐに助け出さないと!「倉庫に入りましょう! ここはいったん体勢を立て直した方が良いです!」「でも、扉が閉まっているから無理よ!」 古泉の提案にハルヒが叫ぶ。目の前の倉庫は見た目頑丈そうで鉄製の大きな扉が一つだけある。2階に窓があるようだが、あそこに上ってはいるのはなかなか難しそうだな。だが、誰かが扉を開けないと入ることもできなさそうだ。「わかりました。わたしと新川が外に出て敵を牽制します。用意は良い?」「お任せください」 そう言って森さんたちも外に飛び出る。森さんと新川さんも外に出てロングバンを盾にしつつ、周りの敵へ銃撃を始めた。一方、負傷した圭一さんを裕さんが抱えるように持ち上げ、倉庫の方へ移動を始める。「扉を開けて! そこに入るから!」 運転席の窓を小さくあけて、ハルヒが裕さんに指示を飛ばす。何とか声が届いたらしく、裕さんは軽く頷くと倉庫の鉄製の扉を開けた。森さんたちの的確な攻撃で次々と敵を仕留める中、ハルヒはロングバンをバックさせてその中に入る。 その後、ロングバンが完全に倉庫内に入ったのを見計らうと機関の人々たちも倉庫内に入り、鉄の扉を閉じた。「しっかりして! もう大丈夫だ!」「ううっ……」 裕さんが負傷した圭一さんを床に寝かせる。苦しそうにうなり声を上げて、その腹部からはダクダクと血が流れて床に血の海を作っていた。「ああ……そんな!」 ハルヒは運転席から飛び出すと圭一さんのもとに駆け寄った。今にも泣き出しそうな顔で彼を見つめる。他の機関のメンバーも心配そうに彼を見つめる――見つめるだけだ。何もしようとしない。 ハルヒはきっと彼らをにらみつけると、「ちょっと! なにぼーっとしているのよ! 助けなさいよ! 見捨てるつもり!?」「……できればとっくにやっているさ!」 押し殺したような言葉を口にしたのは裕さんだった。この二人は本当に兄弟なのだろうか。感情を露わにしすぎないところを見ると、本当は偽りなのかもしれないと俺は思った。「ごめんなさい! あたしがもっとうまく運転していればこんな事にならなかった! あたしのせいで――」「あまり自分を責めるもんじゃない……」 錯乱気味のハルヒを眺めるように圭一さんが彼女の頬に手を当てた。ハルヒもそれの手をつかみ、涙をぽろぽろこぼして、謝罪の言葉を続ける、 圭一さんは続いて森さんの方に振り向き、「すまないがここまでのようだ。後を頼むよ。犬死にだけは勘弁だ……」「……任せてください。必ず任務を成功させて見せます」 森さんの声も押し殺したような口調だった。 やがて圭一さんの身体が小刻みにけいれんを始めた。死が間近に迫ったことを悟ったのか圭一さんの表情がおびえに変化する。それを察知した森さんは彼の手をしっかりと握ると、「大丈夫。みんなそばにいるわ。安心して」 そう優しい声をかけた。すると圭一さんはふっと作り笑みのようなものを浮かべ、全身の力をなくしていく、 ……やがて圭一さんの呼吸は完全に停止し、その命の灯火は完全に消えた……「ちくしょう……ちくしょうぉっ!」 裕さんの無念の言葉が飛ぶ。我慢していただけだったらしい。死にゆく圭一さんに不安な姿を見せまいと。 初めて目の前で人が死ぬのを目撃した俺は、思いの外落ち着いていた。圭一さんとは少しだけしか面識がなかったせいだろうか。それとも今まで色々あったから、知らず知らずのうちにすっかり動揺しないくらいに度胸がついていたのだろうか。 しばらく嫌な沈黙が続く。森さんは入り口の扉を少し開けて外の様子をうかがっていた。てっきりすぐに突入して来ると思ったが、敵は倉庫前をうろちょろしているだけである。何を考えているんだ?「増援が届くのを待っているみたいですな。今は道をふさぐ人員だけでいっぱいいっぱいなのでしょう。そんな状況でこちらに突入すれば、包囲網がゆるんでその隙に逃げられるかもしれないですからな」 外の様子をうかがいながら新川さん。まだ増援が来るだと? ったく一体連中は何人いやがるんだ。キリがねえ。 ◇◇◇◇ 朝比奈みくるたちを追う乗用車の中、あたしは困惑していた。いや、あたしだけじゃない。作戦に従事している兵士全員もだ。逃走する朝比奈みくるたちを追撃し始めてから、こちら側が出した犠牲者は30名に達している。一方、向こうは一人負傷させたという報告があっただけだ。これだけの火力と人数の差がありながら、なぜこれだけ苦戦しなければならない? さらに兵士たちから返ってくる言葉も訳のわからないものばかりだ。 ――照準を合わせて銃を撃ってるのに弾が明後日の方に飛んでいく。 ――RPGの弾頭が敵に当たる前に爆発した。 ――弾頭が勝手に方向を変えて飛んでいった 正直、これが訓練中ならはっ倒してやりたい報告の数々だが、わたしの部下は訓練部隊のへなちょこどもではない。確実に任務をこなすことができるエリート部隊だ。こんな言い訳じみた泣き言を言ってきたことなど一度もない。「そんなバカな話があるか! おまえらの訓練不足を棚に上げて何を言っている!」 無線で檄を飛ばしているのは伍長だ。おかしすぎる。一体何が起こっている?「一体皆どうしたのでしょうか? こんな混乱ぶりは初めてです」「……よくわからない力が働いているとしかおもえんな」 伍長も困惑している。というか、よくわからない力、などという曖昧極まりない言葉をあたし自身が発している時点で、自分も困惑していることも明白だ。「状況は?」「現在、目標は建物に閉じこもっているようです。突入したいところですが、人手が足りていません。現在、目標を建物内から出さないように牽制しつつ、周辺に配置した兵を集結させています。突入はその後になるでしょう」 常識的に考えれば、これで終わりだろう。だが、先ほどのからの状況から推測すれば失敗して取り逃がす可能性もあり得る。「伍長。陽動の部隊も全部こちら側に向かわせろ。全てだ。奴らを仕留めるためには力押しだけではダメだ! 別の手を――」 ……あと5時間だ。 ――突如あたしの頭の中にいつものささやきが生まれた。激しい頭痛が全身まで広がる。この声が響くときはいつもこうだ。「……三佐? 大丈夫ですか?」「ああ……またあの声だ。5時間といわれたよ」「5時間……ですか」「くそっ!」 あたしはドアを思いっきり拳で殴りつける。この声はいつも身勝手なことを言ってくる。いつもこの声の時間になると別の時空間にとばされるのだ。もう少しだというのに……今回もまたか。 ◇◇◇◇ 俺たちはどうするべきか。全員で相談していた――いや、朝比奈さんだけはずっとロングバンの中に閉じこもったままだった。「とにかく、ここを出るべきでしょう。そうなると、敵の増援が来る前に道をふさいでいる敵の車両をどかして脱出する必要があります」 古泉が基本的な提案をしてくる。そんなことはみんなわかっているんだが、どうやってそれを実現すればいいのかがわからないんだろうが。「わたしと新川が外に出て陽動を行います。そこで敵の車両をおびき寄せ、その隙に脱出してください」「森さんたちはどうするのよ? 置き去りなんて絶対に嫌よ」 運転手であるハルヒの言葉。だが、敵の軽トラックをどかすだけで精一杯なのに森さんたちまで回収できるのか? ――そんなことを話し合っている間に、そこから銃声音が聞こえてくる。くっそ、ついに突入してくる気か? だが、外の光景は予想外のものだった。武装集団は俺たちとは逆の背後に向けて銃をぶっ放していた。そして、敵の向こう側には警察のパトカーが止まっている。どうやら騒ぎを聞きつけた警察が武装集団を仕留めるべくやってきたみたいだ。考えてもなかった味方の登場である。自動小銃+ロケット弾を持つ敵に対して、リボルバーな拳銃で戦う警官はあまりに頼りないと思えてしまうが。「……チャンスのようですな。この機を逃すのはあまりに愚かと」「そのようですね。問題は道をふさいでいる軽トラックをどうするかですが……」 思案顔の森さんに、ハルヒがばっと顔を近づけて、「良いこと思いついた! あたしに良い考えがあるわ! 森さんたちはいったん外に出て敵をできるだけ仕留めて。特に軽トラックの運転手を最優先に仕留めてほしいの!」 その後、ハルヒの提案した脱出方法は仰天のプランだった。 ◇◇◇◇ 「用意はいい?」「こちらはいつでもいいですよ」 ハルヒの確認に、森さんは倉庫の出入り口の扉に手をかける。 俺たちのロングバンは出入り口まで一直線のところに配置している。アクセル全開で飛び出すことためにこの位置にいる。 ふと、ハルヒが窓から外を見つめていることに気がついた。そこには動かなくなった圭一さんの姿がある。乗せる余裕はないとしてここにおいておくと言い出したのは森さんだった。あとで回収に来ると。 すっとハルヒは圭一さんに向けて敬礼っぽい仕草を取った。彼女なりのお別れと感謝の印なのだろうか。そして、すうっと大きく深呼吸をして目をきっと見開いた。「行くわよ! 森さん行って!」 ハルヒの合図とともに森さん・新川さんが銃を持って外に飛び出した。ハルヒもそれに続いて、ロングバンを倉庫から出す。 敵は思わぬ形で挟み撃ちにされてどちらを攻撃するべきか迷うそぶりを見せていた。その一瞬を森さんたちは見逃さず、次々と敵を仕留めていく。 一方のロングバンは倉庫前で停車していた。路地は3本あるがハルヒの脱出プランをかなえられる路地を探しているのだ。条件は警察車両が武装集団の車両の背後に存在していないこと。その道は――「あれだわ! 森さん、新川さん! 早く乗って!」 ハルヒのかけ声とともに、ロングバンの後部のドアを古泉が開ける。そして、二人がその中に飛び乗った。敵もそれを逃すまいと狙ってくるが、警察が良い具合に牽制してくれるおかげで被害無く二人を回収できた。「さあ……行くわよ。キョン、みくるちゃんを守ってあげて。かなり激しく揺れるだろうから」「わかった」 俺は朝比奈さんの肩を抱くように彼女のそばにつく。その身体はやはり小刻みに震えていた。ハルヒはそんな彼女に気がついたのか、「大丈夫よみくるちゃん。守ってあげる……絶対にね!」 そう言ってハルヒは思いっきりアクセルを踏み込んだ。一瞬タイヤが空回りするようにスリップし、ゴムの焼けるにおいが鼻についた。そして、一直線に目標の路地に停まっている武装集団のトラックめがけて突撃する。「いっけぇー!」 ハルヒの作戦……それは体当たりだ! ロングバンと敵の軽トラックが激突し、俺たちの身体がバウンドするように転がった。それでも俺はハルヒの言付け通り、朝比奈さんを決して離さない。 全速力で体当たりされた軽トラックはその勢いに乗せられ、バックを始めた。ロングバンでトラックを路地を抜けるところまで押し出そうってことだ。森さんと新川さんが運転手を仕留めていたおかげで、トラックは抵抗することもなく、俺たちのロングバンに押され続ける。全くハルヒらしい大胆な作戦だよ。 だが、想定外のことはいつでも起きるものだ。運転席には敵は乗っていなかったが、後ろの荷台には敵が載っていたようで、すっと立ち上がって俺たちの方に向く。いつもの覆面姿のそいつの手にはあのロケット弾発射装置が握られていた。あれをフロントガラスめがけて撃たれればただではすまないぞ。「間に合えっ!」 ハルヒの気合いのこもった声とともに、ロングバンがさらに加速した。速度アップにロケット弾覆面男が一瞬バランスを崩すがそれでも倒れるまでにはいかない。しつこい奴だ。倒れちまえよ。 そして、そいつはまたロケット弾の弾頭を俺たちに向けて……だが、こちらの方が一歩早かった。ロングバンが俺たちの通ってきた2車線道路に飛び出し、軽トラックは向かい先の民家の塀に激突する。さすがにそのショックには耐えられず、地面に倒れようとして――だが、それにも負けじとこちらに向けてロケッド弾を発射した。「うおっ!」 俺のドア一枚向こうの地面にロケット弾が着弾し、衝撃が襲った。何とか朝比奈さんを守ろうと俺は必死に彼女を抱きしめる。いい加減ぎりぎりも飽きてきたぞ。たまには大きく逸れてくれ。 ハルヒはロケット弾が外れたことを確認すると、また北に向けてロングバンを発進させた…… ◇◇◇◇ 「やった……やったわよ……!」 ハルヒの歓喜と脱力が混じった声。さすがの超人ハルヒとはいえ、疲れが出ているようだ。肉体的だけではなく精神的にもきついだろう。それでも信じられない活躍ぶりだ。宇宙人・未来人・超能力者のいずれにも属しておらず、自らの能力も理解していないというのにとんでもない奴だ。 俺たちの対向車線を次々とパトカーが通り過ぎていく。さっきの村に向かっているのだろう。頼むから少しでも足止めしてくれ。ああ、でも余り無理するなよ。かなうような相手じゃないんだからな。「キョン、みくるちゃんは無事なの?」「ああ、大丈夫だ。朝比奈さん、大丈夫ですよね?」 俺の問いかけに朝比奈さんはコクコクと短くうなずいた。しかし、それでも膝に埋めた顔を決して上げようとはしなかったが。 ハルヒはほっとため息を吐いて、「よかった。キョン、ちゃんと守ってあげなさいよ」「わかっているさ」 ◇◇◇◇ ようやく北の果て――海岸線が見えつつあるところまでやってきた。古泉曰く、人気のない入り江にクルーサーを止めているらしい。そこから海に出れば、もう関係ない人を巻き込む事もなくなるだろう。ただし、やけを起こした敵が無差別襲撃を起こさないためにも海上に逃げる俺たちの姿を焼き付けさせる必要があるが。その辺りは機関の別働隊がうまくやってくれるとのことだ。 だが、俺には不安もあった。敵が本当に海上まで追いかけてくれるのか? 海上から陸に呼び戻すために無差別攻撃を始めたりしないだろうか? 俺たちが海上に出た後、しばらくはそこにとどまることになっている。食料や水も多くあるようだ。当然、敵の脅迫に乗らないためにもラジオなどのニュース視聴は一切禁止になる。しかし――いざ陸に戻ってきて洒落にならない状況だったらどうするんだ? 向こうが俺たちがラジオなどを聞かないことを知るわけもないんだから延々と殺戮を繰り返していることだって……「あまり根を詰めて考えない方が良いですよ?」「……ああ。すまない」 俺は額に手を当てながら自らを落ち着かせる。とにかく今は他の人を巻き込まない状況に持ち込むことが最優先だ。万一、敵が海上まで追いかけてこないというなら、あとは警察やら自衛隊に任せるしかないだろう。大丈夫だ。きっとうまく片づけてくれるさ。 そして、いよいよ海岸まで間近に迫ったとき……突然、路地から巨大なトラックが飛びだし、路上をふさごうとした。ハルヒはあわててハンドルを切って間一髪でそれを――かわせなかった。ロングバンの先頭の右部分が巨大トラックの先頭と接触し、勢いよくバランスを崩してスピンしてしまう。「倒れるな! 倒れないで!」 ハルヒは祈るような言葉を吐きながら、必死にバランスを保とうとした。賢明なハンドルさばきの結果、横転せずにロングバンは停止した。ハルヒ様々だな、本当に。 だが、悪いことはさらに続く。「ダメっ……エンジンがかからない! どこかやられたのかも!」 停止してしまったエンジンをハルヒは必死にかけようとするが再起動は無理のようだ。ここまで来たって言うのに。 古泉は運転席の方に身を乗り出し、「降りましょう! これ以上ここにいても危険なだけです」「わかったわ!」 全員、ロングバンを乗り捨てて外に出る。朝比奈さんは力なく立ち上がってくれたものの、ただでさえ遅い歩行スピードがさらに50%減の状態で歩くもんだから俺が手を引いて強引に歩かせる羽目になった。 道路をふさごうとした巨大トラックには誰も乗っていないようだった。タイミングを狙って押し出しでもしたのだろうか。しかし、どうして攻撃してこない? てっきり降りたとたんに銃弾の雨あられだと思っていたんだが。 巨大トラックを通り抜け、俺たちは先に進んだ――その先にあった光景に俺は愕然とした。海まで続く路上には焼けこげた――一部にはまだ火がついたままの車両が放置されている。軽トラックや乗用車、ワゴン車などそれは延々と続いていた。なんだってんだ…… ◇◇◇◇ あたしは兵士たちに配置させた車両の残骸の陰に隠れていた。この障害物に身を隠し、奴らがのこのこ来たところを狙って、至近距離から一発で仕留めてやるつもりだ。念のために伍長も一緒にいるが、他の兵士たちは周辺で待機させておいた。まず彼らが銃撃で朝比奈みくるたちが混乱したところであたしが仕留める手はずになっている。 だが、伍長はこの奇抜な手段には疑問を抱いているようだ。「三佐、何もこんな手の込んだことをせずとも遠距離から狙撃で仕留めればいいのでは?」「他の兵士たちの言葉を聞いただろう? 遠距離からの狙撃では弾が勝手に逸れるだけだな」「それは兵士たちの技量が……」「あたしは信じるよ。ずっと仲間として信じてきた同志たちだ。彼らが命をかけて得た情報を無駄にするつもりはない。絶対に外しようのない至近距離で一発で仕留める。これで全て終わりだ」 ◇◇◇◇ 俺たちは恐る恐る進んでいた。作られた障害物であることは見え見えだったからだ。連中はここで仕留めようとしているのかもしれない。だが、俺たちは前に進むしかなかった。なぜなら、背後にはまた敵の軽トラックが数台接近してきているのが見えたからだ。「気をつけてください……。敵はどこかに潜んでいるはずです」 先頭を歩く森さんが自動小銃をあちこちに向けながら警戒の声を上がる。新川さんと裕さんは俺たちを守るように、両脇を歩いている。 そして、ついに敵からの攻撃が始まった。タタタタと発砲音が響き、その銃弾が車の残骸に辺り火花が飛び散る。「伏せてください! 残骸を陰に進んで!」 森さんの声が飛ぶ。指示通り俺たちSOS団グループは床をはうように前進した。裕さんと新川さんは敵の銃撃を引きつけるため立て膝ぐらいの姿勢で弾が飛んできた方に向けて反撃し始めた。こうやって新川さんたちがいる場所に俺たちがいると誤認させようとしているのだろう。 だが――それが間違いだった。「きゃっ!」 突然隣にいた朝比奈さんの姿が消えた――いや、何者かにセーラー服を掴まれて俺から見えない残骸の陰に引き込まれたのだ。俺はあわててそれを追いかけて…… ……そこにはおびえきって涙目を浮かべる朝比奈さんに拳銃を向けている朝比奈(黒)の姿があった。すぐに引き金を引こうとしている。 ……おいちょっとまてよ。 ……そこは悪役らしくぺらぺらとといらないことをしゃべって時間を作ってくれよ。 ……相手の目前で舌なめずりは常識だろ。 ……頼むからあと10秒待ってくれ。 ……頼むから! パンっ!と乾いた音が響く。俺は引き金を引いて銃弾が銃口から飛び出す瞬間までとてもゆっくりと見えた。だが、すぐにまた時間感覚がすぐに戻った。朝比奈(黒)の握る拳銃をハルヒがつかんで、朝比奈さんへ銃弾が放たれることを阻止した瞬間から。「なんて……なんてものをみくるちゃんに向けてんのよ……!」 激怒のハルヒ。未だかつてここまで怒りを見せたことはなかった。ただその表情には苦悩も混じっていた。俺ははっと気がつく。たしか拳銃の銃口は発射直後はめちゃくちゃ熱いと聞いた憶えがある。ならハルヒの手は今熱でジリジリと……ダメだ! 今すぐ手を離せハルヒ! だが、朝比奈(黒)は眉毛一つ動かない。そして、あの朝比奈さんの声を野太くしたような声で、「涼宮ハルヒか?」「……だったら何よ……!?」 ハルヒは必死に銃口を別の方向へ向けようとしているようだった。だが、朝比奈(黒)の腕はびくとも動かなかった。不意撃ちで最初こそ手を狂わせたことができたみたいだが、身構えている状態での力の差は歴然だ。そして、一番まずいのはその銃口は今ハルヒに向けられていると言うことだ。早く離せハルヒ! そいつの狙いはお前も……「なら同じ事だ」 ――お前を殺すという目的も持っているんだよ! だが、とっさで俺はそれを口にすることはできなかった。そして2度目の発砲。今度は逸れることもなく、ハルヒの腹部を貫通したことが恐ろしくなめらかにゆっくりと目に映し出される。 3,4度目の発砲――ハルヒの腹部と足に当たった――あ……ああああああああ!「うおあああはおおおおおおお!」 俺は無我夢中で朝比奈(黒)に殴りかかった。どうなってもいい――どうなってもいいからこいつを止めてやる。止まれ! だが、殴りかかった俺の顔を朝比奈(黒)は器用につかむ。そして、もの凄い力で握りしめてきた。「うあああっ!」 たまらず苦痛の叫びを上げる俺。情けない、頼む俺の身体。後でどれだけの代償を支払っても良い。あと少しだけ痛覚を停止しろ。頼む! 朝比奈(黒)の声だけが俺の耳に届く。「その声――最初にハイスクールで話した少年か。度胸は認めてやる。だが、命は粗末にするものではない。こんな平和な世界だ。死を賭けてやることなど何もないはずだ! 少し耐えろ! それで全部終わる!痛みと嫌悪の記憶はやがて平和な世界が浄化してくれるんだからな!」 何をいってんだかわからねえよ。手を……手を離しやがれ…… 俺が苦痛に耐えながら必死に開けた目。それに映ったのはまた朝比奈さんに銃を向ける朝比奈(黒)の右腕……「ぐはっ!」 突然、俺の身体が放り投げられ車両の残骸に打ち付けられた。背中を強打され思いっきり咳き込んでしまう。だが、今はそんなことをしている場合じゃないだろ。立て、立てよ俺。 強引に身体を持ち上げると、俺の目には朝比奈さんをかばうように立ちふさがる森さんの姿があった。銃は持っていない。地面に落ちている。しかし、朝比奈(黒)の拳銃も地面に落ちていた。 一方、裕さんと新川さんは周囲の敵への反撃で手一杯だ。助けを求められそうにもない。「……なぜそこまでする?」「仕事ですから」 朝比奈(黒)の問いかけに森さんは簡単な回答のみで、一気に足を上げて朝比奈(黒)を蹴り飛ばそうとする。だが、渾身の蹴りをいともあっさり受け止めると、そのつかんだ足を持ち上げ数メートル先に放り投げた。この女、本当に未来の朝比奈さんの可能性の一人なのか? 化け物すぎるだろ。 森さんがいなくなったことでまた朝比奈さんを守る奴はいなくなった。だが、拳銃を拾って撃とうとするまでは、少しだけの時間がかかる。その間にまた俺が飛びかかって…… ――朝比奈(黒)は本当にプロなのだろう。落ちた拳銃を拾わずにいつの間にか手に収まっていた大きなコンバットナイフを見て俺はそう考えた。おびえる朝比奈さんを仕留めるには拳銃なんていらない。そんなタイムラグが発生させる必要もない。それで十分…… ずさっと嫌な音が響く。今度こそダメかと思いきや、朝比奈さんの前に立ちふさがる新たなる人影。それは新川さんだった。相手していた敵を片づけ、差し出されたナイフを肩に受け止めて朝比奈さんをかばったのだ。「なぜ……」 朝比奈(黒)が呆然つぶやく。だが、森さんに問いかけたものとは別な感じだ、まるで自問自答するような…… タタタタと朝比奈(黒)への銃撃が始まる。裕さんがこちらに向けて撃ちを始めたのだ。さすがにそれにあたるとまずいのか、でかい図体に似合わない機敏さではね回り、裕さんから陰の位置になる車両の残骸に飛び込んだ。 俺は一目散にハルヒと朝比奈さんの元に駆け寄る。朝比奈さんの方は無傷だ。だが、ハルヒは……もう致命傷だった。だれがどう見ても。 立ち上がった森さんは手際よくハルヒを抱え上げる。新川さんも肩を負傷していながらも、朝比奈さんを背中に負ぶった。「走りますぞ!」「走って!」 裕さんも含め俺たちは一目散に走り出す。 途中から長門と古泉も合流した。何やっていたんだよ。こっちはとんでもない事態に――「すいません! もう一人の兵士に手こずりました。長門さんがいなければ殺されていたかもしれません」「…………」 背後から長門も黙って付いてきていた。 だが、待っていましたとばかりに周辺から銃を構えた武装集団が現れ、俺たちにロケット弾やら銃弾を浴びせ始めた。このまま走って逃げるのは無理だ。どうすりゃいい? と、裕さんが突然立ち止まった。だが、森さんたちは立ち止まらない。そして、森さんは言った。「頼みます……!」 俺はすぐに悟った。裕さんは少しでもここで敵を食い止めるつもりだ。それが決して生きて帰れないことを知っている上で。 だが、今の俺の頭の中にはハルヒのことしかなかった。もう周りは何も見えていない…… ◇◇◇◇ あたしはたった一人でこちらを抑えきっていた男の死体を足で転がす。 兵士たちの言葉に偽りはなかった。確かに引き金を引く瞬間まるで何かの力がそれを阻止しようとと、あたしの意識に介入してきたことをはっきりと感じた。軽く神経が突っ張るような非常に不愉快な気分。 それでも、涼宮ハルヒを仕留めた手応えのあった。あれは長続きしない。 だが、朝比奈みくる……あのあたしを否定したあたしを目前に捕らえておいたというのに仕留められないとは。もうすこしでもう少しで終わりだというのに…… ……あと3時間。 わかっている。言われなくてもな。奴らはこのまま海に出るだろう。そこで確実に仕留めてやる。 ◇◇◇◇ 「ハルヒ……ハルヒ……! しっかりしろよ!」 入り江に停泊してあった機関所有のクルーザーの上で俺はわめいていた。 ハルヒの傷は深く、血はいっこうに止まる気配はない。このままでは確実に――死ぬ。「頼む古泉! ハルヒを病院に連れて行ってくれ! まだ助かるんだ! 助けたいんだ! お願いだよ!」 俺は古泉の肩を揺すって懇願した。だが、古泉はばつの悪そうな目を浮かべるが、決して目を合わせようとしない。他の連中もそうだ――いや、長門だけはいつもの無表情のままこちらを見ているだけ。「神とか情報統合思念体とか、未来とか! もううんざりだ! 何でもいい! ハルヒを助けてくれ! お願いだ!」「ダメよ、バカキョン……」 俺の耳にハルヒの息絶え絶えの声が届く。俺はすぐに彼女の元に駆け寄り、「大丈夫か!? 安心しろ、今すぐ助けてやる。絶対にだ! 他の連中の意見なんて知ったことか! 絶対に助けてやる!」「ダメだって言っているでしょ……」 ハルヒは俺の言葉を拒絶した。そして、続ける。「病院なんかに行けば、そこが……攻撃されるじゃない。それじゃあたしも助からないし、関係ない人まで巻き込んじゃうよ……」 俺はぐっと言葉に詰まる。正直、今の俺の気持ちは他の奴なんか知ったことではない。ハルヒが助かれば何でも良い。だが、確かに今病院に連れ込んでもそこが攻撃されればハルヒも助からないだろう……「全く……あたしも狙われているってなら、とっとと教えてくれれば良かったのに……」「……お前に言ったら一目散にあのくそ野郎どもに一人で飛びかかっていっただろ! 言えるわけがなかった!」「あったりまえじゃない……」 そこでケホケホとハルヒは咳き込む。口元からは血が流れ出ていた。どうすりゃいいんだよ!「みくるちゃん……どこ?」 ハルヒが空に向けて手を伸ばした。それを朝比奈さんが振る振ると震えながら握る。「よかった……無事だったんだ……よかった……」「涼宮さん……ごめんなさい……ごめんなさい……!」 ハルヒの手を握りながら、朝比奈さんはただ涙を流した。そんな彼女の頬をハルヒはなでると、「何を悩んでいるのか知らないけどさ……細かいことを考えた方が負けよ。みんなみくるちゃんのことが好きなんだから。それを忘れないで……」「嫌です! そんなお別れみたいなこと言わないでくださいっ!」 古泉もハルヒの元に駆け寄り、「僕もあなたに謝らなければなりません。僕の力が及ばないばかりにこんな……」 こいつがこれだけゆがんだ表情を見せたのは初めてだった。 俺はふとここで重要な人間が頭から離れていることに気がつき、「長門! 頼む! 俺はどうなっても良い! ハルヒを助けてくれ! お願いだよ……!」 すがるように長門の肩を揺さぶった。だが、彼女は何も答えない――何も。 ダメなのか。 もうハルヒを助けるすべはないのか。 嫌だ、絶対に嫌だ。 あの時に味わった喪失感はもう二度とご免だ。 でも、もう手段はないのか。 もう……「あきらめないで」 ここで長門が口を開く。そして続ける。「あきらめないで。わたしも今必死に考えているから。何ができるのか。何をすればいいのか。だからあなたも一緒に考えて」 長門の言葉で目が覚めた気分になった。そうだ、まだハルヒは生きている。最後まであきらめるな。 俺は古泉の元に駆け寄り、「おい、機関とやらの医療チームを派遣してもらえないのか!? このクルーザーは結構広い。この中で治療する分には問題ないはずだろ!?」「存在はしていますし、すでに出動を要請しています。しかし、この出血量では到着するまで涼宮さんの体力の方が持ちません」 肝心なときに使えねえな。だったら他の方法は…… そうだ。ハルヒに自身の能力について教えてやればどうだ? 世界を改変できるほどものだ。自分の身体を治すことぐらい…… いや無理だ。この状況下でハルヒにそんなトンデモ能力があることを信じさせることなんて不可能だ。ただの励ましの言葉として受け取られるだけだろう。 なら朝比奈さんの未来に助けを求めるか? バカ言え、今回の一覧の騒動は下手をすれば朝比奈さん(大)が仕組んだことかもしれないんだぞ。シカトされるのが落ちだ。 他には救急に助けを求める……行政に連絡して……いや、いっそ自衛隊に……ああ、どれも時間が足りない。どうして時間は人の気持ちも考えずに流れるんだ! こんなときぐらいゆっくりに流れてくれても…… ――瞬間だった。俺の頭の中に解決にはならないが、一時的に回避する方法が思考の海を流れた。俺は絶対にはなさいように、それをつかみ上げた。「長門! おまえ昨日やったことはまだできるよな! あの爆発物の周囲の時間をいったん止めるって言う方法だ!」「可能。だが、涼宮ハルヒにそれを実行することは不可能。制限をかけられている」「いや、ハルヒをやる必要はない。いいか、俺の指示通りにやってくれ。今からお前の背後を時間の流れを止めるんだ。ハルヒがいるいないは関係ない。指定された範囲に対して実行すればいい。ハルヒに対してやるんではなく、結果的にそこにハルヒがいたというならどうだ!? 可能か!?」「…………」 長門は少しだけ首をかしげると、すぐに背中を向け、「その解釈なら問題ない。実行可能であることを確認した。ただいつ制限をかけられるかわからない。すぐにやる。急いで」 俺たちはハルヒから離れる。そして、長門の背後の空間が球体状に発光したかと思えば、その光はどんどん圧縮されるように小さくなっていった。やがて、ハルヒのいた場所にはゴルフボールぐらいの水晶玉のような透明な球体が一つ転がっているだけになった。 長門はその球体を手に取り、さらにどこからとも無く取り出した一本のひもをその球体に通した。「この球体の中の時間は100万分の1の速度で流れている。わたしたちの時間認識上に置いて、あなたの一生が終わるまでの間、涼宮ハルヒの生命活動が停止することはないだろう」 そして、まるでアクセサリーのようになったそれを俺の方に差し出し、「これはあなたが持つべき。もっとも涼宮ハルヒを思いやることのできるあなたに持っていてほしい」「わかった。ありがとう……本当にありがとうな、長門……」 俺は頭を下げても下げたり無いような気持ちでその球体を受け取った。中をのぞくと、本当に小さくされたハルヒの姿がはっきりと目に映る。窮屈だろうが、少しの間我慢してくれハルヒ……絶対に助けてやる。 ~~その4へ~~
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