涼宮ハルヒの聖杯~第9章~
俺のことを『殺す』だと・・・?「そ、そんな~・・・」背後では朝比奈さんが驚愕と絶望の入り混じった嘆きの声をあげる。今にも卒倒しそうな青白い顔色だ。「アーチャー・・・アンタ何言ってるの?」ハルヒも状況を把握しかねるといった様子だ。首を傾け、赤い外套を睨みつけている。「・・・はあ?何を言っているんだ?」俺も唖然とした声を挙げる他なかった。 「・・・まず俺の正体を話さなくてはならないだろうな」俺達からふと視線を外し、自嘲気味に唇を歪めつつ、アーチャーは静かに口を開いた。「と、言ってもライダーにセイバー、古泉は既に解ってはいるだろうが・・・」そんな妙に引っかかる前置きを添えて、衝撃的な事実が語られる。 「俺は――以前の世界では『キョン』と呼ばれていた」 「――え・・・それって」ふと呟くハルヒ。俺も・・・信じられなかった。と、言うかそもそも理解出来ない・・・。「俺は以前の世界で・・・SOS団に所属していた。そっちの世界にはハルヒも朝比奈さんも、古泉も、 セイバーも長門有希として、ライダーも鶴屋さんとして、存在していたんだ。 そうだろ、古泉、長門、鶴屋さん。誤魔化しても無駄だぞ。 どうやらなぜか古泉とサーヴァントには以前の世界の記憶が残っているらしいからな」その言葉に、垂れ落ちる血を拭おうともせず、唇をかんで俯く古泉。ライダーは「あ~、とうとう言っちゃったね~」とか何事かを小さく嘆いている。おぞましき仮面により表情は窺い知れないものの、戸惑っているに違いないと思われる声色。そして、セイバーはといえば、表情を変えず、じっとアーチャーを見つめている。 「まあ、いきなり信じろって言ったって無理な話だろうが・・・」と、そこで言葉を切るアーチャー。そりゃあそうだ。そんなムチャクチャな話、やはり信じられるワケない。しかし、「彼の言うことは本当」セイバーがポツリと呟く。それはそれは真剣な面持ちで――。ライダーもコクコク頷いている。古泉も相変わらず黙ったままだ。まさか・・・本当に・・・。 「ちょっと待ちなさいッ!」アーチャーの告白と共に流れ出した不穏な沈黙を、断ち切ったのはハルヒの一声だった。「どういうことよ?アーチャー、アンタが・・・キョンだって言うの?」「そうだ」「ウソ・・・自分の正体が思い出せないって言ってたのは何だったのよ!?」「正体については既に思い出していた。今まで黙ってて悪かった」 「じゃあ・・・何でキョンを殺すだなんて言い出すの?」ハルヒの口から、核心を突く質疑が成される。再び辺りには、釣鐘のように鈍重で厳かで――不気味な沈黙が降りる。洞窟内の温度が一気に数十度低下したかのような――不穏な空気が立ち込める。 「それは・・・」アーチャーの赤い外套が洞窟内に吹く風に大きく揺れる。 「その男が・・・生きていてはいけない存在だからだ」 「はあ?」その言葉を聞いて、思わず俺はそんな間の抜けた声をあげていた。言うに事欠いて何だそりゃ?どうしてそんな理不尽な理由で俺がお前に殺されねばならない? 「随分不満そうだな」アーチャーが俺を睨みつけ、心底不快だと言わんばかりに皮肉を吐き出す。憎悪に濁ったその視線から放たれる殺気が、チクチクと俺の神経を刺激する。「当たり前だろ。いきなり殺すだなんて言われて、ヘラヘラ笑ってられるほど、俺はお人よしじゃない。 それに・・・相手が誰でもない『自分』とありゃ尚更だ」俺も負けずに睨み返す。背中と腹に力を入れ、殺気に震える身体を奮い立たせる。 「殺すなんてダメですよ~・・・」おろおろと俺とアーチャーを交互に見る朝比奈さん。「だいたい何でキョンくんを殺すんですか?どうして『生きてはいけない』存在だなんて言うんですか? アーチャーさん、あなたが本当にキョンくんと同一人物なのであれば、そんな酷いことは言わないはずです!」感情をむき出しにして、涙を浮かべながら朝比奈さんは俺とアーチャーの和平調停にあたらんとする。「そう、ダメ絶対」セイバーも小さく同意する。 「ハルヒも長門も朝比奈さんも・・・知らないからそんなことを言えるんだ。この男が・・・『俺』が以前の世界でどんなことをしでかしたのか知らないから・・・」そんな2人の懇願に、一層苦々しく顔を歪めるアーチャー。「・・・何をしたっていうんだ。俺が」――そうだ。俺は他でもない『自分』に恨みを買うようなことをしでかした覚えなどないぞ?「・・・わかった。何も知らないまま殺してしまうのは確かに理不尽だし・・・話してやろう」アーチャーが静かに語りだす。消し難い罪悪に彩られた悲しき過去を・・・。 ~回想1~それは・・・以前の世界でのこと。俺がまだ、普通の高校生『キョン』として生きていた頃だ。 「キョン・・・あたし・・・アンタのことが好きになっちゃたみたい」「ほえ?」それはハルヒのそんな唐突な告白から始まった。 「アンタは・・・何だかんだいってずっとあたしの傍にいてくれた。 キョンのいないSOS団・・・キョンのいない世界なんてもう考えられない」そんなことを言うハルヒは、北極の氷もものの三秒で解けるような強烈な熱に浮かされでもしたか、本気で小隕石でも頭に衝突してどうかしちまったのかと思ったくらいだった。それほどまでに突然の告白。そんなハルヒの異常に、俺が考えたのは「これは何かの罰ゲームなのか?」ということだったくらいだ。しかし、その言葉が真剣であることは、次のハルヒの行動を以って証明された。 ――それは突然のキス。ムードも色気もへったくれもなかった。俺のネクタイを強引に掴み、ぐいと引き寄せられるがまま、その唇を押し当てられた。これで・・・ハルヒとのキスはあの閉鎖空間以来、2度目だ。正直余りにいきなりすぎて、さぞ柔らかかったろう唇の感触とか味とか――キスをしたという事実以外の何も覚えていない。 「アンタが良ければ・・・あたしと付き合って欲しいな、なんて・・・」ゆっくり唇を離し、顔を真っ赤にしてモジモジと語るハルヒに普段の威勢のよさは微塵もない。しかし、そんなしおらしい姿と突然の告白――そしてキスに俺が大きく心を動かされたのもまた事実だった。 放課後――俺達以外に人がいなくなった部室でのひとコマだった。 ~回想2~結局、あまりの驚きに、その日はとうとうハルヒに対し、返事らしい返事も出来なかった俺だったが、心の中では既にハルヒの気持ちを受け入れたも同然だった。次の日から俺とハルヒは仲睦まじく登下校や昼飯を共にする仲になり、クラスでは谷口や国木田に大いにからかわれた。勿論、我がSOS団においてでも俺達の関係は白日の下に晒されることになり(まあハルヒがいきなり他三人に勝手に宣言したのだが)俺とハルヒは学校中の公認のカップルとなってしまった。 正直、俺はハルヒのことをずっと憎からず思っていたし、恋人になったということも十分認識していた。しかし、事態はこれを機に思わぬ方向へと転換することになる。 その日の放課後、掃除当番として、いつになく真面目にに己の職務を全うするハルヒを教室に残し、一足先に部室へと赴いた俺を、ただ一人で待っていたのは朝比奈さんだった。何やら決意を秘めたような真剣さとどことなく切なげな憂いを兼ねた表情だったのはよく覚えている。「涼宮さんとキョンくんが結ばれるのは規定事項なんです・・・。いくら未来から来たとはいえ、 わたしにそれを覆すことなんて出来ません」じっと俯き、我が部室の天使は何事かを呟いていた。「・・・朝比奈さん?いきなり何を・・・」「本来・・・わたしにこんなコトをする権限も資格もありません・・・。 でも・・・自分の気持ちをこれ以上隠すことは・・・わたし出来ません。 わたし・・・キョンくんのことが・・・好きです」 それはそれは衝撃だった。あの憧れのエンジェル朝比奈さんの告白だ。普通の男ならいくら転生したところで預かることのないようなその僥倖に小躍りするところだが、その時の俺にとっては、何の防御もせずにヘビー級ボクサーの右ストレートを食らう位の衝撃以外の何物でもなかった。そして――『規定事項』と朝比奈さんは確かに言った。俺とハルヒがこういう関係になるのが未来の規定事項だとしたら、それに水を差すような行為は、未来人たる朝比奈さんにとっては最も避けなければならないことのはずだ。それを知ってなお朝比奈さんは、己の隠しきれぬ想いを吐露したのだ。 ~回想3~「朝比奈さん・・・本気ですか?」「本気です!わたしは誰よりも・・・キョンくんのことが好きになってしまったんです!」目に涙を溜めて、真剣に言い放つその姿に対し、『本気ですか?』なんて随分俺も下種なことを言ったものだと思う。それこそ校内に幾人潜んでるとも知れぬ朝比奈ファンクラブの連中に、闇討ちされて殺されても文句は言えなかっただろう。「キョンくんの気持ちが涼宮さんにあるのはわかってます・・・。それでも少しだけでいいんです・・・。 今、この瞬間だけでいいんです・・・。どうか・・・わたしのことを見て・・・」 俺は答えを出すことが出来なかった。朝比奈さんの・・・未来を覆してまでの告白を無下にすることも、ハルヒの気持ちを裏切ることも出来なかった。更に――事態はそれだけにとどまらない。 数日後――俺はとある人物から深夜に光陽園駅前公園に呼び出された。呼び出しの主は・・・もうおわかりだろう。 「こんな夜中に一体何の用だ?長門」「・・・・・・」長門は相変わらずの制服姿のまま、黙って立ち尽くしていた。 そして、ポツリと呟く。「わたしの中に・・・説明できないエラー、バグが蓄積している」「へ?」「あなたが涼宮ハルヒと交際を始めてからこれらの現象は発生しだした」「それって・・・」 「わたしはあなたのことが好き」 世界が音を立てて崩れ始めるその始めの音を――頭のずっと奥の方で聴いた気がした。それは鈍く、気味の悪い音だった。 ~回想4~いつからこんなことになってしまったのだろう。俺は数日にして、自分を巡る複雑な四角関係を形成してしまった。ハルヒ、朝比奈さん、長門・・・この三人から一気に告白を受けた。世の男子が渇望して止まないハーレム的なシチュエーションだが、俺は素直に喜ぶことなどできやしなかった。誰か一人を選ぶなんて・・・最初から無理だったのだ。 それからの俺は、自分でも嫌になるくらいの歴史に残るダメ男ぶりを発揮した。結局3人の想いを全部曖昧にしたまま、俺は皆と関係を持った。勿論・・・肉体関係もソレに含まれる。長門の部屋と朝比奈さんの部屋、そして自宅(ハルヒは俺の部屋でコトに及びたがる傾向にあった)を、一晩の内にハシゴするなんてこともザラだった。今思えばよく体力が持ったものだが、あの時の俺は身体的な疲労を感じることさえ放棄していたのかもしれない。 朝比奈さんと長門は、俺が自分以外の女と関係を持つことを容認していたようだった。行為が終わるや否や部屋を出ようとする俺が引き止められることは一度もなかった。寧ろ次の相手の下に向かうことを促されるようなこともあった。しかし・・・それをよしとしない人間が一人だけいた――ハルヒだ。 なし崩し的に作り上げてしまった四角関係はすぐにハルヒにバレてしまった。その時のハルヒの怒りようといったら、なかった。泣く、喚くは当たり前。俺に対しては勿論鉄拳制裁、ボコボコにされた。女にここまでボコボコにされるのもまた情けないのだが。それだけにとどまらず、ハルヒはとうとう朝比奈さんと長門にその怒りの矛先を向け、部室で、うろたえる俺と古泉を前に、2人を『泥棒猫!』と罵り、キツイ平手打ちまでお見舞いした。 その日を境にハルヒは学校にも団活にも姿を見せなくなり、連絡も取れなくなった。 ~回想5~そして最も恐れるべき事態がやってきた。ある夜、古泉に呼び出された俺は、いかに今のハルヒの精神状態が危険なものかを長々と説明された。 「もはや我々『機関』でも手の施しようがありません。閉鎖空間は日を追う毎に拡大し、 神人の破壊活動の規模も大きくなってきています。世界崩壊も時間の問題です」古泉は冷たくそう言い放った。もう全てを諦めていたのかもしれない。「・・・あなたのせいですよ」「・・・・・・」俺は黙って下を向いていることしか出来なかった。 「あなたのせいで・・・いつも僕は・・・。なぜ僕ばかりがこんな目に逢わなければいけないのです? なぜ僕ばかりがいつも涼宮さんのご機嫌とりを・・・あなたの失態の尻拭いをさせられねばならないのです? 僕だって・・・普通の『古泉一樹』としての人生があったんだ・・・! こんな能力・・・本当はいりやしなかった!!」古泉は激高した。今思えば・・・お前がコッチの世界で俺達を殺そうとした気持ちも理解できる。 「お前のせいだッ!!」古泉はそう言い放つと、渾身の右ストレートを俺の顔面にかまし、闇夜に消えていった。俺は一言も反論する気力さえ残っていなかった。そして同時に、古泉にはもう二度と会うことはないだろうことを悟った。 『絶望』を司る神がいるとしたらよっぽどソイツはサドに違いない。そして、きっと人々の血や涙を喜んで喰らい、腹の足しにするのであろう。――磨耗しきった俺を、更に絶望の淵に追い込む出来事が2つ、立て続けに起こる。 ~回想6~「わたし・・・未来に変えることになりました」泣きじゃくりながらそう告白した朝比奈さん。未来の規定事項に水を差し、『捻じ曲げ』てしまった彼女に、組織の上層部は黙ってはいなかったようだ。強制的にその身を未来へ送還されることが決定したのだ。勿論、ただ送還されてハイ終わり、ではない。『しかるべき罰』とやらが朝比奈さんのことを待っているらしい。それ以前にハルヒが世界を改変してしまったら・・・朝比奈さんの帰る未来も・・・。「わたしが・・・あんな告白しなければ・・・」「朝比奈さんのせいじゃ・・・」「ごめんなさい・・・ごめんなさい・・・」天使の生まれ変わりのような少女の涙を前にして――それを拭うことも掬い取ることも叶わない。俺は心底自分が情けなった。「きっと・・・もう2度と会うことはありません・・・。さようならキョンくん・・・」そう言い残し、朝比奈さんは去っていってしまった。 そして――「わたしの廃棄処分が正式に決定した」長門は無感情にそう言ってのけた。長門の親玉である情報統合思念体とやらは、今回の事態の引金となった長門の軽率な行動に、大層ご立腹している、とのことらしい。『廃棄処分』か・・・。随分とイヤな言い方だ。俺は長門を1人の人間として見ていたはずなんだが・・・。雪の結晶の具現のようなその少女が、儚く溶けていってしまう――その様を指をくわえて見ていることしかできない。やはり心底自分が情けなかった。「ごめんなさい・・・」「長門・・・」「あなたに会えて良かった・・・さようなら」 こうして2人のかけがえのない人が、俺の目の前から――世界から消えた。 ~回想7~朝比奈さんと長門が消えてしまった翌日、古泉から連絡があった。それは非情な最後通告だった。 『明日の朝をもって完全に世界は崩壊し、涼宮さんの手によってまっさらに塗り替えられます。 もう足掻いても無駄です。僕も機関も完全に諦めました。 あなたも諦めてください。それでは』携帯電話越しであることを差し引いても、その口調は冷たく無機質だった。 そして世界最後の夜、俺は考えることも、現実に向き合うことも、ハルヒに、朝比奈さんに、長門に向き合うことも、全て――放棄した。どうせ世界がなくなるなら・・・最後の夜くらいラクにさせてくれ。 そうして、俺は自室で布団を被り、ただただ無心で世界の崩壊を待った――。俺の周りにあった日常――妹や母親や父親、谷口や国木田、鶴屋さんといった友人、何よりも俺が大切にしていたSOS団の生活、そして・・・古泉や俺を『好き』と言ってくれた3人の女性、全てから逃げ出し、俺はただただ布団に包まっていた。 俺は・・・誰も幸せにすることなんかも出来ない。俺は・・・誰も守ることなんかもデキナイ。オレハ・・・誰かをマトモにアイスルコトなんかもデキナイ。オレハ・・・ナニモデキナイ。 押しつぶされてしまいそうなほどの絶望と自己嫌悪が俺を襲った――。それこそ・・・『自分を殺してしまいたい』くらいに――。 ~interlude1~「・・・しかし、目が覚めたとき、世界が崩壊していることはなかった。 なぜか目の前にいたのは魔術師を名乗るハルヒで、俺は『アーチャー』とかいう ワケのわからないサーヴァントとやらになってしまっていたというわけだ」 俺は過去の世界で最後にあった出来事について一気に語った。勿論、ハルヒの力のこととか朝比奈さんが未来人だとか長門が宇宙人だとか、そういう話には上手く触れぬように。こっちの世界ではハルヒは勿論、朝比奈さんだってそんなこと知らないだろうからな。 「そういうワケだ。『キョン』、お前は生きていてはいけない人間だ。 誰の気持ちにも応えることが出来ず、中途半端なままSOS団を崩壊させた。 お前のような人間には・・・誰も幸せにすることなど出来はしない。 不幸にするだけだ」 正直、こんなのは情けない『自分』への八つ当たりに過ぎないということはよくわかっている。しかし、それでも俺はやらなければならない。『キョン』という人間の存在は、ハルヒも長門も朝比奈さんも幸せにすることは出来ない。ただ・・・災厄をもたらすのみ。元より俺は未来人でも宇宙人でも超能力者でもないし、ましてやハルヒみたいな『力』を持つわけでもない。単なる普通の人間だ・・・。最初から、ハルヒ達の傍にいるべき存在ではない。だったら・・・俺が消えるしかないじゃないか・・・。そう考えてみれば、こうしてサーヴァントとして強大な力を得ることが出来たのも『自分』を殺すためにはちょうどいい機会だ。 俺は改めて自分にそう言い聞かせ、目の前の『キョン』に殺意をぶつける。 「何だよソレ・・・」俺は思わずそう搾り出していた。「そんな八つ当たりみたいな理由で殺されてたまるかッ!!!」洞窟内に響き渡る咆哮。とても自分の口から発せられたとは思えない。 「ああ、八つ当たりだとも。それでも俺はお前を殺す」赤い男――『俺』だった男が言い放つ。「やってやるよ・・・」そこまで言われて黙っちゃいられない。それに俺が最も気に入らないのは――アイツが以前の世界で『逃げた』ことだ。 「どうやらヤル気になってくれたようだな」アーチャーは瞬時に両手に短剣を投影する。やはり俺と同一人物なだけあってか、今までは気付かなかったが奴の得意技は、どうやら俺と同じ『投影』らしい。俺も負けじと同じ短剣を投影し、アーチャーに向き直る。 しかし今にも戦闘が始まらんとしたその時――俺の進行を阻む小さな腕が目の前に現れる。 「ダメ」 俺を制したのは――アーチャーが長門と呼んだ少女、セイバーであった。 セイバーは俺の前に立ち、アーチャーを睨みつける。「・・・長門か。やはり俺を止めるつもりなんだな?」アーチャーの問いかけに小さく首肯するセイバー。「・・・俺の企みを最初から知っていたんだな?」「知っていた」「・・・以前の世界の記憶もあるんだな?」「ある」「じゃあなぜ・・・」アーチャーとセイバーは、2人で何やら話し込んでいる。 「止めても無駄だ・・・と言いたいところだが、長門・・・いやセイバーに手を出されたら 俺もどうすることも出来ないな・・・」天を仰ぐアーチャー。確かに最強のサーヴァントであるセイバーが俺に加勢してくれれば百人力だ。しかし・・・ここでセイバーに助けてもらうのは・・・。 「下がれセイバー。これは・・・俺の戦いだ」俺はセイバーを制し、一歩前に出る。「・・・でも」セイバーが珍しく苦々しく表情を変える。「『俺を守る』だっけ?あんなこと言われて、凄く嬉しかったよ。 お前は最高のサーヴァントだった。本当に何度も助けられた。 それでもこの戦いだけは・・・お前の助けを借りるわけにはいかない」俺はセイバーに向き直ると、左手の甲を向けた。 「令呪の下に命令する!この戦いに手を出すな、セイバー!!」 左手に刻まれた歪な刻印が紅く、禍々しく光を放つ。そして、改めて俺はセイバーの一歩前に出る。セイバーは令呪に縛られ、そんな俺を制することはもう出来ない。「どうして・・・?」セイバーが珍しくその瞳に、明確な疑念と悔しさを滲ませ、俺を睨む。 「すまない。コイツとの決着は・・・どうやら俺だけで着けなきゃならないようだ」「・・・・・・」「セイバー・・・いや長門だったっけか?もし元の世界に戻れたならば・・・宜しくな」 そんな俺の言葉に、セイバー、いや元の世界では俺達SOS団の団員であったという長門有希は諦めたように俯いてしまった。 「ダメです・・・キョンくん・・・いくらなんでも人間がサーヴァントにかなうはずがありません!」朝比奈さんが声を振り絞って、俺を止めようとする。「そうだ・・・!ライダー・・・ふたりを止め・・・」「無駄だ」朝比奈さんの悲痛な願いを一蹴したのはアーチャーだった。「ライダーは先程のランサーとの戦闘で宝具を使用しており、消耗が激しい。 邪魔に入ろうとしても・・・今のライダーならすぐにでも殺せるぞ」冷たくそう言い放つアーチャー。「言うにょろね~・・・でも事実だし仕方ないっさ・・・」ライダーにも今の自分ではアーチャーを止められないという自覚があるらしい。 「ちょっとキョン!!アンタ、ムチャよ!?なんだったらアタシとみくるちゃんが加勢するわッ!!」ここぞとばかりにハルヒが叫んでいるのが聞こえる。「それには及ばないさ。すまんな、ハルヒ。半人前の俺を今まで助けてくれてありがとうな」「何言って・・・!!」ハルヒは俺の決意が固いと見たのか、それ以上の言葉を飲み込んでしまった。 「相変わらずモテモテだな」アーチャーが乾いた笑いを浮かべて、皮肉めいた言葉を投げる。「お前がソレを言うか?」俺も負けじと皮肉を返す。 「ハルヒ達との別れが済んだのなら・・・いくぞ」アーチャーは両手の短剣を握り締める。高まる殺気――。「何言ってんだか・・・同じ人間でも、サーヴァントになるとここまでひねくれちまうモンなのかね」俺も短剣を構え、戦闘開始に備える。 重い沈黙が辺りを支配する。俺もアーチャーも間合いを保ったまま、動かない。どうやらハルヒ達もこの戦いを止めるのは不可能と悟ったのか、誰も口を開かない。 「さあ・・・」アーチャーが小さく呟く。「わかってるさ・・・」 「「勝負だ!!『キョン』!!」」 2人の『キョン』が激突する――!!負けるわけには・・・いかない!! 剣がぶつかり合う甲高い音が響く。ただひたすらに腕を振るい、打ち合う俺とアーチャー。それこそ、最初はは生身の人間でもサーヴァントに対抗できるという多少の自信があった。あの金ぴか野郎に致命傷を与えたことで少し俺も天狗になっていたのかもしれない。 しかし・・・徐々に状況は悪くなっていく。アーチャーの放つ一撃一撃は、俺のソレより確実に疾く、重い。肉眼でその剣の軌道を読み取ることは出来ず、金ぴかの戦闘でこしらえた感覚で何とか剣戟を弾く。それでも弾く剣ごしにもその重さが伝わってきて、俺の腕を痺れさせる。「そろそろバテてきたか?」アーチャーはいやらしい笑みを浮かべて、遠慮なく更に剣を振るう。「クソッ!まだまだ・・・!!」俺も強がっては、必死にそれを受け止めているものの、正直劣勢と言わざるを得ない。 「・・・さっきはあえて伏せていたがお前には教えてやろう」剣を振るいながら、アーチャーがふと、俺にしか聞こえないような小声で話し始めた。 その内容はアーチャーが『俺』であるという事実と同等、いやそれ以上に衝撃的だった。未来人の朝比奈さん、宇宙人の長門、超能力者の古泉、そして自分の願望を何でも形にしてしまえる力を持ち、ひとたび癇癪を起こせば世界を崩壊させてしまうことも出来るハルヒ。以前の世界での俺は――魔術の蔓延るこの世界とは本質的に何かが違う、そんな非日常の中にいたという。 「『俺』は・・・お前は結局普通の人間に過ぎないんだ」アーチャーが少し憂いを帯びた声で続ける。 「何が言いたいんだ・・・!」必死に剣を振るいながら俺は問いかける。「わからないのか?俺もお前も所詮無力な存在なんだ!ハルヒの、朝比奈さんの、長門の気持ちにも 応えることなんて出来やしない無力な存在なんだ!以前の世界でSOS団が・・・世界が崩壊したのも、 俺の・・・お前のせいなんだよ!」鬼のような形相でアーチャーは感情を爆発させる。そしてその言葉を聞いた瞬間、押し留めていたつもりの俺の感情のダムも、ついぞ決壊した。 「・・・人のせいにするんじゃねえッ!!!!!」その場にいる全員の耳に届いたであろう咆哮。それはやはり紛れもなく俺の口から発せられたものだ。アーチャーも驚いたのか、一瞬剣を繰り出す手を止めた。それに併せて俺も手を止め、更に感情を吐き出す。 「やっぱり俺とお前は同一人物なんかじゃねえ」「・・・今更何を」「俺は確かに普通の人間かもしれない」「そうだ・・・何も出来ないちっぽけな存在だ」「でもお前みたいに全てを投げ出したりなんかしない」「・・・何だと?」「ハルヒとも朝比奈さんともセイバー、いや長門とも真剣に向き合おうとせず、 逃げ回ってるような弱虫じゃない、ってことだよ!」「・・・・・・」「お前はただ甘ったれてるだけだ!!」「・・・どの口が――」「俺はお前とは違うッ!」 「どの口がそんなコトほざきやがるッッ!!!!!!」 耳を劈くような叫びが反響する。アーチャーは完全にブチ切れてしまったようだ。ハアハアと肩で息をして、眉間に皺を寄せて俺を睨む。はち切れんばかりに膨れ上がった殺気がこちらに注がれるのが手に取るように感じられる。 「お前に・・・俺の何がわかるッ!!」そう叫ぶと一気に俺に向け、再び突進を開始するアーチャー。繰り出される一撃を必死に受け止め、言い返す。「ああ、わからないねッ!お前みたいな弱虫の気持ちはッ!」「五月蝿いッ!!」アーチャーの繰り出す一撃は相変わらず重い。今にも受け止めている腕がふき飛んでしまいそうなほど。しかし、その一撃にも少し動揺が見えてきた。剣の軌道が粗くなり、スピードも少し落ちた。繰り出す剣戟の描くその道筋が、確実に読み易くなってきている。 「お前は・・・以前の世界での生活が・・・SOS団での日々が大切なんじゃなかったのか?」「そうさ・・・だからこそソレを壊してしまった自分自身が――お前が憎くて仕様がないんだッ!」 「それなら・・・なぜその世界を守ろうとしなかったんだ?」 俺がその言葉を発した瞬間、アーチャーが動きを止める。「俺が・・・守る?」「そうだ」アーチャーは俺の言葉にショックを受けたのか、急にユラユラと後ずさり、下を向いた。俺は更に続ける。 「大切なものを守る・・・いくら俺が普通の人間だからってそれくらいは出来るだろう? いや、出来る出来ないの問題じゃない。守ろうとするかしないか、だ」 ~interlude2~目の前の『俺』が発した言葉――『それなら・・・なぜその世界を守ろうとしなかったんだ?』頭の中でガンガンと反響し、脳髄に染み渡るその言葉――俺が守る?ハルヒ達をどうやって?そりゃあSOS団での毎日は楽しかったさ。ハルヒにこき使われたり、ワケのわからない騒動に巻き込まれたり、大変なことも多かったけれど、それでも毎日が新鮮な刺激の連続で・・・。ハルヒが団長席にどっかと座り、長門は黙々と読書に励み、朝比奈さんはメイド服で茶を淹れて、古泉はニヤニヤしながら俺との対戦ゲームに勤しむ――そんな毎日。それは当たり前でいて、かけがえのない日常――。今はもう戻らないはずの、楽しかった日常――。 俺はそんな非日常的な『日常』を・・・守ることが出来たのか?いや、守ろうとしたのか? 俺は逃げただけ?甘えていただけ?ハルヒの気持ちにも、朝比奈さんの気持ちにも、長門の気持ちにも、古泉の悲痛な叫びにも、真っ向から向き合おうとせず、ただ背を向けて、布団に包まって何もしなかっただけ? わからなくなってきた・・・俺には何かが出来たのか?もし俺が逃げなければ・・・あの世界は崩壊することはなかったのか?もしそうだったら・・・どんなによかったか。ハルヒがもう一度、あの傲慢でいてどこか憎めない笑顔を見せてくれたらどんなによかったか。朝比奈さんがもう一度、あの麗しいメイド姿で俺にお茶を淹れてくれたならばどんなによかったか。長門がもう一度、俺をマンションに招待してカレーを振舞ってくれたらどんなによかったか。古泉のニヤケ顔をもう一度、対戦ゲームでボコボコに打ち負かすことができたならばどんなによかったか。あのかけがえのない日々が戻ってきたならばどんなによかったか。 「それでも・・・やっぱりもう戻ることは出来ないんだ」 そう呟くと、アーチャーは再度両手の短剣を強く握り締め、真っ直ぐに俺を見据えた。その瞳は・・・悲しかった。これが『俺』と同じだった人間だなんて信じられないくらいに。 「俺には・・・お前を殺すことしか出来ない。そして俺のいなくなった世界で皆には幸せになってもらいたい。 それが苦労をかけてしまった古泉、消えてしまった朝比奈さんや長門、 そして悲しませてしまったハルヒへのせめてもの手向けだ」そして一気にその顔を憎しみの篭ったそれに変える。 ――甲高い剣戟の音が再び洞窟内に響き渡る。 「ふざけるな!殺されてなんかやるもんか!俺は皆と一緒に元の世界に戻るんだ!」 ――ハルヒ達は俺達の戦いを固唾を呑んで見守るだけ。誰一人して介入しようともしないし、出来もしなかった。 「まだまだSOS団でやり残したことがいっぱいあるんだ! ボードゲームのリベンジを古泉から受ける予定なんだ――!! 朝比奈さんの衣装のバリエーションだってもっと見たい――!! 団員だったはずのセイバー、いや長門とも話をしたい――!! そして何よりも・・・まだハルヒの言う宇宙人、未来人、超能力者を見つけられてない!!」 「五月蝿い!!お前にそれをする資格などない!!ここで惨たらしく殺されろ!!」目に見えて動揺しだすアーチャー。繰り出す剣にも力がなくなってきている。「殺されてたまるか!!」徐々に俺の繰り出す剣戟がアーチャーを押し返し始める。そしてついにアーチャーに隙が生まれる。そして確かに見えた――今ヤツの左胸はガラ空きだ――! 「俺は――皆を、SOS団を、世界を守ってみせる!!」 そう叫びながら放った右の短剣の一撃が――ついにアーチャーの心臓に突き刺さった。 「ゴフッ・・・!!」 刹那――口から血を吐き出すアーチャー。頭から俺に浴びせかけられるその血の生温さが何とも心地悪く、濃厚な鉄の臭いが俺の鼻腔を刺激して止まない。しかし、すぐにそれも気にならなくなった。 「そ・・・ん・・・な・・・」アーチャーは血と共に嘆きを吐き出す。「負けた・・のか・・・?俺は・・・」左胸に剣を突き立てられたグロテスクな姿のまま、アーチャーは力なくたたらを踏む。心臓が潰されたはずなのに喋れているのは流石サーヴァント、といった所なのだろうか。 「俺は・・・間違っていたのか? 俺はハルヒを・・・長門を・・・朝比奈さんを守ることが出来たのか? 3人の気持ちに向き合うことが出来たのか・・・?」 ヨロヨロと後退するアーチャー。滴り落ちる血の赤が身に纏う外套の色彩を一段と濃いものにする。 そしてなぜか俺は、すっと、ごく自然に、次の台詞を吐き出していた。「ああ――お前にも出来るさ。なんてったって『俺』なんだからな」我ながら恥ずかしくなるくらい自信過剰な台詞だ。けど不思議と後ろめたさはなかった。 「そう・・・だった・・のか」 そんな掠れた声とともに、アーチャーは仰向けに地に倒れた。 どうやら・・・終わったようだ。 倒れ伏したアーチャーの身体が徐々に透けていく。神社でキャスターを仕留めた時、ついさっきあの金ぴかを倒したと時と同様だ。どうやらサーヴァントといえども心臓を貫かれれば絶命は免れないのは揺るがないらしい。おそらくあと数刻で、アーチャーは完全に消滅してしまうだろう。 元は自分と同じ人間――同一人物だったはずのサーヴァントの死。それを目前とした時、何とも言えない虚しさと悲しみが俺を襲った。 「ふん・・・随分辛気臭い顔をしてるじゃないか」アーチャーが虚空を見つめながら、さぞ複雑な表情をしているだろう俺に言葉を投げる。「・・・一応、お前は俺だしな。自分を殺しておいていい気はしないぞ」「・・・よく言うぜ」アーチャーは皮肉を込めたような笑みを浮かべた。心なしか、少し斜に構えたようなその口調も、俺と似ている、むしろ同一のそれになっている気がする。 「お前・・・確かに言ったな。『SOS団を、世界を守る』って・・・」「ああ」「その言葉・・・違えるんじゃねえぞ」「わかってる」 俺はこれまでの人生でおそらく一番と言っていいだろうほどの覚悟を持って、アーチャーに応えた。 さっきより更に身体が透けてきたようだ・・・おそらくもう終わり・・・と思ったその時、 「アーチャー!!」 そう叫びながら倒れ伏す血まみれの赤い外套に向かって駆け寄っていったのは――ハルヒだった。 ~interlude3~「アーチャー!!」もうすぐにでも消滅してしまうであろう俺に駆け寄ってきたのは、誰あろうハルヒだった。 「アンタ・・・バカ!?いきなりキョンを殺すだなんて言い出したと思ったら、 言うに事欠いて『以前の世界で俺はキョンと呼ばれていた』ですって!? それでキョンと斬り合いだしたと思ったら・・・こんな・・・。 もう・・・ワケわかんないわよッ!!」 ハルヒは捲くし立てるように、矢継ぎ早に罵倒の言葉を投げかけてくる。ただ、懐かしいくらいに刺々しいその言葉とは対照的に――ハルヒは涙を流していた。それはもう、凄い勢いで――それこそ以前の世界でも見たことないくらいに。 「スマン――」「何よ・・・あたしのサーヴァントがそんな簡単に死んじゃうなんて許さないんだからねッ・・・!」「お前には迷惑をかけたな・・・コッチの世界でも以前の世界でも」「何言って・・・」「SOS団の活動頑張ってくれよ・・・」「それよりアンタ・・・キョンなんでしょ!?どうして黙ってたの!?」「言えるワケないだろ・・・」「あたしがそれを知って・・・どんな気持ちか・・・アンタにはわかる?」「すまない・・・」 俺の息は絶え絶えだ。正直言ってもう目も見えない。泣いているハルヒの顔を捉えることももう出来ないくらいだ。 ~interlude4~「やっぱり・・・俺は逃げていただけだったのかな」「だから・・・!!何言って・・・!」 俺は全てを悟っていた。承知してはいたものの、結局は『俺』の言う通り、この戦いはただ八つ当たりでしかなかったのだ。俺は間違っていた。逃げるべきじゃなかった・・・。最後の最後まで、這い蹲ってでも、血反吐を吐いてでも、糞尿を垂れ流してでも、ハルヒ達の気持ちに真っ直ぐに向き合うべきだったんだ・・・。ハハ・・・でも今気付いても・・・遅いんだけどな・・・。それでもいい・・・。この世界の俺はもはや消え行くだけの存在・・・。きっともう一人の『俺』が俺の分までSOS団を盛り上げてくれるだろう・・・。 もはや息も殆ど出来ないし、ハルヒの顔も見えない・・・。「ちょっと・・・!理解しやすいように簡潔かつ詳細に、主語・述語・修飾語を明確にして説明しなさいッ!」聴覚までなくなってきた。ハルヒの涙声も徐々に遠くなってゆく。「ねえ!聞いてるの!?・・・『キョン』!!」 ああ、まだ俺をその名で呼んでくれるかハルヒよ。姿形もすっかり変わり、自分のヘタレさに嫌気がさして、つまらない憎悪にこの身を汚した俺を。ありがとう、ハルヒ――。もう全身の感覚がないけど・・・お前に苦悶に満ちた顔を見せることはしたくない。もうこれが最期の言葉だ――アーチャーのサーヴァントとしてこの世界に存在する俺の、正真正銘、最期の言葉――。それくらいはせめて、これ以上ないくらいの最高の笑顔で・・・。 「大丈夫だ、ハルヒ――答えは得たから」 全身から力が抜けていく――世界が暗転する。それでも俺は――不思議なくらいに安らかな気持ちだった。 終わった――。つい今しがた、倒れ伏したアーチャー、いやもう一人の『俺』の身体は完全に消滅した。ヤツは最後の瞬間、確かに笑顔を浮かべていた。そして何事かを呟いていた。その内容の詳細までは窺い知ることは出来なかった。しかし、傍にいたハルヒにはきっと聞こえていたことだろう。 連戦でボロボロの、鉛のように重い身体を引きずりながら、俺は立ち尽くしているハルヒに歩み寄った。ハルヒはじっと動かず、ただただ俯いているのみだ。その表情を窺い知ることはできないし、ハルヒ自身も振り向こうとしない。「ほんっと馬鹿よね――」ふとハルヒはそう呟いた。「『答えを得た』って――あたしはアンタが何に対して答えを得たのかも知らないのに」もしかしたら泣いていたのかもしれない。振り向かなかったのは精一杯の強がりだったのだろう。「しかも何を言い出すかと思えば――このあたしがアンタに告白?有希もみくるちゃんもですって? 妄想癖もここまで来ると罪悪に等しいわ。百万回死刑にしても足りないくらいね。 それで結局、ワケわかんないまま消えちゃうなんて――やっぱりキョンは馬鹿よね」 それは誰に向けられた言葉だったのか・・・ハルヒ自身も把握しかねていたかもしれない。そして、最期に確かだったことは、もう一人の『俺』が、何らかの答えを得ることができたということ。殺すだなんて言われた時は納得いかなかったし、ヤツの話が事実であるならば、以前の世界でのヤツの在り方も当然受け入れられるようなものではない。それでもヤツが『答え』を得て、以前の世界の自分に折り合いをつけて逝くことができたのならば、少しはよかったんじゃないかと――自分でトドメを刺しておいてなんだが――俺自身思えてしまうのであった。 なぜって?そんな疑問に殊更飾り立てた返答が必要なのか?あの赤いサーヴァント――アーチャーは、誰でもない『俺』なんだ。 ――理由なんてそれで十分だろう? アーチャーが消滅してから、数刻――それでも体感にすれば永遠にも思えるくらいの永い――時間が経った。 いつまでも感傷に耽っているわけにはいかない。そう自分に言い聞かせ、俺はハルヒに問いかけた。「ハルヒ・・・これからどうするんだ?」「・・・どうするって」背を向けたまま小さく返答するハルヒ。「聖杯に・・・何を願うんだ?」「あ・・・」 そうだ――最後の難敵、アーチャー(金)を殲滅し、マスターたる古泉も既に戦意を失っている。そして俺を亡き者にせんとしたアーチャー(赤)も消滅してしまった今、俺達を阻む敵はもういない。つまりこの聖杯戦争の勝者は――いやセイバーとライダーの二人のサーヴァント、そして俺、ハルヒ、朝比奈さん、古泉と四人のマスターが未だ生存しているこの状況において勝者という概念自体が既に意味を失っているが――俺達であり、戦争自体が終結を迎えた、といってよい状況なのである。だとするならば、あと俺達がするべきことは目の前に燦然と在る聖杯とやらに己の願望を叶えて貰うのみ――。アーチャーが消滅したことにより、聖杯に蓄えられたサーヴァントの魂は6体分。その奇跡を発動させるに十分な量のハズだ。元より俺は聖杯に叶えてもらいたいような崇高な願いなど持っていない。当初は戦争自体に関わることを忌避していた朝比奈さんも同様だろうし、古泉も『叶えたい願いなどない』と自ら宣言していた。残るはハルヒなのだが・・・。 「元の世界に・・・戻るんだろ?」『俺達は元々別の世界の住人である』――初めて古泉から聞いた時はただの与太話にしか思えなかったが、セイバーをはじめとするサーヴァント組もそれを認めている今、俺自身も戻るべき世界が別にあることを認めている。「わかったわ」ハルヒはそう言うと、俺達をぐるっと見回した。赤みを帯びた目が、アーチャーに対する複雑な感情を涙として表したことを如実に物語っていた。それでもハルヒにもう迷いはなかった。 「全知全能の聖杯よ。今こそその奇跡を我が眼前に示し賜え――」 ハルヒが何かの呪文じみた大仰な口上をつらつらと語り出す。戦いは終わった。俺達は今、元いた世界へと帰還する。 アーチャー、いや、もう一人の『俺』よ。俺はお前の分も精一杯『キョン』としての人生を全うしてみせるぞ。絶対に・・・逃げたりなんかしないからな・・・。 「さあ、聖杯よ!あたしたちを元の世界に戻しなさい! そしてもっともっと面白い出来事に出会わせなさい!」 ハルヒが自らの、いや俺達皆の願いを高らかに宣言する。・・・ってちょっと待った。元の世界に戻る云々はともかく、何だ『面白い出来事に出会わせなさい』って。俺はこんなワケわからん戦争以上の奇怪な出来事に巻き込まれるなんて真っ平御免なんだが・・・。更にそれ以前に、聖杯で叶えられる願いって一つじゃないのか?一度に二つの願いだなんて・・・シェ○ロンじゃあるまいし・・・。 と、益体もないことを考えていると・・・突然視界が塞がれる。至近距離で太陽を見てしまったかのような眩しい光に包まれているのだ。そして、それと同時に、電気楽器を接続したアンプがハウリングを起こしたが如き、激しい耳鳴りが鼓膜を刺激してくる。すぐに全身の感覚もなくなってゆく――そしてついには意識もその自我を手放そうとする。 あれ・・・?おかしいな・・・?これで本当に元の世界にモドレルノ・・・?でもこの感覚・・・イチドアジワッタコトガアルヨウナ・・・。ああ・・・マタミンナニアエルトイイナ・・・。ダメダ・・・ナンダカモウネムクナッテキタ・・・。 暗く、重く意識が沈んでいく。ベッドに横たわり、心地よい睡魔に包まれているかのように、すーっと落ちてゆくような感覚。何も見えないし、聞こえない。俺は・・・一体どうしたのだろうか・・・。あれ?というか俺今まで何していたんだ?今日はいつも通りの一日で・・・って違うぞ?俺は何やらとんでもないことに巻き込まれていたような記憶が・・・。 それにしてもこの不思議な感覚は一体なんだろう?夢か?ふと、閉ざされていたはずの視界に、眩しい光が注ぐ。まるで俺はその光に導かれるように――ゆっくりゆっくりと――その中心に吸い込まれていく・・・。 ――はっ!! ――目を覚ます。見渡すと・・・辺りは見慣れた俺の部屋、そして身体はふかふかのベッドの中。枕元では携帯電話のアラーム音が己の義務を果たさんと、これでもかと唸りをあげている。推測するに、日々俺が習慣的に起床するべき時であるらしい。俺は・・・寝ていた・・・のか?まだ意識が覚醒しきっていない影響か、今の自分の置かれている状況がすぐには理解できなかった。数分間、ただただぼーっと部屋の壁を見つめている。寝ぼけ眼が少しずつ開かれて、徐々に眠っていた意識は覚醒し、記憶が蘇らんとする――と 「キョンくん、起きたぁ~?」バタンとドアを開け、部屋へと闖入してくる小さな人影。それは見紛うことない、我が妹の小さなシルエットだった。 白状すると妹の姿を視認した瞬間に、俺は全て思い出していた。だからこそ、呆けている俺を尻目に、いつの間にやらベッドにちょこんと飛び乗り、無邪気に纏わりつく妹に、こんな言葉を投げかけてしまっていた。 「お前・・・俺を殺すつもりだったりするか?」「へ?キョンくん何言ってるの?」俺の突然の発言に、妹は目を丸くさせている。もう少し聞き方ってモンがあったかな・・・?「・・・そう言えばシャミセンは?」「そこにいるよ?」妹が指差す先では、床に文字通り丸くなって眠っている三毛猫の姿――。「俺・・・見た目どこか変じゃないか?」「???」「髪の毛が真っ白だったり、赤い変な服着てたりしないか?」「いつものキョンくんだよ?」立て続けの兄の脈絡のない意味不明な発言に、妹は首を傾げ、思案顔だ。「・・・そうか。無事戻ってこれたんだな・・・」「???何言ってるの?へんなキョンく~ん・・・」言い知れぬ安堵感を感じ、気づくと俺は思わず傍らの妹の頭をワシャワシャと撫でていた。「や~ん、くすぐったいよ~」 ここに来てやっと、思い出した記憶と認識した現状が一本の線に繋がった。どうやら俺はあのワケのわからない世界から無事元の世界に戻ってくることが出来たらしい。 ただどうしても違和感がある点――言い換えればむしろ驚愕に値する点が、事実として存在していた。 それは『キョン』としての俺の記憶と、あの赤いサーヴァント『アーチャー』としての記憶を、現在の俺が両方とも持っているということだった――。 ~後日談~結局のところ、俺の日常はいつも通りに戻っていた。とは言っても二人の『俺』の記憶を現在の俺は持っているワケで、今生きているこの世界が元々どちらの『俺』に属していたものかはわからない。寧ろ――どちらでもないんじゃないか、って今は考えているのだが。 とにかく――俺が『聖杯戦争』とか『魔術』とか『サーヴァント』とやらが存在しない世界、常にデッドエンドが隣り合わせの血生臭さとは離れた平和な世界に戻れたことは間違いないらしい。その証拠に俺の家に大きな庭なんてないし、離れの小屋だってない。父親も母親もしっかり存在しているし、記憶の中ではシャミセンをけったいなバケモノとして従えていた妹も、ちっこいただの小学生だ。勿論、いくら念じてみても俺の両手から物騒な剣が飛び出てくることもない。 俺は――ただの高校生『キョン』に戻ったのだ。 学校への通学路――いつもの長くキッツイ坂道――をひたすらに歩く。「よっ!キョン」背後から俺を呼ぶ声――谷口だ。俺は隣を歩く旧友に唐突に言葉を投げる。「お前・・・ライダーって知ってるか?」「はあ・・・?仮面ライダーなら知ってるが・・・っていきなり何言ってんだお前」谷口はテストのヤマが丸っきり外れてしまったかのようなしかめっ面で、俺をまじまじと見つめている。一瞬――地べたに倒れ、もがく俺を見下ろし、品のない笑みを浮かべる谷口の顔を思い出した――が、すぐに脳裏から消えた。「いや・・・なんでもねえ」「お前おかしいぞ?とうとう涼宮に洗脳でもされちまったか?」「そんなワケねえっつーの」 そうそう。ありゃ洗脳なんて言葉も生温い。言うなれば悪夢みたいなモンだと思うのだが 「はあ・・・?僕があなたを殺そうと?ランサー、アーチャー?何のことでしょう?」古泉一樹は心底俺の言っていることが理解できないといった風で、顎に手をあて、首を傾げていた。 中庭――並んでベンチで缶コーヒーを啜りながら俺は古泉に一部始終を語っていた。俺の話す内容について、古泉には何の記憶もないらしい。もっとも、教会で最初に会った時は嘘を吐いて俺とハルヒを欺いていたヤツのことだ。もしかすると記憶にありながらも誤魔化しているだけなのかもしれないとも考えたが、どうやら古泉は本当に俺の言っていることに覚えはないらしい。 「あなたの話が本当だとすれば・・・それは非常に興味深いですね」ただコイツはこれでも『機関』とやらに属する超能力者だ。この手のトンデモ話には幸いなことに耐性が十分にある。すぐに俺の話が真実のものと仮定した上で、ペラペラと薀蓄を垂れ始めた。まあ、いつも通りハルヒがどうこうとか神がどうこうとかワケのわからん話だったので聞き流したがな。 「お前、俺達のこと殺そうとしたんだぞ?」そうそう。これはしっかりと追求しとかねばならない。ストレスかなんだか知らないが、コイツの顔したランサーに一度は心臓ぶち抜かれてるんだからな。「おやおや、僕はそんな物騒な役回りだったのですか?」「ああ、お前がラスボスだなんて勘弁してくれよもう」「ご心配なく。僕は何があろうとあなたの味方ですよ」「やめい。その言い方少し気色悪いぞ、変態め」 記憶の中の古泉は『いつも損な役回りをさせられていた』『僕にも普通の古泉一樹としての人生があったのに』というようなことを言っていた。それはそれは普段のコイツからは想像もできないような苦々しい表情で。まあ、これからはコイツの負担を少しは和らげられるよう、俺も行動しないとな。 「迷惑かけたな、古泉。まあこれからもかけるかも知れないが」そんな俺の言葉に――古泉はいつものあの気色悪い笑みを向けることで返答した。 「ああ、そう言えば――」教室に戻ろうとした俺に、古泉は思い出したように声をかけた。「生徒会長さんから言付けを頼まれまして。『後で生徒会室に来い』とのことですよ?」はて。俺は生徒会に呼び出されるような狼藉をやらかした覚えなど皆無なのだが。「何でも・・・『ウチの書記を苛めてくれた落とし前をつけろ』とのことで・・・」あらら・・・。そういうことデスカ・・・。 『もし・・・もとの世界に戻れたら・・・覚えててくださいね? 会長に・・・あなたにいじめられたって・・・チクっちゃいますよ?』赤き英霊アーチャーとして、暗殺者アサシンたる喜緑さんと対峙した記憶が蘇る。って喜緑さん・・・。あなたしっかりと覚えていたんですね・・・。これは後が怖いぞっと・・・。 「そうですか・・・そんなことがあったんですね」3年生の教室の前。廊下にて俺は朝比奈さんと会話を交わしていた。朝比奈さんは俺の話をそれほど驚いた風もなく、淡々と聞いた末に以上のような感想を漏らした。彼女もまた未来人という特別な境遇に身を置く人間であり、俺のトンデモ話をすんなりと受け入れてくれた。そして、やはり彼女にも古泉同様、何の記憶も残っていないらしい。あの世界での出来事は朝比奈さんにとっては思い出したくないことが多いだろうし、それで良かったのかも知れない。あと、正直言って、彼女に記憶がないのは非常に俺にとっては幸いなことだった。なぜなら俺は・・・『魔力補給』とかいうワケのわからん名目で朝比奈さんと×××してしまっている・・・。まあ実を言えばその場にはもう二人いたんだが・・・。とにかくそういうワケでもし朝比奈さんに記憶があれば、それはそれは気まずいことになっていただろう。あー良かった良かった・・・。 「わたし・・・キョンくんのお役にたてました?」上目遣いで控えめに聞いてくる天使、否朝比奈さん。「ええ、勿論」これは本当。あなたがいなかったら俺の心はきっと折れていたでしょうから――ね。 「おや?キョン君、3年の教室にまで来て何してるのかな? もしかしてみくると密会?青春にょろね~」と、俺と朝比奈さんの間にいつの間にか割り込んでいたのは勿論この人、鶴屋さんだった。「二人して何の話してたのかな~?」鶴屋さんは興味津々といった風なナチュラルハイなテンションで、俺と朝比奈さんを交互に見てニヤニヤしている。「えっ・・・えっと・・・それは・・・」戸惑う朝比奈さんを制し、「別に、そんなんじゃありませんよ。ちょっと団活のことで連絡があっただけです」「ふ~ん。ホントかな~」疑いを隠そうともせず、俺をジロジロと舐めるように見回す鶴屋さん。きっとこの人にも記憶はないハズだし、余計なことは言うべきじゃない。ただ――「鶴屋さん、あなたがいて本当に助かりましたよ」と、感謝の念だけはしっかりと述べておいた。「へ?何言ってるにょろ?」キョトンとしてしまう鶴屋さん。(――あなたがいなかったらきっとランサーを倒すことは出来なかったでしょうからね。)俺は心の中でそうひとりごちていた。 「――で、だ。やっぱりお前には記憶があるんだろう?」俺の問いかけに、長門は僅か2ミリほど首を縦に動かすことで答えた。無論、不可視の剣を持っていたりなどしない、どこからどう見てもただの女子高生である。そして――だ。やはり長門にはあのワケのわからない世界で『セイバー』のサーヴァントとして現界していた記憶が、しっかりとあるらしい。『やはり』と言ったのは長門ならそれぐらい不思議でない、と思ったからに過ぎない。それ以上の根拠をあげるならば、同じヒューマノイドインターフェースである喜緑さんには、記憶があったらしいから、ということぐらいだ。ちなみに『キャスター』として現界していた朝倉涼子はこちらの世界には存在していない。朝倉は二人の『俺』の共通の記憶にあるように、長門によって消滅せしめられたままのようだ。 とにもかくにも長門には記憶がある。ということはあの聖杯戦争の一部始終や最後の二人の『俺』の死闘についても記憶があるということで。更には『魔力補給』の名目で×××・・・ってそれは置いておこう・・・。何が何でも話題に出しにくいし、避けなければならないな・・・。しかし、それでもこれだけは言っておかなくてはならないだろう。 「ありがとうな長門。今回もやはりお前には助けられっぱなしだったよ」未熟な駆け出し魔術師としての『俺』に『セイバー』のサーヴァントとして付き従ってくれた長門。もし長門がいなければ、俺は即脱落――あの世逝きだったことは間違いだろう。そして『自分殺し』という不毛な憎悪の塊だったアーチャーとしての『俺』にも『守りたい』とまで言ってくれた長門。幾ら謝辞を述べたところで、その感謝の気持ちを表すには足りないくらいだ。 俺の言葉に長門は、表情一つ変えず「いい。――あなたが無事でよかった」と、これまた俺にだけ聞こえるような小さな声で呟いた。 長門有希――俺の知る無表情で、無口で、本が好きで、宇宙人というトンデモな肩書きを持つ少女。彼女は常に俺の傍にいてくれた。そして、俺の身に降りかかる様々な危険から、俺を守ってくれた。本当に感謝してもしきれない。だからこそ、今度は俺がお前にお返しをする番だ。 「また今度、図書館行くか――?」 長門は透き通ったガラス玉のように無垢な瞳を俺に向け、小さく頷いた。 放課後。特にやることもない俺は一目散に帰宅――ではなく、旧校舎へと足を運ぶ。どこに向かっているか、言うまでもないだろう。随分久し振りな気がするが――こっちの世界の時間軸に従えばそんなことはないのだろう。 ――足を止め、目の前にあるは我がSOS団の部室。紆余曲折あったが、俺は再びこの場所に戻ってくることができた。『俺』にとって、一度は失ったはずのこの場所に。 ドアを開ける――そこには記憶と少しも違うことのない風景だ。そして真正面の机に鎮座し、デスクトップPCと対面しているのは――マスター・・・いや違ったな。もうこの呼び方は適切じゃない。 そう。誰あろう我がSOS団団長――涼宮ハルヒだ。 「あれ・・・。他の面子はまだ来てないのか」部室にはハルヒ以外の人間はいなかった。ハルヒは入ってくる俺を意に介する様子もなく、黙りこくっている。そう言えば今日は教室でも終始こんな感じだったな。俺は壁に立てかけてあるパイプ椅子を広げ、いつもの指定席に腰を下ろす。ハルヒがカチカチとマウスを叩く無機質な音のみが室内に響く。 「ヘンな夢を見たのよ――」不意にハルヒは口を開く。視線はPCの液晶に固定されたままで。「へえ、どんな?」「ワケのわからない夢だったわ。特にアンタが笑えたわよ。コスプレみたいな赤い服着てて」「俺にそんな趣味はないがな」「かと思ったら、何もないところから武器出したりして」「そらまた物騒な」「なぜかアンタが二人いて――」「意味がわからないし笑えないな、そりゃ」「・・・・・・」 それっきりハルヒはまた黙りこくってしまった。何とも気まずい沈黙だ。早く誰か来ないものか、と思っていると――「・・・・・・わよね」また何事かをハルヒが呟いている。「は?」 「今度は・・・急にいなくなったりしないわよね?」 俺の所からはハルヒの表情は窺えない。けれども、その搾り出したような真剣極まりない声色を聞けば、今ハルヒがどんな気持ちなのかというのは自明だった。 「――ああ」 普段は手狭に感じることもあるこの部室も、二人だけしかいないと随分広く感じる。例えば、俺の座っている場所からハルヒ専用の団長席までの距離がやけに遠く感じるように。それでも今この瞬間は、そんな物理的な距離に関係なく、俺とハルヒが思いを馳せていた記憶は同じだったのだろう。 「いなくなったりしないさ。俺がいないと、雑用とかを引き受ける人間がいなくなるだろう?」我ながら悲しいぐらいの、奴隷属性丸出しの台詞である。「ふん、わかってるじゃないの」ハルヒは相変わらず、ディスプレイを凝視したまま。カチカチというクリック音がやけに大きく聞こえた。
涼宮ハルヒ――俺の戦友でありマスターであり、今では団長だ。きっとお前がいなければ、俺はこの世界に戻ってくることも、そして『答え』を見出すこともできなかっただろうな。ありがとう、ハルヒ。 んで、だ――。「お前さっきから何やってるんだ?」さっきから延々とPCのディスプレイに釘付けになっているハルヒに疑問を投げる。どうせ、またおかしなオカルトサイトをネットサーフィンして回ってるだけだろうけど。「ん、ちょっとね」そんな歯に物の挟まったようなハルヒの返答が妙に気になった俺は席を立ち、PCの画面を覗き込んでみる。「なんだこれ?」「暇つぶしにコンピ研の連中から借りたのよ。所謂ギャルゲーってヤツ」「・・・・・・」ツッコミその1。まず100パーセントの確率でコンピ研から『借りた』のではなくて『強奪した』のであろう。毎度ながらご愁傷様です。そしてツッコミその2。しかもよりによってギャルゲーかよ。っていうかその手のゲームでPCでやるのって大体は十八禁じゃ・・・。 「しっかし、こんなののどこが面白いって言うのかしらね。オトコって馬鹿じゃないの?」そう言いながらもテキストを送るクリックをする手を止めないハルヒ。「こういう陳腐なボーイミーツガールものってどうなのかしらね。ただこのゲームの設定は面白いと思うけど――」「あれ?」俺はディスプレイの中で繰り広げられるゲームを見ながら、そんな間抜けな声をあげていた。それは主人公が、魔術師同士の戦争に巻き込まれるという、伝奇モノのストーリーだった。やけに難しい漢字や強引にも思えるルビ振りが成されたテキストが特徴的な、いかにもその手のオタクが好みそうなゲーム。「魔術がある世界なんて面白いじゃない?それに過去の英雄を使い魔として召喚して戦争するなんてのも」ふん、と鼻を鳴らし、ゲームの感想を述べているハルヒ。――そういうことだった・・・のか?そんなコトがあるはずないと思いながらも俺は、あの極悪神父古泉や暗殺者喜緑さんの台詞を思い出していた。「こんな面白い世界だったら、あたしも是非体験してみたいわね」呑気にそう漏らすハルヒ――。何とも皮肉だね。ついぞこの間まで俺もお前も同じような世界に身を置いていたんだぜ? 「こんばんは。おや、お二方共既に来ていたのですね」――と、気づくと部室に入ってきたのは古泉だった。そしてその後ろには朝比奈さんと長門が控えている。SOS団全員集合だ。 「みんな揃ったようね」マウスを弄くる手を止め、勢揃いした団員達を見回すハルヒ。 「今日は久し振りに、外に出るわよ――!」こうしてまた俺の日常は動き出す。 「課外活動として、市内不思議探索ツアー、勿論途中の食事はキョンの奢りね――」勿論、宇宙人や未来人や超能力者、そして世界を改変してしまうトンデモ力を持ったヘンな女――そんな『非日常』にも囲まれながら。 「そうと決まったら行くわよ!ほら、みくるちゃん、有希――!」「ふええ~ん、引っ張らないでくださ~い」「・・・・・・」「おやおや、今日の涼宮さんはやけに活動的ですね」 そう。俺は誓ったんだ。この非日常的な日常を守っていくと――大切にしていくと――。 ――それは誰でもない一人の俺、『キョン』として、な。 と、まあ今回の話はこれで終わりだ。相変わらずワケのわからない事件に巻き込まれてしまった俺ではあるが、何とか無事に事態が収まってよかった、と目一杯安堵の溜息をつかせていただきたい気分である。 さて、最後に一つだけ疑問が残ってしまった。それは俺が今身を置いているこの世界のことである。まず、あの聖杯戦争が行われていた世界はやはり、仮初のものであり、別の世界であったのだろう。それについては俺も既に重々認識していて、納得もしている。しかし、一般人である俺が生きていたはずの世界は、ハルヒの手によって崩壊してしまったはずではなかったのだろうか?そして朝比奈さんも長門も古泉も、俺の目の前から消えてしまったはずではなかったろうか?それでも今目の前には皆存在しているし、何もなかったかのように日々は続いている。果たしてこはいかに・・・・という話である。そんな疑問に際して、俺は一つの仮説、もとい答えを考えてみた。本当はこういうのは古泉の専売特許なのであろうが、な。 つまりは全ては『聖杯』のおかげなのだろう。ハルヒは聖杯に『元の世界に戻せ』と願った。それと同時に『もっと面白いことに出会わせろ』とまで贅沢にも願った。聖杯とやらがハルヒの言うことをどう捉えたかは知らん。しかし、きっと聖杯は、俺達の生きるこの世界をあるべき姿に再構成してくれたのではないだろうか?ハルヒの手によって塗り替えられてしまうはずだった世界を、もとの日常に戻してくれたのではないだろうか?もし俺の推測が当たっているとすれば、聖杯とやらは本当に全知全能だったらしい。何せ、『神』と呼ばれたハルヒの所業まで覆してしまう力を持っているのだからな。 と、まあ古泉並にぶっ飛んだ推測であるし、信じる信じないは皆の自由だ。 それ以上に大事なのは、やはりこの世界の行く末は俺にかかっている、ということだ。再び取り戻すことのできたこの日常を、守るも壊すも俺次第。現に一度俺はそれに失敗しているのだ。 今度こそ、俺は守らなければならない。 それが――あの狂った世界で『俺』があの赤い弓兵に誓ったコトであり――赤い弓兵としての『俺』が得た答えだ。 何の特殊なプロフィールもないし、魔術も使えない、そんな一介の高校生の俺には、何とも荷が重い話のように思えるが、まあ何てことはない。 俺は俺なりに、この世界を、このかけがえのない日常を楽しんでいく。 それでいいじゃないか。 な?そうだろう? 「ちょっと、キョン!アンタもさっさとついてきなさい!」ハルヒが頬を膨らませて、俺を呼ぶ――。「はいはい、わかってるさ・・・」そして、本当に久し振りの口癖が思わず出てしまう――。 「やれやれ・・・」 ~THE END~
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