お姉ちゃんと一緒
ある日のことだ。 SOS団の面子全員が俺の家で遊びまくっていたその一日、俺は籤引きにより長門を家に送っていくことになった。「……わたしはあなた達が羨ましい」 歩く間中無言だった長門は、別れ際に唐突にそんなことを言い出した。「は?」 長門に羨ましいと思われる心当たりなど一つも無いし、複数形だというのが余計に謎を深める。はて、あなた達とは俺と誰のことだ?「あなたとあなたの妹」「妹?」「そう」「何で妹、いや、俺と妹なんだ?」「……兄弟姉妹といった人間同士の関係は、わたしには縁が無いもの」 長門は淡々と、しかしどこか寂しげな様子を纏いつつ答える。 そういや、長門は宇宙人製ヒューマノイドだからな。「あー……」 さて、どう答えたものか。 長門が俺を羨ましがっているのは分かるんだが、俺はこういう時に有効に回答するスキルを持っていない。 俺の知り合いには天涯孤独なんて奴は居ないし、そういうことを俺に向って訴えてくるような奴も居ない。「わたしはあなた達が羨ましい」 長門はもう一度同じ言葉を繰り返した。「……なあ、長門。お前にもお前の同類ってのは居るんだよな?」 俺の頭の中にナイフを持った女と生徒会書記の先輩の顔が過ぎっていく。 前者は名前を出しても大丈夫だろうが現在はもう地上に存在しない上俺が積極的に名前を出すことに躊躇いが有り、後者は長門の前で名前を出して良いかどうかが分からない。 「居る」「そういう人たちは、親戚みたいな物なんじゃないか? ええっと、同じ親……、っていうのか、同じ存在に作られた者同士なんだし」「……」「そりゃあ、人間の血縁関係とは違うんだろうが……」 何言っているんだろうなあ、俺。 こういう時は何でも言いくるめられる古泉や何でも勢いのまま丸め込んでいけるハルヒが羨ましいよ。「そう、わたしたちは人間でいう血縁関係という概念を持たない」「……」「でも、」「でも?」「……あなたの考え方は気に入った。情報統合思念体に申請してみる」 ああ、そうか、気にいってもらえて良かったよ。 しかし、申請って何だ? どこかの原子力を積んだロボットよろしく他のヒューマノイドを家族として作ってみるとかか? 俺はその辺りのことを長門に訊ねたかったが、長門はあっという間にマンションに入っていってしまったので、俺は何も訊くことが出来なかった。 ふむ、一体なんだろうね。 まあ、今更いきなり長門の家族なるものが出てきた程度で、たいしたことはなさそうだが。 俺が認識の甘さを悟ったのは翌朝のことである。 通学路の坂道でハルヒと古泉に出会った俺は、くだらない話をしつつ三人で坂を登っていた。 ハルヒが比較的早足で俺と古泉も一応それに合わせているので、俺達はどんどん他の生徒たちを追い抜いていく。朝から元気な団体だとでも思われてそうだ。「あら有希じゃない、おはよう」 先頭を行くハルヒが、長門の姿を見つける。「あら、その人は……」 小柄なショートカット娘の隣にいる人物を見つけたハルヒの目が、大きく見開かれる。 そこに立っていたのは、喜緑江美里さんだった。 喜緑さんは長門の同類だが、事情を知らないハルヒから見れば憎き生徒会の手先その1くらいの存在だろう。 何故喜緑さんが長門と一緒に登校してるんだ? という俺の些細な疑問は、次の長門の爆弾発言によって解決……、したかどうかは分からないが、一応答えには近づいたらしい。「あ、おはようございます皆さん」「何であなたが有希と一緒なのよ」「ああ、それは、」 喜緑さんが言う前に、遮るように長門が言った。「喜緑江美里はわたしのお姉ちゃん」 ……。 ……。 ……Why? いや、この場合の疑問符はWhyではなく……、という問題じゃなくてだな。 長門、お前今何を言った。 喜緑さんが……、長門の、姉? 面食らう俺、ハルヒ、古泉。おお、さすがに古泉でもびっくりか! そりゃあそうだよな、いきなりお姉ちゃんだもんな、俺もびっくりだよ。 何となく事情のからくりが理解できないことも無さそうな俺や古泉がこうなんだ、ハルヒなんてもう言うまでも無いだろう。「どどどどどど……、どういうことーっ?」 ハルヒ、動揺しすぎだ。 いや、俺だってお前の気持ちは分からなくも無いが……。「喜緑江美里はわたしのお姉ちゃん」 長門、それじゃ何の回答にもなってないぞ。「お、お姉ちゃんって、お姉ちゃんって……、ちょ、ちょっと待ってよ。だって今まで、そんな素振りを一切見せなかったじゃない!!」 そりゃそうだ。多分昨日までは姉妹じゃなかっただろうからな。 俺は昨日の長門との会話を思い出す。きっかけは絶対あれだろう……。 しかし長門よ、だからっていきなり翌日から喜緑さんと姉妹になること無いじゃないか。 おかげでハルヒが大混乱状態だぞ。「昨日までは言えない事情が有った。でも、事情が変わって今日からは言っても大丈夫になった」「そ、そう……」 まてハルヒ、お前それで納得するのか! 苗字だって違うのに……、いや、それが『事情』って風に解釈したのか?「そう」「そう……、そういうことなのね。良かったわね、有希、お姉ちゃんと仲良くするのよ!」「……」 長門が無言で首肯し、喜緑さんが笑う。 うーん、外見も雰囲気もちっとも似て無い気がするんだが、悪い組み合わせでは無さそうな気はするな。 しかし長門が喜緑さんの妹か……、良いのか、これで?「良いんじゃないですか、別に」 放課後、まだ俺と古泉しか居ない部室で古泉にこの話題を振ってみたら、やたらあっさりと切り替えされた。「お前なあ……」「今のところ何の問題も起きていませんし、これからも特に困ることは無いでしょうからね。別に世界が改変されたわけでも無いようですし」「記憶操作とかも無しってことか?」「ええ、その必要は無かったでしょうからね」「どういうことだ?」「こんなのは、長門さんと喜緑さんの戸籍をちょっと書き換えればすむことなんですよ。それが学校に提出する必要が無い範囲の部分であれば、学校にある記録に手をつける必要すらありません」 「ふむ……」 古泉は多分、その長門や喜緑さんの戸籍上の情報とやらをある程度把握しているんだろう。 俺にはそういうことはさっぱりだし別に取り立てて知りたいとも思わないが、古泉の言っている理屈は分からないことも無い。「ここからは仮定の話になりますが、正直な所、こういうことは非合法な手段や超常的な手段を全く使わなくても出来ないことはないですからね」「……結婚とか離婚とか、養子縁組とかか?」「そういうことです」 なるほどな。 結局の所俺は長門がどんな手段を取ったか全く持って知りようが無かったわけだが、古泉の解説を聞いて何となく納得できたような気はした。 古泉が楽観的なのは、この辺りのカラクリが分かっているから何だろう。「しかしだな、喜緑さんは生徒会の書記だぞ? そんな立場の人が長門の姉で良いのか?」「特に問題は無いでしょう」「生徒会は敵キャラ設定じゃなかったのか?」「敵味方に分かれた姉妹だなんて、話を盛り上げるのに良いじゃないですか」「あのなあ……」「多分、涼宮さんもそう思ってくれると思いますよ」 ……まあ、俺もそんな気がするけどさ。 しかしこれで良いのか? いきなり姉だ妹だって……。別に何も悪いことはおきてないけどさ。「やっほー、おまたせえ」 そのとき、扉がでかい音を立てて開いた。 立っているのは声の主のハルヒ、それに長門、そして何故か喜緑さん……、いや、長門のお姉さんか。「二年の教室まで行っていたら手間取っちゃってさあ」 ハルヒは悪びれもせずそんなことを言う。 喜緑さんは相変わらずの穏やかな笑顔のまま空いている席につき、長門がお茶を淹れに行く。 うーん、不思議な光景だ……。「はい、お姉ちゃん」「ありがとう、有希ちゃん」 うお、有希ちゃんと来たか! 長門は俺達にもお茶を配ると、喜緑さんの隣の席に腰を下ろした。 そんな長門の頭を、喜緑さんがなでなでしている。 ううう、なんとも言えない光景だ……。微笑ましいんだか微笑ましくないんだか。「お姉ちゃん」「何、有希ちゃん?」「本、読んで」 そう言って長門が差し出したのは、分厚い洋書だった。 長門……、本の選択が間違っている気がするぞ。 いや、それ以前に年齢とか場所とか、もっとツッコミたい部分が有るわけだが……。「ここで?」「そう」「でも、今は学校だし……」「……駄目?」 うおお、長門が上目遣いだ!! 困惑する喜緑さん、思わず注目する俺、ハルヒ、古泉。「しょうがないですね、有希ちゃんは甘えん坊なんですから」 喜緑さんは俺達に向って微笑むと、長門に渡された洋書を読み始めた。 さすがインターフェース。洋書の発音も完璧だ。俺には何を言っているかさっぱりだけどな。「すみませーん、遅れまし……、ほえ?」 遅れて部室にやって来た朝比奈さんが、入り口の所で呆然と突っ立っている。 そりゃあそうだろう、俺が逆の立場でもきっとこうなるさ。「ああ、こんにちは朝比奈さん」「こ、こんにちは。え、えっと……、どうして喜緑さんがここに?」「ああ、わたしは、」「喜緑江美里はわたしのお姉ちゃん」 どうやら長門は自分で主張したいらしいな。「どえええええええ? お、おね、おね……、お姉ちゃん!?」「そう、喜緑江美里はわたしのお姉ちゃん」「そういうことなんです」 いやいや喜緑さん、そういうことって言われても、多分朝比奈さんにはさっぱり通じないと思いますよ。「でででででも、今までそんな素振りなんて、それに、苗字だって……」 こういう時の朝比奈さんを見ると、やや不安を感じる。 いや、長門の、まあ長門だけじゃなくハルヒや古泉も含めてなんだが、そういう特殊な背景もちの個人のプロフィールを忘れているんじゃないかと……、そんな風に思うのは、俺の気のせいだよな? 「事情がある。だから苗字は違う」「そ、そうなんですが……」「でも、彼女は私のお姉ちゃん」「……う、うん、分かりました。お姉ちゃんなんですね。それなら納得です」 納得したんですか……、いや、まあ、ここで深く追求とかになられても困る……、いや、誰も困らないか? 多分喜緑さんが適当に交わすだろうし。「あのう」「何、お姉ちゃん?」「朝比奈さんも来ましたし、私はそろそろお暇しようかと、」「駄目」「でも……」「駄目、ここに居て」 長門は強い意思を篭めた口調でそう言って、喜緑さんを引き止めた。 喜緑さんがいる状況でSOS団でどうのというわけにもいかず、その日は喜緑さんの洋書朗読を聴く『だけ』という何時にも増して何の生産性も無い部活動の時間が終わり、俺達は帰宅することになった。 平穏だが疲れる一日だったな……。「なあ、長門」 俺は帰り道でちょっと合図をして、別れ道から戻ってきた長門に話し掛けた。「何?」「お前、楽しいのか?」「……分からない」「分からないって……」「喜緑江美里は、わたしのお姉ちゃん。……でも、妹として振舞っても、何かが満たされない。あなた達には届かない」「そりゃあ、昨日の今日だからな」「わたしと喜緑江美里では、姉妹にはなれない?」「そう言う意味じゃない。……一朝一夕にでは無理でも、仲良くしていれば、何時か人間の姉妹みたいになれるさ」「そう……」「明日からもこのままなんだろう?」「そのつもり」「じゃあ、このまま姉妹として過ごせば良いさ。ああでも、SOS団のことも忘れないで居てやってくれよ。部活の時間に何時までも今日みたいだと、この先支障がありそうだからな」 「……分かった」「けど、家では存分に甘えておけ」「分かった、そうする」「じゃあ、またな」「また、明日」 それから数日後、喜緑さんと話をした。「……有希ちゃんみたいな妹が出来て、わたしも嬉しいんですよ。有希ちゃんが最初申請をしたときには驚きましたけど」「そりゃまあ、普通は驚くでしょうね」「ええ。でも、わたしにも彼女にもいい経験になるだろうということで、情報統合思念体は許可したんです。……結果として、いい方向へ向っているようですしね」「それなら何よりです」 原因は俺だからな……、これで妙なことになって迷惑をかけていたりしたら、喜緑さんに一生頭が上がらなくなる所だったのだろう。「これからも、妹のことをよろしくお願いしますね」 外見も雰囲気もちっとも似ていないが、俺に向って頭を下げた喜緑さんは、すっかり長門の姉だった。「分かっていますよ」 お願いされなくても分かっていることだが、姉に言われたのであれば尚更だ。 瓢箪からコマとでも言うのか……、いや、まあ、これ以上何か言う必要は無いか。 長門は幸せそうだし、喜緑さんも幸せそうなんだ。 だったら、これで良いんだろう。 fin
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