「チェックメイト。…悪いな、また俺の勝ちだ」
「参りましたね。さすがにここまで負けが続くと、少し落ち込んでしまいます」
困ったような顔で古泉はそう言うと、さっさとチェスの駒を片付け始めた。
今日は金曜日。
この1週間、こいつとのハイレートなボードゲームをし続け、
結果俺は古泉から約5000円を巻き上げる事に成功していた。
先週は古泉のバイトを間接的とはいえ手伝ったんだし、
このぐらいはもらってもバチはあたるまい?
すっかりヌルくなってしまったお茶を飲み干すと、
すぐに朝比奈さんが笑顔でおかわりを注いでくれた。
勝利の後の朝比奈印のお茶は、また格別な味がしますよ。
「キョン君、今日涼宮さんは?」
「ああ、あいつなら掃除当番ですよ、もうじき来るんじゃないですか?」
ハルヒか…
あいつを家まで送ったあの日。家でお茶を飲んで、飯を食って、服を買って、
本屋に行って、ゲーセンで遊んで。
けっこう振り回された部分もあるが…。正直に言おう。俺は、楽しかった。
機会があれば、またハルヒとああいうのも悪くない…
いや。これはごまかしだな。また、ハルヒと遊びに行きたいと思う。
その時はやっぱり俺が誘わなきゃいけないんだよな?
───こんなことを考えていると、またなんかモヤモヤするんだが。
「5人のうち2人いないだけで、なかなか寂しいと感じてしまうものですね」
もう負けた事など忘れてしまったのか、片付け終えた古泉がいつもの笑顔で言った。続けて
「それにしても、長門さんが風邪とは、珍しいですね」
そうなのだ。長門は朝から風邪で休んでいた。
おかげで今日部室に来てから、俺はほとんど敬語しか聞いていない気がする。
「昨日は元気そうだったんですけどね~」
心配そうに朝比奈さんがそう言った直後
バタンッ!!!!!!
「あ~もう!手がつめたーい!みくるちゃん!お茶!
ちょっとキョン!電気ストーブこっちに向けなさいよ!!」
ついさっきまで静かだった部室に、台風が入ってきた。
「あら、有希がいないわね。隣?」
いや、今日は風邪で休みだそうだ。
対ヒューマノイド・インターフェイスでも、やはり普通に風邪ひくのか?
「ふ~ん。ちょっと心配だから電話してみよっか?あの子一人暮らしだし」
団長席に座りながら、ポケットから携帯を取り出すハルヒ。
「もしもし?有希?風邪なんだって?大丈夫?…そっか…うん…
みんなで家にお見舞いに行くって話してたのよ。何か食べたいものはある?うん…」
もちろんそんな話俺達3人は一言も聞いてないわけだが。
2分程話していただろうか?電話を切ったハルヒは
「そういうわけで、今から有希の家にお見舞いに行くわよ!」
まぁ1人で風邪だからな。飯だって大変だろうし、俺に断る理由もない。
朝比奈さんが運んできたお茶を一気で飲み干したハルヒは、すぐに帰る支度を始めた。
結局、長門は世間で言う、典型的な風邪だったようだ。
玄関の鍵を開け、マスクをして出てきた長門は、発熱時特有の
ぽわっとした表情で俺達を迎えた。
家にも少し上がりこみ、朝比奈さんが長門に冷えピタを張ってあげたり、
お粥を作ったりしていたが、あまり居座っても迷惑なので、さっさと帰ることになった。
「それじゃまたね、有希」
「無理しないでくださいね、長門さん」
それぞれ玄関であいさつをし、エレベータで下に降りた途端、ハルヒの携帯が鳴った。
「有希?どうしたの?うん…わかった、伝えとくわ」
どうかしたのか?
「あんた、携帯忘れてない?」
言われてポケットを探る。…ない!ハルヒはため息をつきながら
「こたつの中におちてたから取りに来てってさ。さっさと行ってきなさいよ!」
不機嫌オーラを放ち始めた。
「あたし達は先に帰るからね」
へいへい、わかりました。行ってきますよ。
俺は1人でエレベーターに乗り、7のボタンを押した。
…しかしおかしいな。俺こたつに足は入れてないんだがな。
だがまぁ考えていても仕方ない。こういうこともあるだろう。
長門の家の前に着く。インターホンを鳴らすとすぐに鍵の開く音がした。
ただ最初に来た時とは違い、マスクはせず、下を向いていた。
「長門、すまんな」
「…いい」
そう言葉を交わし、長門の手にある俺の携帯を渡してもらおうとしたその時。
───まるで立っていたのを我慢していたような、その緊張が途切れたかのように、
ふらっと、俺のほうに倒れてきた。
「長門っ!!」
俺は慌てて抱き止めた。息づかいが荒い。
額に手を当てると、最初に来た時と比べて、明らかに熱があがっていた。
そうか、俺達が来て、寝てた身体を起こしたもんだから、余計にひどくなっちまったんだな。
ごめんな、長門。
おんぶして寝室まで運び、布団をかけてやった。
窓から外を見る。外はすっかり暗くなっていた。うーむ…
よし決めた。
お前、明日は病院行こうな。
「…病院」
目を少しだけ開け、そのうつろな目で俺を見ながらそう言った。
大丈夫だ。俺が連れていってやる。
「ぁ……………」
最後は言葉になっていなかった。どうやら寝てしまったようだ。
だが俺には長門がなんと言ったのか、口の動きでなんとなくわかった気がした。
たぶんそれは─────
「ありがとう」
だったんだと思う。
オートロックの扉をゆっくりと閉め、俺は再度エレベーターへと向かった。