初恋4
その日、相変わらず何をするまでもなく部室に溜まっていた俺達は、ハルヒの「じゃあ今日は解散」という一言でお開きになった。そしてこの日に限って俺は他の4人と途中まで帰路を共にしたわけだ。正直、この日に限ってなぜそうしたのかはわからない。ただの偶然か、それともこれも古泉の言うようにハルヒの仕組んだことなのか。
帰り道。先頭を歩くはハルヒと朝比奈さん。新しいコスプレの話でもしているのだろうか、時々朝比奈さんの「そんなの着れませ~ん・・・」という嘆きが聞こえる。その後に続く長門。歩きながらも相変わらず本を読んでいる。そしてそれに続いて最後尾を並んで歩く俺と古泉。
ふと前方に見覚えのある人影・・・。もうお気づきだろう。何とそれはねーちゃんだったのだ。「あれ?キョン君じゃない?」ああ・・・とうとう声をかけられてしまった。昨日の今日で俺以外の団員達がねーちゃんと鉢合わせするなんて・・・とことん最近の俺は神に呪われているとしか思えない。
「こんばんは!こんな所で会うなんて偶然ね!」元気に俺に挨拶するねーちゃん。ハルヒ達もそれに気付いたようだ。「こんばんは・・・まあ通学路ですからね」俺は一種の諦念を滲ませた口調で、答える。「で・・・こちらに皆さんは?」そう言って他の4人を見渡すねーちゃん。「部活の友達ですよ」端的にそれだけを答える俺。それを聞いたねーちゃんはパッと顔を明るくして、ポニーテールを揺らしながら、「ああ、昨日の夜キョン君が電話で言ってた?」その瞬間、全員がキッと俺のほうを睨んだ。その意味はもちろん俺がいつの間にかねーちゃんと夜な夜な電話をする関係になっていることに対する、驚きと非難であったのだろう。ねーちゃん・・・地雷踏んでますよ・・・。
「こんばんは。いつもキョン君がお世話になってます。キョン君とは従姉弟同士なんです。 皆さんよろしくね!」そう言ってペコリと頭を下げるねーちゃん。ポニーテールがそのお辞儀にあわせて揺れる。「あ、朝比奈みくるですっ。こちらこそよろしくお願いしますですっ!」あわあわという擬音が今にも聞こえてきそうな様子で自己紹介する朝比奈さん。「古泉一樹です。以後お見知りおきを」落ち着き払い、ニコッと外面の良い笑顔を向ける古泉。「長門有希」ポツリと表情を変えずにそれだけ述べる長門。そしてハルヒは・・・急にまたブスッとした表情になると「涼宮ハルヒ・・・よろしく」と呟く。その表情は・・・怖くて見れない。
「そっかそっか~。キミ達がキョン君が言ってた部活のお友達ね。 マスコット萌えキャラのみくるちゃんに読書少女の有希ちゃん、さわやかイケメンの一樹君、 そして元気な団長のハルヒちゃん。キョン君の言ってたとおりね!」ねーちゃんはウンウンと頷きながらハルヒ達を見回す。「それにしてもこんなにカワイイ子が3人もいるじゃない。キョン君もスミに置けないね~」ねーちゃんはニヤケ顔で俺のことを肘でつつく。そう言えばこの人はそういう話題になると悪ノリする癖もあったな・・・。「こんなかわいい子に囲まれてるなんて、やっぱり『彼女いない』だなんて嘘なんじゃないのかな~。 さあさあキョン君白状しなさい、一体どの子がお気に入りなのかなっ?」悪ノリここに極まれり、だ。ねーちゃんはニヤニヤと俺の顔を覗き込む。それとは対照的に、俺達、特に女性陣、その中でも特にハルヒの空気は一気に張り詰めたものになる。これは俺の答え如何で世界崩壊の危機か!?そんなことを考えていると・・・
「ふんっ!ヘタレのキョンがあたし達にそんな劣情を抱くだなんて100万年早いってモノよ! ――だからお姉さんも心配するようなことは何もないですよ?」ハルヒが口を開いた。ねーちゃんに対する口調こそ丁寧だが、その中には剥き出しの敵意のようなものが感じられる。そんな獰猛な野獣のようなハルヒからの敵意を察知したのかはわからないが、ねーちゃんはニッコリと微笑を崩さず、「あら?そうなの?意外ね。 ハルヒちゃんもこう言っていることだし、やっぱりキョン君はおねーちゃんが貰っちゃおうかな~」場の雰囲気はもはや絶対零度だ。もしアイスピックでつついたならば俺の身体は粉々に砕け散るだろうってくらいだ。「ね、ねーちゃん!だから冗談は止めてくれって・・・」俺はそういうのが精一杯だ。「あははっ、まあキョン君も男の子なんだだし、こんなにカワイイ子達に囲まれて何も感じないってのは、 おかしいよっ?ねえ、一樹君もそう思うでしょ?」ねーちゃんは古泉に話を振る。「ええ、実にその通りであるか、と」とかほざく古泉も古泉だ。よってたかって俺を死に至らしめようとしやがる。ちなみに朝比奈さんは相変わらずおろおろしっ放し、長門は全くの無反応だ。そんな気まずい雰囲気に終止符を打ったのはハルヒだ。「それじゃあ、あたしはこれで。 『お姉さん』もうちのキョンとはせいぜい仲良くしてやってくださいね?」そんな全く人としての温度も感じさせないような機械的な口調でそう言い放つと、俺達を置いてスタスタと歩いていってしまった。まずい・・・絶対機嫌悪いだろアイツ・・・。
「ハルヒちゃん怒ってた?もしかして私何か悪い事言っちゃったかな? それともアレかな?今流行の『ツンデレ』ってやつ? だとしたらキョン君もなかなかマニアックね~」最後までこの冷え切った空気をわかっていたのかいないのかイマイチ把握できなかったねーちゃん。「まあ・・・アイツはいつもあんなんですから大丈夫ですよ」「う~んそっか~。まあいいや! それじゃあみくるちゃんも有希ちゃんも一樹君も、うちのキョン君のことよろしくね! キョン君も皆と仲良くしなさいよ?」そんなねーちゃんに、朝比奈さんと古泉がお辞儀をして返す。長門は立ちすくしたままだ。「それじゃあキョン君、今夜も電話するからねっ!バイバイ!」ねーちゃんは最後にまたそんな大きな地雷を踏んで、元気に去っていってしまった。
3人の視線が痛い。特に長門は無言ながら何というか圧力がある。「まあ・・・この前の日曜にも言ったとおりだ。答えは出す」俺はそう言うのが精一杯だった。その日の夜、古泉から小規模ながら閉鎖空間が発生したとの連絡を受けた。それを聞いた俺はますます自分の気持ちにケリをつける必要性を感じるハメになった。それもなるべく早くにだ。眠れない夜が続くな・・・。ねーちゃんとの気まずい遭遇から一夜明けた。俺の後ろの席に陣取るハルヒは相変わらず不機嫌なのか、一言も喋ろうとはしない。放課後、終業のチャイムがなるや否やハルヒは席を立って出て行ってしまった。
習慣とは怖いものだ。最近の修羅場の連続にもかかわらず、俺の足はSOS団の部室に向かっている。きっと俺が行ったところで場の雰囲気が悪くなるだけなのかもしれない。それでも無意識の内に、俺はこうして部室のドアの前に立ち、ノックをしてしまうのだ。「はぁ~い」ノックの音に反応して、舌足らずな朝比奈ボイスが聞こえてくる。中には朝比奈さんしかいなかった。「他の奴等は来てないんですか?」「それが・・・涼宮さんが来て・・・。『今日の活動は休み』って。 それだけ言い残して帰ってしまったんです。だから長門さんも古泉君も帰っちゃいました」とすると朝比奈さんは俺に今日の活動休止を伝えるためだけに部室で待っていてくれたのか。「そうだったんですか。わざわざすいません」俺は朝比奈さんに対し、感謝と謝罪の混ざった言葉を投げかける。
「涼宮さん元気なさそうでした。やっぱり・・・」朝比奈さんはその先を言わなかった。じっと不安げな瞳で俺を見つめている。「俺のせい・・・ですかね」「・・・・・・」朝比奈さんは答えない。「・・・朝比奈さんも今日はもう帰ってくださって結構ですよ。部室の施錠は俺がやっときますから」「・・・はい」そう言って朝比奈さんも部室から出ていく。
残された俺は施錠を確認し、吹奏楽部の演奏の音だけが響く部室棟を後にした。帰り道、寂しく1人で歩く俺。『答えを出す』か・・・。我ながら随分大きく出てしまったものだが・・・。正直言って気持ちの整理は全くと言っていいほどついていない。このままではいつまで経ってもSOS団の空気は重いまま、そして何よりもハルヒの機嫌は悪いままだろう。勿論、ハルヒのご機嫌とりを最優先して心を決めるつもりなど毛頭にない。あくまでもコレは俺自身の問題なのだ。ねーちゃんに対し、俺はどう接するべきなのか・・・。自分の『初恋』にどう決着を着けるべきなのか・・・。
夕暮れの街並み。そう言えば昨日ここら辺でねーちゃんとバッタリ会ったんだよな。視界の端にあのポニーテールが見えて、気付いたらねーちゃんがこっちに手を振ってて・・・そうそうちょうどあんな感じに・・・って、え?俺は目を疑った。俺から距離にして約10メートルほど、対向する歩道で俺に向け、手を振っていたのは間違いなくねーちゃんだった。まさか2日連続で会うことになるとは・・・。
「夕飯の食材の買出しに行く途中だったんだ~」ねーちゃんはうちの学校の近所のスーパーに用事があったらしい。「はあ、しかしまたなぜこんなところまで? ねーちゃん家の近所にもスーパーはあったはずじゃ?」俺の疑問にねーちゃんは笑顔で答える。「うんっ!まあ散歩がてらにね!あとは街に詳しくなるっていう意味も込めてかな?」「そうですか・・・それだったら少し付き合いますよ。ちょうど暇だったんで。 何なら荷物持ちでもしますよ」この発言には何の下心もない。ホントだぞ?まあ、なんつーか無意識の賜物だな。「ほんと!?じゃあお願いしちゃおうかな?」スーパーは夕時だったこともあり、ねーちゃんと同じように夕食の食材を求める主婦でごった返していた。「ここのスーパーは初めて入るのよね~」「それだったら俺は母親に頼まれて何回か学校帰りにお使いに来たこともあるんで、 どこに何があるかは大体把握してますよ」「お、それは助かるな~。流石キョン君は頼りになるね~」ねーちゃんは嬉しそうにまたニコッと笑う。
「それで今日のおかずとか決まってるんですか?」俺は何となしに聞いてみる。「うーん、肉じゃがにしようかなと思ってるんだけど」肉じゃがか、家庭料理の基本だな。「というかねーちゃんって料理できたんですね。昔はさっぱりだったのに」「それは、ね・・・まあ」俺は口に出して初めて自分の失言に気付いた。ねーちゃんはつい最近まで彼氏と同棲していたんだ。料理ぐらいしていたって何の不思議もないはずだ。そしてねーちゃんには一番の禁句であろうその同棲生活を思い出させるような発言をしてしまうとは・・・。「すいません・・・」謝る俺にねーちゃんは少し悲しそうな笑みを浮かべ、ふるふると首を振った。
その後俺達は一連の食材を買い込み、店を出た。既に日は沈みかけている。時刻は6時少し前というところ。俺は食材の詰まったビニール袋をぶら下げ、ねーちゃんと並んで歩く。「わざわざウチまで付き合ってくれなくても良かったのに・・・」「いえいえ、折角なんですからコレくらいは」俺は食材と共にねーちゃんを家まで送り届けるつもりだった。
しばらく歩いているとねーちゃんはふと、何かを思いついたような表情になった。「そうだ!それなら折角だし、キョン君ウチで夕飯食べていかない?」ヘ?『ウチデユウハン』トハ?『ウチ』トハドコノコトヲサシテイルノデショウカ?混乱の余り漢字を忘れてしまう俺。ねーちゃんは今何て言った?「私の部屋で、ゴハンご馳走するよって話。キョン君ちゃんと聞いてた?」混乱状態の俺の顔を覗き込むねーちゃん。ねーちゃん家にオジャマして夕飯をご一緒に!?マジか!?何だ、この突発的な素敵イベントは?こんなイベントのフラグを立てた覚えはないぞ?
状況を把握しきれない俺。そんな俺を見て、乗り気でないと感じたのか、寂しそうな顔になるねーちゃん。その表情を見た瞬間俺はチクリと胸が痛むのを感じた。正直、そういうねーちゃんの悲しそうな顔は見たくない・・・。俺は口を開く。「迷惑でなければ・・・お邪魔させていただきます」長門の、朝比奈さんの、古泉の台詞が、そしてハルヒの顔が一瞬よぎった、がすぐに消えた。
「ホント?よ~し、それじゃあおねーちゃんキョン君のために腕によりをかけちゃうぞ~!」ねーちゃんの顔が悲しそうなそれから、咲き誇る満面の向日葵のような笑顔に変わると、俺は心の底からの安心感と、少しの切なさを覚えるのであった。ねーちゃんのマンションまであと2、3分というところ。俺達は他愛もない会話を続けながら、並んで夕焼けの歩道を歩く。食材の詰まった袋はそれなりに重く、男の俺でもキツイものがあったが、そんな重さすらどこか心地よいものにまで感じていた。俺はそんな小さな喜びに浸りきっていた。
初恋のねーちゃんの家に招待される、そんな夢みたいなシチュエーションを前にして、今の自分が置かれている状況というもの、直面している問題というものを、俺はすっかり失念していたのかもしれない。そんな無責任で、身勝手な俺に――神はしかるべき罰を与えたのである。
やっとねーちゃんのマンションが見えてくる――そう思った矢先――見覚えのあるシルエットが――俺とねーちゃんの目の前に――
俺は咄嗟にその名前を叫んでいた。
「ハルヒ!?」
そう。俺達の目の前に立ちすくんでいたのは、涼宮ハルヒ、その人。
仲睦まじく歩く俺とねーちゃんの姿、そして俺がぶら下げている買い物袋、すぐそこにあるねーちゃんのマンション、その全ての状況を認識し、頭の中で何らかのひとつの線につながったのか――ハルヒは背を向け、一目散に逃げ出してしまった。「今の・・・ハルヒちゃんだよね?」驚きを隠せないねーちゃん。「ええ・・・一体どうしてこんなところに・・・」
俺は一体何を言っているんだ?『どうしてこんなところに?』だと?そんなこと最初からわかってるに決まってるじゃないか。それなのに何故俺はまた自分を誤魔化そうとしていやがるんだ?
『あなたが心配』長門の台詞が思い出される。
『予想外のあなたの気持ちの変化に涼宮さんは嫉妬しているんです』古泉の台詞が耳の奥に響き渡る。
『とにかく涼宮さんの気持ちも考えた上でキョンくんには決断してもらいたいと思うんです。 なぜなら涼宮さんもきっとキョンくんのことを・・・』朝比奈さんの台詞が胸を打ち鳴らす。
そしてここ数日のハルヒは不機嫌な表情を浮かべていただけではなかった。この1年、ずっとハルヒのそばにいた俺なら気付いて当然だろう?本当は気付いていないフリをしていただけなんだろう?ハルヒの表情に、不機嫌さだけでなく、一抹の寂しさが浮かんでいたことに――俺ならば気付いて当然のハズだろう?
その刹那――俺は食材の詰まった袋を地面に落として、一目散に走り出していた。勿論、ハルヒを追いかけて。「ちょ、ちょっとキョン君、どうしたの?」「スイマセン、俺アイツのこと追いかけてきます!」ねーちゃんにはそう言い残すのが精一杯だった。既に俺の両足は駆け出し始めている。
ハルヒの背中はどんどん遠ざかる。アイツはムチャクチャ足が速い。流石無駄に運動神経は抜群なだけのことはある。俺がいくら走っても少しも追いつく気配がない。やがてその背中も見失ってしまう。
「チクショウ!どこに行っちまいやがったんだよ!?」ゼーハーと息をしながら、それでも足を止めずに走り続ける俺。いくらハルヒでもずっと走り続けてることなんて出来るわけはない。だとすれば・・・どこかにきっとハルヒはいるはずだ。だったら足が千切れるまでその場所を探しまくるだけだ・・・。・・・・・・。・・・・・・。・・・・・・。
結論から言うと――ハルヒは街外れの公園にいた。SOS団の市内探索でもめったに訪れることがないほどの街外れだ。ハルヒは背を向け、ポツンと1人、公園の真ん中に立ちすくしていた。「ハァ、ハァ、ハァ」ここまでずっとノンストップで走り続けてきた俺。息は上がりきって、まともに喋れそうにもない。目の前も霞んでいる。それでも俺はよろめきながらハルヒに近づいていき、声をかけた。
「おい、ハァ、ハァ・・・。ハルヒ、ハァ、ハァ・・・。 一体、ハァ、ハァ・・・。いきなり、ハァ、ハァ・・・。 どうしたっていうんだ・・・?ハァ、ハァ・・・」息を整えながら言葉を紡ぐ俺。そんな俺にはとっくに気付いていたはずなのに、何も喋らないハルヒ。やっとのことで背を向けたままではあるが、言葉を発した。
「戻らなくていいの・・・?」「は?」「だから戻らなくていいのかって言ってるのよ」「戻るって・・・」「あの『お姉さん』のところに戻らなくていいのかって言ってるの!!」突然感情を爆発させたように叫ぶハルヒ。
「あの人の家にいくつもりだったんでしょ?夕飯でもご馳走になるつもりだったんでしょ? 良かったじゃない?絶好のチャンスじゃない? 憧れの初恋のお姉さんと結ばれる絶好のチャンスじゃない?」ハルヒは止まらない。
「何でそんな展開になるんだよ・・・」俺はハルヒを宥めすかすように声をかける。しかし、
「だってキョンはあの人のこと・・・好きなんでしょ!?」ハルヒは大声で、俺の核心をついてきた。
「『初恋』が叶ってよかったじゃないの。何をためらう必要があるのよ? ホラ、さっさとあの人の家に戻って、一緒に夕飯を食べて、 いくらでも愛を語り合えばいいじゃないのよっ!!」「だから・・・何でそうなるんだ! 俺とねーちゃんは・・・今日もたまたま会っただけで、ただ買い物に付き合って・・・」「聞きたくないっ!!!!」一層の大声で叫ぶハルヒ。
「おい、いい加減に・・・」俺はハルヒの肩を掴んだ。振り返ったハルヒは――泣いていた。それはもう大粒の涙を、次から次にポタポタと、大地へと落としているのであった。
「キョンはあの人のこと好きなんでしょ!?いくらあたしだってそれくらい・・・わかるわよ」急に消え入りそうな声になってしまったハルヒ。俺はもう誤魔化せないと悟った。もう素直な自分の心情を曝け出すしかないと、そう思った。「自分でもわからないんだよ・・・」本心だった。これ以上偽りようのないってくらいのまっさらな、本心だった。「ねーちゃんに再会して、デートして、嬉しくて、楽しくて、飛び跳ねたいような気持ちになったりもしたけど・・・ それがねーちゃんを好きってことなのかどうなのか・・・わかんないんだよ」
「何よ・・・それ・・・」「何よと言われても・・・今の俺はこんな答えしか持ち合わせちゃいないんだ・・・」自分で自分が情けないとはこのことだ。涙を見せるハルヒに対し、こんな中途半端な答えしか、俺は出せていない。そんな俺を尻目に、ハルヒは堰を切ったかのように己の思いを吐露しはじめる。
「キョンは・・・あたしがどんなにムチャなことを言っても、どんなムチャなことをしても・・・ なんだかんだ言ってついてきてくれてるって・・・そう思ってた。 SOS団を結成した時もそう・・・野球大会に出た時もそう・・・映画を撮った時もそう・・・ 無人島に、雪山に行った時もそう・・・会誌をつくった時もそう・・・。 キョンはいつもあたしについてきてくれた・・・」ハルヒはこの1年の思い出をひとつずつなぞるかのように語る。
「そんなキョンを・・・心のどこかで・・・信頼していた・・・。 キョンならあたしが何を言い出してもついてきてくれるって・・・」確かに、俺はそんなこんなで灰色空間までお前についていったこともあったさ。
「だから・・・キョンはもしかしたらあたしのことを・・・ってそんなことも思ってた・・・」『あたしのことを・・・』のその先の内容を聞けるほど、俺も愚鈍ではない。「だからそんなキョンのこと・・・あたしも・・・それなのに・・・」もうハルヒは涙で声にならない。それでもその一句一句は俺の耳の奥底までしっかり届いていた。
「何よ・・・『初恋』のお姉さんにあんなデレデレして・・・ しかも『自分の気持ちがわからない』って・・・馬鹿にするのもいい加減にしなさいよ・・・」俺も何とか言葉を返す。「いや・・・ハルヒ・・・それは・・・」
「だったら何であたしにキスなんかしたのよ・・・!?」
時が止まった、かのように思えた。それほどハルヒのその一言は重かった。あの日、ハルヒと閉鎖空間に取り残された時、俺は確かに・・・ハルヒにキスをした。俺は無言だった。この無言はキスをしたことを肯定したものと取られても仕方のないものだ。ハルヒはあの出来事を悪い夢だと認識していたはずなのに、それすらも覆してしまうということを、俺の沈黙は意味していた。
「アンタにキスなんかされて・・・勘違いして・・・振り回されて・・・やきもきして・・・ 全部あたしの独り相撲だったってこと?これじゃああたしが本物の馬鹿みたいじゃないっ・・・!」
ハルヒはそう叫ぶと、立ちつくす俺の脇を、一目散に走り抜けていった。俺はそれ以上一言も発することも、追いかけることも出来なかった。今日ほど自分が情けなく感じた日は、今までにない。もし手元に自動小銃があったなら、即座に自分の頭を打ち抜くさ。もし手元に手ごろなロープがあったなら、すぐにそこら辺の木に自分の首を括り付けるさ。それほどまでの酷い自己嫌悪。今すぐにこの世から消え去ってしまいたい、そんな惨めな気持ちが俺を支配していた。そのまま、数十分立ち尽くしていたのだろうか。辺りは既に真っ暗だ。そんな中、これでもかと言うくらいの自分の惨めさに埋もれていた俺を現実に引き戻したのは、ねーちゃんの声だった。
「ハァハァ・・・キョン君!探したんだよ?」ねーちゃんもこの街外れの公園にまで走ってきたようだ。肩で息をしている様子がそれを物語っている。「ねーちゃん・・・」「ハルヒちゃんを追いかけてたんでしょ?見つかったの?」俺はコクリと首肯した。「一体どうしたっていうのよ?ハルヒちゃん・・・」
俺はこの公園でのハルヒとのやり取りの一部始終を、ねーちゃんに洗いざらい話してしまう気にはならなかった。そんな気力が残っていないというのがまず第一だし、この話をねーちゃんにするのはハルヒに対する酷い冒涜だと、何となくそんな風に感じたからだ。
「俺、今日は帰ります・・・」俺はねーちゃんが持ってきてくれた自分の鞄を引っつかむ。「キョン君・・・」ねーちゃんは見るからに不安そうな表情を浮かべる。「ねーちゃんのこととか・・・色々・・・俺、考えなきゃいけないみたいです」「・・・・・・」ねーちゃんは黙って俺の言うことに耳を傾けている。「あと・・・しばらくこうして会うのは・・・やめにしましょう・・・」「え、それって・・・」戸惑うねーちゃんに背を向け、俺は公園を後にした。それは、寂しそうに1人公園に残されたねーちゃんの姿を振り返って見てしまえばもう戻れない、そんな気がしたからだった。
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