YUKI burst error Ⅵ
みくるちゃんが消失して、どれだけの時間、四つん這いに塞ぎ込んでいたかは分からない。 でも、今のあたしに立ち上がる気力なんてある訳ないじゃない……キョンも有希も古泉くんもみくるちゃんもあたしの傍から消えちゃったんだし…… ――何這いつくばってんだ? え――! 突然、あたしの頭の中に響いた声に愕然として、 ――そうです。涼宮さんにそんな姿は似合いませんよ―― キョン? 古泉くん? ――あたしもそう思います。みんなが望んでる涼宮さんはそんな涼宮さんじゃありません―― みくるちゃん? あたしはハッと、四つん這いのまま顔だけを前へと向けた。 気がつけば周囲の風景が真っ暗闇に包まれている。 でも、視線の先には光が差しこんで、あたしを照らしてくれていた。 その光の中に浮かぶ三つの影。 ひとつはラフに着こなしたブレザー姿の男が手をポケットに突っ込んで、何か面白いものを見るような、それでいて茶目っ気な笑顔を浮かべている。 ひとつは同じブレザーをきっちり着こなして穏やかな笑みを浮かべている。 ひとつはおしとやかに佇んでいて、あたしを、もしあたしが男であったなら腰が砕けそうな笑顔で見つめている。 ――ここには世界を元に戻すためのプログラムが存在する。それはこの時間の俺が知っている―― キョン…… ――僕はそれを涼宮さんに伝えることができました。この十二月二十日のことを―― 古泉くん…… ――あたしが涼宮さんをこの時間に連れてきたのは涼宮さんにみんなを取り戻してもらいたいからです―― みくるちゃん…… 今、あたしが見ているものは幻影? 今、あたしに聞こえている声は幻聴? ううん……そんなのどうだっていい…… 確かなのはみんながあたしを励ましてくれているってこと…… ――立てよハルヒ。俺は去年、みんなを失ったこの状況から脱することができたんだ。俺ができたことをお前ができないはずないだろ―― 表情はよく見えない。 でもキョンが片膝付いてしゃがみこみ、あたしに手を伸ばしていることは理解できる。 その後ろでは古泉くんとみくるちゃんが笑顔を向けてくれている。 そうよね……みんなを取り戻すためにあたしはここに来たんだから…… あたしは、あえてキョンが差しだした手を取らずに立ち上がる。 たぶん……ううん、キョンは絶対にあたしがキョンの手を取って立ち上がるなんて姿を見たいとは思わないはず。 ――それでこそハルヒだ―― やっぱりね。 目の前の幻影はどこかとびっきりの笑顔をあたしに向けた気がして、 ――!! 暗闇に見えた一筋の光が輝きを増して、あたしは不意に腕で目を覆う。 そっと腕を降ろしてみれば、そこはもう暗闇じゃない、町中の風景が広がっていた。 もしかしたら今見た影と聴いた声はあたしの脳内が勝手に見せた幻なのかもしれない。 あたしがあたしを奮い立たせるために、あたしの心が形を変えて見せてくれたものなのかもしれない。 でも嬉しかった。 そうよ。あたしがここに来たのはみんなを取り戻すため―― 今一度、決意を固めるには充分の白昼夢。 キョン、古泉くん、みくるちゃん、有希……あたしが必ず取り戻してみせる…… そう決めたからにはもう泣いてなんていられないわ。 それに今の別れなんて一瞬よ。今生の別れなんかじゃない。またすぐ逢えるんだから。 ぐいっと袖で涙をぬぐい前を見据えた。 あたしはSOS団団長・涼宮ハルヒ! あたしに泣き顔なんて似合わない! あたしはあたしの決めた道しか進むつもりはないんだから! あの有希が未来の規定事項? 冗談じゃない! だったら、そんな腐った未来、あたしが変えてみせるわ! 上空をキッと睨み、あたしは心の中でそう叫んでいた。 ……って、あれ? あたしのシリアスな雰囲気もどこへやら。 あたしはとある人影に気がついた。 なにやら不審者よろしくキョロキョロそわそわしながら光陽園学院の校門を遠巻きに眺めている後姿がそこにあったのだ。 どうやら向こうはあたしよりも学校の方が気になるみたい。 けど、あたしは思わず抱きつきたくなった衝動を抑えるのに必死だった。 そして今、あたしは去年の十二月二十日に来たことを実感できた。 じゃないとここにこいつがいるはずないし…… あたしが見間違えるはずがないその姿。 キョン…… 心の内にその思いを秘めることができたのはひとえにみくるちゃんの言葉が蘇ったから。 ――正常な記憶があるキョンくんだけには見られないでください―― みくるちゃんの言葉を無碍にするなんて許されない…… あたしはそそくさと物陰に自然を装って隠れることにした。 そうやってしばらくキョンを観察していたんだけど―― う~~~イライラする……全然動きがないじゃない。 あたしがこう思うのも無理ないってもんよ! だって、一時間以上よ一時間以上! キョンにも学校にも何の動きもないまま過ごした時間は! って、あ。 どうやらやっと授業、終わりのようね。あたしに植え付けられていた嘘っぱちの記憶が聞き慣れたことにさせられていたチャイムの音が鳴り学校の校門が開いたわ。 わらわらと学院の生徒たちが郊外へと出てきてるし。 を? あたしは思わず手をかざして校門の外に出てきた一人の女生徒を注視した。 う、ううん……どう見てもアレ、あたしよね…… 何と言うか……すっごい仏頂面。あれじゃ周りが近寄りがたくなっちゃうんじゃないかな? 思わず苦笑を浮かべる。 あっそっか。 でもなんとなく理解できないこともないわね。そう言えば、あたしが笑えるようになったのはSOS団を設立してからだったかもしれないし、たぶんこっちのあたしはSOS団を設立しなかったんでしょ。じゃないとあんな不機嫌なままでいる訳ない。 と言うか、光陽園学院に来てしまったらキョンに会えない訳で、キョンに会わなかったあたしがSOS団を設立するきっかけも掴める訳ないもんね。 ……なんかみんなのこと思い出してちょっと辛くなっちゃったな…… などとしんみりし始めたあたしの耳に届く言い争う二つの声。 ん? ふと現実に戻ってそちらを見つめてみれば『あたし』とキョンが何か言い合っている。 どれどれ。 あたしはもうちょっと近付いて校門近くの茂みに身をひそめ二人の会話を聞いてみた。 …… …… …… あーこれはまったくかみ合ってないわね。 キョンの言うこと、あっちの『あたし』には理解不能みたい。 って、何であの『あたし』は理解できないのかしら!? キョンが正しいのよ! それはあたしが保証してあげるわ! うう……だんだんイライラしてきた…… なんで、あの『あたし』は聞く耳持たないのかしら!? さらにしばしの間、キョンと『あたし』の小競り合いは続くんだけど…… ぷっつん! あ! あっちの『あたし』! 今、キョンに蹴りを入れたわね! もう! 気づきなさいよそっちの『あたし』! 今、この状況がおかしいに決まってるじゃない! ったく、キョンに任せていたら拉致があかないわね。こうなったらあたしがそいつをとっちめてやる。 幸いにして、キョンも『あたし』も古泉くんもあたしに気づいていない。一発、そこの仏頂面女の後頭部にくれてやって即座に隠れてしまえばいいはずよ。 んじゃまあ―― 腕まくりをして飛び出そうかとしたところ、キョンが『あたし』に何やら切羽詰まった表情で、「一つだけ教えてくれ」 そう切り出した。 もういいじゃない! んな分からず屋、ガツンと一発ぶん殴ってやんなきゃ分かんないわよ! が、なんとなく古泉くんが振り向きそうな雰囲気を見せたんであたしはもう一度茂みに隠れる。 もしかしたら古泉くんの向けた視線にキョンが振り向くかもしれなかったから。 くっそぉ……キョンに姿を見せないってのもなかなか大変ね…… ちなみにあたしは警備員に不審者扱いされることはなかった。 ふっふぅん♪ どうしてかって言うとね。 何か警備員のあたしを見る目って微笑ましいのよ。 たぶん、この学校に在籍している『意中の誰かを待っているいじらしい女の子』に見えているのよね。 おかげで会話が聞こえるくらいキョンたちに近づけたわけだけど。 とりあえず次の隙をうかがいながらキョンと『あたし』の会話に聞き耳を立ててみましょうか。「三年前の七夕を覚えているか?」 ……?「あの日、お前は中学校に忍び込んで校庭に白線で絵を描いたよな?」「それが?」 怒った顔で振り向く『あたし』。ま、気持ちは分かるわ。だって、アレは有名な話だもん。確か新聞に載ったし、あのあといろんな人から散々説教されたしね。それを思い出せばそんな顔にもなるでしょうよ。 でも何でこんな話をキョンも今さら?「そんなの、誰だって知ってるわ。だからどうだっていうのよ」 分かる分かる。 茂みの向こうであたしは腕を組み、『あたし』にふんふん頷いてやっていたりする。 が、あたしはキョンの次に発した言葉に絶句した。「夜の学校にもぐりこんだのはお前だけじゃなかったはずだ。 ……女の子を背負った男が一緒にいて、お前はそいつと絵文字を描いた。それは彦星と織姫宛のメッセージだ。内容はたぶん『わたしはここにいる』――」 何で!? どうしてキョンがそれを知ってるの!? などと思うと同時に結構鈍い軽やかな音が聞こえてきた。即座に物陰から見やるとそこにはちょっとふらついたキョンとキョンの胸ぐら、と言うかネクタイをつかむ『あたし』がいた。 どういう訳かあたしの心臓の音が耳障りなくらい早く、そして大きくなっていく。 『あたし』が半ギレのまま、しかしどこか戸惑ったように、「どうして知ってんのよ? 誰から聞いたの? いいえ、あたし誰にも言ってない。あのときの……」 一拍置いてから、『あたし』がキョンをさっきまでの不審者視線から信じられないものを見るような視線にシフトチェンジして続けた。「北高……まさか……あんた、名前は?」「ジョン・スミス」 ――!!「……ジョン・スミス?」 向こうの『あたし』がどんな表情をしてんのかを見ることはできなかった。「あんたが? あのジョンだって言うの? 東中で……あれを手伝ってくれた……変な高校生……」 でも分かる。たぶん、今のあたしと同じ表情してるはず。よろめくほど茫然自失したはず…… ……キョンがジョン……嘘でしょ……どういうこと…… あたしの頭の中はそれだけに占められてしまっていた。 ふと気がつけば、あたしはふらふらと北高に向かっていたらしい。習慣と言うものかな? 気がつけば、いつもうんざりしてしまう勾配が急な上り坂が見えていた。「あれ? お前ひょっとして涼宮か?」 ぎくっ! その一言がようやくあたしを現実に戻してくれたらしい。 声の主は、 谷口――! 危うく声をあげそうになった。「でも変だよな。涼宮だったら光陽園学院に行ったはずだし、もっと髪が長かったよな」 ……何であたしの進学先と髪型まで覚えてんのよ……やっぱ、こいつストーカー? ま、おかげであっという間に焦った頭が冷えたけどね。「人違いよ」 それだけ言ってあたしは坂を登り始めた。後ろで谷口がどんな顔をしてたかは知らないけどどうでもいいわ。 さして用事があるわけでもなく、しかしそれでも習慣というものは不思議なもので、あたしは気がついたらSOS団の本拠地に着いていた。とりあえず人に見られるのは避けたいのでドアは閉めて念の為鍵もかける。 ええっと……何やら随分殺風景なレイアウトね…… 本棚にびっしり詰まった本と部屋の中央にある会議用テーブルはそのままで、隅っこの方には古ぼけたワープロと印刷機。 あれ? みくるちゃんの衣装とか古泉くんの持ってきたボードゲームとかキョンが運んでくれた電気ストーブとか有希のおかげで心底使いやすくなったパソコンは……? あっそうか。 今のこの時間のこの世界はあたしたちの世界と違っていたんだっけ。 それにしても本とパソコン以外何もない部屋ね。これじゃパソコン以外はあたしが初めてここに来た時の風景と何も変わんないじゃない。おまけにあのパソコン、随分古そうなんだけど……てか、ハードディスクに貼ってあるシール通りならWindows95って。古いにも程があるわ。 がちゃ…… え? がちゃがちゃ…… 嘘!? 誰か来たの!? まさかこの世界、新しい文芸部員が入ったのかしら!? とりあえずあたしはきょろきょろして、どこか隠れられそうな場所を探す。 見つけた! 駆け込んだ場所は掃除用具入れロッカー。 多少狭いけど贅沢言っていらんない。 できるだけ音を立てずに閉めて―― かちゃん 偶然の神様に感謝。鍵が開けられる音とあたしがロッカーの扉を閉め切った音はまったく同時だった。 ふぅ…… ため息一つ吐くと同時に、部屋に入ってくる人影が一つ。「あれ……? 誰もいない……どうして鍵が……?」 ――!! ロッカーのスリット隙間から中を見てあたしは仰天した。「変……でもいい……」 あたしが見紛うはずがない。 ショートボブヘアーでカーディガンが目印の、どういう訳か眼鏡をかけている有希がそこにいた。 もちろん飛び出すのは早計よ。 みくるちゃんはこの有希はただの人間で、あの異常を来たした有希と同期できないと言ってたけど油断は禁物なんだから。 だって……みんなを取り戻すのは、もうあたしにしかできないんだし…… 部屋の真ん中でギシって音が聞こえてきた。たぶん、有希が座ったんだと思う。
と、同時に響く紙と紙が摺り合っている音。すなわち、本をめくるページの音。 どうやらこっちの有希も読書好きのようね。
でも、珍しく、あたしの知っている有希と違うって意味なんだけど、座った場所は窓際じゃなくて本棚の前っぽい。
ううん……何があったかな……?「また来てくれるかな……あの人……」 なんだか恥じらった笑顔の声っぽい呟きが聞こえたわね。 誰かを待ち遠しそうにしてるみたいだけど……いったい誰のことかしら……? と言うか、ここの有希ってひょっとして内気だけどある程度感情表現豊かなのかな。 もっとも、この有希が誰を待っていたかは一時間も経たない内に判明した。「よう、長門」「あ……」 気さくな挨拶の声に有希がどこか安堵に近い声で反応してる。 そっか……キョンを待ってたんだ…… あたしの胸の内に例えようのないモヤモヤが生まれた。 確か、あたしと古泉くんはこの世界でも光陽園学院の生徒にさせられていた。そしてたぶん、あたしと出会わなかったみくるちゃんは書道部のままのはず。 キョンだけが正常な記憶を持っているってことはキョン以外、この文芸部室に来ることがないってこと。 そして有希は元は文芸部員。最初からこの部室にいたのは有希だけ。 この世界の有希はひょっとしてキョンを望んだの……? そう考えるとどうにも胸が苦しくなる。 何? 何なの? このやるせない気持ちは…… などと考え込んでいるあたしにどこか追い討ちをかけるようにあたしの心を重く沈ませる事態がこの文芸部室に巻き起こる.。「え」 有希の疑問の声が聞こえたと思ったら、誰かが入ってきた気配がして、中を見てみると何故かジャージ姿でポニーテールの『あたし』がロッカーの前で立ち止まり、「……え」 よく見れば、その『あたし』がみくるちゃんを抱えてて、「…………」 なんか有希が目を丸くして絶句したんじゃないかと思う沈黙を感じたと思ったら体操服姿の古泉くんまで入ってきた。 ……半袖短パンなわけはこの際、考えないようにしましょう。見てるだけでこっちが寒くなっちゃうし。
「こんにちは」 『あたし』の明るい挨拶が聞こえて来て。 とと、ん? そそくさと『あたし』が文芸部室のドアへと進み、ガチャリという音が聞こえてきた。 鍵閉めたの? まさか、あたしがここにいることに気づかれた!? という怖れはどうやら杞憂だったみたい。 と言うか、このやり取りが聞こえてくれば『あたし』が鍵をかけた理由はあたし自身が一番よく知ってるし。「なんなんですかー?」 みくるちゃんの半泣き抗議が聞こえてきたもん。「ここ、どこですか、何であたし連れてこられたんですか? 何で、かか鍵を閉めるんですか? いったい何を、」「黙りなさい」 クス、懐かしいわね、このやり取り。思えばこの頃からあたしは毎日を面白く感じられるようになったのかも。 あたしがノスタルジックな気分に浸っていると、「そっちの眼鏡っ娘が長門さん? よろしく! あたし涼宮ハルヒ! こっちの体操服が古泉くんで、この胸だけデカい小さい娘が朝比奈さん。で、そいつは知ってるわよね? ジョン・スミスよ」 「ジョン・スミス……?」 有希の戸惑う声が聞こえてきたし。 やっぱりキョンがジョン・スミス……だって『あたし』が言うんだから間違いない…… それにしてもなんかやだ…… だって、この薄いスチールの扉を隔てて今のあたしが一番願ってやまない光景がそこにあるんだから。 あたしが居て、キョンがいて、有希もみくるちゃんも古泉くんもいるSOS団…… そっちの『あたし』が羨ましい…… 向こうでは『あたし』が何やら提案してるけど今のあたしの耳にはちょっと辛い。 『あたし』が言ってることってSOS団の活動そのものなんだもん。 ロッカーの中であたしは伏せ目に視線を落とし、自嘲の笑みを浮かべている。 ともすれば涙がこぼれ落ちそうになって―― ピポ ん? 何の音? あたしの哀愁感も一瞬でどこへやら。その電子音は再び、あたしに中の様子を注視させてくれた。 理由は分かんないけどね。「どいてくれ」 反応したのはキョン。その声には待ち望んでいた何かを得たような、それでいて切羽詰まった感が如実に表れていた。
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