涼宮ハルヒの三つ巴
人間、生きていく上で決して逃げてはならないことというものが存在する。 ましてや、それが本人にとって是が非でも避けて通れないとなれば、時として勇気をもって言わなければならないこともあるのだ。 周りにどんな視線があろうともそれによって躊躇してはならない。 そう、俺は今まさにそんな心境で自分の中の勇気をすべて振り絞る瞬間に立ち会わなければならなかった。 なぜならば――
「ハルヒ、今度の日曜日、ちょっと付き合ってくれないか?」 俺のこの一言は、古泉から爽やかな笑みを奪い、朝比奈さんからはお茶を淹れている最中だということを忘れさせ、普段、よほどのことがない限り、視線をハードカバーから外すことのない長門までもが俺を見上げたのである。 いや、俺自身で分かっている。 俺がこんなことをハルヒに言うなんてのはいったいどれだけの異常事態なのかを。 それに比べれば、閉鎖空間の中にダース単位で《神人》たちが新世界創造の為の破壊活動を行っていたとしても、「あー今日も巨人たちが頑張ってるなぁー」とのどかな声をかけながらのんびり眺めていたところで誰も文句を言うまい。 「どういうつもり?」 しばしの時間停止があってハルヒがどこか戸惑いと胡乱を足したような瞳で俺を見つめて問いかけてきた。「そのまんまの意味だ。何も言わずに付き合ってくれるとありがたいんだが」「どうして理由が言えないのよ。まさかいかがわしい場所に連れて行くつもりじゃないでしょうね?」 断じて違う。ただ、その場所に行くためには男女ペアでなければならんからだ。 別段、恋人同士である必要はないがな。「ふうん。なら、あたしじゃなくて有希かみくるちゃんでもいいんじゃない?」「つまり、お前は断るということか?」「そうね。あたしはパスするわ。まあ、あんたがその日に予定入れたなら、今回の不思議発見パトロールは土曜日にしてあげる。 団長のあたしなりの心遣い、感謝しなさいよ」 むろんだ。今度の日曜日を空けてもらえるなら、今回の不思議発見パトロールの際の奢りは俺が一番早く来ようとも仰せつかってやるさ。
「何言ってんの。毎回、あんたが一番遅れてくるんだから、そんな約束しなくたって、どうせ、あんたの奢りになるわよ」
実のところ、「……こ、恋人同士って言うなら考えてもよかったんだけど……」という呟きが聞こえたのだが、それは聞かなかったことにしておこう。ヘタにツッコミを入れるとなんとなく嫌な予感がする。 「そうかい」 そう言って俺はハルヒとの会話を打ち切り、長門にしようか朝比奈さんにしようか考えた。 なんたってハルヒ公認で二人で出掛けられるのだ。変な罰ゲームを喰らわされることもあるまい。 で、俺は今回ばかりは長門に視線を向けた。 朝比奈さんの苦笑を横目に捉えてしまったが、すみません。今度、何かあったときは朝比奈さんを誘わせていただきます。 なんせ、長門には俺は返しきれないくらいの借りばかり作ってしまっているんだ。 こんな時でなければ恩返しができんからな。 つってもまあ、長門にとってこれが楽しめるかどうか分からんのだが……「なあ長門、今の話の通りで今度の日曜日に……」「了解した」 早っ!「ええっと……本当にいいんだな……?」「わたしも楽しみ」 長門の無表情だが、どこか今にも微笑みそうな顔の動きを俺は見逃さなかった。「あらぁ~~~良かったわねキョぉン……有希とデートできるなんてぇ~~~有希もまんざらじゃなそうだしぃ~~~」 団長席から俺の背中に、とっても鋭い棘生えまくりの言葉が浴びせられました。 あまりに怖くて振り向くことはできないのだが、おそらくハルヒは半月ジト目で不気味な半笑いを浮かべていることだろう。 って、おい。お前はさっき、俺の誘いを断ったんだぜ。だったら、んな嫌味をかまさんでくれよ。「心配いらない。彼もわたしも楽しみにしているのは別のこと」 おおっと長門、今回はフォローしてくれるのか!? 珍しく長門がハルヒに意見するのを聞いてそう思わずにはいられない俺。 なんたって、去年の年末の中河のときのやつは当事者であるにも関わらずまったくのノータッチを貫き通したんだからな。「ときに長門さん、いったい彼はどこに出かけるおつもりなので?」 微笑を浮かべた古泉が割って入ってくる。 理由はなんとなく想像できるな。 古泉の役割、ハルヒのご機嫌どりのためには俺たちがどこに出かけるのかを今、ここで知っておきたいところだろうから。 まあ相手も決まったんだ。俺も隠し立てする必要もあるまい。 長門が淡々と、しかしどこか妙に楽しげな音階が含まれているような気がした声を発した。 ま、長門のことだ。俺が何に誘おうとしたのかを知ったとしても不思議はないしな。 などと軽く思った俺だったのだが、どうやらその考え方は相当甘かったらしい。「平野綾、茅原実里、後藤邑子の音楽ユニット・AMIYUのコンサート」 瞬間、部室が白黒反転したかのような衝撃が走ったのであった。「ちょっとキョン! なんでそんな大事なことを先に言わないのよ! てことはあんた、あの抽選に当たったの!?」 イの一番に声を張り上げたのは実は俺の予想外の人物・涼宮ハルヒだった。「あの抽選ってことは……ハルヒ、お前も応募したって訳だな」「当然でしょ! 確かにあたしは前にあんたに話した通り、人と違うことを求めるタイプだけどAMIYUだけは話は別よ! 周りが吸い込まれそうになるくらいの存在感を放っていることはあたしも認めるわ!」 そ、そうなのか? つーことはだ。これは参ったな。俺はてっきり、流行を嫌うハルヒなだけに理由を言うと問答無用で断られると思ったし、かと言って後々、ハルヒのいないところで長門か朝比奈さんを誘い二人で出かけて、それがバレた時のことを考慮した結果、まずハルヒに声をかけることにしたわけなのだが―― 「AMIYUのコンサートならあたしが一緒に行ってあげるわ! いいでしょキョン!」 いやあのな…… 俺があきれた声をかけようとする前に、まったく予想だにしなかった声を聞いた。「拒否する」 って、長門!?「あたしも行きたいな」 朝比奈さんまで!?「ときにそのコンサートは絶対に男女ペアでないと入れないものなのでしょうか?」 古泉、お前もか!? 俺は今、異様な光景を目の当たりにしている。 ハルヒはもちろん、巷の流行なんぞとは誰よりも縁遠いはずの宇宙人、未来人、超能力者の面々が勢い込んで俺に迫ってくるのである。 いったいこれはどういう冗談なんだ? 全員、あのコンサートチケットの抽選に応募していたのか? などと心の中で四人に質問してみたのだが、むろん、声には出せなかった。 詰め寄られてしばし沈黙。四人とも俺の次の句を待っている。 そろそろ誰かが「なんてね」と切り出して、この空気を霧散させてくれるとひじょーにありがたいのだが、どうやらその雰囲気がまったくない。 仕方なく俺は恐る恐る口を開いた。「すまん古泉。お前も応募したなら知っていると思うが、男女供に絶大な人気を誇るAMIYUのコンサートは男女常に同数で見に行かなければならないんだ」「そうですか……」 古泉が珍しく落胆のため息を漏らし、いつもの、俺とボードゲームをする際の俺の対面の場所へとすごすご引き下がる。「てことは、後はあたしたち三人の内の誰かってことね」「みたいですね」「そう」 一度、ハルヒ、朝比奈さん、長門が目を合わせて火花を散らす。「で、キョンは誰と行きたいの?」「む、無茶言うな! これじゃ俺が誰を選んでも後々、酷い目に合いそうな気がするぞ! ハルヒたちで決めてくれ! とてもじゃないが俺には決められん! 今回ばかりは文字どおり、相手は女子であれば誰でもいいんだからな!」 どこか殺気さえ漂わせたSOS団三人娘の迫力満点の詰め寄りに思わず俺は情けない声をあげていた。「ふむ。それもそうね。じゃあ、あたしたちで決めるわよ。いいわね?」「あ、ああ……頼むから穏便に決めてくれよ……」 俺は嘆息して古泉の対面へと引き返し、しかし少し思い当たることがあったんで、「なあ古泉。どうしてハルヒが抽選から外れたんだ?」「え……? 何か言いました……?」 こ、こいつは……いつまで淀んでやがる! 仕方がないのでももう一度、同じセリフを繰り返す俺。団長席の付近ではハルヒたちが話し合いをしている。 もっとも、ここから見ても分かるが三人とも周りの音など聞こえていない。 おそらく、今、戦闘機が強烈な爆音を立てて上空を飛び去っていこうが気にしないのではなかろうか。「キョンは先にあたしを誘ったのよ。団長として団員の陳情は聞くべきだわ」「しかしあなたは断った。わたしは了承した。わたしが行くべき」「いいえ。キョンくんはあたしを誘うと後々、どんな目に合うか分からないのであたしのために、あたしに声をかけなかったんです」 引かない朝比奈さんってのは初めて見たな…… というか、普段、あれだけ無感動無表情の長門までを虜にするAMIYUを褒めるべきか。「で、どういう理由でハルヒは当たらなかったんだ?」 たぶん、今なら俺と古泉が、普段なら絶対にハルヒの耳に入れるわけにはいかない会話をしていたとしても問題はないだろう。「ああ……それはおそらく涼宮さんの中の矛盾がそうさせたのではないかと……」 思いっきり落胆した声を漏らす古泉だが、とりあえず暗い声色は無視することにして。 あっそうか。そういうことか。 ハルヒには確かに世界を自分の都合よく変革する力があるわけだが、それを自覚していない。 また、ハルヒは世界に不思議が起こってほしいと思う反面、起こるはずがないという思いも持っている。 つまり、もし今回、ハルヒが一心に自分も当たるよう念じたならば抽選に漏れることはなかったかもしれないが、心のどこかで応募総数を想像した時に『当たらない可能性の方が高い』と思ってしまったのではないかと想像する。こうなるとハルヒの力が発動することはない。 ちなみに俺が当たった理由は正に偶然だ。 まあもっとも俺はそこまでクジ運は悪いと思っていないがな。 なぜかって? 決まっている。 いったい、この世のどこにカミサマもどき、宇宙人、未来人、超能力者といった摩訶不思議な存在が一同に顔を合わせているような空間で一緒にいられる奴がいると思う? それこそ、このコンサートのクジが当たるよりもはるかに低い確率だぞ。そんな低確率をくぐり抜ける俺だし、ましてや幸運なことが舞い降りることの方が少ないんだからたまにいことがあったっていいだろう。 まあ宝くじとか言った金銭にまつわるクジ運には恵まれないがな。くそ。「団長命令よ」「こればっかりはいくら涼宮さんでも譲れません」「わたしが誘われた」 三人娘の話し合いはまだ終わりそうにない。 仕方がないので古泉にもう一度振ってみる。 俺としては軽い気持ちで単なる話題作りのつもりでしかなかったのだが。「なあ、お前の機関とやらで、もう2枚ほど手配できないものか?」 俺の言葉を聞くなり、古泉がハッとした顔を上げた。「そうですね。聞いてみます!」 言って、即座に部室を飛び出す古泉。 ああ……っと、提案してしまったのは俺だが、なんだかちとまずい気がしたぞ。 完全な職権乱用だよな……というかはたしてハルヒを観察するための機関とやらがAMIYUの為に動くのだろうか。 古泉が出てしばらくしてから、「じゃあ恨みっこなし! クジで決めましょう!」 ハルヒの高らかな宣言が聞こえてきた。 ふと振り返れば、いったいどこから調達したのか、いつものパトロール班分け用爪楊枝をハルヒが握っていた。 もちろん今回は三本で一本に赤い目印が付いているのだろう。「当たった人がコンサートよ」「分かりました」「了承した」 三人とも実に真剣な瞳で頷いている。まあ取っ組み合いのケンカされるくらいならこの方が健全だ。 それにしても、いったい誰に当たるのだろう。 よくよく考えてみれば、である。 本命は世界を都合よく改変できる能力を持つハルヒか。 今回は応募総数と比べるなら確率はわずか三分の一である。当たらないかも、などとは考えまい。むしろ何が何でも当ててやる、と思っているはずだ。 しかし相手は二人とも対抗馬であって、ダークホース、穴、大穴などではない。 なぜなら情報操作がお手の物で俺も何度かその力の世話になっている長門と、その気になれば未来に連絡を取って爪楊枝のどれに印が付いているかを知ることができる朝比奈さんなのだから。 長門と朝比奈さんの様子を見ていると、おそらく今回ばかりは不正だろうが禁則事項だろうがぶっちぎって反則してくるであろうことは容易に予想できるってもんだ。 現実、朝比奈さんは今、瞳を伏せて胸に手を合わせて何かを念じている。 どうもその姿が俺には未来と連絡を取っているような気がしてならない。 それにコンサートに俺と一緒に行く程度のことが世界を揺るがすほどの過去干渉とは思えんしな。 正直言って、誰に当たるのか想像もできんぜ。「せーので全員一緒に引くこと。いいわね? せーのっ!」 ハルヒの掛け声と同時に三人とも手を伸ばす。 もっともハルヒは右手に爪楊枝を持っているので左手を伸ばすのだが―― って、おい!? …… …… …… そうかそうか。よく考えたらそうなるよな。どれが当たりくじかは(ハルヒは無自覚だが)三人とも分かっているんだ。三人とも同じ爪楊枝を摘むわな。 あーこれはもうどうしようもないぞ。たぶん、三人とも譲るつもりはないだろうし。 が、ハルヒが実に建設的なことを言ってきた。「あたしが先に掴んだと思うけど?」「う……」「……」 朝比奈さんがうめき声をあげて、長門が三点リーダ沈黙。 確かに俺の目から見ても一番先に掴んだのはハルヒだった。 しかもハルヒは長門や朝比奈さんと違ってそれが当たりだということを知らないで掴んだのである。 先に掴んだものに優先権があるのは仕方がないし、長門と朝比奈さんは答えが分かっていた以上、諦めるしかない。 ううむ。やっぱズルは良くないということなのだろうか? ただ、ハルヒの能力を考えるならそれが一番のズルのような気もするのだが、ハルヒが知らない以上、長門と朝比奈さんにはそれがイカサマだと突き付けられる証拠がない。 かくして。 AMIYUコンサートにおける俺のもう一人の相手は涼宮ハルヒとなったのである。 と、この時は思っていたのだが。 当日、日曜日。 光陽園駅北口、SOS団御用達の場所にはSOS団全員が集合していた。 もう説明の必要はないよな。 そう。古泉の機関の手回しがあと二枚のチケットをゲットしてきたのである。いったいどうやったのかを知りたくて古泉に訊いてみたが、とんでもない答えが返ってきた。「チケットを手に入れないと涼宮さんが暴走するかもしれません、と言っただけですよ。嘘は付いていません。もし涼宮さんが当たりくじを引かなければそうなっていた可能性は否定できないのですから」 いやまあ……なんつうか……「ご心配なく。ちゃんと譲ってくださった方々にはそれ相応の謝礼を差し上げております。そうですね、おそらく十年は遊んで暮らせるほどの資金を提供させていただいて――」 「もういい」 俺は古泉の話をばっさり切り捨てた。これ以上は絶対に聞かん方がいいだろう。 つか、お前、性格変わってないか? あっそうそう。実は今回、もう一人、特別ゲストが招待されている。 チケット三枚に対して、男女ペアは三組いるのである。 俺はクジで決まっていたハルヒ、古泉は朝比奈さん、で、もう一組は長門と、という訳だが誰だか分かるかい? もし国木田か谷口と思ったなら違うぜ。あの二人はセット扱いだ。さらに一人余る事態を招くだけだからな。 では誰か。 答えはお隣さん。コンピ研の部長さんだ。もちろん、彼もAMIYUのコンサートと聞いて二つ返事でOKしたさ。 ちなみに、なぜ彼なのかというとだな。国木田や谷口以上に部長さんは長門と面識があるからなんだ。 なんせ長門はコンピ研の特別部員だからな。 ましてやこの部長さんには、我らがSOS団団長殿が相当お世話になっている。パソコンのことは勿論、機関誌発行にも力を貸してもらった。 ただ、彼は朝比奈さんに狼藉を働いた(働かさせられたとも言う)身であり、お互い気まずい思いを抱くであろう二人でペアを組ませる訳にもいかず、結果、長門が部長さんとペアを組むことになったんだ。 まあもっとも。 古泉、朝比奈さん、長門、部長さんの席は横並びではあったが、チケット入手方法が違う俺とハルヒはこの四人からはちょっと離れていた。 盛り上がるコンサートの内容の描写は省かせてもらう。 というか、俺も夢中になっていたんで周りに何が起こっていたかなんてさっぱり覚えていないんだ。もちろん、俺だけじゃない。ハルヒも大音量で声援を送っていたさ。 もっともそんなハルヒの声も心地よかったくらいだ。 で、コンサートのラストで、だな。「それでは今回のペアはこの二人にします!」 って、はい!? 壇上からリーダーの平野綾さんが俺とハルヒの座席番号を叫んだのである。 周りからは落胆の声と歓声が沸き起こる。 AMIYUのコンサートではラストに来場したファンの中から一組選ばれて、数多くの課題が書かれた何万通の封筒の中から一つ課題を選び、それをAMIYUと供に実行するというイベントがある。 もっともこれはコンサートの名物であって、これがなかなか大受けしているものなのだ。「ね、ねえキョン……これって……」「いやまあ……これに当たるとはさすがに思ってなかったんだが……」 俺とハルヒは互いに戸惑いながらそんな会話を交わしている。 ただ、その課題にはかなり突拍子もないことも含まれている場合もあるのだが…… 確かあまりに突拍子のないことであれば拒否権を発動して課題チェンジが可能だったよな……? そんないまだに戸惑いの表情を隠せない俺たちの両脇に茅原実里さんと後藤邑子さんがにこやかな笑顔を浮かべながら俺たちをエスコートし始めた。 もうなし崩しに従うしかない。 いったいどんな課題が待っているのだろうか。 不安と期待が渦巻く中、俺たちはAMIYUに囲まれる。 俺たちが並んで立ったところで平野綾さんが俺たちをフルネームで紹介してくれた。 ううむ。本名で呼ばれたのは実に久し振りな気がするぞ。「では封筒を一通選んでください」 後藤邑子さんが朝比奈さんを彷彿とさせる笑顔で甘く甲高い声をあげる。 と、同時にスタッフが数多の封筒が収められた透明のボックスを俺たちの前に置いた。「ハルヒ、お前が引いてくれ」「分かったわ」 言ってハルヒが上部の穴から腕を突っ込み、ガサガサさせることしばし、 そして一通の封筒が、今度は茅原実里さんに手渡される。 その中身は――「――という平野綾さん主演の物語の一番のベストシーンを演じること」 って、ちょっと待てぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ! 長門張りに淡々と読み上げた茅原実里さんの言葉に俺は心の中で絶叫した。 誰がこの封筒を投函したかは知らんがとんでもない課題を突き付けてくれたのものである。確かにアレは名シーンであることは認めるがここで素人にやれと言うのか!? しかも、そのシーンつったら…… あー隣でハルヒも力いっぱい困った顔をしているぞ。 ま、まあ……嫌がってはいないようだが……「あの……本気ですか……?」 気がつけば、俺は観客を盛り上げている平野綾さんに戸惑いの声をかけていた。「何か問題でも?」「いや……大問題だと思うんですが……」「そうかしら? そっちの彼女はまんざらでもない顔しているし大丈夫なんじゃない?」「ええっと……」「それに」 平野綾さんの笑顔の明るさがさらに増した気がする。つか、まるで会心の悪企みを思い付いた時の300ワット増しのハルヒの笑顔とダブるぞ。気のせいか?「今、キミはそっちの彼女のことを下の名前で呼んだわよね? だったらこの課題くらい日常茶飯事の仲なんじゃないの?」 と同時に巻き起こる指笛と口笛の嵐。 待て待て待て。俺とハルヒはまだ……って訳でもないが高校生なんだ。んなこと公衆の面前でやれるほどの度胸を持ち合わせてなどいないぞ。 という俺のツッコミを平野綾さんは聞くことなく再び観客を盛り上げていたのである。 この時点で俺の拒否権発動の権利は完全に失われてしまったようだ。 と、同時に俺とハルヒは控室へと連れて行かれた。 さて、課題に書かれていたシーンがどんなシーンだったのかというと―― 俺たちは着替えもすまされて壇上に再び進まされた。 もう逃げ出すことはできないが、できれば逃げ出したいところである。 マジか? マジでやらなきゃならんのか?「諦めましょキョン。仕方ないじゃない」「お前はいいのか?」「んまあ少しは躊躇う気持ちもあるけど割り切るしかないわね」「割り切りって……んな簡単に……」「何言ってんの。いいこと」 言って、俺の耳を引きちぎらんばかりに自分の口元へと引き寄せるハルヒ。「あたしはあんたが相手じゃなかったら断ってた」 少し頬を染めたハルヒの、俺以外に誰も聞こえないような小声の一言が俺に思い切りを持たせてくれたのは言うまでもない。 平野綾さんが声を張り上げる。「それではセリフはあたしが男の子役を、邑子ちゃんが女の子役をやります! 二人はそれに合わせて演技してくださいね!」 やれやれ。分かったよ。分かりました。 やってやろうじゃないか。もうやけくそだ。 諦観のため息をひとつついて俺はハルヒに向き直る。 ハルヒも俺を上目づかいに見つめた。 そしてハルヒの肩に俺は手を置き、平野綾さんと後藤邑子さんが台本を読みはじめたのである。 とっても豊かに情緒あふれるこのシーンにぴったりな声で。『なによ……』『俺、実はポニーテール萌えなんだ』『なに?』『いつだったかのお前のポニーテールはそりゃもう反則なまでに似合ってたぞ――』 ……たぶん、これがハルヒがAMIYUに共感した一番の理由だな。 そう、俺たちが演じることになったシチュエーションは何故か、去年の五月のあの日、前振りや経過はさておき。この部分だけは俺とハルヒが演技ではなくやったこととまったく同じだったのである。 しみじみと思う――偶然だと信じたい、と――
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