涼宮ハルヒの郷愁
ヒーローの末路と微妙につながってます。
私はいつだって素直じゃなかった。恋心には蓋をしたし、本当の望みは誰にも言わなかった。いつだって、私らしくない行動から外れないように頑張ってきた。そうする事で、絆を確かめるように。けれど、そのせいで私は大切だった人を失った。 ずっと、会えたらいいなとは思っていた。謝りたかったし、きちんと話をしたかった。けれど、あまりに突然すぎた。今日、私はずっと前に別れたはずの恋心に、偶然にも再会してしまう。 《涼宮ハルヒの郷愁》 みんなが隠し事をしたり嘘を吐いている事、知ってた。けれど、私にはそれを責める事ができなかった。人と関わる楽しさを知ってしまったから。人と関わる難しさも知ってしまったから。きっと何かの事情がある、いつか話してくれる、そう信じる事だって出来ていた。どうしてもイライラして仕方がない時は、キョンに当たり散らした。あいつだけは嘘を吐かなかったから。ただ、何も話してくれる事はなかったけれど。それでも、そちらの態度の方が優しい気がして。今考えれば、キョンには親以上に甘えきっていた。ずっとずっと、一緒にいてくれる気がしていた。幻想にも程がある。私はきっとあの間、幸せな夢を見ていたのだ。 いつだったろうか。みんながいつの日か、私から離れて行くと、ある種の確信を持って悟ってしまったのは。あの日感情を暴発させてキョンと向き合った。その結果として私は、多くの物を失ってしまう。醜かっただろう。自分の事しか考えていなかった私の顔は。――――かわいく、なりたかった。 SOS団の中心は、私なんかじゃなかった。キョンがいなきゃ、駄目だった。私はその時、悲しい最後を笑顔で飾れるような可愛い女じゃなかったと、思い知った。 ~~~~ 僕は、涼宮さんと結婚します。機関の力をたくさん借りました。挫けてしまいそうになった事だって、一度や二度ではありません。それでもみんなに、時には涼宮さん自身に励まされ、僕はここにいます。 「買い物を、頼まれてくれませんか?」 このたった一言は、僕の今まで築いてきた幸せをぶち壊す事ができます。今日のために、機関ではどれほど準備を重ねたでしょうか。彼と彼女を、再会させるためだけに。 反対する声も、ない訳ではありませんでした。神はこちらの手の中だ。自由など与えるべきでない。飼い殺しておくべきだと。けれど、発案者が他でもない僕だった事、また、彼女の幸せを願う声が多数を占め、この日を迎える事となりました。気遣いの言葉もたくさんいただきました。お前は本当にそれで良いのかと罵倒された事もありました。 僕は、本当に幸せものです。 仲間に恵まれ、大好きな人の一番近くに居られました。もう、十分なんです。彼と彼女が喧嘩をしたままなんて、駄目です。涼宮さんには、最高に幸せになって欲しい。だから、選ぶ権利がある。僕か、彼かという選択肢。これが例え、僕の未来を壊してしまうとしても。 愛しています。誰よりも。だから、どうか幸せに。 僕の想いが、こうなさいとむずかるから。建て前などでは決してない、恋心が。こんなに悲しくて崩れてしまいそうなのに、どうしてもそれは本心だった。 この哀しみまでも愛そう。溶けて零れたそれを、また飲み干して。その凛とした痛みを持って、僕はあなたを愛す。いつまでも忘れずに、愛し続けましょう。 あんな奴に、頼るのは癪だけど。彼女のためだから。 僕は自分を責め続ける。自分の心に、許しを乞う。 涼宮さんと添い遂げるだなんて、蜜のように甘い夢。流されてしまうであろう、夢。叶える事も出来たのに、叶えなかったと。いつまでも、責める。また、恋をしたいと思えるようにはなるだろうか。 僕は、いいわよと答えた彼女に、満面の笑顔を向けた。ある種の、清々しさを感じながら。恋心に、さようならと独り言ちた。 ―――― 古泉くんに買い物を頼まれた場所は、来た事のない書店だった。然したる疑問はなかったけれど、ちらっとだけ、いつもは一緒に行くのにと思った。もし古泉くんと二人だったら、迷う事なく声を掛けた。今度結婚するの、と言えた。でも一人の時に、私はあいつを見つけてしまって。 「キョン……」 変わってなかった。全然、全然変わってなかった。気怠そうな表情も、ちょっと冴えない格好も。少しだけ、大人になったようには、見えたかな。 ずっと一緒にいられるとおもっていた。根拠なく、このまま時を重ねるのだと信じていた。毎日、あいつと過ごす毎日が楽しかった。キョンの事を、一つ一つ知っていくことが幸せで。もっと、もっと知りたいと願うようになった。すると、キョンの隠し事までがぼんやり見え始めた。あいつの事、知っていると思ってた。毎日一緒にいて、誰より近くで寄り添って。だから、私たちを隔てるその薄い膜を、破り捨ててしまいたいと思った。爪を立てて、甘い声で鳴いて、繋ぎ止めておきたいと。私はどうしようもなく、女だった。涼宮ハルヒで無くなっていく自分を心の片隅で感じると、涙が溢れそうだった。もう、何も信じられなかった。キョンも、自分も、気持ちも、わからなくなってしまった。これは本当に、恋だった?恋とは、愛とは、永久に変わらぬものではなかったのか? そして、いきなり訪れた終焉に、いつの間にか、彼に対する愛は沈んでいく。ふと過ぎるあの日の夕陽のように、それは綺麗な終わりだった。見本みたいに単純な、喧嘩別れだった。未だ忘れられないその景色には、思慕、切なさだけが漂う。今だったら断言できる。確かに愛はそこにあったんだと。 キョンと目が合った瞬間に、足が震えているのを自覚した。 ―――― キョンくんの事が、大好きです。時空を越えた恋、結ばれぬ運命、敵うわけない恋敵。そんなものに、憧れていたのかも知れません。でも、気持ちは本物でした。 笑顔を見る度、心が絞られたようになりました。すれ違う時、微笑みが隠せませんでした。お話をしている時、今この瞬間に世界が滅びたって構わないと思いました。 本当は、言ってしまいたかったの。涼宮さんのいない部室で、二人になれた公園で、あなたが行ってしまった瞬間の部室で。思いを紡いだ言葉をただ一つ、すき、って。けれど、どんなに頑張っても言えなかったです。そっと息が漏れるだけ。月がきれい、とさえも。禁則なのか、私の弱さのためなのか。声はいつも、何処かに消えてしまいました。 苦しかった。届かない思いが、言葉が、恋心が。こんなに苦しいなら、いっそ喋れなくなった方が良いとさえ思った。辛かった。叶わない思いが、願いが、初恋が。こんなに辛いなら、いっそ元あった場所に帰りたいと思った。けれど、許されるわけがなかった。ただ静かに、あの人を忘れる事すら。 涼宮さんとキョンくんが喧嘩をして、そのままSOS団は自然解散。文芸部も廃部となり、私は卒業と同時に未来に帰ります。全ての終わりはあっけなかったけれど、私の心は燻り続けていました。涼宮さんに対する怒りと、キョンくんに対する恋情。どちらも簡単には消えてくれなくて。 こんな気持ちを抱いたまま、私はある場面を監視する事を言い渡されました。時間と座標だけを指定されて、困惑した事を覚えています。ただ見ていろ、決して手を出すなと。 少しだけ怖かったけれど、それでも仕事ですから、私はある本屋さんで待機していました。中には特に知っている人もいなかったし、指定された場所は出入り口近辺からは見えない完全な死角だった事から、きっとポイントはそこだろうとじっと外を見ていました。期待しなかったわけじゃありません。でも、本当に来るとは思わなかったから。 「キョンくん…………」 初めて見る、私より年上の彼でした。それでも、何も変わっていない。あるがままを映す目、優しく差し延べるための手、大きく広がる背中も。私が恋した、彼でした。 そして私と同じように、キョンくんも誰かに目を奪われていました。その視線の先にいるのは、涼宮さん。ハルヒ、と呟く声が脳髄に響いて。彼の声を不快に感じたのは、初めてでした。 「なんでお前、こんな……」「……こっちの台詞よ、バカキョン」 鮮明に聞こえる会話は、憎らしくて疎ましくて、どうしようもなく…………懐かしかった。 「久しぶりだな、元気にしてたか?」「あんたよりはマシな生活送ってるつもりよ」「そうか、よかった」 涼宮さんを見る彼の、そう、その目。愛を注ぐような、焦がれるような。手を触れる事の出来ない物を、大切な物を見る目。私はキョンくんを、こんな目で見られていただろうか。こんなに苦しそうな、こんなに悲しそうな。 「古泉は、元気にしているか?まだ続いてるんだろう?」「…………」 ……そう、あの後涼宮さんは古泉くんと時を過ごすのね。茫然自失といった体でキョンくんを見つめるその姿を見て、私は小さな愉悦を覚えた。神の所有物にならなかった彼は、いまだ切なく笑っていた。辛そうに下を見ている涼宮さん。きっと秤に掛けているのだ。これまでとこれから。女の本能と気持ちとが、彼女の中で喧嘩してる。 これを、見ていろと言うのか。私の礎は、こんな悲劇の上にしか成り立たないと言いたいのか。 「……ハルヒ?」「キョン」 目に涙を浮かべる涼宮さんは、ゆっくりと何度も、存在を確かめるように名を呼ぶ。離れてしまった距離を縮めるために、一歩一歩歩むかのように。 「あたし、あたしすごく嫌な女だわ。今、最低な事しか考えられない」「……ハルヒ」「だって、約束してるの。もうすぐなのよ。日取りだって決まってて、親も古泉くんの事気に入ってるの」 私は、涼宮さんの葛藤を見ています。多分キョンくんよりもずっと近くで。身が千切れてしまうほどの、心痛でしょう。誰でも良いから、ここから救い出して欲しいと願っているのでしょう。 「古泉くんといて、幸せだった。これ以上ないくらい大事にしてもらって、本当に楽しかった。……でも、あたしはっ!」 それでも涼宮さんに必要なのは、自制心でも鍵でも幸せでもなく。足りなかったのは、時間でも枷でも優しさでもなかった。 必要だったのはキョンくん。足りなかったのは勇気。 「あたしは、あんたと……」 漸く届く想い、誰も疑わなかった二人の幸せ。今やっと、かみさまの恋が叶う――――。 「キョン?そんなところで何……、あ」 はずだった、のに。 ―――――― 泣き喚ければよかった。縋って縋って、一緒にいてって甘えられたらよかった。元に戻れるんじゃないかって、恋心が囁いた瞬間に飛び付いてしまえばよかった。少し年をとった佐々木さんは、綺麗だった。幸せを形にしたみたいに。夕飯の材料だろうか、スーパーの袋を持っている。普遍的な幸せの光景。どんなに目を凝らしても、一人分には見えなかった。抱いてしまった青い期待が、私を切り裂いていくのを感じていた。 「そう、佐々木さんと……」 そうだったの、と口が動く。良くあるお話だと思った。中学生の時、仲が良かった友だちと、なんて。良くあるハッピーエンドだと思った。良くあるお話だと思った。大好きなあの人は既に、なんて。良くある喜劇だと、思った。 大丈夫、だった。泣きたかったけど。笑いたかったけど。あいつの事、大好きで大嫌いだった。伝わればいい。私の思いが全て。寂しくなんて、ないって。 ごめんと一言謝って、私は走り去った。血が出ないのが不思議なくらい、痛かった。恋心に諦めなさいと言い聞かせる。彼はもう、十分過ぎる幸せを手に入れていた。 家までの道がやけに長くて。まだ泣けない事をもどかしく思った。 「……すずみやさ、どうして」 何故か玄関先に立っていた古泉くんの胸に、減速もせずに飛び込んだ。ジャケットをぎりぎりと握り締めて息を整えていると、遠慮がちに頭を撫でられた。いつも以上に、優しい手だった。 「……おかえりなさい。どうしたんですか?」 今日は甘えん坊さんですね。そう言って腰を抱く古泉くんの声を呼び水に、私は涙を流す。なんて、嫌な女。酷い奴。それでも、今はこのぬくもりがなければ。そんな自己保身に吐き気を催した。裏切り者の涙は黒いのよ、と言った母の言葉を思い出す。溶けたアイラインが、古泉くんのシャツを汚していくのをぼんやりと自覚していた。 ――― 強請コードで元の時間軸に帰って来た私は、その場にへたりこんだ。知らぬ間に、頬を涙が伝うのを感じていた。 「そんな、そんなのって……」 あの場所で起きたのは、きっと未来を決定する事件。あのまま、涼宮さんとキョンくんは袂を別つのでしょう。もう二度と、会わないかも知れません。あんなに、呼び合っていたのに。声にこそ出さなかったけど、全身でお互いを必要としていたのに。 「これは、あなたの気持ちを前に向かせるための任務でした。……お疲れ様」「他に、どうにかならなかったんですか!だって、そんなわけない!」 涼宮さんがあんな顔をする未来のために、私は頑張ったわけじゃない。それは古泉くんも、長門さんだってそうだ。みんな、あの太陽のような笑顔のためにそこにいたんだ。こんなの酷い。こんなのって、ないよ。 「未来は、決まっていました。今日起きたのは、瑣末な事です。本当なら、見に行く必要もないくらい」「キョンくんと涼宮さんは、結ばれないって言うんですか!絶対に、何があっても!」「そうです。道は二つ、あなたがそこから飛び出すか、佐々木さんが現れるか」「わ、私がですか?」「その場合も、彼女は彼を諦めます。そして、キョンくんはあなたに感謝するのよ。《ありがとうございます。何のためにあいつから離れたのか、忘れる所でした》みたいにね。そして、思うでしょう。自分と涼宮さんは、決して結ばれない定めだったのだと」 未来が決めた、結末だったのだと。 「どちらでも、良かった。けれど、命令違反がない方が、あなたにとっては良かったでしょうね」「なんで、こんな事に……」 ずっと、恋敵だと思っていた。涼宮さんを本気で憎んだ事だってある。なのに、今、胸にあるこの気持ちは、そんなものではなかった。鮮烈な悲しみ、そして共感だった。もう、恋心は形を変えていた。キョンくんに対しての狂おしい気持ちなど、無くなっていた。あなたに一番に幸せになって欲しい。私が隣にいなくていい。涼宮さんの幸せがあなたの幸せだと言うのなら、そのために。 「……報告書、書きます」「よろしくね」「次のお仕事は、なんですか」「あら、何だかやる気ね」「今日から、いっぱい頑張ります。勉強もします。どんなお仕事でも文句なんか言いません。できる限りの努力をします」 未来を、変えようと。私は上司の椅子を指差して、伝えた。 「そこに、座ります。彼を幸せにしてみせます。私が、絶対に」「……そう。頑張ってね」 踵を返し、燃えるような眼で先を見据える私は、知らなかった。何も、知らなかった。 変えられるといいな。願望を実現する能力など、いらないでしょう?佐々木さん。彼女は、小さく祈っただけなのに。彼を不幸にしたいだなんて、思わなかったはずなんだ。それでも、悲劇は起きてしまった。 「キョンくん……」 狭い部屋に響く想い人の名前は、夜空を焦がすような熱を持っていた。永遠なんてあるわけがないと知っていても、それでも思ってしまう。この思いはどんなに時間が経っても、消えてなどくれないのではないかと。 昔を懐かしく、思っていた。幸せだった。この幸せが続くと思っていた。どうか、神様。あなたがしあわせでありますよう、ここから祈らせてください。 そんな事を、世界の片隅で思った。
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