胡蝶の夢
『抜け殻』シリーズ、『羽化』の続きになります。
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『胡蝶の夢』「なによ、あんた『来れない』ってどういうことよ!」「だから、ちょっと親戚の法事にだな……」「SOS団の活動より法事を優先するつもり? それにせっかく有希のいとこちゃんが来てくれるって言うのに」「だから、すまん。今回はどうしても……」「……うん、まぁ、いいわ。家庭の都合であれば仕方ないわね。あたしもそこまで無理を言うつもりはないわ。でも、次は必ず来なさいよ。でないと死刑よ。い い?」ハルヒはちらっと横を見ると、「有希からも言ってやって」「次は来て」いつものように分厚い本から顔を上げた長門は、俺の目をじっと見据えてそっと言った。「死刑だから」「な、長門……」こいつ、全ての事情を知った上でそこまで言うつもりかよ。なかなかやるじゃないか、この有機アンドロイド。うつむいて再び読書に戻った長門の短い髪がわずかに小刻みに揺れているのを眺めながら、俺は溜息をつくしかなかった。二学期の終業日を迎えた年末間近の部室で、年末年始の予定を相談する臨時会議が開かれた。最優先の議題は、この前、ハルヒが出会ったという長門のいと こ、未希の歓迎をどうするか、ということ。そう、もちろんその長門のいとこと称する謎の少女の正体は、長門の抜け殻を着込んだ俺なわけだから、二人同時に存在することはできない。先日、運悪くハ ルヒに出会ったおかげで、このような事態を招く結果となってしまったわけだ。事前に長門と相談し、おそらくはハルヒの興味は長門のいとこに集中しているはずだから、今回はそちらが優先で、適当な理屈をつけて俺が欠席してもハルヒ 的には問題は発生しないだろうと結論を得ていた。確かに、若干のいやみは言われつつも、ハルヒは納得してくれたようだ。が、長門のやつはそんな事情を知った上で、『次は来て、死刑だから』なんてことシ レっと言うし。「へぇー、長門さんのいとこさんなんですかぁ。会ってみたいですねー」朝比奈さんは、無邪気な笑顔を浮かべながら話を聞いてくれている。情報統合思念体の有機アンドロイドである長門のいとこ、いう点に多少は疑問を持ってい てくれると信じたいが、この人だけは、ホントに意識していないかも知れない。そういうところも含めて未来から来たマイエンジェルの魅力だったりするわけだ が。古泉はいつものように、訳知り顔でニヤけている。こいつは、そもそもの事情も先日の騒動も知っているわけだから、あとで詳細について説明しておいたほう がよさそうだ。そんなことを考えながら、俺は軽く腕組みをして俯くしかなかったのだが、再びハルヒの声が、時折寒風が窓を打つ部室に響いた。「とにかく、あしたは十時に集合だから、遅れないように」そこでまた長門の方に振り返ったハルヒは、「有希、未希ちゃんと一緒に来てね」「了解した」そう答えた長門は、ハルヒではなくて俺の方をじっと見つめていた。そして翌日。俺は朝九時過ぎに長門のマンションを訪れた。長門未希に変身するために、だ。長門は特に何も語ることもなくいつもの無言を貫き通しながら、俺を殺風景なリビングに迎え入れてくれた。「すまんな、いつもいつも」「構わない」いつものコタツ机の上には、すでに例の小箱が一つ置かれている。ブルーの淡い光に輝くその小箱には、長門の使用済み体表保護皮膜とやらが納められてい る。俺は、お茶を淹れてくれている長門を待つ間、騒動の元となっている小箱をじっと見つめていた。長門が俺の部屋で脱皮したあとに残されたこの抜け殻で、俺 は助けられたり、ひどい目にあったりといろいろ経験させてもらった。今になってみればいい思い出だった、といつの日か言える時が来るのだろうか。手に取った小箱の角をそっと撫でながら、俺のそんなささやかな望みを心の中にしまいこんだところで、長門がお盆に湯飲みを載せてリビングに戻って来た。「どうぞ」長門が差し出してくれた馴染みの湯のみを手に取り、暖かいお茶を一口すすった。「なぁ、長門、未希はいつまでここにいることになっているんだ?」「それはあなた次第」机の上の湯飲みを大事そうに両手で包み込みながら、きりりと背筋を伸ばした有機アンドロイドは、涼しげな瞳で俺のことを見つめている。「必要とあればいつでも変身することは可能」「そんな事態は、もう勘弁願いたいところだが」俺の言葉を聞きながら、長門は小さく首をかしげている。「とにかく、この正月休みが終わったら、いったん未希にはここから離れてもらうことにしないとな。俺もそう何度も女装はしたくないからさ」今度は小さくうなずく長門。厳密に言うと女装とは少し違う気がするが、まぁ、似たようなもんだ。この間はハルヒの反応が面白かったからついつい調子に乗って『長門未希』を演じ続け てしまったが、こんなことはそう何度もやるもんじゃないし、したくはない。「そろそろ時間」「そ、そうか」ちょうどお茶を飲みきったところでタイムキーパー長門が時間を告げてくれた。「また、和室を借りるぜ」「どうぞ。着替える服も用意している」「うん、すまない」立ち上がった俺は、トイレを済ました後、和室へと向かった。だって、抜け殻を着込むとトイレに行くのも一苦労だからな。和室の長押には、ハルヒが見立ててくれて長門が買ってくれた丈の長い淡いパープルのニットジャケットがハンガーに掛けられている。宇宙人も長押にハン ガーを掛けるのか、なんてことがふと頭の中に浮かんで、俺は、少しばかり感心した。その服の下、壁際の畳の上にはハイネックのボーダーカラーの長Tシャツに、デニムのスカート、それに黒のタイツが置いてあった。「これを着るのか……」長門本人が着ていれば確かにそれなりのレベルに達しているように見える衣装だが、俺が着るんだよな、これ。なんだかなぁ、まったく。ひとつ溜息をつくと、まずは自分の着ている服を脱ぎ、素っ裸になった。長門は気をきかして和室にも暖房を入れてくれていたので寒くはなかったが、それで も少し急いで小箱から長門の抜け殻を取り出した。すーっと音もなくたたみの上に広がって、うつ伏せに寝ている薄い肌色の半透明な長門の抜け殻。スレンダーな長門の体のラインが和室のやわらかい照明の下 でくっきりと浮かび上がっている。素っ裸の俺の前に、素っ裸の長門の抜け殻が横たわっている情景は、どう考えても不思議な、いや、異常な光景だ。抜け殻の背中の裂け目から右足を突っ込みながら、俺はいつも以上に妙な感覚にとらわれていた。何度か長門の抜け殻を着ているが、なんとなく、長門とは他 人ではないような、そう、まさしく体の内側から繋がっている様な親近感、というか一体感というやつだ。左足も入れて、下半身を手繰り上げ、腰の辺りまで抜け殻の装着が完了する。足や腰骨辺りをそっとさすってみるが、本当にきめ細かくてつるつるだ。毎度の 事ながら、おかしな気分になりそうなのをグッとこらえて、次に上半身にとりかかる。右手、左手と順につなぎの作業着に袖を通すように入れていき、最後に頭をかぶる。目や口の位置を合わせて、最後に首筋と肩の辺りのフィット感を修正して 完了だ。この一連の作業にすっかり慣れてしまったのは喜ぶべきか、悲しむべきか……。指先や膝の辺りのねじれ感を直しながら、早いところ服も着ようと思って、下着に手を伸ばしたところで、「できた?」と、後方から長門の声が。慌てて振り返ると、少し開いた襖の隙間から、長門が覗き込んでいる。「えっ? あ、あの、ちょ、ちょっと」思わず胸と股間を隠すように手をあててしゃがみこんでしまった。よくよく考えると胸を隠す必要はないような気もするが……。「な、長門、覗くなって、恥ずかしいから。早く閉めろ」すでに抜け殻を着込んでいるので、俺の声も女声になっている。ただ、話し方は俺のままだが。「そう? 今は女同士。何も恥ずかしいことはない」「いや、あのなぁ……」「何か、手伝う?」「いいよ、一人でやるから」「わからないことがあれば呼んで」「わかった、わかったから引っ込めって」最後に長門はパチリと瞬きをひとつすると、襖の向こうに消えていった。何なんだよ、ほんとに。女同士だって? 宇宙人製の有機アンドロイドと、その抜け殻を着込んだ地球人の平凡な男だぜ、それでも女同士って言っていいの か?チンタラしているとまた長門が乗り込んできそうなので、俺は急いで衣装を身に着けた。鏡がないので出来上がりを確認することはできなかったが、たぶんこ の服の着方はこれで間違っていないはずだ。俺がやっとのことで身なりを整えてリビングに戻ると、制服にカーディガン、その上にダッフルを羽織った長門が既に待っていた。「では、出発」「うん、未希、よく似合ってるわ。さすがあたしが見立てただけはあるわね」「ありがとうございます、涼宮さん」駅前の集合場所に到着した俺と長門を待っていたハルヒは、開口一番、自分の手柄を自画自賛している。確かにハルヒの見立てもいいが、それを着こなしてい る素材が良いんだよ。いや、俺じゃなくて長門の抜け殻だが……。「紹介するわ、こっちがみくるちゃんにそっちが古泉くん。あたしと有希のことは知らないわけはないよね」「長門未希です」「朝比奈みくるです。よろしくお願いします。それにしても、未希さん、ホントに長門さんにそっくりですね」「よろしくお願いしますぅ」お互いにぺこりと頭を下げて初対面の挨拶をしたわけだが、いまだにこの状況に疑問をさしはさむことなく、無邪気に受け入れている朝比奈さんはやはり強力 だ。「古泉です。よろしくお願いします」「こちらこそ」にっこりとやや控え目な笑顔を浮かべた古泉は、じっと俺のことを見つめている。こいつのことだからきっと、未希の中身が俺であることはうすうす理解して いるはずだ。「長門未希です、よろしくお願いしまーす」それにしても、こんな女言葉を続けなければならないのは、もう本当にこれっきりにして欲しい。「あと、今日は勝手な自己都合で来てないけど、キョンっていうやつがいるの。SOS団の金庫番かつ雑用係ね」なぁにぃ、金庫番だぁ? 俺はSOS団の金庫の管理をしてるんじゃなくて、単なる金庫扱いにされているだけだろうが。それに『やつ』呼ばわりかよ。「まぁ、いいやつだから、今度来たらあらためて紹介するわ」「はい」『いいやつ』ね、フォローありがとよ、ハルヒ。「それで、今日はこのあとどうするのですか」と、古泉。「ううーん、そうね、SOS団の活動の基本は、この世の不思議を発見することだけど、今日は未希の歓迎が目的だから、普通にどこかに遊びに行くことにする わ」ハルヒは両手を腰に当てて大きく肯きながらそう宣言した。しかし、探索だなんだと言っても結局いつも遊んでいるだけのような気がするのは俺だけではある まい。「それで、どこか面白いところはないかしら」ノーアイデアか。「そうですね、ここはやはり今日の主役である未希さんのご希望に沿うのがよろしいかと」「えっ?」こら、古泉、こっちに話を振るんじゃない。「うん、それはそうね。ありがと、古泉くん」そう言ってからこっちに振り返ったハルヒは、「未希、どこか行きたいところとか、やりたいこととかない?」「うん、いや、そうですねー……」そんなもん、何も用意してないし考えてもいなかった。「何かない?」畳み掛けるハルヒ。そうだ、さっき割引券付のティッシュを配っていたな……。「えっと、じゃあ、カラオケとか……」「オッケー、じゃ、決まりね」即断即決即行動。いかにもハルヒだ。「行くわよー、遅れちゃだめよ」ハルヒは俺の手を取ると、先頭を切って駅前広場を後にした。「じゃ、次は未希よ!」「はい! 涼宮さん、また一緒にどうですか?」「もちろん!」「「Hyper Driver! いきます!!」」俺はハルヒと並んでモニタテレビの前でアップテンポなリズムに体を揺らし、テレビに流れる歌詞とハルヒを交互に見つめながら、朝比奈さんの手拍子に乗せ てまた一曲、歌い上げた。
本来、俺はあんまりカラオケには行かないし、行ってもそれほど歌うほうじゃない。なんとなく人前で歌うことに照れや恥ずかしさもあったと思う。決して歌 も上手いわけでもないしな。だが、今こうして長門の抜け殻を着ることにより、自らの殻を脱ぎ捨てることができたようだ。まぁ、やけくそ、というべきなのかもしれないが。一曲目は、歌い始めこそびくびくだったが、歌っているうちにどんどん調子が上がってきた。自分の曲を入れ終わったハルヒが途中から一緒に歌い始めると、 ますます盛り上がった。それで弾けた。音を立てて心のタガが外れたのがわかった。もういい、今日一日は『長門未希』としてとことんやってやる!それ以降は、自分が入れた曲であろうがハルヒが勝手に入れた曲であろうが、ひたすら歌い続けた。朝比奈さんとデュエットしたり、古泉と歌うこともあっ た。「♪……ーここはうらぎりのー……」今はあの長門が歌っている。このノリのなかでも直立不動の姿勢で冷静そのもの、そして抑揚とメリハリのない平板な歌い方なのだが、それでも音程を外す様 なことは決してないと思う。なんたって最高レベルの出来を誇るアンドロイドだ。絶対音感を持っているに違いない。俺がオレンジジュースを飲みながら、長門の歌声を聞いていると、隣の古泉が、そっと話しかけてきた。「未希さん、ちょっといいですか」「はい?」そこで古泉はチラッとハルヒの方を確認するように振り返った。ハルヒは朝比奈さんと一緒に次の曲選びに没頭しているようで、こっちの様子も長門の歌も気 にしていていないようだった。「念のため確認しておきたいのですが……」そういってさらに俺の方に体を寄せてきた古泉は、声を潜めて、「もし、これから僕がお尋ねする話が何のことかわからないようでしたら、とりあえず聞き流してください。よろしいでしょうか……。未希さん 実はあなたは長門さんの抜け殻を着た……」ふむ、やはり古泉は気付いていたか。まぁ、当然だな。「そうだよ、俺だよ」俺も声のトーンを落として、久々の俺自身の口調に戻した。「やはりそうでしたか。いや、それが確認できれば十分です」古泉は、ジンジャエールのグラスに刺さったストローをくるくると回しながら、「長門さんそっくりの未希さんが登場、ただしあなたは欠席、ということですから、容易に推測はできましたが」そういって、ジンジャエールを一口すすると、俺の瞳を覗き込むように話を続けた。「それにしても、見事な変身ぶりです。先日のような事態に巻き込まれても、完璧に敵を出し抜くことができるのではないでしょうか」そこで小さくうなずいた古泉は、さらに話を続けた。「小柄になった身長や声質の変化は長門さんの力によるものでしょうが、女性らしい話し方自体は、あなた自身の能力によるものですね。見事なものです」「ふん、これはこれで大変なんだぜ」「ひょっとして実はあなたには、潜在的にそのような趣味、嗜好があるのではないですか?」「馬鹿なことを言うな、そんなもん、あるか!」「あははは、それを聞いて安心です」「なにが『安心』なんだよ」歌が終わって席に戻ろうとした長門を強引に引っ張り込んだハルヒは、朝比奈さんと三人で並んで少し前にはやったアニメの主題歌を歌い始めた。その様子を俺は古泉と二人で少しあきれ気味に眺めていた。「涼宮さん、すっかり未希さんのことがお気に入りのようですね」「そうか?」「そうですよ。もう、なんというか、仲の良い姉妹というか恋人同士というか……」「単に未希という新しいおもちゃを手に入れて、はしゃいでるだけじゃないのか?」「いえ、僕の見たところ、涼宮さんは、未希さんの中に存在するあなたを無意識のうちに感じていらっしゃる、そう思われます点が多々見られます」「なんだって?」「未希さんの実体はあなたなのだから、お二人の相性は悪いはずはありません。なんといっても、涼宮さんにとって重要な鍵ですからね、あなたは」フフッと勝手に全てを理解したような笑みを浮かべた古泉は、「涼宮さんは未希さんという仮面を経由して、あなたとの楽しいひと時を満喫していらっしゃいます。いいことではないですか」「…………」相変わらずの古泉のご都合主義的な解釈には辟易させられる。そもそも俺がハルヒの鍵だ、という点からして、俺は理解も納得していない。あくまでも機関と か宇宙人や未来人組織とかの勝手なステークホルダーたちがそれぞれに勝手に言っているだけだ。「あのな、古泉……」と、話し始めたところで、マイク越しのハルヒの怒鳴り声がボックス内に響き渡った。「ちょっとー、そこの二人、さっきから何をコソコソ話しこんでるのよ」間奏にさしかかった瞬間、ハルヒは、テーブルの隅に座っていた俺たちの方を睨みつけ、手にしたマイクを突きつけながら、「古泉くん、あたしの未希にちょっかいは出さないでね」「あはは、すみません。決してそのようなつもりはありませんので……」あわてたように右手を突き出し二・三回左右に振って否定のサインをハルヒに送った古泉は、再び歌に戻ったハルヒの姿を確認した後、「『あたしの未希』ですか……」といって、肩をすくめた。「なんだよ」「やはり涼宮さんは、未希さんの中のあなたの存在をしっかりと認識しておられるのですね」「だーかーら、バカなことを言うなって」古泉を睨みつけた俺が発しようとした次の一言は、再びハルヒの怒声にさえぎられた。「こらぁ、未希もこっち来て一緒に歌いなさい!」
その後、何曲ぐらい歌ったのだろうか。こうして、ひとしきりカラオケを楽しんだ後は、昼飯を食い、近くのショッピングモール内のゲーセンでプリクラを撮りまくった。それにしても、未希の姿でよかった。もし、この場に本来の俺がいたなら、どれほどの金が俺の財布から旅立ったことだろう。はやく金庫番に出世したいもの だ。「さすがにちょっと疲れたわね」夕方近くになってバッティングセンターを出たときに、ハルヒは、うーん、と背伸びをしながら、「でも楽しかったわ」結局、あの夏休み最後の二週間にわたる無間地獄のうちの数日分のメニューを一日に詰め込まれ、強引に消化させられた。張本人のハルヒでさえ『ちょっと疲 れた』とのたまうぐらいなのだから、朝比奈さんはぼろぼろに近い状態だ。俺と古泉も似たり寄ったり、ただ長門だけは、朝の集合時と変わらない無表情でハル ヒの後姿を見つめていた。「ええ、ホントに疲れました」体力的にも、そして精神的にも疲れた俺は、本心からの言葉が自然と口をついて出た。「こんな時は、ゆっくりとお風呂に入って、癒されたいですよねー」「えっ?」と、振り向いたハルヒの目に、きらきらと輝きがあふれ出したのを、俺は見逃さなかった。俺は、この期に及んで何かハルヒに餌を与えてしまったのか?「うん、それはいいわね、未希!」そこでハルヒは長門に向かって、「有希、有希んちでお風呂、入ろうか? シャワーでもいいけど。どう、いいでしょ?」「……いい」ほんの一瞬のためらいの後、首肯する長門。「古泉くんには悪いけど、女同士で入るからね!」なに?「どうぞ、僕には遠慮なさらずに」ちょっと待て! 俺も、含まれているのか、その『女同士』に? ハルヒや、長門や、あ、朝比奈さんと一緒にか? 混浴でいいのか?「じゃ、行くわよー」ハルヒは、疲れて歩くこともままならないような様子の朝比奈さんを引きずるような勢いで引っ張っていった。SOS団の三人の女神と混浴させてもらえるのか、と、至福の時を妄想し鼻の下がぐおーんと伸びたのがわかった。が、現状の俺の姿をハタと考えて、伸びた 分以上に体中が縮んでしまった。今は服を着ているのでごまかすことができている。だが、裸になれば、背中の裂け目は目に付くはずだし、体のラインも一部の造りも女性のものでないことが わかってしまう。まぁ、ペったんこの胸はまだしも、下の方の、その、微妙なもっこり感はごまかしようがない。しかもだ、女神たちの無垢なお姿を目の当たり にしたときに、どんな反応を示すか、想像もしたくない。幸いなことに、ハルヒは朝比奈さんをおもちゃしながら先頭をずんずん進んでいる。これ幸いと俺は少し遅れて歩いていた長門に並んで、「長門、俺、どうすればいい?」「あなたはあなたの望むままにすればいい」僅かに俺の方に視線を向ける長門。「あなたはわたしたちと一緒に入浴したいと考えているはず。そもそもこれはあなたの提案によるもの」「いや待て、長門。それはちょっと……」「違わない、はず。どう?」ん? どうって……、そう、そりゃ一緒に、って、だからそうじゃなくて……、「ば、ばれるだろ、裸になれば。どう見ても純粋な女の体ではないし、万が一、ハルヒが背中の裂け目に気付いて、抜け殻、ひんむかれたらさ、出てくるのは俺 だぜ。そうなれば、俺はまたハルヒに何をされるのか、無茶苦茶にされるかもしれないし」俺がそこまで一気にまくし立てると、長門はいつも以上に漆黒の瞳を輝かせて、一言。「大丈夫、わたしがさせない」「…………」そうか、長門、俺のためにそこまでの決心を示してくれるのか。ありがとうよ。だが、本来、長門の能力はこんなことのために使われるべきではないはずだ。ま、当人がそう言ってくれるのなら、謹んで受け入れることとしよう。こうして俺たち五人は、夕暮れの街を長門のマンションへと向かった。長門のマンションに到着し、リビングで朝比奈さんが入れてくれたありがたいお茶をいただいて、やっと一息つくことができた。丸一日あれこれと飛び回った おかげで、足がだるくて仕方ない。だが、抜け殻のフィット感は変わりなく、むしろ、より肌に馴染んだ気もする。コタツのお誕生日席に鎮座するハルヒは、少しのけぞるようにしてフローリングに後ろ手に両手をつき、並んで座っている俺と長門を品定めしながら、「あらためて見ても、未希って有希とそっくりね。ホントに双子じゃないの?」「え、ええ。よく言われるんですが、本当に双子ではないんです」「前にも言ったことがあったと思うけど、双子にしておきなさいよ、この際だからさ」いやいや、この際もどの際あるか。しかし、ハルヒは変な願望を現実化することがあるらしいから、油断していると、俺は本当に長門と双子の姉妹にされてし まうかもしれない。「そうだ、未希、あんた眼鏡かけてみたら? そうすれば有希と区別がつきやすいし」乗り出したハルヒは、長門に向かって、「有希、前に使ってた眼鏡、持ってないの?」「ある」「貸して」「待って」すっと立ち上がった長門は、廊下の向こうに消えていき、すぐに見たことのあるあの懐かしい眼鏡を持って戻ってきた。何から再構成したのか少し気なった が……。「それそれ! ちょっと、ほら!」長門の手から眼鏡を受け取ったハルヒは、俺の顔に向かって突き出してきた。もう少しで眼鏡のつるが目に刺さるところだったが、とりあえずは、無事に眼鏡 を装着することができた。ん? 度は入ってないな。長門がかけていたときはどうだったんだろう。「あは、未希、似合ってるわ。というか、昔の有希が戻ってきたみたいね。これからずっと眼鏡かけときなさいよ」俺は少し戸惑いながら隣の長門に振り向くと、長門もこっちを見て微妙に首を傾けていた。俺的には長門に眼鏡はいらないな、やっぱり。
その時、お風呂が沸いたことを知らせる軽やかなチャイムがリビングに響いた。「さぁ、入ろうか。みくるちゃん、有希、未希」ポンと机の上に手をついて立ち上がったハルヒは、「古泉くん、ちょっと待っててね。なんなら一緒に入ってみる?」「いえいえ、さすがにそれはご遠慮しておきます」ハルヒの申し出に、あからさまに驚きの表情を浮かべている朝比奈さんの様子を見ながら、古泉はそう答えた後、ちらりと俺の方に視線を向けた。うらやまし いとでも思っているのか?「有希?」「お先にどうぞ。わたしと未希は少し着替えとかを準備するから」「あ、そう。じゃあみくるちゃん、行くわよ」「はい。長門さん、お先に、です」そういい残して、ハルヒと朝比奈さんは浴室へと消えて行った。「では、準備を」「どうぞ、僕にはお構いなく。しばらくここでのんびりさせてもらいますので」「すまんな、古泉」「お気をつけて」何に気をつければいいのかよくわからないが、俺は長門に続いて和室へと向かった。「で、どうする?」「とりあえず、見た目の不自然さを解消するための処理を行う」「だから?」「背中を出して」「わかった」俺は、着ていた服をストンと脱ぎ捨てると、下着姿で長門の前に後ろ向きに立った。「よろしく頼む」長門は俺の左肩に手を乗せると、背中にある抜け殻の裂け目をつまんで、小さく噛んだのがわかった。また、ナノマシンか? これで裂け目は一時的にしろふさがるのか。便利なものだ。で、次は? と考えたところで俺は息を呑んだ。残されたもうひとつの不 自然な部分って…………。か、噛まれるのか? 俺の……が、な、長門に?その事実に気付いて愕然とした俺は、あわてて振り返りながら、自然と股間に手が伸びるのを意識した。「お、おい、長門?」だが、伸ばした手の先には、あのもっこり感は存在しなかった。「えっ!?」恐る恐る下を向くと、そこには女物のパンツを身に着けた、不要なものをそぎ落とし、すっきりと女性化したらしい俺の下半身しかなかった。「こ、これは、長門、いったい何を……」「大丈夫、一時的に加工しただけ。数時間後には元に戻るようにナノマシンを設定している」目の前の長門は、いつものように僅かに首をかしげながら、「胸もあるので安心して」平板だった胸も、確かに僅かだがふくらんでいる。さっき、背中を噛まれた時に一緒にいろいろ細工されたというのか。ううむ。これでこれ以上は長門に変なところを噛まれたり、いじくられたりすることがなくなったわけだが、そのことを少しばかり落胆している俺って、まだ、正常さ を失っていないと理解していいのだろう。「おそらく涼宮ハルヒは、直接あなたの体に触れるはず。したがって、以前のような屈折率を利用した単なる見た目のごまかしではなく、可能な範囲で物理的に 体躯を変形させた。痛みなどはないはず。どう?」「う、うん。大丈夫だ、痛くはない、どこも……」俺は体のあちこちを触りながら、どこにも異常がないことを確認した。「本当に元通りに戻るんだろうな」「大丈夫」長門の太鼓判は何よりも信頼していいはずだ。「よろしく頼む」「では、入浴に……」長門に続いて和室を出ようとして、俺は下着姿であること気付いた。リビングには古泉がいる。やつに俺のこの姿を見られるわけにはいかない。再び服を着た俺は、少し遅れて和室を飛び出した。長門のマンションの浴室は、それほど狭くはないが、さすがに四人では入ることまで想定されてはいない。したがって、俺は至近距離でSOS団の女神たちの お姿を拝見させてもらっている。僅かに湯気でかすむ中、俺のほんの少し前には、髪をふんわりとアップにしている朝比奈さんが少し恥じながら微笑んでいらっしゃる。その向こう側、扉の近 くにはすらりとしたスレンダーなたたずまいを見せる長門が、体育すわりで少し心配そうな表情を浮かべてこっちを向いている。そして俺の隣で一緒に湯船に肩 まで入っているのはハルヒだ。SOS団の三人の美女たち、水着やバニー姿もそれはもう刺激的だったりするのだが、さすがに一糸も纏わぬ姿は強烈すぎる。俺は今、目の前に広がるこの光景を一生忘れまいと、たいした容量もない俺の脳内メモリにしっかりを記録し、ロックしておこうと努力していた。だが、そんな俺の努力を無に帰すかのように、ハルヒはいきなり俺の胸をむんずとつかむと、「やっぱり、胸はみくるちゃんの方がいいわね」と、いって最後は指でピンとはじきやがった。そして湯船から身を乗り出すと、今度は朝比奈さんの星型のほくろを指先でツンツンしている。「いや、あ、あの涼宮さん……」湯船から飛び出したハルヒの上半身と、身をよじる朝比奈さんのお姿に、俺はいよいよもってどうにかなりそうだった。いや、すでにもう限界を超えている。 このままここにいると、もう……。「す、すみません、あたし、先に出ますね」「えー、未希、もう少し一緒にいなさいよ」湯船から立ち上がった俺の腰の辺りにハルヒが巻きつく。だから、もう限界だって……。バランスを失った俺は、朝比奈さんの胸に顔をうずめるようにして、やっとのことで体勢を立て直した。巨大マシュマロのとてつもなくふんわりした感触を頬 に感じていると、「きゃぁ、だ、大丈夫ですかぁ、未希さぁん……」と、朝比奈さんが俺の肩を包み込んでくれる……。だ、だから大丈夫じゃないです、もう、勘弁してください……。「すみません、涼宮さん、朝比奈さん、お先に――」ふらふらの俺を長門が抱きかかえるようにして浴室から連れ出してくれた。すまん、長門、また助けられたな……。長門に介抱されながらやっとのことでパラダイスを後にした俺は、リビングのコタツに突っ伏してしばらく放心状態だった。古泉が気を利かして持ってきてく れた冷たいお茶を飲んでも、心と体の火照りはなかなか収まりそうになかった。しばらくすると、ハルヒがバスタオルで、濡れた髪をポンポンと押さえながらリビングに戻って来た。まるで自分ん家の風呂上りのようにリラックスしている な。「ふぅー、気持ちよかったー。それにしても、未希、大丈夫?」「え、ええ。ちょっと興奮してのぼせたみたい……」俺はひとまずそう答えたが、何に興奮したのかは、たぶん、俺の考えとハルヒの考えていることは違うだろう。「うん、興奮するほど楽しかったものね。やっぱり、裸の付き合いは人間関係の基本だわ」「そうですね」楽しかった? 確かに夢のようなひと時であったのだが、強烈すぎて一部の記憶が飛んでしまっている感じがする。過ぎたるは及ばざるが如し、だ。何事も度 を越すとよくない。その後、腹が減ったというハルヒの要望を受けて、デリバリのピザを注文することになった。それにしても、届いた三枚のピザの代金の払いが、なぜか割り勘になるのは納得いかない。俺がいる、いないでこうも金の扱いが違うのかよ。まぁ、疲れた体に、こってりチーズはうまいはずだし、俺の分の勘定は長門が払ってくれたのでよしとしよう。「おいしいですね、チーズがとろけて」フォークを使ってお上品に召し上がる朝比奈さんに向かって、「ちょっと、みくるちゃん、ピザっていうのはね、こうして手で持ってガツガツ食うもんよ」ガツガツはお前だけだと思うが何も言うまい。朝比奈さんは、ハルヒの言葉に従って次の一枚を手で口元に運びながら、「今日は楽しかったですよね」という朝比奈さんに向かってハルヒは、「うん、そうね。でも確かに楽しかったんだけど、一つ気に入らないことは、SOS団が全員揃ってないことよ。これは許しがたいことだわ」うぐっ。アンチョビがのどにささるではないか。「ということで、お正月には初詣に行くから、また来てよね、未希。その時には、今日欠席したアホキョンも連れてくるからさ」「あ、はい……」ううむ、どうする…………。デザートにピザと一緒に注文しておいたアイスクリームを食べ、シメに朝比奈さんのお茶をいただいて、やっと長い一日が終わった。「お疲れー、じゃ、またお正月に」朝比奈さんとお別れするのは名残惜しいが、帰って行くハルヒたちを俺は長門と一緒に見送った。ただ、次回の初詣イベントに対する作戦を考えないといけないので、いったんはハルヒたちとマンションを出た後、古泉だけは再び長門の部屋に戻ってくるよ う話をつけておいた。その古泉が戻ってくるまでの間に、俺は抜け殻から解放され、本来の俺に戻った。一日お世話になった長門の抜け殻を小箱にしまうために丁寧にたたみなが ら、俺は今日の出来事を反芻し、特に混浴パラダイスの記憶がまだ残されているのを確認することができた。だが、正月の初詣のことを考えると、パラダイスの記憶が徐々に薄れていく気がしてしかたがないのだが……。元の姿に戻った俺が、和室からリビングに戻るとほぼ同時に、古泉がマンションの玄関のチャイムを鳴らした。長門に迎え入れられた古泉はリビングの俺の姿を認めると、「やぁ、今日はお疲れ様でした。なにかすごく懐かしい気がしますね」「ふん、そうかい」「それにしてもお見事でした」そういいながら、古泉もコタツ机のいつもの場所に腰を下ろした。「いい思いもなされたようですし、よかったんじゃないですか」「まぁな」「涼宮さんもすこぶるご機嫌でしたし、今日は言うことなしですね。あなたにはいつもながら感謝の言葉もないです」古泉の大げさな感謝なんかはどうでもいい。心配は次の集まりだ。少しすると三人分の湯のみをお盆にのせた長門もリビングに戻ってきた。朝比奈さんのお茶とは一味違う長門のお茶を堪能しつつ、俺は当面の課題を切り出した。「初詣には、俺が行かないといけないようだな」「そうですね。次回はあなたに登場していただかないと、涼宮さんはおそらく……」そこで言葉が途切れた古泉は少し心配そうな表情で俯いた。「どうする、長門? 未希と俺は同時には存在できないぜ」俺の分身までひねり出す呪文は存在しないのか、使用したくないのかわからないが、長門は珍しく少し困ったような表情を浮かべている。当然、ちょっと見は 普段とは変わらないが。「古泉、今度はお前が着ろよ、これ」机の上の青い小箱を指差しながら、俺は古泉に言ってやった。「実はお前も着てみたいんじゃないのか?」「め、滅相もありません。僕にはとてもあなたほどのパフォーマンスを演じる実力はありませんよ。まったくをもって力不足です。それにそもそも次回はあなた も僕も含めてSOS団全員参加が必須条件ですからね、僕が未希さんになっても事態は解決しませんよ」そこまで言った古泉は、ふと何かを思いついたような様子で小さな希望の笑みを浮かべた。「古泉?」「え、ええ、あのですね。もし、あなたのこの抜け殻を貸していただければ、機関の方で替え玉を用意することは可能かと思います」「なに、本当か?」「背格好は何とかなりますので、あとは、今日のあなたと同じような言葉遣いや振る舞いさえマスターできれば、涼宮さんに怪しまれることなく、成りすますこ とはできるのではと」「ふむ」確かに、機関の実力をもってすれば、代役ぐらいは何とかなるだろう。そうでもしないとこのジレンマは解決することは不可能だ。「もちろんあの涼宮さんのことですから、中身があなたでないという違和感に気付かれるかも知れませんが、とりあえずその点は押し通すしかないでしょう」「長門?」「一つの解決策。大きな問題はないと思われる」「あの抜け殻、俺用にカスタマイズされたんじゃないのか、そこはどうだ?」「大丈夫、再調整はほぼ自動的に行われる」「では、OKですね」そう言って古泉は机の小箱を大切そうに引き寄せた。「事が終わるまでこれは僕の方で大切にお預かりします」「頼むぜ」正月早々トラブルに巻き込まれないためにも、機関の活躍に期待だな。とにかくいい新年を迎えたいものだ。良い年を、と言い残して長門のマンションを出た俺は、足早に家路を急いだ。正月のつまらない番組に少しばかり退屈を感じていたが、いよいよ今日はSOS団の初詣の日だ。果たして古泉と機関はどんな『長門未希』を用意しているの だろうか。ちゃんと俺の演じた未希の代わりを演じてくれるのだろうか。ハルヒはどこまで微妙な雰囲気の違いを感じ取るのだろうか。そんな心配を胸に、俺は正月の静かな街並みを抜けて集合場所へ向かった。やはり、いつもの駅前広場に最後に到着したのは俺だった。まぁもうどっちでもいい。到着が最初だろうが最後だろうが、俺はSOS団の金庫代わりだから な。少し高いところに仁王立ちしているハルヒは、今年も上から目線で、年始の挨拶をすることもなく、いつも通りの勢いで、「あいかわらず遅っそいわね。正月早々たるんでるんじゃない?」ふん、正月休みだからたるんでもいいんだよ。「とにかく紹介するわ、こっちが有希のいとこちゃんの未希よ」「あけましておめでとうございます、長門未希です」そういって、小さくお辞儀した長門未希と称する少女は、俺のことを見つめて微笑んでいる。この前のハルヒの言葉に従って、眼鏡もかけているではないか。「あ、どうも、俺は……」「こいつがね、この間欠席していたキョンよ」おい、ハルヒ、とにかく一応俺にも自己紹介させろ。「それでね、ちょっとこっち……」終わりかよ。ハルヒは、俺の紹介を早々に切り上げると、未希の手を引いて、後方に待機していた朝比奈さんと長門の方に足早に去っていってしまった。その場に残された俺は、隣の超能力者に話しかけた。「なぁ、古泉、誰があの抜け殻に入ってるんだ? なかなかうまいことやってるじゃないか」「え、えぇ、そうですね」「ひょっとしてやっぱり森さんか?」「いえ、森さんは今、海外出張と称した休暇を取ってまして、バカンスの真っ最中なのです……」そこでちょっと言葉を区切った古泉は、今までに見たことがないくらいの苦笑を浮かべながら続けた。「じ、実は、新川さんが……」「な!? あ、新川さんだと!」驚いた俺が、あわてて振り返ると、少し向こうでハルヒや朝比奈さんと共に、楽しそうに笑いあっている未希の姿が眼に入ってきた。あらためて見てみると、 口に手を当てたちょっとした笑いの仕草も、腰の後ろに両手を回して体を軽く揺らしながらハルヒに話しかけている姿も、ごく普通に女子高生している。あの長門未希の中身が、ロマンスグレーのオジサマ執事である新川さんだというのか。恐るべし機関の工作員……。「本当は、やはり機関の女性にお願いしたかったのですが、新川さんが、どうしてもご自分で、と、おっしゃるものですから」古泉は、肩をすくめた後、俺の方に顔を向けると、「とりあえず、これでSOS団全員と未希さんとの顔合わせも済んだわけで、涼宮さんも納得していただけるでしょう」「晴れて長門未希もこの地を離れてどこかに帰ることができるわけだ」「そうですね」俺が愛用したあの長門の抜け殻を新川さんが着ていることに、若干の違和感というか、わだかまりを感じないわけではない。長門の抜け殻の背中から、新川さ んがにゅっと出てくることはちょっと考えたくはない。しかしだ、それはともかくとして、これでひとまず当面は、長門未希を封印することができるはずだ。まぁ、よしとするか。その時、俺たちの方に振り向いた未希が、左手を口の横に当て、右手を大きく振りながらかわいく叫んでいる声が届いた。「すみませーん、古泉さんにキョンさーん、こっちきてくださーい」ぴょんぴょんと飛び跳ねながら、俺たちを手招きしている新川バージョンの長門未希の姿を見つめながら、俺は、ふと夢でも見ているような気分に満たされ た。ついこの前、ほぼ丸一日、俺は長門未希を演じ続けた。それはとてもインパクトの強い経験であり、夢のような時を過ごすこともできた。もしかして、今、向こうで手を振っている未希の中身はまだ俺なのかもしれない? じゃあここでこうしている俺はいったい? 俺の頭の中で夢と現実がぐる ぐると駆け回り始めた。俺はその妙な感覚を振り払うために、最後にもう一度、深い溜息をつくしかなかった。今年はいい年になるのだろうか――――。Fin.
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