くようカキカキ
『くようカキカキ』
「――これ――?」 相変わらず、九曜さんは興味を持つ着眼点が常人とは違う。当然か。彼女は宇宙人だ。「これかい?それは綿棒さ」「――綿棒――」 九曜さんは、私の勉強机に置いてある、綿棒が百本ほど束になっているプラスティックの缶を、あたかもアマゾン奥地でツチノコを発見した生物学者のように眺めている。 「いやいや、九曜さん。そっちじゃないから。麺を馴染ませ、のばす方の「麺棒」ではないから」 どうやら九曜さんは「綿棒」と聞いて、「麺棒」の方を思い浮かべたらしく、綿棒を一本、束から取り出すと、部屋に敷き詰められたカーペットの上で、コロコロと綿棒を転がした。 それはまるで子ウサギが、エサである人参を前足で転がして遊んでいるように見える。うん、可愛いね。……可愛いけど、なぜ「麺棒」がわかって「綿棒」がわからないのだろうか?その知識、偏ってないかい? 「それはね、九曜さん。耳を掃除する道具だよ」 片耳にかかっている髪を掻きあげ、自分の耳を彼女に示した。彼女のことだ。本気で「綿棒」が何に使うのかわからないのだろう。「――掃除――?――必要――ない――」「必要ない?そんなこと無いわよ。君は宇宙人である前に女性さ。少しくらい身だしなみには気を配った方が良いよ?」 いや、九曜さんにはそんな物必要ないくらいに、きめ細かい肌や髪をしているのはわかっているが、さすがに老廃物が排出されないわけがない。と思う。 老廃物で思い出したが、橘さんはまだトイレから戻って来ないね。先日、便秘気味とは言っていたが、久しぶりに「きた」のだろうか。「――違う――。――綿棒――不要――」 平坦で抑揚の無い音量で語ると、彼女は自分の髪の毛を……て!?「ちょっと待って!何をしてるの!?」「――耳――掃除――」 さすがの私も驚愕を隠しきれなかった事を認めよう。なんと彼女は自分の長い髪の毛をワシャワシャと自在にはためかせ、毛先を耳の穴に滑り込ませている。
「……へぁあっ!」
なんだかとても気持ちよさそうに表情を七変化させている。……が、あれだ。息遣いに情感が篭りすぎているし、頬も紅葉のように紅潮させているため、ぶっちゃっけ卑猥すぎる。 自分の髪で自分の耳を弄ぶ宇宙人がそこにいた。 と言うより、私の友人だった。
「はぁ……ほぉ!……はぅ……ふにゃ!……ぁあ……んん!」
「も、もうわかったから!それ以上はダメ!女の子が発して良いセリフを、完全に超えているから!」 スキージャンプ競技なら、K点越えである。 金メダルだ。「――気持ち――よかった――」「男女の営み後のような甘い表情で言わないで!色々と問題すぎるから!」 いや、私はまだ処女だから、そんなの見たことも無いわけで……よく考えたら私が見れるわけないじゃない。私は甘い表情を「作る」方であり、間違っても「眺める」方ではない。うん、正常。決して同性愛者じゃない。 「――あなたにも――したい――」 へ?「――耳掃除――来て――」 大丈夫!私の耳は綺麗だから!と言う言葉を発するより早く、彼女の髪が私の足首を絡め取った。「ちょ!ちょっと待って!へぎゃ!」 頭の上に星が流れる。足首に絡んだ髪が、掃除機の電源コードを収納するかのように、勢いよく引っ張られたからだ。いたたたた……たんこぶできたよぉ。「お願い!ほんとにやめて!」 ここまで拒否反応を示すのも悪いが、私、実は耳を弄られるのが、とても弱い。 毎回毎回、耳掃除は、誰にも声が聞こえないよう、自宅に一人でいる時にしか行なっていないからだ。だが、「――よいではないか――よいではないか――」「て!?そんな言葉、どこで覚えたの!?」「――きょこたん――」「あのポンコツツインテール!変な言葉教えやがって!」 くそ!大便から帰ってきたら、罰として「ハーレーダビットソン」と称して、あの髪の毛を弄んでやる! そんな決意をしている間に、私の頭部は彼女の膝の上へと招かれてしまった。「――大丈夫――優しくするから――」「それもあのポンコツだね!くにゃ!?」 九曜さん!と声を荒げようとした瞬間、甘い悲鳴が私の意志を殺した。
「あぁっつ!」
それは私の全生涯において、絶対に発したことの無い声だった。 な……なんだこの快感は!? 耳の穴と言う、狭く、暗く、小さな割れ目に、九曜さんの毛先が侵入する。 そして、すりすりすりすりすりすりすりと、撫で回す。
「だめぇ!いやっ!」
そう、すりすりすりすりと。まるで宝石を磨くように。 耳の皮膚と内部の産毛を。
それらに触れるか触れないかの絶妙な位置を保ちながら。 九曜さんは私の耳の穴を、愛撫した。
「……ふぐぅ……」
甘い悲鳴は留まることを知らない。私の口であるはずなのに、私の言うことを聞いてくれない。 しかし、なぜ、こうも「綿棒」とは違うのか?綿棒だって人口と天然との違いがあれど、同じ毛であるはずなのに。 その答えは、私の首筋にまで伸びている彼女の髪が首を擦った時に理解した。
解は簡単。それは「周防九曜」の髪だからである。
常に潤いで満ちているような彼女の髪だ。 潤いだけではない。髪の量や太さと長さ。全てにおいて人類の枠を超えていた。彼女が持つ髪に比べれば、シャンプーのCMにて放送される世界的女優の髪ですら、くすんで見える。 いや、彼女の髪の美しさは、そう易々と比類できる物ではない。九曜さんに失礼だ。 もちろん私など足元にも及ばない。彼女の髪が1000だとすれば、私は存在しないはずだ。 彼女の神は、まさに至宝と呼べる神の最高傑作である。 それが今、私の耳垢を除去している。
「……へやぁっ……んふぅ……はぁぁぁぁぁぁん!……あぁ……ん……や……」
彼女の美しい髪が、私の耳垢ごときに触れてしまっている。 ここまでされると、なぜか凄く申し訳なくなるね。「……ご……めん……な……しゃ……んん!」
いや、実際、私が謝る理由など無いはずだけど。思わず謝罪の言葉が漏れるのは仕方ない。本当にもうしわけございません。私めのような醜き垢のために、あなた様の髪を汚してしまって…… 呼吸すら困難になるほどの快楽が押し寄せているため、私の手は、いつの間にか彼女の黒いスカートを、強く握り締めていた。 あぁ……私は汚い女です。あなたを汚すことしかできない最低のメスです。制服にまで皺を寄せて、本当に申し訳ございません。「――――?」 私の謝罪の言葉を聞き、つい「髪」を止めて、首を傾げる九曜さんだった。え?九曜さんって、こんなに…………可愛かったっけ? もちろん容姿は飛び切りである。16世紀のアンティークフランス人形がそのまま大きくなった目鼻立ちだが、ごく稀に幼子のような仕草をすることもある彼女だ。「……九……曜さん……止めないで……」 いつの間にか、私の耳。いや、身体は、あの甘美な快楽を求めていた。「――了解――」 九曜さんは小さく頷くと、また私の耳を弄び始めた。
うねうねうねうね。
くりくりくりくり。
じゃりじゃりじゃりじゃり。
すりすりすりすり。
私は、いつしか声を堪えるのも忘れ、全てに身を任せていた。「……九曜さん……」 その甘美な夢から、どれぐらい経っただろうか。「……いい?」 私の手は彼女の柔らかい頬に伸ばされ……その形の良い唇を、少しずつ引き寄せて、
「……なにしてるのですか?佐々木さん」
その一言は、時を止めるほどの力があった。 ポンコツツインテールと揶揄されていた自称超能力者、橘京子。彼女とはそれなりに長い付き合いではあるが、私は今まで彼女の超能力を見たことがなかった。
だが、本日、初めて彼女の力を垣間見ることができた。まさかこれほどまでとは…………
「ってぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!?どうして私は九曜さんにキスしようとしてるのぉぉぉぉぉぉぉ!?」
ななななななんで!?私はただ彼女に耳掃除をしてもらっていただけなのに!? なんだこれ!?なに!?なにがあったら耳掃除からここまで飛躍するの!?これがミッシングリングか!?ダーウィン先生!進化の謎を垣間見ました!「……佐々木さん。大丈夫です。あたし、どんな佐々木さんでも、軽蔑なんかしませんから!」 と言いつつ、橘さんは苦笑いを顔面にはりつけたまま、一歩二歩と下がっている。「ち、違うわよ!これにはわけが!」 いや、まったく全然これぽっちも無いけど!見ての通りで、誤解するなと言う方が不可能よね!この状況!「とにかくあたし、今すぐキョンさんに相談してくるのです!キョンさんならきっと、そんな佐々木さんを汲み取ってくれるはずです!」「やめてぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!」 さっきから発していた甘い悲鳴とは真逆の悲鳴も聞かずに、橘さんは走り去っていった。お願い待って!なんでも言うこと聞くから! 階段をおぼつかない足取りで降りて行く音が、私に響く。「……やれやれ、どうしよう」 全身にドッと疲れが押し寄せ、私は髪の毛の海に溺れながら、大きな溜息が零した。「――――?」「いや、あなたが気に病むことではないよ。私のせいだからね」 本当、何をしているんだか。九曜さんは、ただ、耳掃除をしてあげたかっただけだというのに。どこの変態だ。私は。 すると九曜さんは、私の肩をポンポンと叩いた。ん?どうしたの?「――交代――」「…………え?」「――次は――右耳――」 ああ、なるほど。そう言えば左耳しかしてもらってなかったね。………………………………………………え?「――身だしなみ――大事――」「…………………………………………そうだね。片方だけじゃ気持ち悪いしね」 そうだそうだ。橘さんには後で説明すればいいしね。そうそう。「……ところで九曜さん。これだけ髪が長ければ両耳一緒にできない?」「――――――――――なぜ――?」「いやぁ……そのぉ……一緒にやったほうが……時間短縮できるかな……って」「――理解――」 そう言うが早く、私の全身に九曜さんの髪が纏わりついた。端から見たらブラックセイントに見えなくも無いかな。「――力――抜いて――」 九曜さんの言葉には私は何も答えず、私は彼女の膝に頭を乗せた。
この日を最後に、私の部屋から綿棒が消えた。
『くようカキカキ』完
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