涼宮ハルヒ― あるファンの日記 第3章
『第3章』 残念ながら、次に目覚めたのはSOS団映画開始の虫の知らせによるものではなく、廊下から聞こえる話し声と映画上映会場内にいきなり増してきた人の気配、湿度、少々の肌寒さによるためだった。目の前の映画はまた誰の作品ともわからないものが上映中で、寝ぼけた頭ながらどうやら俺は目的の映画を見過ごしてしまったことに気がついた。 廊下に出るとムアッとした息苦しさを感じさせる空気と、この部屋に入る前よりも確かに大勢が廊下を行き来している光景が目に入った。廊下の窓から眺める外の景色はどうやら雨だ。野外にいた連中がドッと校舎内に押し寄せて来たのだろうと言う事は想像が出来た。時計を見て、もう一度入り口に張ってある映画タイムテーブルを見る。どうやら居眠りのせいで目的の「朝比奈ミクルの冒険……」を見過ごしてしまったのは確実だ。 次の上映までまた待つかなぁ。 そう思ったが湿度の高い密室に戻る気には到底なれなかったし、俺が先ほどまで座っていたであろう席はすでに他の何処かの暇人が座っていた。中は暗くてよく見えないがどうやら満席の様子だ。視聴覚室入り口にも何故か人溜まりが出来始めている。 外は雨、買い食いにも飽きたころあい、と言うわけか。戻るわけにもいかないな。俺はよく寝た。寝すぎるほど寝てしまった。 他に何か見て回ろうかとも思ったが、目的のSOS団の自主制作映画であろう作品は寝てて見てないし、コンピ研の出し物はもう探す気にさえなれなかった。1年のクラスを見て回ることは断固避けたいし、何よりダルイ。ダルイのは固いイスで寝すぎてしまったのと、この雨のせいだろう。そして季節はずれの熱気と、一気に高まった校舎内人口のおかげで衣服の濡れたまま参上した奴らが放出する濃度の高い湿度のせいか。見れば突然の雨だったのか結構な人数の奴が濡れたままでいる。俺は湿度もさることながら、どちらかと言うと人混みはもっと苦手だった。 ― うっとおしい。 そんなことを考えながら俺は知らずの内に下駄箱の前まで来てしまっていた。……帰るか。靴を履き替え降りしきる雨を傘を持たない俺はぼんやりと眺めていた。今日は特別に土足で校舎内に入れることなど知らない俺は、土足のまま校舎内を出入りする来客者や生徒達を眺め多少の憤慨を覚えつつどうしたものかと悩んでいる。その脳裏の傍らで、ずぶぬれで帰ってもいいが風邪を引くのはごめんだな……、何てことも考えてもいる。 そんな暇つぶしにはもってこいの脳内会議をしていると、雨の中を走りぬけて一人の女子が大慌ての様子で校舎内に入って来た。 「今、体育館で凄いことになってるっ! 軽音部よっ軽音部っ!! 3年生のバンドっ! 早くっ」 かなり慌てて仲間を誘いに来たと思われるこの女子。興奮していたのか結構な大声だ。 その声に誘われて2,3人が体育館に走り出すと釣られて別の何人かも体育館へと向かった。彼女を誰かに例えるなら「うっかりハチベエ」だろうか。― てぇへんだ、てぇへんだ、ご隠居様! ― 何を慌てておるハチベエ。 まさにそれであった。しかし、その光景を見ていた下駄箱付近にいる更に何人かは迷いながらもそろそろと雨の中を体育館へと歩を進ませていった。 俺は……。 その何人かより遅れてゆっくりと雨の中を体育館へ向け歩き出していた。 まだ帰るには早い。それにせっかくのお祭りごとなんだし、ハチベエの後を追ってみるのも悪くない。どうせ、たいしたことは無いんだけどね。それに濡れるのは今でも後でも同じだろう。家に着いたころに雨は上がる。いつだってそうしたもんさ。 俺の間の悪さは今に始まったことではないが、このときほど運動靴ではなく革靴を履いてくれば良かったと思うことはなかった。頭や肩や背中が雨で濡れようが平気だが、足の先が濡れてしまうのはなんだか悲しい。 出来るだけ水溜りを踏まないようにして体育館に着くと全身ビショ濡れになっていた。当然靴も靴下もずぶ濡れで、ブレザーの下のTシャツまで濡れていた。 体育館の入り口付近には誰もいない。雨の音でかき消されてはいるがバンドの演奏が少しだけ漏れて聞こえて来る。体育館内部に近づくに連れドラム音だけじゃなくベース、ギターと間違いなくバンドの演奏曲と思われる音楽になって俺の耳に届く。 体育館の入り口のドアに手を掛ける頃にはボーカルの声も演奏も団子状態ではあったけど、メリハリの整った曲がハッきり聞こえていた。どうやらボーカルは女らしい。 さっきの駆け込みうっかりハチベエは「3年のバンド」と言ってたな。 中学時代は俺も、卒業したら高校には行かずプロを目指す! と宣言した先輩に誘われLIVEハウスやらにも行った。多少はそんな先輩の影響を受けてお年玉で買った1万円のエレキギターで作詞作曲などをするほど音楽にのめり込んだ身だ。とは言え、演奏のほうは持ち前の不精と飽きやすい性格のせいか全然上手くならず、ギターを初めて3ヶ月とか言う奴の演奏を聞かされてそれまで半年はやっていたであろう俺はきっとギターの才能は無いと自分自身に見切りをつけたのだったが……。 3年のバンドか。何曲演るかは知らないが面ぐらい見ておくか。 と気分はさも大物プロデューサーか超有名バンドのメンバーのような気分で肩と頭から垂れて来る雨しずくを軽く払うと館内へ入る扉を開けた。 そこで俺が目にしたものは驚くべき光景だった。 会場は満員で大いに盛り上がっている。外で聞いていた限りで盛り上がっているのは想像できたが、なんで満員なんだ? 出演中のバンドの曲はなんてバンドのカヴァーをしているのかわからなかったが、とにかく整った演奏で会場を魅了している。それにあのステージ衣装はなんだ? まず目を引いたのがギターの黒のとんがり帽子に黒のマント姿と言う、さしずめ黒魔道師コスの女の超テクニック冴えるギター、そして、聞いて驚け、ボーカルは黒バニーガールスタイルであった。ビョコビョコ動くウサ耳がベリーキュート! ― かわぇぇ!!(可愛い) 俺の興奮は最高潮に達した。すぐさま会場の馬鹿騒ぎに便乗した。まさか外で聞いていて、これほどの演奏をする奴らがレディースバンドとは思わなかった。このパワーあふれるドラム、精度の良いベース、そして黒魔道師コスのまるでアマチュアとは思えないようなブレの無いチョーキングとカッテッイング。 そしてなによりもあの黒バニーを完璧、見事なまでに着こなしたボーカルの存在感。 これは誰もが興奮せずにはいられない。 付け加えよう、これはエッチな意味での興奮では決してなく、いや、少しはエッチな意味での興奮もあったにはあっただろうが、それよりも入学当初に必死なって探していた、いや、今となっては実はなんとなく暇つぶしに探していただけだったのだが、とにかく、演奏への興奮だけではなく、あの半年前のバニー事件の犯人の一人と思われる女が今俺の、この目の前で、バンドのボーカルとして現れやがったのだ。 ― こいつじゃねぇのかっ?! 3年のバンドだってわかっている。俺の知っているバニーガールズは2年と1年だ。だけど、あんな格好を堂々と人前にさらせる女子高生がそんなに何人も居てたまるかっ。あいつ……、クッソ、もっと近くでっ! もっとハッきりツラをっ! もうサビのリピートだっ、演奏が終わっちまうっ!! 人混みを掻き分け、濡れた足の先を何度も他人に踏まれ、怪訝な顔で何人にも睨まれながら俺が最前列近くに辿り着く頃には演奏はおろか奴らの姿もステージには無かった。 楽屋に押し掛けるか? いや、それは演奏者と観客と言う立場から言ってルール違反だ。 じゃ、どうする― ?! 興奮冷めやらぬ会場、それとは対照的に次のプログラムへ進む様子のステージ。どうやら再登場はないらしい。俺はとりあえず体育館を出ることにした。ひょっとしたら奴が、あの黒バニーが出て来るかも知れない! 慌てて体育館出口へ向かうと外はまだ雨が景色を濡らしていた。ため息の出る光景だ。すでにずぶ濡れの俺には雨など関係なかったが、黒バニーがこの出口を通過するのを待ちたかった。何人かの生徒が会場を後にする後姿を見送っていると、俺の先ほどまでの興奮は雨が地を濡らし削る砂と共に何処かへ流れて消えて行く感じがした。 ― その日は結局、黒バニーには会えなかった。 次の日から俺は風邪で学校を3日ほど休んだ。俺の下宿先には風呂が無く銭湯に通っているのだが、あの日は黒バニーの件とLIVE演奏への興奮のあまり風呂には行かず部屋で久しぶりにギターを夜中まで弾いていたのが良くなかったのだろう。 文化祭2日目にも軽音部は出るのかと少々気にもなったが、ブレザーの内ポケットで俺と同様に風邪を引きそうなぐらい雨でヨレヨレになったプログラムを見ると、次の日は吹奏楽部の演奏がメインらしくホっと胸を撫で下ろし病気療養に専念した。 女には負けたくない。ロックは男のものだっ! と言う心だけはロックンローラーな俺がキャッチなLIVEバンドの演奏の虜になりつつあったのは、あの黒バニーのせいだけではないかも知れない。つまり、エロだけでは無いってことさ。 風邪から完全復活を果たし、久しぶりに教室に入ると「ぁぁ、俺は居ても居なくても同じなんだなぁ」とつくづく実感した。別に誰かに心配していて欲しかったわけではないが、なんとなくこう、一言ぐらいあるかなぁ、なんて思ったりしていたからだ。一人暮らしで寝込むのが、あんなに心細いとは思わなかったからな。その日、俺はそんなわけでなんとなくしんみりと一日を終えた。― 早く家に帰ってギターを弾こう。 次の日以降、そんなテンション下げ下げの毎日がこれから3年間ずっと続くのかな? 俺には続いて行くのかな? とか考えながらいつものようにいつもの席で教室の空気と化している俺が寝たふりをしていたら、女子のワイワイ騒ぐ声が聞こえて来た。女子の立ち話ほどくだらないものは世の中に存在しないと思っている俺は、出来るだけ聞かないようにしていたのだが、― 変態扱いされるのもごめんだし ― 聞こえて来るものは仕方がない。それに、ちょっとどころか随分と俺の興味をそそる話題をしている。 文化祭、体育館、3年のバンド、軽音部、超盛り上がり、などなど。 どうやら彼女たちは体育館を大いに盛り上げたあのバンドのことを話しているらしい。俺の聞き耳にもいっそうの力が入る。今なら3キロ先の針が落ちる音さえ聞こえそうだぜ。女の話は余計な部分が多いので必要な情報のみを聞き分けるには苦労したが、つまり、あの体育館を大盛り上がりのLIVE会場に変貌させた犯人達のバンド名は「ENOZ」と言って、3年生のバンドで、軽音学部で。しかも驚くべきことにあの日の演奏楽曲はすべてオリジナルで、MD持って部室に行けば直接曲をダビングしてくれるらしい。と言う話だ。 半分は知っている話。俺は直接LIVEを見たんだからな。でも、名前がわかっただけも良質な情報と言えるか。「ENOZ」ね。覚えるよ。俺は寝たふりを止めて窓の外を眺めた。頭をめぐるのはあの日の興奮と演奏、そしてステージに立つ黒バニー。曲ダビングしてくれるのか。軽音部に行けば会えるんだなぁ……。 ― !? っ 直接会えるのか? 俺はどうも頭の巡りが遅い。甥っ子の5歳児だってもう少し早く気がつくはずだ。夏真っ盛りの喉が渇いた時に、なんとなく買った缶コーヒーが"あったか~い"だったことが何度となくある俺だ。少々トロいのは認めよう。だが、しかし、これは大失態だ。何やってんだ俺! 考えても見たら同じ学校で同じ人間だ。会えないことが不思議なはずさ。ありがとう女子よ、ありがとうこの瞬間! とうとう追い詰めた。奴は軽音学部にいるっ!! 何故気がつかなかったのか、俺。奴らは高校生のバンドであり軽音楽部なのだから軽音楽部に行けば会えるのは当然だ。それに、奇抜なファッションと言えば目立つためのものだ。ただの趣味や暇つぶしのために誰が学校でバニーガールなんぞになるものか。そんな奴がいたらきっと頭のネジが飛んでいるどころかネジではないものが付いているトンチキ野郎としか思えない。ステージ、LIVE、ボーカル。そうか、なるほど。思わず口元が緩んだ。 教室のイスに座り、女子の立ち話を聞き、一人で思い出し笑いを顔に浮かべる姿はきっと「変態再び」と言われかねない危険な動作ではある。あるのだが今は関係ない。そんなことはわかっている。わかっているが緩むものは緩む。気持ち悪いか? 俺。ああ、いくらでも気持ち悪がってくれ。もう熱はない、寒気もない。体調は万全だ。放課後になったら真っ直ぐ向かうのは軽音楽部だ。これから放課後までの時間、このニヤニヤを堪えるのに必死だ。笑いを堪えるのがこんなに大変だとは。 ― バニー、僕の勝ちだ! 放課後、俺は今年一番のダッシュで軽音楽部へと向かった。2年とか1年とか3年とか、そんなことはどうでも良くなっていた。あの日、バニーは確かに居てステージの中央で堂々と歌を唄っていた。間違いない、奴だ。俺が半年ものあいだ、途中忘れてしまいながらも、探し続けていた校内バニーガールズの一人だっ! 迷いはない。到着と同時に扉を開けるんだ。室内にいる全員がこちらを向くだろう。そこがチャンスだ。一瞬、その一瞬で俺は奴を見極めてやる。 陸上部が見たら泣いてスカウトに来るだろう脚力をみせ軽音楽部部室の扉の前に到着すると俺は一気に扉を開けた。開口一番、「ENOZ先輩いますかっ?」 室内の全員が振り向く……、とまでは行かなかった。2,3人振り向いた後、俺の予想と相反してその空気は「ぁぁ、また」と言う雰囲気。そのまま無視されるかと思うほど肩透かしな光景に戸惑っていると一人の女性が近づいて来て、なんですか? と一言。 トーンダウンを余儀なくされた俺は間抜け丸出しの挨拶がまずかったのかな? とか考えながらダビングをお願いしたのだった。 「はい、これ」 とすぐに手渡されたMD。 どうやら何枚もすでに用意されているらしい。あの文化祭の演奏力と人気から言えば当たり前と言えば当たり前、これぐらいの用意は当然だろう。確かに当然ではあるのだろうが、あまりにも俺の熱気とのギャップがあるこの感じ。 MDを受け取るとその場で俺は何か質問しなくては! と思い更に硬直していた。 曲もじっくり聴いてみたいが俺が知りたいのはもっと別のことのはず。 「文化祭の演奏見てくれたの?」 硬直している俺に話しかけてくれる優しい声。ここで「はい」と言うのもなんだか負けた気がするのは俺がアホだからだろうか。 「文化祭とはボーカルとギターがオリジナルと違うけどいいかな?」 手渡されたMDの表面を眺めながらテンパッている間の立て続けの質問。でも、今なんて言った? MDと文化祭LIVEのボーカルとギターが違うって言ったか? 「後で文化祭のほうの音源下さいって言う人とかいるからさ」 俺はようやく目を話し掛けてくれる相手に向ける。 「ちょっ、君、怖いよ顔。君も涼宮さんのファンなの?」 半歩後ずさりながらMDをくれた彼女は言った。え? 何? なんて? 涼宮のファン? 涼宮って1年の涼宮か? 「あの時はギターは長門さんでボーカルは涼宮さんだったけど、これはENOZのオリジナルメンバーで作ったデモだから、そこんとこヨロシクっ」 俺は興奮した。思わずMDをくれた彼女の手を握り締め、 「そこを詳しくっ!」 叫んだのか囁いたのか自分でも記憶にないが、いつもの俺らしからぬ行動であったことは確かだ。MDをくれた彼女は少々気持ちの悪いものでも見るような目つきで自分は2年生でENOZのメンバーではなく、本人達は3年なので文化際以降は部活にあまり参加しない方針とのことや、文化祭当日はメインのメンバーが軽い事故みたいなものでLIVEに出演出来ず、その代わりに軽音部に一時参加し面識のある涼宮と涼宮が連れてきた長門が飛び入りでステージに立つことになったことなどを話してくれた。 ― じゃぁ、あの時の黒バニーのボーカルは……? 「そうだよ、1年じゃ有名でしょ。涼宮さん。涼宮ハルヒさんだっけ」 入学当初からの記憶が走馬灯のように脳内に流れる。確かに俺が探していたバニー事件で得た情報の中にもその名前はあった。そして校内美少女ランキングなるモテナイ男どもが囁く会話の中にもその名はあった。更にキノコ頭、谷口のコンビからもその名は聞いたような気がする。 俺はバニー事件以降、そんなハレンチな噂を立てられた女は休学しているか髪型を代えるなどの変装をしているか、退学しているんじゃないかと勝手に思い込んでいた。ひょっとしたら噂とは見てくれが違うが春先に転校した女がそうじゃないか? とさえ思っていたほどだ。それが文化祭当日、見事なまで黒エロバニーガールを完璧に着こなして堂々と、しかも大衆の目にさらされることなど気にもしない様子でプロに近い歌を唄っていやがった。 ― あれが、涼宮……。涼宮ハルヒ、SOS団団長。 俺の目が白黒と忙しく点滅しているのを察知したのだろう。何故か申し訳無さそうな顔をしているMDをくれた彼女は、涼宮さんは軽音楽部に所属しているわけではないからココには居ないよ。文芸部に居ると思うけど。と最後に言った。 初めて文芸部を訪れた時の記憶が蘇る。コンピ研のあのメガネお河童カット男が俺のことなど完全に忘れてくれていると良いが……。少々トラウマだな。あの出来事は。俺は、ENOZの曲が気に入ったから貰いに来ただけで涼宮とかは関係ないです。と、ひょっとしたらこの先輩と恋に落ちるかも的な甘い妄想に脳内を麻痺させながらクールガイを装い軽く会釈をしてその場を去った。来た時とは大違いだ。俺。 それからと言うもの、涼宮ハルヒと言う人物の肖像は日に日にリアルになり、わざわざ隣クラスに出向かなくても、部室塔でドキドキしなくても、その他に類を見ないような言動は教室のイスから動かない俺の耳にも聞こえて来ていた。キーワードはどうやら"ハルヒ"か"涼宮"だったようだな。思い返せば何度と無く聞いていたその名前ではあるが、個人名などに執着心のない俺は人物名など囁かれても、風が窓ガラスを叩く程度にしか思っていなかったのが捜査を混乱させた原因だろう。なんせ、俺は未だにクラスメートの名前を半分も覚えてないのだからな。謎と言うものを完成近くの手編みのマフラーに例えると、その先端の最後の糸の先がキーワードのようなもので、一度引っ張るとグイグイと解けて行くものらしい。後々の情報で涼宮の前世は暴君らしいことまでわかった。 その他には、これは俺は会場まで行って見逃したから判断のしようがないが、文化祭で発表されたSOS団自主制作映画の「朝比奈ミクルの冒険」はこの学校の一部の何萌えかはわからないが、つまり、その手の奴らには伝説的萌え映画とまで評価されているらしく、その総監督が涼宮であって、若干1年生にして奇才現る、などと囁かれてもいるらしい。それを知ると会場にまで行って寝むってしまって本編を見逃した自分がどうしようもなくアホに思え昼飯抜きの刑を自分に下したほどだが、涼宮関連で言えばもう一つある。宇宙人、未来人、異世界人、超能力者以外に興味は無いと言い放った入学当初のエピソードは俺には意味不明のギャグだが、他の奴らには伝説でそれが涼宮、ってことらしい。 『生徒社会を応援する 世界造りのための 奉仕団体(同好会)略称SOS団』 どうやら俺が捜し求めていたバニーガールも運動部を負かしてしまった体育祭のリレーも、先日の感動のLIVEを演出したENOZの黒バニーもすべてがSOS団であり涼宮だった。 略称SOS団― 。 どうやらその名の通り、奴らは困っている部活を助けて回る為の部活らしい。入学当初のバニーガール騒動も奴らなりの生徒社会を応援する、と言うか、盛り上げるための演出だったと思えなくも無い。退屈なはずの文化祭LIVEをあれほど盛り上げたのは演奏だけじゃなく、黒バニーにもありだってことぐらいは俺にも理解できる。なるほどだぜ、SOS団。上手い名称じゃないか。 そして、涼宮の他に気になったのがもう一人のバニー、ではなく。実は黒魔道師衣装でギターを弾いていた女のことだった。長門とか言ったよな。 あれほどのギターを弾く女だから、こいつの面も一度まじまじと見てやろうと教室まで出向いてみたが、休み時間は文芸部に居るとクラスメートに言われたものの文芸部ってSOS団じゃないのか? と混乱した俺にはなんだか捜査も面倒くさくなりそのままにしている。 そして、本命のターゲットと呼ぶべき涼宮と俺は出合えたかって言えば、それがまたいろいろありまして。そこは話せば長いのでちょっとだけ聞いてくれ。確かに、休み時間中はなかなか教室に居ない奴らしい。何処へ行っているのか。そのおかげで俺は半年以上もモヤモヤしていたわけだ。ま、それはそれだが、意識して物事を見ると、なんとなくじゃ見えなかったものも、ぼんやりながらでも見えて来るもので。ある日、一度俺がお気に入りのバンドが出るラジオを聴こうと授業をサボって屋上へ行く途中、思い出したように気になって5組の教室を覗いた時、居たよ、噂道りに。あの女は最後方の席で退屈そうに外を眺めていて、顔は外を見ていたから俺からはわからなかったけどなるほど、あれは可愛い女がかもし出す雰囲気そのものだった。 ちなみに髪型は噂道りで、LIVEで見たそのままの肩までのボブカット。じゃなくて、あれはミディアムヘヤと言うことを後に女性雑誌で知った。そりゃボブカットの女何処だ、と聞いても誰も反応しないわな。ボブカットは小学生を題材にした某人気アニメの主人公だ。何まるこちゃんだっけ?ま、とにかく、つまり、それが俺が涼宮を涼宮と認識した始めての出会いになるかな。 だが、ナンパする気にはなれんな。アレはなんだか俺には敷居が高すぎる。 ツラの確認はなんとなく廊下に立っていたショートカットの美少女に無視されるのを覚悟で聞いて見たら、そいつは黙って指を指して教えてくれた。偶然だと思うがその指の先にはあのステージでみた黒バニーが制服姿で不機嫌そうに歩いていた。その時はその雰囲気と言うか殺気めいた空気に圧倒されて、俺は教えてくれた美少女に礼を言うとそそくさと逃げちまったけど、それでもため息の出るような超美少女だったことに間違いはない。俺に涼宮を無言で教えてくれた女もめちゃ可愛いい系だったんだけどね。 あとはご想像の通りだ。俺は休憩時間に他の暇な野郎どもと同じで、涼宮見たさに教室のイスじゃなく廊下に出ることが多くなっちまったってわけだ。 奴は時には不機嫌そうに眉間にしわを寄せて廊下の中央を歩いていたり、時にはとても嬉しそうに廊下の中央を走っていたり。どっちにしても偉そうな態度なんだけど、俺がこうして涼宮を観察しながら思うのは背中を向けてその存在に気がつかずぶつかってしまいそうな奴らを除外したならば、まず間違いなく涼宮の行く先にはモーゼの十戒の海が二つに割れる物語のごとく道が出来ているってことだ。それは可愛い面した女子にはよくあると言えばそんな気もするけど、あいつの場合は他のそれとは少々違うような気がしたんだ。 魔力……かな? そう言えば一学年上のSOS団メンバーらしい朝比奈さんだっけ。彼女のことは今も調査中と言えば聞こえはいいが、実は2年の教室になかなか足が進まないのである。その理由は文化祭でのあの髪の長い威勢のよいメイドと言うかウェイトレスと言うかのコスプレヤキソバ店をしていたお姉様のせいでありまして。 確かにあの美形であのコス、いわゆるひとつの萌えではありますが、あの方に次に何かを命令されたら断る勇気が無いってのが本音でございます。あまりにも可愛いんだもんね。あの方。 そんなわけで、2年の教室の何処かに居る朝比奈さんってのはとりあえず保留ってことにしています。 今の俺は涼宮って面白そうな女に会えただけでもハッピーさ。この退屈な学校に来る意味が出来たってもんだ。夏休み中には学校を辞めようかマジで悩んでいた自分が愚かしいぜ。でも、それはそれ、これはこれってことで今日も俺は涼宮を見に学校へ来ている。休み時間はわざと廊下の真ん中に立っているとチャイムギリギリに涼宮は登場し俺を押しのけるように通り過ぎ教室へと入って行く。多少だが、髪の香りがするのが良いのだ。涼宮はどうせ今押し退けた俺のことなんて、なーんにも、知らないんだろうけど。 だが、俺は彼女を知っている。彼女はSOS団団長、涼宮ハルヒだ。俺の他に彼女のファンが何人いるのかは知らないが、どうやら俺もその一人となってしまったらしい。涼宮ハルヒ― 。 一度握手でもしてくれないかな。 「涼宮ハルヒ― あるファンの日記 おしまい」
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