機械知性体たちの狂騒曲 第4話
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戦いとは、生きるということ。 生きるとは、戦うということ。 たぶん。
―ある情報端末の概念―
わたしたち人ならざる情報端末群は、人間社会に隠れ潜みながら暮らしています。 彼らに混乱をもたらさないようにと細心の注意が払われた結果、すべての情報端末にはそれぞれ偽りの姿と、偽りの身分、偽りの住まいが与えられました。
偽りの住まいというのは、わたしたちが便宜上、駐留拠点と読んでいる場所のこと。 わたしの場合、かつては長門さんと同じマンションの五〇五号室がその場所だったのですが、インターフェイス本体の喪失と再生の失敗(つまり幼児化)に伴い、偽装を続けることが困難になってしまいました。 そのため長門さんの七〇八号室に半ば強引に拉致されるがごとく引き取られ、いろんなことがありながらも、それなりに楽しく愉快に過ごしてきたわけですが――それも、ついさっきまでのこと。 今度は別の端末、喜緑さんに引き取られることになってしまったようです。
こうして考えると、ほんとにいらない子みたい。 もっとも作られた目的も忘れてしまうほどに低級化していたわけで、思念体からの抹消処分がくだらないだけマシともいえるのかもしれませんが。 こんな不幸な宇宙人がいていいもんなんでしょうか。実際。
……いけませんね。ネガティブな思考もほどほどにしないと。もっと前向きに――生きていかねば。
そう思い直し、運搬されているかばんの中から、新しいパートナーとなるはずの存在を見上げました。
「考えてみると、あまり喜緑さんとお話したことはなかったですね」 普段、彼女がどんなことをしているのかもほとんど知りませんでした。 わたしに代わって長門さんのサポートをしているという話でしたが。 それがどんなことなのか、わたしが実施していた内容とどう違うのか、詳細はまったくといっていいほどわかりませんでした。「――そうですね」 わたしが入ったかばんを肩にかけながら信号待ちをしていた喜緑さんは、軽く首をかしげて肯定しました。「もともと、あなたたちふたりには干渉はしないという決まりごとがありましたから、こういった――会話、ですか。朝倉さんとするのは初めてなのかもしれません」「穏健派の?」「いえ。思念体総体の意向で」 総体、つまり主流派を含めた、全体的な合意がなされていたということですか。 わたしの急進派も含めて。 こうしてみると、やはり彼女に与えられた役割は大きいのです。 偉いんですねぇ。わたしも同格のはずなんですけど。
情報統合思念体というのは、人間にしてみるとまったく理解のできない"何か"としか説明のしようのない存在です。 その中味はさらに複雑怪奇で、ごちゃごちゃとした意識体が常に意見をぶつけ合ってようやくひとつの行動を起こす、というイメージ。 多重人格というのが一番近いものなのでしょうか。 ああ、今のわたしだとうまく説明ができませんね。
で、総体、というのはその全体意思のことです。 主流派がそれに近いのかもしれませんが、最大の勢力を誇る派閥の「彼ら」にしても、全体意思、というわけではないのです。
ここで簡単にご説明してみます。
八つある主要派閥のひとつに折衷派という、思念体全体の意思疎通を円滑にするべく活動する派閥があったりします。 主流派が「こういうことをしてみたい」と提議すると、主に彼ら折衷派が奔走しながら各派閥の「意見」を聞き、さまざまな調整や説得を試みつつ、全派閥が納得するというか、妥協というか「まぁ、いろいろ文句はあるけど、これならいいか」くらいの合意形成がなされてから初めて行動に移すのですね。
改革派という全体の効率化を重視する派閥が、とある事情で無力化してしまったために、あまり効率がいいとはいえない行動指示も出たりとかするようです。 お会計係くらいに考えてもらえるとわかりやすいかも。「そんなコストをかけるのは不合理だ」と文句を言う立場の派閥だったらしいのですが。 なんでも改革派が健在であれば、わたしたちのような情報端末をいちいち創造して地球に派遣することもなかったというお話もあるらしく。 ……効率悪いんですね、わたしたちって。
ほかにも革新派のような、過激で、なに考えてるのか意味不明な派閥もあったり――急進派のわたしでも驚くくらい、ななめ上な考えを持ってるらしいです――とか。 考えてばかりで、ふだんはなにも言わない根暗で地味な思索派とか。 見ているだけでなにもしてくれない静観派とか。
こうして考えると、まるきり変人さんの集合体です。 そのようにたくさんの、そしていろんな種類の意見がぶつかり合い、散々苦労したあとにようやく下された命令というものは、それはそれは大切なものでして。
……それを無視すると今のわたしのような目に遭うということになるわけです。 はい。これは大変わかりやすいですね。 自業自得ではあるのですが。とほほ。
信号が変わり、喜緑さんは再び歩き始めました。このあたりは車の通りも少ない住宅地。 コンビニの明かりが見えてきましたが、周囲に人影はほとんどありません。 移動するのにこの時間帯を選んだのは正解だったようです。 なぜって、あまり人に見られるのは好ましい姿とはいえませんので。 まぁ、わたしだけの話なんですけども。いつもいつも、人形だと言いわけするのも疲れますし。
喜緑さんはコンビニへと向かいながら、説明を続けていました。
「今回のあなたの異動……というか、わたしが引き取るというこの状況については、思念体としてもかなり悩んだようです」「悩む?」 ちょっと意外な言葉が出てきました。 あの統合思念体が、ですか。「はい。そうはいったものの、この案件が処理されるまでの時間が少しかかったという程度ですけれども」「へえ」 あの万能感たっぷりな統合思念体にも、わたしの今の状態異常は予測できないものだったというのは驚きに値するのです。 自分たちの作り出したモノに把握できないことなど、絶対にないと考えていたのに。 わたしの疑念は今や確信に変わりつつあります。やはりこれは、ただの身体状態の変異だけではない。
なにかが起こっているのです。間違いなく。
「そもそも」 そこで、これまで疑問に思っていたことを彼女に訊いてみることにします。「わたしのこの有り様はどんなふうに捉えているのですか。思念体は」「どんなふう、とは?」「情けないとか、悔やんでるとか、怒り心頭とか、いろいろと――」「情報統合思念体は、感情を解しません」 やんわりとわたしの言葉をさえぎり、喜緑さんはふっと溜息をつきます。「あなたも充分ご承知ではありませんか」 ……確かに、それはそうなのですが。「強いて言うのなら、今の思念体は"困惑"しているというのが妥当といえるでしょう。その内にお話することができると思いますけど」 含み笑いを漏らして、喜緑さんはわたしの顔を覗き込んできました。「とりあえず、今夜の朝倉さんのご飯でも買って帰りましょう」
簡単な夕飯をコンビニ買い込んで、ようやく喜緑さんのお家に到着です。 考えてみれば、あの長門さんのマンション以外に、ほかの情報端末の拠点に来るのも初めてでした。 どんな場所かというと……。「……ここなんですか?」「はい」「はぁー」 ため息がもれてしまいます。 なんと、一戸建て。 しかも今時平屋の、和風建築。 植え込みで仕切られた小さなお庭からは、縁側が見え……かばんからだと、見にくいですが。 少々古い中古の建物のようですが、手入れはされているようです。 なんというシブい選択をしたのでしょうか。穏健派は。 ……派閥のクセ? 「わたしの一存で、今回のためにご用意させていただきました」 はい? 喜緑さんの言葉が、いまいち理解できませんでした。「今回のため?」「あなたを引き取る、ということでしたので。可能な限り、あなたの生活がこれまでどおりに送れるよう配慮した次第です」 ということは。「……ふだん、喜緑さんはどうしていたんですか?」 彼女が学校に、普通に通っているという話は聞いていました。ではそれ以外の時間は、どこにいたのでしょう。 帰る家を持たない? そんな馬鹿な。 そこで彼女は視線をわたしからそらして、軽く目を細めました。 なんでしょう。 どこか寂しそうな感じがします。「……誰からも認識される必要のない時間、わたしたちはどこにもいない」「え?」「そういうことです。今のあなたにはよくわからないかもしれませんが」 それだけ言うと、かばんをそっと地面に下ろしました。「どうぞ。今日、この時からここはわたしとあなたのお家です」 改めてそう言われて、わたしはかばんからはい出し、彼女の足元に立ちました。「その……お世話になります」 そう言って、わたしは新しい家主様におじきしました。
ガラガラとガラスの玄関の扉が開けられ、わたしは喜緑さんの足元から中を覗きこみます。 一畳ほどの広さの玄関とその奥は真っ暗で、外気のせいもあるのでしょうが、ひんやりとしていました。「今、明かりをつけます」 先に中に入った喜緑さんが、手探りで蛍光灯のスイッチを入れ、ようやく人の家の暖かさのようなものが現れました。 こういうお家は初めて入るので、ちょっとドキドキしてしまいますね。「さ、どうぞ」 そう促されてわたしもお家の中に。「おじゃましまーす……」 そろそろ。 遠慮がちに入ったわたしを認めたのか、くすりと笑いながら喜緑さんが言いました。「もう、この家は朝倉さんのお家でもあるのですから。どうか気楽に」「はあ……」 そう言われても、ですね。 まぁ、そのうちに慣れるのでしょうか。 中は、ふたりで暮らすだけなら充分以上の間取りがありました。
木造モルタル、築二十年以上は経過しているでしょう。 埃やカビの匂いがごくごくかすかに漂ってきますが、不快なものではありませんでした。 むしろ落ち着く、という感じ。なんででしょうかね。 わたしには懐かしむ、という経験すらないはずなのに。体のせいでしょうか。
「今夜は冷えますから、すぐにストーブをつけましょうね」 おお。ストーブですか。「はい。この家の暖房設備は電気こたつと、灯油のストーブだけです」 ……改めて思います。 シブいなぁ。いったい誰の趣味なんでしょう。 そんな感想を抱く間にも先導され、居間へと通されました。 そこには確かにこたつと、ストーブ。そして……。
ダイヤル式チャンネル切り替え装置のテレビ?「……なんというレトロな」「ええ。ちょっと凝ってみたんですけども。お気に入りました?」 わたしはどのような趣向の存在だと認識されているのでしょうか。 昭和の匂い……でいいんでしょうかね。日本のその当時をわたしは知らないわけですけども。
「こたつはすぐに温まりますので、とりあえずそのお席に」 そう指し示したこたつのそばにはプラスチック製の、わたしに合わせたサイズのイスがありました。「おお、これは」「はい。昨日、ホームセンターで購入してきたものです」 そうそう。このサイズがわたしにはとてもよく合う……。「……あの、このゾウさんとキリンさんのプリントは」 見ているだけで微笑ましい、動物園のイラストが。 シールには対象年齢三歳まで、とかなんとか書いてあったりするわけです。「ええ、気に入っていただけると嬉しいのですが」「そうそう。わたしにはこういう……」 …………。 誰の入れ知恵かはすぐに理解できました。「……長門さんですか」「はい。朝倉さんがとてもお気に入りだと聞きましたので。同じような柄ものを探すのが少し大変でしたが」 ……落ち着くのです。朝倉涼子。 落ち着くべきなのです。 これは、あの長門さんの仕組んだもので、喜緑さんには何の悪意もないはず――なのですから。「あ……ありがとうございます」 わなわなと震える肩をなんとか収めて、わたしはその席につきました。 おおよそ三〇センチのわたしに、悔しいことにジャストフィット。なんという屈辱感。 忌々しいことに、その感触に安心すら感じている自分が情けない。
「今、お茶を入れますので、先ほどのコンビニのお弁当を広げておいてくださいな」「あ、はい。わかりました」 そう言って喜緑さんは台所と思しき隣の部屋に行ってしまいました。 ……この分だと、台所もものすごく古い様式なんでしょうねぇ。 電子レンジとか、あるんでしょうか。この分だと期待できそうにありません。 お米も、電子ジャーではなくてガス炊飯器とかだったりとか。 当然ですが使ったことはありません。今後、わたしが当番をするのなら勉強しておかないと。
ついつい主婦モードで今後の生活を検討してしまっています。 情報端末としての意識低下が顕著なのがこのことからもうかがえるというものです。 仕方ないですけどね。ほかにすることもないのですから。
……主婦、かぁ。
その面倒をみていた相手。長門さんはどうしてるかなぁ。
足元からじんわり伝わるこたつの暖かさに感じ入りながら、別れたばかりの彼女のことを考えています。 となりからはお湯が沸く音が聞こえてきて、その音に、ああ、お湯かぁ。もしかすると夕食を作るのをサボってカップメンとかにしてるんじゃないかなぁ、とか。 充分あり得る話です。ほんとうにその辺は適当でしたから。長門さんは。 放っておけば、パソコンにかじりついてご飯も食べないことだってやりかねません。
そういえば今夜は帰らないとか言ってましたね。ご飯どころじゃないのかな。 今頃、どこで、なにをしているんでしょう。 今、わたしたちの周辺でなにが起こっているのでしょう。
お湯の沸く音が次第に大きくなってきました。 気が付くと時計の音が妙に大きく聞こえます。ふと視線を上げると、その正体は太い柱に備え付けられた振り子時計でした。 とことん、この家はレトロな色調で統一されているのです。
とりとめのないことを考えながら、それでもやはり頭に残るのは彼女のことです。 どうして、わたしは彼女と離れなければならなかったのでしょうか。 誰も、そのことをまだ説明してくれません。
もしほんとうに邪魔だったら。
こんな出来損ないの体になったのが目障りだったのなら――。
――いっそ、あのまま消してくれてればよかったのに。
「う……」 涙がポロポロこぼれてきます。 自然とあふれてきて、止まりません。 楽しかった。 嬉しかった。 いろんな思い出があったあの部屋が、今ではとても遠いところになってしまった。
寂しいのです。 悔しいのです。 こんな体になってさえいなければ――。
「朝倉さん」 気が付くと、わたしのすぐ横に喜緑さんがしゃがんでいました。「うぇ……」「いいですよ。今は」 そっと、彼女はわたしを抱きしめてくれました。「わたしには、正確にあなたの今の内面を理解できないのだと思いますけど」 とても優しい言葉でした。 それを聞くと、もっと悲しくなってしまうのですが。「……わたしがお守りします。絶対に、どんな脅威からも」「……守る……?」 その言葉の意味は、わかりません。 彼女の胸元の温かさに包まれたまま、でもわたしは上手に考えることができないでいました。
「それが"約束"。わたしが彼女と交わした」
わたしを抱く両手に、少しだけ力が加わったようでした。 そして、喜緑さんの次の言葉に、わたしは混乱した思考の中で、驚愕していました。 「たとえそれが――広域帯宇宙存在そのものだったとしても」
―第五話へつづく―
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