消滅の代償
プロローグ
「ジョン=スミスは俺なんだ!」俺はハルヒに向かって叫ぶ、ハルヒは目を丸くして驚き、女子トイレに明らかなおかまのおっさんが入ってきたのを見たような表情をしている。それを見ていた朝比奈さんは怯えた顔で、古泉はいつもの微笑で見守っていた。「…え…ちょっと待ってよ!あの頃はあんただって中学生でしょ!ジョンは明らかに高校生だったわよ!」くそっ!時は一刻を争うというのに、変なところで常識的な奴だ、すべてをハルヒに教える前に今回、なんでこうなっちまったのか急ぎ足で振り返ろう。
一章
季節は春。寒かった冬も終わり、雪が溶けて川になって流れていったり、つくしの子が恥ずかしげに顔を出すそんな季節である。だがしかし、今の地球の異常気象はそんなことはお構いなし、と、いうのも3月になるというのにまだ寒かった、というわけだ。そうそれは先月ハルヒ達からやたら凝った方法で渡されたチョコレートのお返しをどうやって返してやるか考えを巡らせる頃だった。朝というのも憚られるぐらい暗い早朝、携帯のけたたましい音により俺のぬくぬくとした安眠は部屋の中に飛んでいる蚊が蚊とり線香に落とされるように簡単に打ち砕かれた。 こんな早朝にいったい誰だ…という考えはカメレオンが口から舌を出して虫を口の中におさめるより早い時間で止まった。人の迷惑顧みず、こんな傍若無人なことをしてくる人間に心当たりは1人しかいない。「もしもし?」眠い目を半分開いて手探りで探した携帯電話のボタンを押す。「……」予想していた大音量は飛んでこない…どころか電話口に音声すら発生しない。改めて俺は電話のディスプレイを確認する。「長門?どうしたんだ、こんな朝早く。」正直言っていい予感なんて微塵もなかった。普段絶対にこんなことをしない長門がこんな時間に電話をかけてくる、それは異常事態以外のなにものでもないだろう。「…ごめんなさい。」この電話の中で初めて発せられた長門の言葉は謝罪だった。これはまずい。俺の非日常警報がサイレンを鳴らす。長門でも対処できないことが起こったとでもいうのか!?「…声が聞きたかっただけ。」…俺は最初何を言われたかわからなかった。こんな純粋に感情だけに促されるような行動を長門がとるとは思わなかったからだ。「別に構わんぞ、厄介事の知らせよりよっぽどいい。」「…そう、ありがとう。」俺はそれで切れた電話に温かさすら感じていた。だが、この時の俺は楽観的すぎたんだ、長門がこんな時間に電話をかけてきて、何でもないはずがなかったんだ。
二章
二度寝は気持ちがいい。異論は認めない。長門の電話で朝早く起こされた俺だが、その時点で、まだ3時間も寝れる…そう考えれば最高の時間だった。ただ最高なのはその時間だけでもう一度眠りにつけば本来の起床時間はすぐに訪れるのだ。長門からの電話が切れ、枕元に再び携帯を置いて目をつぶった…とすぐに意識は落ち、その直後ぐらいの感覚で妹のエンジェルダイブエクストリームが俺に炸裂したのだった。 しかし、時計は無情にも起きる時間を示している、睡眠とはなんと儚いものか。アライグマが食べ物を洗う当然なような動きで俺は朝の支度をする恨めしいながらも1年近く通い続けて少しだけ、本当に少しだけ愛着が沸き始めた学校の前のハイキングコースを登って学校に着くと、ハルヒから予想外の一言が聞こえた。 「今日有希休みだって。」なんだって?長門が休み?いったい何があったっていうんだ!?「ちょっと慌てすぎよ、今朝早くメールがあったの…風邪ひいたんだって。」言いながらハルヒは携帯のメールを見せてくれた。その時刻は俺が長門に電話をもらった1分前だった。「珍しいこともあるわよね、有希が風邪なんて……そうだ、放課後はみんなでお見舞いに行きましょう!」いつもならお前が来たら病人もうかうか寝ていられないとか突っ込むところだが、それどころではなかった。いやな予感が頭を駆け巡る、不安な気持ちが心を揺さ振る。「ほらみんな席つけー。」岡部がやってきて感じたのはただ座ってなきゃいけなくなったもどかしさだった。
三章
「古泉!」1時間目が終わった休み時間、俺は全速力で9組までやってきた。「どうしたんですか?そんなに慌てて。」悠長に微笑みを絶やさない古泉に道を歩いていた時、目の前のカップルの歩みがゆっくりでなかなか追い越せないようないらだちを覚えるが、そんなことはまあいい、なぜならこいつはまだ何も知らないのだから。 「今日…長門が休みだそうだ。」だから伝えてやるんだ、今の状況を、俺が慌てている理由を。「…!」にやけ面が真面目な顔に変わった。俺の危惧している部分が、どうやらこいつにも伝わったようだ。「…今は時間がありません、昼休みにテラスへ、いいですね?」俺は授業をさぼってでも話をしたかったが、古泉はきっとその間にやることがあるのだろう、そんな気がした。だから俺は古泉に了承の返事をしてから頭上で鳴り響くチャイムの音をバックミュージックに自分の教室へと戻った。授業で何をやったのかなんて覚えていない。後ろからのシャーペン攻撃に続いた言葉も覚えちゃいない。ただ俺はもどかしく昼休みの到来を待っていた。こんな短い時間と比較するのは大変申し訳ないとは思うが、永遠の夏休みにも似た気分を味わっていた。偶然、あの時は俺の選択肢が合致して夏休みを終わらせることができた。俺には最後の一回の記憶しかないから苦痛なんてない。だが…長門は違う。何百年と繰り返される夏休み、それを誰にも伝えることなく、観察者としてことの成り行きを見守っていた。何もできないもどかしさ、ただ繰り返される日々を過ごすだけの退屈。そんなものを感じていたから長門は、世界を作り替えちまったんだろ?だったら今度は俺の番だ。あの時、俺は言った。ハルヒを焚き付けてでも長門を救うってな。長門に何が起きているかはわからない。もしかしたらもういないのかもしれない。だが、そんなことなんて鯨の口の中に蟻が入ってしまったくらいどうでもいいレベルの力を持った最強の団長様がこっちのバックにいるんだ。俺は俺にできることをやるだけだ。何がなんでも救ってやる。「長門…」窓の外の曇り空を見る。すでに3月なのに日も当たらない寒空。まるで俺の心を写しているかのような気分に陥る。暗くなってどうする?そんなんじゃ長門にユニークとか言われちまうぜと、前に視線を向ければ、教師が授業のまとめをしているところだった。少し進んだまま誰も直さない時計は、すでに昼休みの到来の時刻をさしている。あとはチャイムがなるだけだ。今か今かと待ちわびたチャイム、それが校内に鳴り響いた瞬間、俺は挨拶も忘れ、教室を飛び出していた。
四章
俺がテラスに着いたとき、すでに古泉はそこにいた。「だいぶ急いでこられたようですね、どうですか?お茶でも。」俺は悠長に構える古泉を咎めるように湯気が立っている横にあった茶色い液体を喉に流し込んだ。冷たい烏龍茶が乾いた体を潤す。「…まだ喋るのは難しいでしょう?まずは僕の話を聞いてください。」そう言って古泉は俺を座らせ、喋り始める。「機関が調査した結果、自宅に長門さんはいませんでした。学校にもいない、家にも機関の判断は静観せよ、でした。長門さんがいなくなったことは機関にとってはどうでもいいことだったんでしょうね。」 笑顔で手振りをつけながら話す古泉にいらだちを覚える。だったらなんだ、お前は機関が我関せずだから何もしないっていうのか?「…同じくTEFI端末の喜緑さんはいつも通りのようでした、さすがは穏便派といったところでしょう。」だからなんでお前はそんなにこやかに話せるんだ!長門が心配じゃないのか!?「…もちろん心配ですよ…だからこそ、です。何か覚悟を決めた人間は逆に悟りを開くものです。」目を見開き、顔の前で手を組む古泉。その顔は怖いほどだった。「前に言いましたよね?僕は一度、機関を裏切ってでもあなたを、ひいては長門さんを助けると。」イエスマン古泉とはまるで違う、静かな迫力をもつ低い声。その声に、顔にこれほどの頼もしさと恐怖を感じるとは。「SOS団副団長、古泉一樹…機関を裏切り、あなたに協力します。」ごくり、と自分が唾を飲み込む音が頭に響いた。どれほどの覚悟をしたらこんな表情になるのだろうか、どれだけの決意を固めたらこんな目の色になるのだろうか。これが…同じ人間の顔なのだろうか。今ほど、古泉が味方でよかったと思ったときはない。信頼できる仲間を手に入れた俺は、自分のジョン=スミス作戦を古泉に話した。聞き終わった古泉は少しうつむいた後、淋しそうな表情でこう話した。「……その作戦を実行すれば、SOS団はもうもとには戻れない、それはわかっていますか?」…俺は言葉を失う、色々なことが脳裏を通過していく、頭が混乱する、どういうことだ?「朝比奈みくるが敵になる、ということですよ。」俺ははっと古泉の顔を見る。真っすぐに俺を見据えた目には悲哀が感じ取れる。「朝比奈みくるは…いえ、未来人組織は何か意味があってジョン=スミスを生み出した。それが長門さんを…彼女らにとってはただのTEFI端末にすぎない存在を救うためだとは考えにくい…この作戦において、彼女は敵です。」 自分のことばかり、考えていた。朝比奈さんや古泉の事情なんて考えていなかった。ただ自分のわがままで長門を助けるためにみんなを巻き込もうとしていた。…情けなかった。長門が戻ってくればみんなそれでいいと思っていた。だが…古泉のおかげで思い知らされた。敵にならないまでも朝比奈さんが未来に帰ってしまうかもしれない、このことを知られたら古泉だって機関に拘束されるかもしれない…ダメだ…この作戦は穴だらけだった。 「その作戦は最終手段です、できることを探しましょう。」古泉の言葉にかぶさるように昼休み終了のチャイムが鳴った。「僕もいろいろ考えてみましょう…では、放課後に。」俺は切り札が切り札でしかないことを思い知らされ、歩き去る古泉に背中を見送ることしかできなかった。
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