第〇七〇七小隊SOS団 第一章 曉に祈る
ここには、お国のためだけに戦っているやつは一人もいなかった。少なくとも、俺の目にはそう映ったね。 自らのために戦い、自らのために死んでいるんだ。敵も味方も。 信じるもののために、愛するもののために。 それが、国のために戦うってことだ。 ~第一章 曉に祈る~ 上海に辿り着いてから数日後、とある大会議場で第25軍司令官の演説があった。 予め言っておくが、長ったらしいなんて決して思ってないぞ。 話の詳細については、当然だが省略させてもらう。 ちなみに、第二十五軍とはSOS団が所属する第五師団などを統括する軍である。 「みんな! 作戦内容を発表するわよ」 俺たちの宿場にもなっている船内のとある一室で、SOS団の会議が始まった。 周囲は濃い灰色の壁で覆われ、入り口右側に備え付けの二段ベッドがあるだけの簡素な部屋だ。 ただ、上官の話によると、船にベッドがあるだけでも相当恵まれているらしい。 なんとなく、壁に押しつぶされそうで怖い。 で、ハルヒの話した内容を簡潔にまとめるとこういうことだ。 出航した後は十二月八日に泰国(タイ)に上陸、同国と同盟締結後に泰国領を通過し、馬来半島(マレー半島)で英軍、つまり英吉利軍と交戦するとのこと。 いや待て。マレー半島? 英軍? 何の話だ。「米英に宣戦布告するのよ!」 なっ、そういう計画だったのか! 上海に配属された当初、俺はてっきり関東軍に編入されて満州の警備でもするのだと決め付けていた。 それが突然、これから英吉利と戦いましょう、なんて話があるか。「何言ってるのキョン。これはチャンスよ? ここで功績を残せば世界最強の部隊だと認められるわ」 日本を飛び越えて世界一ってか。 何だってそんな上ばかり目指す必要があるっていうんだ。「じゃあ、各自しっかりと休んで戦いに備えてね」 ついに、第〇七〇七小隊SOS団にとって最初の戦いが始まるんだな。 その後、俺たちは予定通り十一月中旬に上海を発った。 今日から、十二月八日までこの船の中で過ごすことになる。 さて、出航した日のことである。俺は唐突に、去年と同じように古泉に呼び出された。「何だ、古泉」「新SOS団が設立されて、一年が経ちました。ですが、我々は未だに元の世界へ戻る方法を見出していない」 笑顔を絶やさず、それでいて声色は真剣そのものだった。 ああ、そういえばそんな話あったなあ。「だが、これまでちっとも話題に挙がらなかったじゃないか。いきなりどうしたんだ?」「それが、今日突然思い出したのです。恥ずかしながら、僕もすっかり失念していました」 首を傾ける古泉。 大事なことを忘れるなんて、古泉らしくないな。「何の前触れも無く記憶が取り戻されるというのは、めったにありません。 この現象は偶然ではない。僕はそう睨んでいます」 そこまで深刻に考えるほどのことだろうか。「けれど、解決方法が無いとどうしようもないんだろ?」「その通り。これまでの涼宮さんの動向を振り返ってみても、まだ目的が達成されていないようです。 今我々にできるのは、この世界での職務を全うすることのみですね」 古泉は、普段と同じような調子でそう言ってのけた。 この会話で思い出したが、ここに来てからもう一年経ったのか。 最後は笑って帰りたいものだ。 「なあキョン、もう戦地は目の前なんだよな」 上海を離れてから一週間ほど経ったある日、そう切り出したのはチャックの引き締まった谷口だった。「それがどうした?」「いや、なんというか、まだ戦うってことに実感が無いんだよな。 言っちゃあ悪いが、結局はただの殺し合いだろ? なんのために戦うのかな、って思ってさ」 いつもより、随分重苦しい口調だった。「その意味を見出すのが俺たちじゃないか? なんてな」「そうだな。そりゃあそうだ」 霧が薄くなる。「キョン」 なんだ?「帰ったら、腹いっぱいわらびもち食おうな」 ああ。 それ以上、俺たちは何も言わなかった。 背負っていた鉛が一つ、ゴロンと音を立てて落ちた。 出航してから二週間が経ち、いつの間にか師走の訪れを迎えていた。 いつもと変わらず寒々しい海だなあ。 上陸が近づいているからだろう、心なしかどの乗組員も顔が強張っているような印象を受ける。 そんな中、こいつだけはいつもと変わらなかった。「今日はお前が掃除当番だぞ、朝倉」「わかってるよ、キョンくん」 俺は、朝倉と会うことは二度と無いだろうと思っていた。そう願っていた。 その考えは、元の世界での十二月に容易く打ち砕かれてしまう。 そして、この世界での去年、まさかの三度目の再会を果たしちまったわけだ。 朝倉は何のためにこの世界に来たのだろうか。 単なる数合わせ? ハルヒがそんなことをするはずが無い。 いや違う、そもそも前提が間違っているんじゃないか? ハルヒの力ではない、他の原因で復活したと考える方がよっぽど自然だ。 邪推するのはやめよう。今のあいつは敵ではない。 「なあ、朝倉」 その日の夜、俺は思い切って朝倉を部屋に呼んで話すことにした。 空間は微かな上下運動を繰り返している。「なに? 真剣な顔しちゃって」 朝倉は、いつものように笑顔で返答する。相変わらず、人当たりのいいやつだ。 そんな朝倉にこんな質問をするのは、ちょっとばかり罪悪感があるのだが。「お前、SOS団にいて楽しいとか感じることはあるのか?」 束の間の沈黙。 ああ、何が楽しくてこんなこと聞いたんだ俺は。魔が差したのか。 けれども、朝倉は不快な表情を浮かべることなく答えた。「ある、って言ったら信じる?」「これが去年だったら、絶対に信じなかっただろうと思う。 だがな、今となってはお前も俺たちと共にこれまで過ごしてきた仲間だ」 妙に口が動かしやすくなった俺は、そのまま話を続けた。「俺は、なんだかんだ言ってお前が気になっていたんだ。いや、やましい意味じゃなくてだな。 前の世界でお前が俺にやったことなんざ、この際どうでもいい。 ただ、一度消された『本物』のお前が、こうして俺たちと一緒になって過ごすことに対して何か抵抗を感じてるんじゃないか、って考えてたわけよ」 今まで溜めていたものを一気に吐き出すことができた俺は、ぬるま湯の充足感に浸っていた。 「へえ、そんなこと思ってたなんて意外ね」 笑顔のまま。「わたしね、今までは人間の感情なんて全然わからなかった。 でも、またこの世界、正確には前いた世界とは違うけど、ここに帰ってきたとき、不思議と全身の力が抜けてダラーンってなっちゃったの。 それから、急に笑い出しちゃって。全く、おかしい話よね」 おかしくなんか無いぞ、口から自然と出た言葉だ。「それで、初めて思ったの。これが、あなたたちが言ってた安心感とかそういうものなのかなって」 俺は、話を始める前よりも神経を研ぎ澄ませて、必死に意思表示している朝倉の言うことを聞き取り続けた。「なんだか、この世界に来てから妙に人間っぽくなっちゃったのよね。涼宮さんの力かしら? とにかく、わたしは毎日楽しく過ごしてるよ」 そうかい。「前はあんなことしちゃったのにこんなに親身になってくれるあなたに、いつか伝えたいと思ってた」 少し間を置いて、「キョンくん、ありがとう」 礼は生き残ってからにしろ。 そう言った後、俺はわざとらしく笑ってみせた。 その先には、快晴の笑顔を浮かべる朝倉がいた。 十二月八日午前一時三十分。「ヒノデハヤマガタ」 これが開戦の暗号だった。 数時間後には、布哇(ハワイ)への奇襲作戦も始まったらしい。 マレー作戦のみならず、太平洋戦争の始まりである。 実感は無いけどな。 話によると、別師団の先遣隊が英吉利領に強行的な上陸を開始したとのことだ。 俺たちSOS団を含む第五師団は、予定通りに泰国領を通過している最中である。 暗くて周囲はよく見えないが、象が街中を歩いているわけではないんだな。 そんなつまらないことを考えられるぐらい、不思議と気持ちは落ち着いていた。 十二日、まだ朝陽が顔を出し始めたばかりだ。 俺たちは国境付近まで迫っていた。「これから交戦中の友軍部隊と合流し、一気にジッドラ陣地を突破よ! 準備はいい?」 小隊長様、今日もご機嫌麗しゅう。 ジッドラ陣地というのは、泰国国境のすぐ近くにあるイギリスの要塞である。 ここ半年間は、ジッドラ陣地を始めとするマレーでの戦いを意識した訓練が多かった。 そのおかげで、こんな言いづらい地名もいつの間にか覚えちまったってわけだ。「行軍開始!」さあ、敵は目の前だ。 太陽が傾き始めた頃、俺たちはようやく前線に辿り着いた。 だが、そこに英軍の姿は無い。 訝しげに思っていると、それまで微動だにしなかった長門が口を開いた。「ジッドラ陣地で篭城していた英軍は全面退却した」 敵は逃げたってことか。 その言葉を聞いた瞬間、全身の気力が髪の毛のように抜け落ちた。 戦わなくて済むのは、俺たちにとってはありがたい限りだ。 だが、一部の人間にとってはいい加減じれったくなってくるんだろうな。ハルヒとか。 翌日、先発の部隊を見送ってから、俺たちにも進軍命令が下された。 そのとき、進軍するにあたって支給されたものが、なんと自転車である。 まあ、様々な形式の行軍演習を行った俺たちにとっては別段驚くことでもないのだが。 右を向いても左を向いても銀輪ばかり。この光景、買い物に向かう主婦の様子と酷似するような気がしてならない。 但し、乗っている連中は異常に真剣な顔つきだがな。 それにしても、自転車に乗っている長門が楽しそうに見えるのは気のせいだろうか。 風を切る感覚が嬉しくて仕方ないのかもしれない。俺の勝手な妄想だ。 それからというものの、最前線では軽く英軍の抵抗を受けているようだが、中盤に位置する俺たちには何の被害も無かった。 毎日銃を構えなければならないと思っていただけに、この状況には密かに感謝している。 英軍がご丁寧に全ての橋を壊しつつ退却するので、川が近づいたら行軍をやめて橋が修復されるのを待つ。そんな日々が続いた。 もっとも、橋を直す工兵たちは不眠不休の作業を強いられているようなので、全軍が楽をしているとは言えない。 年が明けて一月六日、それまで順調だった俺たちの足取りが止まってしまった。 最前線との通信によると、敵陣と衝突して本格的な交戦が始まったとのことだ。 微かだが、砲撃の音が以前よりも大きくなっているような気がする。 そして、進軍が止まるということは、俺たちが戦闘に参加するということを意味していた。 頼むから、初陣で散るのだけは勘弁してくれよ。 暫く進んでいくと、他の部隊が用意した野営地を発見した。どうやら、ここが後衛の陣地であるようだ。 辺りは、日本では見慣れない木々に覆われている。薄暗い。「もうじき戦闘ね。やつらの喉元に切っ先を突きつけてやるのよ!」 実際にそれをやるのは、隊長のお前ではなく俺たちだということを忘れないでほしい。「キョンくん、無事に帰ってきてくださいね」 朝比奈さん、あなたに傷の治療は絶対させませんよ。「敵は攻めてこないようね。そろそろ始めましょう。 いつもの六人は、前線に到着したら新たな陣地をつくって、そこで敵を迎え撃ってね。 陣地構築中に敵の攻撃があるかもしれないわ。その場合も、自分の命を優先して戦うこと!」 お前にしては真っ当な指示だな。 如何なる局面でも気合で乗り切りなさい、とかそんなことを言うだろうと思っていたが。「それでは、」 そこでハルヒは大きく息を吸って、「全軍前進!」 辺りに木霊する。いつか鼓膜が張り裂けそうだ。 前進した俺たち六人は、敵の抵抗を受けることなく野戦築城を遂行できた。 いつ移動を始めるかがわからないだけに、ただ単に掘っただけの極めて簡素なものだ。 今は、狙撃手の長門に監視役を任せ、俺たちは束の間の休息を取っているところである。 太陽の位置からして、もうすぐ夕方ってところか。「なあ古泉、ここに敵が攻めてきたら俺たちはどうすればいい?」 俺は、何気なくこんな質問をしてみた。「どうするも何も、普段通りの迎撃態勢をとれば大丈夫ですよ」 そりゃあそうだな。何を言っているんだろうか俺は。 独白では平静を装っているが、実際のところそうではないのかもしれない。 しかしまあ、みんな何も喋らないな。 上陸してから一ヶ月が経ったとはいえ、まだ敵との接触は無い。 それ以前に、俺たちにとっては初めての戦いだ。緊張するのも当然か。 結局、夜になっても敵が現れることは無かった。 見張りは別の小隊に任せ、俺たちは夕食を取ることにした。 これは訓練のときから思っていたことだが、軍では食事のときが一番楽しい。食事の間だけは、何もかも忘れることができるからだろうか。 いつも通り、他の部隊も盛り上がっているようだ。行軍中とは空気の荷重がまるで違う。 さて、俺たちも準備を始めなくては。 今日は、ハルヒと朝比奈さん抜きの食事か。 少し寂しいと感じるのは、朝比奈さんだけの所為だよな。 しかし、あの二人だけで過ごすのは大丈夫だろうか。心配だ。「涼宮さんから通信が入ったよ。みんなの安全確認だって」 国木田は俺にそう告げた。 ハルヒからの連絡か。今は食事中だってのに。 黒色の長方形に手をかける。「キョン! あんた、みんなに迷惑かけてないでしょうね!」 通信機を取るや否や、音割れするほどの怒号が耳に刺さった。 少しぐらい俺の心配をしても、バチは当たらんぞ。「お前じゃあるまいし、誰にも迷惑はかけとらんよ」「ふん。せいぜい生きて帰ってくることね」 そう言ってから、ハルヒは一方的に通信を遮断した。 正直言おう、何がしたかったんだ。 「相変わらずキョンはモテるなー」 黙れ谷口。「それにしても、今日は大変だったな」 わざと疲れたような表情をされても、反応に困るのだが。「今日は築城作業があったからな。敵もすぐ近くにいるわけだし、いつでも出られる態勢をとっておくのが妥当だろう」 とでも言っておくか。「そうだね。明日には敵が来るかもしれないよ」 口に物を含みながら話す国木田。器用だな。「ええ。今の戦況を考慮すると、いつ戦闘が発生してもおかしくない状況です」 この口調、古泉の発表会が始まりそうだ。誰か止めてくれ。「しかし、まだ実感無いんだよな。実弾が入った銃で人を狙ったことは無いし」 素行から鑑みるに、悪いがそういう風には見えないな。「俺だって、いろいろ思うところがあるんだよ」 谷口が人に威張れるようなことを考えているようには、残念ながら全く感じられない。「明日もがんばらないとね」 そう言ったのは、人間らしい朝倉だった。「朝倉のためなら、たとえ火の中水の中ってな!」 谷口いい加減にしろ。 夕食の片付けも終え、俺は持ち場に戻った。 いつもなら、この後すぐに就寝準備に移る。だが、今日は夜間の監視業務があるため前線に張り付いていないといけない。 監視役も他の役割と同じく当番制で、悲しいかな、偶然にも今日は俺が割り当ての日だった。 ただ、監視役は二人体制だ。一人で寂しく過ごす必要が無いのは助かる。 当番表をもう一度見る。俺と長門の名前を発見。 前言撤回。だめだこりゃ。 辺りは闇に、そして静寂に包まれている。その先には敵がいるのだろう。 しかし、この雰囲気を重苦しく感じることは無かった。 側に誰かいるだけで、こんなに心強いものなのか。改めてそう感じた。 で、その長門は相変わらず口を開く素振りを見せない。 突然、何か芸を始めたらおもしろいんだがなあ。 まあ、ここは俺が何か話さないと始まらないよな。「なあ長門、能力を制限されているのに正確な射撃ができるのはなぜだ?」 この機会に、以前から疑問に思っていたことを問うてみる。 すると、今まで人形のように静止していた長門の口元が動き始めた。「制限されていない演算能力を利用したもの。 距離、風向き、銃の状態などを考慮し、着弾位置を計算によって特定する」 なるほど。俺には到底辿り着けない境地だ。「これは言語の概念で説明できるもの。だから、過程を把握すればあなたも理解できるはず」 いや、遠慮しておくよ。「それにしても、この世界に来てからは微妙に口数が増えたな。 特に今日なんか、普段と比べて妙に積極的じゃないか」「それは、わたしがあなたと会話することを望んでいるため」 今日の長門はどうしちゃったんだ。 長門の喋りは止まらなかった。「これは朝倉涼子にもその兆候が見られることだが、この世界に来てから所謂人間らしさが表れつつあるのを、一個体として感じる。 だから、SOS団として共同で活動することに人間で言う喜びを感じ、あなたがなかなか呼びかけに応じないときに悲しみを感じる。 その原因は、情報端末としての能力が殆ど失われているのが一つ。 しかし、わたしのなかに感情というものが生じたのをはっきりと認識できるため、それだけが理由であるとは言えない」 なんだなんだ? ようやく口を開いたかと思えば、急にあれこれ話し始めるとは予想外だ。 ただ、この感覚は一度感じたことがある。以前に朝倉と話をしたときと同じく、必死に自分の思いを伝えようとしているのが手に取るようにわかる。 長門の目が、そう俺に訴えているからだ。「俺なりの解釈だが、より人間に近い存在になったという認識で構わないか?」「そう」 ええと、肯定と判断していいよな。「泰国に上陸してからは、あなたと話しているときと自転車に乗っているときに、格別楽しいという感情を抱くようになった。 原因は、現時点では不明」 自転車に乗っているときに見た楽しそうなお前は、俺の見当違いでは無かったってわけか。「長門、楽しいと思うのに理由なんて無いんだぞ。楽しいから楽しいんだ」 そう言うと、長門は少し間を開けて、「楽しいから楽しい、記憶しておく」 と囁いた。 そう話す姿が楽しそうに見えるのは気のせいではないはずだ。「長門、俺でよければいつでも話相手になるぞ。 お前が楽しい、悲しい、そんな感情を持つようになってくれて、俺は本当に嬉しい。 今まで、お前がはっきりとした意思表示をすることなんて無かったんだ。この際、お前が喜ぶことはなんでもしてやろう」 言い終えて、俺の中には恥ずかしさだけが残った。何言っているんだろうなあ俺。 「そうだ長門、空を見てみろ」 ふと思いついた俺は、長門にそう言った。 さっき話したことを、すぐに現実にしてやろう。そう思ったからだ。 何も言わず上を向く長門。仰角四十三度。 見えたか? そうだ。満点の星空だ。「どうだ。綺麗だろう」「星空を視認した瞬間、心拍数の増加を感知した」 それが、感動というものだ。「この光景を見ていたい。わたしはそう望んでいる」 誰も星空を奪うことなんてしないさ。思う存分見ればいい。 そう告げると、長門は「そう」 とだけ言って、再び動かなくなった。 じゃ、監視を続けるとしますか。長門、こっちは俺に任せておけばいい。 静寂は、より心地のいいものにかわっていた。 監視役は交代制だ。深夜に他の小隊と交代して、俺と長門は就寝した。 長門がなかなかその場を離れようとしなかったので苦労したのだが、それについては割愛する。 夜が明けても敵が攻めてくることは無く、俺たち前線組は後方に残した二人とようやく合流することができた。 今日の朝食は八人だな。なんだか久しぶりに揃ったような気がする。 しかしなんだ、朝からうるさいのがいるのは精神衛生上よろしくないな。もう慣れてしまったことだが。「キョン! みんなに迷惑かけてないでしょうね!」 ハルヒのしかめっ面によって、俺の一日は始まった。 昨日も聞いたぞ、それ。「お前こそ、朝比奈さんに迷惑かけてないだろうな」「うるさい! 何もしてないわよ」 そうかい。それならいいんだ。 午後になり、敵が一向に現れないこの状況にいい加減飽き飽きしていた頃だった。 まあ、他の方面では既に衝突があるようだがな。「みんな! SOS団の次なる任務が決まったわ」 そう言い始めたのは、この世に一人しかいない、SOS団の団長である。「今夜、戦車を中心とした部隊で敵陣に夜襲をかけるの。 それで、SOS団を含む歩兵第四十一連隊はその援護を命じられたってわけ。 早速、準備を始めるわよ!」 ハルヒがそう言い終えた瞬間、辺りは急に騒がしくなった。 変化っつーのは、唐突に訪れるものなんだな。 そして夜、決行のときが来てしまった。 誰もが、今までに無いぐらい真剣な表情で構えている。ハルヒに至っては、一人で飛び出してしまいそうなぐらいだ。 上陸してからいろいろとあったが、今回は間違いない。これが俺たちの初陣だ。「最終確認。 前進する六人だけど、戦車部隊の後方に着きながら戦車を狙ってくる敵を掃討するのが任務だからね。 無理に突っ込まないように」 お前が戦闘に参加するなら、その言葉をそっくりそのまま返したいところだ。「もし負傷しちゃっても慌てずに、木陰に隠れつつここの陣まで戻れば大丈夫よ。 でも、ここから離れすぎちゃったりして帰れなくなったら、そのときは小隊全員でどこかに陣を張って、そこで待機すること。 あと、こっちとの連絡は常に保つのよ。いい?」 頷いたり返答したりと、反応は人それぞれだ。 他の部隊なら、全員声を揃える場面なんだがなあ。「最後に、みんな無事に帰ってきてね」 暗闇の中、ハルヒはそう言って話を締めた。 どうでもいいが、ハルヒの性格が丸くなっているような気がしてならない。 「全軍前進!」 号令と共に、俺たちは前進を始める。 ふと後ろを振り返りたくなったのはなぜだろうか。 そして、俺たちは指示通り戦車隊の後方で構えをとった。 心臓の高鳴りを感じる。 一つ安心できる点は、俺たちは突破役ではなく掃討役だということだ。 前の部隊が撃ち漏らした連中を追い払う。それだけでいい。 心臓の高鳴りを感じる。 突然、前方から砲撃の音が響いた。空気を伝って全身に共鳴するのがよくわかる。「始まりましたね。さて、我々も行かなければ」 古泉、悔しいが今日だけはお前が頼もしく感じるよ。 それから十分ほど経っただろうか、敵は一向に現れる様子が無い。 しかし、今まさに右側遠くで木々が不自然に揺れるのを、俺は見逃さなかった。「みんな、向こうから人の気配がしたんだが、どうしようか」 これを発見した瞬間、頭のてっぺんから一気に血の気が引いた。 そのためにどうしていいかもわからず、みんなの意見をどうしても聞きたくなってしまった。「まずは落ち着いて、相手が動くのを待ちましょう。 視認できる距離まで近づいてきたときは、他の部隊と協力して迎え撃つしかないですね」 さすが古泉。その貼りついた笑顔も、今は全く気にならない。「機関でも訓練を受けましたので、これぐらいのことは造作もありません」 機関で得た経験を発揮できるのが嬉しいんだろうな。心の底から笑ってやがる。 天秤が動いた。「敵軍襲来。総員戦闘配置」 そう淡々と告げる長門。 姿勢を低くし、銃を構え、敵が来るのを待つ。 一瞬の間を置いて、黒い軍服らしきものが見えた!「撃て!」 中隊長の合図と共に、俺と谷口は同時に引き金を引いた。 当たったかどうかはわからない。何人いるかもわからない。 祭りが始まったかのように、辺りが騒がしくなる。 気がついたときには、俺は途切れることの無い銃撃音に包まれていた。 今は、平原を挟んで敵と対峙している状態である。 小銃を持つ俺と谷口は、敵影が見えたら足並みを揃えて銃を撃っている格好だ。 機関銃手の朝倉は、敵が前進できないように機関銃で弾幕を張る。 狙撃手の長門は、精密射撃で敵を狙う。 国木田は本部との通信を継続し、古泉は弾薬の運搬その他を行っている。 ここだけ見れば、演習のときと何も変わらなかった。 だが、いつもとは明らかに違う点がある。それは、当然ではあるが生身の人間を相手にしているということだ。 俺と谷口が撃つ弾は、見る限り当たっているようには見えない。手が震えているからだろうか。 相手を退かせることが目的だから、今回はこれでも構わない。俺はそう自分に言い聞かせた。 しかし、長門が放つ一発一発が、確実に敵を捉えているのがわかった。 長門が銃声音を響かせる度に、一人また一人と倒れていく。 生きているのだろうか。それとも死んでしまったのだろうか。一瞬でもこんなことを考えてしまった自分が情けない。 こんな調子で、他人を狙って撃つなんてできるだろうか。俺に、人を傷つける覚悟はあるのだろうか。この先、戦場で生き残ることはできるのだろうか。 頭の中はどす黒い不安で一杯だった。けれども、その全てが銃声音に掻き消されてしまう。 再び、銃を構えた。重量が双肩に圧し掛かる。 殺されることへの恐怖は、既に霧散していた。 高速で進軍しながらも、結局夜が明けるまでその状態が続いた。 辺りは靄が立ち込めている。 眠気をあまり感じないのは緊張の所為だと思うが、訓練のおかげということにしておこう。「英軍の包囲が完了した。掃討戦に移行」 長門の表情を見る限りは、疲労は感じられない。実際はどうなんだろうね。 それにしても、夜戦の次は突撃か。ちょっとでいいから休息がほしいもんだ。「掃討戦に行こう! なんてな」 帰るなら今のうちだ、谷口。 戦車中心の作戦行動だから、突撃とは言うものの俺たちの任務は専ら戦車の護衛だった。 戦車の陰に隠れて銃撃を行うため、敵の襲撃に怯えることなく戦うことができたのはありがたい。 何より、他の部隊との連携もあって危険に晒されることも無く、一時間に数発撃ちこむ程度の軽微な戦闘で済んだのが幸いだ。 そんな緊張状態が数日間続きながらも、五日ほどで目的地である吉隆坡(クアラルンプール)の市街地に入った。 さすがに市街地での抵抗は激しく、すぐ前方の自軍戦車が破壊されることもあった。 けれども、俺は一心不乱に銃を向ける。 この数日で、銃弾を放つことに対する後ろめたさは幾ばくか緩和されてしまった。無くなったわけではないが。 他のみんなも、必死になって銃撃を続けている。 俺も含めて、全員がこの環境に慣れてしまったようだ。 それは、市街戦が始まってから一時間ほど経った頃だっただろうか。 煙の匂いがいよいよ濃厚になりつつあるときだった。「本部からの連絡によると、この辺りでの英軍の抵抗は完全に無くなったって」 国木田が唐突に放ったその言葉を、しかして取り零すことなく受け取り、俺たちは無言で構えを下ろした。 まず、何日もの戦いがようやく終わったことに対して、心の中は安堵で覆いつくされる。 とにかく辛かった。気持ちを緩めることができない日々だったからな。 その後少しの間を置いて、いつの間にか俺たちSOS団は、周りの目を気にすること無くみんなで抱き合っていた。男も女も関係なく。 ついでに谷口の鉄帽子を叩きまくった。 嬉しかった。初めての戦いを、SOS団全員で一緒に乗り越えられたのが嬉しかった。 敢えて不満な点を挙げるなら、この場にハルヒと朝比奈さんがいないことぐらいだろうか。 街の真ん中で、俺たちは感動を分かち合った。周囲の誰もが、その光景を咎めようとはしなかった。 太陽を、少し眩しく感じた。 クアラルンプールを占領してから数日後、ようやくハルヒと朝比奈さんが追いついた。「キョン! あんたみんなの足引っ張ってないでしょうね」 ズカズカとこちらへ向かってくるかと思えば、突然そんなことを言いやがった。 どうして俺への文句から会話が始まるんだ。まず言うことがあるだろうに。「みんなお疲れ様! よくがんばったわ。 暫くはここに滞在だから、ゆっくりしていいわよ」 そうだ。労いの言葉を忘れちゃいかん。 それから後発の部隊と先頭を交代し、俺たちは久々の休息を得ることができた。 各々、思い思いの休暇を楽しんでいるようだ。休暇と言えるほど自由なものではないが。 暇を持て余す俺は、ついこの間までここで行われていた戦いを思い返してみた。 一日一日が長かったが、こうして振り返ってみるとあっという間だったような気もする。矛盾だな。 砲弾に晒される毎日で、安らぐ間も無い環境だった。 しかし、思いのほか順調に進軍できたことに対し、心のどこかで喜びを抱いたのもまた事実である。 戦争もそんなに悪いもんじゃないかもしれない。そう思えるぐらい、この数日間が俺に与えた影響は計り知れないものだった。 視界の端に、瓦礫の家屋が映った。 戦地で平和な日々を送れるはずがねえ。わかっていたさ。 一週間後、早速の出撃命令である。 出撃とは言うものの、マレー半島での戦いはほぼ片付いている。 俺たちの本当の目的地は、その先に構える要塞都市の新嘉坡(シンガポール)であった。 ちなみに、シンガポールは海を隔てた地であるため、俺たちに支給された通信機器ではマレー半島と交信できない。 その影響で、今回初めて八人揃っての出撃を命じられた。 ハルヒがいつも以上に動き回っている。よっぽど戦いたかったんだろうな。 翌日から自転車による行軍を始め、今日で一週間ぐらい経っただろうか。 一月三十一日、SOS団はマレー半島最南端のジョホール・バルに到達した。 戦うことなく来てしまった俺たちには何の感慨も無かったがな。 それから一週間が経ち、この日の早朝に出撃命令が下された。 どの兵士も、我先にと舟艇へと乗り込んでいく。 舟艇での上陸作戦といえば、去年の大規模演習を思い出すなあ。 朝陽に潜り込みながら、シンガポール島を目指す。 それから暫くは、海も人も穏やかだった。事が動いたのは、船内で朝食を取り終えたあとのことである。「おいキョン! 前の舟が撃たれてるぞ!」 谷口の声で、全乗組員が前方を向く。 その先には、敵の機関銃部隊による掃射を正面から受けている舟があった。 おいおい、これはまずいぞ。「兵力が手薄なところを狙え! 何としても上陸するんだ!」 中隊長の指示により、俺と谷口を含めた小銃手全員が一斉に銃を構える。「右斜め前だ! 撃て!」 力一杯に引き金を引く。その瞬間、銃撃音がいっぺんに炸裂した。 少し怯みそうになるが、なんとか気を取り直してもう一度銃を構える。 しかし、当然ながら敵の反撃が来るわけで。「みんな伏せて!」 俺の後ろでそう叫んだのはハルヒだった。 即座に身を屈める。一足遅れて、弾丸が特急で通過した。「ハルヒ、いい判断だったな」「そんなこと言ってる場合じゃないわ。上陸するまで銃撃は終わらないわよ」 正論だ。なんか悔しい。 しかし、ひっきり無しに飛び交う銃弾をどう対処しろって言うんだ。「敵の機関銃手を狙撃する。許可を」 耳元で声がしたので振り向いてみると、数サンチ先に長門がいた。近い。「助けてくれるのはありがたい。だが、あんまり無理するなよ?」「そう」 この瞬間、長門の電源が入ったようだ。 銃身を外に出し、狙いを定めている。そして、それは音も無く放たれた。 敵の銃弾に気をつけながら恐る恐る外を見てみると、長門の弾は見事に命中していた。敵の機関銃に。 接地した重機関銃が黒煙を上げている。もう使いものにならんだろうな。 敢えて人を狙わなかったのは、武士の情けってやつか。それとも、ただの偶然なのだろうか。 それから一時間ほど、必死に船を揺らしながら一進一退の攻防が続いていた。 上陸への糸口は、残念ながら全く見えてこない。「本部から連絡が入った。これより、兵力の手薄な地点に強行で上陸する!」 中隊長さん、それは本当ですか。 辞世の句でも用意しておけばよかった。「具体的な作戦はこうだ。小銃手は、銃身だけを船外に出して撃つ。他の者は伏せておけ。 但し、敵の位置を常に見ておくための観測手が一人必要だ。 そうだな、長門、やってくれるか」 長門は外部の人間からも特に信頼されているからな。 ここで指名を受けるのも、何ら不自然ではなかった。「命令を断る理由が見当たらない。全力で任務を遂行する」 上官相手でも敬語は使わないんだな。今更のことだが。「そうか、助かる。 では、総員配置に着け! 工兵は操舵の用意だ!」 俺と谷口は、温もった銃を再び外に突き出す。「全員構えたな? よし。進め!」 中隊長の声と同時に、舟が全速力で動き出す。エンジンの音が反響する。 正直、敵に突っ込んでいくのは恐い。だが、物陰に隠れられるため、薄っぺらの安心感がある。それだけが唯一の救いだ。 「敵機関銃手が抵抗を開始した。銃撃を始めるなら今」「よし、わかった」 こういう風に部下の意見をしっかりと聞くところが、結果として高い人望に繋がるんだろうな。ハルヒには是非とも見習ってほしいものだ。 そして、一瞬の間の後、「撃て!」 再度の一斉射撃。この爆音にも少し慣れてしまった。「敵の一部に損害あり。今すぐ上陸するべき」「了解。そのまま舟を進めろ!」 舟は速力を保ちつつ前進し、そして衝撃と共に接岸した。「一気に上陸だ! 進め!」 先発部隊が続々と舟を飛び出す。同時に聞こえるのは銃声だった。 次第に、辺りは破裂音に包まれていく。 「ョン、なさい」 意識の霞みが徐々に薄れていく。なんか聞こえたような気がするが。「起きろキョン!」 うわ、なんだ! ハルヒか。 空が世界を暗闇に閉ざしている。閉鎖空間? いやいや、ただ単に夜なんだよな。「ん、ここはどこだ?」「あんたが、陣地の真ん中で急に寝ちゃったのよ」 ああ、そういえばそうだったな。 ここでようやく、俺は意識をはっきりと取り戻した。「で、まだ夜中なんだが。敵が攻めてきたのか」 快眠を妨げられたので、少しイライラしてしまう。「別に何も無いわよ。さすがに、土の上で寝てる人を放っておくわけにはいかないでしょ」 反論の余地がない。「そうかい。じゃ、戻ってもう一眠りとしますか」 そう言ってから立ち上がろうとした瞬間、ハルヒに両肩を押さえつけられる。 墜落する戦闘機ばりに、勢いよく地面に叩きつけられてしまった。軍服が泥色になっちまうぞ。「俺、なんか悪いことしたか?」「起こしてあげたんだから、ちょっとぐらい話に付き合いなさいよ」 ああ、わかった。その思考はよくわからんが、すまなかった。 謝るから、せめて体を縦にさせてくれ。 それから、俺たちは特に妨害を受けることも無く最前線近くまで辿り着いた。 俺と谷口は迫撃砲を空に構え、地面に伏せる。 ふと右を向くと、同じように地面に貼りついている朝比奈さんがいた。「そういえば、朝比奈さんは今回が初めての戦闘ですよね。怖くないですか?」 そう声をかけると、じっと正面を見つめていた朝比奈さんがこちらを振り向く。 その表情は、味方の旗艦が沈没する様子を見ているかのようだった。「もちろん、怖いです。でも、みんなががんばってるのに、わたしだけ逃げ出すなんてことはできませんから」 俺は、その言葉に対して何も言えなかった。軍に所属する限りは、それが現実だからだ。 なあハルヒよ、朝比奈さんまで戦争に巻き込む必要は無かったんじゃないか?「その代わり、一つだけお願いしてもいいですか?」 突然の申し出に驚いた。だが、それを掻き消すかのように、好奇心がすぐさま脳を支配した。「ええ、何でもどうぞ」「本当? よかった」 表情が少し穏やかになった朝比奈さんは、絞り出すようにこう言った。「その、もしわたしが危ない目に遭ったら、守ってくれますか?」 俺は、次に発する言葉を失ってしまった。 外部の人間に言えることではないが、SOS団を守るのは俺たち第一の任務である。 それにも関わらずこんなことを頼みたくなるぐらい、朝比奈さんは気持ちが滅入ってしまっているのかもしれない。 俺は、できる限りの優しい口調で答えた。「SOS団のみんなが無事に帰れるようにするために、俺たちは戦ってるんですよ。 朝比奈さん、これ以上あなたに嫌な思いはさせません」 思いの丈を、ここぞとばかりにぶつけてやった。「キョンくん……、キョンくん……」 安心したのか、朝比奈さんは突っ伏して啜り泣きを始めてしまった。その姿もまた画になるから困る。 俺は慰めの言葉をかける代わりに、敵陣をきっと睨みつけた。 「長門、敵はいるか?」「足跡を発見。一度退却した敵兵がこの先で待機していると思われる。 ここから先は敵の射程範囲内。気をつけて」 よし。わかった。 息を潜め、中隊長の指示を待つ。「砲兵隊撃て!」 直後、引き金を引くと共に轟音が辺り一面に響く。「増援の戦車部隊が来たぞ! 全軍突撃だ!」 中隊長の叫びと共に、周りの部隊が前進を始める。「みんな、訓練通り継続躍進よ! わたしは、みくるちゃんと前進するわ」 いよいよ、俺たちも出撃だ。「谷口、国木田、行くぞ!」「おうよ!」「うん!」 夕焼けが空一面を覆っていた。 戦車部隊の活躍もあり、一時間ほどでブキッ・ティマ高地の占領に成功した。 さらに敵軍の物資も一緒に奪うことができたのだから、これまでで一番の大戦果だ。 だが、疲れがひどい。どうしても喜ぶ元気が湧かない。「安全確認をするわ。みんなケガしてない? 大丈夫?」 この後、いつも通り陣地構築を行い、そこで横になってしまった。 「どうした。何かあったのか? 悩み事か」 ようやく座る権限を与えられた俺は、冗談半分で言ってみた。だが、ハルヒはそれを聞いた途端に俯いてしまった。 あれ? もしかして当たっちゃったのか? 全く口を利かない。これは只事じゃないな。「辛いことでも、今の内に吐いた方が後々楽だぞ。 口出しはせん。なんでも聞いてやる」 俺は、ハルヒがばら撒いた地雷に触れないよう、慎重に言葉を選んだ。「そこまで言うなら、教えてあげないことも無いわ」 どこまでも素直じゃないなハルヒ。 そう思っていたが、その直後のハルヒを見て聞いて、俺は目と耳を疑った。「あたしね、その、恐い。戦争が、ということじゃなくて、みんなの上に立つのが恐いのよ。 もしあたしが判断を間違えちゃったら、みんな、その、死んじゃうかもしれないでしょ」 普段の歩く太陽とは打って変わって、まるで萎れたアサガオのようだ。その姿に、俺は少なからず衝撃を受けた。 いつも強がっているハルヒだが、今のこいつは俺に相談したくなるぐらい精神的に参っているのだろう。未だに信じられんが。 しかし、SOS団の誰かが辛いときは、みんなで助けてやらんとな。そうじゃなきゃ、この先生き残るなんて夢のまた夢だ。 「ハルヒ、お前がそういう気持ちになってしまうのもわかる。 SOS団みんなの命運を左右する立場だからな。そう考えてしまうのは仕方の無いことだ。 だがな、SOS団の団長は誰だ? 俺でも古泉でもなく、お前ただ一人のはずだ。代わりはいない。 俺もいろいろと文句を言うことはあるが、俺を含めてSOS団全員がお前のことを信頼してる」 ハルヒは、黙って俺の言葉を聞き続けている。触れたら今にも崩れてしまいそうだ。「ハルヒ、お前はお前らしくすればいい。余計なことを考える必要は無いだろ? それに、俺たちはそう簡単にはやられねえよ。 仮に、万が一ってことがあっても、死ぬときはみんな一緒だから心配するな」 ハルヒ、これが俺たちの意思だ。宇宙人、未来人、超能力者、そんなの関係ねえ。 わかってくれただろうか。 ハルヒは暫く黙ったままだったが、ようやく重い口を開いた。「うん、そうよね。あたしの団だもの、あたしらしくしなくちゃね」 既に、ハルヒはハルヒに戻っていた。「あんたなんかに元気付けられるなんて、なんか悔しいわ」 今回は俺の勝ちだな。これにて一件落着だ。「ハルヒ、そろそろ戻るか。明日の行動に支障が出るぞ」 一瞬の空白。「、そうね」 何か言いたげな様子だったが、ハルヒはそれ以上何も喋らなかった。 頬を撫でる風が、俺に感謝を伝えに来た。 翌日、俺たちに前線陣地での駐留が命じられた。 占領したばかりのブキッ・ティマ高地、その最前線に新たに陣地を用意して、敵の反撃に備えろってことらしい。 ちなみに、昨日急場で拵えた陣地は後方の部隊がしっかり利用するそうだ。なんだかなあ。 敵との衝突も無く築城に成功し、その日は何事も無く終わった。 日が変わり、今日は他方面の部隊が攻撃を仕掛けるため、俺たちは待機するのみだ。 そのはずだった。 突然、前方で炸裂音が響く。「なんだ! 何が起こった?」 思わず声を上げてしまった。「ちょっと待って。連隊本部に連絡を取ってみる」 国木田、お前はまさに縁の下の力持ちだな。「こ、ここは安全ですよね?」「大丈夫よみくるちゃん。いざというときは、あたしたちが守ってあげるから」「えーと、本部の情報によると、敵が防衛戦を張って」 国木田が言い終える前に、二つ目の爆音が台詞を遮った。「おい、どういうことだよ?」「谷口、まずは国木田の報告を聞くぞ」 まずいな。全体が混乱し始めている。「もう一度言うよ。 敵軍が島の南東部に防衛戦を張って、そこから反撃し始めてるらしいんだ。 一部の敵が突撃してるって情報もあるよ」「なるほど。敵が反抗を開始したというわけですね。 すぐに迎撃態勢を取らなくては」「わかったわ。みんな、戦闘の準備よ!」 何事も、始まりは唐突ってもんだ。 それから数分後、この辺りは瞬く間に砲火に晒されてしまった。ひっきり無しに砲弾が炸裂する。 さすがに、これは冗談にならんぞ。「ハルヒ、どうするんだ? 退くなら今の内だぞ」 本心としては、こんな物騒な場所からさっさと逃げたかった。だが、団長様は強情なお方のようで。「バカキョン! ここで逃げたら戦いが長引くでしょ! 幸い、ここにいれば砲撃を防げるわ。何としても守りきるのよ!」 そうかい。 これまでの俺なら、強く反対していただろう。しかし、昨日ハルヒからあんなことを聞いちまったんだ。 団員の安全を最優先していることがわかった以上、命令に背くなんて無粋なことはできない。 仕方がない、とことん付き合ってやるか。 俺は溜息交じりに、銃を前方へ向けた。 それから暫くは、ひたすら陣地の中で耐え忍ぶばかりだった。敵の姿は未だ見えない。 一時間ぐらい経っただろうか。陽は中空を超えようとしていた。 相変わらず、砲弾は雨のように降り注いでいる。 しかしなぜだろうか、俺は違和感を感じていた。「なんか、微妙に敵の弾数が増えてないか? それに、弾の質も変わってるような気がするんだが」 俺は、思い切って疑問をぶつけてみた。「そうですね、確かに状況が変化しているような気はします。 長門さん、何が起こっているのでしょうか」 そうだ、長門に聞けば一発だったな。すっかり忘れていた。 俺たちがこうして会話をしている間も、敵の砲弾は全く止まない。「砲弾数は、変動はあるものの今は安定している。 但し、小型弾の割合が増加傾向にある」 なるほど。ということは、ええと、何だ?「敵の歩兵部隊による攻撃、が考えられますね。 迫撃砲などを利用している可能性が高いでしょう。所謂準備砲撃ですね。 確実に敵は近づいています」 さすがに、この状況なら直接戦わなきゃダメだよな。ある程度は覚悟していたさ。 「でも、こっちの攻撃を掻い潜って来てるんだから、大規模な部隊ではないんじゃない? 多くても三十人ぐらいだと思うよ」 朝倉が、前方を注視しながら補足を加える。「三十人って、こっちの四倍ってことだよな。 俺たちだけで防げるだろうか?」 絶え間無く聞こえる爆発音によって、俺はすっかり気が滅入っていたのだろうか。 だから、こんな弱気なことを言ってしまったのかもしれない。 気配がしたので右を振り向くと、眉間に皺を寄せたハルヒがいた。「キョン! みんながせっかく戦おうとしてるんだから、勝手に水を差さないでちょうだい! 絶対に勝つの! いい?」 怒号が俺を貫いた。 ああ、そうだな。俺がどうかしていた。 言っておくが、命令を反故にするわけではなかったんだぞ。ちょっと正気を失っていただけさ。「お前の言う通りだ。勝てるかどうかじゃなくて、勝ちに行くんだよな」「そうよ! キョン、あんたもわかってきたわね」 景気のいい返答と共に、いつの間にかハルヒは満点の笑顔を取り戻していた。 全く、世話のかかるやつだ。 「敵部隊を視認。一個小隊と同程度の規模と推測する。総員戦闘態勢」 さらに一時間ほど経過した頃、長門の声によって戦端は開かれようとしていた。「いい? 初動が大事なんだからね。 わたしが指示したとき、一斉に撃つのよ」 言葉の後、陣中に静寂が訪れる。もちろん、砲弾は今も飛び続けているんだがな。 息を潜め、ただただ期を待つ。「……、銃撃開始!」 その瞬間、俺と谷口が同時に引き金を引く。訓練通りだ。 毎度のことだ、一発目が外れてしまうのは仕方ない。すまんハルヒ。 砲撃が勢いを増す。敵が近づいてくる。「距離が詰まった! 朝倉頼む!」 振り向くと、俺が言い終える前に朝倉は既に発砲していた。 朝倉の制圧射撃に、長門の精密射撃が加わる。 いつも思うが、この二人が揃えば死角無しって感じだな。これでは、相手も簡単には進軍できまい。 事実、暫くは敵の侵攻を食い止めていた。いや、俺だってがんばったつもりだからな。 しかし、戦力差が大きいのは事実であり、そう都合よく均衡が続くはずが無い。 敵がにじり寄っているのがわかる。「長門、何人を撤退させたかわかるか?」「わたしの狙撃で三人、朝倉涼子が一人、あなたたちは〇人。 決定的な打撃は与えられていない」 まあ、そうだよな。十分しか経っていないし、これだけ被害を与えられれば十分か。 俺が言えた台詞じゃないな。 「おいキョン! あれ戦車じゃねえか?」 谷口に言われて、全員がその先を見る。ぼんやりと車両が見えるが、距離が遠いため種類はわからない。「古泉、仮にあれが戦車だとしたらどうする?」「そうですね。装甲の厚さにもよりますが、落ち着いて対処すれば問題無いと思いますよ。今のところは一両しか無いようですからね。 ただ、機銃掃射には要注意です」 確かに、一両だけなら歩兵輸送の装甲車と何ら変わりねえな。焦る必要は無い。「す、涼宮さん、車が十台に見えますよ」 突如、朝比奈さんのか細い声が俺の耳に届いた。 朝比奈さん、そこまで精神的に追い詰められてしまったのだろうか。 まあ、あちこちで爆音が響いているんだ。無理もない。「十両よ! 十両いるわ!」 なんだ? ハルヒも結構切羽詰まっているようだな。「現実逃避しているのはあなた。前方を注視するべき」 長門、それは冗談のつもりか? いや、違う。 急に現実味を帯びた世界が広がる。その先には、見間違うわけがねえ、十門の銃口がこちらを向いていた。 ああ、あれは全て戦車だ。 できることなら、今すぐ逃げ出したい。だが、俺がするべきことは他にあるよな。「ハルヒ、落ち着いて対処すれば大丈夫だからな」「あんたに言われなくてもわかってるわよ! みんな、しっかりと守りを固めるのよ!」 ハルヒは、あちこちに手を振り回しながら全員に指示を出した。 その言葉を聞いて安心したよ、ハルヒ。 俺はあることに気がついた。結局、勝ったのか負けたのか。 朝比奈さんに直接尋ねてもよかったのだが、涙を流す朝比奈さんにそんなことを訊くなんて、到底できるはずがない。 とりあえず、歩き始めた朝比奈さんに着いていって、俺はみんなのいる場所へ向かった。 焚き火が据えられた広場に足を踏み入れた瞬間、六つの影が俺のところに向かってきた。「キョン! あんた昼寝が長いわよ」「キョンキョン言いながら震えてたのはどこのどいつだっけな。キョン、待ってたぜ」「うるさい谷口! キョン、こいつの言うことは全部嘘だから」 途端に辺りが騒がしくなる。「キョン、もう体は大丈夫?」 国木田、心配かけてすまなかった。「みんな、あなたの登場を待ち望んでいたんですよ」 左腕に包帯を巻いた古泉。「おかえり、キョンくん」「……」 柔らかな眼差しを向ける二人の、人間。 ああ、生きてるんだな俺。 ひとしきりの賑わいが終わって解散した後、俺はついに疑問をぶつけることにした。「なあ古泉、結局勝ったのか?」 そう訊くと、古泉はいかにも答えづらそうな様子で口を開いた。「結果は知っています。ですが、僕も倒れていたので詳細は全くわからないですね。 そこにいる長門さんに訊いてみてはどうでしょうか」 そうか。お前は俺が気を失う前に撃たれたんだっけな。「そうだった。すまんな古泉。 長門、今日の戦いについて教えてくれないか」「大日本帝國側の勝利」 眉一つ動かさず、即座に返答する長門。 あの状況で勝ったのか。「あなたが気絶する寸前、一機の爆撃機が飛来した。 その機体が残り三両の戦車を爆撃し、決着した」 なるほど。援軍に助けられたってわけだな。「その爆撃機は、国木田くんが要請した増援だそうですよ。 そして、その搭乗者ですが、実は僕のよく知る人物でした」 突然、古泉が目を輝かせて話し始めた。「お前の知り合い? まさか機関の人じゃあないだろうな?」 この問いを投げかけた瞬間、古泉はこちらに勢いよく身を乗り出してきた。何がしたいんだ。「その通り。いずれご紹介しましょう。といっても、あなたにも面識がある方ですよ」 古泉は、普段の二割増しぐらい嬉しそうな顔つきで答えた。 対する俺は、いつも以上に気が滅入ってしまった。ようやく落ち着いたと思ったら、また新たな課題を吹っかけやがる。「ということは、俺たち以外にもこの世界に来た人がいるのか」 そういう重要なことは早く言え。「そうなりますね。ただ、長門さんによると世界中に散らばっているのとのことです。全容を把握するのは困難を極めます。 新たな情報が入り次第、追って連絡します」 そうしてくれ。俺にはさっぱりわからん問題だ。 それから数日間は、ずっと同じ陣地で駐留していた。 相変わらず敵味方の砲弾が地面を揺らし続けているのだが、敵と直接戦うことはあれっきり無くなった。 そして、二月十五日の夕方を迎えたとき、通信を終えた国木田がゆっくりと口を開いた。「本部から連絡で、英吉利軍が降伏したとのことだよ」 国木田のひとことで、二ヶ月に及ぶ戦いがこの瞬間に終わってしまった。 昨日食べた調味料無しの和え物よりもあっさりしている。これでは実感が湧かない。 暫く、誰も口を開かなかった。放心状態なのだろう。 結局この沈黙を破ったのは、お約束と言うべきか、あいつだった。「みんな、やったわ! 我がSOS団の勝利よ!」 声高らかにそう宣言するハルヒ。その瞬間、辺りがどっと沸いた。といっても八人だけだが。「やった、やったぞキョン!」 谷口が全速力で俺に飛びついてくる。「止めろ。誰が抱きついていいって言った」 笑顔で押し返してやった。「いやあ、長かった戦いにもようやく一つの節目を迎えることができましたね」 溢れんばかりの満足感を顔に浮かべる古泉。今まで見たことの無い表情のような気がする。「今回だけは、お前に感謝しといてやるよ」 俺は、古泉の顔と左腕を交互に見てそう言った。 俺たちは、結局夜まで騒ぎ通した。他の部隊も含めて、誰もがこの勝利を純粋に喜んでいた。 いや待て。俺はお気楽にやっている場合では無いよな。 そう思ったのも、寝る前に急に元の世界のことを思い出したからだ。 どうして誰も話題に挙げないんだ? マレー半島に上陸してからというものの、長門、古泉、朝比奈さん、この三人からその手の相談を聞いた憶えが無い。 なぜ、このことについて触れようとしないんだ。 この世界は、そんなに居心地のいいものだろうか。なるほどそうかもしれない。 そもそも、この世界は何のために存在するんだ。 いつの間にか、結論を見出すことに必死になっていた。戦いの疲れも忘れて。 しかし、明確な答えも出ないまま、思案をめぐらしている間に意識は途絶えてしまった。
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