ママはTFEI 端末
「起きなさい」ある朝、その声で俺は目を覚ました。母親と思わしき人物が下の階に下りていく足音が聞こえてくる。んん・・・? 何か違和感を覚えるが、寝惚け頭では何も考えられない。そういや妹が珍しく来なかったな。風邪でも引いてるのか。とりあえず顔を洗おうと思い下の階に行く。そこで俺は度肝を抜かれた。エプロンを着けた長門が台所に立っていたのだ。・・・どういうことだ。「お、おい。長門」とりあえず声を掛けてみる。「お早う」「あ、ああ、お早う・・・じゃなくて! ここで何してるんだ!」「・・・? 寝惚けているの?」駄目だ、頭がおかしくなりそうだ。何故長門が俺の家で味噌汁を作っているんだ。「いやいやいや、何で長門がここに・・・」「母親を旧姓で呼ぶのは好ましくない。顔を洗う事を勧める」棘のある声で言われたので、とりあえず頭を覚醒させるため洗面所に行く。洗面所には既に妹が居たので、何故長門がいるのか聞いてみた。「え? お母さんがどうかしたの?」妹はキョトンとした目で俺を見つめてくる。・・・これは一体どういうことなんだ・・・。家では長門が母親として認められているようだ。「変だよキョン君。風邪でも引いてるの?」いや、何でもない。大丈夫だ。どうせまたハルヒがアホなことでも願ったんだろう。学校に着けば古泉が何か助言してくれるさ。そんな甘いことを考えつつ、身支度を整え、朝食を取ろうと食卓についた。「はい」長門が俺に箸を差し出した。「あ、ああ・・・ありがとう」「?」そういえば本当の母親はどこに行ったのだろうか・・・。口煩かったが、いざいなくなってしまうと何か寂しい気がした。そして俺は長門が作ってくれた味噌汁と玉子焼きを口に詰めこみ、鞄を引っつかんで玄関へと向かった。
「いってらっしゃい」「・・・いってきます」長門に見送られ、家を後にする。中々に変な感じだ。学校に着いたらまず部室に行かなくちゃな・・・。これからの事はそこで考えよう。自転車をこいで、日課のハイキングコースを足早に上り、教室には行かず真っ先に部室へ向かった。またしても俺は度肝を抜かれた。いつもの長門がいつもの席でいつものように本を読んでいたのだった。長門が・・・二人・・・? 朝っぱらから何度も混乱させてくれる。まあいい、ここにいる長門に詳細を聞けば何とかなるだろう。「おい、長門」「・・・」長門はこちらに顔を向ける。「今日、朝起きたら家の母親がお前になっていたんだが・・・どういうことなんだ?」自分で言ってて、変なこと言ってるなと思った。「・・・」長門は何も答えない。「なあ、長門。何か知ってるんだろう? 頼むから教えてくれ」「・・・あれは私の異時間同位体」・・・ということは、「十年後の私が貴方の元にやってきて、情報操作を行った」あれはハルヒの仕業じゃなくて、こいつの仕業だったのか・・・。「おいおい・・・どういうことなんだ・・・」「・・・」長門はそれだけ言うとまた本に目を戻し、何も答えてはくれなかった。これ以上の尋問は無駄だろうと見切りをつけ、俺は教室に戻った。
教室でかったるい授業を受け、最後のHRになった。「よーし、この前の中間テストを返すぞー」ハンドボール教師が悪魔の言葉を叫んだ。不味い・・・今回はいつもより更に酷い出来だったと自分でもわかっている。まさかこれを今家にいる長門に見せなきゃならんのか・・・。返ってきたテストは予想通りに酷かった。予想通りってのがまた悲しい。いまいましい点数が書かれた紙を二つ折りにし、鞄へ詰め込んだ。部室へ行って、朝比奈さんのお茶を飲んでゆっくりしよう。あと古泉をゲームでボコボコにしてストレス発散するのも良いな。ダークだった気分も少しマシになった気がして、俺は足取り軽く部室へ向かった。部室には古泉、朝比奈さん、長門が既にいた。団長は俺より早く出て行ったのにまだ来てないみたいだな。「よう」軽く挨拶をして俺は部室に入った。いつものパイプ椅子に座ると、古泉の0円スマイルが100円スマイルくらいになっているのに俺は気付いた。「なんだ、今日は一段と気色悪いスマイルだな」「ああ、すいません。色々と機関から報告を受けていますので」察しが悪い俺でも、何のことかすぐに気が付いた。・・・家のマザーのことか・・・。「俺にも訳がわからないんだ、長門に聞いてもあまり教えてくれないし。何か知ってるんじゃないのか?」「いえ、今回の事に関しては何も知りません。ただ、報告を受けた、ということだけです」いつもよりきらきらしたスマイルが更にムカつきを助長させる。「・・・まあ良い。朝比奈さん、あなたは何か知りませんか?」「えっ!? いや、あの、禁則事項です・・・」またそれか。「すいませんすいません。本当に禁則事項なんです・・・」・・・ふう。つまり誰からの助言も頂けない、ってことか。どうしたもんかね。「良いんじゃないですか? 長門さんが母親でも」「勝手な事言ってくれるな、口煩くて鬱陶しいが俺は元の母親の方が良い」そして、何故よりにもよって長門なんだ。意味がわからん。そうこうしている内に、我らが団長様がやってきた。「遅れてゴッメーン!」入るなり謝罪の念が塵も感じられない挨拶が飛び込んできた。「岡部に進学はどうするかって聞かれたのよ、面倒くさいったらありゃしない」確かに岡部が気にかかるのもわかる。何だかんだ言って頭良いからな、こいつ。「まだ高校一年生なのに考えてる訳ないじゃない! ばっかじゃないの!」ハルヒは不満をプスプスと口から煙のように漏らし、憤っていた。こういう時は触らぬ神に祟りなし、だ。話しかけないでおこう。ハルヒは鞄を投げだし、団長席に着くなりネットサーフィンをしだした。俺が何となしにハルヒの動向を見ていると、古泉がオセロの勝負を持ちかけてきた。良いぜ、今の俺は多少機嫌が悪いんだ。悪いが再起不能にしてやる。
俺と古泉の戦績が14勝0敗になったところで、長門が本を閉じた。もう帰る時間か。どことなく古泉のスマイルが薄れていたのは気のせいだろう。「・・・容赦ありませんね」ふん、ニヤニヤ面白がっているお前が悪い。あとテストのせいだ。悪く思うなよ。いつもの帰り道を五人で下り、駅前で別れた。・・・家に帰るのが少し憂鬱だ。
家に着いた俺は、母長門にテストの有無を聞かれた。「出しなさい」「いや、今日は返してもらえ」「出しなさい」怖え、元母なんか比べ物にならないくらい怖い。畏怖を感じるね。これ以上誤魔化すのは無理だと判断し、潔くテストを出した。「・・・」俺のテストを見つめて、母長門は何も言わなくなった。だから怖いっつーの。「あ、あの・・・」「・・・この点数は何」後ろに?が付いてない。疑問じゃなく俺は問いただされている。「いや・・・あの、部活が忙しくて・・・」「言い訳するの」「その、ええと・・・」「まだ高校一年生といえども、受験はすぐ。これはあまりにも酷すぎる」「はい・・・」なんで俺は敬語なんだろうね。「部活が終わっても勉強する時間はある。一体何をしているの」「・・・漫画読んだり、ゲームしたりして」バンッ! 俺は口から心臓がアイキャンフライする勢いで驚いた。母長門がテストをクシャクシャに握り締めたままテーブルを叩いたのだ。「何か言う事は」「・・・・・・ごめんなさい、次は頑張ります」「次は?」「これからずっと、頑張らせていただきます」いや、だからなんで俺は敬語なんだ。「今月は小遣いの支給は無い。しかるべき処置」「・・・了解しました」団活の為に預金を下ろさなきゃな、俺は反論する気も起こらず、そんな事を考えていた。
あの長門に怒られた、という事で俺は更に憂鬱な気分になっていた。せっかく古泉でストレス発散したのに。しょうがない、こういう時は風呂だ。風呂に入ってリフレッシュ祭りだ。そう考えた俺はすぐに着替えを持ち、洗面所へ向かった。ネクタイを外し、ワイシャツやパンツなど今日着ていた服を全部洗濯カゴに放り投げ、俺は浴槽につかった。「ふうー・・・」意識せずとも、勝手に声が出た。気持ち良い・・・。十分ほど風呂につかった後、浴槽から上がり頭をシャンプーで洗う。昔は頭も体も流すだけで、すぐに風呂から出てよく元母に怒られたもんだ。頭を洗い流した後、ボディソープが無い事に気が付いた。「なんだ、使い切ったなら替えておけよ・・・」おそらく昨日最後に入ったであろう父親に対し文句を独り言で垂れた。ん・・・? 今母親が長門って事は夫は俺の父親ってことになるよな・・・。・・・深く考えないでおこう。せっかく風呂に入ってスッキリした気分がまた落ち込む。するといきなり、風呂の扉が開いた。「これ、切れていたから」母長門がボディソープを手渡してくる。俺は固まって動けない。何でかって? そりゃあ長門に孫を見られたからさ。「おおおおおいいいい! 何してんだ! 早く出ていけ!」俺はボディソープを奪うように掴み、扉を乱暴に閉めた。顔を真っ赤にした俺の後ろから、扉越しに母長門の声が聞こえてくる。「別に今更息子の裸を見たって、何も思わない。何も気にしなくて良い」「俺が気にするんだ!」やっぱりそこらへんは長門だな、となんとなく思った。「・・・そう、ごめんなさい」そう言うと母長門は洗面所から出ていった。あーびっくりした。受け取ったボディソープで体を洗うと俺はさっさと風呂を出た。
風呂から上がると、すでに夕食の準備は出来ていた。今の時代の長門と違って色々な料理は出来るようだ。まあ十年後の長門らしいからな。「これを運んで」母長門から取り皿を受け取り、テーブルに配っていく。父親はすでに席に着き、夕刊を読んでいた。そして全ての配膳が終わったのだろう、母長門は席に着いた。「何をしているの。早く席に着きなさい」ボーっとしていた俺はそう促がされ、言われるままに席に着いた。「では、いただきます」母長門が掛け声をする。「いただきます」なんとなく俺もそれに付き合って言った。
テーブルの上にはたくさんの料理が並べられていた。唐揚げ、海鮮サラダ、肉じゃが、他にも色々だ。とりあえず俺は目の前にあった唐揚げを一つ箸で摘み、口に入れた。「・・・美味い」勝手に言葉が出てしまった。これは本当に美味しい、かなり驚いた。そういえば朝にも母長門が作った料理を食べたのだが、確かにあれも美味かった。「ありがとう」俺の言葉を聞いていた母長門は少し微笑んでそう言った。今は暫定的ではあるが、息子の立場から言わせてもらう。母長門の微笑みは中々に美しかった。そこらへんにいる女優なんかよりよっぽど、綺麗だった。
久しぶりに腹がはちきれんばかりに食べた。あまりにも美味いので食欲が暴走してしまった。ソファで寝っ転がっている俺の隣で、母長門がお茶を飲んでいる。・・・そろそろ、本題を持ちかけなきゃな。重くなった体を起こし、俺は母長門に話しかけた。「なあ、母さん」まずは少し、揺さぶりをかけてみることにする。「・・・何?」数秒ほど反応が遅れたな。唐突なことなので少し驚いているようだ。今の時代の長門であれば何のリアクションも無いだろう。十年経って、人間らしい感情を手に入れたんだな。ということは、「母さん、最近悩みでもあるんじゃないか?」これは演技なのだろう、とまたしても揺さぶりをかけつつ、俺は思った。時空改変であれば、少しも動揺の色も見せないだろう。それはそういう世界なのだから。だが今の世界はただ単に今は元母がいない、というだけだ。そしてそこに母長門がいる。部室での長門は確かにこう言った。「情報操作を行った」おそらく元母はどこかで保護されているのだろう。母長門の情報操作によって。まあそのへんはまだ安心できる、長門だしな。まあ何もかも証拠の無い、唯の憶測だけどな。時空改変ではないことを確かめたかっただけだ。「・・・」母長門は何も答えない。「どうしたんだ? 母さん、最近元気ないじゃないか」「いつから演技だとわかっていたの?」「んー風呂に入ってきた時かな。あまりにも不自然すぎるタイミングで少し頭の中でひっかかった」「・・・迂闊。あからさますぎた」「どうしてこんなことしてるんだ? 情報操作まで行って」率直に聞いてみた。「私は今から十年後、あなたと婚姻関係を結んでいる」俺は一日に何回驚かさればいいんだろうね。「・・・」あまりの驚きに俺は言葉が出ない。俺と長門が結婚? マジで?いや、まあ、そんなことはどうでもいい。どうでも良くないことだが今はどうでもいい。「私はそこである悩みを抱えた。そしてこの時代にやってきた」「悩みって何だ? 長門が珍しい」「・・・実は、今私のお腹には未来のあなたとの子供が宿っている」「・・・マジで?」「マジ」言葉に出来ない気持ちって今の俺の気持ちの事なんだろうな。「そうか、それは、えっとおめでとう、で良いのか?」何とか平静を保つ事に集中しつつ、言葉を紡いだ。自分の事なのにな。「ありがとう」母長門は照れているようで、少し顔が赤い。畜生綺麗だ。「で、結局のところ悩みって何なんだ?」「私は・・・この子を育て上げる自信が無い」母長門は少し顔を伏せ、お腹に手を置きそう呟いた。「私以外の母親が皆、当たり前のように子供を育てているのが信じられない」「・・・」とりあえず黙って聞いておくことにする。「だから、この時代に来て良く知っているあなたと、あなたの妹がどう生活しているのか観測に来た。 そしてあなたの妹と父親だけには記憶に対し情報操作を行った。後あなたの元の母親は私が保護している、安心して。」「どうして俺には記憶操作をしなかったんだ?」「未来のあなたがそう言ったから」ああ、大体掴めてきた。未来の俺が今の俺にどうしてほしいのか。「そういうことか」「・・・どういうこと?」「あのな、長門。お前がこれからの子育てに対し、不安を感じている気持ちは分かる。 だけどな、他人が育ててきた子供の生活を観測して何の意味がある? これからお前は自分の力、自分の気持ちを注いで子供を育てていかなきゃならん」「・・・」「そんなに心配しなくとも大丈夫だ。未来の俺も傍にいるんだろ? どんどん頼ってやってくれ。 子供を育てるのは、お前一人じゃないんだ。」「・・・うん」「それに今日一日、お前と過ごしてわかったことがある。 長門、お前は今とても人間らしいよ」「・・・本当?」「ああ、子育てに不安を感じたり、テストの事で俺を真面目に怒ったり。 美味しいご飯を作って、美味しいといってくれたならそれを嬉しいと感じたり。 もう普通の、唯の人間だ。情報操作を除けばな」俺は少し苦笑しながらそう言った。「本当に・・・ありがとう・・・」「気にするな、俺も長門の飯が食えて良かった。怒られた時はマジでビビったけどな」「ごめんなさい」「いいさ、俺も母さんの言う事聞いて、ちゃんと勉強しなきゃって思った」「ふふ」母長門がまた笑った。未来の俺が長門と結婚した理由もわかる。「これからどうするんだ?」話は終わったしな。「もう未来に帰ることにする。この子を育てる決心はついた」「そりゃ良かった。未来の俺によろしくな」「わかった、また未来で」「ああ、未来で」母長門はそう言うと、いつもの高速呪文を唱え目の前から消え去ってしまった。すると元母が台所からいきなり現れた。これ以上驚かされるとマジで寿命が縮む。「何してんのあんた? そういえば今日テスト返ってきたんでしょ、見せなさい」今日二度目の雷が落ちることを考えて、俺は非常に鬱になった。
次の日。散々怒られた俺は大地に鬱憤をはらすかのように、いつもの坂道を踏みしめていた。いまいましい・・・。あれなら母長門の方が良かったぜ。まあ小遣い支給制限は元母からの口からは出なかったので、そこだけは良しとしておこう。そして俺はまたすぐに教室には行かず、部室へと足を運んでいた。「よう」「・・・」長門はいつかのようにまた、本を読んでいた「お前は何故未来の長門がこの時代に来たのか、理由を知っているのか?」「そのことで情報を情報統合思念体からダウンロードしようとしたが、拒否された」情報統合思念体も粋な事をしてくれる。「つまり知らないってことだな」「そう」「じゃあ良いんだ。また放課後な」「・・・」
その日の放課後、朝比奈さんに質問してみたところ、この事は既定事項だったらしい。なるほどね。だから禁則事項って言ってたのか。俺があの場で知ったら長門にも情報が伝わって、未来が変わる恐れもあるしな。そして俺の目の前には将来普通の人間になるであろう女の子が本を読んでいた。「なあ、長門」「何?」ゆっくりと長門は顔を上げる。「その、なんだ。これからも、よろしくな」「・・・よろしく」
――これからも、ずっと未来でも、守り続けていかなくてはならない大切な存在に俺は、そう告げた。
終わり
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