止マラナイ! ~こいずみ・ウィズ・ザ・スカイ~
ある晴れた日のこと。「魔法以上のフカイが限りなく降りそそぐぅうううううっ!!!」 俺の頭上からいつものあれがやってきた。「きょんたぁああああああああああん!」 ――止マラナイ! こいずみ・ウィズ・ザ・スカイ――「あらキョン、今日も古泉くんと一緒に登校?」「……ああ、不本意ながらその通りだ」 俺の額に全裸古泉が貼りついている。体長は十五センチくらい。なまじ中途半端なサイズなので、妙に生々しい。つうか普通にきもい。 二年五組の教室で俺の後ろにVIP指定席よろしく座るハルヒは、軟体動物のようにべたりとへばりつく古泉を眺めながら、「どのくらい経つっけ。古泉くんがそんなんになっちゃって」「かれこれ二週間だな」「キョン。たまにはあたしがあのセリフ言ってもいいかしら」 許す。「やれやれね」 二週間前。「今日はバイトがありますので、これにて失礼します」 部室に現れたと思いきや訓練された給仕のように流麗な動作で片手を挙げた古泉は、ハルヒにそう告げるとさっさと踵を返した。「ん」 俺は古泉の言動に何か懐かしいものを感じた。というのは、ここしばらく古泉の得意営業先たるアレ(言うまでもなく閉鎖空間のことだ)が発生していないらしかったからだ。ハルヒも昔ほどあからさまに腹を立てたりしなくなってきたしな。 だからこそ古泉がなぜ団長に早退を願い出たのか、ちょいと気になった。別に詮索好きってわけでもないが、まあ年相応の好奇心ってヤツさ。「すまんハルヒ、ちょっと用を足してくるぜ」「そんなんいちいち報告しなくてよろしい」 マウスをダブルクリックして「しっしっ」と煽られた俺は、ついばむ花を探すハチドリのようにきょろきょろする朝比奈さんに会釈して、部室から出た。長門は眉一つ動かさずに本を読み続けていた。 「ふんっ、もふっ、ふもふんっ!」 部室を出た瞬間、蚊の鳴くような声がどこかから聞こえた。 「ん?」 俺はさきほどの朝比奈さんばりに首を動かし、部室棟の廊下を眺める。誰もいない。「気のせいか。別に疲れちゃいないんだが」 かぶりを振って歩き出そうとすると、「ここだよきょんたん! 僕はここ! ここでーす! あいむひあ! こいずみくん!」 羽音のような空耳が、依然として俺の鼓膜を震わせていた。「ええい構わん、行軍続行!」「んのうわぁああっ、ちょま、ちょっ、踏まれるっつの! 危ねっての!」 いい加減うるさくなってきた。「いかんな」「ここだよここ、こっち! 下!」 得体の知れない音声に反応した俺は、視線を七十度ばかり下に向けた。「うごっ」 思わず奇声を発しちまうのも無理ないと思うね。「やあきょんたん!」「誰だ、お前」 ほんとは訊くまでもなかった。「僕は僕ですよ! こいずみくんです!」「……で? 何なのそれ」「だから古泉だよ。見りゃわかんだろ」「見てわかっても理解が追いつかないわよ。なんで全裸でスモールサイズなのよ!」 こっちが訊きたい次第である。 ミニマム古泉を発見した五分後、俺は諦めてハルヒに報告した。 世界の危機? 現実の変容? 知ったこっちゃないね。古泉が全裸矮小化しただけで世界が崩れるとは俺にはどうしても思えない。そうだろ古泉、お前ってそういう存在だよな。 「僕はもともとこうでしたよ。何言ってるんですか涼宮さん」 古泉(極小)はスピーカーのノイズみたいなきりきり声で言った。 「はあ? バカ言ってんじゃないわよ。古泉くんはもっとこう、しゃっきりしてんのよ。夏の扉を開けられるくらいフレッシュなの。あんたみたいなスットコドッコイとはわけが違うわよ」 おおむね同意見だが古泉はある意味何も変わってない気もする。一年前からこうだったと言われれば三秒だけ迷った挙句に肯定できる。そうだろ古泉、お前ってそういう存在だよな。 ハルヒは溜息つきつき首を振って、「キョン。あんたが外に出たらその古泉くんがいたってわけね」 合法ギリギリのヤバいネタを翌日のスポーツ紙に掲載するかためらう編集長のように、ハルヒは指先を側頭部に当てて言った。「ああ、一切合財その通りだとも。そうだ長門。こうなっちまったことに何か心当――」「ない」 そうですか。「ない」 すいま――「ないから」 三回も言われた。泣きたい。「えっとぉ、そのぅ、あたしにも何がなんだか」 朝比奈さんがなるべく古泉を直視しないよう、俺とハルヒを交互に見ながら言った。間違って古泉を見てしまうたびに頬を赤らめるのが何ともかわいらしい。今すぐ役所に行って婚姻届に判を押したいくらいだ。 「大丈夫よみくるちゃん。あたしにもさっぱり解らないから。たぶんこれは夢よ。信じがたい白日夢だわ」 俺としてもぜひそう願いたい。 そんな感じで二週間が経ったのである。 二週間、古泉は「すみませんがあなたと行動を共にさせていただきますよ。でなければいろいろと不都合なのでね」と言って、一大軍事国家の大統領を護るSPのようにべったりと俺に同行した。 これが小人化した朝比奈さんだったら俺は死んでもいいくらいだが、古泉となれば俺は別の意味で死んでもいい。「きょんたん、僕、たぶん今なら閉鎖空間じゃなくても空を自由に飛べると思います」 古泉はそう言って大空高く飛翔した。俺が通学する間、いつも古泉は空から学校に通った。 俺はその日から谷口国木田をはじめとするクラスの連中、さらには校内の生徒や果ては街中ですれ違う人に至るまで、ありとあらゆる存在から奇異な目を向けられて過ごした。 俺は自分にこう言い聞かせた。これは試練なのだ。たとえば長門が世界をまるごと変えちまったあの時とか、佐々木とハルヒが世界を分裂させちまったあの時みたいに。そうさ、だとすれば合点が行くじゃないか。 「キョン。ちょっと話があるわ」 昼休み。ハルヒは俺を階段の踊り場まで連れ出した。古泉は全力でひっぺがして空に放した。限界でも三分だろう、あいつが俺から離れているのは。 しかしてハルヒは俺にこう言った。「前から気になってたんだけど、古泉くんとあんたってどういう関係?」 ハルヒは大真面目な顔で俺に詰め寄った。何だろうこの感じ、まるで携帯電話を女房に除かれて追いつめられた亭主のような……って俺はハルヒの夫でも何でもない。 「どういうって、さんざん見てきただろ。団員という名のただの腐れ縁さ」 ハルヒは長いまつ毛をわずかばかり動かして、「ほんとは何か秘密があるんじゃないの? 古泉くんがあんな風になっちゃったことといい。何か知ってるんでしょほんとは」「知らねえよ」 俺はシラを切った。実は昨晩、俺の家の風呂場で古泉からこんな話を聞かされていた。「きょんたん。今回の一件、引き起こしたのは涼宮さんだと思うんですよ」 古泉は浴槽に浮かべた洗面器の中でのんべんだらりとしながら言った。まるで目玉の親父二世だな。「ハルヒがどうしてお前をすっぱだかにひんむいて縮ませる必要があるんだよ」 古泉は昨今の日本における社会的性差がどうの、創作物による恋愛観の変容がどうのとさんざん口舌をふるったうえで、「涼宮さんはそろそろケリをつけたいと思ったのでしょう」「何にだ」 古泉は日頃部室で見せるのとまるで変わらぬ仕草で前髪をはじいた。ただしここは俺のうちの風呂場で、古泉は全裸でミニマム状態である。ただのバカだ。 芝居がかった動きとともに古泉は息をついて、「あなたと、涼宮さんと、そして僕の三角関係にですよ」「どうなのよ。あんた古泉くんのことどう思ってるわけ?」 かくして今、目の前でハルヒは俺のネクタイを引っ張っていた。つうか締め上げていた。苦しい、ひさびさだなこの感覚。「懐かしいぜ」「何言ってんのよ。はぐらかそうったってそうはいかないんだからね」 ピンチである。修羅場……かどうかは解らんが、ともかくこの場をしのがないことには、明日世界が変わってもおかしくない。 一年の間にずいぶん常識を身につけたハルヒではあったが、こと特定のお題目に関してはいまだてんで成長していないのだ。古泉はそう言ってた。俺? 知るか。 俺は腹をくくった。フライング古泉(極小)が戻るのも時間の問題だ。 言え、言っちまえってんだ。「あー、ハルヒ」 ハルヒはじっと黙って俺を見ていた。プリズム光線みたいな視線が余すところなく俺に注がれている。「古泉はあくまでも友達だ。お前が考えてるような得体の知れない関係にはない。断じてない」「本当? 信じていいのね」 若干ではあるが喉元にかかる負荷が減じられたのが解る。「ああ」「それで?」「それで?」 ハルヒは額が触れるほど俺との距離を縮め、「古泉くんがああなった理由は何なのよ。どう考えてもおかしいわ。雪山や阪中の猫の時も思ったけど、今回ははっきり異常事態じゃない。あんた絶対何か知ってるわよね」 俺は生つばを飲み干した。やっぱり言わなきゃいけないのか。 そう考えていると、ハルヒの様子が突如変わりだした。 突き刺すようだった視線が泳ぐように中空を舞い、「ほんとは確信してるのよ。そうね、この前の。佐々木さんが現れたあたりから」「な、何を」「あたし、本当は……」 ハルヒは口元をわずかに震わせて、「キョン。あ」 その時――、 「空から落ちてきたんだ、すべての願いを乗せてぇええええええええええええ!」 もう忘レテタ! 君を探そう☆「いや、探したくねぇええええええええええええええええええ!!! ハルヒ逃げろ! 逃げるんだぁああああ!」「え、ちょま、おぇあっ!?」 俺はハルヒの手を引いて走り出した。「キョン! 古泉くんが追いかけてくるわよ!? どうすんのよ!」「ほっときゃいい。このままどこまで行けるか勝負だ!」「キョン、あんた……。最高の団員だわ!」 お楽しみはこれからだ。 そうだろ? 古泉。 (終ワレ!)
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