朝倉涼子の軌跡 ─SOS団─
西暦2003年、世界は、宇宙は激変した。突如発生した大規模な時空振動が空間を支配し、時を切り裂く次元断層を生み出した。次元断層は瞬く間に、太陽系第三惑星"地球"を覆い尽し、飲み込んだ。世界は、人々は、あらゆる生態系は時の因果を、過去という時の束縛を、それは遮断した。そして、来たるべき世界は幾枝にも別れあらゆる時間軸を形成し、本来あるべき姿とは全く異なる世界に成り果てる。この大規模な時空振動は、弓状列島"日本"の一画にて発生した。その中心地点に居たのは一人の少女。何処にでも居る普通の少女だった。少女は、絶望していた。自分の存在のちっぽけさに。それは、些末な悩みかも知れない。だが、少女は懊惱してしまった。コンナ世界ハイラナイ。喪失感に苛まれ、少女は懇願した。そして、彼女は唐突に、理解する事もなく、人知を越えた力を手に入れた。後に言う、第一次情報爆発が、少女は知らぬ内に世界を変質させてしまった。名は"涼宮ハルヒ"。神の力を手に入れた少女である。*業火に焼かれたかの如く赤に染まる景色を、自身の暮らす分譲マンションのベランダから眺めながら嘆息を漏らした少女がいた。「何故、私という存在は在るのだろう……」そう呟いた少女、朝倉涼子は人間では無い。情報統合思念体により涼宮ハルヒ観察の為、太陽系第三惑星地球に潜伏する為に人間を精密に模して造られた、対有機生命体コンタクト用ヒューマノイド・インターフェースなのである。朝倉涼子は、涼宮ハルヒの通学する事になった県立北高校に潜伏して、早一月が経つ。涼宮ハルヒに接触しその動向を測る、というバックアップ要員の中でも特に重要な配置を与えられたにも関わらず、全く功績を残せない事に焦燥感に身を焼かれる想いでいた。観察が目的ならば、長門有希の様に感情の機微を表現するプログラムは必要なないはず。だが、私は誰よりも精密に構築され、人間に最も近い状態で造られた。それに意味はあるのだろうか?否、意味等求めても仕方ないだろう。私は、それだけの為に造られたのだから。『SOS団』五月のGW明けの登校日、涼子は皆に分け隔てなく接していた。例外は無く、無論観察対象である涼宮ハルヒに対してそれとなく近付き声を掛けた。「おはよう、涼宮さん」「……」しかし、肝心の観察対象が全く何の反応も示さない。この一連の行動はクラス委員という立場からでは無く、涼宮ハルヒに対して自然に接する形を取れるという処置の一環でもあったのだが、まるで朝倉涼子という存在が存在していないかの様に視界にも入れず、腕を組み忌々しげに顔を顰めさせているという一点張りだった。どうしたものか、と思索を練るが、彼女の興味を引く物、すなわち宇宙人、未来人、異世界人、超能力者などという現実世界に於いて"有り得ない"という認識が常の空想ばかりだった。現に自分は宇宙人という部類に属するのかもしれないが、と内心苦笑する。他の勢力が涼宮ハルヒの動向を探る為、エージェントを放っているのは此方で既に調査済みである。その中に、未来人あり、超能力者あり、各国のエージェントも付近に潜伏しているだろう。いわば、彼女の望んだ物が既に一同一様に集っている訳なのだ。だが、それを彼女が知ることにより、世界の調和が崩壊し兼ねない状況である事には変わりない。放置するのも然り、状況が悪化すれば情報統合思念体が渇望する"自律進化の可能性"が喪失する可能性も懸念されてはいるが、是正すれば解決する。「どうした?朝倉、神妙な顔をして」少し遅れて来た、彼女の前に座席を宛がわれた珍妙な綽名の少年、キョンは訝る様に涼子を見つめていた。「え?ああ、何でもないわよ。それより、おはようキョン君」やんわりとした物腰で対応し、しかし、微笑んだ口端は僅かに歪んでいた。そんな表情一つの変化の機微に微妙な違和感を覚えつつも、キョンは首を傾げ呟いた。「……?まあいいけどさ」それだけ言うと席に着き、寝不足のせいか腫れぼったい瞼を擦りながら欠伸をする。そんなキョンに一瞥し、涼子も又、自分の席に着いた。表情は穏やかではあったが、内心は焦りの色で満ちていた。*何故、この世はこうも不条理なのだ。とキョンは述懐する。何故、その様な思いに至ったのか……、入学早々素っ頓狂な自己紹介をした涼宮ハルヒが起因している。クラスメイトの谷口曰く、「あいつは根っからの変人だ、やめとけやめとけ」という、特に有りがたみのない忠
告を頂いたのだが、間が差したのだろう。キョンは涼宮ハルヒに話し掛けていたのだ。最初は朝のHRが始まるまでの短い間に始まり、今では授業間の休憩時間にも会話をする様になっていた。日が替わる事に髪を結ぶ箇所が増えて行く事を見事言い当てたりもした。その後、指摘された事に何らかの感慨があったのだろう。腰まで伸びた艶な黒髪が、肩口の上まで切られていたのには驚いた。そして、クラス委員である朝倉涼子に"唯一、涼宮ハルヒと会話が出来る人物"と見込まれ、必要事項を伝える橋渡役にされたり、朝倉涼子と接触する大義名分を得た事に谷口から妬みの言葉を貰ったりもした。そして、今日。ようやく涼宮ハルヒという呪縛から解放されるはずだった。六時限目に行われたHRにて、クラス内での交友関係を深めるという名目の元、席替えが行われたのだ。出席番号順でくじを引いて行くという提案の元、キョンは見事に窓側の最後尾から二番目、という中々の好ポジションをゲットしたのだ。しかし、いざ席を移してみれば……、キョンはがくりとうなだれる様に机に突っ伏し席替えを提案した担任の岡部教諭に対して呪詛を紡ぎたくなるが、しかし、何とか寸での所で踏みとどまった。*「何でまたあんたが前な訳?」理不尽極まりない言葉と共に、大いに侮蔑を孕んだ視線が刺さる。「俺に聞くなよ。それに、好きでなった訳じゃないさ」涼宮ハルヒに相対するキョンは眉間に皺を寄せ、心底げんなりする。涼宮はふん、と鼻を鳴らし傲岸不遜に腕を組み胸を反り、一言。「まっ、どうでもいいけど」危うく心を挫かれそうになったキョンは、しかし、何とか踏み止まる。そして、気が付けば口を開いていた。「そう言えば、全部の部活に仮入部したって……、あれ、本当か?」そんな事を言っていた。口を引き結び、眉間に皺を寄せ、精緻に整った美貌を歪ませていたハルヒは、肩に掛った髪を払いあげ再び腕を組み、平坦な声で答えた。「そうよ」余りに淡白な答えに、呆気に取られ唖然と見詰めていると。「全然、駄目ね。運動部も文化部も至って普通。これだけあれば一つくらいは変な部活があってもよさそうなものなのに」憤慨を口端に浮かべながら、更に。「大体ね、独創性がないのよ。決められたルールに従って、行動しているだけじゃない。」「何を持ってその基準とするのか、まずそれを教えてくれ」そんなの簡単よ、と無表情のまま、「あたしが気に入る部活は変、それ以外は全然普通。分かった?」「そうかい、初めて知ったよ」「ふん」そっぽを向いた涼宮。それ以降、会話も続かず本日の会話は終了した。また別の日には、「ちょっと小耳に挟んだんだが」「どうせロクでもない事でしょ」「付き合った男を全部振ったって本当なのか?」ハルヒは鬱陶しそうに顔を顰め、吐き出す語気は強くなる。「何であんたにそんな事を言わなきゃいけないのよ」ギロリ、と黒い双眸で的を射抜く様に睨みつける。キョンは交わる視線を外さず、ぐっと堪えた。「で?誰から聞いたの?まぁどうせ谷口辺りから聞いたんだと思うけど。高校に来てまで、あのアホと同じクラスなんて最悪よね」「そうかい、本人が聞いたら悲しむだろうよ」「別にあのアホがどうなろうが知った事じゃないわ。それに、何を聞いたか知らないけど、まぁいいわ、全部本当だから」「一人くらいまともに付き合おうとか思わなかったのか?」「全然ダメ」どうやら、口癖は全然の様だ。キョンは一人納得に頷く。「どいつもこいつもアホらしいほどにまともだったわ。日曜日に駅前で待ち合わせて、マニュアル通りのデートコース、ファストフード店で食事して、余した時間を喫茶店で潰して、また明日ねってそれしかないわけ?」生誕来、異性と付き合ったり、デートを経験などした事ないキョンにしては、それのどこがいけないのか。他に妙案が思い付く訳でもなく、取り敢えず聞き手に徹していた。ハルヒは己の過去が余程恨めしいのか、苦虫を噛み締めたように顔を歪ませ、「あと告白が殆ど電話だったのは何なの、あれ。そういう大事な事は面と向かって言いなさいよ!」確かに、とそれには同意出来ると思ったキョンは、「そうだな」と相槌を打つ。「そんな事はどうでもいいのよ!」どっちなんだよ。呆気に取られる。「問題はくだらない男しかこの世に存在しないのかどうなのかって事よ。ホント、中学時代はイライラしっぱなしだったわ」今もだろうが、と心の中で突っ込みを入れておく。「じゃぁ、どんな男ならよかったんだ?やっぱりあれか?宇宙人とか──未来人とかなのか?」「そうね、宇宙人もしくはそれに準ずる何かね。とにかくも、普通の人間でなければ男だろうが、女だろうが、そっちのほうが面白いじゃない!」ハルヒは言い終えると、爛々と、いや、ギラギラと双眸を輝かせていた。(何故、そこまで人外に拘るんだろうか。確かにそこには共感は出来そうだが)「だからよ!」ハルヒは椅子を蹴倒し、机に身を乗り出して叫んだ。クラスメイトはハルヒの声に驚き、一斉に振り返る。「だからあたしはこうして一生懸命に探し」「遅れてすまない!」息を切らし駆け込んで来た岡部教諭の登場に、拳を握り締め、今全てを解き放つ瞬間にあったハルヒは、ストンと腰を落し、むっつりとした面構えで窓から一望出来る風景を睨み付けた。キョンは会話が終了した事を悟り、体を前に向けた。そして、壇上に上がった岡部教諭を一度見、ついでにと目線を泳がせていると意外な人物と視線が交じり合う。朝倉涼子だった。キョンは慌てて視線を反らした。意外にシャイな男なのだ。しかし、一体何故朝倉は涼宮ハルヒの事ばかり気にかけるのか……、その本意は全く不明ではあったが、些かお節介が過ぎるのでは。「まあ、考えても仕方ないか」思考を中断し、消耗した精神力を養う為に残りの時間を惰眠を貪る事に決める。*時の概念に束縛されず、情報体のみで形成された情報統合思念体。彼の者はあらゆる時間軸に於いて存在し、また全てを繋ぐ事が出来る。いわゆる、同期というものだ。故に、未来も過去も、全てを把握し、起こり得る事象を改ざんする事など造作の無い事だった。だが、こうして観察に徹している、という有り様は些か上層部に不審を抱かずには居られなかった。彼女達、対ヒューマノイドインターフェースを介して、涼宮ハルヒがもたらす"自律進化"の可能性という不明確な情報を待望し、此処に存在している。だが、情報統合思念体ですら認知していない人物がいた。"アレ"は我々の予定に無い、全くの不確定要素だった。あの珍妙な、キョンというあだ名の少年が問題なのだ。彼は他とは違う異質な何かを感じる。突如として存在し、過去、未来、どちらにも俗さない異様な存在。あたかも、始めからそこに居るのが当然の様に振る舞う少年。時の流れにすら同期させ、現在を基点に過去、未来に対して自己の存在を主張する様に、まるで植物が根を張り巡らす様にそれは徐々に形成されて行く。その少年が、涼宮ハルヒに対して唯一接触出来る人物だ。一体、何故彼が選ばれたのか、理解不能だった。涼子は怪訝な面持ちで二人のやりとりを眺めていた。一体彼と私、何が違う?涼子は深い疑念を抱いた。入学以来、積極的に涼宮ハルヒに対して接触を試みていた彼女にとってそれは当然の帰結だった。「彼が……涼宮ハルヒに対する鍵……?」歪んだ存在が、全ての答えを導き出す一途の光に見えた。*長門有希の無機質な生活(彼女は自らの役割に徹する為、余計なオプションの追加を為されていない為)を支援、管理する役割を持っている。人間の構造を模して造られた体は、やはり人間同様に栄養を接種しなければならない。その手間暇こそ、最初は面倒ではあったが、慣れればどうと言う事は無い。今では、市販されている料理の手法が記された本を参考に様々な料理を作るのが楽しいとさえ感じている。その日、朝倉涼子がその情報を伝えられたのは、いつもそうする様に長門有希に晩餐を振る舞った時だった。涼宮ハルヒが"世界を 大いに盛り上げる 涼宮ハルヒの 団"、略して"SOS団"なる組織を造った事を現場を統括する長門有希により知らされた。情報統合思念体ですら、全く予想していなかった事象である。しかし、やはり、そこには"アレ"の存在が在った。他にも未来からのエージェント朝比奈みくるが紛れ込んでいたが支障は無いとの事だ。「はぁ……。私は何の為にいるのかしら」分乗マンションの自室にしつらえたベットに身を深く沈めさせ、溢れた言葉は溜め息混じり。その己が身を蝕む様に全身を支配する感覚。涼子は最初こそ戸惑ったものの正体、つまりは人間でいう感情を徐々にでは在ったが抱き始めていた。長門有希がもたらした情報の意味。それを知った涼子は得体の知れぬ衝撃に打たれた。それは、恐怖。自身の存在が、居場所が、意味が無くなる事を意味していた。今までは涼子が担当していた役割を、突如、涼宮ハルヒが接触し、あまつさえ結成したSOS団の構成員に入れた長門有希がその任を任される事は明白だった。それに、情報統合思念体の覇権争いで彼女、つまりは長門有希が属する主流派が、目の敵にしているのが涼子の所属する急進派であった事から、更に拍車が掛っている。「まだ……、まだ諦めない。私は見付けたんだから。涼宮ハルヒの、自律進化の鍵を……!」精緻に整った顔を歪ませ、うっすらと浮かべた笑みは、悪意が溢れ出していた。
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