想像上の赤服じーさん
サンタクロースをいつまで信じていたか? なんてことはたわいもない世間話にも―― 周りの生徒は恐らく、新たな場所での出会いや学校の規則などに不安と期待を抱いている中、俺はそんな何ともどうでもいい事を考えながら、入学式に出る為に北高校へと向けて足を動かしていた。 それは、これから先に待つであろう平凡な日常に対して、過度な変化を期待しない様に予防線を引いていただけでなく……そうだな、ほんのちょっとだが期待してたんだ。高校に入れば何かが変わるんじゃないかってな。 それは当たらないとわかっていても買ってしまう宝くじみたいなもんで、結果当たらなくても別にそれはそれでよかった望みだったんだが……神様って奴は余程捻くれているらしく、俺の願いは斜め上後方くらいにずれた意味合いで叶ってしまい――今に至る。「はい。どうぞ」 そんな、今更振り返ってもどうしようもない過去の事を思い出していた俺を、涼やかな声が現実へと呼び戻してくれた。 声の主である朝比奈さんは俺の隣で微笑み、思わず俺も微笑を返してしまう。 さて、今俺が微笑みを交わしている相手は実は未来人である等と言って、それを信じるような奴はいるだろうか? ……居ないよなぁ。 しかし、それはどうやら事実な様で、そしてまた朝比奈さんの淹れてくれたお茶が美味であるのも事実であるわけで、二つの事実の内で俺にとって重要なの後者であった為、俺は深い考えも持たず目の前に置かれた湯飲みを手に取りその中に入った液体を心行くまで楽しませてもらった。「ご馳走様です。美味しかったですよ」 俺の謝辞に嬉しそうに目を細める朝比奈さん。 今日はまだ部室に朝比奈さんしか来ていないから、もっと凝った言葉で感謝を伝えてもいいんだがそれはやっぱり俺のキャラじゃない気がする。 そんな普段と変わらない日常を過ごしていた俺に、「あの……キョン君は、サンタクロースって信じてますか?」 朝比奈さんは可愛らしいお声で、そんな事を聞いてきたのだった。「サンタクロース……ですか?」「はい」 その質問に深い意味があるとも思えず、「信じていません」 俺は素直にそう答えた。 その返事を聞いて、朝比奈さんは残念そうに顔を伏せてしまう。「でも、朝比奈さんが信じて欲しいのならすぐさま信じますよ」 背後にあるハンガーに掛けられたあの赤い衣装をまた着て頂ければ、それは確信に変わります。 以前拝見した聖・朝比奈さんの姿を脳裏に描いていると「……キョン君。実はあの、お願いがあるんです」 朝比奈さんは申し訳無さそうに呟き、俺の顔を見つめてくるのだった。 放課後、SOS団としての活動を終え、一旦は部室を後にした俺はそのまま家には帰らずまた部室に戻ってきていた。 部屋の中に居たのは、「キョン君」 何やら落ち着かない様子の朝比奈さんだけ。 静かに扉を閉めた俺を、彼女はじっと見つめている。 ……朝比奈さんがみんなには何も言わず、俺にだけ伝える用事って事は……やっぱり、「あの、またわたしと過去に行ってもらえないでしょうか」 ですよね。 これで何回目かは忘れましたが、何回目であろうが俺の返事は変わりません。「いいですよ。お供します」 あの強烈なブラックアウトを再び体験する事で、朝比奈さんの顔が笑顔になるのなら悪い取引きじゃありません。「本当ですか! ありがとうございます!」 いえいえ、お気になさらず。 すでに手順が解っていた俺は、朝比奈さんに言われる前に椅子に座って目を閉じて肩の力を抜く。 そんな俺の姿を見て、「あ、ちょっとそのまま待っててね」 俺の背後で、何かを準備する朝比奈さんの気配が続く。 さて、彼女は何をしているのか? と疑問を持ち始めた頃、俺の体に何か上着がかけられてきた。 思わず目を開けてみると、見慣れた自分のコートが体にかけられている。「寒い所に行くので、風邪を引いちゃうといけないから」 優しくそう言った彼女自身も、コートを着込み何故か手には赤いサンタ帽子を持っていた。 普通のコートにサンタ帽子か。 朝比奈さんが着ているのがフードが無いコートだからそれを被ろうと思ったのかもしれないが、朝比奈さんならどんな組み合わせであったとしても可愛い事は間違いないので問題は無い。 俺なら変だろうけどな。「はい、これ」 そして、何故か俺にそのサンタ帽子を手渡してくる。「あれ? これは朝比奈さんが被るんじゃないんですか?」 世界中の男子がそれを望んでいますよ? 出来ればサンタ服もお願いしたい所です。「はい。あの……何も聞かずに、これを被ってもらえませんか?」 首を横に振る朝比奈さんは、ここは譲れないとばかりに俺に帽子を押し付けるのだった。 まあ……あなたにそう言われれば被りますが。 大人しく言われるまま帽子を被りながらも、俺は嫌な予感を感じていた。 朝比奈さんは、俺に何をさせようとしているんだろう? 形にならない不安に俺が身構えると、背中から抱きしめるように伸びてきた朝比奈さんの腕に――俺はあっさりと不安を忘れた。 誰か今の状況を写真に撮ってくれ! 朝比奈さんを中心に! 背中に微かに感じる柔らかな感触に、今だけコートを脱いでいいですか? と聞こうかと本気で迷っていると、「では……行きますね?」 しまった! 油断していた俺は、目を開けたまま時間遡行の波に飲まれていった。 世界が歪み、自分が何処かに投げ出されるような感覚。 そろそろ慣れてもいいはずなのに、一向に慣れる気配がない不安定な時間を耐えること十数秒。「着きました。もう、目を開けてもいいですよ」 天使の様な朝比奈さんの声に、目を開けた俺が見たのは……えっと。 そこは見覚えの無い教室の中で、どうやら今は深夜らしく真っ暗で誰の姿も見当たらない。 やけに寒いと思ったら、窓の外では白い雪がちらちらと舞っている。 なるほど、これはコートが必要だ。「朝比奈さん。今は何時で、ここは何処なんですか?」 コートを羽織りなおしながら聞いてみると、「今は3年前の12月24日で、ここは涼宮さんの通っている中学校です」 朝比奈さんははっきりとそう教えてくれた。 ハルヒの通ってた中学って事は……。 俺達が居る教室は一階だったので、窓の外には白く色付いたグランドが見える。という事は、半月程前に俺はこのグランドにあの文字を書いたって訳か。「それで、今度は何をすればいいんですか?」 また、ハルヒを見つけに行くんですか?「えっと……詳しい事はわたしも聞かされていないんですが、キョン君にはこの後―― ――朝比奈さんの為なら、例え火の中水の中。文字通りの意味で俺はそう思っている。 しかし……これはきついな。 その場で足踏みを繰り返しながら、俺は何故かグランドの中央に立っていた。 別に何かをしている訳じゃないんだ。 ただ、立っているだけ。 聞く分には楽そうな今回のお願いだったが、冬の寒空の下においてはそれはかなり厳しい内容だったりする。「こんな事を頼んでしまって本当にごめんなさいっ! わたしも一緒に外に居ますから」 依頼を告げた後、朝比奈さんはそう提案してくれたが俺は丁重にお断りした。 そりゃあ朝比奈さんと2人でならどんな寒空でも我慢できるだろうが、朝比奈さんが寒そうにしているのを見続けるってのは拷問だ。 俺は教室から視線を向ける朝比奈さんに手を振りながら、その場で足踏みを繰り返す作業に戻った。 頑張れ俺、これが終わったら朝比奈さんから何かご褒美があるかもしれんぞ。 別にそんな約束はしていないが、あのお優しい朝比奈さんの事だ。目的を達成したらはい、解散って事は無いだろう。 朝比奈さんのご褒美の内容を妄想して、何とか俺が寒さを耐えていた時の事だった。 しんしんと降り積もる雪の中、誰かの足音が混じって聞こえてくる。 朝比奈さんが居る校舎の方を見ていた俺は、ゆっくりと近づいてくるその足音の方へ体を向けようとした途端、「サンタクロース見ーつけたー!!」 聞き覚えのある声が辺りに響いたと同時、俺は本能的にしゃがんでいた。 同時に俺の頭部があった辺りを飛びぬけていく誰かの体、「かわした!?」 着地も見事にグランドに立っていたのは……まあ……そうだとは思ったよ。 そこに居たのは、白い袋を担いだ中学時代のハルヒの姿だった。「あ、あんたもしかして……」 俺の顔を見たハルヒは、目を丸くして近寄ってくる。 そして、帽子の下にある顔を確認すると「ジョン!?」「よう、久しぶりだな」 ハルヒの驚いた顔は、すぐに笑顔に変わった。「なんで? なんであんたがここに居るのよ?! いつから居たのよ! 世界を大いに盛り上げるってなんなの? っていうかその頭に被ってるのは何? あんたがサンタだったの?!」 いくらなんでも一度に聞き過ぎだ。 っていうか朝比奈さん、俺はこの後何をすればいいんですか? この場所に立っていて欲しいとしか、俺は朝比奈さんから聞いていない。 ここでハルヒと話していればいいのか? そう聞きたい所だが、生憎と朝比奈さんは100m程離れた校舎の中だ。 以心伝心で意思疎通をするにはちょっと距離がありすぎる。「……ちょっと、目の前で喋ってるあたしを無視して何を見てるのよ」 ん、ああすまん。「ところでハルヒ、お前こそ何をしてたんだ」 こんな雪の夜に学校に来るってのは、また何かするつもりだったのか? 俺の質問に、ハルヒはまた笑顔を浮かべて「サンタ狩りの帰りよ」「そっか……。ってちょっと待て!! 何だそのサンタ狩りってのは?!」「読んで字の如くの意味じゃない」 そう言いながらハルヒは担いでいた袋を下ろし、その中に入っている物を俺に見せるのだった。 白い袋の中は真っ赤で、一瞬猟奇的な何かを想像してしまった俺だったが「じゃんじゃじゃ~ん。街中の偽サンタからかき集めてきたの!」 そこに入っていたのは、大量のサンタ帽子だった。 しかし……よくもまあこれだけ集めたもんだな。 得意げにその袋を見せるハルヒは、「ねえ……ジョン。あんた本当にサンタじゃないのよね?」 何故か真剣な顔でそう聞いてくるのだった。 んな訳あるかよ。「俺がサンタならここにはトナカイもソリもあるはずだろ? そして、人から物を盗るような奴の所にサンタは来ない」「別に来なくてもいいわよ。呼ぶだけだから」 俺の忠告にハルヒは謎の言葉を残し、「じゃ、これもらっていくね!」 俺の頭にあったサンタ帽子を奪って校舎の方へと駆け出していくのだった。 あ、おい待てよ! ……っていうか呼ぶって何だ? あの帽子と関係あるのか? そして俺はこの後どうすればいいんだ? 帽子を失い、頭部まで冷え始めた俺に残された選択肢は……ええいくそうっ!「待てよハルヒ!」 ハルヒを追って、校舎に行く事しか残されていなかった。 俺が鍵を開けたままにしていた扉から侵入したらしいハルヒだったが、その追跡は意外に簡単だった。 すでに足音1つ聞こえないが、土足のまま侵入したらしいハルヒの足跡を追っていくだけでよかったからな。 朝比奈さんに一度話を聞きに行こうとも思ったんだが、まずは放っておくと何をするか解らないハルヒを追いかける事にした。 ……頼むから面倒な事をしないでいてくれよ? そう祈るような気持ちで足跡を追っていた俺が見たのは、「遅いわよ。早く手伝いなさい」 派手に音を立てながら、教室から机を運び出しているハルヒの姿だった。 ……想像以上だな、おい。「ほら、早く!」 ハルヒは当たり前の様に俺の腕を引っ張るのだが、「何で俺が、こんな深夜にお前の犯罪まがいのいたずらの手伝いをしなくてはならんのだ?」「こんな深夜に学校に忍び込んできておいてよく言うわよ。いいからさっさと手伝いなさい」 無駄に笑顔で自信たっぷりに言うハルヒに……多分、朝比奈さんは俺にこうさせる事が目的だったんだろうなと諦めつつ、ハルヒの待つ教室に入った。「机と椅子を全部外廊下に出すの。あたしの机も混じってるんだから丁寧に扱いなさい」 へいへい。 相変わらず口煩い奴だ。っていうか3年後のこいつはもっと口煩いんだから改善を期待するほうが間違っているのかもしれない……って待てよ? 椅子を逆さに載せた机を1つ廊下に出した所で、「って事はハルヒ、ここはお前の教室なのか」「当たり前でしょ? 人のクラスでこんな無茶な事はしないわよ」 普通は自分のクラスでもやらねーよ。 とは言うものの、ここがハルヒの中学時代の教室だと思うと多少の興味はある。机を運びながら教室の中を見回していると……ああ、やっぱりか。 壁に貼られた掲示物の中、習字の表彰の中で一人だけ勢いで溢れすぎな字が混じっている。お題は自由だったのか、様々な字が並ぶ中でハルヒの作品には『退屈』の2文字が書かれていた。 ……何ていうか、気持ちはわからんでもないが……習字の時間にそれを書くのはどうなんだ? 浮かんできた笑いを何とかかみ殺していると、「何笑ってんの? さっさとやらないと夜が明けるわよ」 ハルヒは不思議そうな顔で俺を見るのだった。 ――そして、ようやく教室がただの広い空間になり、代わりに廊下が殆ど通行不能になった時。「じゃ、始めるわ。特別にジョンにも見せてあげるから、あたしに感謝しながらその辺の床に大人しく座ってなさい」 廊下から戻ってきたハルヒの手には、一冊のノートがあった。 へいへい。 どうせなら椅子を1つ持ってくればよかったな。 床の冷たさにそう考える中、ハルヒはまず例の袋に入っていた帽子を教室の中央辺りに振り撒いた。 そして帽子を掴んでは投げ、教室の床に帽子で何かを描いていく。 ノートを見ながらのその作業は暫く続き、やがて教室の中にはサンタの帽子で描かれた……なんだこれ。「見てわからないの?」「わからん」 大きな円と、その中央にシダ植物が好き勝手に繁茂したようなこの模様を人は……なんだよこれ。「サンタを召還する魔方陣よ!」 保育園児が砂山を指差し「お城が出来た!」とでも言うような無邪気な笑顔で、ハルヒはその自称魔方陣を指差した。 そうか、魔方陣か。 どっちが上かとか、そもそも方向といった概念を見つけられないその帽子の列を前に、「何よ、その薄い反応は……まあいいわ、今から実際にサンタを呼び出して驚かせてあげるから!」 ハルヒは自信満々にノートを取り出すと、魔方陣とやらの端に立って片手を上げ何やらぶつぶつと呟き始めた。 目を閉じ、俺が物音を立てないように思わず気を使ってしまう程の真剣さでハルヒは何かに取り組んでいる。 それが何を意味しているのか――まあ、ハルヒとしてはサンタを呼び出そうとしているらしいんだが――俺には欠片も理解できなかったんだが……。 10分程過ぎた頃だったろうか、「――…………なんでよ、何でサンタは来ないのよ!」 ノートを床に叩きつけながらハルヒは突然叫び、痛い程の沈黙が教室に戻ってきた。 現実ってのは……ま、そうだよな。 ハルヒが願ったくらいでサンタが来るはずはない。 何故なら……古泉によればだが、それはハルヒが認めていないからなんだと言う。願望を実現する力があっても、そんなの居るはずが無いと心で思っている事は叶わない。存在しろという願いが、存在するなという願いで相殺されるのかもしれん。「……何で……なのよ……」 ハルヒの肩は小さく震えていた。 それが怒りのせいなのか、悲しみのせいなのかは……俺にはわからない。 これが現実って奴だ。ハルヒ。 この状況を言い切ってしまうなら、俺の言葉はそれでいい。 ハルヒに1つ、現実って奴を教える事が出来たら……それはどんなに有意義な事だろうよ。 でも……それは違うんだ。「惜しかったな」 そう呼びかけても、ハルヒは俺の方を振り向こうとしなかった。 でもまあ、多分聞いてるだろうから続けようか。「サンタもお前の所に来たかったんだが、今日はもう予約で一杯だとよ」「……何よ……それ」 力の無いハルヒの返事に、何故か胸が苦しくなる。 その痛みで俺は気づいたんだ……今のは、俺に向かって言っている言葉なんだって。 もう、動いてもいいだろう。 ハルヒの傍に行くついでに、床に転がったままのノートを拾ってみるとそこには読みにくいが無駄に元気のある字で煙突の魔方陣と書かれていた。 ……ふむ、意外に面白い内容じゃないか。 それは現代におけるサンタの不在を証明する根拠の1つ、煙突が存在しない事への対策について書き記されていた。過去にサンタの実在報告が多いのに、現代においてその報告が出ないのは何故か? それは現代には煙突が殆ど無いからである。 サンタの進入経路である煙突を準備する事でその問題を解決すれば、現代にサンタを呼び込むことが出来る。「……そしてその煙突を作るには、実物の煙突を作る事が出来ない場合はアイスランドにおける煙突の紋章をサンタの所有物、もしくはそれに類似する何かで模り……」「返しなさい!」 俺の手からノートを奪い取ったハルヒの目に浮かんでいた物を、俺は見ない振りをした。「笑いなさいよ。笑えばいいでしょ! こんなのどうせ、あたしの妄想だってあんたもそう言いたいんでしょ?! 言えばいいじゃない、お前が馬鹿なんだって! サンタクロースなんて居ないんだって!!」「居るさ」 涙声で怒鳴っていたハルヒが、割り込むようにして言った俺の言葉を聞いて急に黙り込み、真剣な目で俺を見ている。「え……?」 そうさ俺はあの時、きっとお前と同じこの目で聞いたんだ。『サンタさんは本当に居るの?』ってな。 幼稚園の先生は夢見がちだった俺に「ごめんね? サンタは居ないの」優しくそう教えてくれた。 それは間違ってなんかいない。 空想上の英雄に憧れて、中々回りの子供に溶け込まなかった俺への教育のつもりだったのかもしれない。 結果として『俺は最初からサンタなんて信じていなかった』なんて言ってしまう現実的で捻くれたガキに育ったよ。 でもな……だからこそ俺はお前に教えてやる。「居るぜ、サンタは」 それは嘘なんかじゃない。 誤魔化しでもない。 サンタってのは、居ない事を確かめもせずに大人の言葉で解った振りをしていい存在じゃないんだよ。 はっきりと断言した俺の言葉を聞いて「あ……当たり前よ!」 ――それまで涙目だったハルヒの悲しい顔に、輝くような笑顔が戻った。 「はい……本当にすみませんでした。二度とこんな事をしない様によく言い聞かせておきますんで……――ふう」 下げたままになっている頭の前から、数人の大人が去っていく気配に俺は顔を上げた。 やれやれ、もう少しで終わりだな。「ねえ、ジョン。何であんたも頭を下げるのよ。あたしが悪いんだから、あたし一人が謝ればいいじゃない」 俺の後ろで、一緒に謝っていたハルヒはふくれっつらだ。 確かに俺が謝る理由は特に無いんだが、相手も子供一人に謝られるよりは俺みたいなのでも一緒に謝った方が納得し易いだろうしな。「いいから早く済ませるぞ、サンタは今日が一番忙しいんだ」 ――俺達は今、ハルヒが奪ってきたサンタ帽子を返して回っている最中だ。 サンタを呼ぶという目的は失敗したのなら、もうこの帽子に用は無い。 だったら、来年来てもらう為にもこれは返した方がいい。 そんな打算的な事を考える子供を、果たしてサンタは良い子に分類しているのかは解らないが、「じゃあ次、二丁目の商店街の電気屋」 ハルヒは意外にも、帽子を返して回る事を受け入れたのだった。 何人かには本気で怒られたが――当たり前だ、この日しか使わない帽子をよりにもよって当日に盗られたんだからな――それでも、子供がやった事という事で何とか納得してもらう事が出来た。 そして盗んだ最後の帽子を返し終え、俺達はまた学校へと戻ってきていた。 いよいよ雪は大降りになってきて、この分だと明日の朝までには積もりそうな感じだな。「ハルヒ、一人で家に帰れるか?」 心配でそう聞いてみたんだが、「子ども扱いしないで!」 殆ど条件反射で返って来る怒鳴り声。 よし、それでいい。 それでこそハルヒだ。 思わずにやける俺の顔を、「何よその顔」 ハルヒは面白くなさそうに睨んでいた。 結局……過去に来たってのに、俺がやった事はハルヒの後始末ってのはどうなんだろうな? これじゃ、普段と余りに変わりが無さ過ぎるだろう。 当たり前の様に職員用の傘を持ち出したハルヒは、何故かそのまま帰ろうともせずに俺の前に立っている。 何か言いたそうで……言えないその顔に、「ハルヒ。お前にクリスマスプレゼントをやるよ」 クリスマスにサンタ帽子を被っていたせいなのかは知らないが、俺はそんな事を言い出していた。 本当、何を考えてたんだろうな。「は?」「ま、サンタみたいに何でもとはいかないが、俺に出来る事だったら叶えてやる。何が出来るんだと聞かれると困るが……まあ、とりあえず言ってみろ」 突然の俺の提案に、「まっ……ちょっと待ってなさい! すぐに考えるから」 ハルヒは後ろを向いて、何やら考え始めた。 さて……どんな無茶な願いが飛び出すのかね? その姿を暫く見守っていると、「決まったわ」 振り向いたハルヒの顔は……年齢は違うはずなのに、いつも部室で見ているあの暴君そっくりに見えたのは何故だろう?「あたしね、面白い事は待っててもダメ、自分で探さなきゃって思ってるの。だから今日もサンタを呼ぼうとした。結果は失敗だったけど……諦めてなんかいないわ」 自信に満ちた目が、俺の顔に穴でも開けるような視線を送っている。 見慣れたその視線に落ち着くものを感じていると、「だから……また、あたしが何か面白い事をする時は……全部じゃなくてもいい、たまにでもいいからあんたも来なさい。そしたら、あんたにも楽しい思いを分けてあげるわ。どう? この取引き」 ……願いを叶えてやるって言ったら、取引きを持ちかけてくるとはね。 まるで俺の返事は解っているとでも言いたげな顔で、ハルヒは俺を見ている。 さて、この取引きに俺はどう答えるべきか? YES? それともNO? 日常と非日常を分けるかもしれないその選択肢に、俺は―― ラッセル車でもこうはいかないという勢いで、グランドに直線の足跡を付けていくハルヒを見送っていると、「ありがとう」 校舎の中から朝比奈さんがやってきた。 俺の隣に立ち、同じ様にハルヒの後ろ姿を眺めている朝比奈さんは……さて、理由はわからないが何か思い悩んでいる様に見える。「……あの、まだ何かあるんですか?」 そう聞いてみた俺に、「あ、いえ。これでおしまいです。後は元の時代に帰るだけです」 朝比奈さんは慌ててそう言うのだが……やはり元気が無いようだ。 校舎の中が寒かったとかだろうか? いくら屋内とはいえ、冬の夜に暖房も無しじゃ厳しいだろうし。用がないのなら早く元の時代に戻った方がいい。 そう、俺としても思うのだが……何故か朝比奈さんはそこから動こうとしない。 じっと俯いていた朝比奈さんは、やがて「……その……涼宮さんが、羨ましいなって……ちょっと思って」 恥ずかしそうな声で、彼女はそう呟いた。 ハルヒが羨ましい……か。 俺の知る限り、今日のハルヒは羨ましがられる様には見えなかったんだが。 何故か落ち込んでいる朝比奈さんに俺が出来る事は……まあ、多分殆ど何も無いんだろうけど――でも、「朝比奈さん。何かお願いを1つ言ってみてください」 調子にのった俺の発言に、「え?」 朝比奈さんは目を丸くしている。「ほら、ここは過去だけどクリスマスなんでしょう? 俺に出来る事なんて殆ど無いですけど、まあ駄目で元々って事で」 ハルヒにしたのと同じ様に提案した俺に、「……えっと……あの、じゃあ! 凄く叶えて欲しいお願いがあるから……これから来年のクリスマスまで良い子にしてますから……その時にまた、お願いを聞いてもらえませんか?」 朝比奈さんはそのまま天国に行けそうな笑顔で、俺に尋ねるのだった。 なるほど、サンタの気持ちが今なら解る。 こんな笑顔を向けられたらプレゼントを配らないではいられないぜ。「はい、解りました」 肯く俺に朝比奈さんは微笑み――さて、来年のクリスマスはいったいどんな願い事をされるのだろか? 正直楽しみで仕方が無い。「それじゃあ、帰りましょうか」 そう言って手を差し出された朝比奈さんの小さな手を握り、目を閉じた俺の意識は再び途切れた。 この時代のハルヒと交わした、約束を守る為に。 ――俺達がこの時代を去った瞬間、俺とハルヒが去った後の教室の床の上。 何も無いはずのその場所で、煌々と光り輝いていた魔方陣が消え去った事を知る者は無かった。 想像上の赤服じーさん ~終わり~ その他の作品
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