涼宮ハルヒの激流 プロローグ
プロローグ『宇宙人』と言われてその姿を想像する場合どのようなものになるかと問われると、かつて俺は透明のヘルメットを被った八本足の巨大なたこを想像していた。火星人ってやつだ。その他にも宇宙人に対して人々が抱く視覚的イメージの一例として「グレイ」っていうのが有名だとかなんかのテレビで見たな。アレだよ。灰色の猿みたいな感じのアレ。当然そんなものは人間の勝手な想像もしくは妄想に過ぎないのであり、灰褐色で猿面、なんていうお世辞にも良いとは言えないイメージは本物の宇宙人のひんしゅくを買いそうだと俺は思う。まあもしも宇宙人が現存すればの話だったのだがな。しかしそのもしもである。俺には宇宙人の知り合いがいる。名を長門有希。ボブカットをさらに短くしたような髪型で、谷口いわくAランク-に属する学年屈指の美少女だ。灰色でもなければ猿面でもない。なぜこのなんの変哲もない一美少女女子高生を俺が宇宙人だと言い張れるのかには理由がある。その理由ってのがまた簡単で、本人から直接カミングアウトを受けたから、というどうしようもないものだ。その突拍子もないカミングアウトをなぜ、俺が鵜呑みにしたかっていうのは置いとけ。俺だって最初から信じていたわけじゃない。でも信じざるをえなくなったんだ。色々あったんだよ。さてその自称宇宙人は今、教室の隅でパイプ椅子に腰掛けて読書にいそしんでいる。放課後。いつもの部室。いつもの風景。もはや長門はこのパイプ椅子と手に持つハードカバーもセットで部室に付属する備品と化していた。これは俺の主観だが本を読んでいる長門の無表情な横顔はかえって叙情的で絵になる。谷口の評価もバカにできない。
「・・・。」俺の視線に気づいたのかハードカバーから目を逸らし顔をこちらへと向ける長門。「最近は平和でいいな。」「・・・。」俺の言葉を無視した長門の視線は再びハードカバーへと舞い戻る。この場合「平和」という言葉は、涼宮ハルヒが割合おとなしくしている、という意味で用いられている。おとなしくと言ってもハルヒの脳内では絶えずアドレナリンの生産が追いつかない状態であることは確かで、過去と現在を行き来したり、変な空間にすっ飛ばされたり、ナイフで腹をえぐられたりすることは無いものの、俺は団長を退屈させないようにわがままに付き合うという全くもって充実してはいないがそれなりに忙しいという矛盾した生活を強いられていた。まあそうしてハルヒのご機嫌を取ることによって、あいつと二人で灰色の無人空間に閉じ込められる事が無くなるなら、安い代償だ。そんなわけで、今日も俺は授業終了と同時にダラダラと部室へとやってきたのだ。他にする事ないの?っていう突っ込みはするな。重々身にしみてるから。 今日の部室には俺と長門の他誰もいなかった。古泉と朝比奈さんの姿はない。季節は夏。暑い。窓の外からは気合だけやたら籠った野球部の声が聞こえてくる。余計暑い。ハルヒはまだ到着していなかったが、遅れてもあいつがこの部屋に現われないという事はないだろう。ならばしばしの間でもいい。せめてあいつが来るまで俺は机に突っ伏してまさに惰眠をむさぼろうとした瞬間だった。「おーっす!!・・・あれ?あんた達二人だけ?みくるちゃんと古泉くんは??」部室のドアを勢いよく開けてヤツが登場した。暴走女子高生、涼宮ハルヒ。不意を突かれ絶頂からどん底へと落とされた俺は頭を掻きながら不機嫌な顔を作りゆっくりと身体を起こした。「なによその顔。ていうか、みくるちゃんと古泉くんは?」「なんだ。なんも聞いてないのか?俺も知らん。まだ来てないって事は、帰ったんじゃないか?」「はあ?なによそれ!団長に断りもなく!」そう言ってハルヒは怒りをあらわにした。そう言われれば珍しいこともあるもんだ。古泉はともかく、朝比奈さんまで無断欠席(?)か。SOS団の面々は放課後部室へと足を運ぶ事が既に習慣化している。俺とて例外ではないが。本意ではないが他に行く場所もする事もないので律儀にハルヒの言いつけを守っているうちに、いつしか自然に終業ベルと同時にこの部屋へと足が向くようになってしまっていた。慣れとは恐ろしいものである。しかし、これはマズい。非常に。もっと早く気づくべきだった。朝比奈さんも古泉もいないとなると、今日のこいつのお守はこの俺一人に任されちまうというわけだ。とばっちりはごめんだ。「ま、そういう事だ。俺も帰らせてもらうとするかな。お前も今日くらいはさっさと家路についたらどうだ、ハルヒ?」「ちょーっと待った。何言ってるのあんた?誰がいつそんなこと許可したの?帰るなんてダメよ、絶対。」そそくさとかばんに手をかけ、無敵監獄からの逃走を試みる俺を両手で制止する看守涼宮ハルヒ。しまった。遅かった。「朝比奈さんも古泉もいないんだぞ?何をするんだよ。今日くらい少しは有意義な時間を過ごさせていただきたいもんだ。」「みくるちゃんと古泉君は・・・まあいいわ。今日はちょっと調べたいことがあるの。あんたにはそれを手伝ってもらうわ。ついてきなさい。有希はここにいて。」言うが早いが、部室のドアを開けて外にズカズカと歩き出すハルヒ。「やれやれ。」思わず口に出る。 「はあ~・・・しょうがねえな。」俺はページをめくる左手以外1ミクロンも動かずに読書を続けていた長門を一瞥し、深く溜息をついた。「ちょっとキョン!早く来なさい!!」ドアの外から大声で捲し立てるハルヒ。「へ~へ~今行きますよ。団長。」脱獄に失敗した模範囚もとい俺は、なすすべもなく新たな労役へと連行される。この暴君から釈放される日は果たしていつなのだろう。一生かかってもそんな日は来ないような気がする。 校内をズカズカと必要以上に大股で闊歩する団長に付いて、俺は一体これからどこに行くのかと思えば、なんのことはない。行き着いた先は図書室だった。中に生徒は誰もいない。司書室にいるはずの図書委員の生徒さえいない。「誰もいないわね。ちょうどいいわ。今のうちにわたしが選んだ本を部室に運び出すのよ。」「おい。そりゃ校則違反だぞ。図書室の本は持ち出し禁止だろ。」常識的な突っ込みを入れたつもりの俺であるが、相手が相手だ。常識は通用しない。「はん?校則がなんぼのもんよ。我がSOS団、つまりわたしがこの学校のルールよ。」ムチャクチャ言いやがるこいつ。「ミステリーサークルについて書いてある本を探すのよ。ほら、あんたも見た?昨日のニュース。」そういえばやってたな。うちの高校の近くの芝で円形のミステリーサークルらしきものが発見されたらしい。綺麗な円の形に芝が倒れている映像と共に「怪奇!県立北高近くの空き地で宇宙人からのメッセージ!」というテロップが流れていたのを覚えいている。ただの○にどのようなメッセージが隠されているかはまったくもって謎だが、俺が断言しよう。それは宇宙人の仕業じゃねえ。宇宙人は地球人と接するのにそんな周りくどいことはしないのだよ。対有機生命体コンタクト用ヒューマノイドインターフェースを使うんだ。よってそのミステリーサークルもどきはただの悪戯に過ぎないだろう。だいたいなあ。今やミステリーサークルは人為的に作られたただの悪戯っていう説が一番有力なんだ。そんなことも知らんのか。 「そうとは限らないでしょ!?わたし昼休みに実際に行って見てきたんだけど、あれは人の仕業じゃない気がするのよね。なんか胸騒ぎがしたわ。」昼休みといえど学校の敷地外に出てはいけないというまたもや常識的な突っ込みは先ほど述べた理由により却下されるであろうことは確実だ。なので俺は思ったことを聞いた。「仮にそうだったとして、お前はいったい何をどうしたいんだよ。」「決まってるじゃない!そのミステリーサークルの謎を解き明かして、宇宙人とコンタクトを取るのよ!我々SOS団はこんな機会をずっと待ってたんだわ!ついに尻尾を出したわね宇宙人さん!」「はあ・・・」思わずため息が出る。やれやれ。「なによその反応。あんたもSOS団ならもっとやる気を出しなさいよ。ミステリーサークルなんて絵にかいたような謎がついに転がってきたのよ!わかったらさっさと本を部室に運び出すのよ。いいわね!」こうなってしまっては誰にもこの暴走機関車を止められない。ま、いつものことさ。俺はハルヒが次々と選び倒した本を、えっちらおっちら部室へと運んでいった。 山積みの本を抱え、汗だくで部室に戻ると、長門は先ほどの体勢を崩さずに読書を続けていた。俺は団長机の上に奇怪な幾何学模様が表紙を飾る怪しげな雰囲気の本達をドサドサと下ろした。Yシャツの袖で汗をぬぐう。暑い、おまけに重い荷物を抱えたままの階段の上り下りで吐きそうだ。俺はお茶をオーダーしようとして、唯一の心の拠り所、朝比奈みくるさんがいない事に気がついた。しかたなく自分でカセットコンロに火を着け、お茶っぱの用意をする。「長門、お前も飲むか?」「・・・」ゆっくりとページから目を離し、微かに俺に頷いて見せる長門。俺は湯呑を2つ用意し、そこに淹れたてのほうじ茶を注いだ。ズズズと二人して熱いお茶をすする。あー・・・うまい。ふと思い立ち、俺は長門に聞いてみた。「長門、お前は昨日のニュースを見たか?あのミステリーサークルについてどう思う?」「なにも。」「また巨大カマドウマと闘ったりする事にならないよな?あれはハルヒが作り出したもんじゃないだろ?」「そう。」「じゃあやっぱりあれは誰かの悪戯なのか?」「おそらく。」長門と卓球のラリーの如く素早いやり取りを終えた俺は心の中で安堵の溜息をついた。長門のいつもと変わらぬこの態度は俺に安心感を与え、余計な心配をせずに済んだ。今回はミステリーサークル探索ごっこに付き合ってりゃ事は終わる。ハルヒの思いつきに抵抗しても無駄な事は百も承知。ならば、流れに身を任せようじゃないか。しかし、このとき俺は気づいていなかった。いや、この時点で気づくはずもない。とんでもない激流に身を任せてしまったことに。
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