長門有希の冬色
『長門有希の冬色』
「ふぅー、寒いなぁ」
俺の隣には、いつもの北高指定セーラー服にカーディガンを羽織って、その上にダッフルコートを着た長門が、普段と変わりない涼しげな表情で座っている。
「何もこんな日まで探索に出なくてもいいだろうに……」
かじかむ手をこすり合わせながら、俺は吹きぬける木枯らしを受けて揺れているすっかり葉の落ちた木々の枝を見上げてつぶやいた。
初冬、年末年始が近づき、あわただしい声を聞く時期になって、寒風吹く街中をうろつくことはなかろうに。そう、こんな時は長門のマンションの部屋のコタツでぬくぬくしながら、朝比奈さんのお茶を頂きつつ、まったりと時を過ごすのが一番なのだが、そんなことは我らの団長様は許してくれるはずもない。
せめて、この不思議探索を午後スタートにしてくれたのは、ハルヒも多少は俺たちのことを気遣ってくれたのだ、ということにしておこう。
そんなわけで、くじ引きの結果に基づき、俺は長門と二人でいつもの川沿いの公園にやってきた。寒さをしのごうといつものように図書館に向かったのだが、なんと臨時休館だった。ついてない。
仕方なく、少しでも暖かい日差しを期待してベンチに座っているのだが、日差しの暖かさ以上に吹き抜ける北風が冷たすぎる。
「大丈夫か、寒くないか?」
念のため、隣の長門に尋ねてみたが、
「…………」
じっと俺の目を見つめ返しながら、小さく肯くだけだった。
「体温調節も自由自在にできるわけだ」
「できる。でも、今はやらないようにしている」
長門は視線を足元に向けて、地面近くを飛んでいく落ち葉を眺めている。
「例の力は封印中か……」
「そう。完全に封印したわけではないが、できるだけ頼らないようにしている」
そう言って長門は再び俺の方に振り向いて、二つ三つ瞬きをした。
「そうか……そうだったな……」
去年のあの出来事をきっかけに、長門が万能有機アンドロイドの力の一部を自ら封印するようになって、そろそろ一年が経つ。その間にも、ハルヒや俺たちにいろいろとちょっかいを出してくる連中はいたが、長門の強大な力を発動するまでもなく、穏便に対処することができている。まぁ、よかったというべきか。
「不便じゃないのか?」
俺が話しかけなければ、いつまでも無言で座っているだけになる。この寒空の下、会話でもしていないとますます寒さが身にしみる。
「特に不便は感じない。能力を使わず人間と共に生活することも、自律進化の可能性に向けた何かのきっかけになるかも知れないと、情報統合思念体は考えている」
「自律進化ねぇ……」
情報統合思念体が考える自律進化っていうものがどんなものを意味するのかは未だによくわからない。しかし、長門を見ているともう十分進化しているのではないかと思うことがある。ハルヒの力を云々するより、長門の変化をトレースする方が、はるかにいろいろなヒントを読み取れるような気がするのだが。
「なぁ、長門、有機アンドロイドじゃなくて、純粋に人間になってみたいと思ったことはない?」
「人間に?」
「そう、人間。普通に、寒い時は凍えて、暑い時は汗かいて、楽しい時は笑って、悲しい時は泣くっていうの、どう?」
ふと、文芸部員だったあの眼鏡姿の長門の消えそうな笑顔が思い出された。あれは、今俺の隣にいる長門の願望だったのかも知れないわけだが……。
長門はしばらくの間、木々の上に広がる空の一点をじっと見つめていた。
やがて、ゆっくりとした口調で空を見つめたまま話し始めた。
「人間になりたいと思ったことはある。ヒューマノイドインターフェースとして任務を果たしていくには、もう少し人間らしい感情がある方がいい場合も時折存在した」
「いや、任務とかそんなんじゃなくて、純粋に、だよ」
「純粋に?」
「普通に高校生の女の子として、あふれんばかりの感情を持ちながら暮らしてみたい、ってこと」
俺は、隣で怪訝な表情をしているように見える長門を眺めながら、
「そうだな、一度、笑ってみろよ……」
「……それは無理」
「そうか? それこそ自律進化じゃないのか?」
長門はわずかに困惑した表情を浮かべながら漆黒のまなざしを少し輝かせて、俺のことを見つめていた。
「……検討してみる」
「なんなら俺からもお前の親玉に話してやってもいいぜ。長門を普通の女子高生にしてくれって、その方が新しい知見が得られるぜ、ってな」
俺は探りを入れるように長門の瞳を見つめ返しながら、返答を待った。
「…………まずはわたしから検討を依頼してみる。ありがとう」
いつものように三ミリほど右に首を傾けながら、長門は淡々と答えた。
まぁ、こんなところか。本当に長門が統合思念体に話すかどうかはわからないし、統合思念体で検討されたところで長門が人間になるとも限らない。
しかし、チャンスがあるなら俺は全力で応援するさ。長門には何度も世話になったからな。
話している間にもますます日は傾いて、体感温度も下がってきた。とっとと切り上げて帰りたいが、集合時間まではまだ少し早すぎるようだ。
「やっぱ冷えるな。あったかいコーヒーでも飲むか? 買ってくるけど」
「ありがとう」
俺は、長門をベンチに残して、少し離れたところにある自販機まで小走りで行き、間違ってアイスのボタンを押さないよう注意しながら、ブラックとカフェオレを買った。
冷めてしまわない様に上着の左右のポケットに一本ずつ入れてベンチに戻ると、長門は、閉じた膝の上に両手をのせたまま、目を閉じて何かを考えているようだった。
「おまたせ」
俺がカフェオレを差し出すと、長門は両手で包み込むように缶を受け取り、
「あたたかい」
と言いながら小さく頭を下げた。
俺は反対のポケットから取り出したブラックのプルタブを起こした。
「ブラックとどっちがいい?」
「これでいい」
「うん、じゃ、俺はこっちを貰うな」
俺は程よい熱さになったブラックコーヒーをごくごくと三口ほど飲んだ。隣の長門はまだ、缶を握り締めたままだった。
そんな長門を横目に捉えながら、俺は、遠くでほんのり赤く輝き始めた夕焼け空に話しかけた。
「たぶん、きっといつか、いつの日にか、人間になれる日がくると思うよ。だから楽しみにしてる……」
長門は缶をじっと見つめながら、わずかにコクンと頷いた。
「寒っ! もういいだろう、そろそろ行くか……」
一度飲みかけると一気に暖かさが失われていくコーヒーの缶を恨めしく思いながら、俺は続けた。
「それにしても、ほんとに寒くないの?」
手の中のまだ開けていないカフェオレの缶をじっと見つめている長門がポツリと言った。
「あなたの優しさと暖かさを感じるから、わたしは寒くはない」
「長門?」
ベンチから立ち上がった長門は、胸の前で大切そうに缶を抱えながら、二、三歩進んだところで振り返った。
「もし、わたしが人間になって感情を持つことができたら……」
そこで言葉を切った長門は、少しうつむき加減で寂しそうに小さく微笑んだように見えた。
「…………何でもない。気にしないで」
その時、また少し強い風が吹いて落ち葉が舞って行った。
冬色に支配されつつあるモノクロームな景色の中で、わずかに揺れている短い髪の小さな後姿を見つめながら、俺は缶も中身もすっかり冷たくなったコーヒーの中に、わずかな温もりを感じていた。
Fin.
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