マグロは急には止まれない
部室の扉がノックされ、誰だと扉を開いた瞬間の俺達はきっと時間凍結された有機生命体、もしくは深夜に動き出す寸前の蝋人形の館のような状態だったであろう。長門が立っていた…それは構わない… 何故か、どデカイ本マグロを丸々一本ひきずって…… 「な、長門、それは一体…」「…黒いダイヤ」く、黒いダイヤ?「太平洋沖の北緯40度付近にて生息する天然資源。硫黄島付近にて捕獲」部室に入ってこようとする長門からは生魚の血生臭い匂いが漂い、年季が入って古くなった木造の部室棟の床はマグロの重みで軋む音を立てている。「…それマグロだな?」「…そう」「なんでマグロが丸々一本…」「…嫌い?」いや、好きとか嫌いの問題じゃなくてだな…。「…あなた達にはいつもお世話になり感謝している。お礼をしたい。お礼やお返しで心を掴むにはサプライズ、心を込めたプレゼント、手料理の三点セットだと本に書いてあった。その用件を全て満たすには日本人の好物である本マグロを捕獲及び、調理する事が最善策であると情報統合思念体は認識した」認識を改めろ!!馬鹿宇宙人のアホ親玉!! 「ほぅ…これは素晴らしい天然物の本マグロですね」なんでそんな冷静なんだよ?古泉!「ふぇ~~これ、食べられるんですか~?」まずは解体作業から始めないと無理です、朝比奈さん。「マグロ尽くしとは…やるわね、有希」お前は何もやるな、ハルヒ。 「…驚いた?」いや、哀しくなった…ズシンという音と共に俺の目の前で本マグロがテーブルの上に横たえている。そんな哀愁を帯びた目で俺をみつめるな!本マグロよ!その時、長門は懐から赤い布を取り出し、ヒラヒラと振っている。「どうしたんだ?長門」その瞬間、『モ~!』という鳴き声と共に陸上100mの世界記録保持者ジャマイカの黒い稲妻ウサイン・ボルトのようなツヤツヤと黒光りする黒毛和牛がこちらへと全速力で駆け抜けてきて隣のコンピュータ研の壁をぶち破っていった。 「新しく導入した新型PCがぁぁぁあああ~~~~!!!!!」「開発中の『射手座の日4』のデータがぁぁぁあああ~~~~!!!!!」「次からは『牡牛座の日』にしますからぁぁぁあああ~~~~!!!!!」 悲哀と憤怒、驚愕、人間のありとあらゆる感情が爆発したような声がお隣さんから響いてくる。 「名前は長門ペス…3年前より飼育していた。待機モードで暇だったから。飼料には最高級品を使用。大理石のような霜降りになっているはず」「と言う事はすき焼きね!」そう言いながらハルヒは机の下から、割り下を取り出した。「ここはステーキという手もあるのでは?団長」ハルヒに対する初めての反論がそれか!?古泉!!「なかなか素晴らしいアイデアだわ、さすが古泉君ね」 「あれも食べるのか?長門」「…そう。大事に育ててきたからよく味わって」そんな事言われてもな…「…牛は嫌い?豚が良かった?」いえ、牛で結構です…「ナマステ」その時、長門の背後から声が聞こえてきたかと思うとターバンを巻いた正体不明のインド人が部室へと入ってきた。「…彼はデバプラタ氏。本場インドで神の子と称される天才カレー職人」謎のインド人はこちらの制止も意に介さず、当たり前のように部室で香辛料を擦り始めた。「…大丈夫。彼はヒンドゥー教徒ではないから牛の調理に問題はない」 本マグロの血生臭い匂い、長門がコンピュータ研から引っ張ってきた牛の糞尿の匂い、そして、謎のインド人が調合している香辛料の匂いのせいで部室は香りのモンスター溢れる秘密のダンジョンと化していた。俺達はと言うとそんな匂いに耐えられず長門以外は鼻にティッシュを詰めている。長門は牛の背後で何やらゴソゴソと蠢いている。「はひはっへんら?はらほ(何やってんだ?長門)」長門は牛の尻尾の間から目を向けてきた。「…ネギを肛門に詰めている。体調管理」体調管理っつったって今から食べるんだろ?「…大丈夫。すき焼きには入れないから」当たり前だ!!その長門の行動に古泉が感心しているように頷きながら異常な興味を示している。「らはらは、はんほうひはふプレイへふね(なかなか、参考になるプレイですね)はめひへみはいもろれふ(試してみたいものです)」と、古泉は俺を見つめてきた。ふざけんな!!「…ちょっと待ってて」長門は牛の頭を撫でながら懐に手を入れた。その瞬間、廊下からパァーンという音がしたかと思うと扉が開き、片手に44マグナムをぶら下げた長門に頭を撃ち抜かれ血を流したペスが「モ~」と鳴きながら倒れていった。俺達は身体中に戦慄が走った。もう二度と長門には逆らわないでおこう、そう心に誓いながら…。「…これからペスの解体作業に入る」それから長門は「ペス…ペス…」と小さく独り言を呟きながらどこから取り出したのか牛刀でペスを解体し始めた。「おいひほうらひもふりれ(美味しそうな霜降りね)」ハルヒは平気そうな顔をして大理石のような霜降り肉を手にして調理している。朝比奈さんなんかはもうとっくの前に気絶しているのだが…俺と古泉は一歩引いた第三者として冷めた目線で解体作業を見つめていると、「ほっほあんははひ!ボーッほひへはられ(ちょっとあんた達!ボーッとしてたら)まふろがふはっはうれほ!(マグロが腐っちゃうでしょ!)」と言うハルヒの一言で俺と古泉はのこぎりを手渡されマグロの解体作業に入る事となった。部室では謎のインド人がゴリゴリ香辛料をすり潰す音とギコギコというペスが刻まれる音、そして長門の「ペス…ペス…」という声が響いている。「はへ、ろうひまひょう…(さて、どうしましょう…)」「ほりあえふはんら、ほいふみ(とりあえず勘だ、古泉)」サバを三枚おろしにする感覚で適当にのこぎりを入れ始めた。どの角度に回ってもマグロの目が俺を見つめているような気がしてならない。マグロよ、お前はただ太平洋を泳いでいただけなのに宇宙人にキャトルミュートレーションされて改造され、俺達の胃袋に収まるんだ。ごめんよ、マグロ。そんな想いを抱えながら俺と古泉は黙々とマグロをおろしている。 部室にはマグロとペスの残骸が転がっている。そしてインド人がようやくカレーを煮込み始め、部室にいたモンスター達は立ち去ってくれたようだ。「ふ~…これから調理に入れそうですね」古泉はタオルで汗を拭っている。その時、部室の扉が開いたかと思うと気絶していたはずの朝比奈さんが買い物袋をぶら下げて入ってきた。「あのぉ~皆さんはマグロを頂く時はわさびですか?しょうがですか?それともにんにく?」それから俺とハルヒと古泉はわさび派、しょうが派、にんにく派に分かれた熾烈な争いがあったのだが、割愛しておく。 食卓に並んだ豪華絢爛なすき焼き、ステーキ、将◯の寿司に負けず劣らずのマグロ尽くし、そして、謎のインド人が生み出したビーフカレーを俺達5人は黙々と味わっている。いや、一人だけ長門がしつこく「…ペスは美味しい?ペスの味はどう?大事に育てた。味わって食べて」と独り言のように俺達にプレッシャーを掛けてくる。俺は早く家に帰ってお袋の地味でも良い暖かいご飯が食べたい……あ…「何か足りないと思ったら白飯が無いじゃないか!?」俺のその一言に皆が青天の霹靂、世紀の大発見をしたかのように目を見開き、頷いたかと思うと、長門は「コシヒカリ」と言いながら物凄いスピードで部室の外へと飛び出していった…。
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