「大雨」
夏の終わり、在庫の雨を秋まで残すのが嫌だったのかね? 夕立ちを避けて本屋の軒下へと駆け込んだ俺は、盛大に濡れてしまった服のせいで店内に入る気にもならずかといってここに居てもどうにもならないという状況で何故か半笑いだった。 幼い頃、大雨や台風が来た時に妙にテンションが高くなった経験ってのは無いかい? 高校生にもなって雨の中走り回る事はできやしないが多少気分が高揚するってのは否定しようもないね。「いーやっほー!」 ……なんだ? 今通りの先から聞こえたのは聞き覚えのある声だったような気がする。 どうする? 俺がいる本屋脇道のないアーケードにある。このままここに居れば恐らくそいつは目の前を通る事になるだろう。 留まるべきか、引くべきか……迷うことはない、引こう。留まる事で事態が好転するとは到底思えない。 俺は冷たい体を気にしつつも店内へと逃げ込んだ。 間一髪って奴だろうか、ご機嫌な奇声をあげて店内に居た客の視線を独り占めしながらも、そのまま店の前を走り抜けていったのはやはりというかハルヒだった。 夕立の中を傘も差さず叫びながらアーケードを走り抜ける女子高生。 おいおいハルヒ、今日はずいぶんご機嫌じゃないか。 あいつに突っ込み訳が居ないとああなっちまうわけか、なるほどね。 俺は少しでも冷房が弱い場所を探して、店内を奥へと進んでいった。温度差の関係で入口付近の方が冷房は強くなっているという話をどこかで聞いた気がしたんだが……デマだったようだな。全然変わらない。 天井に付けられたエアコンの吹き出し口の配置を見ながら本棚の隙間へ進んでいくと、見覚えのある顔に出くわした。 こんな所で会うなんて意外ですね。「あ、キョン君」 小難しい本を立ち読みしていたのは、朝比奈さんだった。 何か探し物ですか?「え? ああ、夕立が降ってきたから雨宿りにきてたんです。傘は持ってたんだけど折り畳み傘で塗れちゃいそうだったから。キョン君風邪引いちゃいますよ? はい」 そう言って朝比奈さんは可愛らしーいハンドタオルを貸してくれた。びしょ濡れだった俺には焼け石に水にしかならない面積の繊維の集合体なのだが、俺の心はたった今暖かな何かで満たされました。っと、水分を含んで重くなったこのタオルをこのまま返したら朝比奈さんの荷物が濡れてしまうよな。 すみません、これ濡らしてしまったんで今日は借りて帰ってもいいですか? 明日乾かして持ってきますから。「え、大丈夫ですよ?」 でも悪いですから。「じゃあ、お願いします」 天井から聞こえてくるるエアコンの音と屋根を叩く夕立の音。なんの前触れもなくその後者、つまりは夕立の音が極端に大きくなった。「きゃあ!」 朝比奈さんが思わず身をすくめるだけの事はある、エアコンの音を聞き取ることもできない程に、叩きつけるような雨の音が店内を埋め尽くしまった。 これはしばらく帰れそうもないな。「そうですね」 あれ、どうかしたんですか? 何故か朝比奈さんは嬉しそうな顔で俺を見ている。「あ、いえ何でもないんです」 慌てて手を振るとよけい気になりますよ? まあいいか、もしかしたら大雨が好きだとかそんな普通の人とはちょっと変わった趣味をお持ち――ん、なんだこの違和感。ついさっきそんな奴を見たような。 あ!「どうかしたんですか?」 いえ、その。さっきハルヒが傘もささないまま店の前を走り抜けていったのを思い出しただけです。「えええ? え、あ。ど、どうしましょう?」 どうしましょうって……どうしましょうね。 天井から聞こえる雨の音は小さくなる気配はない。むしろ強くなっている気もするくらいだ。……ああもう、仕方ないな! くそう! せっかく朝比奈さんと二人っきりだってのによ! 朝比奈さん。「はい」 何でおれはこんな幸運を自分で捨てちまおうとしてるんだろうね? まったく。 結論から言おう、傘なんて大雨の前では飾りです。むしろ、無理に差してると自分に刺さる危険物だ。 視界が霞むというかもう大気の主成分が水になってるんじゃないのか? と疑う様な中を俺は走っていた。 考えてみれば、だ。ハルヒが走り去ったのは数分前の事でこの辺りにまだ居る可能性は低い、さらに言えばいくらあいつが生粋の暴走人間だとしてもどこかの店に雨宿りくらいはするだろうな。つまり、こうやって走っている俺は無駄な事をしてるんだろう。 と、理性的に分析してみても何故か止まる気になれず、俺は車でも徐行している様な雨の中を走り抜けていった。 歩道には誰一人歩いている人はおらず――当たり前だよな――、雨宿りをしている人から見ればいい笑い物だろうよ。笑いたいなら好きに笑えばいいさ。俺も一緒になって笑ってやる。 もうすぐアーケードも終わる、そこから先は道が分かれているからこれ以上探しようもない。 俺が足を緩めて立ち止まろうとした瞬間、俺の体は真横に引っ張られれて安定を失いそのまま地面に転がった。「何やってんのあんた?」 ……魂を込めて言わせてもらおう、お前にだけは言われたくなかったな。「何それ?」 俺を見下ろす不機嫌な視線、それは喫茶店の入口に立つハルヒの物だった。 デザイン目的で作られた入口の屋根は雨避けには不十分で、ついでに今降っているのは雨と呼ぶのもおこがましい大雨だ。 ハルヒの服に乾いている場所など欠片も見つからず、ついでに髪からも雨が滴り落ちていた。 まあいいさ、このまま会えなかったらどうしようかと思ってた所だ。ほれ。「え、何これ?」 折り畳み傘だ。「そうじゃなくて、なんで傘があるのに雨の中走ってたのよ?」 そうだな、俺もお前にそれが聞きたい。世の中に不満でもあったのか?ったく。 お前が傘も差さないで走ってるのを見たから、そいつを届けに来たんだよ。 俺はハルヒの手に朝比奈さんの傘を手渡すと、そのままその場に座り込んだ。急に全力で走ったせいで体が悲鳴をあげてやがる。「あんたはどうするの?」 俺か、俺は少し休んでから帰るよ。「でも、ここに居たら濡れちゃうじゃない」 これだけ濡れてるんなら一緒だろ?「じゃあ傘があるんだから……二人で帰ればいいでしょ?」 その折り畳み傘じゃ二人は無理だ。 いいから少し休ませて……ぬあ? 安息の地面から引きずり起こされた俺の手に、朝比奈さんの傘が再び渡された。なんだ、いらないのか?「いいから二人で帰るの! いいわね?」 なんで笑ってるのに怒ってるんだ? お前は。 「キョン、それじゃあんたが濡れちゃうでしょ?」 気にするな、どうせ二人は無理なんだしお前も結構濡れてるだろ。 折り畳み傘の面積で人間二人を濡れないようにするためにはどうすればいいか。答え:一人が諦めればいい。 実に明快な答えだ。 それなら一人でさせばもっと濡れずに済むんだろうし、さらに言えばこれだけびしょ濡れな人間が傘を差す必要性も見つからない。 それでもまあ、何故かハルヒはご機嫌だし。まあいいとするさ。 大雨はこれでもか? という程に降り続き、車道の側を通るのを避けて俺達は公園の中を歩いていた。 当たり前だが公園に人影はなく、歩道沿いに作られた川も今は増水して近寄るのも危険な感じだ。何故か静かにしているハルヒを不思議に思いながらも、俺はこんなのもたまにはいいかもな……と思っていた。 それ程広くはない公園も終わりが見えてきた。ここから先は俺とハルヒで帰り道が違う。 これ、持っていっていいぞ。「それじゃキョンが濡れちゃうじゃない」 今日はどうしたんだ? いつもなら問答無用でお前が奪っていきそうなもんなのに。「うるさい!」 そうだ、それでこそハルヒって感じだな。「じゃあ本当に借りていくからね?」 へいへい。 俺はハルヒに傘を渡して、自転車を止めてある駐輪場へと走った。途中、信号で止まった時に何となく振り向くと、何故かハルヒは傘を受け取った場所で俺の方を見ているようだった。どうしたんだ? 信号が変って横断歩道を走りだした俺が見たのは、まるで拍手が引くように引いていく雨。そして入れ替わり上映の映画の如く現れた色彩豊かな虹だった。おいおい、今まで雨はなんだったんだ? 見ればハルヒも虹を見上げている。なんとなく、ハルヒの所へ戻ろうかと考えた俺だったが。 けたたましく鳴るクラクションの音。 すんません! 車道を塞ぐようにして立っていた俺は急いで横断歩道を走り抜けていった。 大雨 終わり
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