涼宮ハルヒの誰時 朝倉ルート
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涼宮ハルヒの誰時
「ご、ごめんね?」 手を振り払ったのは俺なのに、何故か慌てて謝ったのは朝倉の方だった。「こんな大変な時なのに、変な事言ってごめんなさい」 そう言って立ち上がった朝倉は、そのまま逃げるように隣の部屋へいってしまった。 見間違いでなければ、朝倉の顔は真っ赤だった様な気がするんだが……まあ気のせいだろう。なんだか一気に疲れた気がする、というよりも疲れてるのに無理やり動いてただけなんだろうな、実際。このままここに居たら、本当に泊めてもらう事になりかねん。 朝倉。 呼びかけてみるが返事はない、だがそんなに広い部屋でもないんだから聞こえていないって事はないはずだ。 今日は帰る、また話を聞かせてくれ。 俺はしばらく待ったが朝倉からの返事はなかった。 なんなんだろうな? これは。 でもまあ朝倉は聞いているんだろうなと思い、俺はそのまま部屋を出て行った。 朝帰り、ではないが深夜の帰宅に何故か起きていた母親にきっちりと叱られ、翌日起きたのは頑張ればぎりぎり間に合いそうもない……まあどう考えても遅刻する時間だったのはこの際どうでもいいね。 家を出て早々に1時間目を諦めた俺は、休み時間に学校に着くようにわざと遠回りをして歩いていた。これで2時間目にも間に合わなかったら洒落にもならないのだが、ぶっちゃけどうでもいい。なんて、言えればいいのにな。 ハルヒが居なくても、SOS団が存在しなくても現実って奴は知ったこっちゃないらしく、時計の針は一定の間隔でしか進まないし明けない夜も無いらしい。 過ぎていく時間が憎いのに、それに対抗する手段なんぞ持ち合わせちゃいない俺は……そうだな、どうすればいいのか知ってる奴が居たら教えてくれ。 遠回りするはずだった足はいつの間にか見慣れた坂道に進んでいるし、だからといって俺も方向転換する事も無い。遠くに見えていた学校は少しずつだが大きくなっていって、俺は小さくため息をついた。 正直に言おう、大きく息を吸うだけの元気もなかったのさ。 ふと振り向いた先には誰の姿も無く、俺は諦めたように校舎の中へ入っていった。「おいキョン! 今日ばかりはお前の不運を嘆いてやるぜ」 図書室で時間を潰した俺が休み時間を狙って教室に入った所を、無駄にテンションが高い谷口が迫ってきた。ああ、テンションが高いのはいつもだったっけな。 ええい、暑っ苦しい。と突っぱねるだけの元気も出てこない。 ああ、そうかい。お気づかいありがとうよ。 そう言って俺は自分の席へと向かうのだが、どうあっても谷口は俺にかまいたいらしい。俺の進む道をわざわざ両手を広げて遮ってやがる。「おいおい、ちょっと待てって? お前どこに座るつもりだ?」 自分の席だ。 それ以外にどこがあるってんだ?床か?「お前の席はそこじゃないだろ。間違って座るとクラスの男子、全員から袋にされるだろうから親切で言ってやってるんだぜ?」 お前は何を言ってるんだ?俺の席は窓際の列で一番後ろだろう。 俺の返答に谷口はにやにやと笑いながら指を振っている。 いったい何が言いたいんだお前は?「キョーン、そこはもうお前の席じゃないんだ。よく見ろ?お前の席はその一つ前だぞ」 なんだって? 確かに言われてみれば、一番後ろの席は俺の記憶の中の机より若干新しい様な気がする。 違う、そうじゃない。俺の席の後ろにあったはずの空間に、机が一つ増えてるんだ。「いいかよーく聞け。今朝このクラスに転校生がきたんだよ。しかもだ、驚くなよ~?そいつはな、お前も知って 朝倉だろ。 長くなりそうだったので途中で割り込んでやった。「はぁ?なんだよ、知ってたのか」 急に白けた顔で谷口が軽く両手をあげてみせる。 ここまでくれば分からないはずもないさ、昨日転校してくるって聞かされたばかりだしな。「あ、おはようキョン君」 背後から聞こえた声に、俺はのんびりと振り向いた。 ああ、やっぱり朝倉なのか。 隠すまでもない小さなため息がこぼれる。実は少しだけ転校してきたのはハルヒじゃないのかと俺は期待していた、でもハルヒならこんなに谷口が騒ぐ事もないんだとわかってもいた。 人当たりのいい笑顔を浮かべた朝倉は、まっすぐに俺の元へと歩いてくる。 ってそうか、俺が居たら席に座れないんだな。 谷口を押しのけて自分の席についた俺だが、何故か俺の視界には朝倉が入ったままだった。「今朝は心配しちゃった。もしかして、学校に来てくれないのかと思っちゃったじゃない」 俺の机の横にしゃがんだ朝倉は、俺のネクタイ辺りを見つめている。 どうしてそう思うんだ?「そりゃあ昨日は肉体労働させちゃったし、もしかしたら私と顔を合わせずらいのかなって思って」「おいキョン! お前いったい朝倉さんに何をしたんだ?」 テンションの上下が激しい奴だな、血管に負担がかかるぞ。 昨日、朝倉の引越しの手伝いを頼まれたんだよ。ただそれだけだ。 ある意味間違っていないな、昨日は朝倉の荷物運びで殆ど終ってハルヒ達の手がかりは結局見つからなかったんだから。「なんだよキョン、そーゆー時は俺を呼んでくれって! 朝倉さん、今後何か御用があれば是非俺に任せてください!」 次からはそうさせてもらう。 正直、こっちは馴れない力仕事に体中筋肉痛なんだ。「ありがとう。よろしくね」 その言葉だけで満足だったのだろう、谷口はふわふわとした足取りで去って行った。「あまり話した事はなかったんだけど、谷口君って面白い人ね」 そういえば、朝倉がクラスの男子に話しかけているのは見たことがなかったな。 あーゆーのが好みなのか。「私の好みが気になるの?」 いや、聞いてみただけだ。 でもまあ、朝倉だったら谷口を大人しくさせる事もできるのかもしれない。「私のタイプは落ち着いてて優しい人よ。谷口君はいい人だと思うけどちょっと違うかな」 俺の視線の先で、国木田相手に騒いでいる谷口に哀悼の意を表してやろう。残念だったな谷口、朝倉はお前とはかなり違うタイプをお好みだそうだ。どちらかと言えば国木田みたいな奴がいいらしいぞ。「ねえ、やっぱり私は貴方の事キョン君って呼んじゃだめかな」 さっきも呼んでなかったか?と、言いかけて俺は口を閉ざす。 何故なら朝倉はいつもの笑顔で頼みこむ様な雰囲気ではなく、真剣な顔で俺を見ていたからだ。 いやに呼び方にこだわるんだな。 とも言いにくい雰囲気の中、授業を始めるチャイムが鳴りだす。その音に救われる様に俺は席を正して教科書を取り出したのだが、朝倉はどうやら返事を聞くまで動かないつもりの様で席に戻ろうとしない。 チャイムが終わりそうになった所で俺は負けた。 好きにしろよ。 笑顔になってようやく自分の席に戻る朝倉。 そして授業が始まり、遅刻してきた俺は教師の教科書を頭部で受け止める事となった。 すんません。 さて、学校はこれでもかと言うほどに何事もなく至って平和そのものだった。 そりゃあそうだ、人間台風とでも評すればいいようなあのハルヒが居ないんだからな。 長門の世界の時と違って、古泉のクラスは残っていたがあの営業スマイルは見つけられない。 一応クラスの名簿も見せてもらったのだが、やはりというかそこにあいつの名前は見つけられない。鶴屋さんはただの上級生という事になっているのか、廊下ですれ違った時もなんの反応もなかった。あいかわらず妙に元気な人だったのが、救いだった気がする。 もしかして、クラスが違っているだけで実は学校のどこかに居るのでは? そう考えた俺は、部活の関係で生徒名簿が見たいという俺の適当な言い訳で岡部を説得してみた所、びっくりするほどあっさり閲覧を許可された。いいのか? 俺が知っている名前がないか調べている最中、何か後ろで「お前もいよいよハンドボール」とか言ってた気がするが、まあ気のせいだろう。朝比奈さんも長門も古泉もこの学校には存在しない、それが確認できた時にはすでに夕方になっていた。 さて、今日はどうしようか? ここ最近まともに寝てないんだし、今日くらいはこのまま家に帰るのもいいかもしれん。「あ、こんな所に居た」 職員室から出てきた所で、朝倉がやってきた。 もう放課後と言うのもどうかと思う時間だぞ?何してるんだ。 すでに日は落ちていて、安普請な廊下は冷え切っている。朝倉は学校指定のカーディガンを羽織っているが、それでも寒そうだった。つまり俺も寒い。「キョン君には言われたくないな」 不機嫌そうな朝倉の意見は最もだ。 で、なんでお前は学校に残ってたんだ? これだけ暗くなっているのに一人帰すのもどうかと思って――というか朝倉ははじめからそうするつもりだったらしく――俺達は一緒に下校している。「キョン君を部室で待ってたの。で、あまりにも遅いからもう帰ろうと思ったら靴箱にまだ靴があったから探してたのよ」 それは、なんていうかすまん。 俺が文芸部に行かなかったのは、無人の部室を見るだけの気力がなかったからだった。正直、しばらくは行ける気がしないぜ。「ねえ。調子悪そうに見えるけど大丈夫?」 左後ろから覗き込んでくる朝倉の顔は本当に心配そうで、俺は適当な言い訳も思いつかなかったのもあって大人しく頷いた。 ここ何日かハードだったからな、今日はもう早く寝る事にするよ。「無理しないでね?私に出来ることがあったら手伝うから」 それはハルヒ関係の事を言ってるんだろう、しかし今の朝倉に手伝ってもらいたい事か。 俺が想像する手助けってのは、いわゆる超常的な力でみんなを取り戻すって事だったんだが、ただの人間になった朝倉にはそんな事を頼める訳もない。でも、だからと言って今回の事に朝倉に責任がない事くらいわかってる。なんせ日本にすら居なかったんだもんな。だから俺は何も言わないままでいた。「ごめんね」 え? いつの間にか止まっていたのだろう、朝倉の声はやけに後ろから聞こえてきた。振り向いてみれば、少し後ろで辛そうな顔で立っている朝倉が見える。「私がもっと早く帰ってきてたら、もしかしたら事態は変わってたかもしれないのに。手助けするなんて言っても、ただの人間じゃ力になんてなれないよね」 何言ってるんだか――一度は長門に消されてしまったお前が、自分の危険も顧みずわざわざここまで来てくれただけで感謝してるよ――溜息一つついてから、俺は坂道を戻って行った。 目の前に来ても、朝倉は動かないでいる。俺は俯いたまま固まっている朝倉の頭に手を乗せ、そっと撫でてやった。 朝倉、お前には助けられてるよ。事情を知ってる人が誰一人居なくて相談もできない状況に、正直ギブアップ寸前だったんだ。「キョン君」 でも、ハルヒに関わる事で相談されるのが迷惑なら言ってくれ、お前にまで迷惑をかけられないからな。 お前にとっては、忘れたい事なのかもしれないし。「迷惑だなんて思わないで。それに、私だって自分の事を知ってる人が残っててくれて……嬉しかったんだよ?」 潤んだ目で見つめる、掛け値なしの笑顔がそこにあった。 その時、俺が感じたのは仲間ができたという安心感だったのか、それ以外の感情だったのか。 自分ではわからなかった。「ここがそうなのね」 ああ。 次の休日、俺と朝倉はあの市立図書館へ来ていた。 学校の中は平日の間に殆ど調べて終えてしまっている、いよいよもって手詰まり感は否めない。だが長門と一緒に来たこの図書館なら、もしかして何か手掛かりが残っているのではないか? そう考えたのだが、静かなはずの図書館は人気は少ないものの何故か騒がしかった。「ごめん、もっと地味な格好がよかったね」 気にするなって。図書館だって言わなかった俺が悪いんだ。 朝倉には先日、次の休みに市立図書館に行くんだが一緒にくるか?と聞いたのだが、どうやら朝倉はそれをデートだととったらしい。今日の朝倉は図書館には不釣り合いな派手目の服装で――それは似合っていると俺は思うんだが――やはり人目を引いてしまっていた。そそくさと建物の奥へと進み、長門が足に根が生えるほど読書に勤しんでいた本棚の付近へと移動する。 流石長門だな、目的の場所の周りにはまるで人気がない。 並べられた本のどれもが数回、下手をすれば一度も開かれていないのではないかと思うような場所で……。「どこから探そうか?」 そうだな、どうしような。 ある意味まっ平らな壁を相手にしているような気分だ、どこから手をつければいいのか全くわからない。 それでもせっかく来たのだからと、俺達は手当たり次第に分厚い本を机に移動しては中身をさっと確認するという作業に取りかかった。 運ぶのは俺で、調べるのは朝倉。適材適所って奴だよな。「これだけあると全部は調べられないから、今回はキョン君の感で選んでみて」 なるほど、確かにその方がまだ可能性がある気がする。 俺はさっそく、目の前にあった分厚く引き抜くのも苦労する様な本を一冊取り出した。確かこれは長門が読んでいた本だと思ったんだが……おい、2キロはあるだろこれ。しかも12巻まであるのかい、そうかい。 そうして数時間が過ぎても、俺の手が挙がるのを拒否しだした以外にはやはりというかなんの進展もなかった。 朝倉も時々目元を押さえたりしている、休憩しながらだがお互い限界みたいだな。長門がこの図書館に来たのはずいぶん前の事だろうし、その時すでにヒントや仕込みを終えているってのも無理があったと今更ながら思う。気づくのが遅すぎたとも思う。 こんな所で悪いな。「え、何が?」 休日にこれだけ付き合わせておいて、ファミレスじゃ合わないだろ。 とは言っても俺の小遣いじゃここが限度だったりもするんだけどな。図書館での探索を諦めた俺達は、SOS団で集まる時に使っていたファミレスへきていた。すでに夕方を過ぎていて、店内は大勢の客で賑わっている。「気にしないでよ。それに、ここは割り勘でいいよ」 それは助かるが、そうもいかないさ。 いくら俺でもあの重労働に対価無しってのはあんまりだと思うぜ。「どうして? レディーファーストとかかな?」 そんな概念は、古泉でもなければ似合わない。 俺が言っても寒がられるだけだ。「私は好きでキョン君に付き合ってきたんだから、そんなに気を使わないでいいよ」 言いきる口調からして、どうやら朝倉は譲る気はないようだ。 ハルヒによる罰金刑対策で財布の中身に多少は余裕があったんだが、ここは大人しく好意に甘えておくとしよう。 翌週、今更なのだがテストが返ってきた。 そういえばそんな事もあったんだな、っていうかそれも無かった事になってればいいのによ。などと脳内で不満を言っている間にも、教室の中は少しの歓声と明らかにそれよりも多くの悲鳴で溢れかえっていった。 さて、俺の結果なのだが。 予想よりは高いようで平均には到底及ばないこの成績に対し、俺は我ながらどう取ればいいのかわからない溜息をついた。「キョンはどうだった?」 さっそく戻ってきた答案を片手に国木田がやってきた、後ろを見れば谷口も居るがどうやら今回は深刻に酷い内容だったらしく燃え尽きた顔をしている。 どうもこうもない。 隠しても仕方ないので俺は国木田に答案を渡してやった。「う~ん。キョンは文系は多少いいけど、全体的にかなり弱いみたいだね」 完璧な戦力外通知をありがとうよ。 とはいえ、勉強も本気でなんとかしないとまずいって事だけはわかってるんだがな。お前はどうだったんだ?なんて聞くまでもない。国木田は俺や谷口なんかと付き合ってはいるが、明らかに進学組だったりするんだ。「私も見ていいかな?」 聞きながら早くも、国木田から答案用紙を受け取った朝倉がこちらを見ている。国木田も俺が答える前に渡すなよ。 好きにしてくれ。 俺の返事を聞いて、さっそく答案に目を落とした朝倉の顔から一瞬笑顔が消えたのを、俺は見逃せなかった。 こんちくしょー。「ねえ、今日は一緒に文芸部の部室でお昼食べない?」 昼休みを間近に控えた授業中、後ろから朝倉のそんな声が聞こえてきた。 別に断る理由もない。 俺は前を見たまま肯いておいた。 都合よくチャイムが鳴り、購買へ向かう生徒や弁当を広げたりと一気に騒がしくなる教室を朝倉は一人通り抜けて行く。このままここに居ると谷口あたりに捕まりそうだな。普段ならそれもいいが、まさか朝倉と先約があるとは言えないし他に誘いを断る理由が見つかりそうもない。俺は弁当を取り出すと、教室を出てのんびりと部室棟へ足を向けた。 が。「キョン?」 口にコロッケバーガーを入れたまま、器用に谷口が俺の名前を呼んでみせる。谷口だけではない。意外な事に、文芸部に居たのは朝倉と谷口と国木田の三人だった。驚いた二人の顔と、俺にしか見えないように小さく舌を出して謝る朝倉の顔。 おいおい、どうなってるんだ?「で、何でお前がここに来たんだ?」 弁当を広げた俺に対して、谷口は穏やかな表情の下に確かな敵意をもって問い詰めてくる。 国木田はそもそもどうでもいいらしく、もそもそとサラダを口に運んでいるし、朝倉も何食わぬ顔で弁当の中身をちまちまと食べていた。 まあ、そのなんだ。 何故この辺鄙な文芸部で、しかも朝倉と、さらに隠れるようにして弁当を食べようとしていたのか。正直俺にもよくわかってないんだが、どうやらここで朝倉に振るという選択肢は無いらしい。「俺達は中庭で弁当広げてた時に偶然朝倉さんが通りかかったから、せっかくだからとご一緒してる所だ。言っておくがキョン、返答しだいではクラスの男子全員を敵に回す事になるからな?」 安心しろ、それはない。 適当な言い訳を考えてみた所、今日はちょうどいいネタがあった事を思い出した。やっぱりちゃんと睡眠は取るべきだな。 俺は弁当の包みを開きながら、かなり本気で睨んでいる谷口に言い訳を披露した。 今朝のテストの結果が悪かったから、朝倉に勉強を教えてもらう事になってたんだよ。で、だ。俺のレベルを周りの奴らに知られると恥ずかしいだろうからって朝倉がここならどうかって提案してくれたのさ。「お前が勉強だと?勉強道具も持たないでか?」 ええい、いい所を突くじゃないか。 ヒアリングが全滅だったから英語の勉強だったんだよ。昼休みに教科書なんて読んでたら気が滅入るだろ?それに朝倉は外国暮らしの経験があるから下手な教師より勉強になると思ってな。 む、これはちょっと苦しかったかもしれない。 嘘つけ。と言われそうな気もしたんだが、どうやら今回のテストに関しては流石の谷口も思い当たる所があったんだろう。 めずらしく真面目な顔になって、口を閉ざしちまいやがった。「私に教えられる事はそんなに無いと思うけど、どうせなら二人で勉強した方がいいかなって思って」 朝倉の助け舟で一応は納得したのか、谷口は大人しくコロッケバーガーの処理に戻っていく。やれやれだ。「朝倉さんは今回の結果良かったの?」「私は転入が間に合わなかったから、今回のテストは受けてないの」「あ、そうだったね。今回の問題は殆ど期末の範囲とだぶってたんだけど、少し変わった所からの出題があってさ……」 とはいえ元々成績上位の朝倉だけあって、国木田とのテストの難問についての会話に俺は参加資格すら無い事だけはわかった。 谷口も同じらしい、もそもそとつまらなそうな顔で二つ目のパンに手を出している。 やれやれ、俺は何しにここへ来たんだろうな? 優等生同士の会話を綺麗に聞き流しながら、弁当を胃に押し込む作業は緩慢と進んで昼休みももう残り少なくなった頃。「ねえキョン。そうしなよ」 突然国木田に名前を呼ばれた時、俺が見たのは朝倉と国木田の妙な笑顔だった。「無理にとは言わないけど、手助けくらいならしてあげられると思うの」 まて、聞いてなかった。何の話なんだ? 手伝いって何の事だ?「だからさ、朝倉さんが勉強を見てくれるって言うなら今日だけじゃなく、何日か続けて教えて貰った方がキョンの為になると思うんだ」 なるほど、勘弁してくれ。 しかし、国木田の口調からして善意から言ってくれてるらしく断りにくい空気だ。 朝倉の笑顔にも「どうしよっか?」と聞きたげな感じが混ざっている。まあいい、今だけうんと言っておけばいい話だろ?二人で勉強するだけなら、朝倉が口裏合わせさえしてくれれば問題ないだろうし。 わかったよ。朝倉、すまないがよろしく頼む。 俺は多少芝居がかって軽く頭を下げて見せた。「任せて?じゃあ谷口君も早速今日の放課後からでいい?」「はい!」 え、なんだって?なんでここで谷口が返事してるんだ? よく見ればレベルの違いに落ち込んでいたはずの谷口も、いつのまにか無駄に――本当に無駄だ――スマイル全開になってやがる。「頑張ろうね。キョンはやればできるようになると思うんだ」 おい国木田、なんでそんなに自信ありげに頷いてるんだよ。しかもお前まで来るのか? えー、俺の知らない所でどうやら何かが決まったようだ。 元気になっている谷口、終始笑顔の国木田。そして僅かに困り顔の朝倉と……俺はどんな顔をしてたんだろうな。 つまりは、これからしばらくの間4人であの部室に集まって勉強会をする事になったってことか。「うん。……どうしようね?」 結局、言い訳に使った英語の勉強などする時間もなく昼休みは終わり、俺達は教室に戻って来ていた。 国木田の事だ、面倒くさがりの俺は明日からにすしたら来ないってわかってて今日からにしたんだろう。今更断るのもどうかと思うし、仕方ない。腹をくくろう。 今日はとりあえず俺も顔を出すけど、何日かしたら俺は抜ける事にするさ。 正直、今は勉強するって感じじゃない。 何故だろう、俺の返事を聞いた朝倉はどこか寂しそうな顔をしている。「……私は、どうしたらいいかな」 どうしたらって、そりゃあ。 返事に迷った俺を救うかのようにチャイムが鳴り、俺は仕方なさそうに前を向いた。視界の中で、最後まで寂しそうな顔をしていた朝倉の事が気になってというかまあいつも通りに、教師の言葉はまるで頭に入ってくることはなかったよ。「今日はとりあえず二人の現状を確認しようと思うんだ。はい、これ」 不思議なほど笑顔の国木田に渡されたのは、ノート一面に手書きで書かれたテスト用紙だった。ちなみに1枚じゃないぞ? A4のノート両面の問題がなんと3枚もだ。 おい国木田、こんなもんいつの間に準備したんだ?「5時間目の授業中に書いてさっきコピーしてきたんだよ。内容は北高校の受験内容と同じレベルだから安心して」 さらりと言い切る国木田はどうやら本気らしい。ちなみに隣に座る谷口は「こんなに難しかったか?」と呟きながら早くも苦い顔になっている。「じゃあ時間は30分、終わったらすぐに採点するから帰らないでね。はじめ!」 不平不満が出る前にさっさと開始する訳か、岡部なんかよりよっぽど手馴れたもんだ。国木田、お前教師になったらいいと思うぞ。 という訳で、俺は今答案用紙相手に久しぶりに本気で取り組んでいる。流石に受験レベルとなれば、そこそこの点数が取れないと学校に来ている意味が問われるもんな。 朝倉と国木田は、必死な俺と谷口の様子を真面目な顔で見ている。 何見てるんだ、なんて言うだけの余裕もないまま時間は過ぎていき――。「はい終わり、すぐに採点するから待ってて」 答案用紙は国木田の手に渡って行った。 やれやれ、こんなに真面目にテストに取り組んだのはいつ以来だろうな?「キョン、お前どうだった」 力無い口調で谷口が聞いてくる、聞くまでもないだろう。良い訳がない。 なんせSOS団に入ってからというもの、家でまともに勉強した事なんてなかった俺だ。結果が良かったらむしろおかしい。しかし谷口は俺以上に答案を埋められなかったのか――唸り声ばっかりで殆ど書いてる音がしてなかったもんな――すでに燃え尽きた表情をしていた。「ここはおしかったよね」「うん。基本はできてるんだから応用部分さえ押さえればすぐに理解できるはずね」「数学は思ってたより厳しい結果だけど、これはどうしようか」「そうね……。この公式の段階で間違ってるんだから、そこから覚えなおすとしたらちょっと大変かも」 どっちのテストについて話してるんだ?と聞くのは正直怖かった。 学年や、クラスの中で自分の順位が良いとか悪いなんて事は正直どうでもいいが、同じレベルだと思ってた谷口と比べられると正直きついぞ。 嫌に長く感じられた採点時間だったが、時計を見てみればまだ10分も経っていない。「じゃあ答案を返すね、間違ってた所は解説を入れておいたから必ずやり直してみて。わからなかったら僕か朝倉さんに聞いていいから」 俺の元に帰って来た答案は……やれやれ、想像以上だ。 もちろん、悪い方にな。「明日までに二人の苦手分野の問題集をまた作ってくるよ。二人ともちゃんと来てね?」「なあキョン。お前、朝倉さんとどうなんだよ」 帰り道、優等生二人の後ろを歩いていた俺に谷口は疲れた顔で聞いてきたんだが。 どうって、何がだ。 今のところ、生命の危機には瀕してないぞ。「そりゃあ……まあキョンだし、気にしなくてもいいか。俺的美的ランキングAAランク+の朝倉さんが、お前でなんとかなる訳がないもんな」 そうかい。 しかしまあ、美的ランキングなんてずいぶん懐かしい事を言うじゃないか――思わず色々思い出しちまったよ。 的外れな事を言ってる谷口はいいとして、朝倉はと言えば国木田と何やら難しそうな話題で盛り上がっているみたいだ。「ここだけの話国木田の奴はさ、なんだか知らねえけどお前の成績の事結構気にしてたんだぜ?」 国木田が?なんで? 教師どころか本人も気にしてなかったってのに。親は気にしていたが。「知るかよそんな事。ともかく俺はこの機会に一気に成績上位を目指させてもらうぜ?もちろんそれ以上の事も狙ってる。何せあの朝倉さんと二人っきりで勉強できるチャンスなんてこの先二度とないだろうからな」 どうでもいいが、お前の視界には俺と国木田入ってないようだな。 まあいいか。何はともあれお互い赤点ぎりぎりの生活にはそろそろ終止符を打つべきなんだろうし、この機会を逃せばそれこそ卒業も危うい気がする。出来るなら可能な限り先延ばしにしたい事だけど、学生ならいつかはこうなる運命だもんな。 先の事を考えるにはまだ早い気もするが、少しは真面目に取り組んでみようじゃないか。「おはよう」 翌朝、何故か寂しそうな顔で朝倉が登校してきたのは珍しい事にHRぎりぎりの時間だった。声に力がないし何か顔色も良くない気がする。もしかして、何かあったんだろうか? お前がこんな遅刻寸前だなんて珍しいじゃないか。何かあったのか?「あ、ちょっとその寝坊しちゃって……ねえキョン君」 ん?「その、今日の勉強会の事なんだけど。キョン君は……もう」 ああ、そうだった。朝倉。 俺は机の中にしまっておいた昨日の答案用紙を取り出した。こいつのおかげで昨日は貴重な睡眠時間がごっそり削られちまったよ。 家に帰ってやり直してみたんだが、どうしても問3がわからないんだけど教えてくれないか?「え! あ、うん。まかせて!」 と、急に元気になった朝倉だったのだが。教師が入ってきてHRが始まった事により朝倉の講義は一時中断となった。しかしさっきまで元気がないみたいだったのに、女ってのは急に変わるもんだな。まるで谷口みたいだぜ。「朝倉さん、ちょっとこれ見てみてくれるかな。キョンと谷口に作ってきた問題集なんだけど」 昼休み、部室に集まった俺達の話題はやはり勉強会についてだった。俺にとってはなんとも消化に悪い話なんだが、好意でやってくれている事に文句を付けるわけにもいかず黙々とおかずを口に運んで行く。「凄いね。こんな事言ったら怒られるかもしれないけど、北高の先生が作ってる問題よりよくできてると思うよ?」 国木田作の問題集を片手に驚く朝倉だが、よくできてるってのは簡単って事かい? そんな訳ないだろうけどな。「ちょっと問題数が少ない気もするけど、とりあえずは基礎的な所で苦手意識を持たないようにするにはこの方がいいと思って。朝倉さんはどう思う?」「私も楽しく勉強するにはその方がいいと思う。あと、国木田君って字が綺麗よね」「そうかな?」 おやおや、意外な所でいい感じに見えるんだが? 面倒だから隣の谷口が妙に震えてるのは放っておいてもいいよな。「じゃあとりあえず僕はキョンを担当するね、朝倉さんは谷口をお願いしていいかな」「うん。谷口君、一緒に頑張ろうね」「はい! よろしくお願いします!」 さっきまで唸ってたと思えば急にこれか。まったく、切り替えが早すぎてついていけねえよ。 そして放課後、無人の文芸部において二度目の勉強会が開催された。 朝倉の指導もあってか今日の谷口はいつもよりは真面目に見えるし、俺は俺で国木田の解説を聞いている間に意味不明でしかなかった問題集が、なんとなく理解できるような気がしなくもない程度には上達してきた気がしなくもないね。 静かな部室の中で、筆記具による音だけが絶え間なく続く。国木田の教え方がいいのか、こんなに勉強に集中できた事はないって程に俺は問題集に取り組んでいた。 ようやく問題集の終りが見えてきた頃、俺はふと顔をあげて入口のドアへ視線を向ける。 放課後なのにこの部室には今日も誰もやって来る気配がない。長門が居なくなってしまった事で、本当に廃部になってしまったのかも知れないな。「キョン、どうかしたの?わからなくなっちゃった?」 ん、ああ。今更だけどこの部室を勝手に使っててよかったのかって思ってな。「そういえばそうだね。文芸部って廃部になってるのかな?」 俺達は勝手に使っているこの部屋だが、本来で言えば部室棟の部屋は鍵がかかっているはずだった。 しかし何も資材らしきものすらないせいか、この部屋は一度も鍵がかかっていた事がない。「なんだったら、隣の部室の人に聞いてみればいいんじゃない?」「あ、君は!」 どうも。 コンピ研の部室に入った途端、部員達の視線が一斉に集まってきたのを俺はむず痒く感じていた。背後から感じる3人の視線も、今は何故か居心地が悪い。「ジョ……っと、今日は一人じゃないみたいだね。何か用なのかい?」 部長氏は思ったより常識がある人の様だな。いきなりジョン・スミスとか呼ばれたらどうしようかと思ったぜ。 えっと、隣の部室について何か知ってませんか? 俺が指さす壁の方を見て、部長氏は頷く。「ああ文芸部か。去年までは少しは交流もあったんだが、今年は入部者0だったせいで残念だけど廃部になったと聞いてるよ」 長門は居なかった事になってるんだもんな。 となれば、とりあえずはあの部室を占領していても問題はない訳だ。「もし部活を探しているのなら是非、我がコンピ研に来てくれ。君なら歓迎させてもらうよ。ああ、なんならお友達も一緒に来ればいい」 そう言って、廊下から入ってこようとしない残りの3人に部長氏は視線を向けた。 考えてみます。 我ながら適当な返答を残して俺はコンピ研を後にし、廊下からの三者三様の視線を全て無視しつつ文芸部へと急いだ。「キョン。お前パソコン詳しかったのか?俺んちのノーパソ最近なんか動作が重い気がするんだけど見てくれよ」 知らん。頼られる程俺は詳しくないから、店に持ち込むか買い替えろ。 それにあえてここでは言わないでおいてやるが、おそらく原因は人に見せられないデータが多すぎるせいだ。断言してもいい。「何言ってんだ?そんな金があったらお前に頼まないって」 そりゃあそうだろうな。「コンピ研の部長さんにあそこまで勧誘されるなんて凄いと思うよ。キョンはそっち方向の大学に進むつもりなの?」 さあどうだろうな、ただの買被りだと思うぜ。 ちょうど区切りまで問題集は終わっていた事もあり、今日は解散となった。 その日の夜、夕食を食べて自分の部屋に戻ろうとしていた時に俺は何か視線の様なものを感じて振り向いた。 しかし、そこには誰も居ない――今のはなんだったんだ? 薄気味悪いとかそんな感じじゃない、何か懐かしいとうか不思議な感覚だった気がする。 それがきっかけになったのだろうか?部屋に戻った俺は思いついた事があって、急いで朝倉にメールを入れた。 もしかしたら、ハルヒ達を取り戻せるかもしれない。 久しぶりに鼓動が速くなるのを感じながら、俺は朝倉の返事を待たずに家を飛び出していた。「ごめん、待たせちゃったね」 いや、こっちこそこんな時間に急に呼び出して悪かった。何か食べたかったら頼んでくるぞ。「ううん大丈夫。それで、思いついた事ってなあに?」 メールをして30分後、俺と朝倉は駅前のファストフードで落ち合っていた。明日は平日だ、あまり遅くまで付き合わせる訳にはいかない。 ここじゃ試せないんだ。すぐ近くだからついてきてくれ。 そう言って俺が向かったのは、漫画喫茶だった。「ふ~ん、はじめて来たけど思ったより綺麗な所なんだね」 楽しそうな顔で、朝倉は店内を見回している。受付を済ませた俺はさっそく指定された個室の中へと向かう、狭い室内には目的の物。パソコンがあった。 頼むぞ、これが何かの手がかりになってくれ? 俺はかなりの期待をもって、あのページを検索していった。そして数分後、目的のサイトへと辿り着く。 朝倉、こいつを見てくれないか?「これって」 朝倉の顔に驚きが浮かぶ。 モニターにはあのSOS団の公式サイトが表示されていた。画面中央やや上に堂々と浮かぶハルヒ作、長門改編によるZOZ団のロゴと無駄に進んだアクセスカウンター、後はメールアドレスがついているだけの我ながら完璧なまでに読者無視を貫いたサイトさ。 俺にとって、ハルヒが居たって物理的な痕跡と言えばこれ以外に思いつかない。一人でハルヒを探していた時に見つけた時は何も起こらなかったが、朝倉だったら何か違った答えを出してくれる事を、俺は期待していた。 これは俺がハルヒに作らされたものなんだが、何かハルヒ達を取り戻す手がかりにならないか? 俺の言葉も耳に入らないほど真剣な顔で、朝倉はモニターを見つめている。 ペアシートの奥に座っている俺は結果的に朝倉に押し倒されているような形になって苦しかった――だけでなく、なんというか色々当たってた――のだが、抗議するタイミングをどうにも掴めないまま時間は過ぎていった。 数分後、小さくため息をついて朝倉はモニターから離れていった。 その表情からだいたい想像はできたが、聞かない訳にはいかないよな。 手がかりはない、か。 むしろ俺より気落ちした顔で、朝倉は首を振った。「ごめんなさい。今の私にはここから何かを見つける事はできないみたい」 所詮俺の思いつきさ、いきなり何か進展があるとか期待してたわけじゃないんだから気にしないでくれ。とまあ、自分に嘘をつきながら俺達は早々と漫画喫茶を後にした。 結局、最後まで申し訳なさそうな顔をしていた朝倉には悪い事しちまったな。 ハルヒの手がかりを得られなかった事よりも、むしろそっちを気にしながら俺は自宅へと自転車を走らせた。 それからというもの、俺は朝倉にハルヒに関する話題をあまり振らなくなり、するのは専ら勉強会の話題ばかりになっていた。 驚く事に、勢いで始まってしまった勉強会はあれから数週間を過ぎた今も毎日続いている。その結果俺と谷口の学力はどんな魔法でも使ったのか?という程に向上し、一時的な事かもしれないがクラスの平均近くまで上昇していたりする。 間違いなく教える奴が優秀だったからなんだが、多少は自分を褒めてやってもいいだろうね。 なんとなく理解できるようになると退屈でしかなかった授業もそれなりに面白いものとなり、朝倉が言う教師のレベルとして国木田の方が高いってのが実感できるようになってきたくらいさ。 小テストもむしろ腕試しとばかりに挑戦できるようになった頃には、驚くなよ?問題集の復習以外にも自宅でたまに教科書を開くようになっていた。 そんな俺を見て妹は面白そうに邪魔しにくるのだが、それを適当にあしらうだけの余裕が今の俺にはある。解ける問題を解くってのは気分がいいせいかもしれないな。 ……いや、そうじゃないんだ。 結局、俺はハルヒ達を取り戻せないまま時間はどんどん過ぎてしまっていて止める事もできないでいる。 仲間を助ける事もできないでいる不甲斐ない自分を認めるのが嫌で、何かの形で自分の価値を作りたくて焦ってたんだと今は思う。勉強だったら一定の物差しで数字として結果がでるから、自尊心を満たしてやるにはちょうどよかったんだ。 そんな時間を過ごしている間に、俺はいつからかハルヒ達の事を考えるのを止めてしまった。 ふいに思い出す事はあっても、いつかどうにかなるなんて安易な期待と……もうどうにもならないんだという諦め。 ただ目の前にある生活の中で、俺は自然と後者を選んでしまっていた。もう、自分の中で理性を相手に戦う感情は見つからない。探そうともしない。 そんな俺の思いを知っているのか、朝倉もハルヒの事は話題にしなくなっていた。「それでね?何か目標があった方が頑張れるだろうし、今度の学力テストの結果が良かったら年末に皆でどこか温泉にでも行かない?」 年末も近づいた勉強会の合間、休憩時間に朝倉はそんな事を言い出した。 一応国木田の家に余っていたという電気ストーブはあるのだが、冷え込むって事に関しては他の追従を許さない文芸部の部室だ。暖かい場所に行きたくなるってのは、無理も無い発想だと思う。 温泉ねえ。 と、適当に返事しつつもすら上げずにノートを読んでいた俺とは好対照に、「賛成です! 是非行きましょう!」 と早くも気合十分な谷口。急に立つな、机が揺れるんだよ。「2年になれば忙しくなるだろうし、いいかもしれないね」 ん、国木田も乗り気みたいだな。 そして訪れる沈黙。なんだ、何かあったのか? 驚いて顔を上げる俺に谷口の指が伸びている。「おいキョン。まさかお前行かない、なんて言わないよな?」 まあまて谷口、行かないとは言ってない。お前顔は笑ってるが声が笑ってないぞ。「じゃあ行くんだな?」 ええい、そんな必死な目で見つめてくるな。ところで朝倉、どこか当てはあるのか? その言葉を待っていたのか、朝倉は鞄から何やら旅行雑誌を取り出した。よっぽど前から調べていたんだろう、注意して見るまでもなくその本には大量の付箋紙やら書き込みで溢れている。「うん。ここなんてどうかな?そんなに高い所じゃないから、少しバイトすれば行けると思うんだけど」 そういえば朝倉は、以前話した出所不明の宇宙人の生活費ってのは最低限しか使わなくなっているらしい。 本人曰く、いずれは完全に自立したいとかなんとか言っていた。朝倉らしいといえばそうだよな。 また沈黙。あ、返事を待ってたんだな。ここで、3人で行ってくればいいなんて言うほど俺も孤独が好きな訳じゃないさ――色々思い出してしまいそうだが――久しぶりに集団行動ってのも悪くない。 わかった、俺も賛成だ。で、目標点数はどのくらいにするんだ? その後、朝倉の指定した学年平均よりも上を目指すという無難な目標に向けて俺たちの勉強会は続いていった。この目標が無難だと思えるってのは大した進歩だよな、数ヶ月前では考えられやしないぜ。ちなみに俺と谷口の目標が平均以上なだけであって、国木田と朝倉は上位20位に入る事らしい。 超えられない壁ってのはあるのさ。 冬休みを間近に控えた週末、俺は街に買出しに来ていた。 学力テストも全員が無事に目標達成する事ができ、冬休み中盤に設定された二泊三日の温泉旅行の準備の為さ。街は慌しく歩く人で溢れかえっており、今が年末なのだとしみじみと感じる。今年は人生で一番色々あった年になるのは間違いない、そしてそれは恐らく一生更新される事のない記録になるんだという事もな。 ふと視界に入った電気屋の軒先に、特売と書かれたストーブがあるのに気づいた。 型落ちなのか、箱を見る限り新しそうだが手ごろな値段だ。国木田のストーブだけで冬を越すのも大変だろうしみんなに相談してみるかな。店員にできれば数日取り置いてもらおうと顔を上げた時、俺はこの店が例の映画のスポンサーになってくれた大森電気店だという事に気づいた。 って事はもしかして? やぶれてしまわないようにそっとストーブの入った箱を開けてみると――やっぱりだ――そこにはあの日文芸部から消えてしまったあのストーブがあった。「何かお探しですか?」 人当たりのいい眼鏡をかけた店員さんが声をかけてきた。ああ、なんだあの時の店長さんじゃないか。 しかしながら向こうは俺のことを覚えてはいないようで、俺に向けられる視線は突然商品の箱を開きだした不審な学生に向けるそれでしかない。 これって、どうしてこんな値段なんですか? なんだ?俺の言葉に店長さんの顔が急に不思議そうな表情に変わる。「実は在庫整理をしていた時に偶然見つかったもので、帳簿では処分済みになっていたんですよ。何かの手違いだとは思うんですが、これから入荷も多いので こんな値段で売りに出している訳です。ですが点検も済んでますし、故障品だとか中古だとかそういった理由で安いんじゃないんですよ」 なるほどね。ハルヒが俺に言ったでまかせの理由が、まさかこんな形で本当になってるとはな。 俺は少し迷った後、財布を取り出して中身を確認した。 寒々とした冬空の下、誰も居ない坂道をのんびりと登っていく。 手に持ったストーブの箱といいこの状況といい、まるであの日みたいだな。ああ、あの日はさらに雨も降ってたんだっけ?思い出されるのはつい先月の事のはずなんだが、俺にはそれがずっと昔の事だった気がしていた。 休日の校舎は部活の関係で開放されていたが、肝心の部活をする生徒の姿は殆ど見えない。 まあ、こんな冬空の下で外に出たがる奴なんて北高には……もう谷口ぐらいしか居ないよな。 ストーブを床に置き、ドアノブに手をかけると無人の文芸部は今日も鍵が開いたままだった。扉を少しだけ開けると、無人の部室の中から冷えた空気が漏れ出してくる。 そのまま扉をあけた先に、当たり前だが長門の姿はなかった。 ――もう、ため息も出なくなっちまったんだな。 今頃あいつらはどこに居るんだろうな。それとも、本当にもうどこにも居ないのかだろうか。どちらにしろ今の俺にできる事ってのは思いつきそうに無い。 そんな現状にせめても抵抗をしてやろうって訳じゃないが、俺はあの時と同じ場所にストーブを置いた。そして電源を入れて、あの時と同じ場所に座る。 窓際には長門の姿は無い、朝比奈さんの衣装も、古泉のゲームも、ハルヒの姿も何もかもがもうここには無い。結果はなんてわかってる、試すまでもない事だろうよ。 それでも俺はストーブの電源を入れ、静かにパイプ椅子に座って机に突っ伏した。やがて、静かに温まってきた部室の中で目を閉じる。 目が覚めたら全ては俺の夢で、実は何も変わっていなかったってのはどうだい? 静かな部室の中で意識は緩やかに薄くなっていき、俺は抵抗する事無く睡魔に身を任せていった。 目が覚めればきっと、隣にはハルヒが居て俺の背中には二人分のカーディガンがかけられている。下校時間はとっくに過ぎちまってて、おまけに外は雨降り。 ハルヒがどこからか勝手に持ってきた学校の傘を差して二人で下校する。 そう、きっとそうなんだ。 なあ、古泉。もしも俺に願望を実現する力って奴があるならこの願いは叶うかい?俺は叶う方にかける、だからお前は叶わない方にかけろ。俺が負けたら、また部室でのゲームに付き合ってやるよ。 朝比奈さんと未来の朝比奈さん、貴女達の秘密はまだ全部教えてもらってませんよ?ここで終わりなんていくらなんでも中途半端すぎます。せめて年齢だけでも教えに来てくれませんか?そのまま居座ってもいいですよ、歓迎します。 長門、お前は今どうしてるんだ?一人は静かでいいとか言うなよ?少しは寂しいとか感じてくれてるよな。お前が居なくて、俺は寂しいんだからさ。 ……ハルヒ、まだお前は俺と会いたくないのか?だから俺達は会えないってのか?まったく、最後まで一方的ってのはいくらなんでもやりすぎだと思うぜ。こっちの気持ちも考えてくれよ――まだ、伝えてない事だらけなんだぜ。 その時俺は、不思議な夢を見た気がした。 季節は冬で場所は駅前、どうやら俺達はまだSOS団として活動しているらしい。 何故かその中には朝倉も居て、もちろん俺も居た。 やれやれ、どうやら夢の中でまで俺はみんなに奢る事になるらしい、苦い顔をして会計をする俺の横をご機嫌で通り過ぎていくハルヒ。 そうさ、みんなが居るこれが俺の日常だったんだ。 だった……んだよな。 いつの間にか目は覚めていて、部室の中は薄暗くなっていた。 目が覚めたってのに何でこんなに視界がぼやけてるんだ?まったく、古いだけあってこの部室は雨漏りでもしてるのかね。 ストーブのおかげで体は暖かいが、背中には何もかかってはおらずハルヒの姿も無い。 俺はストーブの電源を切って、逃げるように部室を出て行った。「キョン、ずいぶん早いじゃない」 雑誌に夢中になっていた俺の横に、いつのまにか国木田の姿があった。 手には大げさな鞄が二つ、そんなに何を持ってきてるんだ?俺は自分の小さな鞄と見比べて、何か忘れ物がなかったか不安になったが……まあいいか、足りない物は借りればいい。そろそろ皆来る頃だな、俺は雑誌を棚に戻して自分の荷物を持ち上げた。 さて、じっと待っていた国木田に、早く来ていた理由を教えてやろう。 罰金は嫌だからな。「え、罰金?そんな約束してたっけ」 いや、こっちの話だ。気にしないでくれ。国木田、重ければ一つ持ってやろうか?「ありがとう、これ見た目ほど重くないから大丈夫だよ」 そうかい。 温泉旅行当日、駅前のコンビニに俺は最初についていた。 俺が着いたのは集合時間の20分前、これでもあの頃はたまに奢らされてたってんだから理不尽だよな。「さっき調べてみたら向こうの天気も良いらしいよ。露天風呂からは雪山が見えるんだって、キョンは露天風呂って入った事ある?」 温泉とは名ばかりの公衆浴場になら行った事があるぞ。 ちなみに温泉の元が入ってるだけとしか思えない風呂だった。「僕もそんな感じ、どんな所なんだろう?楽しみだなー」 お前みたいに何でも素直に喜ぶのが、人生を楽しく生きるコツかもしれないな。「キョンは楽しみじゃないの?温泉」 国木田は不思議そうな顔で俺を見ている。 ……そうだな、楽しみだ。 ハルヒ達が居なくなってからというもの、俺は自分の楽しみを求める事に罪悪感みたいな物を感じていた。 せめて心苦しくでも思わなければ、助けることもできないでいる自分を許せそうになかったのさ。 それがなんの意味の無い、ただの自己弁護だともわかってる。「お待たせ、私が最後かな?」 集合時間5分前、白い息を吐きながら朝倉がやってきた。 いや、谷口がまだ来てない。 それにしても遅いな、あいつなら俺より早く来ててもおかしくないんだが……。まさか現地に先に行ってるなんてないだろうな。「えっ嘘でしょ?だって予防接種……うん」 国木田が携帯に向かって素で突っ込んでいる。相手は谷口のはずだが何かあったんだろうか?「うわ、それは……うん仕方ないよね。じゃあみんなには伝えておくよ、うん。わかってる、本当に大丈夫?じゃあ、お大事にね」 複雑そうな顔で国木田は携帯を切った。 谷口がどうかしたのか?「うん。谷口、インフルエンザにかかったみたい。しかも予防接種を受けに行ったのが原因みたいだって」「え、そんな事ってあるの?」 普通はないだろうな。 何の為の予防接種だってんだ。「この間、体調悪いけど旅行に行けなくなったら嫌だからって言って、病院に行ったのは知ってたけどびっくりだよね」 石橋を叩いて渡るつもりが壊しちまったって訳か、谷口相手でも流石に同情するな。「でも旅行はどうする?今ならまだキャンセルできなくもないと思うけど」 確かに冬休みはまだあるし、谷口が回復してから行ってもいいか。「谷口は俺の事は気にしないでみんなで行ってきてって言ってたよ。お土産もお見舞いもいらない、温泉饅頭とか買ってこなくていいってさ」 何だその露骨な注文は。 でもまあそれくらいは買ってやってもいいかもしれん、一緒に試験を乗り切った戦友だしな。 とまあそんな理由により、人数は一人減ったものの俺達の温泉旅行は始まった。 と、思ったんだが……。「国木田君、遅いね」 その違和感に最初に気づいたのは朝倉だった。 電車に乗ってすぐ、座席にも座らないまま国木田はトイレに行ったのだが、すでにいくつか駅を通り過ぎたのにまだ戻って来る気配がない。 混んでるにしても遅すぎるな。 俺は携帯の電源を入れて電話してみようとした、が向こうは電車の中だから電源を切っているのか繋がらない。 ちょっと見に行ってくる。 そう言って立ち上がった時、俺の携帯がメールの着信を伝えてきた――相手は……国木田だと?『谷口が気になるから、僕はやっぱり行かない事にするよ。旅館に人数の変更は伝えておいたから安心して。朝倉さんの事をよろしく。PS 中学の時と同じ事にならないようにね』っておい、これはマジなのかよ?「どうしたの?」 立ち上がったまま携帯を見て固まっていた俺は、朝倉にどう説明していいのかわからなかったのでそのまま携帯を渡した。 中学の時と同じ事……何の事だ? やれやれ旅行初日、行動開始1時間にして4人旅だったはずの温泉旅行は知らない間に2人旅になっていたらしいぞ。「キョン君、これってどんな意味なの?」 そりゃ気になるだろうな、しかし俺に聞かれても困るだけだ。 俺は朝倉から携帯を受け取り、国木田宛てに『日本語で頼む』とだけのメールを送って電源を切った。 とりあえず問題は残された俺達なんだが。 朝倉、どうする?「え?」 え、じゃなくてさ。俺と二人っきりになっちまったから。「なったから?」 わざと言ってるって感じじゃないか。 俺達は高校生で、俺は男でお前は女なんだ。それが二人っきりで旅行ってのはちょっと問題あるだろ。「私は気にしないよ?でもキョン君、私の事女の子扱いしてくれてるんだ。ちょっと嬉しいかも」 気にしないって……。まあ朝倉がそう言うんだからいいか。どうせ部屋は二部屋取ってあるんだし、俺が気にし過ぎてるだけなのかもしれない。 俺は楽しそうに喋る朝倉のバイトでの話なんかを適当に頷きながら聞きつつ、のんびりと列車の旅を満喫していた。朝倉によると、すでにいくつかのバイト先から卒業後に来て欲しいと誘われているらしい。俺が将来、就職できてなかったら是非拾ってくれ。「キョン君は進学するの?それとも就職?」 流れからして出ると思ったよ、その質問。 わからん。 我ながらこれ以上ない程に完璧な回答だ。自分でもこれからどうなるのか、どうにもならないのかもわからない。「私もね、本当はわからないんだ。学校や職場では目的とかやるべき事は理解できるんだけど、いずれ実際に自分が社会に出たらどうすればいいのか、なんて想像もできない。大学に行くにしても目標がないしね。このままずっと高校生で居られたらいいのに、なんて。そんな事思ったりしない?」 ……それもいいかもな。「でしょう?でも、そうもいかないんだけどね」 同意する俺に笑顔を向ける朝倉。でもな、俺とお前では学生で居たい理由が違うと思うぜ。 お前は将来への不安からそう思う事もあるんだろうが、俺はただ学校というハルヒ達との接点を失うのが怖いだけなんだ。ここで言う事じゃないから言わないけどな。 ……国木田、わざとなのか? 旅行客で溢れかえる温泉宿のロビーで、俺は真面目に長年の友の笑顔の下に何が隠されていたのか考えてみた。 って、そんな事してる状況じゃない。 受付へチェックインをしに来た俺に渡されたのは、一本の部屋の鍵。一本だ、二本でも三本でもない。 当初の予定では部屋は二部屋。男3人で一部屋で、朝倉がもう一部屋の予定だったはずだぞ。「朝方、ご予約の国木田様からのお電話で、都合により人数は二人、部屋は一部屋に変更して欲しいと承っていたのですが……」 ちょうどチェックインの時間なのか、対応に追われる受付のおばさんは俺達だけに時間を取られる訳にはいかないらしく困った顔をしている。 その、空いてる部屋は無いんですか?「申し訳ありません」 間髪入れずに即答ですか。「キョン君、私は別に一緒でいいよ?」 後ろで待っていた朝倉はそう言ってくれているが、どうしたもんだ。こっちとしては当日の人数変更が下手すりゃ二回、しかも部屋数変更とまで無理を言ってるのにこれ以上迷惑をかけるのは流石に抵抗がある……。 わかりました。もし、キャンセルか何かで部屋が空いたら教えてもらえませんか? 麓の駅まで3時間、さらに駅からバスでここまで1時間かかってるんだ。いくらなんでもこのまま来て帰るなんて選択肢は流石に選べやしないぜ。 とにかく部屋で一息つきたかったのもあり、俺はサインを済ませた。 どうやらキャンセルされたのは朝倉の部屋だったらしく、案内された部屋は3人用のそれなりに大きな部屋だった。 窓の外は大雪、なのに純和風の部屋の中は暖房のおかげで快適な温度だったりする。 浴衣でも普通に過ごせそうな感じだな。 気を利かせてくれたのか仕様なのか知らないが、部屋には衝立がちゃんと準備されていた。もしも空室が出なかったらこれで仕切ればいいかな?「何か御用があれば、インターホンでお知らせください」 愛想のいい仲居さんの案内も終わり、二人っきりになった部屋は暖房の噴き出す音だけが静かに響いている。「お昼までまだ少し時間があるけど、さっそく露天風呂に行ってみる?」 そうだな、それもいいかもしれない。 あ、そうか。部屋の鍵が一本しかないからどちらかは部屋に居たほうがいいのか。携帯を風呂に持っていくのも何だし、待ち合わせなんてしてたらのんびりできないもんな。旅行先に来た時くらい、誰だってのんびりしたいに決まってる。 俺はしばらくここで雪でも見てるよ、先に入りたいなら行ってきていいぜ。「そう?じゃあお言葉に甘えて」 準備を終えて朝倉が出て行った後、俺は窓辺に置かれた椅子に座ってのんびりと風景を楽しむ事にした。せっかくの機会だ、今はちょうど朝倉も居ないし多少寒くなっても構いやしない。 俺は少しだけ窓を開けてみた。 雪って無音じゃないんだな、初めて知ったよ。 窓を開けると、外の冷気と一緒に雪の音も入り込んできたんだ。 しんしんと積もるって表現があるのも無理はない、降り注ぐ大きな雪の結晶はさらさらと小さな音を絶え間なくたてている。まるで全てを包むかのようなその光景に、俺は何も考えないままじっと目を奪われていた。「綺麗ね」 いつのまに帰ってきたんだろう。その声が聞こえるまで、対面に置かれた椅子に朝倉が座っている事に俺は気づかなかった。 あれ、風呂に行ったんじゃなかったのか? 朝倉は着替えを持って行ったと思ったが、何故かここへ来た時と同じ服を今も着ていた。「団体さんが先に入ってて、脱衣所の所で引き返してきたの」 まだ昼間なのに意外だな。 到着早々、他にする事もあるだろうに。人の事は言えないが。「さっきフロントを通った時に聞こえて来たんだけど、近くの道路が雪崩で通行止めになっちゃったみたい。だからスキーに行く予定だった人も足止めされちゃってて、他にする事が無いのかもしれないわね」 地元の人間じゃないと詳しい事はわからないが、殆ど雪が降らない所に住んでる俺から見たらこの雪は10年に一度降るかどうかの大雪に見える。このまま雪が降り続けたりでもしたら、道路が全部通れなくなっても不思議には思わないな。 っていうか、古泉の孤島の時といい俺が行く場所はなんで天候が荒れるんだ?雨男だったのか、俺。「どうかしたの?」 ん、ああ。 無言で居る俺を、朝倉は気にしているようだ。 特に何も意味のある事は考えてなかったんだが、強いて言えばそうだな。 このまま雪が降り積もって、帰れなくなったらどうしようかって思ってさ。 言いながら自分でも考えてみたが、のんびり温泉にでもつかりながら春を待つのも悪くないかもしれない。 朝倉は少し考えた後、「そうね。もし、そうなったらのんびりここで温泉にでも入って過ごして春を待つのはどう?」 まさか朝倉からそんな言葉が出てくるとはね。 その時、まるで会話の途切れるのを待っていたんじゃないのか?というタイミングでドアはノックされ、昼食が運ばれてきた。 運ばれてきた料理は素人の俺が見る限り純和食で、ボリューム的にはどうなのか?と思ってしまったのだが、想像は良い方に裏切られた。 一品の量は少ないのだが、品数は多く味もいい。あの料金でここまで手が込んでたら経営が成り立つのか?なんて無駄な心配をしてしまうくらいだぜ。「川魚って泥臭いイメージがあったけど、上品な味で美味しいのね」 ここが山奥で、水源に近い所だからかもな。 海にしろ山にしろ人間から遠ざかれば遠ざかるほど、魚は美味しいっては俺の持論だ。「キョン君って魚釣りとかするの?」 それなりにな。ああ朝倉、その魚の骨は少しあぶってから食べると癖になる味だったりするぞ。 むしろそこがメインだ。「……わ、本当だ。なんだか、キョン君の意外な一面を見ちゃったかも」 むしろ今まで俺をどんな風に見てたのか、それが聞きたい。 結局、手の込んだ料理の数々に一つとして不満は出ず、俺はこの時点で今回の旅行は大成功だったと確信していた。 谷口と国木田には悪いが、楽しいものを楽しまないってのはもっと罪だよな。「もう一度温泉を見てくる」そう言い残して朝倉は部屋を出て行き、満腹になった俺は早くも楽な格好で横になる事にした。 雪が降るのを暖かい部屋で見ながらのんびり昼寝、これ以上の贅沢って奴は俺には思いつかないね。 布団を出すのもなんなので、座布団を並べた上に寝転ぶ。 あー別世界だな、これはもう。 理想的な状況にいつの間にか寝てしまったらしい。ぼんやりと目を覚ました時、俺は仰向けに寝ていて視界には天井が広がっていた。 何かが動く気配に視線だけ向けると、長い髪の女が今まさに浴衣に着替えている所……ってえ! 慌てて目を閉じた――が、色々と何かが見えてしまった気がする。 いや、気のせいだ。もしくは夢だ。 つい目に焼き付けてしまったこの映像に関しては、言及を避けさせて頂く。「あ、起しちゃった?」 高い位置から朝倉の小さな声が聞こえる、ここはどうする?寝たふりか?いや違う、本当に寝てるんだ俺は。 俺は全身に脱力しろと指示を出す、自慢じゃないが脱力には自信があるぞ? 本当に自慢にならんが。「……キョン君、起きてるでしょ」 今度はさっきより少し楽しそうな声が聞こえてくる。しかもどうやら近寄ってきているらしい。 何故だ、完璧な寝たふりのはずだぞ? 疑われる要因なんて無いはずなのに。「早く起きないといたずらしちゃうよ?」 顔の横に朝倉が座る気配がする、ここは……そうだな。鼻をつままれたりでもしたら目を覚ますってのはどうだ? 動きそうになる顔の表情筋の緊張と闘っていると、顔の上に何かが近づいてくる気配と、冷たく柔らかい何かが唇に触れて……。 目を見開いた俺が見たのは、目の前で楽しそうに微笑む朝倉の顔と俺の唇に触れる朝倉の細い指だった。「ほら、やっぱり起きてるじゃない」 今ので起きたんだ、なんて言い訳をしても仕方ないよな。 頭をかきながら体を起こす、なんとなく外を見てみるとまだ明るかった。 あれ、風呂に行ったんじゃなかったのか?「うん、行ったけどまだ入れそうになかったから戻ってきたの」 言いながら朝倉は、着替えの入った袋から小さな木の板を取り出した。 そこには数字と、達筆過ぎて読めない漢字で何とかの湯と書かれている。「それでね?予約制の家族風呂ってお風呂があるみたいで、さっき予約してきたの。私の時間までは後20分くらいかな」 なるほどね。 何度も通って温泉が空くのを待つより建設的だな。「2時間まで使っていいって話だから1時間交代で入ろっか?」 ああ。 普段なら10分で終わる俺の風呂だが、温泉となれば話は別だ。 時間が来て朝倉が部屋を出て行った後、俺は自分の携帯を取り出した。電源を入れ忘れてたってのもあるが、それ以上に事情を説明して欲しい事がある。もちろん聞きたい相手は、出発早々に姿を消したあいつだ。「無事に着いたかな?」 ああ、何とかな。 電話越しに聞こえる国木田の声は、あまりにもいつも通りだった。「そりゃあよかった。朝倉さんもそこにいるの?」 いや、今は風呂に行ってるよ。「そっか。ねえキョン、僕に電話してきたって事は聞きたい事があるんだよね」 よくわかってるじゃないか。結論から聞こう、朝いきなり帰っちまったのも、部屋の数を勝手に減らしたのもわざとなんだな?「うーん、わざとって言われると答えに困るんだけど。でもまあいいか。キョン、怒らないで聞いてね?」 返答による。内容によっては、土産が温泉饅頭から温泉卵一つまで格下げだ。「僕を怒るのは別に構わないよ、それと温泉饅頭よりも温泉卵の方が僕は好きだな。まあとにかく最後まで聞いてよ」 そう前置きしてから、国木田は事の顛末とやらをのんびりと話し始めた。最初の内は何を言ってるんだ? くらいに思う内容だったが、後半までくるともう何がなんだかさっぱりわからなくなっていた。「これで全部だよ。ねえキョン、メールの最後に書いた中学の時の事って所覚えてる?」 ああ、あれは何の事なんだ?「それって本気で言ってるの?」 本気も何も、意味がわからない。「……まあ、僕が言っても仕方ないよね。まあゆっくり考えてみてよ、朝倉さんによろしく」 そう言って、国木田は携帯を切ってしまった。それにしても中学の時って言えば3年もあるんだぞ? 何かを伝えたいにしてももうちょっと範囲を絞ってくれてもいいと思うんだが。 物言わぬ携帯を見ながらしばらく考えてみたが、それらしい事はやはり思い浮かばなかった。 そんな事をしていると部屋の入口の方から鍵を開ける音が聞こえてくる、どうやら朝倉が戻ってきたみたいだな。「ただいま。凄くいいお風呂だったよ、景色もお湯も最高」 そうかい。 湯上りの朝倉は上機嫌で、薄赤く火照った顔はいつもと違った感じだ。 さて、ここで国木田から聞いた事を朝倉に問い詰めてもいいんだが、せっかく楽しそうにしているのに水を差すのもどうだろう。それに、これが全部朝倉が何かを考えてやってる事なら、俺は知らない振りをしていたほうがいいのかもしれないよな。「はい、これ。あんまり遅いようなら呼びにいくけど、のぼせたりしないでね」 夕飯までには戻るよ。そう言い残し、俺はとりあえず国木田の事も朝倉の企みの事も考えるのを止めて温泉へと向かった。 顔に感じる冷えた空気と、体を包み込む体温より遥かに高い温度のお湯。日が落ちかけた空がゆっくりと闇に染まっていく――俺は湯気に包まれながらそんな絶景を眺めていた。 来てよかった、なんて凡庸な言葉じゃ表現しきれないね。ああ、でもそれでいいのか。これは言葉で伝えていい物じゃない。 入口に書いてあった説明によると、ここの温泉はかけ流しって方式だそうだ。意味はよくわからないが、湯量が豊富とかでお湯の再利用とかする必要がないからどんどんお湯が湧いてきていて、そのまま止まる事なく川に行くらしいぞ。 家族風呂は貸切りだけあってそんなに広くはないが、二三人なら入れそうな広さがある。それを一人で使ってるっていうんだから贅沢だよな。 とまあ、俺はひたすらに現在の状況を楽しみながら温泉を満喫する事ができた。 温泉の効能なのかどうかは知らないが、利用時間ぎりぎりで風呂を上がった時には肌は妙につるつるで、ついでに国木田との電話の事は綺麗に忘れてしまっていたりしたくらいだ。出口にあった昔懐かしい60円の瓶に入ったフルーツ牛乳にはかなり心惹かれたのだが、夕食が近い事もあって次回への楽しみにと我慢するのには苦労したぜ。 そして夕食、部屋に戻った俺が見たのは昼以上の品数の料理がぎっしりと並べられたテーブルだった。「おかえりさない。凄いでしょ、これ」 ああ、なんていうか絶対に食べ切れないな。 谷口が居ればどうにかなったかも知れないが、俺と朝倉ではどう考えても食べきれない量だ。その時は確かにそう思った。 しかし、旅先ってやつは不思議な力でもあるのかもしれない。なんだかんだで俺は自分の分を食べきってしまい、朝倉が残した分も含めて殆ど平らげてしまったりした。こんなに大食いだったか?俺。「こんなに食べたのはじめてかも?」 朝倉も自分の食欲に驚いているみたいだな、夕飯が終わったらもう一度温泉に行くつもりだったんだがしばらくは行けそうにない。帰りにしてきた家族風呂の予約は取り消した方が無難だな。 朝倉、風呂の予約なんだけど取り消してきていいか?「うん、お願い。今日はもう行けそうにないかも」 嬉しそうな顔で朝倉は苦笑いしている、俺もそんな感じだ。 このままでは寝てしまいようだし、面倒な事は先に済ませよう。俺は休憩しろと訴えている体をなんとか動かし、ロビーへと向かった。「わかりました、お布団の方はもう敷きに伺ってもよろしかったですか?」 木札を受け取りながら宿の人は笑顔で聞いてくる、そうだなまだ8時にもなってないが今日は移動で疲れてるしその方がいいかもしれない。 お願いします、そう言い残して俺はふらふらと部屋へ戻った。 どんな連絡方法を使っているのか知らないが、俺が部屋に戻った時はすでにテーブルは空になっていて部屋の隅に移動してあり、代わりに部屋の中央には布団が2組並べられていた。「おかえりなさい」 窓際に座った浴衣姿の朝倉が微笑んでいる。風呂上がりのせいなのかほんのりと赤い頬……っておい、ちょっと待て。 朝倉、手に持ってるそれは何だ。白い陶器でできたそれの事だ。「これ? 部屋の冷蔵庫にあったの。キョン君も飲む?」 朝倉が持っているのはどうみてもアルコール、ジャンルで言えば日本酒だった。おいおい、高校生が泊まる部屋にそんな物置いておくなよ? ご機嫌な朝倉は何かのメロディーを口ずさみながら、窓の外を眺めている。まあ、こんな時くらいはいいかな。 俺は朝倉の向かいに座って、空になっていたお猪口についでやる。 嬉しそうに朝倉はそれを受け取り、一気に飲み干してしまった。 おいおい、そんな無茶な飲み方をするとだな。 俺の話が聞こえていないのか聞いていないのか聞く気がないのか、まあとにかく朝倉はいつになくマイペースでお猪口の淵ををっと指でふき取ると俺に向かって差し出してきた。えっと、つまり俺にも飲めって事なのか? 何か言うのではないかと待ってみたが、無言のまま朝倉はお猪口を差し出してきている。 一杯だけだからな。 そう念を押してから俺はお猪口を受け取った。 それが間違いだった。 朝倉はハイぺースで酒を飲み干していき、俺が止めようとすると泣きそうな顔で抵抗してきた。しかも無言のまま。いったいなんなんだろうな? これは。仕方なく朝倉の飲む量を減らそうと俺も飲んでしまった結果、酔っ払いが二人できあがった訳だ。いかん、もう世界が揺れている。神人でも出たのか?古泉出番だそ。「……ね~キョン君」 窓によりかかった朝倉が久しぶりに喋った気がする。 なんだ、酒ならもう冷蔵庫の中にあったのは全部飲んじまったから無いぞ。 多分別料金なんだろうけど、帰りの支払いは大丈夫かね? なんて、どこか冷静さを残している自分が嫌だな。こんな状況ならむしろ何もかも忘れちまってた方が正しいと思う。「ごめんね? 謝っても許してなんてもらえないんだけど、どうしても言いたかったの」 ふらついていた朝倉の視点が、なんとか俺の顔をとらえていた。謝るって何の事だろう。再び朝倉の視点は何もないテーブル辺りに流れていき、このまま寝てしまうんじゃないだろな? と俺が心配し始めた頃、朝倉はのんびりとした口調で話しはじめた。「私ね? 統合情報思念体の庇護があった頃の自分を思い出すと嫌になるの。自分なら簡単にできる事や、すでに知ってるどうでもいい知識を、何年もかけて必死に勉強してる人の中で、本当の自分をずっと隠したまま過ごしてるのは苦痛だった。長門さんのあの性格も、今考えればそれが適正だったのかも。変わらない毎日といつまで経っても終わらない観察。今日も何事もありませんでしたって、何年も何年も報告し続けてた。だからって、貴方にした事は許されるわけがないただの私のエゴ。許してなんてもらえないって、わかってる」 そこまで喋った所で、朝倉は急に黙ってしまった。 俺に何か言って欲しいって感じじゃない。ただ、言いたかったんだろうな。 今更だが、終わらない夏休みを結局最後まで誰に相談する事もなく乗り切っちまった長門が凄い事がよくわかる。俺にはむしろ、朝倉の気持ちは理解できる範囲の物さ。まあ、刺されるのはもう御免こうむりたいが。 朝倉。「……うん」 少し眠くなっているんだろうか、朝倉の返事は小さかった。 明日まで覚えてられないかもしれないが、あの時の事はもう気にしなくていいぞ。「……うん」 その返事を最後に朝倉は熟睡してしまい、俺は揺さぶったり濡れタオルを顔に当てるなど頑張ったものの全て効果なし。仕方なく布団まで朝倉を運んで旅行1日目は終わった。 翌朝。訂正、翌昼とでも言うべきだろう。俺が起きたのはすでに正午を回った時間だった。 目が覚めて最初に感じたのは胃の不快感、次に感じたのは頭痛。言い訳しようもないくらいに二日酔いって奴だな。「おはよう? 顔色良くないよ、大丈夫?」 ……お前は元気そうだな。 朝倉はといえば俺よりも飲んでいたはずなのに元気な顔で、湯上がりなのか髪を拭いている所だった。 「起きられそう? 朝ご飯のお味噌汁を残してあるんだけど飲めそうかな」 ああ、頼む。 何とか体を起こしてはみたが、今日はもうこのまま寝ていたい気分だ。甲斐甲斐しく動いてくれている朝倉の姿を目で追うのも億劫で、俺はぼんやりと布団を眺めていたりした。やがて鼻をくすぐる味噌の匂いが漂ってくる。するとまるでスイッチが入ったみたいに何も食べられそうにないと思っていた胃が突然空腹を訴えてきやがった。「はい、温め直したばかりだから火傷しないでね」 そう言ってお盆ごと渡された味噌汁は、茸が一杯入れられた軽食になってしまうようなボリュームで早々と俺の胃は満足してしまった。我ながら忙しい奴だぜ。 ありがとう。 空になった食器は朝倉がテーブルまで持って行ってくれた。さて、今日はどうしようか。本当にこのまま寝ているってのも悪くないと思うが、せっかくここまで来たんだしな。「ねえ、昨日の事って覚えてる?」 雪ダルマでも作ろうか? と考えていた俺に朝倉は少し恥ずかしそうに聞いてきた。 昨日の事、ああ。あれか。 その続きが聞きたいのか、朝倉は俺の顔をじっと見て黙っている。 あんまり飲み過ぎるのはどうかと思うぞ。まあ、俺と違って翌日に残らない様に飲めるのは大したもんだけどな。「あ、そうだよね。恥ずかしい所みせちゃったな」 俺の言葉に照れながら笑う朝倉。その笑顔はいつもクラスで見せている整い過ぎた笑顔ではなくて、今は何か楽になったような感じだった。朝倉、長門じゃないけどな、お前も少しは人を頼る事を覚えた方がいいぜ。あんな酩酊しないと本音を言えないようじゃ、生きていくのが辛すぎるぞ? 何て言われた所で生き方を変えるような奴には見えないんだけどな。――そうだ、朝倉に俺が言ってやれる事が一つあるじゃないか。もしかしたら、朝倉が聞いた昨日の事ってのはこの事なのかもしれない。 朝倉、本当にもう気にしなくていいからな。「え?」 俺の言葉に朝倉はしばらくじっと俺の顔を見つめていたが、やがて小さく「うん」と言って頷いた。 ――その日、結局俺は日中の殆どを寝て過ごしてしまった。 せっかくの旅行なのに何をやってるんだ? と自分でも思ったのだが、布団の心地よさの前にあっさりと屈伏してしまったのさ。その間、朝倉は温泉巡りに勤しんでいたらしい。一緒に来てるのに一人にしてしまって悪かったな、と言おうと思ったが朝倉は楽しそうに入った温泉の違いなんかを話しかけてきたので言わないでおく事にした。おかげで退屈する事もなく時間は過ぎていってしまい、気づけばもう夕食の時間だ。明日の朝には帰るんだよな? なんか現実感がないぜ。まだ初日の夜なんじゃないかって気がするくらいだ。 初日同様、大量に並べられた夕食の前に朝食と昼食を食べ損ねた俺は気合いを入れて臨もうとしたが、「あんまり食べると温泉にいけなくなるよ? もう入らないのならいいんだけど」 寝ている間に予約しておいてくれたらしい、朝倉の手にはあの木札があった。 危なかった、昨日と同じ展開になるところだったぜ。 朝倉の忠告があったおかげでそこそこの量で夕食を終え、俺達は予約の時間までのんびりと待つ事にした。あの料理が美味しかったとか、休憩室の足裏マッサージが気持ちいいとかそんな話題が続いていた時の事だ。会話の合間で不意に訪れた沈黙、こんな時いつもなら朝倉が何か話しかけてきそうなものなんだが、その時は何故か俺が話かけていた。しかも、言うつもりのない話題を。 朝倉、国木田から全部聞いたぞ。 それまで笑顔でいた朝倉の顔に驚きと、戸惑い。その他色んな感情が混ざったような複雑な表情が浮かんだ。言うべきじゃなかったな、やっぱり。でもまあ言いかけた以上は最後まで言うしかないだろう。俺は腹をくくってその先を続けた。 教えてくれ、何で俺と二人で旅行に来たかったんだ? 国木田から聞いた話によれば、だ。 今回の旅行は最初は確かに4人で行くはずだったらしい、ところが出発前日になって国木田に谷口から電話があったそうだ。内容は「俺は行けなくなった3人で楽しんできてくれ」だとよ。しかも行けない理由ってのはインフルエンザではないらしい。 それから、国木田はまず朝倉と連絡を取ったそうだ。予約の関係を全部やってくれたのは朝倉だったからな。国木田は朝倉と話をして、何故か国木田も不参加を決めたそうだ。1週間近く前から計画していた旅行を前日に行くのを辞める理由ってのはなんなのか、しかも集合には顔を出しておいて途中で居なくなるなんて事をやった理由は?わからない事だらけだが、何故朝倉は全部知っていて俺には何も言わなかったんだ? 聞きたい事は他にもあるが、朝倉ならいちいち言わなくても全部話してくれるだろう。 しかし、よほど言いづらい事なんだろうか? 朝倉は困った顔で視線を彷徨わせていた。 そしてようやく口を開いた第一声が、「あのね。旅行の前日に、その。谷口君に……告白されたの」 これだった。 あいつ、本気だったのか。冗談だとしか思ってなかったんだが……でもこの旅行に来なかったって事は結果は多分駄目だったって事なんだよな。 聞いておいてなんだけど、個人的な事だったら無理に言わなくてもいいぞ。「うん……でも今言わないと言えなくなりそう。谷口君には、他に好きな人が居るからごめんなさいって言ったの。それから国木田君から谷口から話は聞いたよって電話があったの。国木田君は、好きな人が居るならその人と二人で旅行に行った方がいいんじゃない? って言ってくれて。その人は恋愛感情に疎いから、僕も協力するよって……その」 ここまでくれば、流石に俺でも気づく。 国木田は、俺が朝倉と二人だけだと知ってたら旅行を止めてしまいそうだから一芝居打ったって事か。 肯く朝倉。つまり、その恋愛感情に疎いらしい朝倉が好きな人ってのは、だ。「私が、キョン君と一緒にここへ来たかったのは……。私がキョン君の事を、好きだから」 あの、いつでも冷静で人当たりのいい笑顔を絶やさない朝倉が、今は真っ赤な顔で俺を見ている。 夢か? 夢なのかこれは? それともそこの襖の向こうで谷口が待機でもしてるのか? しかし、どれだけ待ってもプラカードをもった谷口は現れなかった。「やっぱり。迷惑かな」 俺が無言でいるのを、朝倉は否定と取ったのだろうか。今ならはっきりわかるぜ、クラスで見せていた無理に作った笑顔って奴を浮かべて俺を見ている。きっと朝倉は、 自分の感情を隠す時はこの笑顔で自分を覆っていたんだろうな。誰にも本当の事を伝えられない時間の辛さって奴を、俺は少しは知っているつもりだ。 勉強会で朝倉がたまに俺へと向けていた笑顔は、ここに来て俺に見せてくれていた素の朝倉と同じだって事も今ならわかる。 朝倉。「……うん」 何も躊躇う事はない、自分の気持ちを伝えてやればいいだけだ。それだけの事のはずが、喉はやけに渇いてくるし手の平は汗ばんでいた。悪いな、こんなに緊張する事をお前に先に言わせるなんてずるいよな。 朝倉の目は震えている。そうだな、いつからそうだっかなんて覚えてない。けど間違いなく――。 俺も、お前の事が好きだぜ。 そう言い切った途端、朝倉の体が小さく震えだしそのまま泣きはじめてしまった。「本当に重くない? 大丈夫」 平気だ、っていうか軽すぎると思うぞ。 壁際に座った俺に遠慮しながらもたれてくる朝倉は、冗談ではなく本当に軽かった。ようやく泣き止んだ朝倉は、泣きすぎて変な顔になってるから見ないで、と顔を隠してしまった。でもそれじゃ話もしにくいだろうって事で、俺が背もたれになったって訳さ。決して下心があった訳じゃないぞ。 朝倉、なんのシャンプー使ってるんだ?「え、変な匂いだった?」 驚いて振り向く朝倉の目は、本当に真っ赤になっていた。これはこれで可愛いと思うんだがな。 いや、いい匂いだぞ。俺は好きだ。「……よかった。シャンプーは石鹸シャンプーを使ってるんだけど、リンスにお酢とアロマエキスを自分で混ぜたのを使ってるの」 随分と手が込んでいるだけあって、朝倉の長い髪は俺とは構成材料が違うんじゃないかってくらいに綺麗だ。 なんとなく髪を撫でている時に思いついた。 朝倉、ポニーテールってできるか?「え、できるよ。ちょっとまってね」 髪ゴムを取って戻ってきた朝倉は、目の前でポニーテールを結んで見せてくれた。サイドの髪は残したままのスタイルか、実にいいね。 似合ってるぞ、それ。「本当?」 ああ。「じゃあ、これからずっとこうしていよっと」 尻尾を揺らしながら朝倉はまた俺にもたれてきた。浴衣越しに感じる朝倉の鼓動が自分の鼓動に重なる。俺だって健全な男子高校生であり、こんな状況であれば眠れない夜なんかについ耽ってしまう妄想を現実にしてしまってもいいんじゃないのか? なんて事を考えるのも無理は無いだろう。しかし、だ。実際に背中からとはいえこうして抱きかかえてみると、朝倉の体は力を入れてたら壊れちまうんじゃないか?――まあ、壊れまではしないんだろうが――と思うほどに華奢で、産まれたての子猫を不器用に両手で支えるような慎重さで俺は朝倉の体を包むのが精一杯だった。 あ、しまったな。 別に悪い事じゃないんだろうけど、俺はさっき朝倉に言った言葉が以前ハルヒ相手に言った言葉と同じだった事に気づいた。自分のボキャブラリーが少ないせいなんだが、なんとなく不誠実というか申し訳ない気分になる。でも、これって朝倉にわざわざ言う事じゃないよな。「どうかしたの?」 俺の罪悪感でも感じ取ってしまったんだろうか、朝倉は俺の顔を横目で見ている。 なあ朝倉。秘密って無い方がいいと思うか?「どうしたの急に」 いや、深い意味は無いんだ。「そうね。……無いほうが良いとは思うんだけど、私はキョン君に言えない事もあるから、二人の間に秘密があってはいけないって言われると苦しいな」 そうなのか。「こんな事言ったら余計に聞きたくなるよね。でも、言うと嫌われそうな事だから、できれば聞かないで欲しい」 じゃあ聞かないさ、変な事を聞いて悪かったよ。 お互いにそこそこの時間を生きてきてるんだ、言うまでも無い事や言えない事の一つや二つあるのが普通だと思う。「……ねえ。一つお願いがあるんだけど、いいかな。」 言ってみな。「あのね、その。急にこんな事言われて困ると思うんだけど、今じゃなきゃ言えない事だって思って、その」 さて、どんなお願いなんだろうね? とのんびり待っていた俺に、朝倉が言ったお願いとは…「一緒に……温泉に入らない?」 結論から言おう、いいお湯だった。以上。 あ、他に何か言うことがあるだろうって? そんな物はない……ああ、朝倉はポニーテールが濡れない様にまとめてお団子にしていたぞ。あと、ちゃんとバスタオルも巻いてた。これで十分だよな? 温泉から上がった後は二人でフルーツ牛乳を飲んで、湯冷めする前に眠ったよ。布団? ……一組しか使ってない、それだけだ。 細かい経緯や心情描写は脳内で補完して貰えれば幸いだ、俺が恥をかくぶんにはどうでもいいが朝倉の名誉だけは断固守らせてもらう。しかしまあ、ここまで読んでもらって何も伝えないのもどうかと思うから一つだけ言おうか。 朝、目が覚めた時。朝倉はまだ俺の隣で眠っていた。携帯で見た時計はまだ5時で、俺は二度寝しようと再び目を閉じた。しかし何故だか眠気は戻ってこなかったので、俺はせっかくだからと朝倉の寝顔をじっと見ていた。ほんの2時間程の事さ。「……おはよう」 ようやく目を覚ました朝倉が微笑む。なんていうのかね、これが幸せって奴なんじゃないだろうか? 以上、惚気はここまでだ。満足したかい? 朝食後、のんびりと帰り支度を済ませた俺達は少し早めに宿を出た。 夢のような、というか本当に現実なのかも怪しい程にサプライズ満点だった温泉旅行は無事に終了し、久しぶりに戻ってきた駅には何故か国木田と……。「……お、お幸せにー!」 俺と腕を組んで改札を出てきた朝倉を見て、何か叫びながら走り去る谷口の後姿があった。 おい谷口! 土産……あいつ、何しにここまで来たんだ?「どうしても自分の目で見ないと納得しないって谷口が言いはってさ。まあ気にしないでよ。それより温泉は楽しかった?」 何事も無かったかのように国木田はさらりと言いきった。 ああ、何か気を使わせちまったみたいだな。これは土産だ、谷口の分も入ってるが好きに分けてくれ。「こんなにいいの? あ、温泉卵もある。ありがとう」「国木田君本当にありがとう。せっかくの旅行だったのにごめんね?」「気にしないでいいよ。谷口は自爆で、僕は勝手にやった事なんだから」 お前、本当にいい奴だったんだな。「気づくのがいつも遅いんだよ、キョンは」 何故か寂しそうな顔で国木田は笑った。 谷口の予言によれば俺はすぐに飽きられて振られるそうなんだが、冬が過ぎ春が来た今も俺は朝倉との付き合いは続いている。 二人の間であった事といえば、そうだな。俺が朝倉に涼子と呼んで欲しいと懇願されてるのにをまだ朝倉と呼んでいる事と、一人暮らしで身寄りが無い事を理由に朝倉のマンションで同棲生活をはじめた事くらいだろうか。詳しくは聞くな、惚気にしかならない。 元々放任主義だった親にこの時ばかりは感謝したね。というか、何度か遊びにくる内に朝倉が自分で生活費をしっかり稼いでくる優等生だと知った親がむしろ俺を教育してもらうつもりで許可したのかもしれないが。 テーブルの向こうで恋人兼先生である朝倉が何かを期待した目で俺を見ている。もう少し待ってろ、最後の問題ももうすぐ終わるからな。 今日はこの問題が終われば勉強はおしまい、後は二人の時間って奴だ。 さて、長かった俺の話もいよいよこれで終わりだ。 これから俺達がどうなったって? そんな事は誰にもわからない事さ。でもまあ、俺の隣にはいつも朝倉が居る。 それだけは間違いないね。 朝倉涼子の誰時 季節は春、高校2年になった俺はまた朝倉と同じクラスだった事を喜び、ついでに国木田と谷口まで同じクラスだった事も建前上喜んでおいた。 勉強会は結局旅行後はなくなってしまった。まあ、仕方ないよな。それでも国木田が勉強を教え続けているせいなのか、谷口のテストの点は上がったままだ。 しかもどうやら俺にテストで勝つのが今の目標らしく、毎回の様に結果表を見ては悔しがっている。悪いな、こっちの先生は特別なんだよ。 そんなどこまでも平和で、何一つ不思議な事等起こる気配も感じない生活を続けていた俺達だった――んだ、その時までは。 だから俺はあの感情を感じさせない同級生の顔を久しぶりに見たとき本気で驚いた、冗談抜きで錯覚だと思ったさ。 いつものように他愛も無い話をしながら学校から帰った俺達を待っていたのは、間違えるはずも無いマンションの入り口で一人立つ長門だった。 長門! 思わず俺は走り出していた、迫ってくる俺に対して長門は何の反応も無い。 お前、怪我は無いか? 今までどこに居たんだ? みんなは? 俺の顔をじっと見つめるだけで、長門はどの質問にも答えはしなかった。しかも何故か着ているのは冬制服だったりする。「……」 長門? 久しぶりに聞いた同級生の第一声は、やはり感情の感じられない声で「朝倉涼子と話をさせて欲しい」 だった。 そりゃあ構わないが…長門、「……貴方の質問に今は答える事ができない。でも後で必ず話す。約束する」 まさか、朝倉をまた消してしまうとかそんなんじゃ? 聞いてくれ、今の朝倉はもう普通の人間で危険なんか何も「大丈夫よ、そんなに心配しないで?」 長門を説得しようとした俺を止めたのは、朝倉だった。本当に大丈夫なんだな? そう視線に込めてみると、朝倉はその意味がわかったようでゆっくりと肯く。 わかったよ。俺は家に帰ってればいいか?「うん、ごめんね?」 まあ、何かあるにしても俺に相談も無く長門は無茶なことをしないだろうしな。 俺はそれ以上深く考えず、持っていた朝倉の鞄を渡した。 じゃあまたな。「じゃあね」 いつもの朝倉なら、絶対に「また明日ね」とか、「また来週ね」と言っていた事に俺は結局気づかなかった。「お久しぶり、こうやって長門さんと話すのはあの教室以来になるのかしら」 505号室。殺風景だった朝倉の部屋は今では二人の私物でそれなりに手狭に感じる。「……」 長門は入り口でじっと立ち尽くしている。「立ち話もなんだしどうぞ座って? すぐに紅茶を入れるから」 キッチンから聞こえる朝倉の声に従い、長門は迷う事無くソファーに向かう。 しばらくして、紅茶の香りと一緒に朝倉がティーセットを持って戻ってきた。「お待たせ。……それで、どんなお話なのかな。情報の共有で伝えられる事ならそうしてもらってもいいんだけど」 朝倉の言葉に長門は首を小さく振る。「できない」「え」「今の貴女では情報の共有には耐えられない。貴女が思う以上に、残された時間は少ない」「残された時間って」「貴女には、もうその有機情報を維持するだけの力は残されていない。十数分後には限界を向かえ、情報連結の解除が始まる」 長門の言葉は、何故か苦しそうだった。 暫くの沈黙の後、「そっか、そうだったんだ。ねえ、私へのメッセンジャーとしてわざわざここに来た訳じゃないんでしょ?本当の要件を教えてよ」「……涼宮ハルヒは、現在も異世界に自分を閉じ込めている。本来であれば、貴方は彼に協力して涼宮ハルヒを救い出すはずだった。何度か歴史を修正するチャンスはあったが、そうはならなかった。貴女は彼と生きる道を選び、また彼もそれに同意した。結果、涼宮ハルヒはこの世界に戻る事もなく、自立進化の可能性が見出せないとして統合情報思念体は地球というこの星に興味を無くした。しかし宇宙のどこを探しても涼宮ハルヒの様な存在は見つけられないでいる」「そっか、そんなシナリオだったの」 長門の顔が、見るからに苦しそうに歪んだ。「貴女の消滅に合わせて、情報統合思念体により世界が涼宮ハルヒが消える前の状態に再構成される」「それって、私はまた一人ぼっちになるって事なの?」「……違う。本来あるべき時間の流れが変えられてしまった事で、情報統合思念体は貴女の存在を危険視している。再構成された世界に貴女は居ない」「なんで、長門さんが泣いてるのよ」 長門は声も無く、ただ涙を流していた。「よく、わからない」「今、貴女の目から流れてるのは涙って言うの。人間は悲しい時にそれを流すのよ」「よく、わからない。……情報統合思念体には、貴女の存在が消えるまでは涼宮ハルヒが二人によって救出される可能性があると報告してきた。でも、貴女の消滅が迫った事でそれももう不可能になった。私にはもう、どうする事もできない」 二人の間に痛いほどの沈黙が流れる。 その沈黙を破ったのは朝倉の明るい声だった。「あ~あ、残念。せっかく彼とうまくいってたのにな……でも、どうせ私が消えて彼だけが残されるくらいなら、私の居ない時間まで戻った方が彼も幸せよねそんなに泣かないでよ。最後くらい、私も笑っていたいんだから」 そう言って笑顔を浮かべる朝倉。 やがて迷うように長門は口を開いた。「貴女が望むのならば私の中に貴女の情報の一部を残す事は可能、現在の記憶の保存と視覚や聴覚といった感覚は私と同期する事ができる。ただし、推奨はしない」「どうして?」 暫くの沈黙の後。「万一、私の機能が停止した時は貴女の中に私のデータを保存する為のバックアップが生まれる。その状態では有機生命体として活動する事はできない、情報統合思念体の保護を待つ間の待機状態。保護されるまでの間は、情報収集の為に貴女と常に同期した状態になっている。今回も、そうだった」「あ……ごめんね。ごめんね? 私、長門さんが彼の事好きだって知ってて」 遮る様に首を振る長門。「彼には。貴女が必要だった」「……ねえ。後、どれくらい時間はあるの?」「殆ど残っていない」「ありがとう、ぎりぎりまで彼と一緒にいさせてくれたんだね。ねえ、泣かないで? 悪いのは私、彼が欲しくて涼宮さん達を取り戻せるチャンスがあっても無理だって嘘をついて来たんだもん。自業自得よ」 朝倉は本当の笑顔を浮かべて、長門の手を取った。「ねえ、長門さんとの同期。お願いしてもいい?」「……何も言えず、触れる事もできない時間は辛い」「それでもいいの」「……了解した」 朝倉の最後の言葉を待っていたかのように情報連結の解除がはじまった――光の粒になって朝倉の体が消えていく……。 最後の瞬間まで、朝倉は微笑んで長門を見つめていた。 ありがとう。「じゃあね、彼とお幸せに」 その言葉を最後に、朝倉涼子の存在は――消えた。 ――お父様は自立進化する事の大切さを私に教えてくれた、それを正しいと私も思うし理解もできる。 でも、自分の力だけではなく、互いに助け合って生きる事の素晴らしさを彼は教えてくれた。だからこそ、自分の残された時間が長くないってわかってても私はそれを彼にも伝えず、平凡な毎日に無理な変化も求めなかった。定められた寿命に気づく事無く、それを全うして生きる。 結果として何も残らなくても、その時間は無駄なんかじゃない。決して、無駄ではない。 何故なら、私はそんな時間を彼と過ごせた事を誇りに思ってるもの。 お父様も、いつか答えは一つじゃないって事にきっと気がつくはず。 もしも願いが叶うなら――また彼と。後日談 12月24日。 終業式も無事に終わり、俺はハルヒ特製鍋を食べに行こうとついさっきまで確かに思っていた。しかし何故だろう、今はこうして教室に居て、しかもだ。 谷口、ちょっといいか。 何故か谷口に話しかけている。どうしちまったんだ?俺は。「ん」 帰り支度も終わっていざ教室を出ようとした谷口は、呼び止めた俺に不審な顔を向けている。 さて、俺は何でお前を呼び止めたんだったかな。と、考える前に何故か口は動いていた。まるで、いつもそうしていたかのように。 なんだか知らないがお前と勉強する気になったんだが。「はあ?何言ってんだ?」 谷口も国木田も目を丸くしている。そうだよな、終業式も済んだ今日ほど勉強とは縁遠い日はないよな。そう俺も思うさ、でもな?何故か今日はそんな気分なんだよ。 自分でもよくわからんが、まあたまにはいいだろ。俺だけ勉強して赤点仲間を失って一人になるのは辛いと思うぞ?「脅かすなよ……まあいいか、よくわからんが俺も今日は勉強してもいい気がしてるしな」 意外な事にこの誘いに谷口も乗ってきた、これは大雪でも降りだしそうな気がしてきたぜ。ああ、そうだ。何故か国木田も誘わなきゃいけない気がしてきた。 国木田、悪いけど俺と谷口の勉強を見てくれないか?「え?うんいいよ。どこで勉強するつもりなの、ここでやる?」 鍋の事なんか完全に忘れていた、本当だぜ?俺は思いついたままに口を開いていたのさ。 そうだな、文芸部の部室はどうだ? 朝倉涼子の誰時 終わり
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